
一週間後。
男爵邸裏の広場で、決闘が行われることになった。
一週間という時間を要したのは、正規の手続きを踏む必要があったからだ。
決闘と言うのは、帝国法上において認められた貴族の権利。だが行うためには、政府へと届け出を行い認可を得る必要がある。
今回はむしろ早いほうだ。それよりもよほど、リリエス男爵夫妻に対する説得のほうが手こずった。
彼らは決闘に異議を唱えたが、最終的に、イリアの「当事者はアイーゼたちであり
──いや、納得はしていないのだろう。広場を
そうして、彼らが見守る広場の中心。
「クソ面倒くせぇことになったもんだ、まったく……」
決闘の場で、アイーゼと向かいあった男は、そう吐き捨てた。
その装備は、あの山の時と変わっていない。
ナイフを手元に
「オイ見ろよ、あの旦那の顔」
くい、と男は首の動きでミハイル・フラヴァルトを指し示す。
観客席にいる彼の顔は、苦悩に彩られているように見えた。
「計画は完全にご破算。俺が勝とうがどうしようが、今更元の計画に戻るのは無理だ。なのにまだ諦めてねぇときた。往生際が悪いねぇ、まったく」
「……私には関係ない」
「ごもっとも」
クク、と男は笑う。
「んじゃ、面倒くさい仕事はさっさと片づけるとしますか」
「──神聖なる皇帝陛下の名の下に、これより、アイーゼ・リリエス、そしてミハイル・フラヴァルト両名による決闘裁判を開始します」
イリアの言葉が空気を裂く。
二人の間に漂う緊張感が、殺気と闘気が、空気を震わせる。
「それでは──はじめ!」
瞬間。おもむろに、男が拳銃の引き金を引いた。
軽く弾丸を避け、
「!?」
ほとんど直感だった。
頭の横に上げたガードの上から、ガンッ、という強烈な衝撃が走る。
蹴り飛ばされたのだと気づいたのは、空中を舞ったあと。
「……っ」
空中を舞うアイーゼを、さらに銃撃の雨が襲う。
一瞬で発砲された六つの弾丸。その全てが急所。空中で姿勢を取り戻し、槍の柄で
(
あまりに疾い。あまりに精確。
まさか……山で戦ったあの時は手加減していたというのか?
着地するアイーゼの眼前に、比喩ではなく風のような速度で男のナイフが突き出される。
紙一重、皮一枚で避けたナイフが、頰を
だが、それだけでは終わらない。
(ナイフの軌道が、読めない──!)
まるで蛇のように、それも群れをなして襲い来るナイフの連撃。
さらにその合間に、急所を狙った銃撃が差し込まれるのだ。
男の
感情がない。ただ淡々と、黙々と、アイーゼを死に至らしめる一撃を繰り出している。
(強い……!)
自分よりも、はるかに。
◆ ◇ ◆
「先生……!」
焦った顔で俺を見るイリアさんに、
あの男……やはり強い。アイーゼよりも数段上。
「今更、決闘を止めようなどと言い出さないでしょうね?」
そう言ったのは、ミハイル・フラヴァルト。
ユキトたちの目線を受け、彼は粘ついた笑みで笑っていた。
「お姉ちゃん……」
その隣で、ミミが祈るように両手をぎゅっと握りしめている。
俺は彼女に言った。アイーゼは勝つと。
だが、もちろん知っていた。あの男が、アイーゼよりも強いだろうということを。
「ま、まさか殺さないだろうね?」
不満顔で決闘を見守っていた男爵は、急に慌てた顔でそう言った。
だがそれに、ミハイルがかぶりを振る。
「もちろん、なるべく殺さないように言っていますよ。が、戦闘において絶対などありませんからね──」
(……
あれは、確実に殺せと命令されている者の動きだ。実際にほんのわずか、一歩でも踏み間違えればアイーゼはもう死んでいる。
「そ、そんな……」
「リリエス男爵。そして夫人」
俺の声に、慌てた様子の男爵と、
俺は決闘に目を向けたまま、静かに口を開いた。
「よく見ていてください。あそこで戦っている彼女を。なぜ彼女が、命を
「な、なぜって……」
「ただ結婚を妨害したいだけなら、あんなに命を張る必要などない」
それこそ選択肢など幾らでもあったはずだ。
それでも今、彼女はあそこで戦っている。
「どうして……」
「そんなの、決まってるじゃない!!」
その叫び声に、はっと男爵は目を向ける。己の娘……ミミに。
彼女はその両目に涙をためて、父に詰め寄った。
「お姉ちゃんは言ってた! 貴族らしさなんていい。
「そ、それは……」
「お姉ちゃんは、たったそれだけのためにあそこで戦ってるんだ! パパとママの目を覚まさせるために……!」
それはきっと今まで、何度も何度も、同じように訴えてきた叫びなのだろう。
そしてきっと今まで、それは何の意味もなさなかった。
だが二人の目は、アイーゼへと向いた。
今この瞬間も──命を懸けて戦っている少女に。
「──アイーゼ!!」
不意に、シェリーの叫び声が響き、ユキトがすっと目を細める。
彼らが見たもの。
それは、銃撃によってアイーゼの足が撃ち抜かれている光景だった。
◆ ◇ ◆
(……大丈夫)
アイーゼは足の痛みを無視し、そして眼前の男に再び槍を向けた。
弾丸は貫通している。まだ戦える。
「分からねぇな。理解不能だ」
不意に、男が口を開いた。温度を感じさせない声で。
その銃口が、かちりとアイーゼの眉間に合う。
「なぜ戦う? それに何の意味がある? あそこの剣士サマに全部任せればいいじゃねぇか。このままじゃ確実に死ぬぞ、お前」
「……意外に、優しい」
「あ?」
ふっとアイーゼは笑みをこぼす。
そんなことを言う必要などないのだ。殺せばいい。今この瞬間、その引き金を引いて。
「悪いけど、降参するつもりはない」
アイーゼは槍を構える。死を眼前にしてもなお。
「この馬鹿が──」
会話はそれで終わりだった。
──疾風のように襲い来るナイフと銃撃の連続。
足を撃たれ、機動力を失ったアイーゼに、
かろうじて致命傷を避け続けるも、その五体に、ナイフや銃撃による傷が徐々に増えていく。
だがその状況の中で、なおアイーゼは冷静だった。
(先生……)
──死中に活を見いだせ。
この一週間。徹底的に、アイーゼは『死』を経験した。
死ぬと思える状況を何度となく、ユキトによって経験させられ続けた。
それがかろうじて、彼女の命を
死は、怖い。
誰だってそうだ。先生でさえも。
だが彼は言った。
極限において──活路は、勝機はその一瞬にしかないことを。
「終わりだ」
全身から血を流し、槍に寄りかかって崩れおちたアイーゼの頭に、ぴたりと銃口が突きつけられる。
実力差は圧倒的だった。抗いようのない力の差。救いようのない現実。
(ミミ……父さん、母さん……)
遠くに、声が聞こえる。自分を呼ぶ声が。
イリアが、シェリーが、そしてミミが叫んでいる。
(現実は、いつも、残酷で──救いようがない)
なのに。
どれほど残酷で、辛くて、厳しくても。
それでも、幸せだったあの日の記憶が、忘れられない。
父にも、母にも、どんな言葉も届かなかった。
何度となく思い知らされてきた。
アルニの花のように、幸せとは散ってゆくものなのだと。
押し花のように──永遠には続かない。
それでも。
それでも──それでも!
奇跡でいい。千分の一、万分の一、砂漠の中に眠る一粒の宝石のような、ほんの一握りの奇跡。
もしそれがあるのならと、手を伸ばさずにはいられなかった。かき分けてでも探さずにいられなかった。
だから──。
きっと、私のこれまでの人生の全ては、この瞬間のためにあったのだ。
(……相手が、もっとも油断するのは)
血に
(勝利を、確信した、瞬間……!)
──『発火』する。
瞬間。
天を衝くほどの炎が、まるで赤い華のように、天を焦がした。
愛する花の名を冠したその炎。
その魔術は、徹底的に

無論、決闘の事前に仕掛けたものではない。戦いながら、ずっと、ずっと張り巡らせていたのだ。この一瞬のために。
直撃すれば……どんな人間でも、決して耐えられない。
「ぐ、がああぁぁあああ──!」
炎に包まれた男の絶叫が
炎の
◆ ◇ ◆
「──そこまで! 勝者、アイーゼ・リリエス!」
イリアの声が木霊した瞬間。観客席に、
ミミが崩れ落ち、今まで必死に我慢していた涙を床に落とした。
そして
シェリーとイリアが、アイーゼの元へと一目散に駆け出した。きっと治療に向かったのだろう。そして相手の男も──息はあるようだが重傷だ。
「私は……」
「リリエス男爵」
呼びかけられ、男爵の目線がユキトを向く。
そうしてようやく──ユキトと男爵の目線が交わる。そういえば、この人と目を合わせるのは初めてだと、ユキトは思った。
「俺に、両親はいません。……育ての親と言える人はいますが」
それは──きっとこの世界の誰にも分からない言葉でもあった。
親は、いない。……前世も含めて。
五歳の時、交通事故──あれを事故などと今でも言いたくはないが──によって両親は死んだ。
もう断片的な記憶しかない。あるいは美化されているのかもしれない。
だが両親と暮らしたあの日々は今も、俺の深いところで根を張っている。
「両親を失った時、途方に暮れました。何度も死を考えた。ただ両親に会いたくて」
そんな俺を戻してくれたのは、児童養護施設の先生だった。結局、何一つ恩返しはできなかったが。
「それぐらい、子供にとって親とは全てなんです」
その言葉と同時に。夫人の目が、俺を見た。
「きっとお二人にも事情があるのでしょう。そうならざるを得なかった事情が。──ですが、見てください」
二人の目を、広場へと
助け起こされたアイーゼに、号泣するミミが抱き着き、そして抱き合う光景を。
「お二人は、決して、あれから目を
命を懸けて、なお願い続けた少女の祈りを。
そこから目を背けることだけは、決して。
「……馬鹿な……」
不意に、声が聞こえた。
それは、目の前の二人からではなく──背後、ミハイル・フラヴァルトから。両手を強く握りしめ、唇を震わせている。
「こんな馬鹿な……! どういうことだゼロ! 確実に勝てるのではなかったのか!」
「……は」
「もういい! ゼロ! お前が代わりに出ろ! 今すぐあの女を殺してこい!」
「そんなこと、認められるはずがないでしょう」
氷のような声で、そう答えたのは──シェリーと共に傷だらけのアイーゼに肩を貸したイリアだった。
「勝負は既に決しました。決闘における取り決めは履行され、
「ふ……くく……」
彼は震えながら笑う。
それはもはや怒りが許容範囲を超えたかのように。
「なるほど……
「何を──」
「こうなっては、もはや仕方がない!」
彼は、懐から何かを取り出した。一瞬銃かと警戒したそれは、もっと四角い機械──無線機だった。
「やれ!」
彼が叫んだ次の瞬間、ドン、という衝撃が、屋敷を揺るがした。
(あれは──)
屋敷から丘の向こう。そこから、何かが少しずつ姿を現していく。
黒い鉄の塊。人を殺すため、最適化されたフォルム。木々を薙ぎ倒し、草木を踏み荒らし、鉄を軋ませる音を立てながら姿を現す。
──戦車。それも、二台の。
そして、再びの砲声。
長い砲身から放たれた二発目の砲弾が、決闘場を吹き飛ばした。
土砂が巻き上がり、音を立てて降り注ぐ。
幸いにして、被弾者はいなかった。決闘場で倒れていた男も、いつの間にか仲間に回収されていたようだ。
ミミ嬢をかばったアイーゼ、その二人をかばったシェリー。
そしてイリアは、啞然とした目をミハイルに向けた。
あんなものを誰が持ち出したのか。言うまでもなかった。
「貴方は、何を考えて──!」
「言うまでもない!! こんな……こんなこと
「雇い主……いや、ミハイル。貴様は……」
「動くなよゼロ。手下もろとも吹き飛ばされたくなければな! この場の全員を皆殺しにし、私は外国にでも高飛びさせてもらう──」
「──もういい」
あまりにも冷えた声が、その場に響いた。
それはユキトの口から漏れ出たものだった。
自分でも──自分ですら、驚くほどに冷たい声。
「イリア。もう決闘は終わりだ。それでいいな?」
「え、あ、はい……」
「ミハイル・フラヴァルト」
異常な笑みを浮かべていたその男は、ユキトの視線に、ぴたりと凍りついた。
「一歩でも動けば殺す。その懐の拳銃を抜いても殺す」
「なっ……何を馬鹿な! 戦車だぞ! 戦車相手に、人間が勝てるはずがない!」
刀を手に、一歩踏み出す。
「先生……」
心配したような声を出すアイーゼに小さく
この世界において、個は群に優る。圧倒的な個が、時に戦場を
だがそれは、果たして正常なことであるだろうか?
秩序を保つためには力がいる。どんな
そうして生まれたのが、
中でも戦車は、陸戦において最強の兵器である。
対魔術までも施された分厚い装甲。圧倒的な火力と機動力。
それは一個人に抗えるものではない。
だが、その兵器の前に、たった一人。
あまりに無謀。あまりに無思慮。
それを
──ユキトは、呼気を吐く。
それは、自分の心を落ち着かせるための呼気だった。
前世においても『力』の象徴であった戦車を前にしているから──ではない。
そうではなく、ただ……自分の奥底から湧いた怒りを、制御するために。
アイーゼは戦った。命を懸け、恐怖も不安も乗り越えて。一時とはいえ、彼女を導いた師としてこれほど誇らしいことはない。
だが──ミハイル・フラヴァルト。
お前は愚弄した。
彼女の意志を。信念を。その戦いを。
「お前は、それを
ユキトのその言葉が契機だった。
空気が
音速すらも超えて、砲身から吐き出された鉄塊が、ユキトの身体を粉砕する。
──そう思えた、刹那。
ユキトの身体を避けるように二つに割れた砲弾が、その背後に突き刺さって盛大な
ユキトは……無傷。
微動だにすらしてしない。ただ立っていた。
……斬ったのだ。砲弾を。その抜き手すらも見せることなく。
そしてそれに気づいた時には、もう遅い。
距離にして百メートル。そこは既に、間合いの内側である。
「
鞘から抜き放たれた
それは、まるで空間ごと断ち斬るように。
「──
戦車を、一刀で両断した。
それは、強固な魔物を
剣の技にしてはあまりにも特異。隙が大きく、一瞬が命取りとなる尋常の立ち合いでは使う余地のない技だ。
だが限界にまで引き上げられたその威力は、
燃料が漏れ出たのか、派手に爆発し炎上していく戦車の
それを前にして、残されたもう一台が、ようやく正気を取り戻したように動き出す。
しかしその一発も、ユキトには当てられなかった。
ただ歩いているようにしか見えないのに、その姿はブレ、消え、そして現れる。
まき散らされる銃弾は、その一発も、ユキトの影すら撃ち抜くことはできない。
でありながらユキトは、観客席には一発の銃弾も向かないよう、絶妙にコントロールしていた。
もし彼らに出来ることがあったとすれば、それはアイーゼたちを狙うことだったろう。
もっとも、それは不可能だ。広場には
……何よりも、ユキトがそれを許すはずがない。
気がつけば。
戦車の目の前。進行方向に、ユキトは立っていた。
「うそだ……」
操縦席に座っていた男は、呆然と声を上げる。
そこでふと、ある逸話を思い出した。
戦場において……刀一本で師団を全滅させたという伝説。
兵器が近代化され、国家が個ではなく、武装した群によって武力を構成するようになってなお──個にして群を圧した男の名を。
「剣聖……」
縦一文字に放たれた一閃が、戦車を両断し。
ぽつりとこぼした