名乗ることなど皆無で、そもそも標的の大半が私を知っていた。こういった状況は、なんだか新鮮な気持ちになれる。

「敵対関係とは言え、我々は互いに使命を背負ってここにいる。決闘とは違うが、最低限の礼節は損ないたくない。そう思わないか?」

 リアは当たり前のように語る。彼女は、騎士の名に恥じない高潔さを有していた。

 私はそれに感動し、彼女を眺める。リアは怪訝そうに視線を鋭くした。

「どうした?」

「いや……なんでもない」

 私は我に返る。思わぬ出来事に意表を突かれたものの、状況を忘れてはならない。

 左右の拳を固めた私は、細く長い息を吐き出す。

 緩みかけた精神を引き締めると、リアに向けて返答した。

「リ・ウェイロン。名乗る流派はない。この身が振るうは、ただの殺人術だ」

 かつて様々な流派を学んで習得した。

 数十年のけんさんの末、それらは人体破壊に特化した技術へと変貌した。

 特定の流派を名乗ることは、侮辱に値するだろう。故に名乗るべきことはない。

 ただし、今は後ろめたさも感じない。

 他ならぬ神から依頼されて、悪の権化である魔王を倒すのだ。殺人術が役に立つ瞬間である。

「リ・ウェイロン。その名、覚えたぞ」

 リアはしんな様子で頷く。

 直後、彼女の周囲に半透明の何かが出現した。

 それらは彼女の全身を覆うと、にびいろの鎧となる。端麗な顔も兜に隠された。

(あれも術の一種だろうか)

 リアは僅かな時間で完全武装を整えた。兜から覗く片目が赤く染まっている。

 よく見ると、その瞳には複雑奇異な紋様が刻み込まれているようだった。

「──行くぞ」

 小さく呟いたリアが突進してくる。彼女は人間業では不可能な加速を見せた。

 空気の流れから察するに、風で自らを押し出したようだ。

 私は、接近するリアに腕を叩き付けようとした。

 ところが彼女は、何かに勘付いた表情をする。そして間合いに入る寸前、飛び退いてしまった。

 私は空振りする前に腕を止める。

 少し離れたリアは、剣を正眼に構えていた。彼女は私の間合いの外を回り込むように走り出す。

(ほう、これは……)

 リアが横合いから斬撃を放ってきた。

 上体を反らして躱しつつ、宙返りの勢いで蹴りを繰り出す。

 リアは一瞬前に転がって回避していた。そこに拳を叩き込もうとするも、彼女は突風に乗ってまたもや距離を取る。さらに剣から雷撃を撃ち放ってきた。

 掌打で打ち消した私は、彼女の能力に気付く。

(間違いない。先読みされている)

 あまりにも勘が良すぎる。

 先ほどから私の動きを知っていなければできないような回避を連発していた。こちらの間合いも完全に把握している。初対面とは思えないほどの徹底ぶりであった。

 おそらくは、紋様の浮かんだ片目の力だろう。

 リアの身のこなしや重心移動に関して、左右に露骨なかたよりがあった。まるでせきがんのような立ち回りなのだ。

 特殊な目に頼り切っている証拠である。

 原因を暴けば、対処はそれほど難しくない。

 先読みされるのなら、それを見越して行動するだけだ。相手の目を超える速度で仕掛ければいい。

 いくらえたとしても、身体は付いてこられない。

「ハァッ!」

 リアが果敢に斬りかかってくる。

 地面を蹴った私は最高速度で距離を食い潰すと、ぬきを作って構えた。

(鎧があろうと、それごと破壊すればいい)

 その時、リアの剣が発光する。

 刃に刻まれた彫刻が青く輝いて、次の瞬間にはリアの姿が霞む。

 急加速した彼女は、目にも留まらぬ速さで私の背後に回っていた。

(これが剣の能力か……!)

 剣に仕込んだ術で高速移動したのだ。

 リアはきっとこの時を待っていた。今までの速度は見せかけで、こちらの虚をくための罠だった。

 私との実力差を理解したリアは、攻撃を成功させられる瞬間を狙っていたのだろう。

(──だが、甘い)

 目の端でリアの動きを観察する。彼女は刺突の構えに移ろうとしていた。

 私は片足の爪先を地面に刺し、突進を強引に中断した。

 そこから振り向きざまに肘撃を放つ。一撃を剣の腹に当てて、力強い刺突の軌道をずらした。

 切っ先が私の耳を掠めるようにして通過する。

 肘撃を受けた剣には、亀裂が走っていた。亀裂が広がって剣が砕け散る様を見ながら、私は前傾になって反撃に移行する。

 軸足を中心に半回転し、り足を踏み込みに使う。

 無防備なリアを視界の中央に収めて、握り締めた拳を放つ。

 唸りを上げる拳は、リアの眼前で止まっていた。

 兜が真っ二つに割れて外れる。拳による風圧が、彼女の髪を大きく乱した。

 驚いた表情のリアは、拳を見つめながら私に問う。

「なぜ、止めた」

「その才能を惜しく思ったからだ」

 女騎士リアは優れた才覚を秘めている。

 全体的に未熟な面はあるものの、彼女の剣はまだ途上にあった。これからの経験次第では、大きな成長を遂げるのが約束されていた。

 完成したリアの剣技を味わいたい。私はそう思ってしまい、気付いた時には拳を止めていた。

 仕事の標的なら、まず確実に抹殺していただろう。

 しかし、此度の標的は魔王のみである。ここでリアを見逃しても、なんら問題なかった。

 強者を求めるあまり、こういったことをするのはあくへきに違いない。

 だが、せっかく若い肉体を手に入れて前向きになれたのだ。今までとは異なる生き方を模索してみたかった。

 私は不満そうなリアを静かに諭す。

「文句は言ってくれるな。生殺の与奪は、勝者の特権だろう」

「確かにそうだが……」

 リアはまだ何か言いたげだが、表立って主張はしない。敗北した身での反論は躊躇ためらわれるらしい。

 既に戦意は消え去っているようで、破壊された剣を見下ろしている。

 私は呆然とするリアの横を通り過ぎた。その際、彼女に助言を与える。

「武器や能力に頼らず、己の技を磨け。さすれば、武の高みへと近付けるはずだ」

 私が心に据えた考えであった。

 自ら洗練した武を信じ、そして発揮する。その繰り返しが、不動とも言える強さを築き上げるのだ。

 リアが理解できていることを切に願う。

 私は怯える門番の前を素通りして、ついに街を出た。

 街道に沿って草原の中を進む。吹き抜ける風が涼やかだった。移動する分には最適な気候だろう。

 歩く私は、門前での出来事を振り返る。

 さっそく才ある若者と出会えた。夢にまで見た名乗り合いと、一対一での戦いもできた。

 異世界に来てから、素晴らしいことばかりが起きている。さいさきは上々と言えよう。


 ◆


 私は街道を辿るように移動する。

 行き先は分からないが、いずれどこかに着くだろう。そこで明確な目的地を定めればいい。

 食事はしばらく必要がない。不眠不休で行動できるだけの体力も残っている。

 老いた肉体では、もっと難儀していただろう。若さとは、どこまでも便利である。

 無心で移動するうちに、夜が訪れた。頭上には青白い月が昇っている。

 それは元の世界と変わらないように見えた。己が死を迎えて、異世界に来たことを忘れてしまいそうだった。

 しかし、現実として私は若返った。今は見慣れぬ土地を放浪している。ここは、間違いなく異世界なのだった。

 夜の草原を進んでいると、遠くに殺気を感じた。

 街道かられた位置に、無数の影を認める。草を揺らして疾走するそれらは、獣の群れであった。

「ふむ」

 私はじっと目を凝らす。

 月光に照らされるのは、額から角の生えた狼だった。牙をき出しにして唸りを上げている。

(この世界特有の生物か)

 奇妙な術だけでなく、元の世界とは生態系にも差異があるようだ。

 変則的な行動を取るかもしれないので、注意が必要だろう。

 狼の群れは一直線に私へと接近してくる。

 どうもうな息遣いから察するに、私を獲物と認識しているようだ。友好的とは思えない態度である。

「ちょうどいい……」

 私は移動を中断し、その場で軽く拳を握る。何もない移動に飽きてきた頃だった。退屈を紛らわせる相手が欲しいと思っていたのだ。

 殺気を放射すれば、群れを追い払うことくらいは簡単だった。

 しかし、あえてそれはしない。ここで相手をさせてもらう。

 私は向こうの出方を観察する。

 狼達は私を包囲し、四方八方から一斉に跳びかかってきた。

 その連携は非常に正確で、常人がさばくのは困難に思える。

(だが、関係ない)

 私は地面に正拳突きを打つ。

 刹那、叩き込まれた衝撃が、大地を勢いよくめくり上げた。

 土や小石が、弾丸のように飛び散って狼達を怯ませる。不運な個体は、胴体や頭部を撃ち抜かれて即死していた。先制攻撃を妨害した私は、すぐさま追撃を開始する。


 その後、特に問題なく狼達をせんめつした。

 噛み付きや角による刺突を主とした連携は、なかなか悪くなかった。戦いに不慣れな者ならば、為す術もなく餌になっていただろう。れでも多少の傷は負っていたに違いない。

 無論、私には通用しなかった。向こうが連携による同時攻撃を得意とするなら、それを上回る速度で攻撃すればいい。迫る狼達の鼻面に拳と蹴りを浴びせて、ひたすらに屠っていった。

 多方向から同時に攻撃されようと関係ない。殺気から位置を把握し、相手の牙や角を躱して反撃を叩き込むだけだ。

 ものの数分で狼達を始末した私は、そこで野営を行うことにした。

 このまま移動を続けてもいいが、せっかく新鮮な肉が手に入ったのだ。腐る前に食った方がいいだろう。

 今の私は無一文である。狼の死骸を解体し、皮や牙や爪を資金源にしたかった。どれほどの価値があるか分からないが、どこかの街へ持ち込めば小銭にはなるはずだ。

 私は街道のそばに死骸をまとめて運ぶと、簡単に血抜きを行った。枯れ木を拾ってたきを作り、枝に刺した狼肉を焼いて食らう。

「…………」

 私は眉を寄せながら肉を噛み千切る。臭みに加えて、肉汁が独特の渋みを出していた。肉自体も硬くて繊維ばかりだ。歯触りはこの上なく悪い。

 お世辞にも美味うまいとは言えない味である。ここ数年は味覚が鈍っていたこともあり、より強烈に感じてしまう。

 思わず顔をしかめるも、食事の手は休めない。

 この肉は貴重な栄養源だ。

 飲まず食わずでもある程度は行動できるが、やはり食事は大切だろう。飢えないに越したことはない。

 過去にはこれよりも酷い食事で生き延びた経験もあった。文句を言うほどではない、と思う。

 大量の肉を摂取した私は、食後に死骸を解体する。

 あまり多すぎると荷物になる。それなりに厳選してまとめようと思う。

 売却用に整えていると、私は一つの気配を察知した。

 それは知っている気配だった。私は作業の手を止めて立ち上がり、近付いてくる気配の方向を注視する。

 夜空の下、街道を進んでくるのは一人の女だった。

 意気ようようと歩いてくるのは、女騎士リアである。

 軽装の彼女は、はいのうと剣だけを所持していた。剣は昼間に私が壊したものとは別だ。どこかで新たに調達したのだろう。

(追っ手だろうか)

 私は近付いてくるリアをいぶかしむ。

 追っ手にしては殺気がまるで感じられなかった。

 彼女は私を目にして喜色を浮かべている。間もなく、剣も抜かずに駆けてきた。

「…………」

 私は拳を握って警戒する。友好的に見えるが、罠かもしれない。

 彼女の実力は既に把握している。こちらから先手を打つほどではないが、気は引き締めるべきだろう。

 私が様々な思考を巡らせる中、リアは私の前で停止した。

 彼女は見慣れぬ様式の敬礼をすると、親しげに話しかけてくる。

「ウェイロン殿! このような所まで来られていたか」

「……何用だ」

 私は少なからず困惑する。リアの態度からはこちらに対する憧れや敬意が感じられ、やはり演技には見えなかった。

 慣れない感情を向けられて、私は思わず目を逸らした。

 一方、背筋を伸ばしたリアは問いに答える。

「端的に言うと、貴殿に弟子入りしたいと考えている」

 彼女の発言を聞いて、私はさらに混乱する羽目になった。

 あるとすれば、再戦の要求くらいかと思っていたからだ。

 これだけ動じるのは久々のことである。

 神に出会った時でさえ、私は冷静だった。

 私は微かな頭痛を感じながらも、なんとかリアに問いかける。

「そう思うに至った経緯を教えてくれ」

「貴殿の類まれなる武術に感銘を受けたのだ! 是非とも師事して、自らの剣技を高めたいと考えた。どうか旅に同行させてもらえないだろうか」


 ◆


 私はリアの姿を眩しく感じた。強さに対する憧れと向上心に好感が持てた。

 私の若さは仮初かりそめだが、彼女のそれは本物だろう。

 懇願するリアの決意は、決して偽りではなかった。

 私との戦いで何かを掴み、心底から感動しているようだった。

 私は少なからず喜びを覚えるも、それを隠して尋ねる。

「国に忠誠を誓う騎士なのだろう? そちらの仕事はどうするのだ?」

「家柄と騎士の身分は捨てた。しょうかんには優れた兄達がいるから、特に問題ないだろう」

 何事もないかのようにリアは答える。随分と簡単に言ってのけたが、明らかに問題がある。

 聡明そうに見えて、実はかなりおおざっな性格なのかもしれない。

 私はリアから詳しい事情を聞く。

 対決の後、彼女は国王に報告へ行ったらしい。そこで激しいしっせきを受けた挙句、重い処分を受けることになったのだという。

 リアはこれを拒んで逃走し、全速力で私を追いかけてきたそうだ。

 聞けば聞くほど大丈夫なのかと心配になる。

 口上で聞いた素性から察するに、リアは名家の出身だ。国から科された処分を無視して逃走すれば、重罪になるのではないだろうか。

 色々と問い詰めたいものの、本人はあまり深く考えていない様子だった。

 質問したところで、求める答えは返ってこない気がした。

「別に私利私欲だけで同行するわけではない。小官は、貴殿の実力に希望を見出した。貴殿ならば、本当に魔王を打ち倒せると確信したのだ! その助力ができるのなら、これほどの正義はないだろう。すべてをなげうつだけの価値はある」

 リアは力強く語る。

 彼女は大真面目だった。

 政治的な理由を抜きに、魔王の打倒を望んでいる。その上で私の力が重要だと判断したのだ。

 彼女は人並外れた才覚を有していた。私の実力をおぼろげながらも感じ取ったのだろう。

 そしてリアの目を見て理解する。彼女は正義を志していた。正しいことをしたいという想いに溢れている。

 リアは国の方針に疑念を覚えて、大人しくは捕まらないという選択を取ったのだ。

「自分で言うのもなんだが、小官は役に立つはずだ。異界から来た貴殿と比べれば、この世界に詳しく道案内もできる。騎士長として得ていた極秘情報も持っている」

 リアの主張は至極真っ当である。この世界の協力者がいると心強いのは確かだった。諸々の手間が省ける上、リアの場合は戦力的な面でも期待ができる。

 私一人で解決できない状況はあまりないが、二人なら行動の幅も広がるだろう。

 おそらく国に追われているであろうリアを弟子にするのは危険であるものの、そもそも私自身が指名手配されているはずだ。

 互いに追われる身であるのだから、もはや関係ない。彼女の協力は、こちらに十分すぎる得があった。

「無理に付いていくとは言わない。しかし、どうか一考してもらえないだろうか……」

 リアは改めて私に頼む。しい顔立ちを歪め、不安そうにしていた。まるで親とはぐれた子犬である。

 私は思案するも、すぐに頷いた。

「いいだろう。弟子入りを許可する」

「おお……!」

 リアは目を輝かせながら打ち震える。少し大げさに見えるが、素の反応なのだろう。

 彼女はとして腰の剣を外すと、鞘から抜いて私に見せてきた。

「今まで良質な剣ばかりを与えられてきたが、貴殿の助言を参考に粗末なものを用意した。これも修行の一環になるだろうか?」

「悪くないな」

「そうか……っ! では尚更に精進せねばならないな!」

 リアは張り切りながら言う。今にも素振りを始めそうな彼女をなだめつつ、私はふと考える。

(まさか、私が誰かの師になる日が訪れるとはな)

 実を言うと初めての経験だった。

 昔、弟子を志願する者はいた。武術や暗殺の指南を依頼されることもあったが、いずれも私は避けてきた。

 今になって振り返ると、精神的な余裕がなかったのだ。

 現在、私は新たな世界で人生をやり直している。使命は背負っているが、そればかりに気を取られるのではなく、別のことにも挑戦すべきではないか。誰かの師匠になるのも一興だ。

 これも何かの縁である。

 私の武術を継承するのも、また一つの道だろう。


 ◆


 仮眠を済ませた私達は早朝に出発する。

 街道に沿って草原を進み、昼頃から街道を逸れて移動を始めた。

 当初は街に寄るつもりだったが、きゅうきょ予定を変更したのである。私達は、このまま魔王の住処すみかへ行くことになった。

 リアからの情報提供があり、居場所を知ることができたのだ。

 その魔王は、どくけいこくという地域に生息しているらしい。

 十数年前、王国が力を尽くして封印し、それ以来結界に閉じ込めているそうだ。しかし近年、その封印も弱りかけており、王国上層部を悩ませているという。

 そのような存在がいるとは思わなかった。

 世界を滅ぼす魔王だが、個体によって様々な事情があるようだ。なんにしろ、余計な手間が省けたのは嬉しい。

 私とリアは共に追われる身である。情報収集のために街に入ると、余計な問題が発生する恐れがあった。このまま魔王のもとへ向かえるのなら、それが一番なのだ。

 異世界に来てまだ一日程度しか経っていない。そう考えると幸先は良いと思われた。

「しかし、貴殿の拳は本当に素晴らしい! 元の世界では、どれほどの鍛練をしていたのだろうか?」

 移動中にリアは私を称賛する。最初の対決を振り返っているようだ。

 私は彼女の疑問に回答する。

「鍛練というより、実戦経験の量だ。ひたすら戦い、殺し続けてきた」

 かつて強者を求めて各地を旅したことがある。

 達人の噂を聞けば、すぐさま駆け付けて戦いを挑み、そこで勝利してまた別の達人を探す。一時期はその繰り返しであった。

 当時の私は、特に強者をかつぼうしていた。

 結局、満足できるような相手は見つからなかったが、幾多の殺し合いは修行にはなった。

 話を聞いたリアは、暗い面持ちで呟く。

「貴殿はその年齢で修羅の道を歩んでいるのだな……」

「実年齢は九十の老人だ。神の祝福で若返っているだけだ」

 勘違いされていることに気付いた私は、あっさりと打ち明ける。

 するとリアは驚嘆して急に足を止めた。彼女は遠慮がちに確認をしてくる。

「なんと……! では、老師と呼んだ方がいいのだろうか」

「好きに呼ぶといい」

 私達は、そのように他愛もない会話をしながら移動を続ける。

 リアは親しみやすい性格だった。私が口下手べたなのでひんぱんには話さないが、特に気まずい空気になることもなかった。

 会話は退屈しのぎになる上、この世界について知る機会にもなる。ついでに魔術についても色々と教わった。

 その日の夜、前方に森が見えてきた。リアは森を指し示しながら説明をする。

「ここを越えた先に、くだんの渓谷がある。結界のせいで出入りできないが、私には魔術の心得がある。到着したら二日間だけ待ってほしい。ほんの一瞬ならば、我々が通るだけの隙間を作れるはずだ」

「必要ない。私が破壊する」

 リアの提案を聞いた私は即答した。

 魔王を殺せば、きっと結界も不要になる。壊したところで迷惑はかからないだろう。

 リアの策も悪くはないが、時間がかかる。結界に隙間を作るには、それだけの準備期間がいるのだろう。

 それならば、拳で穴を開ける方が遥かに早い。

 私の反論を聞いたリアは、申し訳なさそうに首を振った。

「気を悪くしないでほしいのだが、貴殿の力でもさすがに難しいと思う。魔王を封じるだけの強度を誇る結界だ。物理的に壊せるものではない」

「試してみなければ分からない」

「そこまで言うのなら止めはしないが……」

 リアはまだ納得ができていない様子だった。彼女の心情も理解できる。

 しかし、私がこの拳で壊せなかったものなど過去にない。

 たとえ世界が変わろうと同じである。

 加えて私がこれから戦うのは、他ならぬ魔王だ。

 結界の一つや二つ、破壊できなくては対抗できないだろう。


 ◆


 土色の小鬼が、奇声を上げて跳びかかってきた。

 手にはこんぼうを握り、力任せに振り下ろしてくる。

「隙だらけだ」

 棍棒に片手を添えて殴打を受け流す。

 私はもう一方の手で小鬼の顔面を掴むと、軽く力を込めた。その瞬間、小鬼の後頭部が破裂する。

 痙攣する死体を捨てた私は、辺りを見回す。

 周囲には、無数の小鬼の死体が散乱していた。

 いずれも私達が屠ったものである。近くに立つリアは、剣に付いた血を振り払った。

「思ったより数が多かったが、貴殿がいれば一瞬だったな」

 彼女は満足そうに剣を鞘に収める。少しも息が切れていない。やはり騎士長となるだけあって、日々の鍛練は怠っていないようだ。


 現在、私達は結界を目指して森の中を移動していた。

 一見するとなんの変哲もない場所を、リアの案内で進んでいく。私にはよく分からないが、各所に魔術による印があるそうで、知らない者は迷うように仕組まれているそうだ。

 騎士長のリアは正しい道を知らされていたため、おかげで滞りなく進むことができていた。

 森の中には様々な脅威がある。

 具体的には、魔物と呼ばれる生物との遭遇だ。

 周囲に散乱する小鬼達もその一種だった。

 ゴブリンと呼ばれる種族で、彼らは草むらや樹木の上から奇襲してくる。

 気配が掴めていたので、特に問題はなかったが、心得のない素人なら為す術もなく殺されていただろう。力が弱いものの、意外と知恵を駆使してくる。侮れない魔物だとリアも評していた。

 その後も私達は、不定期に魔物と戦いながら進んでいく。

 森に入ってから丸四日が経とうとしていた頃、ついに森の果てに到着する。

 そこは樹木が枯れており、微かな異臭が漂っていた。

 空気が淀んでいる。生物も不自然なほどにいなかった。

 前方には同じく枯れた山々が並んでいた。そこに挟まれるようにして渓谷が形成されている。

 渓谷へ向かう道は、薄い半透明の壁で阻まれていた。

 見上げるとずっと壁が続いている。おそらくは天井まで覆っているのだろう。

 どうやらこの一帯が腐毒の渓谷のようだった。

 道中、リアから話を聞いていたが、元々は自然豊かな場所だったらしい。

 それが魔王がいるせいで、このような不毛の土地になったそうだ。

 周囲の草木が枯れているのも、魔王の影響だという。結界で閉じ込めた状態でも害があるのだから、相当な力だろう。

 魔王に近付くほどに毒素が強力になるそうだ。

 しかし拳法使いである私は、間合いを詰めねば倒せない。

 短期決戦が至上だった。毒が回り切る前に、一気に打ち倒そうと思う。

「さて……」

 私は結界に手を伸ばす。

 指先が触れたその瞬間、電流のようなものが走った。僅かな痛みだ。指先が少し焦げ付いている。

 これが結界で間違いないようだ。

 内部に魔王を閉じ込めているそうだが、肝心の魔王はここからでは窺えない。

 結界はかなり広域までを囲っている。目視できる範囲にはいないのだろう。

 漠然とそれらしき気配がうごめいているものの、正確な場所は分からない。結界を壊せば、判明するものと思われた。

 私は軽く拳を握ると、さっそくリアに指示をする。

「少し離れていろ」

「ウェイロン殿? まさかいきなり壊すつもりなのか?」

「そうだ」

 何も待つことはない。魔王の存在が、近隣の環境破壊に直結しているのであれば、今すぐにでもとうめつすべきだろう。

 私は結界の前で身構えると、腰を落として拳を引いた。

 精神を集中させて、ゆっくりと呼吸を整えていく。

 絶好の瞬間、殺気を全開にした。

 地面を粉砕しながら、全身の力を伝導し、拳の一点に集中させる。

 そして、突きという形で打ち放つ。

 拳が結界に衝突し、電流が迸った。

 構わず押し込んでいくと、間もなく結界は砕け散った。突きの破壊力に耐え切れなかったのだ。

 破損した結界には、ちょうど人間一人が通り抜けられるほどの大きさの穴ができていた。

 後ろにいたリアが唖然としている。

「そんな馬鹿な……」

 私は彼女の反応を気にせず、結界の穴からその先へ行った。

 途中、振り向いてリアに忠告する。

「行くぞ。魔王からの奇襲に気を付けろ」

「りょ、了解したっ」

 慌てたように敬礼をしたリアが付いてくる。

 こうして私達は、魔王のむ領域に突入したのであった。


 ◆


 渓谷を落下する私は、地面に衝撃を逃がしながら着地した。

 轟音が鳴り響くも、足腰に負担はかかっていない。仕事柄、高所からの無傷での飛び降りは必須技能であった。

「ほっ、ほっ、ほっと」

 リアは僅かなおうとつを足場に降りてきた。それなりの身のこなしだ。やはり騎士としての鍛練が活きているようであった。

 着地した彼女は、眼前の光景に呆然とする。

「こ、これは……」

 リアが驚くのも無理はない。

 渓谷は腐毒にまみれていた。

 あちこちが変色し、異臭を放っている。草木は枯れ果てており、地面はぬかるみが多い。

 油断すると、滑って転ぶことになりそうだった。

(酷い有様だな)

 これが魔王の及ぼす影響らしい。馬鹿にならない脅威である。王国が封印に踏み切るのも納得だった。このような力を持つ生物を放置しておけないだろう。

 おまけに呼吸が少し苦しい。手足にかんしびれを感じる。おそらくは毒の影響だろう。

 やはり結界内は、外よりも毒素が強烈だった。この場にいるだけで肉体を害される。数日暮らすだけで深刻な健康被害を受けそうだ。

 私は呼吸法を切り替えて、即座に症状を軽減させた。

 昔、どこかで学んだこう術の応用である。これだけで、数十種の劇毒にも耐えられた実績があった。今回も役に立ちそうだ。

 隣に立つリアは何かを呟いていた。それが終わると、彼女の手の中に光が生まれる。

 浮遊した光は二つに分裂し、私達それぞれに接触して浸透していった。その途端、毒の症状がさらに改善される。

 不思議に思っていると、すかさずリアが説明する。

「対毒の魔術を施した。気休めだが楽になるはずだ」

「助かる」

 リア自身の才覚も要因だろうが、魔術の汎用性は非常に高い。使いこなせれば、かなり便利そうだった。ただし、魔術の使用には多少なりとも消耗があるとリアからは聞いている。連発すれば行動に支障が出るらしい。

 リアの体力が持つうちに、魔王を倒してしまいたい。

 私達は渓谷内を迷いなく進んでいく。

 結界内に踏み込んだ時点で、魔王らしき気配を感知できていた。そこまで遠くないため、このまま直行することにしたのだ。

(それにしても、これが魔力か)

 自分の両手を確認するも、何も見えない。

 しかし、ほのかな力に覆われているのが知覚できた。リアの施した対毒の魔術である。その燃料となっている魔力を感じ取っているのだ。

 こうして身に受けると、魔力をはっきりと感じられるようになった。

「……ふむ」

 私はふと面白い試みをひらめく。

 おそらく成功するだろうが、ここで使うべきではない。いざという場面で発揮するつもりだ。

 その時、強い殺気が高速接近してくることに気付いた。私は足を止めて進路を見やる。渓谷の壁を擦りながら接近してくるのは、羽の生えた巨大な豚だった。


 ◆


 飛行する豚がほうこうとどろかせる。鼓膜が破れそうな声量だ。

 さらに開かれた豚の口から、紫色の粘液が飛散する。

 それを見た私とリアはすぐさま後退した。

 遅れて粘液が地面に付着し、地面を溶かしながら異臭を放つ。豚が体内で分泌した毒だろう。

 それを見たリアは、険しい顔で説明する。

「あれが魔王だ。自らの毒に侵されて理性を失っている……無差別に毒を振り撒く災厄だ」

「なるほどな」

 やはり標的の魔王だったらしい。結界内の生物は眼前の豚しかいないため、この領域に踏み込んだ段階で確信していた。

 向こうから来てくれるとは好都合である。

 魔王はこちらを獲物と認識したのか、自由落下に近い速度で突進してきた。勢いと体重から察するに、相当な破壊力だろう。私ならば受け流せるが、至近距離で毒を受ける恐れがある。

 何よりリアに被害が出てしまう可能性があった。

 私達は飛び退いて、落下地点から離れる。

 間もなく魔王が地面に衝突した。

 地鳴りを起こした魔王は、毒を撒き散らしながら顔を上げる。そして再び咆哮を響かせた。

(猛獣そのものだな)

 理性を失っているという情報は間違っていないらしい。破壊力は申し分ないが、動きは単調だった。

 隣では、リアが全身に魔術の鎧を装着していた。魔王に対する防御策だろう。

 さらに彼女は、構えた剣から雷撃を射出する。

 雷撃は魔王に命中した。

 弾けるような音が鳴るも、体表を少し焦がしただけだった。大した損傷ではないのは明らかである。

 リアは舌打ちしながら剣を下ろす。

「魔術が体表で分解された……! このままでは効かないようだ」

「ふむ、そうか」

 魔王の能力を聞いて、私は方針を固める。

 遠距離からの魔術が効かないのなら、他に手段は一つしかない。すなわち武術による近距離攻撃だ。

 どれだけ魔術を無効化されようと、私にとっては関係なかった。

 私は地面を蹴り、起き上がろうとする魔王に接近する。

 素早く反応した魔王は、毒を飛ばしてきた。触れれば肉と骨を溶かされるだろう。

 毒の軌道を見切った私は、加速しながら回避する。そのまま魔王を拳の間合いに収めると、踏み込みを経て突きを放った。

 力を集束させた拳が魔王の顔面に命中する。

 ゴム質の体表は陥没し、次の瞬間にはその巨躯を爆散させた。

 飛び散る毒液を躱しながら、私は後退する。そうして魔王の状態を確かめた。

 魔王の残骸は遥か後方へと吹き飛び、地面を転がった末に停止した。

 腐った臓腑が散らばっている。もはや原形を失っており、死んでいるのは明らかだった。

(魔王もこの程度か……)

 拍子抜けした私だったが、ふと魔王の死骸を注視する。

 肉片が蠢き、徐々に結合し始めていた。互いにちゃくして、元の形に戻ろうとしている。

「魔王は再生能力を有している。あのように致命傷だろうと回復できるのだ……」

「なるほど。これは少し骨が折れそうだ」

 リアの解説に応じながらも、私は喜びを覚えていた。

 一撃で死なない怪物とは、倒し甲斐がある。このような経験は、本当に久々のことだった。

 失望から一転して期待が湧き上がってくる。

 魔王が相手ならば、私の力も存分に発揮できそうだ。


 ◆


 魔王が頭上から突進を仕掛けてくる。

 すさまじい速度による接近に対し、私は全力の掌底で迎えた。片手が肉にめり込み、魔王の体内を掻き混ぜる。体表を破って幾本もの骨が飛び出して、鮮血を迸らせた。一瞬にして魔王は形を失って肉塊と化する。

 落下の勢いを相殺したところで、私は腕を引き抜きながら回し蹴りを放った。

 衝撃で破裂した魔王は、しかし壁を反射して再度突進してくる。僅かに残る体表の弾性を利用したのだろう。

(獣でも知恵が回るものか)

 無防備にぶつかれば、今度はこちらが肉塊となる。

 もちろんそのような間抜けな様を見せるつもりはない。

 迫る魔王を前に、私は震脚から正拳突きを繰り出した。半壊していた魔王が、ついに爆発四散する。衝突の力を倍増させてはね返したのだ。いくらきょうじんな魔王とは言え、耐え切れなかったらしい。

 周囲に毒液が散ったので、私は呼吸を止めて退避する。

 その間に肉片が徐々に集まり、割れた骨が繋がって形を作っていた。出来上がった骨格に血肉が縋り付き、元の姿へと戻り始める。

 半ば腐敗した眼球は、じっと私を見つめていた。

 理性を失った状態でも、最たる敵を認識しているようだ。

「ウェイロン殿! 受け取ってくれ!」

 後方からリアの声がした。すぐに魔術が飛来して私の身体を包み込む。その途端、空気に含まれる毒素の影響が軽減した。時間経過で効果は薄れるが、それでもありがたい補助だった。

(まったく、これだけ面倒な標的は初めてだ)

 魔王との戦いが始まってから、およそ二日が経過していた。

 正確に時間を計っていたわけではない。太陽と月の動きから把握したのである。

 短期決戦に持ち込むつもりが、かなりの長期戦になってしまった。

 最大の原因は、魔王の再生力だろう。致命傷さえも瞬く間に回復し、怒り狂いながら攻撃を繰り返してくるのだ。

 加えて垂れ流される毒も厄介だった。おかげで攻撃手段もいくらか封じられている。

 リアには後衛を頼んで、魔術による補助を徹底させていた。魔王の攻撃は、彼女の鎧を粉砕すると判明したからだ。

 接近戦は危険だと判断して、そのような役割分担をすることになった。

 ただし、この場は毒素に満たされている。リアには自分の命を第一に行動するように伝えていた。いざという時は結界の外へ逃げるように指示している。

 彼女の援護は助かるが、命を捨ててまでの助力は望んでいない。

 二日間にも及ぶ戦いで、リアもさすがに疲労していた。

 休息を取ろうにも、周囲は毒気に汚染されている。

 ここまで耐えられているのは、ひとえに彼女のたんりょくの強さ故だろう。まだ継続的に魔術を使うだけの余力はあるものの、あまり無理はさせられない。

 リアの様子を観察していると、激昂する魔王が叫んだ。肉体の再生が完了したようである。

 魔王は羽を上下させて浮遊すると、加速しながら突進してくる。

 どれだけ攻撃を受けても、魔王の動きは単調だった。

 学習するだけの知性が残っていないのだろう。私にとっては好都合であった。

 毒のまつを手刀で弾く。皮膚の焼ける痛みが走るも、魔術による保護で軽傷に留められている。すぐに自然回復する程度だろう。

 距離を詰めた魔王が噛み付いてきた。それを躱した私は膝蹴りを叩き込み、間髪れずに拳を打つ。

 魔王を地面に叩き付けて、十分な隙を作った。そこに拳の連打を見舞って魔王を吹き飛ばす。

 またもや肉塊となった魔王は、岩壁にへばり付いた。滴る鮮血から徐々に形を取り戻そうとしている。落下する部位が繋がり、異音を立てて豚の形状へと変貌していく。

 私はその過程を冷静に観察する。

(そろそろ頃合いか)

 魔王の再生速度は、だんだんと停滞し始めていた。

 神が手を焼くほどの怪物にも限界があるのだ。

 私の打撃は、すべてが致命傷に至るだけの威力を秘めている。

 それを二日間も受け続けてきたのだから、なんらかの不具合が生じてもおかしくない。度重なる損傷は蓄積し、魔王の首を絞めつつあるようだった。

 随分と時間はかかってしまったが、これで活路は開けた。

 あとはしかるべき瞬間を生み出すだけだ。

 私の武が災厄を殺す──その瞬間をおうしよう。


 ◆


 決心した私は、再生を終える寸前の魔王に突貫する。

 地面に散乱する毒液を避けながら跳び、相手の一挙一動に注目した。

 どのような動きだろうと見切らねばならない。ほんの少しの油断で殺されかねないからだ。

 魔王は咆哮に乗せて毒の弾丸を飛ばしてくる。

 軌道を把握した私は、両手で受け流す。僅かな痛みは許容範囲だった。速度を落とさずに接近していく。

 立ち上がった魔王が、体当たりを行おうとする。それを前足を踏み付けることで阻止した。

 体勢を崩したところに張り手をぶつけて、魔王を岩壁に叩き付ける。

 痙攣する魔王だが、身を起こそうとしていた。そこに私は、絶え間なく拳を浴びせる。

 途中、羽を掴んでむしり取り、唯一の機動力をも奪った。

 再生の隙を与えないよう、徹底的に破壊の限りを尽くす。

 当然、損傷に際して毒液が飛散した。

 皮膚を溶かされながらも、私は気にせず攻撃を続ける。少々の痛みなら動きに支障はない。

 今こそが好機なのだ。

 これ以上長引くと、私達が不利になるだけである。

 弱った魔王をこのまま屠らねばならなかった。

 やがて岩壁の一部が崩落する。

 私の連撃の余波で限界が訪れたようだった。

 それでも私は攻撃の手を緩めず、ひたすら魔王を破壊していく。

 もはやただの肉塊に変貌した魔王は、未だに蠢いていた。必死に生きようとしているのだ。本能的に生に縋り付いている。

 私の致命的な攻撃の嵐に晒されながらも、打開策を求めているようだった。

 そのような折、突如として肉塊の一部が弾けた。

 血に塗れながらも飛び出してきたのは、一本の骨だ。

 先端が槍のように尖っており、真っ直ぐに私の首元を狙ってくる。

 私は、肉塊の中に眼球を幻視した。

(なるほどな)

 骨の槍を掴んで止める。あと一瞬でも遅ければ、首に刺さっていただろう。

 そこから毒を流し込まれれば死んでいた。

 これは魔王による決死の反撃だった。しかし、それは失敗した。

 骨を掴んだまま、私はもう一方の拳を握り締める。そこにリアから施されていた魔術を集中させていく。

 次第に拳が光を帯びてきた。

 対毒の効果は失われているが、魔力のざんは破壊力に変換されている。

 自らに施された魔術ならば、ある程度の操作ができる。

 リアの対毒によって気付けた発見であった。長年の鍛練は、異世界の術にも有効だったのだ。

 魔王は体表で魔術を弾いて防ぐ。

 だがしかし、肉塊同然の今の姿ならば、そのような特性も意味がない。圧縮した魔力はそのまま通じるはずだ。

「これでしまいだ」

 私は腰を落として身構える。

 拳を起点にふくれ上がる力を抑えながら、それを魔王の肉塊へと叩き込んだ。

 命を抉るような感覚。先ほどまではなかったものだ。

 刹那、青白い光が放出されて大爆発が起きる。

「──ッ」

 突き飛ばされるような衝撃と共に、私は宙を舞った。

 空中で姿勢を修正し、一回転を経て着地する。身体を見下ろすも、目立った外傷はない。衣服が少し焦げ付いているくらいだ。

 唯一、突きを放った拳が青白い光を帯びていた。しかしそれも白煙を上らせながら薄れる。リアから貰い受けた魔力を使い切ったようだ。

 私は爆発地点を見やる。半壊した岩壁には、魔王らしき残骸がへばり付いていた。

 白煙を噴き上げながら蒸発している。肉片が音を立てて跳ねていたが、上手く癒着できずに朽ちていく。

 ついに再生能力が底を尽きたのだ。

 魔力を込めた一撃がとどめになったのだろう。さすがに復活する気配は見られない。

 ほどなくして、渓谷に撒き散らされた毒が消失し始めた。私に付着していた分も消えて、淀み切った空気も浄化される。どうやら魔王の命と連動していたらしい。

 少し離れた場所では、リアが感涙していた。

 彼女は口元に手を当てて震えている。

 一連の戦いのなんらかが、心の琴線に触れたようだ。武人としての成長に携われたのなら鼻が高い。

 私は息を吐くと、毒で溶けた袖を破って捨てる。

 気分はそれなりにすがすがしい。適度な高揚感と達成感に満たされていた。

 元の世界で暗殺業をやっていた頃では考えられない心持ちである。

 ──こうして私は、異世界の魔王を討伐したのであった。


 ◆


 私はその場を立ち去ろうとして、ふと魔王の死骸を見やる。

 死骸は未だ蒸発を続けていた。

 放っておいても、いずれ完全に消滅するだろう。念のために見届けるべきか迷うも、それよりも気になることがあった。

 私はおもむろに魔王の死骸に近付く。

 白煙に紛れて、見えない力が霧散していた。これは魔力である。リアから魔術を受けたので、はっきりと感じられるようになっていた。

「…………」

 少し思案したのちに、私はその場で深く呼吸をする。そうして噴き上がる魔力を体内に取り入れた。

 膨れ上がる力の奔流を、精神を集中させて抑制する。取り込む量を増やしつつも、暴走しないように調整した。

 するとリアが、慌てたように駆け寄ってきた。彼女は私の肩を掴み、死骸の前から引きがそうとする。

「ウェイロン殿、何をしている!?

「魔王の魔力を取り込んでいるだけだ」

「なっ……!?

 リアは驚愕し、すぐさま必死の形相で中断を訴える。

「危険だ! すぐにやめた方がいい」

「今後、必要になるかもしれない。可能なら蓄えておくべきだろう」

 彼女の意見は理解できる。これは腐毒を散らす魔王の力だ。

 実際に取り込んでみると分かるが、かなり危ない代物である。制御できなくなれば、肉体を内側から溶かされそうだった。下手をすると、私自身が第二の魔王になる恐れもある。

 しかし、この強大な魔力は便利だ。

 世界各地に点在する他の魔王は、おそらく特殊能力を有している。殺し合うことになった際、今回のように厄介な状況に陥ることは多いだろう。

 私の武術はきっと通用するだろうが、この魔力があれば選択肢も増える。戦闘を有利に運ぶことができるはずだ。もちろん魔力に依存しすぎるのは問題であるが、手段の一つとして保持するのは悪くない。

 私は異世界に遊びで来たのではない。

 魔王殺しは神からの依頼だ。

 自らの武術を試したい気持ちもあるが、依頼の成功率を上げる方が重要であった。

 腐っても私は暗殺者だった男だ。数十年の実績を築き上げたその道の頂点という自負もある。

 その素質を見込まれたのだから、期待には応えねばならない。

「ウェイロン殿がそう言うのなら、小官も無理に止めはしないが……」

「すまないな」

 私は引き下がってくれたリアに返答する。そして、死骸に残る魔力をすべて取り込んだ。

 一瞬、爆発しそうな気配にあおられるも、気合で抑止した。これまでの鍛練に比べれば造作もない。

 動きを止めた私を見て、リアは慎重に尋ねる。

「本当に、問題はないのだな? 異常があれば、すぐに吐き出した方がいい」

「特に何もない。このまま保持できそうだ」

 私は体内に意識を向ける。魔力は腹の一カ所に集まっていた。

 武術の鍛練──特に気功術の経験が役に立った。それと感覚が似ているのだ。蓄えた魔力は、好きな時に使えそうだった。

 ただし、これは使い切りの力である。死骸から取り込んだだけなので、消耗していくのみだ。

 体内で生み出すことはできず、基本的には温存する方向で行くしかない。それでも他の魔王と戦う際の切り札になるだろう。

 頬を紅潮させるリアは、興奮した様子で私に賛辞を送る。

「さすがウェイロン殿だなっ! 他者の魔力を操作するなど、よほどの修行を積まねばできない芸当だ!」

 魔力については詳しくないが、こういった工夫は難しいようだ。

 一般的な感覚で考えた場合、どうやら私は魔力操作が得意らしい。この世界で戦うことを考えると、その長所を活かしてもいいかもしれない。

 せっかく若返って異世界に来たのだ。独自の概念を組み込んで、さらなる強さを目指すべきだろう。

 思考をまとめた私は踵を返した。その際、リアの肩を叩く。

「行くぞ。ここにはもう用はない」

「了解した! 王国も、結界の損壊や魔王の消滅に気付いているはずだ。早く立ち去るべきだろう」

 リアの言う通りである。此度の戦いは遅かれ早かれ知れ渡る。目撃者はいないが、王国の上層部は私の仕業だと考えるに違いない。

 そこからどう動くのか不明だが、彼らが私の妨害を企まないことを祈ろうと思う。