佇むヴィーナが静止する。

 その肉体が徐々に変形を始めた。遅々とした速度ながらも膨らんでいく。

 彼女の体内にて、魔力が渦を巻きながら増大していた。開かれた傷口が蒸気を噴き出す。

 リアは汗を滲ませた顔でたじろいだ。

「ウェイロン殿、あの魔力の脈動は……」

「自爆だな」

 私は断定する。魔術にうとくても分かった。触手で私達を捕らえたヴィーナは、確実に爆殺する魂胆らしい。この距離でさくれつすれば、即死しても不思議ではなかった。

 人型から崩れたヴィーナは、全身各所を軋ませながら膨らみ続ける。その目は、憎悪を以て私達を射抜いていた。

「魔王様の野望を妨げるのなら、何者であれ抹殺します」

「くそ、きょうだぞ!」

 リアは悔しげに吠える。ヴィーナは意にも介さない。彼女は冷ややかに唇を動かした。

「卑怯で結構。目的のためなら手段は選びません。隣のご老人は理解されているようですが」

「…………」

 向けられた視線を受けて、私は黙り込む。

 ヴィーナは私の実年齢を察しているようだ。若返ったことについてはふいちょうしていない。魔術師である彼女の観察眼は、私が老人であることを看破したのだ。

 もっとも、この場においてはどうでもいいことだった。

 おそらくはしゅ返しのつもりだったのだろう。それ以上の反応を見せず、私はヴィーナに告げる。

「その忠誠心は見事だが、我々は先に進む。道連れになるわけにはいかない」

「そうですか」

 ヴィーナはそっけない返事をした。彼女は風船のように膨張しており、傷口が光を漏らしている。ローブが裂けて、張り詰めた皮膚が露出していた。こちらまで届くほどの熱気を放出している。

「あなた達を拘束する術は、物理攻撃が効きません……生半可な魔術も通用しませんよ」

 後半の言葉は、リアに対するものだった。

 必死に剣を抜こうとしていたリアは、険しい顔で歯噛みする。剣は仄かに発光していた。魔術を纏わせた剣で、触手を切り裂くつもりだったのだろう。

 しかし、リアの術では出力が足りない。鞘から引き抜けたとしても、触手は斬れないはずだ。本人もそれを悟ったのか、観念して柄から手を放す。

「すまない、ウェイロン殿。小官が確実に仕留めていれば……」

「気にするな。私も察知できなかった」

 リアだけの責任ではない。私もヴィーナの死を確信し、その上で拘束されたのだ。触手の絡まる両腕に力を込めながら私は呟く。

「ここは私がなんとかしよう」

 私は体内に沈殿する魔力を意識する。それは腐毒の魔王から奪った力であった。

 入念に封じていたそれを、ほんの僅かに解放する。慎重に体内を巡らせて、全身を覆い尽くしていった。

 皮膚に違和感を覚えた。見れば僅かに腐蝕が進んでいる。魔力の影響を受けているようだが、気にせず意識を集中させた。

 頃合いを見て魔力の流入を切る。

 私の全身には、腐毒の魔力が浸透していた。あの渓谷で殺し合った魔王の残滓が感じられる。

(これならば……)

 私は触手の抵抗感を知覚すると、振り切るようにして身を回転させる。刹那、四肢に纏わり付いた半透明の触手が千切れ飛んだ。追加の半回転でリアの拘束も切り裂く。

 触手は私に触れた端から腐敗していった。煙を上げて崩れていく。

 拘束を解いた私は、それらを掻いくぐるように疾走する。瞬く間に爆発寸前のヴィーナへと接近していく。

「なっ……」

 驚愕するヴィーナは手足を動かそうとする。しかし上手くいかない。自爆の準備が整いすぎて、魔術行使に支障を来しているようだった。

 なけなしの触手が襲いかかってくるも、いずれも弾き飛ばす。接触できるのならなんら脅威ではない。目を閉じていても拘束されることはないだろう。

 私は瞬時にヴィーナを間合いに収めた。血走った彼女の目を見て、はっきりと告げる。

「その執念、感服する」

「────ッ!」

 ヴィーナが何か叫ぼうとした。その前に私は、膨らんだ胴体に突きを見舞った。

 破裂寸前の魔力を吸収しながら、貫き通すように打撃を打ち込む。

 拳から伝わる破壊の感触。

 自爆を試みた魔術師ヴィーナは、背後の壁を破って屋外へ吹き飛んだ。


 ◆


 ヴィーナが宙を回転する。緩やかな放物線を描く彼女は、鉄柵を突き破って路上を転がっていった。最終的には、向かい側の家屋に激突して止まる。

 家屋が倒壊して土煙が舞い上がった。

 ヴィーナは建材に埋もれるように倒れていた。胴体に大穴が開いて、四肢や頭部が千切れかけている。

 彼女の身体はしぼんでいた。先ほどまでの膨張が止まっている。

 私が打撃と同時に魔力を吸収したことで自爆できなくなったらしい。

 ヴィーナは憎々しげに私を睨んでいた。やがて、その瞳から光が失われる。力を失って首を垂らすと、それきり動くことはなかった。死霊魔術の効果が切れたのだろう。

 魔術師ヴィーナは死んだ。

 決して油断ならない恐ろしい相手だった。槍使いアブロとは対照的で、凄まじい執念の持ち主であった。

 彼女は手段を選ばず、私達の始末を遂行しようとした。自爆すら躊躇わないその精神力は、魔王への忠誠心が根源だった。

 人間であるヴィーナが、なぜ魔王軍に加担したのかは知らない。そこには様々な事情があったのだろう。

 ヴィーナは、私のように使命を胸に挑んできたのだ。揺るぎなき信念に敬意を表したいと思う。

 私は息を吐いて、全身に纏う腐毒の魔力を再び体内へ戻した。ほどなくして皮膚の腐蝕が停止し、徐々に治癒が始まった。

 腐毒の魔力は肉体を蝕むが、抑え込むと効力も消えるようだ。

 今回はこの魔力のおかげで助かった。私の武術と組み合わせることで、並の魔術を凌駕する威力を発揮したのだ。結果的にヴィーナの触手を断ち切ることができた。

 その際に少しだけ消費したものの、体内にはまだ多量の魔力が残されている。

 腐毒の効果は貴重だ。ここぞという時の切り札にしていきたい。

 ヴィーナから自爆エネルギーを内包した魔力も手に入れたが、どちらも扱いが難しい。今後も使いどころを考えながら、有効活用していこうと思う。

(いずれは魔力に頼らずにやっていきたいものだ)

 私の武術はまだ途上にある。

 高みへと昇る余地が残されていた。

 こうして若返った以上、さらなる境地を目指さねばなるまい。

 新たな目標を胸に抱きつつ、私はリアに声をかける。

「大丈夫か」

「ああ、ウェイロン殿のおかげで助かった……」

 リアは安堵した顔で述べる。

 彼女も大きな傷は負っていない。かなりの激戦だったが、自らを成長させて生き抜いた。その姿勢は見習うべきだろう。

 私はふと屋外に目を向けた。

 豪邸の敷地外に人だかりができている。彼らはこちらを指差して何事かをわめいていた。

 それを認めた私はリアに指示をする。

「外が騒がしくなってきた。離脱するぞ」

「了解した」

 私達は豪邸を出て鉄柵を跳び越える。騒然とする人々を尻目に、街の路地へと身を隠した。