魔導工学技術エーテル・フアクターが現実のものとなってから三十ねん。そして、第二次魔導革命からはや十年の時が過ぎた。

 この世界における文明の歩みは、あまりに早い。ほんの数十年前まで剣と魔法による中世ファンタジーのような世界であったのに、今では車がじゆうおうじんに駆け巡り、人々は携帯端末を耳に当て、ネオンのいろどる夜の町をかつする──。

 だが鮮やかすぎる光は、同時に闇を生み出す。

 ゴミが散乱し、スプレーの落書きが壁を埋め尽くす路地裏で、一人の男が血だまりに沈んでいた。

 ネオンの光も、人のけんそうも、すぐそこにあるようで遠い。ただ、闇の中で生きてきた男にとって、眠らない町の光はあまりにまぶしすぎた。ゆえに、闇の中から引きずりだされたこの数日は、あまりにもわずらわしかった。

『駄目……!』

 ──そう、煩わしい。

 止まらない血を、傷口を手で覆おうとするこの愚かな女も。

『死んじゃ駄目……!』

 どうしてこの女は泣くのだろうと、薄れていく意識の中で男は思った。

 自分が生まれた時に母は死んだ。父はどこの誰とも知らない。十歳の時に姉は犯されて死に、友はバカをやって刺されて死んだ。

 人は死ぬ。それが摂理だ。だからこそ、この女が泣いている理由が分からない。

(……どうして)

 どうして、目を閉じさせてくれないのだろう。

 こんなにも眩しくて、今にも目が潰れそうなのに。

 この数日、彼にしか見えなかったはずのその光が、まるで漏れだすように路地裏を白く染めていく。

 それは、この世にはないはずの光。奇跡とでも呼ぶべき神聖な光だった──。


…………

 路地裏が白く染まっていくさまを巨大スクリーン越しに見ながら、ぱくりと手元のポップコーンを口に運ぶ。

 ……そう。俺がいるのは路地裏ではないし、もちろん帝都でもない。シネマ・フラタニティという名前の、繁華街にある映画館だ。

 この世界の文明レベルは地球とそこまで変わりがない。……ただ異世界に来てまで、ポップコーン片手に映画を見ることになるとは、正直思ってなかった。

(聖女アドニアスねぇ……)

 映画のタイトルは『聖女の再臨』。聖女の再来とされる貴族の少女と、路地裏で育った少年のラブストーリーがメインらしい。

 貴族の反対を押しのけ、様々な困難を乗り越えて、二人はハッピーエンド……という定番の流れだった。

「貴族的にはオッケーなのか、あれ?」

 どう見ても貴族批判になる気がするが。

 スタッフロールが流れる中つぶやいた俺に、隣に座っていた少女がくすりと笑った。

「さすがに、この程度で問題になることはありませんよ。特定の貴族をじよくしているならともかく」

 意外に思えるかもしれないが、この帝国での貴族の力は中世ほどではない。平民を無礼打ちなんてしたら普通に捕まるし、貴族としてのしやくを取り上げられかねない。

 まあ、色々と抜け道もあるようだが……。

「どうでした、先生?」

 席を立ち、顔をのぞんでくる金髪の美少女──イリアさんに「面白かったよ」とうなずいて席から立ち上がる。

 うそではない。演出も脚本も前世の日本ほど洗練されていなかったが、俳優陣の熱演は堂に入っていた。

 魔導工学技術エーテル・フアクターによる近代化の波の中、映画という文化が生まれてまだ数年だ。これからもっと発達していくのだろうと思うと楽しみですらある。異世界に生まれ変わってなお、こうしたエンタメが楽しめるというのはものすごいことなのかもしれない。

「楽しめたなら良かったです。最近、大変なことが多かったですし……」

 気分転換にと誘ってくれたイリアさんは、そう言ってにこりと笑った。

 他人から見れば、今の俺はとても恵まれていると思われるだろう。

 何しろ映画といえばデートの定番。そして俺の横に居るのは絶世の美少女。映画の最中ですら、彼女の顔を見ようといくつもの視線が注がれていた。そしてそのたびに、あの横に居るモブは何だという視線にさらされてもいる。

 ただ俺は正直、そんなうわついた気分になどなれなかった。

(大変なこと、か)

 ──ひとつき前。

 戦技大会の裏で巡らされていたさくぼうの中で、俺は彼女の過去を知った。兄の死によってゆがみ、彼女の心をさいなみ続けた無間の闇を。

 俺はふくしゆうちかけた彼女を止めたが、それは決して彼女を救ったという意味ではない。むしろ逆なのかもしれない。

 ただ、たとえ過去に戻れたとして、やはり俺は彼女を止めるだろう。自分を犠牲にしながら剣を振るう彼女を、ただ見ていることなんて出来なかった。そういう俺のエゴだ。

(だから犯人を捕まえるのにも協力したってのに……)

 あの、らくとやらを名乗る魔法使いに全てを横からさらわれた。

 ちっ、と舌を打つ。

「先生?」

「いや、ごめん。なんでもない。イリアさんも楽しめたなら良かった」

 俺の言葉に、彼女はぴたりと足を止める。

「? どうした?」

「──言ったはずですよね、先生。その呼び方は止めてください」

「う」

 実は最近、俺たちの間では少しの変化があった。呼び捨てで呼べ、という彼女の要望に、俺が折れたのだ。

 実際、俺たちの関係はクラスメイトというより師弟に近い。さん付けは良くない、という彼女の言には確かな説得力があった。

「分かったよ──イリア」

「はい」

 にっこりと彼女は笑って頷いた。

 その後も映画の感想をあれこれ言い合いながら歩き、俺はふと、イリアの横顔に視線を送った。

 今日の彼女はひどくご機嫌だ。りんとしたたたずまいはいつものことだが、その表情はどこか柔らかく、ごく普通の年頃の少女にも見える。

「──聖女っていうのは、正真正銘歴史上の人物なんですよ。人をいやす奇跡が使えたとか」

「そういえば、回復魔法ってないんだっけ」

 これは意外な事実であるが、魔法に他人を回復させる、つまり傷や病を癒す力はないのだという。

 自分自身の傷を多少治すものならば使える者は多いが、これが他人の傷となれば話は別らしい。

 回復魔法といえばファンタジーの定番だが、確かに言われてみれば、この世界には普通に病院があるし、誰かが他人の傷を癒すところも見たことがない。

(俺は魔法について、ろくに知らないんだよな……)

 じいさんが俺に教えてくれたのは剣術で、魔法みたいな技もあくまで剣術の延長線上。魔法はどういう原理で動いていて、どういうものがあるのかロクに知らないし、知ろうともしてこなかった。その慢心が、あの魔法使いを逃がしたといっても過言ではない。

(学院で調べてみるか)

 学院には魔術の講師もいるし、図書館もある。

 目の前のイリアにけば早いかもしれないが、一応彼女は俺の生徒だし、ちょっとばかり気が引ける。

(ここ最近、生徒の指導も順調だしな。それぐらいの時間はあるだろ──)

 ……後に俺はこの考えを、こう評することになる。

 そう思っていた時期もありました、と。


   ◆ ◇ ◆


「……はい?」

 夏。ヴィスキネル士官学院の学長室で、思わずとんきような声を上げて首をかしげる。

 異世界の夏は、日本のそれとほぼ変わりがない。うだるような暑さと、息苦しさを覚える湿気、そしてせみ──かどうかは知らないが──の声。

 そして、クーラーの効いた部屋の極楽さもまた、ここが異世界であることを忘れるほどに同じだった。

「あら。聞こえませんでしたか?」

 革張りのソファーに腰を下ろし、お茶を手に小さく笑うミレーユ学長──老齢であるが、エルフのようなとがった耳をした女性だ──の言葉に、小さく戸惑いながら首を振る。

「いえ……ただその、なんというか、耳を疑うというか」

「その反応は正常だと思いますよ」

 ずず、と緑茶をすすりながら告げた学長に、はあ、とあいまいに頷く。

「……本当なんですか? 学徒戦に出場した生徒が、学校を辞めるなどと」

「ええ」

 驚嘆に値するそのニュースを、彼女はあっさりと首を縦に振って肯定した。

 学徒戦というのは、先日に行われた戦技大会予選で、学生を主体として行われた武術の大会の通称だ。この帝国において戦技大会は大層な権威を持つ大会であり、総合優勝を果たせば貴族の仲間入りとてありえない話ではない。学生だけで行われる学徒戦であっても、勝ち進めば将来が約束されることはまず間違いないほどだ。

 魔物という脅威の中で生き残り続けた帝国において、強さとはそれだけの価値がある。

 だから、本戦への切符を手にしながらそれを辞退するとは、まず考えにくい事態だ。

「こればかりは、仕方がないのですよ」

「……といいますと?」

「その生徒は、こんいんを結ぶことになりました。貴族同士の婚姻ですから、こればかりは学院としても止められません」

 ぴたり、と手を止める。

(まさか──)

 ありえない、と思う。

 思いながらも、脳裏に浮かんだのは銀髪の少女。アイーゼ・リリエス……彼女は望まぬ婚約を押し付けられ、それにあらがうために、戦技大会の優勝を目指している。

 事実、彼女は完璧な優勝で予選を突破し、帝都で行われる本戦への切符をつかんだ。そして何だかんだあって、あの婚約は破棄されたはず──。

「安心なさい。結婚するのはアイーゼ・リリエスではありませんよ」

 くすり、と笑うように告げた学長の言葉に、思わず顔を上げる。……どうやら揶揄からかわれたらしい。

 すっと差し出された写真に、ああ、と思わずうなずく。

 もちろん見覚えがあった。最近、戦技大会に出場する選抜メンバーは、大なり小なり教官としてかかわっている。写真に写るくりいろの髪をした少女は確か、銃を使っていた……それこそほとんど指導など出来なかったメンバーの一人だ。

「彼女自身、結婚は望んでいたようです。貴族の結婚ではありますが恋愛結婚ですよ」

「はあ……。でも、結婚なら大会が終わってからでも──」

 言いかけて、学長の有無を言わせぬような笑顔に圧倒され、思わず察した。

 ……なるほど。恋愛できちやつた結婚ね。

 それはまあ、出場なんて出来っこないだろう。

「そこでユキトさんに、新たなメンバーを選出して頂きたいのです」

「俺に? なぜです? 適任ではないと思いますが」

 確かに、剣という分野であれば多少教えることは出来る。しゆくうけんについても、修練を積んできた自負がある。

 だがそれ以外で、俺に教えられることがあるとはあまり思えない。まして欠員となったメンバーを選ぶには力不足だろう。

 だが俺の心情を察してか、「けんそんですね」と学長は苦笑した。

「戦技大会予選で、学徒戦の全ての部門を我が校が制覇出来たのは、間違いなく貴方あなたの功績ですよ」

「……それは過大評価です」

「私はそうは思っていない、ということです」

 学長はみを机に置き、その視線を窓の外に向けた。窓の向こう側に広がる、晴れ渡った空に。

「間もなく長期休暇が始まります。長期休暇は本戦に向けて、最後の訓練期間になるでしょう。それまでにメンバーの選出を済ませてください。これは、本校学長としての正式な依頼です」

 そう言われても、これ以上手を広げれば自分の修行の時間も取れなくなる。ここは断るべきだろう。

「ちなみにボーナスも出ますよ。これくらい」

「喜んでやらせていただきます」

 そろばんの前に人は無力。これぞ世の真理なのだ。


   ◆ ◇ ◆


「ごめんね~、お昼休みに呼び出しちゃって」

 くりいろの髪をした少女が、弁当箱を開きながら、悪びれもせずに笑った。

 学長に呼ばれたその日の昼。学内に響き渡った全校放送で、俺とイリアの二人は生徒会室に呼び出されていた。

 そしてわざわざ俺たちを呼び出すために、全校放送なんて手を使ったこの少女はシェリー・レレイ。ヴィスキネル士官学院全生徒のトップともいえる生徒会長だ。

「……呼ぶなら普通に呼びに来てください。わざわざ放送なんて使わずに」

「だってこういう時じゃないと使わないしさぁ」

 それが理由じゃないでしょう、とイリアはシェリーをにらむ。

 戦技大会予選を過ぎた今、俺とイリアの二人は付き合ってるのではないか、を越えてむしろ公認カップルのように扱われつつあった。

 俺がはくしやくに推薦されて戦技大会で戦ったことが、なぜかそういううわさの元になっているらしい。……一体どこがどうなってそうなったんだ。

 そしてそんな話題の二人が、全校放送で呼び出される。校内がどよめくのも無理はない。

 ……そしてこの人は、そういうイタズラを喜々としてやる人なのだ。

「あ、でも用事があったのは本当だよ。ね?」

 生徒会書記のリリーさんがれてくれた茶をみながら、そのいかにも意味ありげな目線に、思わず「ああ」と納得した。

「……先生?」

 なぜか半眼で反応するイリアに、思わず肩を揺らす。おかしい。俺は今怒られるようなことをしただろうか。

「あはは、違うってイリアちゃん。さすがにユキト君をったりしないからさぁ」

「盗るって何ですか。先生はものではないですよ、会長」

「ふ~ん」

 ニヤニヤするシェリーと、静かに流すイリア、そして青筋を立てるレーヴ君──いや。

「そう言えば、レーヴ君がいないな」

「彼には今日は遠慮してもらいました。そっちのほうがいいと思って。ね、ユキト教官」

 シェリーの軽いウィンクに、はは、と軽く笑いを漏らす。

「実は、例の新メンバー選び、生徒会で補助することになったの」

「新メンバー選び?」

 首を傾げるイリアに、俺は学長から頼まれた依頼を説明する。

 学徒集団戦のメンバーが抜けたこと、そして新メンバーの選出を任されたこと。

「なるほど……それで、レーヴ君がいないんですね。彼は候補の一人ですから」

 確かに、この部屋には候補は居ない。

 イリアは既に総合部門予選に出場したから除外だし、シェリーはいわずもがな学術科の生徒で対象外、リリー書記は実力的に候補外だ。

「それで、どうやって選ぶんですか? まさかもう一度順位ランク戦を?」

 順位ランク戦というのは、正式には参考会と呼ばれる、学内で行われる模擬戦である。模擬戦といっても真剣で行われるし、魔術も飛び交う実戦さながらの戦い。闘技場のシステムを一時的に引っ張ってきており、その中でなければ行えない。

 この戦いの中で学内ランキングを決め、学徒戦の出場者が選出されている。

 ちなみに、この順位ランク戦には俺は参加したことがない。というか剣技教官が参加するのは普通に反則だろうし。俺は正式には生徒ではないし。

「さすがにそれはないかな。もう長期休暇は間近だし……」

「そうだね。それに、集団戦の場合は個人の力量もそうだけど、連携が大事だし」

 シェリーの言う通り、集団戦となれば、個人の力量より連携と戦略のほうが大事だ。これまで集団戦のメンバーは、時間の都合もあってほとんど何も手伝ってないが、これから本戦に向けて本格的に指導していく必要もあるだろう。

(新しいメンバー、か)

 まったく面倒なことを押しつけられたものだと、ユキトは深くため息をいた。


   ◆ ◇ ◆


 学院におけるユキトの立場は、色々な意味で複雑だ。

 一面では剣術の教官として、もう一面では学院の生徒でもある。ただし特別聴講生であって、本当の意味での生徒ではない。生徒の中で唯一私服ということもあって、色々な意味で目立つ。

 これがどれほどの特別扱いか。これがヴィスキネル士官学院でなければ、こんな事例はまずまかり通ることはなかっただろう。

 ──それゆえに。

 彼が力を証明した今も、少なからぬ反発が存在する。

「こんなことが許されると思うか?」

 そう問われて、ベイリー・グレンデマンは軽く頰を搔いた。

 いかにもやさおとこというふうていの茶髪の少年である。彼は学内──というか、四回生の中ではかなりの有名人だった。

 とにかく、モテる。外見が整っているのは言うまでもなく、それ以上に、彼のしんぜんとした立ち振る舞いが女生徒をきつけてやまない。流した浮名は数知れず……などと言われているが、ベイリー本人は浮名を流したつもりなどこれっぽっちもない。

 その上、四回生の中ではトップクラスの剣士でもある。……まあ、『不作の年』と呼ばれる四回生の中では、だが。

「許されるかって言われてもなぁ……」

みようもない平民が、歴史ある学院の剣術教官だぞ? あのダニエル教官を差し置いてだ」

 彼に詰め寄るのは、金髪の少年だ。それも、いわゆる高位貴族の家の出の。

「お前も名門の子息だろう! あんなぽっと出の──」

(ぽっと出だろうが何だろうが、腕は本物なんだからそれでいいじゃないか)

 はあ、とベイリーは深く息を吐く。

 ちなみにだが、彼とベイリーは別に友人でもなく、大した知り合いでもない。

 共通項がもしあるとしたら、同じ貴族ばつというだけだ。

 度重なる革新によってもたらされた急速な変化に置いていかれた、悲しき異物──ベイリーの抱く貴族派閥のイメージはそれだ。

(第一、コイツの本音は──)

「しかもあのオーランド伯爵に目をかけられているからと、イリア嬢に対してあんなにもれしく……!」

 これだからなぁ、と肩をすくめた。

 イリア・オーランドは、ヴィスキネル士官学院における偶像アイドルだった。学院一のであり、しかも常に凜として、そのうえ強い。さらには古都ヴィスキネルで絶大な権力を持つオーランド伯爵家の令嬢である。人気のまとにならないわけがない。

 ただその性格から、いわゆるたかの花として、本人に気づかれないように見守る者ばかりだった。

 そりゃあ、やっかみの一つや二つもあるというものだろう。

「とにかく! あんな教官を認めるわけにはいかんのだ」

「……で?」

 ぞうごんじみた愚痴を黙って聞いていたベイリーは、首を傾げた。

「それで俺に何を言いたいんだ? 言っておくけど、彼をクビに出来る権限が俺にあるわけないからな」

 こちとらただのしやくのただの子息である。

 これが例えばオーランド伯爵とかなら、まあ分からなくはないが。

「だが、生徒の署名が集まれば学院として無視することは──!」

「その署名、これまで何人が協力したんだい?」

 ベイリーの疑問に、貴族生徒は「うっ」とよどむ。

「どう考えたって集まるわけないだろ? 戦技大会予選の優勝枠を独占したのは、どう考えてもあの人のおかげだからね」

「そんなのはまやかしだ! あんなやつの協力がなくとも、ウチは優勝できていた!」

(何の根拠があって……)

 まあ確かに、集団戦のメンバーのうち、ユキトの指導を受けたのはベイリーともう一人ぐらいのものだ。だが、そのお陰で多少の実力がついたのは事実。予選突破にユキトの協力が必要なかった、などということはありえない。

 はっきりと断ろうとベイリーが口を開いた、その時。

 ぬるり、と彼らの頭上に影が差す。

 岩のような、あるいは熊のような巨体が、彼らを見下ろしていた。

「な、なんだお前」

「……すまんが、ベイリーに話がある」

「俺が話してるのが見えんのか……!?

 それに対する返答は、無言の目線。しかも頭一つは上から見下ろされ、その迫力に貴族の生徒が押されるように後ずさる。

「……グレンデマン。とにかく、よく考えろ。誰に付くのかをな!」

(いや、お前には付かねぇよ)

 などという胸中は口に出さず、ベイリーはひらひらと手を振る。

「……すまん、邪魔をしたか」

「いや、いいタイミングだった」

 にこりとベイリーは笑う。まさしくそれは花が咲くような、これが漫画なら後ろにでもってそうな笑顔である。

「で? どうした、ゴドル」

 ゴドル・ヴォルド。ベイリーと同じく四回生で、そして同じ集団戦のチームメンバー、頼れる盾役タンク。寡黙な男であるが、その実、もっとも純粋で心優しい男である。

「……ミサの代役についてだ」

「ミサの?」

 ミサというのは、集団戦の元チームメンバーであり、そしてつい最近、おさなじみとの結婚が決まった少女である。とにかく大恋愛の末のゴールインだったようで、本戦出場の栄誉をちゆうちよなく蹴って地元に帰っていった。

 いわゆるできちゃった婚というやつだが、相手の男子生徒に訊くに、どうも本人が狙っていた節がある。

 ベイリーたちにとっては困った話だが、その行動力たるや、まったくもって感心するほかない。

「……ユキト先生が、代役を選ぶらしい」

「へえ」

 それは面白い、とベイリーは顎に手を当てて笑みを浮かべる。

 集団戦メンバーの中でユキトと最も接点が多いのは、剣術クラスを専攻しているベイリーである。しかも真っ先に教えたのが剣の技術ではなく、盾の技術だったことには驚かされた。

 彼が新たなメンバーを選ぶとなれば、今後の訓練も彼が担当してくれるということになるだろう。

 ただ、問題は──

「ミリーのやつが問題を起こさなきゃいいんだが」

…………

 やや不安そうに呟いたベイリーに、ゴドルはただ沈黙を返した。彼もその光景をありありと想像してしまったのだろう。

 軽い冗談のつもりだったが、それが現実になってしまいそうで……そしてその場合、十中八九自分たちも巻き込まれるだろうと、ベイリーは口の端をひくつかせた。