さらに私の足首を掴み、瓦礫の山を目がけて投げ飛ばす。

 私は回転して姿勢を制御しつつ、瓦礫に衝突する寸前に蹴りを打った。反動で建材を蹴り砕きながら勢いを相殺し、余裕を持ってその場に着地する。

 振り向くと、シンラが突進してくるところだった。

せわしないな)

 どうやら畳みかけて仕留めるつもりのようだ。そこに技巧はないように思えるも、端々の挙動でこちらの虚を衝こうとしている。

 決して油断ならない男であった。

 私は足元の瓦礫に目を落とすと、それらを連続で蹴り飛ばしていく。

 シンラは破城槌を盾にして接近してくる。

 瓦礫の大半が防がれるも、一部は肩や脚に命中した。

 しかし、シンラの動きは欠片も鈍らない。僅かに血が滲んだだけである。

 皮膚が浅く切れたようだが、その下の筋肉は傷付いていない。

 蹴り飛ばした瓦礫は、砲撃に匹敵する威力のはずだった。それにも拘わらず、シンラは突進を止めない。

 魔術を使った気配はないので、生来の頑強さで耐えたのだろう。

 破城槌の陰から、ぎらついた修羅の顔が覗く。

「……ッ」

 刹那、全身の震えを知覚する。

 恐怖ではない。

 湧き上がるのは歓喜だった。

 向けられる圧倒的な殺意が心地良い。

 私は脳内から回避を放棄すると、その場で身構える。

 間もなくシンラが、破城槌の間合いに私を収めた。

 それと同時に猛速の打撃を放つ。

 大上段からの振り下ろしに対し、私は真正面から蹴り上げで対抗した。

 一瞬のきっこうを経て、かろうじて押し返すことに成功する。

「ハ、ハハ……ッ!」

 シンラの目が見開かれた。絶対の一撃を凌がれた驚きと、この上ない喜びが走る。

 その硬直を逃さず、私は短いステップで距離を詰めた。

 がら空きとなった胴体に正拳を打つ。

 拳が鳩尾の芯を捉えた。ねじり込むように突き込んで、そのまま一気に振り抜く。

 響き渡る破裂音。

 拡散された衝撃が地面に亀裂を放射し、足元が陥没する。渾身の一撃が入ったことを確信した。

 拳を受けたシンラは、身体を少し折って吐血した──それだけだった。

 口から血を垂らしながら、堕落僧は狂喜に浸った眼差しを発散する。

 赤くなった歯を見せるシンラは、穏やかに言う。

「いいぞ。こんなにいてぇのは初めてだ……」

 私は反射的に飛び退こうとするも、肩を掴まれた。太い指が食い込んで、骨が悲鳴を上げる。

 私を拘束するシンラは、片腕で破城槌を掲げていた。

(この男は不死身なのか?)

 私は至近距離から掌底を打ち、一寸の狂いもなく正拳を打った箇所に重ねた。

 肋骨を粉砕する感触が伝わるが、肩を掴む手は微塵も揺るがない。

 次の瞬間、ぎ払うような一撃が私の脇腹に直撃した。


 ◆


 視界が激しく回転する。私は地面をぶつかりながら、関所の壁に激突した。

「ウェイロン殿ッ!」

 リアの悲鳴が聞こえた。

 続けて金属同士の衝突音が鳴り響く。

 おそらくリアとアンリがシンラと戦い始めたのだろう。

(まったく、情けない)

 私は自嘲する。

 身体は瓦礫に埋もれて、何も見えない状態となっていた。

 脇腹に激痛が走る。肋骨が何本か折れたらしい。

 少し呼吸がしづらいが、慣れれば問題ないだろう。

 私は両腕で瓦礫を退けて起き上がる。シンラに襲いかかったリアとアンリが、片手間に一蹴されるところだった。やはり二人かがりでも敵わない相手だったらしい。

 堕落僧シンラは逸脱した強者であった。国内最強の評判は伊達ではない。勇者など召喚せずとも、王国の戦力はシンラ一人で十分だろう。

 ただし彼は、国王の命令に嫌々従っている節があった。

 国内で罪に問われないことを交換条件に刺客となったと話し、忠誠心はないとも断言している。このことから、堕落僧は制御下にない最終兵器だと思われた。

 どうしても力を借りたい時、なんらかの条件を提示して働かせているに違いない。一連の言動や戦い方から察していたが、相当な曲者のようだ。

 私は血を吐き捨てて、破城槌で打たれた箇所に触れた。

 それなりに重傷であるものの、動きに支障はなさそうだ。吹き飛ばされる寸前、肩を掴むシンラの手を振り払えたのが良かった。

 破城槌の打撃に対して、全身を使った受け流しを使えたのだ。おかげで被害を最小限に留めることができた。

 完全ではなかったので負傷はしたものの、それは向こうも同じである。

 シンラは平然としているが、私の一撃で体内を掻き乱されている。姿勢が傾いたままになっているのは、負傷箇所をかばっている証拠だ。受けた傷を考えると、私より遥かに重傷だろう。

 一見すると大したことがないようだが、並外れた精神力で耐えているだけであった。

(あの状態では、長くは戦えない)

 体内が傷付いているので、姿勢も制限されている。

 腐毒の魔王のように再生能力があるわけでもなさそうだった。

 無理をして戦い続ければ、命を落とすことになる。本人もそれは理解しているはずだ。

 故にシンラは短期決戦に持ち込もうとする。

 私の一撃でも揺るがないほどの強さを持つため、特に反撃に注意しなければならない。今の私でも、破城槌を何度も食らえば危険だった。

 シンラは深呼吸をしていた。

 青黒い痣のできた鳩尾を撫でている。

 リアとアンリは少し離れた所に倒れていた。

 二人とも負傷して気を失っている。ただし、死んではいない。抵抗できずに吹き飛ばされことが、逆に命を救ったようだ。

 本来ならシンラの追撃で殺されているところが、それ以上は手出ししない。さすがの彼も、私が近くにいる場面で隙を晒したくないらしかった。

 シンラは気楽そうな佇まいだが、意識は常に私を捉えている。瓦礫に埋まった時からそうだった。

 最大限の警戒を払っている。

 深呼吸を止めたシンラは、朗らかに手を上げた。

「よう。さすがに一発じゃ殺れねぇか」

「同じ台詞を返したい気分だ」

「いやいや。こっちはせ我慢さ。痛くて泣き喚きたいくらいだぜ、まったく」

 シンラは苦笑気味に肩をすくめる。

 今のは若干の本音も含んでいるようだった。皮肉混じりの笑みは、心なしか疲れている。

(これ以上の無駄話は不要だ。二人を治療せねば)

 直立した私は右腕を後ろに回す。左手は顔の前で伸ばし、甲をシンラに向けた。

 その姿勢で止まると、静かに告げる。

「全力でかかってこい。私はそれを凌駕しよう」

「……ヒャハッ!」

 返ってきたのは、獣じみた歓声だった。

 狂喜の笑みを湛えたシンラが突進してくる。防御を考えず、私を叩き殺すことに専念していた。

 シンラが一気に距離を詰めて、破城槌を突き出してくる。

 空気を抉るような一撃だった。

(少し、試してみるか)

 私は前に出した手に魔力を込め、迫る破城槌に添えて、軌道を脇へと逸らす。

 破城槌は私が触れた箇所から腐蝕していった。

 表面を発端に変色して朽ちていく。

 腐蝕の波は、瞬く間に持ち手へと進んだ。

「ハ、ハハァッ!」

 シンラは破城槌を引き戻さずに手放した。同時に殴りかかってくる。得意武器を失ったにも拘わらず、動揺は見られなかった。

 しかし、素手同士となれば私に分がある。格闘戦において負ける気はしなかった。

 シンラの拳に手の甲を当てて受け流す。

 シンラは目にも留まらぬ速さで連打を繰り出してくる。意表を突くように足技も挟まれる。

 私はそれらのすべてを的確に凌いでいった。

 その中で反撃を打ってシンラを傷付ける。膝を蹴り砕き、鎖骨を手刀で割り、喉を切り裂いた。

 シンラは一度も躱さない。

 血だらけの満身そうになるが、その分だけ攻撃が加速した。受けた傷を倍返しするかの如く、猛攻を繰り返す。

「──ゴアアアァァッ!」

 シンラが咆哮を轟かせて私の首に手を伸ばす。

 その手を掴んで止めた。力任せに押し込まれるも、私は決して放さない。後ろ向きに地面を滑りながらも、シンラの目を見る。

 もはや素顔が分からないほどに血で染まった堕落僧は、もう一方の拳を振りかぶった。そして、叩き潰すように振るってくる。

 私は半身になってブレーキをかけた。

 さらに事前にリアから受けていた魔力を全身に浸透させる。瞬間的な身体強化が施されたのを確かめてから、下から打ち上げるように掌底を打つ。

 殴打を弾かれて、シンラの腕が頭上まで浮き上がった。

 そこからさらに構造的にありえない角度まで回る。筋肉が断裂し、骨の砕ける音が鳴った。

 シンラの屈強な腕は、一回転した末に千切れ飛んだ。

 宙を舞い、音を立てて地面に落ちる。

「……あ?」

 シンラは呆然と片腕を眺める。

 断面から血が噴出し、割れた骨が覗いている。それでも間の抜けた顔をしていた。

 掴んだままの手を捻ると、シンラは前のめりとなった。

 あまりに隙だらけな挙動だが、今度こそ演技ではなかった。

 私とシンラの視線が交わる。血走った両目には、歓喜と憎悪と恐怖と驚嘆と憧憬が絡み合っていた。

 そこに私は、全力の拳を叩き込んだ。

 シンラが吹っ飛んで地面に衝突する。

 瓦礫を蹴散らしながら転がり、かなりの距離を進んだところで止まった。

 血を撒き散らしたシンラは起き上がってこない。遠目にそれを眺める私は息を吐く。

(なんとか成功したな……)

 絶大な効果を発揮した身体強化だが、鍛練中は失敗することもあった。土壇場で機能してくれて良かった。急激に上がった打撃の威力に、さすがのシンラも反応できなかったようだ。

 身体強化はまだ瞬間的にしか発動できない。

 魔力を外部からの供給に頼る私は、そもそも常時使用に向かないだろう。強化の具合によっては、自らの動きを阻害しかねない危険性もある。精密動作を要する拳法とは噛み合わない。

 過信してはいけない力だが、それも私次第であった。

 感覚を馴染ませれば、効率良く使えるはずだ。

 シンラほどの男の腕を一撃で千切り飛ばすほどの効力を持つ。対魔王を想定した秘策の一つとして、自在に操れるようにしておきたい。

 魔力を体内に戻した私は、シンラの状態をよく観察する。

 彼の顔面の右半分は陥没して、片目が潰れていた。

 千切れた片腕の断面は、出血が緩やかになっている。もう流すだけの血が残っていないのだ。

 シンラは静かに呼吸をしていた。時折、吐血するもまだ生きている。驚異的な生命力であった。

 先ほどの一撃で殺せたと思ったのだが、なんとか踏み留まったようだ。

 私が歩み寄ると、シンラは薄く目を開いた。血に染まった瞳がこちらを向く。

「……、……っ」

 裂けた唇が、何か言う。

 肝心の内容は聞き取れなかった。しかし、口角が僅かに上がっている。

 シンラは、笑っていた。

 半死半生の身でこれから殺されるというのに、穏やかな表情だった。

(──見事だ)

 私は手刀を掲げる。

 堕落僧は癖の強い男だ。英雄と呼ぶに値する隔絶した力を持ちながらも、無法者として振る舞っている。

 決して善性のある人間とは言えない。

 ただし、戦いに対する根源的な感情については共感できるものがあった。シンラは私と同類なのだ。全力で殺し合う機会を求めていた。飢えや渇きを抱えて生きてきた。

 そのような彼が、なぜ魔王に挑まないのか。

 へんくつな性格をしているので、本人なりのこだわりがあったのだろう。国王の命令にさえも素直に従わない男だ。

 万が一にも魔王を倒した場合、英雄視されるのが嫌だったのかもしれない。

 何はともあれ、堕落僧シンラは素晴らしい死合いをさせてくれた。彼の強烈な強さは私の記憶に刻み込まれた。

 決して忘れることはないだろう。

 胸中に感謝の念を抱きながら、私は手刀を下ろそうとする。


 その時、関所跡から火球が飛来した。


 私は手刀で切り裂いて防ぐ。

(無粋な……)

 手を下ろして、火球の飛んできた先を見やる。

 瓦礫を踏み越えて現れたのは、数百もの異形の集団だった。