ヴィスキネル士官学院は、帝国全土にいくつかある士官学院の中でも、特に空気が緩い。

 士官学院というだけあって、中には規律に厳しく、外出さえも簡単に許可されないような学院もある。そんな中にあって、多少のルールはあるものの、ヴィスキネル士官学院の雰囲気は私学のそれとそう変わりないものだろう。

 この空気の緩さの由来は、初代の学院長がゆうかつたつな人だったから──といううわさもあるが、実際のところ学院の歴史にその理由があった。

 帝国は二代前の皇帝、せんけつこうていの時代において深刻な経済恐慌に陥ったことがある。

 理由は戦線の無計画な拡大、軍事費の膨張、汚職の横行、様々あったが──ともかくそういう理由で、当時あった士官学院もまた深刻な経営難に陥ったのだ。

 そこで何を思ったのか、軍は一度、士官学院の経営を民間会社に委託した。そんな馬鹿なと思うが事実である。

 もっとも軍事機密がろうえいしないようには気を使ったらしい。当時の士官学院で教えられていたのは一般的な武術のはんちゆうだったようだ。

 だが技術の漏洩が完全に止められたわけではなく、多くの軍事技術が流出し、後に帝国には巨大な民間軍事会社PMCが生まれることにもなった。……まあ、これはあくまでも噂だそうで、軍は認めていないことだが。

 その後およそ十年ほどして、帝国貴族の資本が入ることで、流れは止まった。

 彼らの大半は士官学院の卒業生であり、有名無実化した母校をゆうりよし、その再建に乗り出したのだ。

 多くの、長きにわたる交渉と衝突を乗り越え──最終的に、軍と貴族、企業が絶妙に影響力を分け合う、現在の状況に落ち着いた。

 現在の生徒たちの卒業後の進路は生徒の自主性にゆだねられ、その過半は軍であるが、警察やギルド、中には民間企業に就職する生徒もいる。

 しかし、それが逆に良かったのか──けつしゆつした能力を持つ卒業生たちをあまはいしゆつし、今や名門校のひとつとして数えられている。

 ただ、生徒たち全員が才能にあふれているわけでもない。当然、彼らの中には優劣が存在する。


「はああああぁぁぁ……

 ここに巨大なため息をこぼす生徒が一人。

 戦術科三回生、アルネラ・ディルモント。桃色の髪をボブカットにしたわいらしい少女である。手に持った無骨なライフル銃がまるで似合わないほどに。

 ただ、今の彼女は野外訓練場に表示された点数──それも平均点をはるかに下回る点数──に、ただひたすら顔をあおくするしかない。

(このままじゃ、本当にクビになっちゃうかも……)

 戦術科クラスは実力が全て。

 それはまさに言葉通りで、実力がないものは落第する。この場合の落第とは留年という意味ではなく、退学である。

 一応、転科試験を受けて他の学科──学術科か工学科のどちらか──に転科するという選択肢もありはする。だがそれとて、彼女の境遇からすれば死刑宣告も同然であった。

(どうにかしなきゃ)

 再び銃を手に、訓練再スタートのボタンを押す。

 射撃訓練の内容は実にシンプルで、不規則に出現し動く的に当てるというものだ。ただし再装塡リロードの時間なども点数に含まれる。

 ブザーが鳴り、標的が現れる。トリガーを引き絞り射出された弾丸は、見事に標的のド真ん中を撃ち抜く。だが……二発三発と続くうち、呼吸は乱れ、次第にどんどんと的から遠ざかっていった。

(駄目だ……)

 自分でも理由は分かっている。

 ……幼い頃、銃の暴発によっての指が吹き飛ぶのを見た。

 それは本当に幼い頃の話だ。学院に入学し、銃を手に取るまで忘れていたほど昔の。でも、トリガーを引くたびに心臓が跳ねる。呼吸が乱れる。

 あの時のことはおぼろにしか覚えていないのに。何度も何度も、気にする必要なんてないと自分に言い聞かせても、それでも。

「なんで……」

 終了のブザーが鳴る。

 再び表示された点数は、あんたんたる有様で。

 ──典型的な落ちこぼれ。役立たず。チーム試験のやくびようがみ。周囲からのその評価に、何一つ反論できない現実。

 アルネラの目の前に今あるものは、ただの壁などではなかった。それはもう絶望といってもおかしくない、冷酷な現実だった。


 ──アルネなら、きっと誰よりも強くなれるわ。

 ──だって、誰より頑張り屋で、誰より優しい子だもの。


 不意に、耳元で懐かしい声が聞こえた気がした。

(ユラ姉さま……)

 家族の中で唯一、自分に優しかった人。

 家の中でも、落ちこぼれだと馬鹿にされ、まるでいないもののように扱われてきた自分を、掛け替えのない妹だと言ってくれた人。

(ごめんなさい、姉さま)

 頰を流れそうになる涙を、必死にぬぐう。

 ──だが。

「下手くそ」

 そんな彼女の心を、一言が切り裂いた。

 はっとして振り向くと、そこには椅子に座る女性が一人。青色の髪をした妖艶な少女──アルネラのクラスメイト。

(ミリー・アレンセン……?)

 その外見と、それ以上に実力で、同じ三回生の中で知らぬ者はいない。今年、あの『東洋の魔女』ことトーリ・スズミヤに勝利し、戦技大会出場者の一角を勝ち取ったことでさらに名声を得た。

 そんな彼女が、いつの間にか自分の後ろの待機席に座り、ぜんとした表情でこちらをにらんでいた。

「泣くぐらいなら、もっと練習しておきなさいよ。期末テストも近いのに、今更?」

 その正論に「うっ」とたじろぎ、何も言い返せずに下を向く。

「とりあえずどいてよね。今から私が使うんだから」

「えっ?」

 彼女は魔術士だ。そしてここは射撃訓練場。あまりにも不似合いな言葉に、思わず首をかしげる。

 だが「なによ」と言わんばかりに睨み返され、すごすご引き下がる。

 ──アルネラ・ディルモントは、ミリー・アレンセンが苦手だ。それもものすごく。

 彼女は女王だ。クラスの中でも女王のように振る舞い、そしてそれを許されている。高位貴族の令嬢であり、高慢な性格で、そしてそれ以上に実力者。同じ三回生の中で、彼女に対抗できるのはたった二人しかいないだろう。

 劣等生でしかないアルネラにとって、そんな彼女の前に立つことは恐怖でしかない。

(そんな彼女が、なんで銃を?)

 だがそんな恐怖に勝る好奇心で、思わずまじまじとミリーに目線を向ける。

 彼女はその視線に気づいているのかいないのか、余裕のある仕草で銃を棚から手に取った。構えは実にサマになっていて、これが専攻だと言われても違和感がないほどだ。

 ブザーが鳴る。

(うそ……)

 ぜんとする。

 ひとつ、ふたつと的が撃ち抜かれていく。

 流れるようなその動きに、無駄はまるでない。もちろん全てが完璧にと言えなくても、トップクラスの腕に思えた。

 だがそれはおかしいのだ。彼女の専攻は魔術であって、銃ではない。

 あまりの衝撃に、アルネラは立ち尽くす。目の前に立ち塞がる、才能という名の現実に。

 だが、最大の衝撃はそんなところにはなかった。

「……やっぱり、違うわね」

 ぽつりと、小さく漏れたつぶやき。

 ミリー・アレンセンは落胆まじりに銃を下ろし、そして元の棚に戻す。

 言われずとも分かった。彼女は今日、銃を試しに来たこと……そして今まさに興味を失ったことを。

(わたし、は)

 唇をむ。

 今すぐ叫び出したいほどの衝動を、ただこらえるために、強く。

 ──下手くそ、と、彼女は言った。

 それは事実で、現実だ。

 うらやむほどに違う、才能の差と実力の差。一生かかっても辿たどけない──そう思えるほど遠いのに、彼女にとってはくだらないものでしかない。

 悔しいとか、羨ましいとか、うらめしいとか、それ以前の話。ただひたすら情けなく、恥ずかしい。

 涙がこぼれそうになって、うつむこうとしたその時。

「げっ……」

 アルネラの目の前で、ミリーの顔が引きつった。

 とつにその目線を追う。女王であるはずの彼女に、そんな顔をさせたのは一体誰なのかという好奇心で。

 その先にいたのは、黒髪の男性。それも知った顔、というか、三回生の中で知らない人間などまずいないだろう。射撃訓練場になどほとんど来ないはずの彼が、何かを探すようにきょろきょろと視線をさ迷わせていた。

「お、いたいた」

 やっと見つけたとでも言うように、無邪気に破顔した。

 彼の視線は自分たち、というより、恐らくミリー・アレンセン。

「ユ、ユキト……先生」

「ん? ああ、アレンセンだっけ。君も訓練か?」

「そうですけど──」

「そうか、まあ頑張って」

 ぽん、と肩をたたくと、ミリーは嫌そうに身体をひねる。

「こんなところまで何の用? ひょっとして、ストーカー?」

「ん? いや俺が探してたのは、君じゃなくて──」

 ふと、彼が視線をミリーから外す。

 その先に居たのは……

「え?」

 ……自分?

 注がれる彼の目線に、思わず自身を指したアルネラに「ああ」と彼は笑った。


 ヴィスキネル士官学院、剣術教官──ユキト。

 アルネラ・ディルモントは後に述懐することになる。

 彼との出会いこそが、自分の人生を変えたのだと。


   ◆ ◇ ◆


 さかのぼること、一週間前──。

「全員集まったかな?」

 ヴィスキネル士官学院の訓練室ホール。だだっ広いその空間に、数人の男女が集まっていた。

 目の前には三人の男女──彼らは学徒集団戦で予選を突破し、帝都での本戦に出場が決まった三人である。

 一人目はベイリー・グレンデマン。この三人の中では唯一の顔見知りだ。剣術クラスに出席していたし、何度か個人的に教えたこともある。甘いマスクであるが実直な努力家で、特に盾の扱いは生徒の中で図抜けている。

 二人目はゴドル・ヴォルド。二メートル近い長身を持つきんこつりゆうりゆうとした生徒だ。雰囲気はグラフィオスに近いが、目には理知的な光がある。……なんでもグラフィオスにあこがれているそうで、打ち上げに来れなかったことを大層悔やんでいた、と噂には聞いている。戦闘スタイルにもそれは表れていて、巨大なせんを豪快に振り回して戦う。

 そして三人目は、メンバーの中で唯一の女子、ミリー・アレンセン。ウェーブのかかった青色の髪を、退屈そうに指先でもてあそんでいる。専攻分野は魔法、つまり魔法使いである。

「ねぇ」

 その彼女──ミリー・アレンセンはどこかわずらわしそうな目を向けながら、口を開いた。

「アンタが新メンバーを選ぶって聞いたけど、ホント?」

「ああ……」

「ふうん」

 煩わしさから疑わしさに視線を変化させつつ、軽くあいづちを打つ。

「困るのよね。コネで入ったしろうとに口を出されるのって」

「ミリー……!

 ベイリーが焦ったように声を荒らげ、ミリーの肩をつかむ。

「何ですか、センパイ? 私間違ったこと言ってます?」

「まあ、間違ってはないね」

 軽く苦笑する。コネで入ったのは事実だし、教員資格も持っていない。そして彼女の専攻する魔術に関して、俺は本当に素人だ。

 そんな俺の言葉に、ふんっ、と彼女は顔をらす。

「ただまあ、これも仕事だから理解はして欲しい。……確かに魔術に関しては素人だけど、君たちのことを強くするつもりではある」

「あのね、そんな簡単に──」

「どのみち、このままじゃ本戦で負けるだろう?」

 ピシリ、と空気が固まる。

 ……だが事実だ。予選も観戦したし、彼らの力量はおおむね理解しているが──恐らく本戦では通用しないだろうことは、既に予想がついている。

「まあ、それは今はいい。それより、新メンバーをどうするか相談したいんだけど」

「待ちなさいよ……!」

 りゆうを逆立てながら詰め寄るミリーに、思わず動きを止める。

「本戦じゃ勝てないですって!? 素人の癖に、知った口を利くんじゃ──」

「勝てないよ。今のままじゃね。だから俺が来たんだ」

 ぴしゃりと告げて、手に持ってきた資料を掲げる。

「一応、いくつかプランを用意してきた。君たち自身の意思も大事だから、まずは確認を──」

「証明しなさい!」

 ばしん、とミリーが手を叩く。そのビンタで飛んだ紙が空を舞い、俺と彼女の間に降り注ぐ。

「そこまで言うのなら、戦って証明してみなさいよ──!」


   ◆ ◇ ◆


「──ふ」

 訓練室の外にある観戦スペースで小さく漏れた笑みに、シェリー・レレイは思わず目線を向けた。

 その笑みをこぼしたのは、銀色の髪とかつしよくの肌を持つ少女、アイーゼ・リリエスだ。

(笑った? アイーゼが?)

 あんな風に笑みをこぼすところなど、長い付き合いになるシェリーでもほとんど初めて見る。その笑みは一体どういう意味なのかと。

 ただ正直なところ、そんなことを気にしていられる余裕はなかった。

 なんというか、空気が重い──というより冷たい。

「い、イリアちゃん?」

「なんでしょう?」

 真顔で返答され、言葉にきゆうする。

 その表情は無表情……としか言いようがない。しく美しい、いつもの彼女ではなく、明らかに不穏な空気を漂わせている。

「あ、あの、ミリーも悪気があるわけではないというか」

「……分かってます、あの人の性格は」

 言葉を飾らないユキトと、プライドの高いミリーの衝突は、正直言って最初から予想できていた。

 ユキトは、特に武術のことに関しては全くうそをつかない。命のやり取りを伴う戦いの中に、きよしよくが無意味であることを誰よりも知っているからだ。

「だから正直、最初からこうなるだろうと思ってました」

「そ、そうなんだ……」

「ただ今になって、私が行けばよかったと思っているだけです」

 こいつぁヤベェ……とシェリーはおののく。

 明らかに怒りを秘めている彼女が前に立てば、下手をすればにんが出てしまうと。ここには闘技場のように怪我を無効化するシステムなどありはしない──というか、あれは古代文明の遺物であって、国が管理しているもの以外どこにもないだろう。

「それは同感。私かイリアが行くべきだった」

「……アイーゼ?」

 ひょっとして彼女も怒っているのかと目線を向けるが、彼女の表情から怒気などは一切感じられない。もともと感情の読みにくい子ではあるが、シェリーには彼女が怒っているかどうかぐらい見れば分かる。読みにくくはあるが、素は分かりやすい子だから。

「多分、ユキト先生が相手だとあまり伝わらないと思う」

「伝わらないって……どういう意味?」

 シェリーの質問に、アイーゼは口をつぐむ。

 ……あれは面倒くさがって説明を放棄した顔だ。

 だが幸いにも、彼女の言葉は別の人が、隣に立つイリアが継いだ。

「先輩は、彼らの戦術の問題点が分かりますか?」

「え? まあ……」

 戦術論ぐらいは当然習っているシェリーは、うなずきながら答える。

「前衛で敵の攻撃を止めて、後衛の魔術でせんめつする、でしょう? 理にかなった、というか基本的な戦術だと思うけど」

「それが軍であれば、そうですね」

 軍であれば? とシェリーは首をかしげる。

「その戦術は、前衛が敵を止められる、という前提のもとに成り立っています。しかし、逆に言えば──」

 見てください、とイリアに示されるまま、ガラス越しに訓練室の中へと目を向ける。

 ユキトはただ、一歩ずつ前に進んでいる。ベイリーとゴドルに阻まれながらも、それを前に全く意にも介さずに。

 そしてその状況に、ミリーは全く何も出来ない。魔力を練りながら魔術で攻撃することもない。

「なぜ魔術を撃てないか、分かりますか?」

「えっと……」

 全く分からない。だが戸惑うシェリーの横から、アイーゼが口を挟んだ。

「あのまま撃てば味方を巻き込む。だけど射線を開けた瞬間、ミリーは斬られる」

「……はい。彼女もそれが分かっているから撃てないんです」

 彼らの戦術の弱点とは、相手の前衛が強大な個である場合、手詰まりに陥ってしまうということだ。

「でもそれはユキト君だからで、彼らは三人だし──」

「個でなくとも、二人が前衛に張りついて、残る二人で後衛を狙えば崩れます。逆に前衛を引きつけてそれを崩すという手もある。もちろん、その返し手もありますが……どのみち、前衛で相手を上回れなければ終わり。その意味で、彼らの戦術は前衛を制御するベイリー先輩に依存していると言えます」

 個に依存する戦術は、戦術とは言えない。それではもっと強大な個に潰されるだけだ。やっとシェリーはユキトの伝えたいことを理解したが……しかし、ベイリーたちがそれを理解できるかと不安になった。

 ユキトのやっていることは個人の力で押しつぶすだけ。つまり個人の力量が足りない、という理解になってしまわないかと。

「──もう終わりますね」

 これは後でフォローが必要なのでは……というシェリーの想いをよそに、ついにユキトが前衛を突破し、膝から崩れ落ちるミリーの首元に剣を突きつけていた。

 終わってみれば圧倒的。結局、ベイリーも、ゴドルも、ミリーも、三人がかりで何一つ出来なかった。

 それは始まる前から分かっていたこと──だがシェリーにとって、その勝利はあまりにせんれつに見えた。

「五分ですか。……随分手加減しましたね」

「さすがに秒殺だと意味がない」

 二人の言葉に、シェリーは思わず目を見開く。

(強いのは知ってたけど……)

 まさかここまでとは、というのが正直な感想だった。

 これまでシェリーにとって、ユキトはからかいのある年下の少年というのが率直な感想だった。はくしやくに見出されて剣術教官を務めるほどの天才でありながら、中身はごく普通の少年。むしろ弟がいたらこんな感じなのかな、なんて思っていた。

 なのに、今。木刀を片手に三人を圧倒した少年ユキトの横顔に、一瞬、どきりと胸が高鳴る。

 だが、すぐに自分の横に座る少女二人を横目で見て、かぶりを振った。

(ないないない、絶対ないそれは)

 色々な意味で、それはない。というか、あってはならない。

 シェリー・レレイは貴族令嬢として徹底した教育を受けてきた。幼い頃に社交界入りデビユタントを済ませてから、もうりようごとき社交界を立ち回り、父のみようだいとして仕事をしたことさえもある。

 貴族というのはどいつもこいつも、恋愛事情は最悪だ。永遠の愛を誓った夫婦に愛はなく、愛人がいるのが当たり前。

 そんな中で育ってきたから、シェリー・レレイは人一倍、恋愛に興味があった。だが自分が恋愛できるとは欠片かけらも思っていない。

 ただ出来ることなら、愛のある結婚をしたいと思っている──。

 なのに、横恋慕なんて最悪だ。それも今や親友と言っていい少女の相手に。そもそも根本的に、勝てるはずのない相手だし、と。

(うん、これは勘違いね)

 そうに違いないと、シェリーはかぶりを振った。


   ◆ ◇ ◆


「……弓使い?」

 首を傾げるシェリー会長に、「ええ」とユキトは頷いた。

 手合わせとなってしまった顔合わせ──最初からある程度想定はしていた──だが、結局新メンバーについて「勝手にして」と告げたミリーの言葉を皮切りに、ユキトに任されることになってしまった。

 その中でユキトが選んだ案は、いわゆるスナイパーの採用だった。

「ルール上、銃は使えませんし」

「うん。近々解禁されるんじゃないかって言われてるけど」

 銃が使えないのは、有利不利の問題ではなく、いわゆる古臭い縛りのたぐいだ。銃器が登場してから数十年つが、銃は『弱者の武器』という価値観が根強く存在する。

「弓を扱う生徒は、あまり数は居ないかなぁ……」

 しかしその一方で、銃が生まれたことで、弓は兵器としての価値は薄くなった。

 弓によって銃以上の破壊力を生むのは至難のわざだ。銃と違いれんめられるという特徴こそあるものの、それほどの使い手は多くはない。

 特に、弓兵の数をそろえて一斉に射撃するという場面は、近代では存在しなくなった。

「弓で有名といえば、ディルモント家だね」

「ディルモント家?」

「古い家柄の貴族だよ。一族の、それも本家のみに伝わる弓術があるらしくて、技によっては砲撃級の威力もあるって」

 生徒会室の棚を開き、はい、と彼女は分厚いファイルを俺の目の前に置き、そのうちの一ページをさっと開いて見せた。

 それは、一人の男子生徒のデータ。しかも写真付きである。

「なんでこんなのが生徒会室に……」

 普通、こういうのは教師が管理するのでは? 思わず顔を引きつらせる俺に「あはは」とシェリーは笑った。

「それは順位ランク戦のデータだよ。あれは生徒会の主催だから」

 ……言われてみれば確かに、そこに成績のような書かれ方は一切していなかった。扱う武器や戦績、そして総合的な戦闘力評価だ。

順位ランク戦はもともと非公式の、学生主催のものだからね。それにそのデータ、学内端末から全校生徒でもえつらんできるようになってるし」

「知らなかった……」

 だよねぇ、とシェリーは笑うが、この膨大なページ数の中から、一瞬でこの生徒の情報を探り当てたのはちょっと驚きに値する。

 この人はこう見えて、全校生徒の認める正真正銘の生徒会長。色んな意味で超人、とひそやかに学内に流れる噂を、まさかこんな形で見せられるとは。

「えーと、ラウラドル・ディルモント?」

 流れるような赤色の長髪に、端正な顔立ち。総合評価はAとある。彼が先ほど話に出たディルモント家のちやくなんなのだろうか。

「ディルモント先輩ですか?」

 俺の呟きを耳にしたのか、生徒会室で作業をしていたイリアが、俺の手元をのぞむ。

「確かディルモント先輩は、今年の大会参加を見送ってましたよね?」

「そうなの?」

 長い金髪を耳にかける仕草に、一瞬どきりとしつつも聞き返すと、彼女は「はい」と頷いた。

「戦技大会に弓術部門はありませんから。参加するなら学徒集団戦しかないんですが」

「彼はベイリー君と相性最悪だからねぇ……」

 はあ、と軽くため息をきながら漏らされたシェリーの呟きは、少しばかり意外だ。ベイリーとは少し付き合いがあるが、見た目以上に中身も好青年で、おおよそ彼を嫌う人物など居そうにないと思えたが──。

「……ディルモント先輩は、いわゆるナルシストでして」

 こそりと、イリアが俺に耳打ちする。

 なんでも、四回生の女子人気を二人が二分していて、特にラウラドル・ディルモントが一方的にベイリーをライバル視しているとか何とか。

 しかしベイリーの集団戦リーダーが確定した段階で、ラウラドルはすぐに辞退を表明したらしい。卒業間近の自分より、若い生徒たちに活躍の場を持たせるべきとか何とか。

(……あっそ)

 としか言いようがなく、俺はため息を吐いた。

「んじゃ没だね。今のメンバーと連携が取れないようじゃ無理だ」

「やっぱりそうだよねぇ。うーん、でも他の弓使いといえば──」

 その時、ただ沈黙を守っていた少女──アイーゼが、机に歩み寄ってファイルをめくった。

 その意外な行動に視線が集まる中、彼女が開いたページは──

「──学院にいるディルモントは、一人じゃない」

 戦術科三回生、アルネラ・ディルモント。

 桃色の髪をした気弱そうな少女の写真が載せられたそのページを開き、彼女は告げた。

「えっ、でも彼女は──」

 シェリーが何かを言いかけて、口を噤む。

 その理由はすぐに分かった。

(総合評価Eランクか)

 それはつまり最低評価ということになる。

 思わずアイーゼを見上げる。彼女が一体どういうつもりで、この少女を紹介したのかが気になって。

 だが返る言葉も反応もなく、ただ彼女はページに目を向けるだけだ。

(知り合いなのか? いや……)

 それだけの理由で彼女が推薦するとは、とても思えない。俺の知っているアイーゼ・リリエスは虚飾もお世辞も好まない。

 不意に、彼女が目を向ける先が気になってファイルに視線を落とすと、使用武器の欄に目がいった。

(銃?)

 ディルモント家は弓の大家じゃないのか?

 なぜ彼女が銃を使っているのだろう。そして銃を使っているはずの──つまり出場できるはずもない──彼女を、アイーゼは示したのか。それに……。

(気になるな、この目……)

 気弱そうで、表情からも自信はまるで感じられないのに、そのぎよくのような瞳だけが妙に気になった。

「確かめてみるか」

 席から立ち上がり告げた俺の言葉に、アイーゼはこくりと頷いた。


   ◆ ◇ ◆


 射撃訓練場まで訪ねてきたユキトは、出会い頭、アルネラに「弓は使えるか」と聞いた。

 もちろん、使える。

 ディルモント家は弓の大家である。そこの次女であるアルネラも、誰に言われるでもなく、幼い頃から弓を使い続けてきた。

 ただ……この学院に入って一年もした頃、弓を握るのをめた。

 それはただただ単純に、才能がなかったからだ。……アルネラには、ディルモントの弓は引けなかった。

「もしかして、弓は嫌いだとか?」

 何も答えないまま俯いたアルネラは、その言葉に思わず「えっ」と顔を上げる。

「まぁ違うよな。その手を見れば分かる」

 はっとして自分の手を見下ろす。

 分厚く、タコが出来た手。到底女性らしいなんて言えない手。……しかし、アルネラはこの手を嫌いではなかった。ずっとずっと、弓を握ってきたこの手もまた、弓の一部であるような気がして。

「嫌々なら、そんな手が出来るわけない。好きなんだろう? 弓を引くのが」

 ──そのとおりだ。

「ならここで、ちょっとばかり引いてみせてくれないか? 別に文句を言うヤツなんていないさ」

 ──それも、そうかもしれない。

 拒否する言葉が見つからない。アルネラはただひたすらいざなわれるまま、ロッカーに戻って弓を手にしていた。使わないはずなのに、ずっと肌身離せない自分の弓を。

「……その、下手くそでも……」

「大丈夫だって」

 少年のように笑う彼の言葉に、アルネラは深くため息を吐く。

 そして、矢を手に取った。

 自然に身体が動く。これまで何千、何万、いやもっと数えきれないほどに繰り返してきた動きが、彼女の意思を無視して身体を動かした。

 つるが引き絞られ、矢から手が離れ──それは真っすぐに、的の中心に突き立った。

 一つ、二つ、三つ、空中に射出される的を全て撃ち抜いていく。だが──。

(……ごめんね)

 ──あまりに、弱い。

 ディルモントの弓は、きゆうと称される。特殊な魔術を矢に込めることで、いつで敵を殲滅するほどの威力を持つ。──というのはあくまで伝説であって、それほどの天才はディルモント家史上でも二人しかいないが、ともかく弓術と魔術の融合がディルモントの弓なのだ。

 だがアルネラの魔力は弱く、術式さえ描けず、出来ることといえば少々ばかり矢の動きを制御することだけ。

 褒めてくれたのは姉だけで、それ以外の家族はアルネラを『落ちこぼれ』とののしった。父も、母も、兄も……失望と怒りが込められたあの目を、アルネラは忘れることができない。

(ごめんね……)

 この弓も、自分が主じゃなかったら良かったのに。

 そしたらきっと──

 ブザーの音と共にアルネラは弓を下ろし、肩を落としながら振り向く。

(え?)

 ユキトが、まるで別人かのような恐ろしい笑みを浮かべていた。

 だがそれは一瞬のことで、彼はすぐに普段の笑顔に戻ってパチパチと手を叩く。

「凄い腕じゃないか。全部ど真ん中とはね」

「い、いえ……」

 何のくつたくもない笑顔で褒められ、アルネラは思わず俯く。

 自分なんて、とする心と、弓を褒められた、といううれしさがないまぜになって、うまく言葉が出てこない。だがそんな彼女をよそに、ユキトは「決まりだな」と頷いた。

「実は、ちょっとお願いがあるんだけど──」

 そう言ってユキトは、自分がここに来た経緯を話し始めた。

 集団戦のメンバーが一人辞めてしまったこと、その後任を探す役割を与えられたこと。

 はあ、と首を傾げる。それが一体自分に何の関係があるんだろうと。

 成績ド底辺のアルネラにとって、戦技大会なんて夢のまた夢。

 憧れたことはもちろんある。戦技大会に出場することは全ての戦士の憧れであり、学徒戦に出場することは名門士官学院に入学した生徒たちの特権だ。だがその特権を享受できるのは、トップオブトップの天才たちだけ。

「それで、君にちょっと大会に出てもらえないかと思って」

「はえ?」

 ──この人は一体何を言ってるんだろう?

 戦技大会に出場するには、その座を巡る順位ランク戦を勝ち残らなければならない。もちろんアルネラは、その順位ランク戦に出場したことさえないのに。

「むっ、無理です……!」

 アルネラはサァと顔を蒼くして、首を横に振る。順位ランク戦に敗北し、悔し涙を流す彼らの姿が脳裏によぎる。

 何の実績もない自分が、もし戦技大会に出場したら? ねたみやそねみなんてもので済むわけがない。

「わ、私は──!」

「ちょっと待ってもらいたい」

 そこに割り込んだ声に、アルネラはハッとして振り向いた。

「兄様……」

 赤色の髪を長く伸ばした青年──その顔、その声は、アルネラのよく知る人物のものだ。

 ラウラドル・ディルモント。アルネラの兄であり、この学院で随一と言われる弓の名手……本物の『ディルモントの魔弓』の担い手である。

「どうしてここに……」

「お前が戦技大会に出るなんて、馬鹿な話を聞いたからだ」

 アルネラはまず驚きに目をみはり、そしてその時はじめて周囲の様子に気づく。いつの間にか、好奇心に満ちた視線が降り注いでおり、注目の的になっていたことに。

 恐らく兄は最初からここに居て、話の流れをうかがっていたのだろう。

 ──これはユキトも知らないことだが、実のところ、彼が集団戦の新たなメンバーを探していることは既に学内で噂になっていた。そこにアルネラを探しに来て、わざわざ弓を引かせているとなれば、注目されないわけがない。

「ユキト君……いや、教官と呼ぶべきか? ともかく、妹を新メンバーにするというのは本気なのか?」

「勿論」

 迷いなく、ユキトは頷いた。

 だがそれに、彼は「はあ」とため息を吐いて頭を抱える。

「それは止めて欲しい。いや、許されてはならないとすら思う」

「なぜ?」

「なぜも何も、この子の成績を知らないのか? 弓使いなら、他にいくらでもいるだろう」

 その通りだ──アルネラはその言葉を肯定しながらも、ズキリ、と胸の奥に痛みを覚えて、咄嗟にスカートを摑んで俯いた。

「この子は……ろくに弓も扱えない半人前だ。そんな妹を帝都の大会に……陛下の御前にさらしたとあれば、それはディルモントの恥となるだろう」

(恥、か──)

 兄の言葉は、正しい。

 分かっている。分かりきっている。ディルモントの弓を使えない落ちこぼれ……それがどれほど家族を失望させたか。時には母の不義さえも疑われたことがある。

 私に、ディルモントの名は相応ふさわしくない。私には、弓を握る資格さえ──

「ディルモント家っていう連中の目は、どうやら節穴みたいだな」

「……なに?」

 だが、兄の言葉を黙って聞いていたユキトは、嘲笑まじりに吐き捨てた。

「彼女が弓を扱えないだって? 本気で言ってるのか、それは」

「本気だ。彼女は魔弓を使えない」

「だろうね。それは見てて分かったよ。でも──」

 スッ、と足音もなくラウラドルの前まで進み出たユキトは、トン、と軽く指先でその額を突いた。

「その空っぽの頭ぐらいは、簡単にブチ抜けると思うけどね」

「──な」

 ……何を言っているのだろう、この人は。

 ぼうぜんと、その様子を見ていたアルネラに、ユキトはふっと笑みを見せて振り返る。

「アルネラ・ディルモント。やってみたくないか?」

「な、にを──」

「君の才能は俺が保証する。鍛え方次第だけど、君はきっととんでもない弓使いになれる。それこそ、魔弓なんてどうでも良くなるぐらいに」

 どうだ、と。

 その時、胸に去来した感情を、アルネラは正確に言葉にすることは出来なかった。

 感動にも、興奮にも、あるいはいきどおりにも似た──けれど、手を伸ばすユキトの笑みは、どこからどう見ても真っすぐで。

 だからなのだろうか。理性も打算も恐怖もなく、アルネラの口は「はい」と小さく言葉を紡いでいた。


   ◆ ◇ ◆


「くそォ!」

 ヴィスキネル市の一等住宅地に位置する邸宅で、ヒステリックな少年の叫びが響く。その腕で荒々しくはらわれたテーブルからカップが床にこぼち、甲高い音を立てて砕け散った。

(アルネラ・ディルモントだと!? なんであんなやつが……!)

 彼の名はラバルト・ファーメウス。かつて誰よりも先にユキトにけんを売り、授業の名目でボコボコにされてしまった少年でもある。

 だがそれはそれとして、三回生の中でも指折りの実力者だ。かつて戦技大会の出場候補に名を連ねるほどに。

 戦技大会の出場選手のほとんどは三回生から選ばれる。最終学年である四回生は就職活動に忙しく、特に軍人の道に進む生徒たちはことさらに忙しい。

 近年、技術の発達と共に開発された兵器群。軍人ともなればその扱いに習熟しなければならないが、兵器は軍のかんかつにあり士官学院生が触る機会はほぼない。前世ではまず考えられないことだが、あまりにも異常な技術の発達スピードが生んだ、れいめいにおける不具合のようなものだ。

 ゆえに、軍に進路を決めた生徒は、そのカリキュラムのほとんどを軍で過ごす。必然、過酷な順位ランク戦に割ける余裕はなくなる。

 当然、軍に進路を決めているラバルトもその予定だ。すなわち、今年が戦技大会に出場できる最後の機会になる。

 もっとも、学内ランキングでも最上位に入れない彼にその機会などないはずだった。ある生徒が辞退し、集団戦のメンバーに空きが出るまでは。

 だが、結果は──まさかの落ちこぼれアルネラ

順位ランク戦どころか成績も最底辺じゃないか! ありえん!)

 ラバルトの抱いた感想は、まさしく全校生徒の抱いたものと同じだった。

 そしてそれ以上に、彼女を選んだのがあのユキトであったことが、彼の怒りに火をつけた。

みようも持たない平民が……!!

 今時、苗字もない平民というのは珍しい。帝国ではとっくに、苗字は届けさえ出せば平民でも名乗ることができるようになっている。ただ田舎いなかの場合、その手間を惜しんでいまだに苗字を持たない、あるいはそれに意味をいださない者が一定数いる。

 それを田舎者とあざわらうような風潮は、貴族のみならず平民の中にもあった。さいなことに差を見出して優越感を得ようとする、人間のさがというやつだ。

「あんな身元も分からん奴を認めるなど、どうかしている……!」

 怒りとぞうのままに吐き出して──ふと、動きを止めた。

(……身元が分からないだと?)

 そんなことがあるだろうか。

 彼は、山で育ったとふいちようしていた。だが冷静に考えれば、人も訪れない山など魔物のそうくつだ。そんな場所で、子供が生きられるものだろうかと。

(だとして、なぜそんなうそを──まさか)

 はっと顔を上げる。この帝国で、血筋と出自を偽らねばならない場合など一つしかないと。

 ──ユーグ。即ち、ユグライル人だ。

(そういえば、アイーゼとかいうユーグに熱心にやりを教えていた……)

 合点がいく。思考の歯車がかみ合い、推論を確かなものにしていく。

「ハハ……」

 誰かがはたに見ていたならば、漏れ出た笑みをこう評しただろう──異常だ、と。

 その異常性は、それほど突拍子もないものではなかった。実際、ラバルトが生まれるよりも前……ユグライル戦役に前後して、ユグライル人探しが横行した時期がある。軍が治安維持のために出動したという記録があるほどだ。

 しかし、かつしよくの肌はユグライル高位貴族の特徴ではあるが、ユグライル人全体の特徴ではない。外見で見分けがつかないのなら、あとは言葉のなまり、思想、行動……いつしか気に入らないという理由だけで、罪もなく殺された者がいたのだ。

 ただの戦争であったら、きっとああはならなかったに違いない──。

(待っていろ、ユーグ。それに……イリア・オーランド)