第四章
正面に立つ熊のような魔族は、天井にぶつけながら棍棒を掲げた。黒い毛に覆われた剛腕が、空気を歪ませながら打撃を繰り出す。
まともに受ければ叩き潰されそうなそれを、私は片手の突きで迎えた。
衝突の瞬間、手首や指先の動きで力の流れを掌握する。棍棒の破壊力を、私の拳に上乗せして魔族へと返した。
それほど力を込めていない突きは棍棒を粉砕し、吸い込まれるように魔族の胴体を捉える。
抉り込むように衝撃を深部に伝えると、破裂音が鳴り響いた。
「ァガッ……ッ!?」
魔族の背中が弾けて、肉と骨の破片が四散する。それらが背後の壁を汚した。魔族は息の詰まったような声を洩らすと、白目を剥いて崩れ落ちる。
それを見届けた私は室内を見回す。半壊した家屋内には、
天井から怒声が聞こえてきた。すぐに重い物体が落ちる音がして、似たような音が連続する。上階を任せたリアが奮闘しているのだろう。
(助けは……必要なさそうだな)
近頃の私達は、アブロの紙片を頼りに街の魔族を殺戮していた。
魔族達は各所に潜伏している。浮浪者に紛れていたり、犯罪組織に
当然、街の勢力図に乱れが生じる。魔族の助力を受ける者達は、私達の排除を画策した。同胞を殺された魔族も報復に打って出た。
私達はそれらを片っ端から捻じ伏せていった。暴力を、より強い暴力で叩き潰したのだ。これほど分かりやすい道理はない。
アブロ達との死闘から十数日。それらもようやく沈静化しつつあった。
逆に各勢力から勧誘されるほどだ。私達とは敵対すべきではないと認識したらしい。
そういった勧誘については、いずれも断っていた。
私達はこの地に長居しない。魔族を殲滅した段階で出ていくつもりなのだ。特定の勢力と手を結ぶことに利点はなかった。
紙片に記載された魔族も、この建物にいた者が最後だった。先ほど倒した棍棒使いである。
それなりの実力者であったが、アブロには遠く及ばない。彼は魔王軍でも上位の強さなのだろう。
当時の激闘を振り返っていると、背後から僅かな殺気が発せられた。
私は壁と同化していた魔術師を掴んで引き倒し、その首をへし折る。
目視できなくとも、気配さえ分かれば始末は容易い。奇襲を狙っていたようだが、隠密能力が不足していた。
当初は生け捕りにして兵士に突き出していたが、今では皆殺しを徹底している。
捕縛された者が碌な扱いを受けない上、兵士への
二度手間になるため、確実に殺すように意識していた。
ヴィーナのように自爆してくるような
残酷な気もするが、私もリアも殺人を躊躇う性質ではなかった。
上の階に赴くと、血染めの部屋が続いていた。あちこちに斬殺された死体が残されている。
リアは奥の一室に立っていた。彼女は私に気付くと、魔術の全身鎧を外して駆け寄ってくる。
「申し訳ない。少し手間取ってしまった」
「いや、十分に早かった。技が順調に磨かれている」
「そ、そうか……」
リアは照れ笑いを覗かせる。
技量の向上については、自覚している部分もあるのだろう。師である私からの言葉が嬉しいようだ。
急成長するリアに、私も負けていられなかった。
彼女の憧れる存在として、常に先を進まねばならない。まだ見ぬ強さを手にするのだ。
ほどなくして私達は建物を出る。
遠巻きに眺める人々をよそに移動を始めた。私達の名は知れ渡っており、接触してくる者はいない。
これで街の魔族は皆殺しにできた。次の標的は荒野の魔王である。
陰謀の失敗が露呈した以上、向こうはなんらかの行動に出るはずだ。次の策を打たれる前に、元凶を倒そうと思う。
目前に迫る強敵を意識して、私は胸を高鳴らせた。
◆
翌日、私達は多くの人々に見守られながら街を出発した。
住民の大半が安堵したことだろう。
私達は毎日のように殺戮を敢行してきた。その影響が大きすぎたからだ。
兵士達もそれを止めなかった。巻き添えになることを恐れたのだろう。彼らの中では、保身と懐の潤いだけが最優先だった。
悪事を働く者は、私達がいなくなることに胸を撫で下ろしているに違いない。彼らからすれば、私達は厄介者そのものである。
いつ襲撃してくるか分からず、街の勢力図など無視して荒らし回るのだから当然だろう。裏で災害のようだと揶揄されていたのも知っている。
かと言って私は、彼らを屠るつもりはない。
この地に魔族はもういない。目的を果たした以上、長居する意味はなかった。
新たな魔族がまた潜り込むもしれないが、いちいち付き合っていてはきりがない。ひとまず大きな問題は取り除いた。これ以上の労力を
私とリアは帝国内を移動する。目指すは荒野である。
徒歩や馬車でひたすら進んでいった。基本的に野宿で、たまに村や街に寄る。
移動中も鍛練は欠かさない。魔物や盗賊を相手に戦いを繰り返した。
リアは剣の冴えが日々増していた。
さらに最近では、拳法も本格的に学び始めている。
基礎の基礎だが、彼女の希望で伝授することになったのだ。
リア曰く、剣を失った際も戦えるようにしたいらしい。
あらゆる場面を想定した強さを身に付けたいのだという。
その考えは素晴らしい。一つの武器を極めるのも悪くないが、偏りすぎると柔軟性に欠けてしまう。戦闘中に武器を破壊されることもある。そういった時、途端に弱くなるのは問題だろう。
だから私も、最終的には素手で戦う形に落ち着いた。
武器持ちに比べれば間合いの短さが難点だが、それを補って余りあるほどの汎用性を秘めている。
したがって拳法を学ぶのは良い選択だ。
リアにはそれなりに素質がある。元より私の動きから模倣し、剣術に組み込めるほどの才覚を有する。
初めて戦った時点で、その将来性に期待を抱いたが、想像以上の逸材であった。
己の力と、強者との死合いにしか興味がなかった私が、今ではリアの成長も楽しみの一つとしている。我ながら良い変化だと思う。
いずれリアに魔王との戦いを任せてみたい。
然るべき成長を遂げた後ならば、きっと勝利を掴んでみせるだろう。
そんなある日、私達の進路を阻む者が現れた。
森沿いに続く寂れた街道に、黒衣の人物が立っている。
頭巾で顔は窺えない。体型からして女だろう。佇まいから、身軽さが察せられる。
特徴として、非常に気配が希薄だ。意図的に気配を殺している。その技量はただの盗賊ではない。専門の訓練を受けた手練れであった。
(私達を狙う暗殺者か?)
心当たりは無数にある。
ただし、前方の人物から殺気は感じられない。殺意もなしに攻撃してくるような者もいるが、それとは異なる気がした。
「…………」
隣のリアが、剣呑な雰囲気を発する。剣の柄に手がかかっていた。いつでも仕掛けられる体勢である。
私も闘気を全身に巡らせた。どのような事態にも対応できるような心構えを作る。前方の人物だけでなく、周囲の端々にまで注意を向けた。
張り詰めた静寂の中、黒衣の女が小さな声で問う。
「あなたはリ・ウェイロン……?」
「何者だ」
それには答えず私は聞き返した。
相手はこちらの素性を確信したらしく、視線の圧力が強まる。左右の腕が僅かに揺れて、袖の内から金属の擦れる音がした。
黒衣の女が一歩踏み出す。
「──その実力、試します」
刹那、彼女の姿が霞む。瞬く間に距離を詰めてきたその女は、引いた手に短剣を握っていた。
◆
黒衣の女は、這うような姿勢から短剣の刺突を繰り出す。
常人から逸脱した速度だった。角度も鋭い上、こちらの心臓を狙っている。
私は迫る刃先を指で挟んで止めた。それ以上は刺突が進まないように力を込める。さらに短剣を引き込もうとした。
しかし黒衣の女は、それより先に短剣を離すと、宙返りしながら退避する。
(いい反応だ)
感心する間にも、黒衣の女が右の袖を揺らす。そこから澄んだ金属音が鳴った。
勢いよく飛び出したのは銀の鎖だ。音の正体はこれだったらしい。
鎖の先端が、私を目がけて突き進んでくる。
躱しながら手刀を叩き込んで鎖を切断した。千切れた先端が地面を転がる。そこから動く気配はない。制御できるのは、繋がっている分だけのようだ。決め付けは良くないが、おそらく間違っていないだろう。
黒衣の女の袖から、ひと繋がりで鎖が伸びていく。あれだけの鎖をどこに隠し持っていたのか。魔力の動きが感じられるので、なんらかの魔術を用いているのかもしれない。
女は袖から伸びる鎖を中途で掴むと、
私は迫る鎖を左右の手で弾いた。
痺れるような衝撃。相当な威力が込められている。常人なら肉が弾け飛ぶところだ。
鎖は慣性を無視してうねり、生物のように打撃を連続させてくる。こちらの反撃を遮ることを意識した挙動だった。
隙の少ない見事な操縦である。
「はぁっ!」
その時、リアが横合いから黒衣の女へと仕掛けた。ところが彼女の斬撃は空を切る。
黒衣の女が最低限の動きで回避したのだ。剣の軌道を完全に見切っていた。
リアは果敢に攻め立てるも、黒衣の女は軽やかに躱し続ける。その間も鎖が私に連打を浴びせてくる。
(このままでは
戦況から判断した私は、迫る鎖を掴む。何度も動きを目の当たりにすれば、これくらいは造作もない。そのまま腕に巻き付けて引き寄せていく。
「……っ」
黒衣の女が驚愕の色を滲ませる。
直後、彼女の袖から鎖が抜け出た。装着していたものを分離したのだろう。
それを見た私は腕を振る。巻き付けた鎖が連動して一閃された。澄んだ金属音を鳴らして、黒衣の女に襲いかかる。
黒衣の女は後方へ跳んだ。
仰け反って鎖を躱しつつ、ナイフを投げてリアを牽制する。そのまま鎖の範囲外へと逃れた。
着地した黒衣の女は、こちらを注視しながら佇む。
その時、彼女の頭部を覆う頭巾が破れた。鎖が掠めたことで、小さく裂けていたのだろう。裂け目から頭巾がほどけて落ちる。
「あっ!」
リアが思わずといった調子で声を上げた。
頭巾の下から露わとなったのは、水色の頭髪。
続いて褐色の肌と、細長い耳が覗く。
(あの容姿は確か……)
私はリアから教わっていた知識を思い出す。
事前に聞いていた種族の外見的特徴と合致しているのだ。改めて風貌を目にした私は、確信する。
黒衣の女は、ダークエルフと呼ばれる亜人であった。
◆
顔を晒した女は、手を前に突き出した。
落下した頭巾を一瞥してから、彼女は発言する。
「待って。実力はもう、分かりました」
戦気は既に感じられない。
攻撃するつもりはないようだった。気配も心なしか軟化している。
剣を構えていたリアは険しい面持ちを崩さない。一方的に中断を告げる女に納得できないのだろう。
リアは全身を鎧に包みながら、抗議の声を上げる。
「戯れ言を。いきなり攻撃しておきながら、そのようなことを──」
「分かった」
私は被せるようにして言う。
すぐさま驚愕したのはリアだ。彼女は目を見開いて私を凝視する。
「ウェイロン殿!?」
私はリアの反応を流す。
黒衣の女に視線を固定したまま、質問を投げかけた。
「こちらを試すと言ったな。誰の差し金だ」
「帝国、です」
黒衣の女が素直に回答する。
少しぎこちない口調なのは癖だろうか。自信がなさげな態度だ。戦闘中のそれとはまるきり違う。人付き合いが苦手なのかもしれない。
ひとまず戦いはここで終わりらしい。
やや残念だが、訊いておかねばならないこともある。
私はそれを黒衣の女に確かめた。
「目的も明かせるか」
「はい」
黒衣の女は首肯すると、ぎこちない口調で語り始める。
彼女は帝国の
リアの補足によると、猟犬と呼ばれる凄腕の暗殺部隊らしい。そういった存在がいたのを思い出したそうだ。肩書きは諜報員とのことだが、暗殺任務も多いのだろう。
黒衣の女は、国内に潜伏する魔族の調査をしていた。その過程で彼女は、私達が暴れているという話を掴んだ。
素性及び目的を調べ上げたのちに、帝国の頂点に君臨する皇帝に報告した。
そして、私達の手助けを命じられたそうだ。
ちなみに手助けとは、荒野の魔王の討伐までを指すらしい。
知らぬ間に、私達は帝国内での活動を容認されていたのであった。表立っては力添えできないので、こうして影の人間を派遣して恩を売っておきたいのだろう。
(皇帝は、魔王殺しである私に関心を抱いたのだ)
できることなら友好的な関係を築きたいと考えたに違いない。
きっと王国での殺戮を知っている。だから何かを命じることはなく、あくまでも対等な協力関係を結ぼうとしている。
二の舞にならないように気を付けた結果、黒衣の女を接触させたのである。
なかなかに利口な判断だった。おかげで皇帝に対する印象も悪くない。
「つまりお前は、荒野まで味方となる。その認識で間違いはないか」
「はい。それで大丈夫、です」
黒衣の女は頷く。
事情を話し終えた彼女からは、やはり感情が窺えない。
危険な任務を言い渡されている身だが、不満などは感じられなかった。暗殺者として、心を律する訓練をしているのだろう。
話がまとまりつつあった頃、リアが私の片腕を掴んで後ろに引いてきた。
彼女は囁き声で忠告してくる。
「ウェイロン殿、あの女を信じるのか? 怪しすぎるぞ」
「目が真実だけを語っていた。問題ないだろう」
いくら感情を隠せるとしても、嘘を言ったか否かは判別できる。黒衣の女は、素直に実情を話していた。
あえて話していない部分もあるだろうが、少なくとも虚実を織り交ぜるようなことはしていない。最低限、信頼に値するだけのことを伝達している。
それに帝国からの助力は無視できないものだ。
現在の私達には後ろ盾がない。王国からは指名手配されている始末である。
各地の魔王を殺し回るという使命の都合上、今後も様々な国を渡り歩くことになる。必須というわけではないものの、国との繋がりを持っても損はないだろう。
そういったことを説明したが、リアは尚も食い下がる。
「しかし……」
「いざとなれば、始末すればいい。彼女の力量は把握できた。私なら殺せる」
私は後押しの言葉を付け加える。
これも紛うことなき本音だ。
帝国は私を利用しようとしている。
もし不利益になると判断すれば、容赦なく抹殺しようとするだろう。だが、それはこちらも同じである。
一国を傾かせるだけの覚悟と力が、私にはあった。
たとえば腐毒の魔力だ。
これを帝国の中心地にて放出すれば、皇帝を含めた幾万もの民を殺害できる。拳を振るうまでもない。
卑劣極まりないが、必要となれば実行する所存であった。
世界を救う勇者として私は召喚された。
ただし、その本質は未だに暗殺者のそれである。手段を選ぶつもりはない。
身震いしたリアは、緊張した様子で呟く。
「さすがウェイロン殿……冷酷だな」
「
私はそう返して話し合いを打ち切った。
再び黒衣の女に向き直って告げる。
「我々としては、そちらの助力を受けたいと思う」
「分かり、ました」
黒衣の女は、無表情に応じる。
彼女はその場で
「己はアンリと、いいます……よろしく、お願いします」
◆
ダークエルフの暗殺者アンリを加えて、私達は帝国領土を移動する。
同行者が増えたからと言って、何か劇的な変化があるわけでもない。ひたすらに鍛練と移動の繰り返しであった。
たまに村や街に寄って、生活用品を購入する。
盗賊を捕まえて懸賞金を得ることで、三人分の生活費を
犯罪者はどこにでもいる。金銭面で困窮することはなかった。
アンリは大人しく、基本的に無言で追従する。彼女から発言することは滅多にない。気配を殺して、私達の行動を傍観することが多かった。
時折、アンリは本当に姿を消すことがある。
それについて尋ねたところ、皇帝に経過報告を行っているそうだ。
国の最高責任者の直属で動いているので、実質的に使者のような立ち位置だろうか。アンリは相当に信頼されているようだ。
逆算的に考えると、私はそれだけの人材を遣わされるほどに注目されている。皇帝からしても、決して無視できない人物なのだ。
冷戦状態である王国に大打撃を与えたこともあり、可能ならば味方に引き込みたいのだろう。
ただし、私の気を損ねないように慎重である。アンリを派遣することで、魔王討伐への助力をアピールしていた。
皇帝は、よほど私の力が欲しいようだ。
よくよく考えると、王国も隣国を意識して勇者召喚を行ったのかもしれない。
国王も魔王に対抗できる戦力を求めていた。帝国を切り崩す手札を探していたに違いない。
やはり異世界でもそういった面は変わらないのであった。
そうして移動を続けること数十日。先頭を進む私の後ろで、珍しくリアとアンリが話し合っていた。
「そういうことだ。分かったな?」
「はい。理解、しました」