第二章 海辺の出会い
「……っ、セドリックさま! 見てください! あれが海! 海ですよね!?」
馬車の窓から見える景色に目を輝かせ、フィオナは声をあげた。
馬車は小高い丘の上を走っていた。先ほど森の切れ目を出たところで、眼下に一気に青が広がったのだ。
「っ、すごい! 素敵……!」
感極まって、フィオナは窓に
リンディスタ王国の王都から馬車を走らせてもう四日。色々な街の宿に泊まりながら旅をするのは楽しかったが、それなりに疲れるものだ。
公爵家の馬車は揺れも少なく、尻にあまり響かないが、負担であることに変わりはない。それでも、目の前の景色の美しさで疲れなんて吹っ飛んでしまった。
「水面が揺れてるっ。セドリックさま、見てください! あれが波――」
――などと言いながら、セドリックの顔を見てハッとした。
「っ、す、すみません! はしたないところをお見せしましたっ」
あまりの興奮に我を忘れてしまっていた。
走行中の馬車で窓に齧りつくなんて、幼い子供がするような行動だ。セドリックの前でこんなにもはしゃいでしまったのは初めてで、フィオナはたちまち赤面した。
声がどんどん尻すぼみになり、今さらながらお
「そんなに喜んでくれるとはな。もっと早く連れてきてやればよかった」
「ううっ、すみません。でもわたし、海を見るのは初めてで、つい」
「ここには私と君しかいない。好きなだけ眺めていいのだぞ?」
「後にします……」
彼はもっとはしゃいでいいと勧めてくれるが、公爵家の嫁としてはよろしくないはずだ。
でも彼が微笑ましいものでも見るような目で見つめてくるから、どうしたらいいのかわからなくなる。居たたまれなくなり、両頬を押さえながらそっぽを向くと、いよいよセドリックは声をあげて笑った。
「くく、我が妻は
「えっ!? 本当ですか!?」
餌につられて振り向くと、セドリックはますます上機嫌に笑った。まんまと彼の
「フィオナ」
ふと、彼がフィオナに手を伸ばした。なかば条件反射のように、フィオナも彼の手に自らの手を置く。
細くて小さい手だ。かつては手袋で隠していた労働者の手だった。でも、公爵家でたっぷりと手入れをされ、今では手袋で隠さなくても大丈夫なほど
セドリックは恭しく、その指先に口づけた。
狭い車内、彼とふたりきりであることを今さらながら強く実感し、フィオナの頬がさっと染まる。彼の熱っぽい眼差しにソワソワしてしまい、彼の顔と足もとを交互に見た。
「フィオナ」
セドリックはもう一度名前を呼ぶ。こちらを見て、と言われている気がして、フィオナは覚悟を決めて彼を見つめ返した。
菫色の瞳が真っ直ぐにフィオナを射抜いていた。
カラカラと、車輪が回る音が妙に大きく聞こえる。窓からの爽やかな光が彼の顔を照らし、
「――向こうに着いたら、君の時間をもらっても?」
「え?」
フィオナの時間など、もとより全部セドリックのものだ。ここには彼と一緒に過ごすためにやってきたわけだし、今さらながらの質問に思える。
けれど、彼の真剣な眼差しに、簡単に流してはいけないと感じた。セドリックにとっての大切な儀式のようで、フィオナもまた、真剣に受け止めるべきなのだと理解する。
「もちろんです、セドリックさま」
「――そうか」
フィオナの返事に、セドリックは幾分か
(む、向こうに着くまでにのぼせてしまいそう)
秋もいよいよ深まる季節だ。陽差しは眩しくとも、風は冷たい。リンディスタ王国と比べると、ここナバラル王国の気候はいくらか穏やかだが、それ以上に馬車の中が暑く感じてしまうから困ったものだ。
(外に出たら、いっぱい空気を吸おう。ちょっと落ち着かなくっちゃ)
でないと、彼と蜜月を楽しむ前に熱を出して倒れてしまいそうだから。
そうして、ドキドキしながらふたりきりの馬車の旅を楽しみ、夕暮れ前には目的地に到着した。
海辺沿いに建つ家はどれも大きな庭つきの開放的な建物ばかりで、隣の建物との距離がかなりある。ナバラル王国の都の中でも少し外れにあるここは、別荘街。各国の富豪が所有している、富裕層向けの別荘エリアなのだそうだ。
オズワルドの厚意で貸し出してもらえたという別荘は、淡い色の木と真っ白な
開放的な庭の周囲にはリンディスタ王国では見られない特徴的な木々が並んでいる。
王都からわずか四日という距離ではあるが、植生はかなり異なっているようだ。目の前の木はヤシというらしく、幹のざらざら感やギザギザした大きな葉っぱなど、なにもかもが初めて見る形だ。
異国に来たのだと強く感じて、フィオナは建物の前で手を打った。
「素敵。ここで過ごすのですね」
「ああそうだ。――ほら、ロビンたちも先に着いていたようだな」
セドリックが指を指した先、見知った顔を見つけた。
ロビンは
今回のハネムーンでも、真っ先に同行に手を上げてくれた。侍女ではあるけれど、フィオナにとっては歳の近いお姉さんのような存在で、いつも頼りにしてしまう。
彼女をはじめとした公爵家の使用人が、馬車が到着するなりぱたぱたと外に出てくる。
もともと別荘には管理人を含む数名しかおらず、身の回りの世話をしてくれる使用人は自ら連れてこないといけない。だから、フィオナたちに先立って、何名かの屋敷の使用人がこちらに到着していた。きっと、快適に過ごせるように中をすでに整えてくれているはず。
砂の感触がおもしろい。少し足を取られるし、一歩踏みしめるたびに砂が舞い、ブーツの中に入り込みそうだ。
ただ、初めてのこの感覚が楽しくて、フィオナはおっかなびっくり歩いていく。
いつになくはしゃいでいる自覚はある。けれども、セドリックとの初めての旅行、初めての異国、初めての海――初めてだらけで、心が弾むことに抗いようがない。
「セドリックさま、すごいですね!」
満面の笑みを浮かべて振り返ると、セドリックが眩しそうに目を細めた。
「ほら、前を見てくれ。砂に足を取られるぞ」
「わたし小さい頃はお転婆で、これくらい――きゃっ!」
などと言ったそばから
「…………すみません」
「いや。――くくっ」
ほら見たことかとばかりにセドリックが笑っている。
今日はなにをやっても格好がつかない。肩を落として反省していると、セドリックは楽しげに笑ったままフィオナの手を引いた。
「では、愛しい人。波打ち際まであなたを案内させてもらっても?」
そう言い、再び指先に口づける。紳士的な誘いではあるが、その視線にぞくりとするような色気を感じ、フィオナの体温が上がる。
セドリックと心が通じ合って三カ月、彼はフィオナとふたりきりの時はたっぷり甘い言葉をくれるようになった。けれども、今日はいつも以上に
(もしかして、セドリックさまも浮かれていたりするのかしら)
普段から冷静な彼のことだ。浮かれるなどという言葉とは対極な気もするけれど、フィオナの前だけではその氷が溶けることもよく知っている。
(わたしも、浮ついたままでいいのかな……?)
気障な彼のセリフに乗っかってもいいのかもしれない。そう考えると少し吹っ切れて、フィオナはへらりと笑った。
「ええ、もちろん」
その言葉を待っていたとばかりに、彼が恭しくフィオナの手を引いた。そうして、言葉通り海へ向かって歩いていく。
日が傾きはじめ、海に反射する陽光が随分と眩しい。少しひんやりとした潮風を感じながら、フィオナは寄せては返す波の様子をジッと見つめていた。
足もとまで波が押し寄せるも、やがて引き返してしまう。ブーツが波で濡れないようにフィオナ自身も足をぱたぱたと動かしながら、その不思議な光景を堪能していた。
世の中には、フィオナの知らないことがあまりに多すぎる。
この身に宿る魔法の力も、セドリックと出会わなければ気が付かないままだった。外の国の景色や、海を眺めることだってそう。ちっぽけだったフィオナの世界を、こうしてセドリックが広げてくれる。
好きだなあ、なんて、当たり前の感情を何度だって実感する。いつしかフィオナの視線は波からセドリックへと移っていて――セドリックも同じだったようだ。
波打ち際で見つめ合い、寄り添う。真っ白い砂浜にふたりきり、セドリックへの想いを噛みしめていると、彼がそっと口を開いた。
「フィオナ」
ああ、この顔だ。馬車の中でこの真剣な眼差しを向け、彼はフィオナの時間が欲しいと言った。
(なにか、とても大切な話があるのかしら)
いったいなんだろう。そう思いながら、ごくりと唾を飲み込んだその時だった。
セドリックと向き合ったその向こう――彼の肩越しに、誰かがふらふら歩いているのが見えた。ここは私有地ではなく公共の場だ。富裕層のためだけの砂浜で、利用する人数はさほど多くはないけれども、ゼロではないのだろう。
これから夕日が沈む海は美しかろう。フィオナたちと同じく、その景色を見に来たのかなとも思ったが、どうも動きが変だ。
セドリックと同年代かやや年上と思われる男性だった。きっとこの国の人なのだろう。詰め襟で、シンプルながらも形がスッと整った白いコートを身に纏っている。体のラインを綺麗に見せるそれにはスリットがあり、ダークグレーのズボンを纏った長い足が映えていた。
ズボンの形もリンディスタ王国の一般的なトラウザーズと異なり、足元はゆとりがありだぼっとした印象ながら、くるぶしが見えるデザインだ。長身でスタイルがいいからこそ、その白い民族衣装がより美しく見える。
髪の色はクリーム色がかった銀髪で、その淡い色彩が今にも消えてしまいそうに感じた。髪の長さは胸くらいあるだろうか。肩にかかっている髪は
そんな彼は、足もとが覚束ない様子だ。ふらふらしており、どこか危うさを感じる。真剣な様子のセドリックと向き合っている最中だが、一度目に入ってしまうとハラハラしっぱなしだ。
「……フィオナ?」
フィオナがオロオロしだしたことに、セドリックも気が付いたのだろう。片眉を上げてから、フィオナの視線を追うように後ろを向こうとする。その瞬間、件の白い服の男性がばたりとその場に膝から崩れ落ちた。
「っ!? 大丈夫ですか!?」
それを放っておけるフィオナではなかった。セドリックから離れ、気が付いた時にはもう駆け出していた。
男性は、今にも波に
「大丈夫ですか!? 目を開けてください! 大丈夫ですか!?」
名前もどこに住んでいるかすらもわからない人だ。どう呼んでいいかもわからず、ただ大丈夫ですかと繰り返す。
息はあるようだ。肩を何度も
(意識はある? ――でも、顔色が随分と悪い)
かなり色白だ。だからこそ、その肌が青白くすら感じる。
細身ではあるが、男性らしさをしっかりと残したバランスの取れた肢体。こうして見てみると、顔も非常に整っている。顔色こそ悪いけれども、十人が十人、振り返りそうな美貌だ。
セドリックがクールな印象の影のある美形だとすれば、目の前の彼はもう少し柔らかな印象とでも言おうか。かちっと着込んだ詰め襟のコートと、ゆるっと遊びのある髪のアンバランスさに妙に華を感じる。目を引いてやまない独特な妖しさ。それがどうしても印象に残る。
「ん、うう……」
「目を覚ましましたか? 大丈夫ですか!?」
フィオナの呼びかけに応えるように、男性の瞼がわずかに持ち上がる。
(え……?)
その瞳の不思議な色彩に絶句した。
まるで夕日の沈む海のような見事なグラデーション。濃い橙色に、深い蒼が混じり合っているような幻想的な色彩を湛えている。見たこともない美しい瞳につい見とれてしまい、ハッとする。
(って! この人を助けなきゃ!)
そう思い直したところ、隣に駆けつけたセドリックが声を漏らした。
「まさか、あなたは――」
「え?」
まるでこの男性を知っているような口ぶりだ。驚いて顔を上げると、セドリックは口を閉ざしてしまう。
一方、男性は再び瞳を閉じ、意識を失ってしまった。セドリックはそんな彼の呼吸や脈を確認しながらも、難しい顔をしたままだ。
リンディスタ王国内ならまだしも、この異国の地ですぐに医者を呼ぶのは難しい。となると、今頼れるのは自分の力だけだ。
「セドリックさま、ここには他にどなたもいらっしゃいませんし、わたしが」
「しかし」
「少しでも呼吸が楽になればと。――気持ち程度の効果しかありませんけれど」
なんて肩を竦めながら、懐からハンカチを取り出す。自ら刺した刺繍がたっぷりと入ったそのハンカチを男性の手に握らせてから、フィオナは彼の頬に右手で触れた。
(自分の中の魔力の廻りを意識して――)
まだほんの数回だけれども、アランに師事して教わった。フィオナの魔力は特殊で、使い方を間違えなければ十分に人を癒やすことができるかもしれないからと。
きちんと魔力の流れを意識さえすれば、刺繍などの媒介を通さずとも、即時に癒やしの効果を与えられる。ただ、未熟なフィオナではまだまだ上手にできなくて、お守り代わりに刺繍つきのハンカチを握らせたのだ。
人間は、誰しもほんの微量な魔力を持ちあわせている。それを正しく整えてあげることで、体の不調を治すことができる。そしてフィオナの魔力には、もともと相手の魔力を整える力が備わっている。まさに今こそ、この力が役に立つかもしれない。
ふわりと、意識の奥で魔力を高めていく。
フィオナにとって魔力の形は、刺繍糸と似たようなイメージだった。真っ白く細い糸が何本も重なり、男性に向かって伸びていく。
フィオナの魔法使いとしての腕は未熟のひと言で、自分以外の誰かの魔力がどれほどの量なのか、どのような形なのかなどちっともわからない。アランほどの人になると、相手の魔力溜まりのようなものが見えて、体の不調の原因がなんなのか突き止めることくらいできるらしいが、今のフィオナには無理なので、できることをするだけだ。
フィオナの糸が男性の体内に潜り込み、魔力の流れに沿っていく。それ以上、フィオナは自身の魔力の行方を追うことすらできないけれど、効果はきちんとあったようだ。
「ん、ぅ……」
再び、夕暮れの海の色をした瞳が
「これ、は」
ぽつりと、男性が声を漏らす。意識が戻ったようだ。安堵して微笑んだところで、遠くから誰かが呼びかけるような声が聞こえた。
「――主!」
ザッザッと砂浜を踏みしめながら、かなりの勢いで駆けつけてくる男性がひとり。
年は三十手前くらいだろうか。少し浅黒い肌に、焦げ茶色の髪がエキゾチックな魅力を放っている。服装は倒れている男性と同じく詰め襟のロングコートだが、目の前の男性のものよりも装飾が簡素だ。
目の前の男性を主と呼んだことから、彼に仕える使用人かなにかなのだろうが。
「サウロか」
ぼそりと、銀髪の男性が
「――主を助けてくださり、感謝いたします。先を急ぎますので、これにて」
表情はぴくりとも動かない。髪と同じ焦げ茶色の三白眼に見つめられると、なんだか責められているような気持ちになる。
けれど、本人はそのつもりはないらしく、丁寧に一礼をしてくれた。ただ、長居するつもりもないらしい。
「待て、サウロ……っ」
「いいえ、主」
主従でなにやら問答をしているようだが、主の声を聞くつもりはないようだ。一刻も早く連れ帰り、休ませようとしているのだろう。
サウロはすぐに背中を向け、フィオナたちの前から立ち去っていく。
それはあっという間の出来事で、フィオナもセドリックもぽかんとしたまま、ふたりの背中を見送っていた。
砂浜での出来事にすっかりと呑まれ、セドリックとの会話も立ち消えになってしまった。
本当はなにかを言いたかったようだが、最後まで聞くことは
倒れていた男性の容態も気になったし、なんとなく落ち着かない気持ちのまま夜を迎えることとなる。そうして、天井に大きな窓がある星空が見える浴室でゆったりと湯浴みをした後は、ロビンに案内されて寝室へと向かった。
「わぁ……!」
フィオナは感嘆の声をあげた。
王都の家と比べると部屋は全体的にこぢんまりとしている。だが、温もりがあり味わい深い。
ファブリックや小物には、大柄の花や葉の絵柄が多く、見ているだけで気持ちが明るくなる。湿気が多いからか、木の素材でできた通気性がよく軽い印象の家具が多くて、なんだかフィオナまで開放的な気分になった。
寝室も同様に、大きな窓にはこの国特有の植物の葉が描かれたカーテンがゆったりとかかっている。とはいえ、他国の王族が使用する別荘だからだろう。慣れ親しんだ形の天蓋付きのベッドが置いてある。とても大きく、寝心地もよさそうだ。
これなら夜もゆっくり眠れそうだと、ホッとしたその時だった。
「フィオナか?」
「え?」
ガサッと、誰かが動くような気配がしたかと思うと、馴染みのある声が聞こえてきてハッとする。
「セドリックさま……?」
そんなまさかと思った。普段王都でそうであるように、今夜もひとりで眠るものだと思い込んでいたからだ。
しかし、ちょうど天蓋に隠れて見えなかった場所に、セドリックが座っていた。大きな窓から差し込む月明かりを受けて、彼の宵闇色の髪はつやつやと輝き、たちまち目が離せなくなる。
「どういうことだ。まだ、君と寝室は――」
フィオナだけでなく、セドリックも混乱しているようだ。
もごもごとなにか言い淀み、でも、フィオナを放置するわけにはいかないとも思ったのだろう。
「いや、そうだな。この別荘に主寝室はひとつか。――皆、余計な気を回してくれて」
「え?」
「いや、気にしないでいい」
大きく息を吐いてから、セドリックはベッドから立ち上がる。そして、ゆっくりとフィオナの方へと歩いてきた。
ナイトガウンを着た彼は、いつもと雰囲気が異なり夜の気配を纏っている。
心の準備などできていなかった。その壮絶な色気に圧倒され、フィオナの心臓がトコトコと音を立てはじめる。
今さらながら、自分が普段よりやや薄手のネグリジェを身につけていることが気になってきた。大陸の南に位置するナバラル王国では、リンディスタ王国よりも夜の気温が多少は穏やかだからだ。
だが、今はこの薄さが心許ない。たちまち変な汗が流れはじめて、フィオナの頭はまともに働かなくなった。
「あっ、あ、あ、あのっ! と、突然やってきて、驚かれましたよね。わたし、別の部屋で」
「いや」
すぐに出ていこうとしたところで、手を取られた。彼の視線をひしひしと感じ、落ち着かない。胸もとに両手をギュッと重ねては、浅く呼吸をする。
セドリックとはもうそれなりの付き合いになる。彼とは深く想い合う仲であることは自覚しているし、彼の愛を疑いようもない。
ただ、契約結婚としての仮面を被ったまま長く過ごしてしまったせいか、想いを通わせて以降もそのままの関係性はずるずると続き、ついぞ同衾していなかったのだ。
夜の時間を長く過ごしたのは、彼に助けてもらった夜会の日くらいだろうか。
従妹であるエミリーに追い詰められ、助け出してもらった。アランによる魔法契約を破棄した後、フィオナはホッとして気を失ってしまったのだった。それを心配してくれたセドリックが、ひと晩中手を握ってくれていた。
でもそれ以降は、フィオナを契約結婚に巻き込んだ後ろめたさからか、生真面目すぎる性格のせいもあり、彼がフィオナと同衾するようなことはなかった。
フィオナも、気にしていなかったかと言われると、正直気にしていた。
自分は公爵家の嫁になったのだ。貴族の妻と言えば、世継ぎを作ることが大きな役割のひとつである。
もちろん責務というだけではない。フィオナにとって、純粋に彼と自分の血が繋がった子を授かるのが夢でもある。なのに、契約という障害がなくなった今も、彼と共寝することはなかった。
(女としての魅力がない、とは思いたくないけれど)
セドリックなりに、はっきりとした理由があるのだろう。だからフィオナも、自分からなにか言うようなことはなかった。
でも、突然寝室にふたりにされたとあっては、どうしたらいいのかわからなくなる。正直、馬車でふたりきりだった時からずっとドキドキしっぱなしなのだ。
手を引かれたままふたり、ベッドに横になる。緊張しすぎてカチコチに固まっていることくらい筒抜けだろう。どうしたら自然に振る舞えるかわからなくて、頭が真っ白になる。
「そう緊張しないでいい」
フィオナと違って、セドリックには余裕があるようだった。優しく上掛けをかけ、その上からポンポンと優しく叩く。そのリズムが優しくて、フィオナはようやく頬を緩めた。
「ずっと移動ばかりで疲れただろう? 今日はゆっくり休むといい」
「でも……」
「大丈夫だから」
おずおずと彼の顔を見つめると、彼は目を細めて微笑んでくれる。
薄暗いせいか、普段とはまた雰囲気が違う。彼が素敵な大人の男性であることを改めて意識してしまい、
身じろぎすることすら
「ひゃっ!」
ネグリジェの上から直接抱きしめられ、変な声が出てしまった。
意図せぬ声を出してしまったことが恥ずかしくて、フィオナは慌てて口を閉ざす。普段、ドレスの時に抱きしめられるのとは全然違う。彼の手の形が直接肌に伝わってくるような密接感だ。
自然とフィオナの瞳が潤んだ。胸の鼓動が聞こえてしまうのではないかとそわそわしっぱなしだ。
そんなフィオナの様子を見て、セドリックはごくりと唾を飲み込んだ。しかしフィオナとは違って、やはり彼は冷静なようである。
「ほら、目を閉じて。――大丈夫だ、なにもしない」
なにかをされてもよいのですけれど、と告げる勇気はなかった。
羞恥でもうどうしようもなくて、これ以上進むとフィオナの心の方が保ちそうにない。だからギュッと目を閉じ、こくこくと頷いた。
このまま顔を見つめられたままでいるのは恥ずかしすぎる。だから自然と彼の胸もとに顔を埋める形になった。これならば顔は見られまいと安心するが、すぐに別の問題が生じていることに気が付いた。
(ち、近い……っ)
互いに抱き合っているのだから、当然と言えば当然だ。けれども、それぞれ薄手の寝間着であるがゆえ、どうしても彼の体温を強く感じる。
(どうしよう。緊張しているの、バレて――)
その時、ふと気が付いた。
ドクドクと響く、深い音。心の臓が打つ早鐘はフィオナのものではない。
(セドリックさま?)
フィオナは顔を上げた。こちらを見つめていたらしいセドリックと目が合うなり、彼はすぐに視線を逸らしてしまう。
そんな彼の頬が赤く染まっていたような気がした。
もしかして、緊張しているのはフィオナだけではなかったのだろうか。てっきり彼は余裕たっぷりなのだと思っていたけれど、この鼓動の速さはフィオナのものと遜色がない。
(セドリックさまも、緊張なさっているのかしら)
普段からストイックな色気が溢れる彼だけれど、夜の姿はますます破壊力がある。とても魅力的な大人の男といった雰囲気の彼が、こうも緊張しているなんてあまりに意外だった。
見た目に流されてしまいそうになるが、中身はやはりあの誠実なセドリックなのだ。
(セドリックさまも、わたしと同じなのね)
そう思うと、正直ホッとする。
百戦錬磨みたいな顔をしているけれど、彼が真っ直ぐで誠実な男性であることをフィオナは知っている。互いにドキドキしているのだと実感すると、親近感が湧いてきた。
(ふふ、そっか。わたしだけが焦ってるって思っていたのが馬鹿みたい)
なんだかとてもおかしく思えてきて、フィオナは笑った。そうして、フィオナからギュッと彼にしがみつく。
「――っ!?」
セドリックが息を呑むのがわかった。ビクッと体が大きく震えるも、その後、恐る恐るといった様子で抱きしめ返してくれる。
ゆっくりと髪を梳かす手が心地よく感じた。その不器用な優しさが微笑ましくて、フィオナの頬が緩む。
ほら、やっぱり彼も同じだ。そう思うと、フィオナの方にも多少余裕が出てきた気がする。
「セドリックさま、あったかい」
「――――そ、そうか?」
「はい。ん、――よく、眠れそうです」
なんだか一気に安心できたらしい。優しい温もりに包まれて、そのうちとろとろとした眠気が襲ってくる。きっとこのまま、眠気に流されてよいのだろう。彼の腕の中はとても暖かくて、幸せを噛みしめながら目を閉じる。
実際、移動でとても疲れていたからか、それから間もなく眠ってしまったらしい。ぐっすり眠れて、翌日には移動の疲れも綺麗さっぱり取れていた。
――一方のセドリックの目もとには、なぜか