「こいつはどうだッ!」

 アブロは流れるような動きで着地すると、槍を引き抜きながら一閃させる。

 きわどい軌道に対し、私は手の甲で槍を弾く。そこから反撃の拳を打ち込んだ。紙一重で反応したアブロは槍を引いて防御する。

「ぐっ……!?

 アブロは耐える。突きを受けた槍が軋む。それでも彼は、強引に受け流そうとしていた。

 私は拳を引かずに、全身の力を上乗せする。前に出した脚が、床を粉砕しながら陥没した。

「う、ごおあああああぁ……ッ」

 アブロは踏ん張ろうとする。

 しかし、体勢が後ろへと僅かに傾いていた。

 私はその瞬間を逃さない。

 刹那、打ち上げるように腕を振り切る。

 アブロの足は床を離れて、彼は宙を回転しながら飛んだ。

 そのまま天井を破って屋外へと消える。

 私は走り出すと、天井の穴から後を追う。

 その時、ヴィーナがこちらを向いた。

「…………」

 互いの視線が交錯するも、特に何かしてくることはなかった。

 私からも攻撃は仕掛けない。今はアブロの追跡が重要であった。

 ヴィーナの相手は、リアに任せればいいだろう。

 私の見立てでは、彼女なら一騎打ちでも勝てるはずだ。大きな困難だろうが、きっと突破できる。鍛練の一環として乗り越えてほしい。

 屋根の上に着地した私は地上を見下ろす。

 敷地内の芝生の上にアブロが倒れていた。

 彼はゆっくりと起き上がると、獰猛な眼差しを私に投げる。

 その様子を見るに、アブロは五体満足だった。

 最低でも両腕を砕くつもりだったが、あれは折れていない。吹き飛ばされながらも、衝撃を逃がしたらしい。

 私は自らの鼓動を聞きながら微笑する。

「──いいぞ。悪くない」

 私はアブロに期待を寄せる。

 本気の一撃ではなかったものの、ほとんど無傷とは予想外だ。身体能力はもちろん、卓越した技量を持っている。この男ならば、存分に死合うことができそうだ。

 狂おしい熱気を帯びながら、私は屋根の上から飛び降りた。


 ◆


 アブロは慣れた調子で槍を回転させる。それを止めた彼は、次に両手を開閉して苦笑する。

「やってくれるじゃねぇか。腕が痺れちまったぜ」

 その口調から怒りは感じられない。

 アブロは純粋に戦いを楽しんでいるようだ。

 常勝無敗という異名から分かる通り、一方的に殴り飛ばされる経験は珍しいのだろう。

 彼の歓喜は、こちらにまでしっかりと伝わってきた。

 槍使いアブロは、私に大きな期待を抱いている。その熱意が私にも喜びを与えた。

 これこそが強者との戦いなのだ。感動で気分がたかぶってくる。

 私は強烈な衝動を鋼の意志で抑え込んだ。

 理性的にならなければ。この機会を無為に消費するのは、あまりにももったいない。互いに力を尽くすような時間にしたかった。

 私はふらつきそうになりながらも、努めて冷静になる。

 槍をもてあそぶアブロは、思い出したように尋ねてきた。

「あんた、何者だ」

「リ・ウェイロン。異世界から召喚された勇者だ」

 私がそう答えると、アブロは少し驚いた顔をする。そして笑みを深めた。

「……なるほどなぁ。あんたが噂の勇者か」

 言葉の端々に意味深な響きが含まれていた。アブロは面白そうに語る。

「話は聞いてるぜ。王都で兵士を殺しまくったってな。狂った野郎とは思っていたが、こいつは想像以上だ」

「…………」

 私は沈黙する。

 アブロの嫌味は否定できない。

 召喚された当初、私は多数の兵士を殺戮した。

 不当な扱いを受けたのが原因だが、それでも過剰な報復だったろう。

 あの時、私は血に酔いれていたのだ。己より弱き者達の命を刈って楽しんでいた。それは紛れもない事実である。

 しかし、自己嫌悪に陥るようなことはない。薄汚い本性は自覚しており、今に始まったことではなかった。

 老いによって治まっていたものの、私は元から殺戮を好む性質だった。リアのように崇高な精神は、微塵も持ち合わせていない。暗殺者という経歴を除いても、殺人鬼の本質が残るだけである。

「連れの嬢ちゃんは、放っておいていいのか」

「問題ない。彼女ならば勝てる」

「ははっ、そいつは大した信頼だな」

 アブロは立てた人差し指を左右に振りながら舌を鳴らした。彼は声を落として言う。

「ヴィーナを甘く見ない方がいい。手段を選ばない魔術師ほど厄介な存在はいないもんだ」

「そうか」

 私はあいづちを打ちつつ、前に進み出て両拳を鳴らした。

 殺気を放出し、意識をアブロへと集中させる。

「──ならばお前を倒して、援護しに行くとしよう」

「ははは、言ってくれるじゃねぇか。上等だ、やってやるよ」

 アブロは怯まず槍を動かす。腰を落とした彼は、地を這うように突進してきた。


 ◆


 拳と槍が衝突する。私は打撃を押し込もうとして、中断した。アブロが後方に宙返りすることで威力を殺し、同時に蹴りを放ってきたからだ。サマーソルトキックと呼ばれる技であった。

 蹴りが私の鼻先を掠める。ひりつくような痛みが走った。浅く切れたらしいが、どうでもいい。

 私は宙返り中のアブロに拳の連打を繰り出す。アブロは華麗な槍捌きで防御していった。凄まじい動体視力だった。その最中も緩やかに宙返りしている。

 アブロは地面から離れている状態であった。本来なら防御できず、吹き飛ばせるはずだった。まるで位置が固定されているかのような挙動である。

(なんらかの魔術を使っているのか?)

 考えている間に、アブロは防御から反撃してきた。

 彼は連続して突きを繰り出す。目にも留まらぬような速さで、一撃ごとに急所を狙ってくる。

 私はそれらをいなしながら反撃した。

 宙返りをしたアブロが着地するまでに、私達は数百の攻防を繰り広げる。全身に無数の掠り傷が増えるも、それはアブロも同じだった。

 彼の額には、いつの間にか角が生えていた。肌は黒く変色している。

 人間のように見えた姿は擬態らしい。過熱する殺し合いの中で、本来の姿が露呈したようだった。

 もっとも、そのようなことに興味はない。

 長き人生で最も強い武人と戦っている最中なのだ。種族の差などさしたる問題ではなかった。

 互いに距離を取らず、ひたすら相手を殺すために攻撃し続ける。

 私は歓喜していた。一瞬の油断が死に直結する。そのやり取りを高速で展開している。血が沸き立つような戦いであった。

(もう少し、加速しても良さそうだな)

 思考する間に、アブロがはね上げるように槍を振るう。顎を抉る軌道だった。

 私は首を傾けて躱す。いや、正確には躱せていない。穂先が皮膚と肉と骨を削っていた。しかし致命傷ではない。

 私は強引に踏み込んでいく。超接近戦だ。槍からすれば不都合な間合いであった。アブロが小さく舌打ちする。

 私は振り抜くように肘撃を叩き込む。アブロは紙一重で回避した。しかし、大きく体勢がゆらぐ。苦し紛れの刺突も、片手で掴んで止めた。

 私はその槍を手元に引きながら掌打を放つ。逃れようとするアブロに対し、さらに踏み込んで打った。その一撃は、アブロの胴体を捉えた。めり込んで肋骨を粉砕する。

 衝撃が内臓に響いた瞬間、アブロが目を見開いて吐血した。私は打ち込んだ拳を開き、アブロの衣服を掴んで間合いを維持する。一方の手で握っていた槍を放すと、手刀を作って振り下ろす。

 こんしんの手刀が、アブロの首元に触れた。そのまま胴体を斜めに引き裂いた。


 ◆


 手刀の軌跡に沿って切断されて、アブロが崩れ落ちる。片腕と胴体の半分ほどが切り離されていた。アブロは臓腑を撒き散らして地面に激突する。

 直後、アブロの片手が槍を振るった。

 即死しても不思議ではない状態でありながら、極めて鋭い一撃を放ってきたのだ。ここまでのやり取りで最もれつであった。

 私は後ろへ退きながら、アブロの攻撃を手で弾く。手の甲に抉れるような痛みが走った。

 見ると皮膚と肉が剥がれている。

 すぐに血が溢れ出してきた。動かすと、深部に響くような痛みもあった。骨が割れているかもしれない。

 私は、受け流しに失敗した。アブロによる決死の一撃が、私の防御を超えたのである。

 しかし、彼の抵抗もそこまでが限界だった。

 力尽きたアブロは地面に倒れる。槍の穂先が大きく曲がっていた。

 それを目にした彼は、あおけになって苦笑する。口端から血が垂れていた。

「やってくれたなァ……ふざけた、強さだ」

「お前も強かった」

「ははっ、本気を出していないくせに、よく言うぜ……」

 アブロは鼻を鳴らす。非難するような口調だったが、表情は満ち足りていた。

 私はその様子にせんぼうの念を覚える。

 深呼吸するアブロがき込んだ。空を仰ぐ彼は、力ない口調で呟く。

「まあいい。あんたは勝って、俺は負けた。それだけ分かれば十分だ」

 アブロの視線が動いて、近くに立つ私を見た。彼は片手で上体を起こすと、青い顔で発言する。

「何か、訊きたいことがあるんじゃ、ないのか? 特別に答えて、やるよ」

「いいのか」

「勝者の特権さ。素直に受け取ってくれよ」

 アブロは親しげな調子で言う。騙そうとしているのではない。言葉の通り、戦いの報酬として情報を提供しようとしていた。

(なんと潔い男だ……)

 私は彼の提案に甘えることにした。気になっていた疑問を口にする。

「魔族はこの街で何をしようとしている」

 それは核心を突く質問だった。

 戦いに夢中になって、結局訊きそびれていたが、本来なら真っ先に知らねばならないことだろう。私達がこの街での滞在を決めた要因でもある。

 アブロはゆっくりと目を細めた。血塗れの口元を笑みの形に曲げた彼は、薄く息を吐いた。

 そして、静かに答えを述べる。

「王国と帝国の戦争……その火付け役だ」


 ◆


 私は眉を寄せて、アブロの顔を見つめる。

 彼は血をこぼしながらも、澄ました顔をしていた。皮肉らしき色も見え隠れする。

 私はアブロに説明を求めた。

「どういうことだ」

「あんたを召喚した王国は、帝国とすこぶる仲が悪い。しかし、表立って戦争は行っていない。なぜか知っているか?」

「この街が間にあるためか」

 息を吐いたアブロが頷く。

「建前上は帝国所属だが、実際は独立都市だ。犯罪者が犯罪者を取り締まって、犯罪者が犯罪者から搾取する。これほどの楽園も、珍しい……」

 その意見には私も共感する。この街は、あまりにも無秩序だった。暮らす人々がそれを望み、意図的に形成しているのだろう。魔族という不安定な要素が紛れたところで、その根底は欠片も揺らいでいない。

 しかしこの街があるおかげで、王国と帝国は冷戦で済んでいるのだった。

 国境付近にあるこの街は、二国を等しく牽制している。結果として危うい均衡を保っていた。

「魔族は、この冷戦を崩すつもりなのか」

「ああ。街を崩壊させれば、必ず戦争に発展する。両国はおのずと消耗し、魔王軍が進攻する隙が生まれる」

 アブロは途切れ途切れに語る。

 現在、帝国は荒野の魔王と直接敵対していない。領土が接していないため、隣接する国々に軍事的な支援をするだけに留めていた。魔王が討たれた時に備えて、今のうちに恩を売り付けているとのことだ。

 打算に基づいた支援だが、魔王軍を困らせる程度の影響があった。

 魔王軍としては、まずは帝国に攻撃して、後方支援ができないようにしたいらしい。その後で各国の支配へと動くつもりだという。

 なんとも地道な策であった。

 荒野の魔王は、慎重な性格のようだ。本人が発案したのではないかもしれないが、なんにしろ魔王軍の動きは冷静である。

「事情を知った上で、あんたはどうする? もう個人が解決できる領域じゃねぇぜ。戦争は始まって、荒野からの侵略も過激化するんだ」

「簡単な話だ。この街の魔族を殲滅して、荒野の魔王を殺す」

 私が即答すると、アブロは目を丸くした。

「毒豚とは比較にならないぜ。それでもやるのか」

「無論だ。使命を放棄するつもりはない。それに、楽しそうだ」

 私は微笑しながら本音を洩らす。死を意識するような戦いこそ、私が渇望するものであった。そこで相手を乗り越えられるのなら、さらに楽しい。

 自らの力をぶつける強者が欲しかった。

「ははは、あんた最高だよ……その心意気なら、本当にやっちまうかもな」

 アブロは疲れたように笑うと、片手を懐に差し込む。

 痛みに顔を顰めつつ、彼は一枚の紙片を取り出してみせた。それを私に押し付けてくる。

「この街にいる魔族の情報だ。しっかり捜し出せよ?」

 アブロが強い意志を込めて言う。私は無言で頷いた。

 すると、アブロは糸が切れたように倒れる。

 片肘を立てて起き上がろうとして、失敗した。彼は悔しそうに苦笑する。

「俺、も……そろそろ限界、だな」

 アブロの出血はほとんど止まっていた。傷がふさがったのではない。もう流れ出る血が残っていないのだ。

 それに気付いた私はアブロに告げる。

「いい死合いだった。感謝する」

「……そっくりそのまま、返すぜ」

 アブロはうめくように呟いた。

 穏やかな笑みを湛えて、彼は息を引き取った。


 ◆


 私はアブロの遺体から離れる。

 彼から譲られた紙片を一瞥し、その内容を記憶してから懐に収めた。

 アブロの誠意は無駄にはしない。彼は、種族や立場の垣根を越えて私に助力した。死合いの結果を重んじたのである。

 私は、とても嬉しかった。これほど清々しいことは滅多にない。

 受け取った紙片を活用し、潜伏する魔族は皆殺しにする。そして二国間での戦争を阻止するのだ。

 この街の安全を確認できた段階で、次は荒野の魔王に挑むつもりであった。

(まずはこの場を切り抜けるのが先決だが……)

 私は無事に勝利したものの、リアが少し心配だ。

 おそらく勝てると思われるが、魔術師は何をするか分からない部分がある。万が一の際は、介入することも視野に入れた方がいい。

 私は豪邸の壁を蹴り上がって屋上へと戻った。開いた穴から室内を覗き込む。

 そこでは激戦が繰り広げられていた。

 リアとヴィーナは互いに消耗し、片時も休むことなく攻防を展開している。実力はほぼ互角だろう。

「ハァッ!」

 リアが一直線に突進する。その進路上に魔力の歪みが生じた。

 見ればヴィーナが手をかざしている。なんらかの術を使ったらしい。

 リアは跳ねるようにして躱すと、勢いを落とさずに斬りかかる。

 ヴィーナは目の前に障壁を生成して斬撃を食い止めた。

 派手に削られながらも、障壁はなんとか維持されている。相当な耐久性があるようだった。

 しかし、リアもそこでは終わらない。彼女は流れるように軸足を作ると、足腰の回転を乗せて蹴りを放った。魔力を込められた一撃が、障壁を粉砕する。

「……ッ」

 ヴィーナの顔に驚愕が走る。彼女は術を使おうとするも、そこにリアの剣が一閃した。

 宙を舞うのは、ヴィーナの片手だ。照明を受けて輝く指輪。手首から先が切断されたのであった。

 ヴィーナは不思議そうに首を傾げる。断面から鮮血が噴き出していた。リアの剣がさらに往復し、もう一方の手も切り落とされる。

 我に返ったヴィーナの唇が高速で動く。

 彼女の胸元──ローブの下で何かが発光していた。それはどうやらネックレスらしい。ヴィーナは、指輪の他にも魔術の補助具を隠し持っていたのだ。

 直後、ヴィーナの髪が膨れ上がる。フードを突き破りながら伸びると、一本一本が針のようになってリアに襲いかかった。勢いと鋭さを見るに、鋼鉄に等しい破壊力があるだろう。

 だが、リアは退かない。いささかの怯みも見せず、彼女は力強く踏み込んだ。床を踏み割りながら距離を詰めて、最適な間合いを確保した。

 そして、神速の突きを繰り出す。

 剣の切っ先が、ネックレスを貫いた。その勢いでヴィーナの体を捉える。

「うおおおおぉォォォッ!」

 雄叫びを上げるリアは、そのまま駆け出した。ついにはヴィーナを壁に叩き付ける。

 もうもうと砂塵が舞う中、ヴィーナは床に座り込んで動かない。胸に大穴が開いていた。心臓は間違いなく穿たれているだろう。

 リアはそこに刺さる剣を引き抜くと、私を見上げた。

「やったぞウェイロン殿! 小官が勝ったッ!」

 リアは高らかに宣言した。輝かしい笑みを受けて、私は頷いて応じた。


 ◆


 私は室内に降り立つと、正直な感想をリアに告げた。

「見事な剣捌きだった。鍛練の成果だな」

「そう言われると照れるな……」

 鎧を解除したリアは、微笑みながら頬を掻く。多少疲れているようだが、まだ余力が窺えた。

 彼女は先読み能力を使っていなかった。あの魔眼があれば、さらに有利な戦いができたはずだが、それを選ばなかったのだ。ヴィーナとの死闘を鍛練と認識し、己の地力を磨くことに専念したのだろう。

 なんとも危険な判断ではあるが、結果的にリアは乗り越えた。称賛する他ないだろう。

 加えて面白い発見があった。リアは、随所で私の動きをほうしていたのである。使える立ち回りを、率先して自らの剣術に組み込んでいた。

 先読みの目を持つ影響なのか、洞察力も非常に高い。日々の鍛練で私の動きを視て習得していたらしい。素晴らしい逸材であった。

 闘気を霧散させたリアは、私の手の甲の傷を見やる。

「ウェイロン殿も、アブロを倒したのか?」

「ああ、倒した。強敵だった」

 私は頷く。

 あれだけの槍使いは見たことがない。今後、会えるかも分からなかった。それほどまでの使い手であった。

 リアは難しい表情で腕組みをする。何かを考え込み彼女は唸る。

「貴殿がそう評するとは……小官では勝てなかったかもしれないな」

「否定はできない」

 アブロは卓越した技術と、常軌を逸した動体視力による攻防を得意としていた。

 それはリアの戦法と被っている。両者が同じ長所を持つとなれば、自ずと実力差が物を言う。

 リアが勝利を掴み取るのは困難であろう。同じ理由で、アブロは私に敗北したのだから。

 私がリアにヴィーナを任せたのは、相性的な判断であった。

 魔術師は様々な能力が強みだが、全体的に動きが悪い。術の鍛練に重きを置いているためなのか、身体能力が低めなのだ。そこをリアなら突けると考えたのだ。

「やはり小官では敵わないか! ならば、さらに強くなるしかないな!」

 リアは快活に笑う。とても前向きな考え方だった。

 この飽くなき精神が、彼女自身をさらなる高みへ導く。見ているこちらまで頑張ろうという気になれた。

 その時、私達の近くに殺気が生じた。

 視線をずらすと、半透明の触手が蠢いている。数十本ものそれらが、雪崩なだれ込むように殺到しつつあった。

(なんだ)

 私は瞬時に姿勢を変えて迎撃する。

 しかし、打ち込んだ拳や足は触手を素通りした。まるで手応えがなかった。

(非物質性の魔術か……)

 私は回避しようと飛び退く。しかし、すり抜ける触手には敵わず、最終的には四肢を囚われてしまった。

 リアも鞘から剣を抜く姿勢で拘束されている。彼女は顔を赤くして踏ん張るも、触手は微塵も緩む気配がない。

「ふむ……」

 身動きの取れない私は、触手を視線で辿って発生源を捜す。

 それはすぐに見つかった。

 無数の触手は、半壊した壁にもたれるヴィーナのなきがらから生えていた。


 ◆


 死んだはずのヴィーナがむくりと起き上がる。

 ふらつきながら立ち上がった拍子に、胴体の穴から千切れた臓腑が垂れた。

 彼女は咳き込んで吐血すると、手首から先のない腕で口元を拭う。

 ヴィーナが顔を僅かに持ち上げた。垂れた前髪の隙間から、濁った双眸が覗く。

「油断、しましたね」

「なぜ生きている」

「事前に仕込んでいた死霊魔術が発動しただけです。厳密には死んでいます」

 ヴィーナは掠れた声で言う。死霊魔術については、リアから軽い説明を受けたことがあった。

 曰く、死者の魂を操る術らしい。しかばねを自由に動かすこともできるそうだ。

 ヴィーナはその術で自らを蘇生したのだろう。今の彼女は、所謂いわゆるゾンビのような状態であった。

 私やリアが復活を予期できなかったのも納得である。心臓を貫かれたヴィーナは確実に死んだのだ。能力を活かして奇襲した彼女が、一枚上手だった。

 ヴィーナは両腕の断面から血を滴らせる。それらを一瞥してから息を吐いた。

「術の効力は長続きせず、この身はすぐに朽ち果てるでしょう。しかし、役目は全うします」

 極寒の殺気が放射される。

 虚勢ではない。ヴィーナは己の死を覚悟し、その上で私達を始末しようとしていた。

 絶対的な意志が感じられる。話し合いなど通らないと目が主張していた。