【対機・新陰流】[名詞]Anti-machinery ShinKage-Style

 少なくともその源流は新陰流という剣術であった、と記録される。

 武術の欠点は、その習熟に時間がかかりすぎるという点と、如何に磨いても人知を超えた速さで飛来する弾丸にはなすすべがないという点だ。しかしながらサイバネ技術の発達と補助電脳ニューロギアによる人体制御が成り立つ現代において、それらは欠点たり得なかった。

 電脳にて行われる身体制御プログラム──という形での技術の伝達。そして、銃器が絶対的な優位を保てなくなった状況においては、近接戦闘技術に一定の利が生まれた。

 やがてそれらの隆盛により必要とされていくインファイト技術の中で、特に、対サイバネティックスを念頭に置いた武術は頂点に近い位置づけとなる。

 対機・新陰流というのもその一つだった。

 拳銃を取り出すよりも早く掴みかかり、或いは弾丸をも叩き落とす。そんな絶対的なサイバネ強者に対して、彼らの天敵となるべく作られた剣術。しかし悲しきかな──そんな技は、生身の人間が扱うよりも、サイボーグが扱えばこそより強力なものとなる。

 対サイバネティックスを掲げた剣術は、今や、そのサイバネティック技術と文化の中に取り込まれた。

 それは寛容なのだろうか。それとも、変容なのだろうか。


「人の様々のわざ、きどく、皆、しんのわざなれば、又、天地あめつちにも此心このしんあり。しかして、機械からくりをや」



  ◇ ◆ ◇  Goetia Shock  ◇ ◆ ◇



 銃器が必ずしも優位を保てなくなったことには──二つ、理由がある。

 一点目。そも、人間が銃器に対抗し得ないのは筋肉の性能ではなく生体電流の限界速度の性能によるものであるということだ。筋肉自体の通電からの反応時間は、二百五十分の一秒。これは約十五メートルの距離から四十四マグナム弾を発射されても回避可能である、という時間だ。そして弾丸そのものに対してではなく、射撃の前兆挙動に対してであればこの距離はより縮まっていくであろう。ならば神経伝達速度だけでも改善すれば、人は弾丸への対処が可能ということだ。

 この伝達速度の加速を、補助電脳ニューロギアやそれに類する成長型ファイバー素子が為した。

 そして、二点目。

 そも銃器の絶対的に優位な殺傷距離というのは酷く限られてしまうということだ。

 例えば、銃器をホルスター等にしまっていた場合、おおよそ七メートルの距離まではナイフ等の刃物の方が殺傷に対して優位であるとする研究結果が存在している。

 拳銃の到達飛距離とは別に、概ね常人が狙って当てることのできる有効な距離というのは実のところそう遠くはなく──概ね十メートルか──この距離の限界から刃物が優位である距離を差し引いてしまうと、それは極めて限定的な長さとなってしまう。

 つまり、拳銃に対して身を凍らせたり竦ませたりするような隙を考えなければ──それらの感情を眠らせてしまって行動できるのであれば、銃は必ずしも優位ではない。

 更に、地下要塞や移動要塞なども含めて、より近代化・複雑化・密閉化していく市街地の中で多発した不意の遭遇戦。そうなった際には必然的にクロスレンジでの戦闘となる。

 そんな様々な要因から──銃火器以外の近接武器に対する運用術というのは、どれだけ文明が進んでも失われることはなかった。

 サイバネ装備による近接白兵戦闘距離クロスコンバットレンジの増大。

 銃火器よりも容易に入手が可能な自衛兵装の拡大。

 補助電脳ニューロギアや強化神経線維による反射能力の拡張。

 それらの複合によって、近距離戦闘技術の習熟が求められ──そしてある近距離戦闘技術が生まれれば、それに対抗するための技術もまた求められる。

 機械化される人体と電脳空間が拡張したこの現代において、武術というのは、だからこそ強く存続している。

 磁圧・すんけいせきしょうとうろうけん、超電フライホイール・さいふつ、サイバー・アイキ、プラズマ・デストレッツァ、鋼線オークフェンシング、触手居合術──……。

 絶やされることなく。人類という獣が持つ、営みの一つとして。


◇ ◆ ◇


 少なくとも────それを判断してからの兵衛は、素早かった。

 落下よりも駆け下りたほうが速い

 飛び降りる直前に足場の床を蹴り付けた反動でどれだけ勢いを付けようとも、この高さであれば落下速度は空気抵抗によって概ね一定の速度に落ち着いてしまう。兵衛にとってそれは、己の生む速度よりも遅すぎるものだった。

 ならば────と、己の立つ足場の風吹き抜ける廊下の先、睨むは扉。巨大な海上フロートを支える脚塔内部に作られたメンテナンス階段に繋がる扉。

 そのまま、笑った。

 さび色に満ちた鋼鉄の骨組みとも言える足場に風が吹く。黒色の風が。

 いや、風と言うよりは流れる水だ。斬撃という弧を描いた銀風を纏った水だった。それが、ところどころ塗装が剥げて剥き出しになった足場を流れる。よどみなく。

 火花が散る。弧の火花が散る。奔る。

 無事に着地を済ませるであろうアリシアへの範囲攻撃として鋼鉄の足場を断ち落とすままに、そんな宙の破片を足場代わりに駆け流れ──彼の身体はその扉へと駆け込んだ。

 そして、獰猛な笑みを一つ。

 瞬間、幾度とピンボールめいて跳ねる疾風。脚塔内部に幾重にも折りたたまれたメンテナンス階段が、その壁が、砕け散る。空気抵抗による減速が発揮されないほどの短距離跳躍の連続で、柳生兵衛はフロート最下層──────かつての大戦で使われるべく増設されたきょうとうの、その上にうず高く積もったジャンクヤードへと降り立った。

 錆色の、鋼鉄の墓場。

 折り重なった鉄と塵と屑の大地。今やそれは、頭上の巨大なフロートに陰って月明かりも届かない暗黒と化している。

 それでも、遠くに望む影絵の中で窓明かりを照らした街並みや、遠景に不知火しらぬいめいた舟明かりを並べた海や、それらの真上に広がる空とは黒の色が違った。闇の色が違った。黒や闇にも、色の違いがあった。潮の匂いと重金属が入り混じった空気は、仄かに廃棄場のジャンク品の足場よりも薄く明るかった。

「あの辺りかね」

 その時、丁度────彼に遅れて、切り刻まれた足場が、質量弾の如く空から廃棄場の鉄屑の上に降り注いでいた。つまりは、アリシアもその辺りに落ちたということだ。

 さて、と。一度は腰に収めた刀を抜こうとするか。そんな途端だった。

 突如感じた背後からの気配。

 鞘の撃発スイッチ。抜刀。腰を捻って振り向きつつ──反射的に迫るそれを叩き落としながら、兵衛の金の目が僅かに見開かれる。

 今まさにその両腕を刀によって──しかしそれより遥かに以前に頭部を失っていた無残な裸体を晒すガイノイドが、兵衛に掴みかかろうとしていたのだ。見れば他にも、そのようなものばかりだった。廃棄品の山という山から、部品を奪われた人型機械やひしゃげたドローンたちが音を立てて立ち上がる。

 機械の怨霊か。現代社会への怨念か。

 さながら、軍勢だ。死したる機械の軍勢だ。

 崩れかけの死骸じみた自動人形たちが、墓場から蘇っているのだ。

「んふっ、ふふふふっ、はははははははっ! 死んだ機械すらも操るかよ、電脳魔導師ニューロマンシー! 死霊術師ネクロマンサーもさながらだな!」

 うんの如く訪れるドロイドの死体たちを前に、柳生兵衛は髪をも逆立てんばかりの歓喜の笑みを浮かべる。

 その手に握るは白刃。

 足場は海上に踊る船よりも頼りない瓦礫の足場。

 そんな彼に目掛けて、機械の死霊の行軍マーチは開始された。


◇ ◆ ◇


 この都市の最下層は、戦時中に作られた橋頭堡を元にしている。

 かつて廃棄された兵器や足場や陣地の上に都市上層の廃棄品が堆積し、企業都市から送られる廃棄品の中でも特に使い物にならない道具ばかりの行き着く果て。電源も抜き取られたドロイドや、どうしようもない食べ残し。不要になったオブジェすらも捨てられた──見捨てられた海上都市の、更に見捨てられたジャンクの行き着く先だ。

 それでも、日中に最下層の調査に出していたドローンによってこの場の地の利はアリシアにある。果てのその先がすぐに海となっている六角形の足場。幾年にも渡って堆積した錆色の鉄屑の足場の全景や全容を、概ね把握を済ませていた。



 着地姿勢プログラムは、仕事を果たした。少なくともそれに誤りはないと、握り潰された片腕に圧迫止血を行いながら、アリシアは決意する。

(あたしの仕事は……依頼人に今回の件を報告すること……あの男は、それを握り潰そうとしている……だから──だからあたしが探偵を名乗るなら、避けては通れない戦い)

 何故だとか、どうしてだとか考えるのは止めだ。嘆くのも止めだ。

 真実を覆い隠そうとしているものが居るなら──それが暴力であれ、隠蔽工作であれ──そんな相手がそこにいるなら、それと対峙することは他ならぬ探偵としての役目だ。

 そう、強く決意する。

 柳生兵衛こそがこの事件の──実体を持った最強の謎なのだと。

(仕掛けは済ませた……細工は流々、あとは仕上げを御覧じろってところね)

 この暗闇において──柳生兵衛がアリシアを探るのは、アリシアが彼を探るよりも難しい。電脳で接続した機械の赤外線カメラで彼を捕捉しつつ、アリシアはそう頷く。

 あの怪物めいた身体能力と、未だに振るわれない対機・新陰流のわざ

 アリシアと兵衛の差は大きく──その中で、順当なる勝ち筋は、一つだ。

 そのためには物量作戦にて生身である柳生兵衛を疲弊させ、ドロイドの群れにて彼を取り押さえる。それしかないと、アリシアは思考し────……そしてそれは中断された。

(……炎?)

 初めは見間違いであるかと、思った。

 闇の中に、鬼火が、灯っていた。鬼火が踊っていた。暗黒の鋼鉄の墓場の山が、炎に彩られていた。阿鼻叫喚地獄の炎もさながらに、彼が歩んだその道には燃え上がるドロイドの残骸が残されている。

 馬鹿な、と思った。

 アリシアの放つ仮想量子線ストレイラインに吊られた無数の自動人形たちが、炎上する。彼が死人めいたドロイドを切るたびに炎が吹き出す。ドロイドの内から。伝奇映画めいて、その剣は機械の死者を内部から燃え上がらせるのだ。

 高周波刃の摩擦を利用したのか。

 あまりにも現実離れした光景だった。身の内から火を出した機械たちが、その死骸が、膝を突く。その一撃で次々にとどめを刺されていく。多少の斬撃ならば物ともせずに戦闘を続けられる筈の死者の軍勢が、暗闇に咲く一閃で、火を噴き出しながら沈黙していく。

 何より──その炎の死骸たちは、それ以上アリシアの操作を受け付けなかった。

 サイバネ殺し。

 ただ頑健で強靭なるサイバネを斬るための剣技ではない。わざとは、一つの動作に二つ以上の意味を持たせ、その意味を続けて紡いでいくからこそのわざである。故に文字通り、彼の剣は何の比喩でもなくサイバネを殺すのだ。

 対機・新陰流──────先ほどアリシアには用いられなかったその技が、このガラクタの山で、何一つ惜しみなく振るわれていた。

 アリシアが地の利を得、その技能を存分に用いるのと同様──。

 ここからが、柳生兵衛の本領発揮であった。

 剣鬼が、牙を剥く。

 この調査のすべてを、此処の墓場と共に葬るために。


 ──同時刻。

 草木も眠るうしつ時に、荘厳なる大図書館の内に腰を下ろした暗黒童話的な少女が、その手にした本の背表紙を撫でる。

 星の図書館に収集した人間の経験の一冊。

 新たに手にしたそれがアリシアへと手渡されることはなかったが、しかし、カレンはゆっくりとページをめくる=合わせて電脳で再生される映像。

 その小さな唇が、言葉を紡ぐ。

『対機・新陰流の技は、斬鉄を前提とする。その上で牽制の技でさえ、サイボーグに対しては必殺となる……ね。それはすべて、剣を、回路として扱う

 電脳魔導師ニューロマンシーを現代に現れた神話的存在と称するなら、それ以外の奇跡は既に打ち砕かれている。故に──その剣は何一つの超常を持たず、すべてが合理に基づいた術理である。

 単純な物理学。それを元にした工学。

 超常なく、それらを下敷きに振るわれるだけの剣。

 事実、柳生兵衛は機械工学と電気工学の学位を有していた。

 そう、すべては、歴然と起こる現象だ。ただ現象を引き起こしているにすぎないのだ。

 まさしく同時刻、海上フロートの戦闘にて、その現象は発現する。

 柳生兵衛に殺到する皮膚が剥がれたドロイドが、豊満な胸を震わせながら幾重にも飛び掛かるそれらが、二体まとめて貫かれる。片方は胸を。片方は首を。

 そして、その一撃にて主要制御中枢を突きさされ──わば即死したものだけではなく、もう一体も狂ったように頭部を震えさせて戦闘不能に陥った。

『電源までを剣で貫き、装置に過電流を流す……』

 ────対機・新陰流【てんらくけん】。

 電源から電力を伝える電力ケーブルと、内外センサーの信号を伝えるケーブルは別のものだ。信号には、それほどの電圧は必要ではなく電流も求めない。だというのに──その二つが伝えられてしまう。繋げられてしまう。

 以って──装置は破壊される。

 或いは、袈裟切りに分断されて倒れてなおも兵衛の足を掴まんとするドロイドがいた。その隙に、羽交い締めのように彼を抑えようとするドロイドがいた。

 しかし、ああ──見るがいい。その腕は兵衛を捕らえきるには足りなかった。機械であるというのに。金属のその体は、人間よりも遥かに高い馬力を持っているというのに。

 否。そんな彼らの四肢を穿ちつつ、既に地面に触れていたその切っ先。

『剣をアースに、電気を逃す……』

 ────対機・新陰流【らくけん】。

 装置の持つ電気抵抗よりも低い抵抗の大地に目掛け、電流は逃げる。それを以って必要な出力を殺し、その機械である利を殺す。地絡という現象を、或いは事故を、剣という回路を以って再現する対機・新陰流のわざが一。

 これにて特に、下段への斬撃はそれだけでドロイドの膝を折らせる剣となる。切っ先が地に触れる瞬間に、彼らの動力は流される。

 これらは、型ではない。理念だ。振るわれる新陰流そのもののわざに、機械破壊を付与してある。如何にすればそれが為し得るか、その流派は研究を重ねている。

 伊達や酔狂ではない対サイバネ。

 そして、迫る軍勢をまさしく一閃で断ち分けるかの如く、柳生兵衛はアリシアの下に向かう。止まらぬ剣戟。終わらぬ斬撃。死活の剣。流麗に放たれる一連の剣閃は、吐息一つも乱さぬままに彼をその場所まで押し上げた。

 鬼火が舞う。

 残骸なる山の中で、獰猛に笑う一匹の剣鬼。

 対するは金髪を二つの尾のようになびかせたわいの探偵。

「さて、如何いかがする?」

 友好的な──しかし獰猛で凄惨な笑みを浮かべた柳生兵衛と苦渋を噛み殺したアリシアは、丘めいて積もった廃棄物を足場に向き合った。

 遠景に望む都市の明かりが、いさめいて対岸に咲き誇る。

 ぬらりと闇を舐める青年のその手に握られた白刃。刃のみを既製品からげ替えた打刀。

 それがいよいよ、アリシアの小柄へと斬りかかった。

 だが──当然彼女とて、むざむざとそれでは終わらぬ。兵衛が踏みしめた瓦礫の山から腕が飛び出し抑えかかり、或いは同様に側方から飛び出した腕にて投じられた飛行ドローンが涙ぐましくも軌道を変えつつ襲い掛かり、或いはまさしく人で生け垣を作るかの如くに剥き出しの骨身の人形がアリシアを庇い立つ。

 ああ、だがそうだとして──

『剣を導線に、人体へと電撃を流す』

 ────対機・新陰流【じんらくけん】。

 ドロイドを断ったその切っ先が彼女の肩に触れると同時、下着もなくシャツの下に詰め込んだ大粒の果実を震わせながら、アリシアは痙攣した。彼女の皮膚を濡らした汗と、流れた血。それが生んだ抵抗の減少が、剣という金属の回路を通じてアリシアへの電撃を齎すに至ったのだ。

 敵の機械の腕を用いた防御の上から切りつけ、防がれたとしてもその本体をも葬るという対機・新陰流の業の一つたる【人絡剣】。サイバネ──人体にほど近い高出力の機械をそのまま、己の武器に転じさせる。一太刀が二つの意味を持つ。

 そして、天絡・地絡・人絡と来た上で──最も電気と回路を扱うにおいて、防がなければならない事故がもう一つ。

「────ッ、来なさい!」

 肩口の出血と電撃に身を凍らせた彼女へと追撃の切り上げが見舞われるより先に、足場のスクラップから飛び出した影が二つ。一つは墓場から蘇るゾンビめいた腕で、アリシアの奥襟を引きつけ彼女を致死の圏内から脱させるため。もう一つは、如何なる冒涜的な美的感覚から世に生まれたのか、人の胴が幾重にも繋げられ蜈蚣むかでめいた長い手と胴を持つ悪魔的醜悪さのドロイド。どこぞのアーティストの凄惨で陳腐なる自己実現の一環にして、今のアリシアにとっては紛れもない切り札の一つ。

 それはある種の、人身を利用した竜じみて。

 一本二本と腕が落とされたとて、未だに屈することはなき──と示すような涜神の化身が如き人体蜈蚣が、その複数なる腕と長大なる胴を振り付ける。

 強烈な風切り音。

 質量と速度を込めた打擲を彼に目掛けて叩き付けるまさにそのとき、男は笑う。

「対機・新陰流────」

 果たして、それは本当に彼の言葉だったのだろうか。

 己が繰り出す技を告げるほど、柳生兵衛は善良さもれんも持たない。或いは偶然ときを同じくしたカレンが呟いたのかもしれない。

 だが、その名に間違いはない。

 下段から剣を巻き返すように胴打ちに転じたその刃が、蜈蚣の胴へと吸い込まれ、

「──────────奥義【雷心】」

 醜悪なる蜈蚣のその身の内から、火が生じた。

 電気を扱う上で、回路を扱う上での最も恐るべき事故。それは──短絡ショートだ。

 組まれる回路は、その回路に繋がっている装置や配線の持つ抵抗を前提としたものである。流れる電流が、かけられた電圧を電気抵抗で割ったものという電気に関する式があるように、機械のその内部においては、ある装置が必要とする電流をそれまでの抵抗等を加味した上で電圧をかけて生み出している。

 だがここで──それらの回路が短絡ショートを起こしたなら、どうなるか。

 短絡ショートとは、文字通りその名の通りに回路が短く繋がってしまうことだ。その間の、ある筈だった抵抗たちを飛び越えて繋がってしまうことだ。

 そんな、ある筈の抵抗を飛び越えて電圧が加えられたらどうなるか。

 本来直接加えられるべきでなかった高電圧が回路にかけられれば、その抵抗の低さゆえに必然的に電流は大となる。そして電流が大となればそこで生じる熱もまた膨大なものとなる。

 それが火を生むのだ。

 そしてその火や熱によって電線の被覆が損なわれればまた短絡ショートが生じ、連鎖して生まれるそれらによって加速度的に装置は破壊されていく。ついには修復不可能なほどに。

 ──サイバネ殺し。

 アリシアが電力を補っていたドロイドたちが使用不能になったのも、それが理由だ。言わば仮想量子線ストレイラインからの供給で失われた動力源を外付けしたような状態にあるそれらも、中の駆動部を完全に破壊されては如何に電気を流そうとも動きようがない。モーターへと電気を流すための導線そのものや、時にはその駆動系の回路や装置そのものが破損してしまうのだから。

 基本的に開閉に専門的な知識や道具を必要とする装置そのものに短絡ショートによる大電流を防ぐための漏電遮断器が組み込まれることはほぼない。ましてや、人体に搭載するというその特性から形状や重量に制限を受けるサイバネ装備ならばなおさらである。故にこの一撃は、まさに機械への一撃の死を見舞う剣となる。

 クラッキングとは、人間が故に生まれてしまう脆弱性や利便性を利用するものとするならば──ああ、間違いなく対機・新陰流は、そんなクラッキングの体現であろう。

 いずれも、必殺。

 まさに────奥義というのは、単純明快であるからこその奥義だ。全ての技自体の手間は少なく、ただ、その放つべき機先のみが上位者にしか見極められない境地にある。他のクラッカーやハッカーと同様、兵衛は、己が打ち崩すべきそれらに通じていた。当然ながらもいずれの剣も、内部構造の理解を抜きには語れぬ剣だろう。

 電脳魔導師ニューロマンシーであるアリシアと、補助電脳ニューロギアのバグを利用したジェレミー・西郷と、そして刀を片手に電気的特性や機械回路そのものを利用する柳生兵衛──いずれも全員が、形は違えどクラッカーとも呼べる事件であった。

 沈黙した人体蜈蚣を感慨なげに見詰め、兵衛は口を開く。

「お前の技能を活かすためにこの場所に来たのは、確かに悪くない戦術だった。……だが、俺を相手に機械をぶつけたのは失策だったな」

 視線の先には、肩を押さえて膝を突くアリシア。

 鮮血はそのワイシャツを染め上げ、廃棄品の山の中にあってなおそこで咲く花の如く美しいアリシアの顔を苦渋に彩っていた。

 ある意味で、それは、必然であったのかもしれない。

 電脳の申し子であり機械を統べる電脳魔導師ニューロマンシーと、この現代社会に溢れる機械たちの天敵とも言える対機・新陰流。その二つがぶつかり合った果てに何が待ち受けるかなど、知れたものだったのかもしれない。

 だがそれでも──冷や汗を隠さないアリシアは、頬を強張らせつつ不敵に笑った。

「流石のアンタも……電流に紛れさせれば、あたしの攻撃を読めないようね」

「ほう」

 アリシアの青い目が見詰めるのは、彼の手元──その愛刀の柄だ。

 実のところ、アリシアの勝ち筋はそれだった。

 高周波振動刃には、二種類ある。刃そのものに振動の機構が組み込まれているものと、柄にその仕掛けがあるもの。そして、柳生兵衛の用いる大刀のその刃がただの打刀である以上は後者。そこさえ眠らせてしまえば、彼は、その高周波振動刃を使えない。

 本来なら抑え込み、クラッキングする算段だったが……あの【人絡剣】の最中、逆にアリシアの側から刀身に併走させるように仮想量子線ストレイラインを伸ばした。以って過電流にてその振動発生装置を破壊したのだ。

 これにて、彼の武器を奪った。

 対機・新陰流のその技は、全てが斬鉄を前提としている。それなくば、立ちゆかない。

 柳生兵衛の斬鉄を封じて、一つ──それこそが彼女の見出した勝ち筋。

 突如として──甲高い駆動音が宵闇の屑山に響いた。

 強烈なモーターとスクリューの音が、うずたかく瓦礫の山が立つ廃棄場へと迫りくる。

 脂汗で金の前髪を額に貼り付けながら、

「なんでここに来たって……」

 アリシアはその親指を地面に向けた。

「……ここが、海に近いからよ!」

 途端、それは飛沫と共に訪れた。

 宙を舞う小型の無人クルーザー。

 操縦を乗っ取られたそれは限界を超える速度で海上を突き進み、ついには空中に至る。

 戦闘のその最中も彼女が時間稼ぎのような行動を続けていたのは、ここが海上フロートであるからだ。そして、外部と取引が行われているとジェイスの言葉から知っていたからだ。そんな海の上でこそ使えるものがある。

 涙ぐましくも戦闘の傍らで密かに作り上げていたジャンプ台のような瓦礫によって飛び出したクルーザーが、上空から自由落下を開始する。

 同時、またしても瓦礫から突き出た金属の死骸の腕が兵衛の足を掴んだ。

 逃がさない。

 逃げられまい。

 生者を死に引き込む亡者めいた機械の手が、彼の足首を掴み止める。否、続々と沸き上がりその両足を抑え込む。彼が人並外れた脚力の持ち主だろうと、瓦礫の山そのものと複雑に絡んだこの拘束を引き剥がせまい。

 そして、

「食らいなさい────!」

 降り注ぐ質量弾。先ほどの足場を落とされたことへの、完全なる意趣返しだ。

 如何なる柳生兵衛とて、対機・新陰流の業とて防げまい。

 これは、電気的な稼働ではない。装置が動かしているのではない。単なる物理法則。実に単純な万有引力と落下の式だ。

 高周波振動刃は封じた。

 対機・新陰流のわざを使う余地を封じた。

 以ってこれを、アリシアの勝ち筋とし────彼女の眼前に、その船体は着弾した。

 衝撃のままに吹いた突風が彼女の金髪を揺らした。生足の上のワイシャツの裾をまくりながら、澱んだ廃棄場を吹き抜ける。

 ……殺人は不本意だが、本当に全力だった。

 この男を防ぎ止めるにはこれしかなかった。

 彼ならば或いは、これでも生き残っているかもしれないな──なんて希望的な観測と共に、粉塵が晴れていくそこに目を向け、

「……え?」

 喉から、声が漏れた。

 ゴトリ、と。

 そう大型ではないにしろ、人を幾人も乗せて海原を進めるだけの船体が、揺らいだ。

 否。

 廃棄品の山の中に、真っ二つに、崩れ落ちた

 まるでモーゼがあしの海で起こした奇跡の如く、しかし海原や波よりも遥かに固きそれが、男を中心に左右に分かたれている。

 冗談だ。冗談みたいな光景だ。

 人が、船を、斬った? 真っ二つに? それで、落下する船体から免れた?

 機械の墓場めいた鉄と錆の山の中、涼しげに立つ男がいる。アリシアの青い視線の先の──白髪の青年は柄を両手握りにした残心のまま、わらう。

「この剣の振動というのは生身には凄まじくてな。実のところ、いい太刀筋のための練習になる。俺がアレを用いているのは、そのためだ」

「……は?」

「そう、驚くな。俺が蜈蚣を斬ったのは、いつだ?」

 そこで、思い至った。

 あの冒涜的な蜈蚣じみたドロイドを差し向けたのは、剣を伝って電撃を浴びせられた──【人絡剣】──のその後だ。確かに、その時には既にアリシアは高周波振動刃のクラッキングは済ませていたのだ。

 てっきり、まだ、停止命令後も完全に収まりきらぬ振動を利用したかと思っていた。

 だが、

「対機・新陰流は斬鉄の技だ。────柳生おれが鉄を斬れなくて、どうする」

 そんな絶望的な言葉と共に、白髪の青年が刃を構え直す。

 たらだ。出鱈目が過ぎる。

 唯一の勝機と思っていたそれが彼の弱点ではないと、一体誰が想像する?

 この世界の十指に入る力を持つとはそういうことだと言いたげに、眼帯に右目を隠した彼は心底楽しそうに笑みを浮かべた。

 冷や汗さえも凍り付く。

 ああ……対機・新陰流の技は斬鉄を前提とするのだ────。

 如何なる防弾性防具フラックジャケットも、厳めしい機械義肢サイバネの腕も、強化外骨格エキゾスケルトンの固皮も、強襲機動兵器アーセナルコマンドの装甲も彼の前では身を守る鎧たり得ない。この文明にある防御では、柳生兵衛を止められない。絶対的な人類殺害権マーダーライセンスの持ち主。

 身一つで、社会の前提を覆す上位者────。

 彼は、その化身であった。この電脳と機械の蔓延はびこる世に亜空間から罷り越した外宇宙神話的存在めいて、常識の外にいる剣客。眼帯の白髪剣鬼。

「ともあれ、発想は悪くなかった。存外に楽しませて貰ったのは、賞賛すべきだろう。さて。それでは、仕上げにかかるか」

「……ッ」

「くれぐれも泣き叫んでくれるなよ、探偵」

 ジリ、とアリシアが腰を落とす。

 兵衛の呼吸を読むように。

 完全なる無手のままに構えを取り、機先を見極めようと青い瞳を細めて睨み付けた。

「そうだな。……お前は泣き叫ぶまい。失言だった」

「……謝罪なら、刀を納めてからして貰える?」

「それも悪くはないが……どうせなら、俺のわざの全てをお前に見せたいものでな。まあ──だが、残念ながら、仕事を長引かせる気もない」

「……」

 猫に嬲られる鼠の気持ちか。

 しかし兵衛は、明確なる敬意と共にアリシアと興じていた。同格でないにしろ、久方ぶりに人間どうぞくに会えたとでも言わんばかりに。

「さて──誇るがいい、探偵。これなるは、対人のわざだ。機械溢れるこの世で、積み重ねられたるそれらを斬るための対機の技を──積み重ねられたるそれらの技を斬るための唯一無二だ。ふふっ、んふふっ、秘剣と──そう呼んでもいかもしれぬな」

 下段から、中段の斜め正眼に構え直した兵衛が妖しく笑う。

 空気が変わる。

 月を映し出す水面の如き静寂に。

 海風に、ワイシャツの裾が揺れる。

 互いの僅かな動きが屑鉄の山に伝わり、部品が転がり音にならない音を立てる。

 高まる緊張の中、アリシアの青い目は攻撃に移る柳生兵衛を見極めようと睨み続け──……構えも、刃も、何もかもを見失った

 かすみの如く、景色の空白の如く、視界の中の柳生兵衛が失せた。

「消え────」

 そして一足の跳躍と共に、アリシア・アークライトの華奢な身体は袈裟懸けに両断された


◇ ◆ ◇


 ものは、斬られたがっている

 それが柳生兵衛の持論であり、そしてある種の真実であった。

 単分子刃は、役に立たない。そういう話を知っているだろうか。

 この科学技術が隆盛した時代に、本当に、かつてからフィクションの中で語られていた兵器が作り上げられた。例えばレールガン。例えばプラズマ砲。例えばレーザー銃。例えば衛星軌道爆撃兵器。例えば人型機動強襲兵器。その中には企業や国防装備局省が開発したものもあれば、個人的な趣味で作り上げられたものもある。その中に、単分子刃というものがあった。

 刃の薄さが単分子ほどしか存在しなければ、理論上は最強の切れ味を持つ──という架空の刃物であったが、それは現実として再現され、使用された。

 その上で結論は、単分子刃は無意味である──というものだった。

 まず、あらゆる斬撃に関する唯一無二の真理がある。

 それは──押し斬るよりも引き斬る方が圧倒的によく斬れるというもの。

 これは、あらゆる刃物に共通している。何一つ例外はない。日本刀でもバスタードソードでもグラディウスでもサーベルでもシミターでも斧でも、何であっても変わりがない。

 その上で斬撃の科学は、三点あった。

 一点目。引き斬りそれ自体が、刃の厚みを薄くすること。

 これは、単に押し当てて切ろうとするときの刃の先端角度よりも、刃が弧を描いて移動するのに伴って見かけ上の刃の先端角度が小さくなることに由来する。つまりは、単分子刃などわざわざ組む必要もなく、ある程度の厚みでも適切に移動させれば相応に小さい先端角度となるのである。

 二点目。素早い斬撃ほど良く斬れるということ。

 より正確に言うのであれば、斬撃というのは、素早ければ素早いほど切断のために刃に加える力が少なくて済むというものだ。これは切断対象へと刃が食い込んでからの話であり、それには刃側面の摩擦が関わっている。つまりは、速く動けば動くだけ動摩擦係数が下がることで──切断する物体と刃の側面に生まれてしまう摩擦と抵抗が少なくなる。結果、力が少なくて済む。

 そして三点目。斬撃というのは三つの力が関わる現象であるということ。

 斬撃とは、刃が物体に対して垂直に圧力をかけていく圧縮応力、そして刃の接触面から物体に対して平行的に働く摩擦応力、最後が最も大切である──刃に対して左右直角に働く引っ張り応力。これらの複合による分離であるのだ。

 そしてこの引っ張り応力とは、刃や斬撃それ自体が持つ力ではない。斬られる物体そのものが持っている力である。

 物体の分子とは形が崩れないようにそれぞれが手を繋いで引っ張り合っているものだ。簡単に考えるなら、組体操のように横一列に並んだ人々がそれぞれに思いっきり腕を引っ張り合っていると考えればいい。そして、その状態で均衡していると。ここで、もしその中で──突如として真ん中に立つ一人が吹き飛ばされてしまったらどうなるか? その横一列の集団は、互いに手を繋いで引き合っていた力のそのままに左右へと分離する。

 斬撃とは、それだ。

 そんな左右への分離を、刃から物体に対して与えられる圧縮応力と摩擦応力が誘発するのだ。故に自ら刃の持つ摩擦係数を低下させる単分子刃は、なんの役にも立ちはしない

 つまり斬撃とは、あえて簡易的に表現するとするならば────斬撃それ自体の持つ力を呼び水にして──物体が持つ自ら離れようとする力を引き出してやるための力学と呼んでも過言ではない。

 故に──。

 既にかつての時代にかつての刀でかぶと割りなる、刀を用いて高強度の物体を断つということを実行できている以上、金属などに対するその切断行為に不可能は存在しない。なお現実には兜割りとは、強靭な兜そのもの全体を真っ二つにするものではなく僅かな切り痕を残すものを指すが────少なくともその圧縮応力と摩擦応力と刃の硬度は、鉄の有する引っ張り応力を引き出すに足るものであったのだ。

 ならば、何故、その時は兜そのものを完全に両断できなかったか。

 それは、まず一点目として刀の中にある物打ちという部位──斬撃の与える圧力の最大効果発揮点が限られていること。その曲線の持つ力の伝達によって最も良く斬れる部分が限定的で、刀身そのもの全てが物を斬るために向いているというわけではないこと。

 二点目が、衝突後の時間経過によって斬撃が持つ力──圧縮応力が低下していってしまうこと。同様に、斬撃の速度が低下するに伴って刃側面と物体の摩擦が強く取り戻されてしまうこと。

 三点目が、斬り進めるに従って刃の先端が潰れて丸まっていき、それが持つ摩擦係数が小さくなってしまうこと。つまり十分な摩擦応力が発生させられなくなってしまうこと。

 これが、完全なる斬鉄────完全なる兜割りを困難にしていた。無論、兜という物体の形状も要因になっているのは言うまでもないことであろう。

 ……さて。

 ではここで──刃と刀身側面の持つ摩擦係数が理想的な刀があり、それを一切の余剰を生じさせぬ軌道で振りかざす使い手がおり、その優れた肉体が正確に素材に対して垂直に斬撃を加えていたらどうなるだろうか。

 今まさに頭上から叩きつけられたクルーザーが、真っ二つに分かたれる。

 これが、柳生兵衛だ。

 持って生まれた空間把握力も思考力も身体制御力も筋力も骨格も神経系も思考回路もそのすべてをただの一閃に目掛けて指向した怪物。剣の鬼。

 それが、柳生兵衛という青年であった。

(とはいえ、まだ、これではない。ただ斬れるだけのこれではない)

 それでも兵衛は、残心と共に、そう考える。

 未だに不十分だと。此処ではないと。こんなものは誇れるものではないと。

 彼が目指すのは──本当に辿り着けるかも存在するかも分からない果ての一閃

 斬るのではない。そうなるべくして、そうなるのだ

 そんな──彼方かなたに輝く極星の如き斬撃。その領域に至りたいと思っている。その領域のその先にびたいと思っている。極限の果ての、そのまた極北に届きたいと思っている。否、思うのではない──そうあるのだ。柳生兵衛というものは、そうあるべくしてそうあるのだ。そうでなければならぬのだ

 永劫の孤独の向こう。彼方に輝ける孤星。

 唯一、遥か天空に輝ける星を目指し続けるような──そんな人生。それが、柳生兵衛が柳生兵衛に定めた行動理念。

 そしてこれは、決して誰かと分かち合った先には存在しない。

 兵衛にとっての極星は兵衛にとってのものでしかない。余人とは、その領域について分かち合えない。それらが目指す先には存在しない。そこを目指しても仕様がない。

 だとしても────同じように。

 兵衛が孤星を目指すように。その誰かもまた、その誰かにとっての孤星を目指して翔ぶというのであれば。

(それは、俺が、斬るに値するものだ)

 殺したいわけでも、死なせたいわけでもない。

 ただ、辿り着きたいのだ。

 同じように己の中にしかない極星を目指すものと斬り結ぶことでこそ見えるものがある。何かの山嶺いただきがある。それでこそ踏み出せる一歩がある。

 相手のその実力は、関係がない。

 己の内に極星を抱くか否か────それだけが、柳生兵衛が刀を抜くに足るだけの存在なのだ。殺すわけでも死なせるわけでも斬りたいわけでもなく、しかし、己同様に翔び続けるものとの錬磨の果てにしか、己もまた道筋を得られない。

 願わくば互いにその極星に届くまで──否、追い越してなおも斬り結べることを。

 そう願っているが、現実はそうもいかない。疲労、集中、環境、状況、実力──……やがてどちらかがついえるのは自明の理であろう。

 そんな無限の彼方を目指す旅は終わる。やがて、終わる。

 無数の廃棄ドロイドが再殺された瓦礫の山。

 燃え上がる冒涜的な機械蜈蚣。

 真っ二つに裂かれた小型のクルーザー。

(……お前は、よくやった)

 兵衛の【雷心】の短絡ショートが起こした出火によってこうこうと闇が押しのけられる中、彼の眼前に立つアリシア・アークライトはついにその攻め手の全てを失っていた。

 ここまで十重二十重と仕掛けられた攻撃全てを凌ぎきり、やがて、兵衛はアリシアの下に辿り着いたのだ。危なげなく──といった風であるが、実のところ彼女の発想力には驚かされた。

 特に感心したのは、その不屈さだ。

 やはり彼女もまた、己自身の掲げた極光目指して飛翔を続ける者である。その一点を以って──深い敬意を表したくなるほどに。

 そしてついにしゅうえんとばかりに刀を構えた兵衛の軽口に対しても、彼女はその宝石のような青い瞳を細めて、兵衛の一挙手一投足を見落とすまいと睨んでいる。

 己の失言を思い知った。

 アリシア・アークライトという少女は、諦めていない。

 腰を落として、兵衛の呼吸を読むように。

 完全なる無手のままに構えを取り、機先を見極めようと睨み付けてくる。

「そうだな。……お前は泣き叫ぶまい。失言だった」

 じくたる思いだ。これほどまでに見上げるべき相手に対して、何たるたわごとを述べてしまったのか。それだけで、七度生まれて七度腹を切ってもしかるべき無礼であろう。

 だが、

「……謝罪なら、刀を納めてからして貰える?」

「それも悪くはないが……どうせなら、俺のわざの全てをお前に見せたいものでな。まあ──だが、残念ながら、仕事を長引かせる気もない」

「……」

 闘争心を絶やさぬ少女を前に、そんな考えも捨て去った。

 ほふるなら──最後まで。死力を尽くして全力で。

 己すべての最高を少女に捧げ、そしてこの刹那にして奇跡とも呼ぶべき邂逅に幕を引くべし。

 一人の人として。尊敬すべきアリシア・アークライトに──ああ、と兵衛は思う。

 己は彼女のそれほどまでに、追い詰められた経験がない。そこまでの困難に陥ったことはない。つまり、同じ状況になったその時に彼女のように不屈に振舞えるかの──地金が知れぬということだ。

 果たして同様のことがあってなお、己は立ち向かえるであろうか。

 そうも、限界の先を目指し続けられるだろうか。

 その意味で、アリシア・アークライトは確実に柳生兵衛の先に行っている。

 彼女こそが、見上げた人間だ。

 剣の強さではない。果てに目掛けて飛び続けるというその一点において、アリシア・アークライトは柳生兵衛よりも強者なのだ。

 故に、己の最上を彼女に是非とも披露したいと願った。

 自然、口からはどうしようもないほどの笑みが零れていた。

「さて──誇るがいい、探偵。これなるは、対人のわざだ。機械溢れるこの世で、積み重ねられたるそれらを斬るための対機の技を──積み重ねられたるそれらの技を斬るための唯一無二だ。ふふっ、んふふっ、秘剣と──そう呼んでも好いかもしれぬな」

 それは、柳生兵衛が生み出した唯一無二の秘剣である。

 これまで、誰一人として生き残った者は居ない剣。故に────柳生兵衛がアリシア・アークライトに見せられる最大の研鑽の成果。

 願わくば、この一刀で終わらぬことを。

 願わくば、この一刀が彼女の最後にならんことを。

 そんな二律背反の想いを抱えたままに──下段から、中段の斜め正眼に構え直した兵衛は、清々しい気持ちで笑った。

 睨み合いは、いつまでか。

 否──それだからこそ、秘剣は通ず。

 秘剣は生ず

 我が終生の一太刀、受けるがよい。

 まさしく、

「消え────」

 アリシアが、兵衛の剣を見失った。

 これこそが────対機・新陰流【無門眼】。

 他の技と同じく、人間であるが故に生じてしまう隙を貫く一閃である。

 ……そう。人の目というのは、実は、止まったものを見ることができない

 人に限らず、そうなのだ。蛙であれ犬であれ、そうだ。生物的な特性なのだ。視神経は、常に変わらぬ刺激を与えられていると──脳がそれを無視するようにできている。情報を振り落とすのだ。生物は、目を使い続けることができない。

 ならば、何故、人は止まったものを見ているか。

 それは固視微動という無意識の、不随意の眼球の運動が影響している。

 つまり、モノではなく目の方を動かすことで刺激を変え続け──止まっているモノを動いているモノとして扱って──見えるようにしているのだ。

 事実、眼球のこの固視微動を故意に止める実験を行った際に、数秒から十数秒で物体を視野から喪失するという実験結果がある。

 ──故に。

 対する相手の眼球の固視微動、相手自体が行う運動、呼吸による体の揺れ、血脈による震え、そして互いの距離による像の異なりを全て鑑み────全くそれに合わせる形で、常に同じ視神経が刺激を受け取る位置に刀を動かし続けたなら。

 それは、完全に相手の視界から消える剣となる。

 人である以上は、絶対に防げない。

 それが────対人類魔剣【無門眼】である。

「────」

 跳躍の最中も、決定的な切っ先を彼女の視覚の中で動かすことなく。

 柳の枝が風に閃くように、刹那に手首を返した──たわんで捩じるような兵衛の一閃がアリシアの胴に目掛けて繰り出された。

 だが、一体、何たる奇跡か。

 アリシア・アークライトは──兵衛のその一太刀を、身を捻って紙一重に躱したのである。そして、更に彼女は後ろ手に取り出した短刀で──先ほど上での戦闘のその折に、彼女の首に突き付けた兵衛から取り上げた短刀で兵衛の刀を抑えにかかった。

 金属音が鳴り、兵衛の刀の背をアリシアの短刀が抑える。

 揺るがない。

 何たる重心把握か。

 張り詰める剣戟の緊張の中──僅かに、兵衛の笑みと共に均衡が訪れた。

「よくもまあ、初見で躱したな」

「初見じゃないわ。見せてもらったもの」

「ほう」

 確かに一度、アカネ・アンリエッタとの戦闘で披露していた──……ああ、何たる失策か。あのときアリシアを軽んじた報いだというのか。できるなら己の最高の剣技で彼女を討ちたかったが、それも叶わぬとは。後悔先に立たずとは、このことか。

 否──脂汗をしとどに流してワイシャツを肌に貼り付けたアリシアを前に、そんな思考を打ち切る。彼女はきっと、幾重にも己の秘剣を浴びた。これはそういう汗だ。想像か現実か、幻惑か仮想かは関係がない。それだけ、己の剣は目の前の美しき少女に通じたのである。そのことが、誇らしくもある。

 兵衛の打刀を下に抑えるアリシアの短刀。

 込められた力と重心の取り合いに、金属と金属が小刻みに振動して、鳴る。

 瓦礫の山に、が舞う。

「しかし、如何に見切った?」

「……見れてないわよ、その秘剣。ただ──あたしにとっては、ってだけ」

 その言葉に合点がいった。

 幾体も幾体も葬った機械人形たちが転がっている。内部基板を焼き落とそうが、例えばそのレンズそのものまで破壊したわけではない。それらを目に用いて多角的に観察すれば──なんのことはない。兵衛の秘剣も、それで終わりだ。

 流石に複数人を相手に行える原理ではないのだ。アカネのような素人相手であれば剣だけでなく己の全身を対象に行えたが──流石にこの足場で、アリシア相手にそれをするには、兵衛もまだ未熟だった。

 しかし、

「それでここから、如何にするかね」

「……ッ」

 兵衛は今、あえて動かなかった。己の剣の未熟を確かめるための問答をするが故に、あえて、この剣を動かさなかった。

 だが、アリシアは動けなかった。

 一瞬でも気を抜けば兵衛は問答を取りやめて彼女を斬りにかかったし──そして兵衛の秘剣を見切るためのからりで神経を擦り減らしていたから。彼女は動けなかったのだ。

 己が秘剣を破られたことに悔しさがあり……。

 同じだけ、晴れ晴れとした爽やかな気持ちがある。

 やはり、彼女との凌ぎ合いで辿り着ける境地があったのだ。これが剣を持つものならば、流石の兵衛も何としての秘剣にての決着を願い──そして破られたことに身を千切られるほどの懊悩と煩悶を抱いたかもしれぬが、この矮躯の少女には敬意しかない。

 おかげで、まだ、己の剣も先へと翔べる。

 彼女との出会いは、まるで誤りではなかった。意味があったのだ。柳生兵衛と、アリシア・アークライトの出会いには。

(……本音を言えば、斬りたくはないのだがな)

 僅かに悔いる気持ちもあったが……事件屋ランナーとして剣を掲げた以上、決めていた。

 何より目の前の少女が、自分に向けて事件屋ランナーとしての答えを出した以上は──それを告げるに足る相手だと思ってくれたことを裏切りたくなかった。

 故に仕事として、兵衛は此処で一歩も引く気はない。

 たとえそれが、この刹那の応酬の中で無量の感動を与えてくれた尊敬すべき少女だとしても────否、であるからこそ、此処で私情によって剣を引く事件屋ランナーとしての醜態を見せたくはないのだ。彼女の尊い覚悟を見せ付けられたからこそに。

(俺も若いな。まさか、醜態を見せたくないとは)

 む、と口を強く結ぶ。

 その上で、此処でアリシアを仕留めるべく動き出そうとした──その時だった。

「これだけは、使う気はなかったけど……仕方ないわね」

 何を、と考えた。そして同時に、何かする前に殺すと思ったその時だった。

 僅かな駆動音。

 咄嗟に地を蹴り、剣を弾きながら側後方へと回っていた。

 そして、

「む……!?

 兵衛の胴があった場所を貫いた無音の一撃。不可視の飛翔。遅れて、音が耳に届く=超音速の射撃。

 思わず──笑っていた。

 視線の遥か、瓦礫のその下から現れた大いなる銃口。

 それは幾門も──無数に。次々と。朽ちかけた巨人たちが、己に被さった残骸の山を押し退けながら身を起こす。鋼の巨人──ああ、補助電脳ニューロギアシステムのその大本となった人型機動兵器だ。

 そうか、と頷く。

 ここは、元は────橋頭堡だ。かつての大戦の中で作られた、軍事的な足場なのだ。

 ならば当然そこには、軍用兵器も眠っている。

 多くは朽ち、錆び、崩れ、湿気、その機能を果たせぬ者もいるだろう。

 しかし、かつて多くの都市を焼いた巨人たちが……その亡骸が。末裔が。電子の女王の号令の下に、この海鳴りの都市に再び姿を現したのだ。

 そして兵衛とアリシアの真下の残骸もまたうごめき、盛り上がり──概ね人の十倍はあろうかという手のひらが、金髪の少女を大地から引き剥がした。

「んふふっ、はははっ、んははははっ! やるな、アリシア・アークライト──!」

 戦争株主として参加した戦いで、向き合ったことがある鋼の巨人。

 それ自体は、既に巡り合った戦場だ。

 だが──その戦場を、たった一人の少女に起こされるとは思っていなかった。

「ああもう……探偵が言う言葉じゃないけど……」

 苛立ったように猫の如き青い瞳をキッと尖らせた少女が、巨人の手のひらの上から人差し指を向ける。

「──ショータイムよ、オーディエンス!」

「──応とも。是非、魅せてくれ!」

 そして、

「全弾発射──────ッ!」

 金髪を海風に翻したアリシアの号令の下に、全ての火器が投射された。


◇ ◆ ◇


 それは地に満ちたる流星群か。

 曳光弾が鋼の大地を抜き穿ち、誘導弾が炎を上げる。

 巨人が降臨し、雷火吹きすさぶその光景は──……ああ、かのうたわれる終末の日ラグナロクであろうか。

 実に見事。

 御見事。

 炎の雨と鉄の嵐を呼ぶものを、暴威たる巨人をぶものを、一体、魔導師以外のなんと呼ぼうか。

 ああ──人の仔よ、知るがいい。

 これこそが神的資質者。

 現代に甦りし最新の伝承。

 謳うがいい。喚ぶがいい。

 電脳の海を渡る綱をかけ、その糸を手繰るが故の電脳魔導師ニューロマンシー

 只人よ。汝が厚顔たる思い上がりを今ここに識れ──。

 そう囁かれるかの如き、情け容赦も一切のしゃくも孕まない鉄火の業炎。


 ──否。故にこそ、剣の鬼は嗤うのだ。


 ああ、よ、舞え。

 よ、散れ。

 がねよ、歌え。

 この刹那。この石火。この瞬撃。この虚空。

 己のを、ひらき斬れ。

 さえ揺るがすこの咆哮うなりよ、いざ。

 今ここに────るのだ。

 極光の、その先へ。

 ただひたすらに、その先へ────。


◇ ◆ ◇


 仮想量子線ストレイラインはさながら流星群めいて、廃棄場の暗黒を裂いた。

 鋼の墓場に眠る命たちに、既に役目を終えた鋼鉄の騎士たちに、今一度の戦闘指令を送り込む。

 どれも、最早、兵器とは言い難い。海風にその関節は錆び付き、内部を走る通信ラインや電源ラインも腐食し、その身を不可視のフィールドで覆うための機構も固まり、瞬間的な馬力を出すための蓄電装置キャパシタ──室温超伝導電力保存装置もその蓄電を吐き出しきり、何よりもその主電源たる超電導プラズマ融合炉は運転を停止している。

 補助電脳ニューロギアの前身の装置にて動かすために生まれた人型の戦闘兵器などというものは、核融合で膨大な電力によって下駄を履かせてやったからようやく戦闘機や戦車を超えた兵器として成立したのだ。

 それを今──────唯一人。

 アリシア・アークライトという少女が、肩代わりをしていた。

(────────────ッ)

 金髪が、限界を超えた仮想量子線ストレイラインの投射に炎のように逆立っていく。

 ひたすらに振り絞って、次々にその巨人の上半身を鉄屑の山に並べていく。魔杖めいた大型レールライフルを構え、バトルライフルを構え、ミサイルポッドを構え、プラズマカノンを構える死人の機甲中隊。

 その電力を、補えるのか。

 できない場合、使いすぎた場合、どうなるのか。

 自分のこの力が、一体どうして齎されているかは知らない。

 生まれながらに使うことができた。素質があった。そして、ある事件を皮切りにそれを完全に自覚した。

 この電脳社会においての支配者とも言えるその技能は、ただ生きているだけでどんなものにも変えられない価値を持つ。企業家も、無法者も、戦争屋も、情報屋も、誰から誰までその力を求める。全世界で数百人も居ない特異な能力者。

 大々的に知らされて拘束を受けることもなければ、排除されることもない。

 きっと誰かの役に立つから、きっとどこかで綱引きがされているから、きっと如何にか操る方法があるから、きっと何かをさせようとしているから、決して表にそれが出ることはない。

 公然の秘密のように、都市伝説の中の魔女として生きている。

 そしてそのとき、誰の保護下にもないアリシア・アークライトという少女は、そんな誰もが求める黄金の林檎だった。

 ────〈一つ、それを封じる手立てがある〉。

 白銀の機械鎧に身を包んだ青年が、金色に輝く聖剣を片手にアリシアを見下ろしていた。

 彼女と同じような眩い金髪を持つ青年は、雨の路上に膝を突きながらそう告げた。

 彼は言う────〈意図的に君自身の電脳の外部接続ポートを焼き切ることだ〉〈繋げる先がなくなってしまえば、その力の大半は上手く使えなくなる〉〈それだけで君は、少し変わった女の子として生きられる〉。

 悼む緑色の瞳で────〈こんなふうに狙われることもない。誰かの都合で人生を左右されることもない〉〈そんな女の子として、今までのように生きていくことができる。他の皆と同じように〉〈……今、僕は君の頸にこの剣を突き立ててそれができる〉。

 一人の人として向き合って────〈アリシア・アークライトさん〉〈今、君がここでそう望むなら……僕は応えよう〉〈君のその願いを、叶えよう〉。

 母の死体が、隣にあった。

 路地裏だった。

 探し続けるその間に、いつしか、アリシアは己のその力を無意識に操っていた。

 アリシアを狙って訪れた黒服たちを、その聖騎士は打ち払ってから、傘もささずに言うのだ。

 ──〈ごめんね。きっと今、君は、そんな言葉を聞きたくはないかもしれない〉〈それとも、お母さんを静かに送ることを許されもしないそんな力が、憎いかもしれない〉〈呪われた力だと思うかもしれない〉。

 ──〈それでも……〉〈それでも僕は、君に、その力を捨てろと言いたくない〉〈力は、力だ。それだけで狙われることも、除かれることも、己を偽って生きていかなければならないものでもないんだ。力だけが理由で、そうあってはならないんだ〉。

 ──〈もしもその力のせいで君が当たり前に生きられないと言うなら……〉〈僕が、それを否定しよう〉〈僕の剣が、君の力を呪いに変えるものを打ち払おう〉。

 ────〈アルトリウス・ウォーカーが、全霊をかけて君を守ろう〉。

 雨に塗れるその騎士然とした金髪碧眼の美青年は、アリシアへと手を差し出した。

 アリシアの顔は、涙なのか、雨なのか、わからないぐらいに濡れていた。その人がそうしてくれるまで、自分を思い出さずに旅立った母の隣で、路地裏にずっと居た。

 誰も、そうしてなど、くれなかったのだ。

 彼は、ただ、言った。

 ──〈どうあれそれは、力なんだ〉〈こんな世界の中できっと君自身を守ることもできる力〉〈大丈夫。使いこなせるまでは、僕もちゃんと付き合うさ〉。

 ──〈すべてが落ち着いて〉〈君もその力の使い方を知った上で〉〈それでもやはり望まないなら──……その時は僕が、その力を打ち砕こう〉。

 ────〈その日、その時〉〈改めて僕は、君に聞こう〉〈……君は一体、どうしたい?〉。

 優しく微笑んだ、その顔を思い出す。

 差し出された手を思い出す。

 そして、何より、

(どうしたい、なんて────────あたしは、負けたくないのよッ!)

 母を一人で送ることもできずに、最後の言葉を押し寄せた男たちの靴音で消されてしまった己を思い出す。

 そうだ。

 この力は、ただの力だ。アリシアがそう使おうと思ってそう応えるだけのそんな力だ。

 だから──────限界など、知るものか。

 己に押し寄せた不条理を打ち払ったあの眩い聖剣を思い描く。何者にも侵されないその金の輝きを思い起こす。それを両手に構えたあの白銀の背中を思い返す。

 あれが、光だった。あれが、行き先を照らす光だった。あれが、闇の迷路を晴らす唯一つの光だった。だからこそ────ああ、だからこそ。アリシア・アークライトは、ここで折れてはならぬのだ。

 この街に巣食った無法者も。

 無慈悲な社会の犠牲者も。

 刀一本で行われる不条理も。

 そのすべてを、己という光で照らしてやる。何もかも、晴らしてやる。

 ただその一心に奥歯を噛み締め──────自分にしか見えない線から紫電を迸らせる。触覚の役目を果たすそれは、己自身が抱えた電磁力すら知らせてくる。剥き出しにした温感神経に熱湯を流し込まれるが如く、電磁感知の仮想触覚は自らの抱えた大電流に焼き付いていく。

 核融合に、勝てるのか。

 戦争兵器を、操れるのか。

 そんなものは──────知らなかった。

 現実の指先までもが痺れ、目眩がする。限界を超えた出力に全身が熱を持ち、茹だったように脳が唸る。血涙が流れ、鼻血も垂れる。気を起こし続けるために噛み締めた唇は裂け、拳に突き立てた爪は割れていた。

 それでも────回す。回路を回す。自分自身という回路を、電源を、指令を、巨人たちの五体に回す。

 電子の猟犬を、プログラムを走らせた。人型兵器たちの主だと、元はその兵器に由来する補助電脳ニューロギアを通じて己を誤認させる。主電源を無理矢理起こそうとし、同時に仮想の手で蓄電装置を確かめ、それもできないなら火薬そのものに着火し、それすら駄目ならせめてその指先だけでも動かす。

 負けたくないのだ。

 負けられないのだ。

 たとえちっぽけな依頼だとしても、自分が、アリシア・アークライトが探偵として事件屋としてそれを請けたならば──────それは、果たさなければならないのだ。

「ッ、ぐ…………」

 何でもいい。正面からで無理なら、とにかく、動かせる場所だけ動かせばいい。

 アイポロスの権能も並列に発動する。

 そうしてすべての機械──────すべての部位に接続する。現在でも未来でも、片っ端から電流を流し、何から何まで確かめる。

 僅か一つ、どれか一つ。ただの一つであろうとも、それらを使えるという証拠を諦めない。一欠片の断片だろうとも、そのすべてを諦めない。

 生じさせ続ける過電流が、その電磁波が己自身の脳へと投射される。補助電脳ニューロギアとそのネットワークにぶつかって、脳内に吹き荒れる磁気嵐になる。

 それは、どこかで、アリシアの脳という回路を狂わせるかもしれない。ここで、何もかもを台無しに巻き込んで破綻するかもしれない。

 だとしても──────リフレインする=〈何故、僕があの時ああしたかって?〉〈うーん……少し恥ずかしいんだけどね〉〈……実はね、困っている人に手を差し伸べられる……そんな大人に、なりたかったんだ〉。

 あたしが諦めてやる理由はこれっぽっちもない──────!

「はぁ……っ、ぐ……、はぁーーーー……!」

 眼下の鉄屑の山から立ち上る黒煙を眺めて、アリシアは巨人の手のひらの上に膝を突いた。

 結論から言うなら、狙い通りに駆動した兵器は一割にも満たなかった。

 投射砲の内部に損傷があるものもあれば、弾薬が湿気っていて使い物にならないものもある。機体の持つ超電導プラズマ融合炉という大出力がない限りは運用できない装備もあり、全くのところ本当の意味で個人で大軍に匹敵する砲火を用意できたとは、言い難い。

 それでも到底、常人が生き残れるとは思えないほどの攻撃であることは間違いなく──

「……ジーザス」

 無理矢理に巨大兵器に電力供給を行った反動で消耗しきったアリシアは、腹の底から吐息を漏らした。

 まだ動く、影がある。

 柳生兵衛は──生きている。生身で、剣一本を引っ提げた男が。

 その白髪を血煙に彩りながらも。

 剣を片手に、鬼が嗤う。

「勘弁してよ……もう」

 本当に心の底から泣きたくなった。

 確かに──前評判の通りではあるのだ。生身の男が株式戦争の戦争株主として参戦しているというのであれば、これだけのことは可能だ。だから前提として提示されたものから、何一つ外れてはいない。柳生兵衛は、これだけの事件屋ランナーなのだと。

 だけれども、それで納得できるかは別の話だ。

 あまりにも規格域外イレギュラーなのだ。

 その全てに理屈が付くことであろうが、それを目の当たりにさせられて飲み込めるのかは別の問題だ。少なくとも、このような人型の破壊現象や自然現象の如き怪物と戦うのは探偵の仕事ではない。断じて。事件屋ランナーとしても、普通に生きていれば一生巡り合うことはないだろう。もし出会ったら──不運と、そう呼ぶしかない。

(……なんて、それで納得できるの? あたしは)

 一度、己自身に問いかけて──アリシアは首を振った。

 突然刺されました、突然撃たれました、突然かれました──なので貴方の人生は終了です。避けられない運命です。大人しく目を閉じてください。

 なんて言われて、易々と眠りにつくことなどできるわけがない。

 探偵とは、それだ。

 そこに謎があるから探偵がいるのではない。

 その謎の納得ができないから──そんな謎によって人の命を容易く覆い隠されてしまうことに納得ができないから、立つのだ。

 優れた体格でなくても。容姿に恵まれなくても。権力を持たなくても。資産が足りなくても。

 ただ一つ──己の頭脳の働きで、それらを覆す。覆い隠そうとする死の闇を照らし、底に確かにあった筈の生者の痕跡を辿る。それが、己を助けた彼と違う道を選んだ理由。

「……上等よ。これで、決着を付けてやるわ」

 目を細め、己の電脳上に新たなるプログラムを組み立てる。

 その手に浮いた、魔導書めいた幻覚のヴィジョン。

 己自身の電脳に仕込んだアプリケーションに目掛けて、指令を走らせた。

 唯一、柳生兵衛という怪物を仕留められるかもしれない策を思いついた。

 材料は、この街で得た経験の全て。その体験。神経反応。脳内物質。積み上げられてしまった経験のそこに、答えがある。

 本当にこれが駄目なら仕様がないと──アリシアは、巨人の掌から鉄屑の大地に目掛けて身を躍らせた。


 鼓膜が片方破れたかと──兵衛は静かに、半分の音が消えた世界を進む。

 足元の瓦礫は撃ち込まれ続けた弾丸に不安定になり、そこら中には砲撃に巻き込まれたドロイドが散っている。

 累々。

 散々たる機械たちの屍山血河の中で、防弾コートの裾が揺れた。

 炎の匂い──死の匂い。

 ここは、静かだ。否、鼓膜が片方潰れたせいでうるさい

 いっそ、もう片方も潰してやろうかと思いながら──笑いながら首を振った。妙に昂っているのは、それだけ死に追い詰められたためであろう。

 兵衛は、海上フロートを支える脚塔を目指していた。

 あの手の兵器とやり合うには、一にも二にも頭上を取るしかない。

 無論ながら対機・新陰流の技を用いれば、たとえ大地からでもあれらの巨体の脚部動力を不能にして転がすことはできる。事実としていくつかの株式戦争で彼はそうしてきた。しかしながら──今の剣で流石の兵器の持つ複合強化装甲を斬れるかと言われると、そうしたところで内部の導線まで辿り着くのは難しい……としか、彼にも言えなかった。

 転がるドロイドたちの死骸を踏みつけながら、進む。

 聴覚が片方封じられ、硝煙と黒煙に嗅覚も失われた。幾度と浴びた着弾の衝撃波は彼の触覚を蝕み、詰まるところ、柳生兵衛はその第六感──五感が感ずる刺激で深く認知できぬものの総合──も十分に働かぬと言っていい。

 だからこそ、嗤えた。

 これほどまでに追い詰められるのはいつ以来か。

 やはり彼女は──尊敬に値した。

 求めて、求めて、求めて、求めて、求めてやまない果ての一閃──人生全てを研鑽に費やしてなお届くか分からぬ至高の剣に至るため、兵衛は狂った。剣に狂った。

 その道を、一歩、進んでいる実感がある。

 ……ああ。ああ、だ。此処が俺のための、死地なのだ。魂のがたなのだ。

 何故だとか、どうしてだとかは関わりがない。

 ただ、柳生兵衛はその剣に辿り着かねばならない。柳生兵衛がそうすると決めたからだ。

 それが如何なる無限の彼方だろうと、事象の地平だろうと関係はない。

 この手に剣を握ったその日から──柳生兵衛の魂の形は、そうであったのだ。

 この狂おしきまでの愉快と、そんなものさえも投げ捨てて打ち捨てて届かなければならぬという衝動。己の意味。流派の意味。生存の意味。或いは、無意味という意味。

 ようやくに──指がかかるかもしれない。

 そう思うと、泣きたくさえなった。無数の剣戟の果てに、今日という日はあった。

 どうか──どうかという、祈り。

 それを完遂すべく血に染まった靴で、己自身の死骸の如きドロイドたちの亡骸を超え、ついに脚塔に及ぼうとする──その刹那だった。

 まるで、気付けず。

 死骸である筈の一体が、跳ねるように起きた。

 宵闇の中、戦の火を反射してきらめく短刀の一閃。

 咄嗟に打刀の刃元で抑え──つばり合いの如き姿勢のまま、呆然と口を開いた。

「馬鹿な」

 狸寝入りに敗れるほど、もうろくした覚えはない。

 全身に煤や鉄錆を擦り付けた全裸のアリシア・アークライトが、右手で短刀を握って、真向かいに居る。押し引きの距離に、居る。

「馬鹿はあたしよ。アンタがあと少し遅かったら、死んでたわ」

「な、に──」

心臓を止めたわ

「────────」



 アリシアのその言葉に、総毛立った。

 そうだ。補助電脳ニューロギアやそのオペレーティングシステムは、通常の人間には不可能である筈の不随意運動の制御さえ行えるのだ

 それは、道理だ。道理とは、術理だ。そうできてそうなるなら──そうするというのがあまねく戦いというものの帰結だ。

 しかし、それは一歩誤れば、完全なる死に至る。

 脳への血流の停止が十から十五秒に達すれば、意識は喪失される。

 逆に言えば、それだけの時間間隔が開いた鼓動をすれば、意識を維持したままに死を偽装できるであろうが────それが直後にこうも激しい運動を、つまり心臓を使う動きができるのか。

 そんな兵衛の金色の視線を受けてか、アリシアが不敵に笑った。

「性的な興奮をするとドーパミンってのが出るらしいんだけど、これって、アドレナリンとかノルアドレナリンの前駆物質なのよ」

「それが……」

アドレナリンには強心作用があるわ。心肺蘇生で使用されるくらいにね」

「────」

 なるほど。つまり。

 本当に掛値なしに────アリシア・アークライトの人生全てを懸けて、柳生兵衛と戦ったのだ。

 腹の底から、笑いが出てきた。

 彼女にはそのつもりはないだろうが……まさか兵衛の一方的な、一人きりで抱えた戦いの理念に……こうも付き合ってくれたとは。

 なんとも、見上げたものだ。

 心から、見上げたものだ。

 故にここから全力で彼女を殺害せんと、握った刀に力を籠め──

「待ってくれ、兵衛さん!」

 アリシアの向こうの階段から、強い声がかかった。

 脚塔のたもと。つまりは、あの父娘の居た部屋にもつながる整備通路と接続している場所だ。

 ここまで辿り着いたが故に──すべての歯車が噛み合ってここに到達したが故に、白衣を纏ったサイモン・ジェレミー・西郷が、二人の決着に間に合うことになったのだ。

 そして二人は視線を交わし、互いに僅かに距離を取る。

 やがて、長い脚塔の昇降階段を下った彼は、辿り着くなり胸と股間を隠すアリシアへと、問いかけた。

「……探偵さん、一つ聞かせてほしい」

「なによ?」

「君の依頼人は……私のどの作品が、一番好きだと言っていたんだ?」

 何か縋るような意思を込めたその視線にアリシアは逡巡し──それから、吐息と共に口を開いた。

「全般的にどれも好きって言ってたわ。それぞれに良さがある、って」

「……全般的に、か」

「ただ、一番は──」

 一度頷き、

「──『春の庭のまなむすめ』、ってタイトルだったわ。他と違って、裸ではない娘さんの絵」

 そう告げた。

 その青い目に、何一つの嘘もなかった。

 否──あるわけがないだろう。彼女は、探偵なのだから。

「兵衛さん……もう、いい……もういいんだ……」

「む?」

 廃棄物の山との境界である脚塔の床に膝を突いて、白衣のジェレミー・西郷はその言葉を繰り返した。

 血振りを一つ、流れるような動作で兵衛は納刀を済ませる。

「……では、またの機会になりそうだな」

「アンタみたいな危険人物、もう二度と会いたくないわよ」

「確かに。私も、よくよく考えれば……幼気な少女をむざむざ死なせる趣味もないな」

 よくもまあ、いけしゃあしゃあとコイツ……とでも言いたげな目だ。随分と表情が豊かで、面白い。しばらく眺めていたくなる顔だ。

 だが、

(この結末にされただけで、俺の負けだ。君の全ての道程がここに辿り着かせたのだからな。だからまあ──この程度の敗者の意趣返しは、呑み込んでもらいたいものだ)

 そう内心で呟いて肩を竦める。

「……だからなんでアンタが勝つ前提なのよ、ひょーえ。クソ剣客」

 彼女はそう口を尖らせていたが、兵衛としてはそれは雪辱の一戦になることは間違いない。願わくばその日までには、彼女には勝者としての自覚を持って貰いたいものだ。

 上着を差し出し、階段に足をかけるように背を向けた。

「まっすぐ家に帰りなさいよ、浪人ローニン

「確約はできないな、たんてい