第五章


 異形の集団は様々な種族で構成されていた。揃って邪悪な気配を纏っている。

 こちらを眺める彼らはぎゃく的な色を隠そうとしない。

(魔王軍か)

 私はすぐに確信する。

 これだけの人数で悪意と殺気も充満させている。

 姿を見せるまで察知できなかったのは、おそらく魔術の仕業だろう。

 隠密系統の術なら、もっと早い段階で看破できたはずなので、転移魔術による接近に違いない。

 リアから聞いたことがある。転移魔術とは、指定した座標に一瞬で移動する能力だ。

 高等魔術に分類されるそれで、これだけの数を運んだものと思われる。向こうには、かなりの使い手がいるようだ。

 考察を進めていると、魔王軍の最前列に異変が起こった。

 空間が歪んで裂け目ができる。裂け目の先に、荒野のような風景が見えた。

 そこから一人の老人が現れる。

 老人は細身の長身で、燕尾服に身を包んでいた。

 白髪を後ろに撫で付けており、片眼鏡を着けている。糸目とあるかないかの微笑が物静かな印象を与える。皺の多い手には、古めかしいステッキが握られていた。

 全体的に穏やかな佇まいであった。

 紳士然とした老人だが、研ぎ澄まされた殺気を発している。この場を埋め尽くさんばかりの魔力を内包していた。配下の魔族達は、この老人が転移させたのだろう。

 老人は私を見て口を開く。

「異界の勇者ですね」

「そうだ」

 私が肯定すると、老人は優雅に一礼した。

「わたくしは、レノルド・ウィン・シヴィレイア。魔王陛下の執事を務めております。残り短い人生ですが、是非お見知りおきを」

 燕尾服の男──レノルドは、魔王軍の中でも幹部に相当するらしい。

 役職を聞かずとも、対峙しただけで分かった。

 彼は圧倒的な闘気を帯びている。それは槍使いアブロをも凌駕するだろう。

 私は前に進み出て、レノルドに確認をする。

「私達の抹殺に来たのか」

「あの堕落僧と勇者が衝突したと聞けば、駆け付けるしかありません。勝敗はどうであれ、互いに消耗するのは確実ですから」

 レノルドはいんぎんな口調で答えた。

 方法は定かではないが、私とシンラの交戦を知って到来したようだ。

 どちらも魔王軍にとっては無視できない存在である。両者を屠る絶好の機会と見て、このタイミングで登場したらしい。

 まったく合理的であった。状況を上手く利用されてしまった。魔王軍は、漁夫の利を取りに来たのだ。

「今後の侵略を考えると、今のうちに不確定要素を消し去りたいのですよ。我々はすぐに戻らねばなりません。大人しく死になさい」

「断る。我々にも魔王討伐という使命がある」

 私がそう返すと、レノルドの笑みが凍り付く。

 配下の魔族達に怯えが走る。

 間もなくレノルドの糸目が、ゆっくりと開かれた。血のように赤い瞳と、口から牙が覗いた。背中に黒い影のような羽を幻視する。

 豹変したレノルドの姿は、吸血鬼を彷彿とさせた。

 舌打ちしたレノルドは、乱暴に髪を掻く。彼は抑え込んでいた殺意を暴風のように発散していた。

「──人間風情が生意気を。あろうことか、陛下を倒すなどと戯れ言を口にするとは。許せぬ。絶対に許せぬぞ。ここで貴様らは殺す」


「ハ、ハハッ、やって、みろ……よ……」

 背後で掠れた笑い声がした。

 私は思わず振り返る。

 血みどろのシンラが起き上がるところだった。

(この状態でまだ立てるのか……)

 私は驚嘆する。

 確かにまだ止めは刺していなかったが、起き上がれるような傷ではなかった。

 背筋を伸ばしたシンラは、失った腕の断面を掴んで握り潰す。そうすることで傷口を強引に塞いだ。

 彼は顔を撫でて血を拭い取り、折れた歯を吐き捨てて話しかけてくる。

「よう、ちょいと、共闘しよう、ぜ……あのクソじじいを殺すまで、だが……」

 シンラの提案は意外なものだった。どう動くか読めない男だが、まさか共闘を申し出るとは。

 こちらを騙しているような様子はない。

 皮肉った笑みを浮かべるシンラは、無事な片目に煮えたぎった激情を湛えていた。

 堕落僧は、戦いを邪魔されて怒り狂っている。今にも飛びかかりそうな剣幕で、魔王軍を睨み付けていた。

 不意にシンラがよろめく。

 彼は口から血を垂らしながら私にぶつかる。

 その拍子に、小声の早口であることを伝えてきた。

 一瞬、視線が交わる。

 シンラは意地の悪い顔をしていた。

 私は反応を示さずに視線を前に戻す。胸中では呆れに近い感情を抱いていた。

(まったく、どこまでも油断ならない男だ)

 シンラはしたたかな性格をしている。

 敵対するとこの上なく厄介だ。今は状況が状況なので、共闘するのが正しいだろう。

 一方、視界の端ではリアとアンリが立ち上がっていた。

「ウェイロン殿、小官達もまだ戦える」

「任せて、ください」

 二人も戦う気らしい。

 シンラとの戦いで負傷したものの、連携すれば十分な立ち回りが可能なはずだ。

 日頃から鍛練を重ねている二人である。息を合わせるのは簡単だった。

 レノルドは元の糸目と微笑に戻っていた。

 しかしよく見ると、頬が痙攣している。

 ふんを耐えているのだ。

 彼は片眼鏡の位置を直すと、私達に向けて宣告する。

「……いいでしょう。まとめて殺して差し上げます」

 レノルドがステッキで地面を小突く。

 硬いその音を合図に、後続の魔王軍が襲いかかってきた。


 ◆


 左右から魔族が雪崩れ込んでくる。

 振りかざされる数多の武器が魔力を帯びていた。私の肉体を容易に切り裂く力を有しているだろう。

 無論、それは当たればの話だった。

 力任せに突撃してくる者達に負けるほど、やわな鍛え方はしていない。

 私は両拳を魔族に打ち当てて、そこから気功術で衝撃を拡散して伝える。練り込まれた力が魔族を破裂させた。

 打撃の破壊力は膨れ上がりながら他の魔族へ伝染し、一瞬にして数百キロの肉塊へと変える。

 被害を潜り抜けてきた魔族は手刀で解体し、或いは蹴りで粉砕した。

 どちらにしても、彼らの攻撃が届くことはない。

 その時、背後に殺気を感じた。

 私は振り向きざまに裏拳を繰り出す。

 受け止めたのは一本のステッキだった。構えるのはレノルドだ。赤い瞳が絶対零度の視線を向けてくる。

 レノルドは燕尾服を揺らしながら高速移動し、流れるように蹴りを放ってきた。

 それを頭上に受け流しつつ、私は視線を巡らせて周囲の状況を確認する。


 思わぬ乱入から戦闘が始まってしばし。

 そこかしこに魔族の死体が散乱していた。

 いずれも私達が屠ったものである。

「キアッハアアァァッ!」

 凄まじい声を上げるシンラが魔族を殴り殺していた。

 彼は片腕を振り回して無双し、倒れた魔族の頭部を踏み割る。

 狂喜の笑みを浮かべるシンラは、依然として満身創痍だ。回復手段を持たないのだろう。

 片目まで潰れているにも拘わらず、しかしその動きは加速し続けていた。

 私と戦っていた時よりも数割増しで速い。極限状態が底力を引き出しているようだった。

 出血と返り血で赤黒く染まった堕落僧は、鬼神の如き暴れぶりを見せている。

 殺到する魔族は、憐れな獲物と化していた。

 少し離れた所では、リアとアンリが見事な連携を披露している。彼女達は迫る魔族を順調に打ち倒していた。

 全身鎧を纏うリアが豪快な突進から剣の一閃を放つ。魔力を伴う斬撃が突破口をこじ開けた。

 そこに進み出たアンリが、両袖から出した鎖を魔族の只中に進ませる。彼女の振り抜く動作に合わせて、鎖で魔族が切断されていった。

 鎖は仄かに白い光を帯びている。なんらかの魔術で、魔族に対する特殊効果を付与しているようだ。

 そこにリアが再び突進を敢行して、魔族を打ち払いながら前進する。

 死角からの攻撃も完璧に回避できていた。まるで数十の目を持っているかのような立ち回りだ。

 奥の手である先読みの魔眼を発動しているのだろう。常に最適解を選ぶことで、数の不利を覆しているのだ。

 消耗が少し気になるものの、当分は私が加勢せずとも大丈夫だろう。

 思わぬ形で鍛練の成果が役立ったようだ。

(他人のことを気にしている場合ではないな……)

 私は視線を戻す。

 現在、正面に陣取るレノルドは、ステッキによる刺突を繰り返していた。目にも留まらぬスピードだ。

 さらに魔術を使っているらしく、一撃ごとに雷撃を打ち込んでくる。

 私は打撃の連打で対抗していた。

 雷撃は拳で相殺する。接触面が少し痺れるも、支障の出ない範囲だった。

 私とレノルドによる高速の打ち合いは、徐々に加速していく。互いにその場を動かず、ひたすら攻撃に終始した。

 当初は余裕の表情だったレノルドであったが、だんだんと顔を曇らせる。

「……ッ」

 私の反撃がレノルドの頬を掠めた。

 ステッキで弾くのが一瞬でも遅ければ、顔面を抉っていただろう。

 レノルドは明らかに苛立っていた。

 彼は牙を見せて舌打ちすると、口を大きく開く。そこから半透明の短剣が飛び出してきた。

 私は短剣を掴んで投げ返す。

 レノルドはステッキでそれを払い飛ばすと、すくい上げるように顎を狙ってくる。

「甘い」

 私は片手を割り込ませて、ステッキの先端を掴む。

 指先に微量の魔力を流すことで、流し込まれた雷撃を押し留める。続けて掴んだステッキを引き寄せながら、レノルドの顔面を肘撃を打った。

「ガ、グァ……!?

 レノルドが大きく仰け反った。

 片眼鏡が破損して落下する。

 本来なら即死する程度の威力だったが、彼はまだ生きていた。

 潰れた顔面を晒すレノルドは、牙を剥き出しにして掴みかかってくる。私はそこに蹴りを浴びせた。

 レノルドが魔族を薙ぎ倒しながら吹き飛ぶ。

 途中で背中から羽を出して回転すると、羽を動かすことで空中へ逃げた。

 私の蹴りで胴体に穴が開いている。そこから血を流しながら、レノルドはいまいましそうに顔を歪める。

「ただの、人間如きに増援を呼ぶのはしゃくだが、仕方あるまい……」

 レノルドは横に手をかざす。

 空間に裂け目ができて、その向こうに荒野が見えた。あそこから追加の魔族を呼び寄せるつもりなのだろう。

 私はレノルドの行動に満足する。


(狙い通りにいったな)


 追い詰めることで、レノルドは必ず増援を呼ぼうとする。シンラの言った通りだった。

 そして増援は、必ず空間の裂け目から転移してくる。

 魔族の待機場所とは、すなわち彼らの本拠地である荒野だ。つまり裂け目に飛び込めば、一気に魔王のもとへ移動できる。

 これこそが私の狙いであった。

 レノルドを追い詰めて、近道を出現させる。それを奪って魔王に奇襲を仕掛けるつもりだったのだ。シンラはよろめいた際にこれを私に推奨した。

 彼がどういった目的でアドバイスしてきたのかは定かではない。

 もしかすると、決闘を台無しにした魔王軍への意趣返しのつもりなのかもしれない。

 何はともあれ最大の好機には違いなかった。

(──今だ)

 裂け目が大きくなったのを見計らって、私は跳躍した。

 驚愕したレノルドがステッキを振るってくるも、それを躱しながら彼を蹴り飛ばす。

 両手に魔力を通すと、閉じようとする裂け目に指をかけて強引に留めた。

 裂け目は凄まじい力で動く。私の膂力では完全には抗えず、今にも塞がりそうだった。

 これではリアやアンリを呼ぶ余裕はない。

(彼女達なら、きっと生き残れるはずだ)

 そう結論付けた私は、裂け目から向こう側へと転がり込んだ。


 ◆


 裂け目の先には闇が広がっていた。

 視界がざらついて、酷い耳鳴りがする。

 奇妙な浮遊感は、まるで無重力の空間にいるかのようだった。

 文句の一つでも言いたくなった頃、急にそれらの感覚が終わる。

 なんとか着地したのは、乾いた荒野だった。


 目の前には魔族達が並んでいる。

 見える範囲でも百は下るまい。上空から確かめれば、その数倍に迫るだろう。

 増援の魔王軍である。

 ここで待機して、レノルドから呼ばれるのを待っていたのだ。展開として予想していたとは言え、なかなかに衝撃的な光景であった。

 しかし、魔族達の反応は私以上だった。

 突然の襲来に気付くと、彼らは大声を上げて襲いかかってくる。

 こちらの正体には気付いていないようだが、敵ということは認識したのだろう。その切り替えの早さは評価に値する。

(もっとも、手遅れだが)

 私は最寄りの数体に拳の連打を見舞った。

 破裂音を伴って魔族が爆散する。

 魔術による防御を試みる者もいたが関係なかった。

 突き通すように打撃を加えれば等しく仕留められる。

 続けざまの震脚が大地を割り、深々と亀裂を作った。

 亀裂は木の根のように大地を這って、谷のような溝を生み出す。

 前方一帯を覆う溝に、足を取られた魔族はあえなく転落していった。反響する悲鳴はすぐに遠くなって途切れる。

 素早く動ける者や飛行能力を持つ者は、慌てて溝から逃れた。彼らは地上に降りず、私の間合いに入ってこない。無論、それらは想定した反応である。

 魔族を何度も殺害し、どういった行動を取るのかは予測できていた。賢明と言うより、無難な動きと評すべきだろうか。

 私は溝を跳び越えながら、地上に残る者へと襲いかかる。

 そして、間合いに収めた魔族から次々と抹殺する。些細な反撃をものともせず、攻撃速度と規模を拡大させていった。


(ああ、素晴らしい。これこそが戦いだ)


 鮮血を浴びる私は、衝動を解放していた。

 ただひたすらに暴力を振るい、魔族をじゅうりんする。

 迫る魔族は、全力で私を殺そうとする。

 その感覚がどうにも堪らない。

 心地良い気分に浸りながら、その命を刈り取っていく。

 肉塊を踏み進んでいると、頭上で魔力が膨れ上がった。

 見れば空中に逃げた者が詠唱を行っている。

 間もなく魔術による爆撃が始まった。

 豪雨のように降り注ぐ多種多様な術に対し、私は目視による回避を選ぶ。

 どうしても避けられないものは、魔族を掴んで盾にした。

 肉の盾を破壊されながらも、私は上空の魔族の数と位置を把握する。

 そして時折、頭上の彼らに死体を蹴り飛ばしてぶつけた。

 落下してきたところに拳か蹴りを浴びせて屠る。

 魔族達は一向に逃げようとしない。

 こちらがたった一人ということもあり、勝利を信じて疑わないのだろう。仲間を犠牲にしてでも殺すつもりらしい。

(──上等だ)

 決心した私は動きを倍速させる。

 こちらとしても、逃亡されないのはありがたい。追う手間が省けるからだ。

 どこもかしこも獲物だらけで、まったく飽きることがなかった。

 これほど素晴らしい状況も珍しい。

 殺意を全開にした私は、酔い痴れたように殺戮を繰り広げていく。


 ◆


 血みどろの大地に無数の死骸が散乱していた。いずれも魔族のものだ。

 千切れた四肢や破れた臓腑、潰れた生首などが転がっている。

 一部の肉が跳ねながら、他の肉と結合しようとしていた。

 しかし、密着したそばから崩れる。再生能力の限界が訪れているのだろう。肉片はやがて動かなくなる。

 死骸の中央に立つ私は、頬の返り血を拭おうとして止める。

 両手のみならず、全身が血塗れだった。拭っても血を引き伸ばすだけである。

 両手を上下させて、血を軽く振り払うに留めておく。

 なんとも不快な感覚だが、どうすることもできない。辺りにあるのは肉塊ばかりで、身体は洗えそうになかった。

 滴る血を一瞥して、私は嘆息する。

(随分と殺したな……)

 ここに待機していた魔族は殲滅した。それなりに時間はかかったが、大きな怪我はしていない。僅かな掠り傷も持ち前の治癒力で消えていた。

 体力的な面も気にするほどの消耗ではない。

 魔族の軍勢は、優れた膂力と特殊能力を武器に挑んできた。

 確かにそれらは脅威となり得るが、彼らはそれだけが取り柄だった。

 槍使いアブロや執事レノルドのように、武芸を磨いている者は少数派だったのである。

 力任せに暴れる者達の対処は楽だ。ほとんど魔力を使わずに排除できる。

 それどころか、彼らの魔力を強奪することで、身体強化を連続使用できる程度の量を確保した。これは嬉しい誤算であった。

 私は返り血を払いながら歩を進める。向かう先は既に決まっている。

 遥か前方にある漆黒の城だ。

 立体感が薄く、幻のような佇まいであった。魔術で成立する建築物なのかもしれない。

 城からは邪悪な気配が漂っていた。

 黒いもやとなって目視できるほどの魔力が充満している。

 かなり離れているにも拘わらず、呼吸に不快感を覚えた。

 あそこが魔王の居城だろう。

 戦いの最中、魔族が飛び出してくるのを何度も目撃した。

 今は静かに存在しているのみだが、奥に強烈な魔力反応を感じる。

(魔王はきっとあの城の中にいる)

 直感的に理解した私は、奥歯を噛み締める。

 魔族の軍勢など所詮は前座に過ぎない。

 ここからが本番であった。気を引き締めていかねばならない。


 踏み出そうとしたその時、城の正面扉が開き始めた。

 私は即座に足を止める。

 黒い靄の魔力がさらに濃くなった。

 ゆっくりと開いた扉から一人の魔族が現れる。

 私は目を凝らして容姿を確かめる。

 その魔族は背の高い女だった。

 赤と黒のドレスは、遠目にも分かるほどに鮮やかだ。まるで溶岩のような色合いで、こうこうと揺らめいている。

 やや長めの赤髪は、胸の辺りまであった。

 顔は鉄仮面で覆われており、表情は窺い知れない。手には黒い弓が握られていた。

 濃密な魔力が込められているようだ。特殊な力があるかもしれないため、気を付けた方がいい。

 他に武器の類は持っていないように見えた。

(これ、は……)

 鉄仮面の女は、尋常ならざる覇気を発していた。

 一見すると自然体だが、空気を軋ませるような力強さを帯びている。

 小心者は、その姿を見るだけで心臓が止まりかねないだろう。

 命を奪い合ってきた者の風格を、余すことなく放出していた。

 私は両の拳を握り込む。

 意識を鉄仮面の女に集中させて足腰に力を送る。

 散乱する死骸や、むせ返るような血の臭いは気にならなくなった。

 いつでも動けるように神経を研ぎ澄ます。

 微かに震えているのは、喜びだ。

 鉄仮面の女は強者である。

 紛れもなく一つの道を極めし者だった。

 この世界で死合ってきた者達と同等──否、それ以上だ。

 私が見てきた中で、間違いなく最強である。

 一瞬の油断が死に直結する。

 それを悟る私は、しかし喜びが抑え切れなかった。

(次から次へと強者と出会える。まったく、本当に素晴らしいな)

 何十年もの失望と葛藤が、ふっしょくされていく。

 私の人生は、きっと異世界のためにあったのだろう。

 そう思わせるほどの経験が連続している。

 もっとも、舞い上がってばかりではいけない。

 爆発寸前の内心を表に出さず、私は話しかける。


「魔王だな」

「そなたが勇者か」


 よくようとぼしい声音だった。

 私の問いを否定する様子はない。彼女が荒野の魔王で間違いないようだ。纏う気配が何よりの証拠である。

 魔王は静かに弓を持ち上げた。

 引き絞るような動作に合わせて、魔術で生成された矢がつがえられる。

 ただの矢では到底届かない距離だが、魔王にとっては射程圏内なのだろう。洗練された構えがそれを主張している。

 彼女は冷たい声で告げる。

「構えろ。我らに会話は不要。殺し合うだけだ」

「待て。一つだけ訊きたいことがある」

「なんだ」

「なぜ世界を滅ぼそうとする。侵略の果てに何を望むのだ」

 それは前々から気になっていたことだった。

 私は神から魔王の概要を聞いているが、詳しい内容は教えられていない。

 腐毒の魔王とは異なり、荒野の魔王は理性を保っているので、凶行に走る動機を訊いておきたかった。

 もちろん彼女と戦うことに変わりはない。

 魔王と勇者は、相容れない関係である。

 そこまで理解した上で、彼女の真意を知りたかった。

 魔王は弓を構えた姿勢で沈黙する。

 私の考えを見極めようとしているのか。

 やがて彼女は口を開く。


「──醜き人類共から魔族を存続させるため。魔王になった身で願うのは、それだけだ」


 答えを述べた魔王は、躊躇いなく矢を放った。


 ◆


 飛来する魔術の矢は、一般的な矢とは比較にならない速さで迫る。

 私の胴体を狙って飛び込んできたそれを、手刀で受け流した。

 やじりが耳を掠めて微かな痛みが走る。

 皮膚が切れたようだが、気にするほどではない。

 次に私は、矢を受け流した手を見る。

 小指の根元が浅く切れて、血が流れ出していた。

 すぐに治癒されて傷は塞がるも、決して無視できない結果である。

(完璧に受け流せたというのに負傷したか)

 常軌を逸した威力だった。さすが魔王と評すべきだろうか。

 これまでの経験から考えるに、総合的な破壊力は対物ライフルを超えているに違いない。それを牽制に近い感覚で放ってきたのだ。驚異的と言わざるを得なかった。

 顔を上げた時、魔王が次の矢をつところだった。

 放たれた矢は三本に分裂して私へと飛んでくる。

 微妙に軌道がずれているのは、同時に三カ所を攻撃するためだろう。確実に命中させることを重視したやり方であった。

 私は真横へ跳躍して、射線から逃れる。


 あの矢は不味い。


 今まで見てきた魔術の中でも、圧倒的な破壊力を誇っていた。

 射程や速度も申し分ない。

 何度も食らうべきではないだろう。

 直進してきた三本の矢だったが、突如として軌道を変更した。

 無理な角度で曲がって私を追尾してくる。

 まるで生きているかのような急旋回だ。

(──そう来たか)

 私は両手を前に運んで一本目の矢を叩く。

 それを二本目に当てて、まとめて地面に落とした。

 三本目はもう一方の手で振り払う。

 触れる際、指先に魔力を込めて矢を粉砕した。

 迸る光と共に衝撃が走るも、傷は増えていない。魔力で保護すれば被害を軽減できるようだ。

 私は息を吐いて気を整える。

 全身の力を循環させて、最適な形へと移行していく。

 遠方に立つ魔王は、同じ姿勢で矢を放った。

 今度は八本に分裂すると、それぞれが変幻自在の軌道を描きながら私に殺到する。

(……忙しないな)

 胸中で呟きながら疾走を始める。向かう先はもちろん魔王のもとだ。

 遠距離戦はあまりにも不利である。

 このままだと防戦一方に陥り、やがてころされる。距離を詰めなければならない。

 見る限り魔王の武器は弓のみだ。

 魔術は使えるようだが、それも遠距離攻撃に用いている。

 それに加えて、先ほどから私を近付けさせないように立ち回っていた。

(近接戦闘が不得手なのではないか?)

 閃いた推測に確証はない。

 たとえ魔王が近接戦闘を得意としていても、どのみち接近する必要があった。

 技の届く間合いならば、互角以上の戦いに持ち込める。

 大地を駆ける私に八本の矢が襲来する。

 それぞれの速度が異なり、角度が調整されていた。意図的に回避や防御を難しくさせている。

 魔王のきゅうじゅつに感心しつつ、私は迷わず直進していった。

 大地を蹴って際限なく加速し、追尾してくる矢を両手で打ち落とす。

 どうしても躱せない分は、軽傷に留められるように当たった。

 手足や脇腹に掠めた傷が増えて、僅かに血が滲む。

 もっとも、気にするほどではない。

 体内に蓄えた大量の魔力が高速再生を促していた。

 身体強化の副産物である。致命傷でない限り、無視できる状態だった。

 高速の矢を捌くうちに、七本目が顔面に飛んでくる。

 首を傾けると、頬と耳が抉られた。

 熱い痛みに呻く間もなく、八本目の矢が迫る。

 私は掌底で弾きながら加速した。

 魔王との距離はかなり縮まっている。まだその姿は小さいものの、確実な成果だった。

 この調子が続くのなら一気に接近できる。

 それを察しているであろう魔王に焦りは見られない。

 今度は弓を斜めに構えると、彼女は上空に向かって魔術の矢を連射し始めた。

 放たれた矢が数十本に分裂した。

 分裂した矢がさらに分裂を繰り返す。必殺の一撃は、雨のような密度で降り注いできた。

 私は構わず疾走し続ける。足を止めた瞬間、反撃の機会は永遠に失われるからだ。

 矢の雨は私の肉体など容易に引き裂くだろう。

 この勢いで走り切らねばならない。

 私は全身に魔力を巡らせて、体表を覆い尽くすように放出した。

 その形状を維持しつつ、落下してくる矢の雨に合わせて両腕を振るう。

 数千とも数万ともつかない矢を打ち砕きながら突き進んでいく。

 放出する魔力が矢を受け止めた。

 ほんの僅かに速度が緩和したところで防御する。

 これだけの密度だと回避は不可能に近い。小細工は通用しないため、正攻法で突破するしかなかった。

 もちろん無傷とはいかない。

 矢の雨は死角で軌道を曲げる。

 さらには地面に刺さったものが、唐突に反射して飛んでくる。

 無駄な矢はただの一本として存在せず、すべてが私を殺すために放たれていた。


 矢の雨の向こうに魔王が見える。

 彼女は最初の位置から動かず、ひたすら弓を操っていた。

 矢の雨を追加で飛ばしつつ、たまに弓を下ろして直線軌道で私を狙ってくる。

 追尾も分裂もしないその一射は、段違いに高威力であった。

 全力で防御しなければ余波で死にかねない。

 私は両腕を傷付けながらも後方へと受け流す。

 その間も頭上から容赦なく矢が降ってきた。

 私は長年の経験と直感に従って回避と防御を織り交ぜる。

 全身各所を穿たれながらもやり過ごして、ひたすら前進し続けた。

 鋭い痛みすらも一歩を進める活力に変換する。

 鮮血で染まる視界。

 気付けば私は、獣のように咆哮を轟かせていた。

 地を這うように駆けて、己の力を存分まで誇示する。

 それから一体どれだけの時間が経ったのか。

 魔王は、もう目の前にいた。

 あと十歩の距離だ。

 しかし、その十歩がどうしようもなく遠い。

 この距離にもなると、魔王は矢の雨を止めていた。

 弓を直接こちらに向けて、超絶的な技巧で連射してくる。

 機関銃を凌駕する速度は、底なしの魔力による力技によるものだろう。ただし、矢の狙いは無慈悲なまでに正確だ。

 究極に達した武技が、私の命を絶やそうと尽力している。

 魔王の鬼気を前に、私が感じたのは至上の喜びであった。

 渇望した強者の力が、全力で立ち向かってくる。

 私の武術を尽くしても尚、死が掠めていく。

 そのような瞬間を幾度も体感していた。

 感動のあまり涙腺が緩みそうになるも、意志の力で抑制する。

 涙は視界を悪くするので不要だ。

 私は気持ちの昂りを原動力に変えて、残る距離を駆け抜けていく。

(──残り五歩)

 私は目視で換算する。

 同時に、相手を間合いに捉えたことを確信した。

 魔王はその場から一歩も動いていなかった。

 弓師としての矜持か。

 或いは私に対する礼儀かもしれない。

 とにかく彼女は、最初の地点から動いていなかった。

 魔王は変わらず弓を構えている。

 至近距離から射撃を行おうとしていた。

 その前に私は、下から弓を蹴り上げる。

 狙いのずれた矢は上空へと飛んでいった。

 視界から瞬時に消え去るも、活性する魔力の反応は不可解な挙動を描く。

 高速で宙返りした矢は、背後から私を射抜こうとしていた。

 私は矢を見ずに躱すと、脇腹を掠めたそれを掴む。

 そして振り抜くように魔王の顔へと突き込んだ。

 魔王はとっに仰け反って避けようとする。

 私は追い縋るようにして踏み込み、決して間合いから逃がさない。

 伸ばした腕を介して、ついに鏃が鉄仮面に触れた。

 表面に突き立って亀裂を放射する。

 衝撃に耐え切れず、軋む鉄仮面が真っ二つに割れた。


 ──そこに覗いたのは、火傷痕のある美女の顔だった。


 ◆


 魔王の素顔が見えた。

 それを認識しつつも、私は手刀を繰り出す。

 死合いに関係のないことであった。

 魔王は黒い弓で食い止める。

 手加減なしの手刀だったが、勢いが完全に殺された。凄まじい膂力によるものだ。

 魔力は大して込められていないので、素の筋力が尋常でないのだろう。

(しかし、技量は分かった)

 私は間を置かずに蹴り上げを行う。

 身体強化で加速させた三連撃に、魔王は飛び退きながら辛うじて防御した。

 一瞬の攻防を経て、魔王の右前腕が折れている。爪先が掠めたのだ。

 肉体の強度に関しては、通常の魔族と大差ないようだった。

 距離を稼いだ魔王が弓を構えようとする。

 相変わらず素早い動きだが、この間合いならば脅威とはなり得ない。

 接近した私は掌底で弓を破壊する。

 側面に亀裂が走り、生成された魔術の矢が砕けた。

 魔王は射撃を止めて蹴りを放つ。

 私は上体を反らして躱すと、反転して回し蹴りを見舞った。

 直撃した魔王は吹き飛んで地面を転がる。

 土で汚れた魔王はなんとか立ち上がった。

 無表情に血を吐いて、口元を拭う。

 携えた弓はもう構えようとしない。

 破損したことで、矢を飛ばす機能を失ったのだろう。

 腰を落とした魔王は、弓を棍のように構える。

 構えを見るに、それなりに心得はあるようだった。

 ただし卓越した腕前ではない。彼女の技量は弓に特化していた。

 それでも芯の通った瞳は、未だに勝利を掴もうとしている。

(いい目つきだ)

 私は予備動作を飛ばして迫り、半身になりながら殴打を放った。

 魔王は弓を使って紙一重で防ぐ。

 鈍い衝突音と共に、亀裂がさらに広がった。あと一撃で完全に粉砕できそうだ。

(こちらの動きを追い切れていないな)

 やり取りの中で判断した私は、弓を掴んで引き寄せる。

 魔王が前のめりになったところで、そこに反対の手で手刀を打ち込んだ。

 首を切り落とす角度に対し、魔王は片腕で遮る。

 大質量の魔力を集中させて防御に徹していた。

 私は無視して手刀を叩き下ろす。

 捻りを加えた一撃は、魔力の防壁を突破して片腕をへし折った。

 ドレスの袖から割れた骨が飛び出す。

 腕を潰された魔王が顔を顰める。

「……ッ」

 彼女はすぼめた口から火炎を吐いてきた。

 至近距離からの不意打ちだったが、私はその場にいない。

 魔王の死角に回り込むように移動すると、火を噴く背中に肘撃を加えた。

 受け身も取れず、魔王は炎を散らしながら地面を転がる。

 土を掻きながら立ち上がろうとして、またもや血を吐いた。そこには肉片も混ざっている。

 直前の肘撃は、彼女の身体を徹底的に破壊した。

 まず背骨と肩甲骨を砕き、衝撃が伝播して内臓を引き裂いたはずだ。

 体内の魔力も乱しておいた。

 物理面でも魔術面でも致命傷となったろう。

 しかし、魔王はなんとか立ち上がってみせた。

 いつ死んでもおかしくないような状態だというのに、彼女は確かに立っていた。

 私を殺すために復帰してきたのである。

 魔王は弓を構えて突進してくる。

 振り下ろされた弓を難なく受け流し、反撃で魔王の鎖骨を打つ。

 砕き割る感触が、手を介して伝わってきた。

 弓を持つ魔王の腕が脱力する。

 そこに蹴りを浴びせると、彼女は折れた腕を犠牲に防御をした。

 地面を滑りながら後退し、ついには弓を取り落とす。

「終わりだ」

「勝手に決めるな」

 即座に応じた魔王は、最大出力で魔力を放出させる。

 赤黒い光が、彼女の全身を炎のように包んだ。

 折れた両腕が無理やり持ち上げられた。筋肉と骨が軋む音がした。

 血を滴らせながらも、魔王は両腕をぎこちなく動かす。

 そして、弓を引くような構えを作った。

 放出された魔力が集束し、腕の構えに合わせて弓と矢を形作った。

 魔王は強靭な意志を宿した眼差しで、矢を引き絞って私を狙う。

 正真正銘、すべてを懸けた一射であった。

(これが、執念か)

 歓喜の情を必死に抑え込む。

 殺戮衝動に震える全身をしっし、張り詰める意識を魔王だけに向けた。

 このひと時を、五感で味わい尽くす。

 間もなく矢が放たれた。

 同時に私も動き出す。

 極光の矢に片手を伸ばして、正面から掴む。

 すぐに気の飛びそうな熱量に襲われた。

 矢を掴む五指の皮膚が焼けて、血が蒸発する。

 筋肉が千切れると、骨が割れて粉々になる。

 その様を目にしながらも、私は決して指を離さない。

 魔王が命を捧げて放った矢だ。

 軽んじることは許されない。

 渾身の力を込めて掴み続ける。

 両脚の下で大地が陥没し、体勢が崩れそうになる。

 私は砕けんばかりに歯を食い縛り、極光の矢を握り込んだ。

 そこに体内に残る魔力を注ぎ込む。

 魔術師ヴィーナの爆発エネルギーも含まれていた。

 互いの全力で削り合う。

 猛烈な痛みが魂に刻み込まれていく。

 光越しに、魔王の顔が覗いた。

 使命に駆られた者の、強さと葛藤を湛えた表情だった。


 拮抗はそれほど長く続かなかった。

 先に破砕したのは、魔術の矢であった。

 矢は光の粒子となって霧散する。

 衝突の反動により、私の片手は見るも無残な状態となっていた。

 手首から先などは千切れかけている。

 爪も皮膚も肉も消し飛んで、僅かな骨と靭帯だけが残っていた。

 私は構わず前に走る。

 呆然と立ち尽くす魔王に、無事な手で正拳突きを打つ。

 空間の破裂する音がした。

 魔王の身体が、音速を優に超える速度で城に叩き付けられる。

 城は幻のように薄れて消失した。

 もしかすると、魔王の力が存在のいしずえとなっていたのかもしれない。

 渾身の一撃を受けた魔王は、膝から崩れ落ちた。

 そしてゆっくりと倒れる。