第一章
目を開けると、私は見知らぬ場所に倒れていた。
白一色の草原だ。草も大地も白く、空は闇に覆われている。星々は見えず、三日月だけが浮かんでいた。
(ここは……?)
私は立ち上がる。
拉致された記憶はない。ここへ連れてこられたにしても、放置されているのは不自然だ。
一体何が起こったのか。
「目覚めましたか」
振り向くとそこには、銀髪の若い女が立っていた。
どこかの民族衣装のような白い服を着ている。
調和のとれた独特の雰囲気を
その女は、少し先に
先ほどまではいなかったはずである。接近してきたのなら、まず察知できたろう。
どうやら彼女は、唐突に出現したらしい。
その事実に気付きながらも、私は臆せず問いかける。
「君は誰かね」
「わたしは神です」
「ふむ、神か」
私は素直に
一方、神を名乗る女は不思議そうな顔をする。
「意外ですね。驚かれないのですか」
「ここは超常的な空間だ。あまりにも現実から
ついでに言うなら、女自身の佇まいも判断基準となった。まるで人間味が感じられない。この場の異常性を象徴しているかのようだった。
そもそも、私を
何かあれば事前に察知できる。今回のように知らない場所で目覚めるなど、普通ならば絶対にありえない。
神隠しに遭ったのだと考える方が、よほど合点がいくのだ。
連れてこられた理由については分からなかった。
人を殺しすぎたせいだろうか。その罰を今から科せられるのであれば、反論の余地はなかった。甘んじて受け入れるしかあるまい。
あれこれと考えていると、神は淡々と私に告げる。
「突然ですが、あなたは死にました。死因は老衰です」
「そうか……」
私は告げられた事実を
霊体といった感じではなく、しっかりと生身だ。しかし、なんとなく違和感があった。
老衰というのも納得できる。
病気を患っていたわけではない。直前の仕事でも、致命傷を負った覚えがなかった。
死の原因は、おそらく心が弱ったせいだろう。あれが隙となってしまったのだ。
私は、本来の寿命を大幅に超過していた。それを執念で
心に隙ができたことで、老衰してしまったらしい。
無念だ。志半ばで、死を迎えてしまった。
後悔を感じるも、心は思ったより冷静だった。
己の死に安堵している自分がいた。もう苦悩しなくていいのだという考えが
その甘さに自己嫌悪を覚える間に、神は話を進めていく。
「本来は魂を浄化して
「私に依頼? 殺しか」
尋ねながらも、半ば以上は確信していた。
他ならぬ私に頼むのだから、察しくらいは付く。それしか考えられなかった。
案の定、神は
「ええ。わたしの管轄する世界の一つに行ってもらい、そこで魔王を殺していただきたいのです」
「魔王? それは何者だ」
聞き慣れない単語に、私は眉間に
こちらの質問を受けた神は、
魔王とは、地球とは異なる世界にいる怪物らしい。世界の欠陥によって誕生し、創造に反逆する存在だという。
不定期に起こる現象の一つとのことで、機械の不具合に近いものだそうだ。
魔王は強大な力を有し、魔族と呼ばれる配下を使役している。
私が向かう世界では、そのような存在が各地に降臨するらしい。
複数の個体が現在進行形で暗躍していたり、密かに復活を遂げようとしているとのことだ。
邪悪な魔王達は、いずれ世界を滅ぼす。
彼らを殺して世界の滅びを食い止めるのが、神から依頼された私の役目であった。
神の推算によると、このままだと五年後に世界が滅亡するらしい。なかなかに深刻な事態だった。
「管理者であるわたしは、世界への干渉ができません。原則的に傍観のみと決まっており、その行く末を見守る役目を担っています。したがって魔王の直接的な排除は不可能です」
「そうか」
私にはよく分からない。ただ、神が言うのだからそうなのだろう。
詳しい事情を聞いたところで、理解できないのは目に見えていた。神には神の決まりがあるということだ。
「例外的な干渉方法の一つが、他世界の人間を送り込むことです。これについては過干渉に分類されません」
「つまり今回の私のような事例か」
「はい、その通りです」
女神は首肯する。
私はその例外的な
利用されることには慣れている。今更、何も思うまい。
「現在、その世界で勇者召喚の魔術が行使されています。あなたをこの術に乗じて送り出す予定です」
「つまり私は、勇者とやらになるのか」
「そういうことですね」
神は当然の
(暗殺者だった私が、まさか勇者を名乗ろうとは……)
なんとも皮肉な出来事であった。
日陰の道を歩んできた人生を思えば、目が眩むほど華々しい。嫌悪感はないものの、なんとなく据わりの悪さを覚えてしまう。
こちらの内心を知ってか知らずか、神は私に問いかける。
「ご不満ですか」
「そんなことはない。ただ、私が選ばれた理由は聞いておきたい。勇者に
古今東西、様々な英雄が怪物殺しの偉業を成し遂げている。死者を蘇らせて異世界に送り込むのなら、そういった者達を選んだ方がいい。
わざわざ薄汚い暗殺者の老人を選ぶ道理が理解できなかった。
神がその気になって調べれば、もっと適任者がいるはずだろう。
私の疑問を受けた神は、なぜか
「リ・ウェイロン。あなたは現代における最強の拳法使いです。生憎と時代には恵まれませんでしたが、その強さは
「…………」
私は沈黙する。
神に認められるとは光栄なことだ。またとない機会である。武の極致を追求した
「言い忘れていましたが、異世界にはあなたの求める闘争があります」
「──何?」
私は神の言葉に反応する。
聞き捨てならない話であった。穏やかだった心に、衝動の火種が
「地球ほど文明が発展しておらず、銃もない世界です。剣や弓といった武器が主流と言えば、
「なるほどな……」
私は神の話を瞬時に理解した。
地球とは異なる世界は、戦い方も現代的ではないらしい。正直、細かなことはどうでも良かった。
これから向かう世界には、武を極めし者達がいる。私を
胸中の
長らく感じていなかったものだ。大いなる期待が膨れ上がってくる。それを止める
「わたしは管轄世界の問題が解決できて、あなたは生涯の悲願が叶う。互いにとって良い条件だと思いますが、どうでしょう。引き受けていただけますか」
「ああ、やらせてもらう。私に任せてほしい」
私は
これだけの話を聞いた以上、断れるはずがない。向こうから誘われていなかったとしても、私は異世界へ行けるように懇願していただろう。それほどまでに魅力的な案件であった。
神は私の答えを受けて
「ありがとうございます。ではさっそくですが、あなたには勇者としての能力を授けましょう」
「能力?」
「はい。魔王は規格外の存在です。常人では太刀打ちできません。対抗するには、それに見合った能力が必要となります」
そう言って神は、能力の例を提示していった。
万物を斬る剣の生成。様々な術の適性。超怪力。無限の魔力。
そういった異能を
ただし、貰える能力は一つだという。過剰に能力を渡すと、それが原因で新たに世界が乱れる恐れがあるそうだ。
神が胃痛を
与えた能力が原因で、問題が発生したことがあるのだろう。同じ過ちを犯さないようにしているようだ。何はともあれ、私は選択しなければいけないらしい。魔王を倒すための武器を、自分で考える必要があった。
「あなたの望む能力を授けます。遠慮なくおっしゃってください」
「……ふむ」
私は腕組みをして思案する。
果たして己が求める異能とはなんなのか。
殺害対象である魔王に対抗し得る力となると、生半可なものでは歯が立たない。具体的にどういった存在かは知らないが、神が規格外と評するほどだ。相応の実力者なのだと思われる。
(小難しいことを考えるのは苦手だ)
私は頭を悩ませながら唸る。
老いてからは、余計に考えるのが苦手になった気がする。困ったものである。思考を停止させた方が、精神的に楽だからだろう。
しかし、苦手でも悩まなくてはいけない。今後に大きく関わることだ。
他ならぬ神の提案である以上、真面目に答えるべきである。
(
私は何度も思考を巡らせる。魔王との戦いを想定して、様々な候補を挙げては却下する。ただひたすらにその繰り返しだった。
どれだけの時間を思考に費やしたのだろうか。
それが分からなくなってきた頃、私はようやく一つの結論に
悩み果てた末、結局はその能力しかありえなかった。
脳内で結論を下した私は、神に向けて要望を伝える。
「若さだ」
「……はい、なんでしょう?」
神は笑顔のまま応じる。
しかし、若干ながら困惑している様子だった。
だから私は、繰り返し述べる。
「──若さをくれ。それだけでいい」
「本当に、それでよろしいのですか」
「問題ない。十分だ」
私の最たる敵とは、すなわち老いだ。
どれだけ肉体を鍛え上げても、全盛期から衰えていく。戦うたびにそれを痛感してきた。長年の苦痛の原因でもあった。
それを解消できるのだとしたら、これほど嬉しいことはあるまい。万金以上の価値がある。
無論、私欲から若さを望んだわけではない。
私には鍛え上げた武術がある。
老いた身では
「分かりました。では授けましょう」
神は私の願いを承諾すると、静かに両手を掲げた。
そこに光が生じる。
光は流れるようにしてこぼれると、頭上から私へ降り注いできた。
温かい力が浸透してくる。同時に全身の変容を知覚した。
絶えず軋みながら、肉体の形が
痛みに近い感覚もあったが、目を閉じてそれらを受け入れる。
やがて光は消えた。間を置かず、神の声が聞こえてくる。
「あなたの肉体は全盛期まで
「…………」
私はそっと目を開けると、己の身体を見下ろす。
そこには、筋肉で盛り上がった
視界も
力が底無しに
次に私は頭に手を伸ばす。引き抜いた髪の毛は、艶やかな黒色だった。顔を
鏡を確かめずとも分かる。どうやら私は、本当に若返ったようだ。
「……素晴らしい。神よ、礼を言う」
「喜んでいただけて良かったです」
神に感謝を述べていると、足元が発光し始めた。円形の奇妙な紋様が浮かび上がる。
「召喚術があなたを呼び寄せ始めたようですね。そろそろ時間のようです」
神は私の前まで来ると、胸に手を当ててきた。ほんの一瞬、視界にずれが走る。
「何をした」
「肉体の再構成です。異世界でも言葉が通じるように調整しました」
神は朗々と答える。
今から向かうのは異世界だ。既知の言語が通じないため、神が気を利かせてくれたらしい。彼女は温かな笑みを
「魔王殺害を依頼しましたが、それ以外に関しては自由になさってください。わたしから文句を言うことはありません」
「すまないな。感謝する」
私は頭を下げる。これほどの恩を受けたのだ。必ず報いなければ。すなわち彼女からの依頼──魔王殺しを完遂するのである。
決意する間にも、足元の光がだんだんと強まっていく。吸い込まれるような感覚も生じていた。
顔を上げた私は、神と目が合う。彼女は、もう一度だけ微笑んだ。
「それでは、第二の人生をお楽しみください」
別れの言葉を告げることなく、私の視界は暗転した。
◆
「せ、成功しましたっ! 勇者です!」
歓喜を滲ませる声がした。それに伴うざわめきも聞こえてくる。
私はゆっくりと目を開く。
そこは赤い
足元で円形の紋様が発光しているが、すぐに色を失って消える。
神と対峙した部屋で見たものと同じだ。今の紋様が召喚術とやらであり、私をここへ転送したのだろう。
考察する一方、無数の視線が私に集まっていた。
部屋の両脇には西洋
紅のマントを羽織っており、威厳に満ちた雰囲気だ。
その居住まいからして分かる。老人は国王──或いはそれに類する地位なのだろう。
隣には、豪華なドレスを着た
こちらを興味深そうに見ているのは王子だろうか。親子らしき三人の王族は、私を見下ろす位置にある。
(ふむ。ここが異世界か)
観察を済ませた私は、状況を把握する。
どうやら無事にやってこれたらしい。特に肉体の不調等もなかった。
国王は座ったまま私に声をかける。
「異界の勇者よ。そなたの名を聞かせてほしい」
「リ・ウェイロン」
私は向き直って名乗る。別に隠すようなことでもあるまい。
国王は
「随分と落ち着いているな。ウェイロン、そなたは状況を理解しているようだ」
「魔王を殺すために呼ばれたと解釈しているが、違うかね」
私は国王に問う。すると、居並ぶ兵士の一人が
「貴様! 陛下に対してなんたる言葉遣いだッ!」
「良い。
国王はその兵士を制する。
私の言動が無礼にあたったようだ。一国の長である人間に対し、敬意を払っていないのだから当然だろう。
私は特に悪びれることもなく弁明する。
「何分、学のない田舎者でな。寛容に見てもらえるとありがたい」