プロローグ


「どうだ、フィオナ? あんなつまらぬ男はやめて、私と結婚し直す気はないか?」

 なにを言われているのかわからなかった。

 ギュッとつかまれた手は力強く、振りほどくことができない。

 フィオナは戦慄した。だって、こんなはずではなかった。わなわなと唇を震わせながら、首を横に振る。

 ただ、自分はセドリックと一緒に隣国まで新婚旅行に来ただけなのだ。愛する夫とゆっくり蜜月を過ごす。それだけが望みだったのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 夕日が沈む海のような、深いだいだいからあおへ移り変わるグラデーション。不思議な色彩の瞳に射抜かれ、息をむ。

 自分はずっと、おもちゃのような存在なのだと思っていた。

 目の前の人物、ナバラル王国第一王子クラウディオ・シェロ・エメ・ナバラルにとって、きっと。

 柔和な微笑みをたたえているが、彼がなにを考えているのかちっともわからない。フィオナのことなど全部お見通しだというように、不敵に笑っている。

 詰め襟の白いロングコートが揺れた。スリットの入ったそれは、長身の彼のスタイルを際立たせている。まさに貴公子といった美貌だが、どこか肩の力が抜けており、だるそうだ。

 胸あたりまであるクリーム色がかった銀髪は寝乱れており、その緩さまでもが彼の色気になっている。ただ、彼の瞳には、今までになかった真剣さがにじみ出ていた。

(まさか本気なの……?)

 キュッと心臓が痛んで、フィオナは身を縮こまらせた。

 どうにか彼から離れようと試みるも、ビクともしない。いくら体調を崩しているといっても、彼は大人の男性なのだ。

うそでしょう!? 嘘だと言ってください、殿下……!)

 今日まで、このクラウディオの屋敷の居間で、三人で談笑してきたではないか。

 彼がそこに置いてあるとうで編まれたソファーに寝そべり、フィオナたちの話を聞く。気怠げな様子ながらも、柔和に笑っていたはずなのに。

 皮肉屋だが、なんだかんだ面倒見のいいクラウディオは、いつもセドリックを怒らせて遊んでいる節はあった。

 けれども、今は違う。彼が告げた言葉は、おそらく冗談などではない。

「なにを馬鹿なことを言っているのですか、クラウディオ殿下っ!」

 セドリックが慌てて駆け寄ってきて、クラウディオとの間に立つ。力任せに引き剥がし、バッと拳を振りかぶった。

 背筋が凍りつきそうな心地がした。

 だって、この日、この瞬間。

 今まで時間をかけて築き上げてきたものが、音を立てて崩れようとしていたのだから。