『──で発生した──依然捜査中であり、犯人の目星には至っていないと────

「……いつまで寝てるの、トール」

 はあ、と深緑色の髪をした少女は、あきれたようにため息をき、ノイズばかりを垂れ流すラジオの電源を切った。

 アルナス村、自警団駐屯所。

 ……という名があるものの、それは言うほどに立派な建物ではない。民家を改装した、こぢんまりした事務所のようなものだ。室内には、サンドバッグやトレーニング器具、さらには剣ややりといった武器が雑然と並べられている。

 その一角、どこから拾ってきたのか、おんぼろなソファーに寝転がっている男が一人。白いタンクトップを着た、きんこつりゆうりゆうとした金髪の男だ。

 少女は彼に近寄ると、思いっきり鼻をひねった。

「ふがっ!?

「ラジオをつけっぱなしで寝るなって何回言わせんの。そろそろ巡回の時間だよ。起きなって」

 鼻を思いっきり捻られた金髪の男はソファーから滑り落ち、したたかに後頭部を床に強打し、目を白黒させた。

「うごご……おいエニャ。前から言ってるが、もっと優しく起こせと……」

「冗談。イケメンになって生まれ直してきな」

「おめぇ……そんなんだから毎回男に間違えられ──」

 ドチュン、という音と共に、何かが男の足元を穿うがった。

 彼がおそるおそる自分の足元に目線を向けると……そこには床が焼けこげたあと

「ん?」

 少女──エニャは「何か言った?」とばかりに笑みを深める。

「ナンデモゴザイマセン、オウツクシイエニャサマ」

「よろしい。さ、さっさと巡回行くよ。準備して」

 うーい、と頭と腹をポリポリきながら、奥へと引っ込んでいく。

 それを見送って……ふとエニャはテーブルに置かれた写真立てに目をやった。

「……ねぇ、トール」

「あー? なんだー?」

 シャワーの音にまじって返ってくる返事に、相変わらず異常に耳がいいやつだとエニャは苦笑しつつ、写真立てを手に取る。

 その写真立てには──四人の男女が写っていた。

 エニャ、トール、そして──銀髪の美しい姉妹。

「聞いた? 結婚の話」

「あー。……ミミ嬢のあれな」

「あれでさ。今、アイーゼが帰ってきてるって話」

 その一言を告げた瞬間、ドンッ、バタンッ、と騒々しい音が聞こえて、一体何だとそちらを向くと──全身をらしたトールが、奥の扉を開けて突っ込んできた。

「なんだと!? マジか!」

「こっ……」

 それを余すことなく目撃してしまったエニャはといえば。

 絶句し、どうにか写真立てが落下することは免れたものの……に染めた顔を背けてプルプルと震えた。

「ふ、服ぐらい着ろこのバカアホナスしね───!!

「ぐ、ぐわぁああああ!」

 絶叫と共に放たれたせんこうが、扉ごとトールを吹き飛ばし、田舎いなかまちの一角に盛大な騒音を立てた。

 それを聞いた人間が、何事かとすっ飛んできそうなほどのごうおんだったが──あいにくと、アルナス自警団にとってそれは日常茶飯事。

 近隣の村人たちも「またか」と呆れ顔をするばかりで、誰も様子を見にくることなどない。

 吹き飛ばされた当人はといえば──すなぼこりの中で、「いてて」と頭をさすりながら、むくりと起き上がる。

 間違いなく直撃を受けたわけだが、大層なタフさであった。

「あーもう、また家をぶっ壊しやがって……誰が直すと思って──」

「い・い・か・ら! 早く服を着ろ!」

「へいへい」

 肩で息をしながら真っ赤な顔を背けるエニャを前に、ため息を吐きながらトールはタオルで股間を隠す。

 その性格から、村の若い女性たちから頼られることの多いエニャだが、根のところで相当な恥ずかしがりやであることを知る者は少ない。

 知っているのは、トールとあと二人のおさなじみだけだ。

「で? アイーゼが帰ってきたってマジかよ」

「まあね。三日ぐらい前らしいよ」

「マジかよ、三日前!? 早く言えって!」

「私も昨日知ったのよ。……第一、用があるなら、あの子のほうから来るでしょ?」

 わずかにしゆんじゆんしつつも返されたその言葉に、トールが顔をゆがめる。

「あ? 冷てぇなおい、幼馴染相手に。お前ら仲が良かったはずだろが」

「……そういうことじゃないのよ」

 責めるようなけんの宿ったトールの言葉に、エニャはそっと目線を落とす。

 好きだとか、嫌いだとかではないのだ。その複雑な機微を、この能天気に理解しろというほうが無理なのかもしれない……と、エニャはため息を吐いた。

「うし! そうなりゃ俺らのほうから乗り込むか?」

「はぁ?」

 何を言ってるんだとエニャは顔を歪める。

「昔よくやったじゃねぇか。屋敷に閉じこもってるアイツを連れ出してよぉ」

 ……確かに、それはあった。

 だがそれは、あくまでも幼い頃の話だ。何も知らなかった頃の。

「あのね。子供ならともかく、私たちが勝手に貴族様の屋敷に乗り込むなんて、許されるわけないでしょ」

「あぁ? そうか?」

「当たり前でしょ」

 思えば──あの頃が、一番幸せだったのかもしれない。

 エニャはふと……いや時折、そんな風に思う。

 知らないということはとても幸福で、同時に、とても罪深くもある。

「だがなあ……せっかくの四人そろうチャンスをだな……」

「だから──」

「心配無用」

 ふと、鈴を転がすような女性の声が聞こえた。

 とても懐かしい声が。

 声に導かれ、その人影を視界にとらえる。

「──アイーゼ?」

 銀色の髪と、かつしよくの肌。

 そこに立っていたのは見間違えようもなく──彼女たちの幼馴染。

「久しぶり、二人とも」

 しばらくぼうぜんとしていた二人──エニャとトールは、その声にはっとしたように動きを取り戻す。

「お、おおお! アイーゼじゃねぇか! 久々だな!」

「ん。トールも元気そうで何より」

 アイーゼがそう言ってうなずき、そして、こてんと首をかしげた。

「……なんで裸?」

「あ」

 興奮していた様子のトールだったが、自分がどういうかつこうをしていたのかを思い出し、「シャワー浴び直すわ」と壊れた扉の向こうへと引っ込んでいった。

 アイーゼはそれを見送って、そしてエニャへと視線を送る。

「エニャも。久しぶり。元気だった?」

「……あ、うん」

 しばらく……微妙な沈黙が流れた。

 それは奇妙な静けさだった。何かを言わなければならない──そう思いながら、エニャはうまく口を動かすことが出来ない。

 さっきまで、トールと話していたせいだ。そんな風に責任転嫁しつつ、気まずい沈黙の中で立ち尽くしていると、ふと、室内を見回したアイーゼが口を開いた。

「ここが駐屯所? 意外と整理……されてる?」

「これで整理されてるって思うのはアンタぐらいよ」

 口をついて出た軽口。

 それに、ふっと肩の重さが取れるのを感じて、エニャは続けて口を開いた。

「アンタ、昔から整理整頓とかできないもんね……向こうじゃちゃんとやってる?」

「失礼。ちゃんとやってる。……友達が」

「自分でやりなさいよ、もう」

 ふっと、思わず笑みがこぼれる。

 何も変わっていない。きっと一生変わりはしないのだろう。たとえ、どれほど距離が離れても。

「──おかえり、アイーゼ」

「ん。ただいま」

 エニャがそう言うと、アイーゼの顔にわずかな笑みが浮かんだ。


「……なるほどね」

 アイーゼの事情を一通り聞いたエニャがそうつぶやく。

 ミミが結婚させられようとしていること。相手の男が、自分が貴族になるのを妨害し、それを理由にミミを脅したこと……。

 エニャの隣に座っていたトールが、顔を赤く怒りに染めて立ち上がった。

「ちょっと、どこ行くのよ?」

「決まってるだろうが!」

 制止したエニャに、トールが叫ぶ。

「殴り込みに行くんだよ! あの腐れ男爵、今日という今日は許せねぇ!」

「あのね……そんな簡単な話じゃないでしょ」

「ああ? じゃあどんな話だってんだ」

「あんたが一人で男爵邸に乗り込んで大暴れしたって、何も解決しないってこと」

「エニャの言う通り」

 アイーゼもまた、エニャの言葉にこくりと頷いた。

「暗殺は最終手段。それに、やるなら私がやる」

「……アイーゼ、あんた」

「……冗談。そんなことをしても、ミミを悲しませるだけ」

 エニャには、とてもそれが冗談とは思えなかった。

 それほどの重みが、覚悟が、言葉に乗っているように思えた。

「二人に、お願いがある」

 重苦しくなった空気の中で、アイーゼがそんなことを切り出した。

「最近、村に出入りしている怪しい連中がいると聞いた。それについて調べたい」

 その言葉に、エニャとトールの二人が目を見合わせる。

「……心当たり、ある?」

「ある、というか、だから巡回を強化してる最中だ」

 トールの言葉に、エニャもこくりと頷いた。

 いわく──彼らが姿を現しはじめたのはおよそ半年前。

 アルナスはこれといって見どころのない村だ。特産物といえるのは、この村にしか咲いていない花ぐらいのものだ。それだって、観光の対象になるものでもない。

 そんな田舎で、見覚えのない人物というのはひどく目立つ。

 最初はごく少人数。ごくたまに見かける、見覚えのない人というだけだった。それ自体、田舎とはいえまるでないことでもない。

 だがやがて人数を増やし、今では集団で行動しているようだ。

「年齢や服装はバラバラだが、どうも男だけみてぇだ。そのせいか、村の女連中がおびえちまって……」

「彼らが何かした、ってことは今のところないんだけどね」

 話しかけても、あいまいな返事をするばかりで、要領を得ない。

 この村に来ている目的も、彼らがどこに住んでいる誰なのかも。

「ただ、雰囲気というか……ちょっと危なそうな感じがする」

「武装してるってこと?」

 エニャは、静かに首を振った。

「そういうわけでもない、と思う。ただ……」

「ありゃ、訓練されてる連中だと思うぜ」

 視線が、トールへと集まった。

「筋肉のつき方とか、歩き方とか……そんな感じがすんだよ。マルコのとこのじいちゃんみたいに」

 マルコとは村に住む彼らと同年代の少年だが、彼の祖父は従軍経験を持つ元軍人だ。かつての後期ユグライル戦争にも、アイーゼの祖父と同じ戦場にいたと聞いたことがある。

(訓練された人間……それも複数……銃器メーカーのフラヴァルト社……)

 はっとする。

 アイーゼには、思い当たる節があった。

(……民間軍事会社PMC?)

 民間軍事会社──プライベート・ミリタリー・カンパニー。

 彼らは、金によって雇われる『戦争屋』だ。

 彼らが台頭をはじめたのは、つい近年のことだ。

 ようへい国家でもある大国、イザーニフ王国──現在で言うイザーニフ連邦が民主革命で崩壊、分裂した後、流出した人材や軍事技術が企業をなした。

 さらに当時、各国で急速に進んだ軍縮によって、あまの人材と技術が流れ、その規模を拡大させていったという。

 それが、現在の民間軍事会社のおこりだ、と言われている。

 数多の偶然と必然によって生じた彼らの業務は、極めて多岐にわたる。戦場での戦闘、後方支援、だけではなく、金銭で雇われての警護や軍事教育もその一環だ。

 そう、例えば──金さえあれば、一民間人であっても、彼らを使うことはできる。警護という名目で。

「そんな連中が、うちの村で何を?」

「……それは分からない」

 ただ、軍や警察が、こんな村でこそこそ何かをしているとは考えづらい。

 また帝国における軍需産業──こと武器商人は、自衛を超える戦力の保持を固く禁じられ、その運用を細かく国に報告する必要がある。

 もしランドの言う通り、この件にミハイル・フラヴァルトが絡んでいるとすれば、民間軍事会社の可能性が高い。

「詳しいわね……」

「これでも士官学院の生徒だから」

 特にアイーゼのような四回生は、就職先となりうる軍需企業の情報は必修の範囲だ。

「その、ぴーえむしー? とやらが、この村で何を企んでるにせよ、今の段階じゃどうも出来ねぇんだろ?」

 それまで腕を組んでじっと目を閉じていたトールが、ふとそんなことを言った。

 話の内容を理解できているかは怪しかったが、確かに、その言葉は正しい。こくりとアイーゼは頷いた。

「なら、知ってるやつに話を聞いたほうがいいだろ」

「知ってるやつ?」

「ジェイだよ」

 アイーゼは、トールの告げた名前に思わず目を見開いた。

 ジェイは、彼らの幼馴染のもう一人。本名はジェイスという。

「ジェイのおやさんが、どうやら連中と話をしたらしい」

「話? どんな?」

「分かんねぇ」

「巡回がてら聞きに行こうかしら。アイーゼも来る?」

 もちろん、とアイーゼは頷いた。


 アルナスは小さな村だ。

 村といっても、家と家との間隔はそれほど離れてもいない。

 それは単純にこの国の──いや世界のことわりゆえだ。

 魔物がいつどこに現れるとも限らず、魔物けの数も限られている。必然、家と家との間隔は狭くなり、村全体の面積は小さくなる。

 その中でも、アイーゼたちが訪れた建物は村の中心部にあった。

「来るなら言ってくれよ。準備したのにさ」

 黒髪の男性が、家の──いや、教会の玄関で困ったように笑う。

 そうげつ教会、アルナス支部。それが彼、ジェイス・オードの実家だ。

「まあそう言うなって。折角のゲストを連れてきたんだからよ」

「だからこそさ。アイーゼが来るって知ってれば、色々出来たのにさ」

「別に、そういうのは必要ない」

 まったく、と首を振るジェイは、アイーゼの記憶にあった姿とは随分と変わっていた。

 まず背が伸びた。四人の中で最も小さかったはずの背は、今ではトールも追い越している。

 だがその困ったように笑う顔も、頰を搔く癖も、まるで変わっていなかった。

「久しぶり、ジェイ」

「うん。おかえり、アイーゼ」

 アイーゼは握手をしようと手を差し出そうとしたが……ジェイが小さく笑って、手を顔の横に上げる。一瞬目を見開き──横で笑うトールやエニャの顔に察して、頷いた。

「ただいま」

 ハイタッチの音が、返事に重なるように小さく鳴った。

 次々とハイタッチをかわし、きゆうかつを叙した四人は、互いに笑いあう。

 それは、かつての──ただ幸福だった頃の記憶を思い起こさせた。

「それで、例の話についてなんだけど」

 そう切り出したのはエニャだ。

 ジェイは頷き、「中で話そう」と三人を招き入れた。

 教会の中はまるで変わっていない。古ぼけた双女神の像も、ステンドグラスの輝きも、古ぼけていてもどこか神聖な空気も。

 その一室、礼拝堂の脇にある扉をくぐり、プライベートスペースへと案内された三人は、ジェイと共に食卓を囲む。

「それで、親父の話なんだけど……」

「その神父様は? 今日はいない?」

「ああ。いつも通り村の診察に回ってるよ」

 そう、とアイーゼは頷く。本人に聞くのが早いと思ったが、考えてみれば、神父様はいつも昼は診察に村中を回っている。

「大丈夫だ。話はきっちり聞いといた。……ま、トールが親父と顔を合わせたくないってだけだろうが」

「……まさか、まだ?」

 アイーゼの言葉にエニャが苦笑しながら頷き、トールは目線をらした。

 トールは、ジェイの父親である神父様を苦手としている。

 彼はアルナスきっての悪ガキであり、幼い頃から何度となく神父様につかまっては説教されていた。その時の記憶が抜けていないのだ。

「最近は別にそうでもないだろうに」

「いやぁ、あの頑固おやじ、いつまで経っても昔の話をグチグチと」

「──グチグチと、なんですか?」

 聞かれたらまた雷が落ちそうなセリフを吐くトールだったが、突然、落ち着いた男性の声が割り込んだ。

 げっ、と腰を浮かすトール。

 アイーゼもまた、声の方向へと目線を送った。

 司祭の服を着こんだ男性──ジェイの父親である、ラルカ司祭がそこに立っていた。

 どういうことだとジェイに視線を送るトールだが、視線を送られたジェイも首をかしげている。

「親父、診察は?」

「早めに切り上げたよ。虫の知らせを感じてね」

 落ち着いた物腰、年齢は既に五十歳近いはずだが、まだ若々しく見える男性。ラルカ・オード司祭──この教会を預かる神父だ。

「神父様、久しぶりです」

「ああ、アイーゼ……本当に久しぶりですね。元気そうな姿を見れて、うれしいです」

 立ち上がったアイーゼの手を、ラルカ神父はそっと握る。

 アイーゼの手を優しく握ったその手は、かつてと同じ。ざらざらと荒れた、苦労の数が感じられる手だった。

「あなたの事情は聞いています。私に出来ることがあれば……非力な身ではありますが、協力させてください」

 その言葉には、微かな罪悪感が感じられた。

 それはきっと、かつてアイーゼの身に起こったことに起因するものなのだろう。

 アイーゼは何も言わず、ただこくりと頷いた。

「トール君」

 次いでラルカ神父が声をかけたのは、すすっと部屋から出て行こうとしていたトールだった。ぎくっと身をこわばらせたトールに、すっと目線を送る。

「昨日、家に帰らなかったそうですね。ミーアさんが心配していましたよ」

「お、おふくろは別に……俺ももう大人だし、いつものことだし……」

「親はいつまで経っても子供が心配なのです。今日は家に帰って、安心させてあげなさい。いいですね?」

「う、うっす……」

 トールと神父様は相性が悪い──といってもそれは、嫌っているということではないことを、アイーゼは知っていた。

 トールの家は母子家庭だ。父親は、トールが幼い頃に魔物に殺されたらしい。

 よく家出しては、ジェイの家に──神父様のもとに転がり込んでいた。

 トールにとって、常に心配して気にかけてくれる神父様は、父親代わりのようなものだ。

 もっとも、神父様の説教が長いのは事実だが。

「まあ、今日の説教はこのぐらいにしましょう。話があるのでしょう?」

 全員分のお茶をテーブルに用意して、改めて告げた神父様の言葉に、アイーゼたちは目を見合わせる。

「昨日、ジェイスから例の話をしつこく聞かれましたから。事情は察していますよ」

「では神父様……」

「ええ。確かに、見慣れぬ男たちに話しかけられたのは事実です」

「どんな話を?」

 神父様が、口に含んでいたお茶のカップをテーブルに戻し、わずかな沈黙の後、迷うように口を開いた。

「それが……この周辺で出る魔物について、でした」

「魔物について……?」

「ええ。その詳細、特に出現する魔物の変遷について調べているようでした」

 エニャがはんすうし、考え込む。アイーゼとトールもまた、意外な返事に目線を交わし合った。

 教会の神父に魔物について聞くことは、これといって珍しい行為ではない。

 一帯における魔物の分布、その把握については、ハンターギルドのかんかつであるが、古くは教会の仕事でもあった。特にギルド支部のない田舎では、その役割を今でも教会が果たしている。

 愛を伝えよ──その聖句によって始まる双月教会の教え。その根本は『あまねく神の愛に奉仕する』ことである。

 すなわち、あらゆる人を愛し、風土を愛し、世界を愛すること。愛によって共に助け合うこと。

 その本質は互助にある。神を信じる信じないにかかわらず、助け合うことを教義としている。

 それゆえに、魔物のように人類に敵対する『神敵』から人を守ることもまた、教会の重要な役割のひとつなのだ。

「ということは……正体はハンターとか?」

 その結論は、なるほどと頷けるものだった。

 見知らぬ土地に来たハンターが、神父に接触して魔物の情報を得て調査している……ありそうな話ではある。

「それはどうでしょうか」

 エニャの言葉を否定したのは、ほかならぬラルカ神父だった。

「彼らはハンター証を身に着けていませんでした。一人二人ならないと言えませんが、全員となると」

「あ、そうか」

(ハンター証……)

 確かに、プライベートの時間ならともかく、任務中にバッジがないのはおかしな話だ。

「連中がなぜ、魔物の情報を欲しがったか、神父様に心当たりはある?」

 アイーゼの言葉に「ふむ」とラルカ神父は考え込み、やがて顔を上げた。

「トール君」

「うぇっ、俺?」

「自警団として働いている貴方あなたなら分かるでしょう? ここ最近……いえ、ここ数年、魔物の様子に変化はありませんでしたか?」

 あー、とトールは視線を上げ、エニャにこっそりと視線を送る。が、彼女は「自分で答えろ」とばかりに目を閉じてお茶をすすった。

「あーうーん、そうだな……」

 全員の視線にさらされ、腕を組んでうなるトールには、やがて冷や汗さえもにじんでいたが……エニャが「はあ」とため息を吐いた。

「ここ数年、新種の魔物が増えてるわ。具体的には、グレイスパイダーとか」

「グレイスパイダー……?

 灰色の、という名前の通りの魔物だ。

 蜘蛛といっても人の大きさほどもある。

 ギルドの等級ではDランクに属し、それほど強い魔物でもないが……。

「ちょっと待って」

 アイーゼは記憶を引っ張り出す。

 グレイスパイダー……授業でも習ったことのある魔物だ。

 アイーゼは、学術試験の成績という意味ではトップクラスに優秀だ。シェリーほどではないが、常に十位圏内をキープし続けている。

 そうやって、実力で周囲を黙らせてきたのだ。並々ならぬ集中力と努力によって。

 ゆえに当然、労もなく思い出す。

 グレイスパイダー。その習性、能力、そして近年発見されたある生態も。

「まさか──エレジウム?」

 エレジウム。

 それはここ数年で発見された、新種の鉱物である。

 正確には、最近になるまでミスリルの一種だと思われていた。

 だが魔導工学技術エーテル・フアクターの発達により、エレジウムはミスリルが百年から二百年単位の時間をかけて変化した物質だということが明らかになったのだ。

 別名、てんせき

 魔導回路の中枢部品として用いられる、いわゆるレアメタルである。

「それとグレイスパイダーがどんな関係があるんだ?」

「最近の研究で分かったこと。グレイスパイダーは、複数のエレジウムによって発生する魔力パターンを好む習性がある。つまり……」

「グレイスパイダーがいるところに、そのエレジウムってのがあるのね?」

 エニャの言葉に、アイーゼは「そう」と頷いた。

 正確には、その可能性が高い、というだけだ。ただしグレイスパイダーは群れを作らない。それが複数目撃されるということは、エレジウムの鉱脈がある可能性があるということになる。

「でも、それをどうやってあの男たちは知ったわけ?」

「自警団や教会の記録は、領主に提出しているはず」

 アイーゼの視線に、エニャとトールは頷く。

 その二人を見て、アイーゼは言葉を続けた。

「その記録は政府に提出され、さらにギルドを通じて公開される。調べようと思えば誰でも調べられる」

「ちょっと待って。誰でも調べられるなら、他に気づいている連中もいるはずでしょ?」

 だが、そうなってはいない。

 もしもグレイスパイダーの情報が共有されているのなら、調査団が派遣されていてもおかしくないのに。

 ということは……。

「政府の役人が買収されている、と考えるべきでしょうね」

「私も、そう思う」

 ラルカ神父の言葉をアイーゼが肯定し、エニャたちが呆然とした顔を見せた。そこまでするのか、という顔だ。

 だがエレジウムは国によって管理される貴重な軍需物資だ。もしも独占し、裏ルートで密売でも成功させようものなら、それこそ途方もない額になる。

 そのためなら何だってやるだろう。

「……本当にエレジウムの鉱脈が近くにあるのなら、確認しておきたい」

「それは危険です」

 ラルカ神父が、険しい顔で告げた。

「もし意図的にその存在を隠しているのなら、彼らは、口封じのために人を殺すことさえいとわないかもしれません」

「……ミハイル・フラヴァルトは、エレジウム鉱脈の存在を把握していながら、それを父に黙っている」

 それは彼にとっての『弱味』になりうる。

 だが同時に、そのことが妙なうすの悪さを感じさせた。

「でもそれは、あくまでまだ推論のはんちゆうでしかない」

 まだ本当に、エレジウムの鉱床が存在するかも分からない。そして村をうろつく連中とミハイル自身のつながりを証明するものも何もない。

 問い詰めたとしても、とぼけられて終わりだ。

 もし、父に告げ口したとしても……ミミを取り巻く状況は何も変わらないだろう。

 証拠が必要なのだ。ミハイル・フラヴァルトが、エレジウムの存在を知りながら隠しているという証拠が。

「私も行く」

 そう真っ先に言ったのは、エニャだった。

 アイーゼはじゆうめんをつくり、口を開きかけたが、彼女はかぶりを振ってそれを制止した。

「危険だっていうのは分かってるわ。それでも、幼馴染がその危険に突っ込もうとしてるのに、放っておけるわけないでしょ」

「同感だな」

 トールも頷き、そして立ち上がった。

「この村は俺たちの村だ。よく分からん連中に踏み荒らされて、指をくわえて黙ってられるわけがねぇ」

 それに、とトールは腰に差した剣をたたく。

「この数年、何もしてなかったわけじゃねぇ。今じゃ俺のほうが腕は上かもしれねぇぞ?」

「二人とも……」

 不意に、ぽん、とアイーゼの肩に手が置かれた。

 振り向くと──そこには、背の伸びたもう一人の幼馴染。

「多分、来るなって言っても二人は来るよ。もちろん、僕もね」

「ジェイ、でも私は──」

「アイーゼが、そのために二人を頼ったなんて思わない。でも、巻き込みたくないなんて思って欲しくないんだ。たとえどれだけ危険でも、全部終わったあとに、何も出来なかった自分に後悔なんてしたくない」

 アイーゼは、何も言えずに黙り込む。

 危険かもしれない。自分のせいで友人が傷つくところなんて見たくない。幼馴染たちの好意が嬉しくもあり、辛くもあった。

 しばし逡巡し、そしてアイーゼは顔をあげた。

「……分かった。でも、危険だと思ったらすぐに撤退する。私の指示には必ず従うこと。それでいい?」

 アイーゼの言葉に、一同はこくりと頷いた。


   ◆ ◇ ◆


 アイーゼたちが教会を出た後に向かったのは、村の裏手にある山だ。

 神父様いわく、男たちが何度も出入りしているのを村人たちによって見られていたらしい。

 魔物除けの範囲外であり、当然、ごく普通に魔物がせいそくする領域でもある。

 ただ、さほどの危険性があるわけでもない。

 ギルドの危険度ランクではEランク程度。トールたちにとって、勝手知ったる庭とすらいえる。

 幾度かの戦闘──そのほとんどをアイーゼが音もなく瞬殺した──を経て、たどりついた場所で、アイーゼが手を上げた。

(見つけた)

 山の一角。いくつもの気配。

 茂みの間から顔を出すと、露出した山肌に、何人もの人間が腰を下ろしていた。

(……数が多い)

 数は、十人を超えている。しかもその中には、銃器で武装した人間もいた。

(あれって、ライフル?)

 エニャの言葉に、アイーゼはこくりと頷く。

 いわゆる軍用銃。拳銃と異なり連射が可能であり、主に戦場で使われる武器だ。その火力は、非魔術士であっても魔術士を殺しうる。

 それがあの数……。

 飛び込むにはあまりにも危険すぎる。

(あの穴は?)

 エニャがそう指さしたのは、露出した山肌に開いた穴だ。自然に出来たものというよりも、人の手で掘られたものだろう。

 高さとしては、人の背丈ほどだろうか。その穴の中に、数人の男たちの姿があった。そのうちの一人を視界にとらえ、アイーゼはそうぼうを見開いた。

(ミハイル・フラヴァルト……?)

 居た。本当に。

「──それで教授、間違いないのだね?」

「ああ」

 茂みの向こうから聞こえてきたミハイルのその言葉に、教授と呼ばれた男が首肯する。

「やはり間違いなく、鉱脈が眠っている。しかも相当な規模だ!」

「そうか。それは良かった」

「これは大発見だよ! 学会に発表すれば、私も──」

 不意に。

 ミハイルが懐から取り出した何かを、教授に向けた。

 それが拳銃であることを一瞬で理解できたのは、アイーゼだけだった。

 響いたのは、音とも言えないような小さな音。

 だが。放たれた『何か』は、先ほどまで話していた教授の頭を貫いた。

──ッ!!

 真っ赤な鮮血がばっと飛び散り、山肌を赤く染める。

 教授と呼ばれた男が倒れ、真っ赤な液体が流れ出し、穴の中に池を作っていく。

 ──あれは、即死だろう。

「おい旦那、あんま死体を増やすなって……」

 そう苦言を呈したのは、穴の中にいたもう一人だ。

 目つきの鋭い、瘦せた男。いかにも傭兵くずれといった、けんのんな気配をまとう男だ。死体を見ても動揺ひとつ見せていない。

「掃除しておいてくれ」

 サイレンサー付きの拳銃を懐にしまい、あっさり告げたミハイルに、その男は小さく舌打ちを漏らす。

 おい、と周囲にたむろしていた男たちに声をかけ、ミハイルを追って穴から出た。

「死体の処理も、タダじゃないんですぜ?」

「最初から、それ込みで金を払っているはずだが?」

「そりゃそうでしょうが……誰を殺すかぐらい、あらかじめ言っておいて欲しいもんですよ。色々準備ってもんがある」

 死体を引きずりだして袋に詰めている男たちに目線を向け、彼は小さくため息を吐いた。

「それで、計画とやらは問題ないんで?」

「ああ」

 ミハイルは爪やすりで、目の前に掲げた爪をみがきながら、迷いなく首肯した。

「あと一週間もすれば式だ。式が終われば、後は──分かっているな?」

「……物取りにふんして、あの家族を皆殺しにしろ、ですか。怪しまれないんですかねぇ」

「怪しまれるとも、勿論」

 だが、とミハイルは磨いた自分の爪をのぞみながら、笑った。

「私が必死の抵抗をして、家族を守るべく戦い、重傷を負ったとすればどうだろう? しかもその物取りは、他の貴族の関与を疑わせる証拠を残していた、となれば」

「はあ……その辺はよく分かりませんが」

「あの家は、他の貴族から疎まれている。ぞうされていると言ってもいい。それが大商人の私と結婚し、自分の脅威となるかもしれないと知れば……殺しにくることもあるかもしれない」

 そういうもんですか、と傭兵くずれの男は曖昧に首肯した。

「かくして私はリリエス家の当主となり、エレジウム鉱山を発見し、その主となる。リリエス家を狙った貴族を許さない……そういう理由でまた商売も出来るわけだ」

「商売ですか?」

「ここから先は、まあ知らないことをお勧めするよ」

 ハハハ、という笑いが山の中にだまして──

 その会話を聞いていたエニャは、怒りよりもまず、心配のほうが先立った。目の前のアイーゼを、おそるおそる覗き見る。

「っ」

 そのは、どこまでもくらい。

 息をむエニャに振り返ることもなく、アイーゼはすっくと立ち上がった。

「──ル・フラヴァルト……」

 ぽつりとこぼれた声。

 悲しみと、怒りと──そして憎悪。

「ミハイル……フラヴァルトォ────!!

 絶叫と共に、ゴウッ、としんの炎が巻き上がる。

 だくりゆうのようにうずを巻いた炎が、あまりにも破壊的な威力を宿し、歩いていたミハイル・フラヴァルトに殺到する。

「旦那!」

 ミハイルの背後に立っていた男が、瞬間、その間に割り込んだ。

 巻き上がった風が炎を吹き散らし──その向こうから飛び込んできたアイーゼの槍と、男のナイフとが甲高い音を立てて交差した。

「そこをどいて……!」

わりィな嬢ちゃん、これも仕事なんでね」

 全力を込めた槍の一撃を軽く回避しながら、傭兵くずれの男は腰から抜き放った銃で発砲した。

 軽く身体を反らして回避し……その一瞬で踏み込んだ男の突き出したナイフを、かろうじてかわす。

 ──強い。軽く切り結んだだけで分かる。この男は強い。

 周囲にいる男たちは、そうでもない。ただこの男だけ、レベルが抜きん出ていた。

 完全に足止めされている。

「ま、可哀かわいそうだと思わなくはねぇよ」

 男は拳銃の銃口を突きつけ、ナイフを手元でもてあそびながら、見下ろすようにそう言った。

「だが知られちまったからな。予定変更だ」

 耳元に手を当てる。あれは……無線機だろうか?

「おい、プランCだ。……ああ? 計画なら聞かれちまったよ。間抜けなことにな」

「……プランC?」

 耳元から手を下ろし、男は、いやらしそうな顔を私に向ける。

「そう、プランCだ。何だと思う?」

 計画を聞かれてしまった場合のプラン?

 口封じか? 増援を呼んだ?

「正解は──妹ちゃんをさらっちまえってことだ」

「な……!?

「そんでもって、アンタは殺す。そうなりゃ姉妹そろって行方ゆくえめいってわけだ」

「……一体、なぜそんなことを?」

「分からねぇかなぁ」

 例えばここでアイーゼが死んだ場合。

 その原因を、必ずミミは探ろうとするだろう。そしてそれがミハイルの手によるものだと勘づかれる可能性は高い。

 だから、攫うのだ。

「攫っちまえばどうとでもなる。魔術でも薬でも……人の記憶を飛ばしたりおかしくさせちまう方法なんて、いくらでもある」

「あなた、たちは……っ!

 ただ、金のために。

 おかしい。どうして、そんなことが平気でできるんだ。

「旦那はもう行っちまった。ここから逆転の目はねぇ。んじゃ殺すから、あんま抵抗すんなよ……?」

 (ああ……)

 ……どうしてだろう。何も感じない。痛みも、怒りも──全部が遠く感じる。

 ただ、ただ、ただ。

 ──殺す。

 ドンッ、というごうおんと共に炎の渦が立ち上った。草も、木も、あかい炎が渦を巻きながら燃やし尽くし、そして凝縮するように一点に集中していく。

 そして、またたきと共に爆散した。

 ドレイク・デトネーション──記録される術式の中でも最高峰の威力を持つ魔術である。だが自らをも巻き込む危険性から、極めてせいな魔力操作が必要とされる。

 無論、アイーゼにそんな技術などない。問答無用の自爆攻撃。致命傷とならなかったのは、ギリギリのタイミングで距離を取って気術で防御したからだ。ユキトの指導で錬気術を高めていなければ、本当の意味で死んでいた。

 だが。

「抵抗すんなって言ったろ!」

 爆炎の向こうから、銃を手に男が躍り出る。

 自身の魔術によって吹き飛ばされたアイーゼには、吐き出された銃弾を避けることも防御することも既に不可能だった。

「──アイーゼ!!

 不意に。頭上から──紅い光が降り注ぐ。

 男に降り注いだ光は、だが、ナイフによって斬り払われて霧散した。

「うおおおぉぉ──!!

 叫び声と共に飛び込んだのは、トールだった。

 だがその剣は……男に向けられたものではない。

 空を切った斬撃が、地面を叩く。地面を揺らし、そしてじんを盛大に巻き上げた。

「アイーゼ、こっち!」

 砂塵の中、アイーゼの手を引いたのはジェイだった。

 砂塵のむこうから、銃声が聞こえる。だがそれは砂塵が煙幕となって、アイーゼには一発も当たらなかった。

■■■■■──!

 ジェイの口から音が漏れる。それは何重にも聞こえ、意味を持つようにも、持たないようにすらも思えた。

 瞬間。青いりんこうが舞い、地面にがくの紋様を描きだす。

 舞い上がったつむじ風がすなぼこりを吹き飛ばし……そしてそこには、もう誰もいなかった。


 ──アイーゼが目を開けると、そこは森の中だった。

 おそらく、同じ山のどこかだろう。彼女の足元では、ジェイが青い顔でうずくまっている。

「……今のは?」

「ああ、うん。聖術ってやつだよ……うっ」

 両手で口元を押さえてうずくまるジェイに、アイーゼは瞠目した。

 聖術といえば、教会が秘匿すると言われる術式。実際に目にするのは初めてだ。それを、ジェイが……。

「大丈夫かよ、おい」

 周囲を見回せば、トールとエニャの姿もあった。トールは剣を肩に担ぎ、ジェイとアイーゼを見下ろしている。

 エニャはといえば、周囲をきょろきょろと見回していた。

「しっかし、本当に転移ワープするのね……すごいわね聖術って」

 転移ワープは、その存在が幾度も提唱されながらも、魔術ではまだ果たされていないはずの術式だ。しかし確かに、聖術に転移ワープ術があるというのは、うわさばなしとぎばなしでよく語られることもであった。

転移ワープって言っても、僕程度の術じゃ距離は大したことない。さっきの場所から、百メートルも離れてないはずだ」

 確かに、耳を澄ませば人の足音や騒ぐ声が聞こえてくる。

「急いで離れないと──」

「アイーゼ」

 エニャがアイーゼへと手を伸ばす。

 その手を借りて立ち上がったアイーゼの背を、エニャはぽんと叩く。

「行きなさい、アイーゼ」

「……え?」

「私がここで足止めするわ。その間に、早く行きなさい」

「どうして? 一緒に逃げれば──」

「ごめん、それは無理」

 そう言った彼女の足は……服が裂け、血が滲んでいた。

「まさか……さっきの銃弾で?」

「かすり傷だけどね。全力のアンタについてくのは、どのみち無理よ」

 アイーゼは絶句する。

 置いていく? ここに? 出来るわけがない。

(私の、せいだ)

 こんなところに連れてきたから。

 我を忘れて突っ込んだから。

 私に……力がなかったから。

「アイーゼ」

 エニャがその両手を、アイーゼの肩に乗せた。

「ミミちゃんを、助けるんでしょ?」

 ──ああ、そうだ。

 今この瞬間も、ミミが危険にさらされているのかもしれない。

 だけどそれは……

「あのね、アイーゼ。私はずっと、アンタに言いたかったことがあるの」

「……エニャ?」

 その声は、震えていた。

 恐怖によってではなく。

 何かをこらえるように。

「ごめん、アイーゼ」

 エニャは、そっとアイーゼの身体を抱きしめる。

 きょとんとした顔をしたアイーゼに、エニャは、震える唇で言葉を紡いだ。

「私……アンタが故郷を逃げ出した時……何もできなかった。何も力になれなかった」

「……エニャ。それは違う。私が勝手に……」

「私はアンタの幼馴染なのに。アンタの苦しみも、辛さも、何一つ分かってあげられなかった……!」

 エニャはアイーゼにとって……姉のような存在だった。

 いつも一緒だった。「もっと女らしくしなさい」と何度も言われて、世話を焼いてくれた。

 もしかしたら、ずっと彼女は後悔し続けていたのかもしれない。

 エニャは抱擁を解き、アイーゼの両手をそっと包む。

 両の瞳に涙をためて。

「だから行ってアイーゼ。私に……アンタを守らせて」

「俺たちに、だろ」

 アイーゼの両手を包むエニャの手に、トールの手が重なった。

「そうだね。僕だって同じだ」

 ジェイもまた、その手を重ね合わせる。

「前も言ったけど。全部終わったあとに、何も出来なかった自分に……もう後悔なんてしたくないんだ。だからアイーゼ」

 私は。

 私は────


   ◆ ◇ ◆


「行ったか」

 木々がうつそうと茂る山中。トールの声が、静かに響いた。

 そこにいるのはトールとエニャ、そしてジェイの三人だけだ。

「お前があんな風に思ってたなんて、知らなかったぜ」

「アンタは、どっちかっていうと怒ってたわね」

「まあな」

 頼れないほど、自分は弱いのかと。

 怒ったのがトール、自分を責めたのがエニャ、そして落ち込んだのはジェイだ。

「僕なんか、あれから皆に顔を合わすのが気まずくてね」

 エニャの足を傷薬と包帯で応急手当をしながら、ジェイは苦笑した。

 アイーゼの失踪は、彼らに少なからぬ傷を与えた。だが誰一人、アイーゼを責める者はいなかった。

 巻き込みたくないというアイーゼの気持ちは、言葉にせずとも、痛いほどに分かっていたからだ。

「ま。それもこれでれいさっぱり解消だ」

「油断しないでよ」

「するかよ。この山は俺たちの庭だっての」

 近づいてくる気配に、トールは笑みを強める。

 確かに正面から戦えば分は悪い。だが地の利はある。むしろ、勝機はそこにしかなかった。

「やってやるさ」

「ええ。せいぜい派手に暴れて、邪魔してやるわよ」

 治療を終えたエニャも立ち上がり、目元を拭いて、拳を握る。

 だが、その瞬間──

「──すまない、少しいいかな」

 不意に。

 第三者の声が響いた。

 驚きと共に全員が振り返る。気配などまるでしなかったはずなのに。


 そこには。

 一人の男が、立っていた。