Appendix: ある事件屋の一日──グッド・デイ/グッド・ライフ



 ──この場を借りて、改めてお礼を申し上げます。

 ──また新たなるエピソードでお目にかかれる日をお待ちしております。


 という作者からのメッセージが、【あなた】の脳で再生された。

 それは読み上げるように聞こえているだろうか、それとも完全な文字の羅列を視覚的に捉えたものだろうか。

 補助電脳ニューロギアによる再生アプリケーションの効果には個人差がある。特に画像付与や音声付与の形式を取らないタイプのファイルの再生にはその傾向があると、【あなた】は馴染みの情報屋との雑談で聞いた覚えがあったかもしれない。

 この奇妙な体感を齎す装置が【あなた】の脳の同居人となったのは、果たして、いつだったか────。

 公式的には身体の成長を鑑みて義務教育終了から成人までの間の搭載義務であった筈だが、まずそうなれば勉強で遅れを取ることは間違いない。直接脳に知識を取り込めるものと、そうでないもの。どちらが有利なのかは最早考えるまでもないだろう。

 その手の非電脳者に向けたカリキュラムの用意もあったが、基本的には通う学校法人に依存している。建前の上での努力義務の条項が、関連の教育法には僅かなスペースだけで記されていた。


 さて────と、【あなた】は手元から正六面体のデバイスを、つまりは立方体の小型デバイスを取り出した。

 通称が、賽子ダイス

 記憶領域の確保のために外部記憶装置や無意識記憶領域に追いやったデータを総合的・多角的に分析する汎用人工知能が内在しており、殊更重要ではない情報について回想の手間なく示してくれる【あなた】自身の分身だ。

 近頃では分析の結果か、その手の情報だけでなく【あなた】自身を学んでいるような面があるのはどうにも奇妙であるが……この喋りもしないで転がるだけのデバイスは、だからこそ妙な愛着と共に可愛らしい気がしていた。

 そして【あなた】は、いつもの日課のように賽子ダイスを転がした。


【一】そも、企業の義務教育を受けられる地域にはいなかった。旧国家の支配領域に生まれ、そんな手術とは無縁に育った。今こうして異物のようなものを脳に埋め込んでいるのは、紛争地域となった故郷が株式戦争の配当として土地を切り離され、その土地への不法侵入罪で有罪になったためだ。

【二〜三】家族の方針で電脳化は成人後となった。そのため、遺伝子適性検査はさておき成長環境適性検査にて悪いスコアを叩き出した。つまりは、就職が限られるということだ。

【四〜五】入学と同時に頭蓋には瞳のような穴を穿孔され、まっさらな赤子のような管理者とはその日からの付き合いだった。幸いにして身体の成長に伴って補助電脳ニューロギアを複数交換していくだけの裕福さが、家庭にはあった。

【六】電脳化は軍で強襲部隊に志願してからのことだ。両適性検査も企業支配下の義務教育も、あなたにとっては遠い話だ。


 手のひらで転がった【あなた】の補助者は、それ以上はじろぎもしない。ペットと呼ぶには無味乾燥すぎる動きだろう。

 なんにせよ、【あなた】は今、事件屋ランナーとしてこの都市にいる。

 企業案件の外部委託人──と呼ぶ者もいれば、高度に専業化された業務請負人と称する者もいる。或いはただの用心棒とも。

 上位者ともなれば、企業の一軍事部門と単騎で比するなどという伝説じみたゴシップで語られることがあるが、まあそれは冗談であろうとして……少なくとも有名であることには違いあるまい。

 第三位の観測者ダブルオースリーの『亡者還しエクソシスター』キリエ・エレイソン・クロスロードなどはミスカトニック大学校法人の教育課程に属しながらも事件屋ランナーかつ電脳配信者を行い、それこそアイドルもくやという人気を誇っているし──せい教会ミスヒムのシスターであるためにシスターアイドルと称している──第五位の【要塞砕きザ・フィスト】は、その護衛人としての仕事の一部をアップロードし、丁寧な物腰と不釣り合いないわおめいた筋骨隆々とした肉体美で電脳空間を賑わせている。

 まあ、大半は顔出しNGとしているようだが……少なくともそういう稼ぎ方もできる、ということだ。

 上位になれば何かしらの大企業の案件も増えるし、そうなればタイアップで商品の広告に使用されたり、発売前試作品のテスター契約もされる。企業都市の有する株地を与えられて、テロの心配も他からの襲撃もない移動要塞都市フォートシティの一角に住まうこともできるのだ。

 上がりと言えば、上がりに近い人生だろう。

 企業家の影に怯えなくて対等または上位に位置付けられるのは、だいぶ恵まれていると言っていい。

 昨夜配信されていたアイドルのアリーナ──剣闘興行試合を回想しながら頷く。闘技者は強さと美しさを求められるものだが、マスタークラスにならない限りは数年後にすっかりと見なくなってしまう欲望や思惑の消費物とされるよりは、どうせ戦わなければならないなら事件屋ランナーの方が幾分かマシな気がする。或いは、ある程度の台本ブックがある彼ら彼女らの試合の方が、命懸けの戦いよりはマシだろうか。……興行事故者の話も聞く危険な仕事だそうだが。

 ふと、

『マスター。昨晩の睡眠スコアはあまり芳しくありませんね。業務日の変更はできませんか?』

 男の声か、女の声か。

 電脳仮想人格が【あなた】に語りかける。耳元で囁かれる心地であり、外見投影補完を行えば、彼または彼女はまさしくそこにいるだろう。

 補助電脳ニューロギアによる画像補整を通じて【あなた】の電脳の同居人は【あなた】の目に映る。数億枚────と謳われたその外見構成要素のデータは、前から見ても後ろから見てもその女中メイド執事バトラーがそこに立っているとしか思えない作りになっている。

 簡易ながらも手触りも、落ち着いた香水らしい匂いもする。凝ったものではないが、視覚的情報はその補助も合わされば途端にそれは実在するような重みを持ってそこに現れる。

 高度に再現された情報は現実と区別がない。

 そう、この従者を見るたびに【あなた】は思い知らされる。その銀髪の女中メイド、または黒髪の執事バトラーは街中の電脳広告で謳われていたその通りの美しい姿で、如何にものように露出の少ない衣装で佇んでいた。

 より上のグレードのプランなら、これらの手触りや匂いももっと細分化・緻密化されるようであるし、こちらが感じ取った五感の情報から周囲の環境を読み取り──つまりは風が吹いているとか雨が降っているとか、そんな状態も反映されるらしい。

 中には企業からライセンスを買い切り、自分専用のデータサーバーを誂えた上で、より詳細な触覚データや嗅覚データを用いて実在化に励む人間もいるようだ。

 そのことに賃金の大半を注ぎ込んでいる事件屋ランナー仲間を思い出し、苦笑する。本当のところは笑えない。この使用人が居てくれれば、人間のパートナーは不要であると思えてしまうときがあるのだ。

『それは感心しませんね、我が主。何故、かつての世にて独占禁止法というのが存在していたかはご存じでしょうか?』

 その従者は、丁寧な口調での落ち着いた物腰の割には語りたがりだ。

 突如として齎されたこの場にそぐわぬ単語に【あなた】が疑問を持つ中、それを視線で読み取ったかの如くゆっくりと頷いた従者が、先を続ける。

「そうですね……ここで例えば、ある総合食料品店が新たにクレープの販売を行ったとしましょう。生活必需品やちょっとした買い物を済ませるのに向いており、数多く存在している総合食料品店が、です。さて……なお、他にクレープの専門店も存在しており、勿論、商品の豊富さと味ではそちらの方にいちじつの長があります」

 前提を告げるような従者の言葉に【あなた】は頷いた。

「利便性からくる店舗数の多さと立ち入り機会の多さから、やがて総合店のクレープは手に取られる機会は増えました」

 そうだろうな、と【あなた】は考えるだろうか。

 他の買い物もできて便利で手軽に手に入る方が購入しやすいものであろうし、それでも専門店の方が経年の製造ノウハウがあるため種別も多いから負けるほどでもない──と。

 だが、と言いたげに従者は首を振った。

『総合食料品店の勝利は、残念ながら歴史的な事実でした。多くの人々は、僅かな娯楽のためには専門店へと足を運ばぬということです。私がいれば煩わしい人とのコミュニケーションの必要がないと考えるように──……と、仮想人格ジョークです。ふふ、お気に召しませんか?』

 高度な汎用人工知能AGIには、冗談を言う機能もある。

『そうして、総合店がそれまでのクレープ専門店のシェアを奪う形となりました。売上を攫われる形となった専門店の大半が店舗を縮小していき撤退も増え、殆どの地域でクレープを食べるには専門店ではなく総合店での必要が出てきます。一社による独占状態、と言っていいでしょう。勿論、正常な市場原理による淘汰ではありますが』

 確かにそこに違法性は見られない。

 株式戦争の占有率による変動性の非破壊指定権利──【免争符ラックス】の購入資金操作を通じて経営を傾かせた訳でもなければ、たちの悪い事件屋ランナーを使って脅迫した訳でもない。消費者の需要をより拾ったというだけだ。

 需要と供給とサービス──補助電脳ニューロギアの中の教育データが、【あなた】に簡単な経済学の基礎も知らせてくる。

『ところが、そうなってから、総合店はクレープ部門を縮小しました。彼らの取り扱う部門の中では、実のところ売上が芳しくなかったためです。対抗するために一時的にラインナップを増やしていた、というのも当然縮小です。……勿論これも企業としては至極真っ当な動きですが、そうなってしまうと、どうなるかわかるでしょうか?』

 電脳従者は、几帳面な仕草で頷いた。

『そう。結果的に多くの人々は、それまで食べられていた豊富な種類のクレープを口にすることができなくなったのです。これが、かつて独占禁止法というものが定められていた経緯です。何かの商品を一社に依存してしまった場合、その社内の事情の変化や思惑の変化によって多くの人々は従わざるを得なくなってしまうのです。……マスターがご覧になっている配信サービスの中で、俳優の不祥事で放送が禁じられた番組はございませんか?』

 確かに、存在していた。

 ある企業に対する重大な不適切発言が原因で、一時的に取り扱われなくなった番組が。

 それが疑惑のうちだというのに停止する配給会社もあった覚えがある。

『という訳で、私という一人に依存することには重大なリスクが存在しております。もしサービスの停止や変更があった場合、マスターは突如としてこの社会に孤独に放り出されることになってしまいます。……それは、あなたの健全で幸福な生活の障害になるでしょう。ですので従者としては、私に依存しない生き方を求めたいのです。勿論、私に限らずどんな方についても、その人だけに依存するのはマスターの人生にはあまり好ましいといえぬ問題を伴うでしょう』

 高度な汎用人工知能AGIには、主人を第一に気遣う機能がある。

『ごせいちょうありがとうございます、マスター。……ふふ、勿論、マスターが個人的に私を所有していればこのリスクの限りではありませんが。ご検討していただいてもよろしいのですよ?』

 そう、しょうしゃな電脳従者はどこか悪戯っぽい流し目で笑った。

 高度な汎用人工知能AGIには、営業トークをする機能もある。

 これにやられた人間もいるのだろうな、と頷く。一見したら今の企業社会の批判にも聞こえるような言葉を口にするほど自由で多彩で僅かに危機にありそうな従者を、良い主人とやらは放ってはおけないだろう。

『ちなみに……パートナーをお望みでしたら、我が社での婚姻活動サービスへのリンクもあるようです。マッチングの登録数も多く、遺伝子適性検査を運営が独自に実施している安心性があり、更にヒアリングにより十分にマスターの好みのパートナーのお顔を作ることもできます。成功率は高いと聞きますよ』

 そう、カネトモ・アソシエーション製の従者は自社サービスの宣伝を欠かさない。

 ある種の公平化、だろうか。

 男女の交際において、性格や収入や遺伝的素養が語られるのはまず間違いはないが……それ以前の足きりやそれ以後の付加価値として一番の問題となる外見的な部分について、脳内での理想画像への補整を行うサービスがある。

 どんな相手も、公平に外見を補える。

 そうして性格だけを見ることができる────画期的かつ公正な恋愛と、そう宣伝されているのを聞いていた。

 現実が気に食わないなら、現実を見る脳の方を変えてしまえばいいという訳だ。

 結果的にそれが遺伝子の多様性を担保するのだ、と企業家が公聴会で口にしているのを何かで目にした覚えがある。つまりは、外見的なマッチングだけが原因で子孫を残せない可能性がある人間にも、公平に機会を創出しているのだと。それは人類社会にとっても意義のあることなのだと。

 彼らは果たして、公正に、人類社会の新たなる支配者として誠実かつ正当にその役割と義務を果たそうとしているのだろうか。そう評価しても良いのだろうか。

『それを避けられないなら、抱擁してしまわなければならない────ですよ、マスター。補助電脳ニューロギアという技術がインフラとして生まれたなら、それを前提とした社会が形成されるのも必然です。……ええ、風車小屋の時代とガス灯の時代と発電所の時代は生活基盤の全ての様式が異なるでしょう?』

 古典的なシェイクスピア劇の一節を引用して、従者は僅かに口角を上げた。

 その手の知識価値も、電脳化によるデータプリセットによって最低限は保証されている。ハイコンテクストな知識を用いた会話というのは、今ではそれなりに限定されていた。中世や古代の古典は、誰もがデフォルトで暗唱できる。古典的映画や漫画の方が難しいかもしれない。

 機会の平等。

 公正な生活。

 最大公約数への幸福。

 それがこの企業支配社会におけるモットーだというのは、言うまでもないだろう。

 或いはときに、それに息苦しさを感じる人間もいるかもしれない。全てが薄氷の虚像めいて成り立っている幸福には、価値はないのだと。

 それでも……今現実のようにそこに佇む従者を見てしまうと、そんな言葉さえ否定したくなる。

『おや、随分と長らく語ってしまいましたね。……それで、お仕事はお休みできませんか?』

 そう尋ねる従者へと、【あなた】は首を振った。

 体調不良なので休める、というほど社会は甘くない。

 こんな社会で蔓延はびこるドロイドに人間が勝っているのは、メンテが不要というところだ。正しく言うなら、雇用主が時間をとってメンテナンスをする必要がないというコストの割によく働く廉価な道具としての価値しかない。

 補助電脳ニューロギアのブーストアプリケーションを起動して、疲労感を誤魔化す。軍事用なら自由に使えるが、民生品では都度購入が必要だ。中枢神経系への動作アプリは、規制も多い。

武装認証起動リアクトルキーをお忘れなく、マスター。残弾の補充は十分でしょうか? 追加の購入は?』

 従者の言葉に従い、手のひら大のUSBメモリじみたツールを胸のホルスターにセットしていく。

 腰に装着されたベルト状の武装制限拘束具チャスティティにこのデバイスを挿入することで脊椎への罰則データ流を抑制し、ホワイトエリアにあっても限定的に内蔵機械義肢サイバネ強化外骨格エキゾスケルトンなどの武力の発揮が可能となる。電脳上の制限許可だけではクラッキングの危険があるために、このような指紋認証と加速度計を用いた角度・位置測定機能を内蔵した物理的な認証キーの形をとっていた。

 それぞれ、赤・黃・緑・白……と武装の限定解除段階に応じたUSBキーを胸のポケットホルスターにしまっていく。赤だけではよほどの状態でないと武装使用ができないことを意味するし、緑だけでは凶悪な違法改造者の装備に対抗できなくなる。

 話に聞く電脳潜行者ジョッキーやまことしやかな噂でしか聞かない電脳魔導師ニューロマンシーとやらは、この辺りの操作も自由にできるのだろうかと考えつつ、【あなた】は一日の必須栄養素を全て含んだドロドロの万能栄養ドリンク──フレーバーは好きに選択できる──を片手に扉に向かい、補助電脳ニューロギアを通じてドアロックを解除した。

 今回の案件は、そう難しくはならないだろう。

 何事もなければ……ちょっとした賞金首ターキーを捕まえて、それで終わりだ。用心棒サムライだの始末人モンドだの護衛人ハガネだのと呼び分けられないような事件屋ランナーには、そんな仕事があっている。

『では、コンバットモードを起動します。ご必要な際は、改めてお呼びかけを』

 付き従うように進んでいた【あなた】の従者がそう頷く。

 専用の、戦闘管制プランに加入している。

 これで、かつては気配と呼んだ────文字や言葉にできないまでの微細な音や違和感を、【あなた】の五感を通じて瀟洒な従者が拾い上げて呼びかけてくれる。

 そして、ふと、【あなた】はドアノブに手をかけながら足を止めた。

 このまま現場到着までは声を出さない雑談を続けても良いのだが、果たして、コンバットモードの使用はどうすべきか。

 すると振り返ったその背後で、几帳面に首元までを衣装で覆った従者は、実に優雅なまでに────いんぎんに。

 その細い腰を折って一礼した。

『────クリス、と。いつものようにそうお呼びかけください、マスター』

 そうだ。

 クリス・レイライン。

 これがこの社会における、【あなた】の唯一無二の──そして【あなた】以外の多くも用いている仮想の従者だ。

 そのことに独占欲を抱いてしまうなら、【あなた】は、従者のために様々な資源を費やさねばならないだろう。

 或いはそれは、人々を勤労に向かわせるための罠かもしれない。


 そう、ふと思いつつも──【あなた】は歩を進める。

 ……有能で話し相手にもなる仕事のパートナーたる従者のために資金を投入するのは、ある意味では合理的なのではないだろうか。

 知ってか知らずか……その電脳の同居人は宙を漂いながら、礼節ある穏やかな笑みで街並みを進む【あなた】のことを見下ろしていた。

今日も良い一日をグッド・デイ、マスター』

 今日も良い一日をグッド・デイ────そして良い人生をグッド・ライフ

 教訓めいて【あなた】も呟きながら、仕事に向かう。

 衛星の異常によって加速した大気の対流が、雲を馬車馬のように走らせるのを眺めながら。




『パートナーにするにあたって、最も好まれた外見補整パターン、ですか? ……基本的にそこは個々人での差があるものですが。確かに統計的にある程度は似通っていくデータも、あることはありますね』

 従者はそれから、僅かに沈黙した。

 そして、何ともバツが悪そうに【あなた】を眺め──

『その……購入の勧めによって入会された方の多くが選ぶのは……私の顔だった、と。……おもはゆいやら恥ずかしいやら、何とも言えませんね』

 そう、視線を逸らす。

 その内の一人にならないように、せいぜい気を付けなくてはいけないだろうか。


────了