黒髪の少女は鼻歌を歌いながら、手摺りに
アカネ・アンリエッタ・西郷。
「アカネ、そろそろ日が沈むよ。戻りなさい?」
「でも……もう少し見ていたいわ、父様。だってこんなにも綺麗なのよ?」
そう
夕焼けという言葉の通りにまるで
海風が頬を撫で、黒髪を揺らす。
いつぶりだろうか──静かに全身で喜びを表現する愛娘を眺めたジェレミー・西郷は、小さな吐息と共に同じように手摺りに身を預けた。
「ねえ、父様」
「何かな、アカネ」
「探偵さんに、お礼を言わなくっちゃ。だって──……またこんなに素敵なものを、見られたんですもの」
「……」
娘の笑顔に、それだけ、ジェレミー・西郷の胸は痛くなった。
今までの彼はこの街に来てから、それだけ、娘の笑顔の機会を奪っていたのだから。
「もう。……駄目よ、父様。すぐそんなふうに悩むのは良くないわ。天国の母様に叱られてしまうわよ」
「はは、そうだったね。うん……そうだ」
自罰に向かいがちな思考を打ち切る。
あの──事件の後、アリシアから一つ言われていた。
『言っておくけど……どう責任を取りたいのかは勝手だけど、お父さんが娘さんから離れるのだけはやめなさいよ。すごく傷付くのよ、それ』
何か自分の経験のように語る彼女は──口を尖らせながら、告げた。
『あなたと娘さんについて……そうね。あたしでも治せないけど、多少のやり方はある。要するに、その武器で人を襲わなければいいんでしょ? だから──二つ条件付けしたプログラムを仕込むわ。一つ、例の発作が起きたとき。もう一つ、その装備を付けたとき。その条件二つが重なったときに、その娘を電脳的に別の空間に接続するようにしてあげる。本当は眠らせたいけど──……暴れなきゃ気が済まないかもしれないから、一応』
そうして彼女は、古城の設備を使用しながら二日ほど何かプログラムを組んでいた。
仔リスのように食料を頬張り、作業を続けること四十時間強。
やがて小さな過半記憶媒体を差し出したアリシアは、溜め息と共に言った。
『適当に
『ゲーム?』
『刺激信号をフィルターにかけない特製のヤツ。高度に発展したゲームは、現実とそう変わらないわ。オンラインに繋いでおけば、細かいグラフィックは勝手に収集して改善するようにしておいたから。……言っとくけど、サーバー代ぐらいは自分で払いなさいよ? あと、個人での使用はともかく公開したら違法になるから絶対に外に出さないこと』
やれやれ──と肩を竦める彼女は、まさしく物語に出てくる魔法使いのようであった。
そのおかげで、今は、アカネが人を襲う心配をしなくていい。代わりに突如として睡眠に落ちるようにゲーム世界に旅立つようになってしまったが──……それは今までの心配に比べれば、随分と可愛らしいものだった。
……いや、一つ、困った問題がある。
それは、娘が、随分なゲーム批評家になってしまったことだ。
発作のときだけ、衝動の代替として架空の斬撃と架空の人間が居ればいいだけのものであった筈のそのゲームを──……なんと困ったことに、起きている間もプレイするようになってしまったのだ。
その結果、もっと歯応えがある戦闘がしたいとかストーリーが欲しいとか仲間キャラクターが欲しいとか音楽が欲しいとか────ただ物語なく暴れ回るだけだった筈のその無機質な世界は、今や娘の望みをおもちゃ箱のようにちりばめた空間になってきていた。
そして、そうなると元々が凝り性だったジェレミー・西郷にも火がついた。
自分がデザインしたモンスターやオブジェクトを活かしてみようとか、妻がかつて作った衣装をゲームに使ってみたいとか、どうせなら示唆に富むストーリーを入れようとか、教育にも役立つ仕掛けを入れてみようとか──……とにかく色々だ。
すっかり画家ではなくゲームディレクターになっている。
ジェレミー・西郷の今目下の悩みは、娘が旅のお供を欲しがっていることだ。それも男性が二名。細かく聞き取ってラフを描き上げたそのキャラクターたちは、どこか柳生兵衛とアリシアに似ていた。おまけにその両名がどちらもアカネに対して好意を向けて争うようなラブロマンスがいいと言われたので……父親として本当に悩んでいる。
まあ──……海上フロートの、管理足場を夕風が吹き抜ける。
今までの深刻な悩みが随分と
「……父様」
「何かな?」
「ずっと……ごめんなさい。父様の迷惑になってしまって、ごめんなさい」
「アカネ……」
ぽつりと漏らした彼女を、ジェレミー・西郷は強く抱き締めていた。
落ち着けるように背中を叩きつつ──そこにある補助機械義肢の感触に苦笑しつつ、彼は穏やかに語りかけた。
「昔、私のお
「父様の……お祖父様?」
「ああ。だけれども私は悲しくなかった。何故だか分かるかい?」
父の問いかけに、アカネは首を振った。
「どうして、父様」
「それはね。お祖父さんが嬉しそうに話していたから。孫と登山に行った、と。綺麗な山だったと。すごく嬉しそうに。何度も何度も、色んなことを忘れても言うんだ。楽しかったって。綺麗だったって。子供の私との思い出を、本当に嬉しそうに喋っていたんだよ」
「……」
「あの人の中にもう、今の私はいないのかもしれない。だけれども──そうなっても心の中に焼き付くくらいに、昔の私との思い出を大切にしてくれていたんだ。私は、それがたまらなく嬉しくてね。私を忘れても嬉しそうなのが嬉しかった。それで──記憶を頼りにその時の山を描き始めたのが、きっと私にとっての画家としての始まりだったんだ」
膝を折ったジェレミー・西郷は、陽光に横顔を染める娘と目線を合わせて頷いた。
「アカネもそうだ。君がああなっても、父さんと母さんとの思い出の中にいてくれたことが嬉しかったんだ。他のどこでもなく、私たちのところに。それが、本当に嬉しかったんだよ。だから──迷惑なんてことはない。私がアカネを迷惑に思うわけがないだろう?」
「父様……!」
頬に涙を伝わせた黒髪の少女が、夕日の中で父を抱き返す。
そのまま二人は、強く抱き締め合っていた。
ああ──きっと、それは何かのホームドラマのように感動的な光景だろう。
「父様……その、お願いがあって……」
「おや、私のお姫様は随分と現金なことを言うようになったんだね。それで、なんだい? 今、新しい衣装については──」
「えっと……登場人物の……方で……」
「……ああ」
金髪の方だろうか。白髪の方だろうか。
娘は、こう、精力的だった。
乏しい海上フロートのオンライン回線を使いながら娘が古典的アニメーションサービスや立体映像的アニメーションサービスや仮想体験的女性向けシミュレーションゲームサービスに接続しているのを目の当たりにしてしまった。それらのキャラクターをモチーフにして、彼女自身を登場させる小説のようなものを日記に書き始めていた。拙いが熱意はすごくあった。時々それを読み返しては、ベッドの上でバタバタと転げながらも枕に顔をうずめていた。なんだかすごく複雑な気持ちだった。
「その……きっと、お外の方だと思うのだけど……朝、船でこちらに来るのを見て──」
そう、短距離通信で視覚画像が投影される。
フードを目深に被った長身の男性。
僅かに覗いた口元からは、確かに彼が整った目鼻立ちをしているというのは分かる。でも、それだけだ。不審者の一種にしか見えないが……
「わっ、わたしには判るわ! きっとこの方は少し乱暴そうで危険そうで強引な方なのだけれど、きっと情が強い方で心の中には昔の淡い恋心を大切にしまっている方なの! 何をするにもふと今の自分の隣にその方がいないことを苦々しく思ってしまって──それを忘れるために危険なことや悪いことに手を出すんだけど、心の中ではそれを楽しんでいない方なの。本当は心優しい方なのよ。だから思い出の品なんかを大切にしているわ」
「…………」
「その危険な香りに引かれて色々な女性からも彼はアプローチされているんだけど、軽々しくそんな方たちに応じながらも彼はきっと全く心を許していないし、そうして振舞っている自分自身にもそんな自分を良いという人にも彼はきっと嫌な気持ちを覚えてる。それで……それでね、父様? 聞いている、父様?」
なんで身長と口元しか分からないのにそんなに設定を考えられるの。
父様にそこからどうしろというの。まさか描けというの。
二次元に娘の姿を幾枚も幾枚も描き留めたが、別に二次元に旅立ってほしかった訳ではないのだ。このままだとこの娘は違う意味で帰ってこないかもしれない。たすけて。
◇ ◆ ◇
それは、構造だけなら古式ゆかしい西洋城であった。
「どうすんだよ、オレたち。ジェイスはどっかいっちまうし……」
とは言っても、詰める人間までそうであるとは限らない。陽気な声が木霊する。
顔を見合わせるのは、髪を赤・青・黄に染めた青年たちだ。ネオマイハマ
「カントクもいねえし……マジでどうすんの?」
「オレに聞くなよ。知らねえよ……」
ネオマイハマの中心に位置する古城の中で、彼らは顔を見合わせる。
アリシアによって壊滅的な被害を受けたわけではない。脱法二次元電子ドラッグの再生産が行われなくなってしまっただけで、廃棄品処理などのビジネスは残っている。そういう意味で致命的に内部経済は崩壊せず、中の人間は今後も営みを続けていくだろう。
企業勢力によって取締を受けない限りはこの解放特区が失われることもないだろうし、企業も特に彼らに対して大きく注意を払っている訳ではない。海上に孤立したスラムなど、躍起になって清浄化作戦を取るほどのものでもないと考えられているのだろう。
とはいっても、音頭を取るジェイス・D・ガスの不在。
外とのパイプを持つが故に彼が元締めらしい立場を得ていたことを考えるなら、彼ら三人は今危機的立場にあると言ってもよかった。
「あの画家さんに頼んだらいいんじゃねーの? あの人、結局ここに住んでんだろ? ならさ、協力するっしょ」
「そう上手くいくかよ……」
「言うだけならタダだって。
そう、青髪の青年が軽々しく手のひらを晒した。
赤髪の青年はしばし口を噤んで、それから吐息を漏らした。
サイモン・ジェレミー・西郷は、あれから二次元マトリクス・コードの生産を取りやめた。その代わりにまた何かの絵を使って電脳制御を考えているらしい。それ以外にも、娘と二人新しい作品に取り掛かってもいた。
ここに住むなら、食い扶持がいる。食料品も手に入れなくてはならない。
つまりジェレミー・西郷も協力を頼まれれば断れない筈だ。何なら、その娘を人質に使ってもいい。人質どころか、別の使いみちもあるだろう。
箱入りのように、上流階級めいた立ち振る舞いを見せる少女。今まで彼が出会った中には居ないし、この街の女にもそんなのは居ない。そう思えば──……一度、味わってみたくなった。男としてのある種のコレクター欲でもあり、単純にそそられるという面もある。
なら、それもいいかと頷いて、
「──よぉ、中々洒落た趣向だね。
何を、と問い返す暇もない。
赤髪の青年の顔の横を、突風が吹き抜けた。
「……おや、違ったかい?」
眼前には、突如として現れたフード姿の長身。
顔の真横に突き出されている彫刻の如きしなやかで雄々しい左腕。
同時、耳の後ろで凄まじく耳障りな音が上がる。人間が、人体が、頭蓋が、コンクリートと挟まれて
稲妻めいた直突が、隣に立っていた筈の青色髪の仲間の顔面を打ち抜いていた。
「……へ?」
「オーケー、オーケー。大丈夫さ。わかってる」
眼前に立つ漆黒ロングコートの侵入者。
そのまま、耳元で囁くような妖しい声の青年が──拳を引き戻しながら肩を竦めた。
「ブザーはお前さんかな。それとも、そっちか。十数えりゃいいかい? それとも十発叩きゃいいかい? 他のやり方がお好みかね?
彼は、絶句した。
音もなく部屋に侵入されたからではない。
あまりにも気軽に振るわれた暴と気安げな声の緩急に恐れ
それも恐ろしいが、違う。
風を伴うほどの体術のその動きに
「────!?」
その頭上で、ぴこぴこと動く獣の耳。狼の耳。
狼耳が、野性的な笑みを浮かべる黒髪の美丈夫の頭の上に鎮座していた。
愛玩男娼上がりか────それとも極まった
いや、彼が言葉を失してしまったのはそこではない。獣耳、それだけが理由ではない。
黒髪の
「なん……なんで!? なんでバニースーツ!?」
筋骨隆々とした獣めいてしなやかな成人男性の肌に食い込むバニースーツ=意味不明。
濃茶色の薄手のボディスーツの真上に纏っているのはどこからどう見ても光沢あるバニースーツであり──いや、バニースーツというには些かカスタムが強い。チャイナドレスめいた長い前垂れがそのデリケートゾーンを隠し、更には分厚い胸板が収まりきらないためかスーツの上側は短く切り落とされて胸を丸出しにするセクシーコルセットめいている=意味不明。
おまけに、一点。その肩当てから垂れた長い御札が──何事かの文様が記された白い御札が
狼耳とバニースーツ=意味不明。
意味不明、意味不明、意味不明────……。
全身が意味不明で包まれている獣耳のバニー暗殺者成人男性。そんな強烈な情報の洪水に現実感を奪われ、目の当たりにした暴力にその身を震わせ、赤髪は思わず腰を抜かして失禁してしまっていた。
そして、睫毛が長く妖しく整った顔の青年が眉を上げる。
「ん? この服は性的強者の象徴って知らねえのかい? いけないねえ、勉強しなくちゃ」
「ひぃぃぃぃい……」
間違った知識だ。トラディショナル・アダルト・ビテオレコードにも長じている赤髪の青年は古典的に詳しかった。
今では淫紋はセックス強者を表すタトゥーとして刻まれており(ジェイスもそうしていた)(やめてほしい)(何度言っても聞かなかった)、太ももに正の字を記すことは女性に対する侮蔑的な表現と共に男性であればそれだけ射精が可能な精力絶倫とする表現だ──という奇妙なスラングにもなってしまっていた。でも違う。間違っているのだ。この乳暖簾バニースーツも誤りなのだ。
いや、バニースーツまでは百歩譲って理解できたとしても、そのカスタムの仕方は完全に意味不明の領域だ。
「ひぃぃぃ……」
とは言っても、指摘できるかは別だった。
ゆら……と動く流れるようでいて無駄がない黒髪人狼青年の挙動には、明らかなる強者の雰囲気が滲み出ていた。
素手のまま人体を損壊せしめる暴力装置。
サイバネ改造か生体改造か──いずれにせよ赤髪の彼にとって眼の前の青年が、紛れもなくそのバニー人狼青年が、捕食者であることには違いない。
そして太腿から腰骨までを露わにする際どいスリットの前垂れが揺れて、────ダンッと。ボディスーツに包まれた長い足が、壁と身体で挟み込むように尻餅をついた赤髪の青年の顔の真横に突き立てられた。
「さて。……ま、チャッチャと話して貰いたいね。ここは、色々と外の世界に出せないようなものも回ってくるんだろう? なあ、違うかい?」
「で、電子ドラッグ、を……?」
それならば西郷父娘をすぐに差し出そうと思った彼の希望は、裏切られた。
「おい。
魔性的に美しい麗顔の少年がそのまま青年に育ったような──人を惑わす妖しげな微笑。しかしそれが、瞬く間にゾッとするほど野性的な色を帯びる。
そう思う途端に、赤髪の青年の眼の前には天井の壁が迫っていた。
「────」
何を、と言う暇もない。
ドラッグの効果を疑うまでもない。
全身にのしかかる強烈な重力の揺り戻しが来ると同時に認識する。これは──……本当にただ、天井間際まで連れてこられたのだ。
狼耳の青年が、壁を垂直に走って。一直線に。
足が、頼りなく揺れる。通常の建物なら三階や四階に相当するであろう高く抜ける古城の天井近くに、首を掴まれて吊るされている。二人まとめて。
「探し物だよ。ちょっとした鍵を探してる。……電脳怪盗クリュセイオンって名前ぐらいは聞いたことあるだろう? なあ。色々と踏んじゃいけない尾を踏んで消えちまった奴のことだ。ニュースにもなってたろう?」
「え、あ……ええと……」
「ここを立ち上げた奴が、随分昔にそいつからネタを買ったって聞いてるんだよ。交渉のためのな。その取引記録があるだろう? で、案内人はどっちに頼めばいい?」
「な、あ、なんで……」
「なんで────なんでそのことを知ってるのか? それとも、なんで己れが来たのか? ああ……なんで一人しか案内人にさせてもらえないのか、かい?」
どんな体幹性能か──真横に伸びる棒じみて壁を足場に立ちながら、彼らを宙吊りにする人狼青年の赤い瞳が、妖しく揺らぐ。
「んーそうだね、小間使いクン。お前さん、高級バーガーショップを
親しげに。
だからこそ、どこまでも残酷に。
この青年は、本気だ。息を吸うよりも簡単に人を殺す──そういう手合いだった。
「オッ、オレが案内する! 案内します!」
「うん?」
そして赤髪の彼を置き去りに、黄色く髪を染めた仲間が我先に叫んだ。
出遅れた。
終わりだ。
そう、呆然と思う中──
「おいおい、いけないな。友人を見捨てちゃ。そいつァ褒められないよ、お兄サン」
困ったように人狼青年は笑い──そして、容赦なく手を離した。二人同時に。
問い返す間もない。
一瞬の浮遊感に遅れて、視線の先の壁が上へと過ぎていく。耳元で風が鳴る。身も凍らせる落下の風だ。
そして──グイ、と首を起点に強烈な衝撃が赤髪の青年の全身に走った。同時、真横で盛大な音が鳴った。
黄色髪の青年が、古城の床に拉げている。足が折れて。頭も割れて。痙攣して。人形みたいに手足をおかしな方に投げ出して、床に崩れていた。
赤髪の彼は──幸いにもその爪先が床に接触するその手前で、背後から首を掴み止められていた。いつの間に、どうやってか、回り込んだ人狼青年によって。
「よかったね、お兄サン。アンタは幸運だよ」
ニィと、顔を近付けて人懐っこい笑みを浮かべる黒髪の青年。
汚れを払うように尻を叩かれ、身なりを整えられた。
そのまま、気付けをさせるように両肩を叩かれる。
「
実に親しげに肩を組んで顔を寄せて、黒い狼耳の青年が笑う。
「……え、」
それが、恐ろしい。
決断の速度が違う。判断の猶予が違う。感情の変転が違う。展開が何もかも急すぎる。
ぶつかる肩と手のひらの下には、
容赦のない暴と、親しげな顔。
次の動きが予測できず、何が起きるか判らない。移り変わるその態度は爆弾にも似ている。機嫌を損ねたらどうなるか判らない、ではない。何が理由になるかも判らないのだ。天災じみたどうしようもない理不尽の化身が、すぐ隣にいるのだ。
「ああ、己れは
手のひらを立てて人懐っこげに目を細めて謝罪を表す彼は、到底先ほどまでのような暴力を行うふうには見えず──……ああ、これは、何なのだろう。
「さあさ、時間もない。パッパといこう、な?」
そのまま、肩を抱かれて廊下に歩み出す。
何も判らないが──確かなのは、少なくともこの短時間で二人が死に、そして対応を何か間違えれば彼もすぐさまそうなりかねないということだけだった。