プロローグ
満月の浮かぶ夜。
私は高速道路の縁に立っていた。
吹き抜ける風が、
もっとも、その程度で動きが
「…………」
少し視線をずらすと地上が見える。それなりの高さだが、恐怖は
高速道路を通りかかる車が、たびたび奇異の目を向けてきた。たまにクラクションを鳴らされるも、今の私にとってはどうでもいい。別に気にすることではなかった。
なぜ私がこのような場所にいるのか。それは私が暗殺者で、始末すべき標的がここを通過する予定だからだ。
実に単純な話であった。何も難しいことではない。もう何十年と繰り返してきたことだ。朝食の献立を決めるように、日常の一環と化している。
(そろそろだろうか)
遥か遠方に白いリムジンが見えた。前後に護衛車を引き連れてこちらへ接近しつつある。私は目を凝らしてナンバープレートを確認する。間違いなく標的だった。
私は縁から下りると、静かに歩みを進める。そのまま道路の真ん中まで移動した。ちょうどリムジンの進路上で停止する。間に無関係な車両はおらず、正面から
「…………」
護衛車とリムジンが急速に接近する。途中、先頭を走る護衛車の動きが
一瞬の
私は全身の力を抜き、自然体を意識した。その状態で右脚をほんの少し浮かせる。
護衛車はすぐそばまで迫っていた。勝ち誇った運転手と目が合う。口内で光る銀歯まで視認できる距離だった。
「──行くぞ」
私は目を見開いた。精神を静から動へと切り替える。構えを取りながら、真っ
踏み下ろした足が道路を陥没させた。そこを起点に、前方へと亀裂が走っていく。破壊の波が
後続のリムジンと護衛車も同様に跳ね上がった。
二台の護衛車は激しく横転し、その弾みで高速道路から落下する。下方から衝突音が聞こえてきた。あの具合だと、中の人間は死んでいるだろう。
道路全体が
崩落部分の先では、無関係な車両が慌てて停車していた。紙一重で落下を免れている。あと少しブレーキを踏むのが遅ければ、地面に衝突していただろう。
「…………」
私は無言で振り返る。少し先には、ひっくり返ったリムジンがあった。車体から白煙が上がり、スーツ姿の男達が
その間に男達が車外に抜け出した。数は三人で、揃って小銃を携えている。照準は当然のように私を狙っていた。
「死ねェ!」
口汚い言葉と共に、一斉射撃が始まった。
私は弾丸を凝視して軌道を見切る。
「何……っ!?」
「嘘、だろ……?」
「どういうことだ……ふざけんじゃねぇよッ!」
動揺する男達は、それでも必死に射撃を続ける。しかし、すぐに弾切れに陥った。引き金を引いても、虚しい音が繰り返されるばかりであった。
私の被害と言えば、破れた衣服と無数の
(……衰えたな)
私は自らの老いを痛感する。
悲観したくなるも、
私は跳躍し、男達の一人に狙いを付ける。その男は銃の弾倉を換えようとしていた。焦りで手元が狂い、難儀しているようだった。
私はその無防備な肩口に手刀を割り込ませる。
指先が男の胸部までを両断し、
「ぎ、が、ぁっ……」
男は奇妙な声を洩らしながら地面に沈む。そのまま立ち上がることもないまま息絶える。私はリムジンを乗り越えると、二人目の男へと襲いかかった。
「うおらぁッ!」
二人目は果敢に殴りかかってきた。
とは言え、素人の動きである。目を閉じていても当たらないだろう。
私は拳を掴むと、関節を無視して
「い、ぎぇ、だだだだだだ!」
男は銃を捨てて悲鳴を上げる。
私はその顔面に
首から上を失った男は、糸が切れたように倒れた。
「ふむ」
私は三人目を見やる。男は小銃をこちらに向けていた。再
「うああああああああっ!」
絶叫に合わせて小銃が火を噴く。
私は這うような姿勢で接近して射線から外れた。そこから小銃を蹴り上げる。
「あ、え……?」
無手になった男は、呆然と己の両手を眺める。
すべての指が折れていた。私に小銃を蹴られた際に負傷したのだ。
私は男の首に手を添え、瞬時に圧迫する。
男は意識を喪失して崩れ落ちた。その首を踏み折って命を奪う。
「…………」
三人を殺した私は、リムジンに視線を移す。
車内にまだ気配が残っていた。荒い息遣いも聞こえる。
私は
そこには、拳銃を構える
事前に渡された写真と同じ顔だ。すなわち
「く、来るなッ!」
吠える男が拳銃を発砲した。
私は弾を指でつまみ取る。至近距離だが問題ない。こういった不意打ちにも慣れている。
「くっ……!」
男は
「助けてくれ! いくらで雇われたんだ、言ってみろ! 俺はその五倍……いや、十倍は出してやる! だから──」
男の命乞いを無視して、私は弾丸を捨てる。
指先が
昔なら無傷だったが、やはり老いには勝てない。
私は底部を
そこへ拳を打ち込む。リムジンが元の五分の一ほどの厚さまで圧縮され、真っ二つにへし折れた。殺し切れなかった衝撃が、道路に亀裂として放射される。またもや道路の一部が崩落した。
構えを解いた私は、変わり果てたリムジンを見下ろす。道路との隙間から腕がはみ出していた。じわじわと血が広がっていく。
それを確認した私は、一度も振り返らずにその場を立ち去った。
標的は無事に始末した。ここに長居する意味もない。いずれ騒ぎを聞きつけた警察がやってくるだろう。後が面倒なので、なるべく鉢合わせしたくなかった。
そうして私が移動した先は、小さな公園だった。先ほどの現場からは離れている。
(この辺りまで来れば大丈夫か)
私は端のベンチに座った。そこで呼吸の乱れを自覚する。この程度のことで疲労するとは、我ながら本当に情けない。他人にはとても見せられない姿であった。自己嫌悪もそこそこに、私は夜空を見上げる。
これから私は帰宅する予定だった。翌朝には、暗殺の報酬が振り込まれているだろう。目も
その金で生活するうちに、悪党から新たな依頼が来る。また別の悪党を殺す仕事だ。
同じ時期に依頼が被った場合は、その日の気分で一方を選ぶ。選ばない時はない。
週に一度の間隔で、私は悪党を殺し続けてきた。ここ数十年の習慣である。
「……虚しい」
私は一体何をしているのか。
それも玩具を持っただけの小僧共を叩き潰す作業である。
誇りや仁義など
(私はこのような日々を送るために拳を磨いてきたのではない)
技を極めし武人と
血潮が沸き立ち、命を削る戦いを求めている。それを夢見て果てしなき鍛練を積んできた。
しかし、現実は非情だった。
私は、ただの一度もそのような瞬間を味わったことがなかった。誰も彼もが銃や爆弾を使う。
私は生涯において様々な国を渡り歩いてきた。
軍人を志したり、
だが、私の心を躍らせるような相手と出会うことはなかった。
そうして未練を断ち切れず、今の私は闇社会に身を置いている。
何かの奇跡で目的が果たされるのではないか。そんな淡い期待を抱いて生きてきた。どうにか死ぬ前に望みを叶えたい。老い先僅かな私にとって、それだけが願いであった。
「…………」
深く長い息を吐く。身体が重たい。疲労ではなく、精神的な要因によるものだろう。
私は目を閉じる。夜明けまで少し休もう。
心が
考えることをやめた方がいい。
今は休息に専念したかった。雑念を追い出し、全身から力を霧散させる。
私の意識は、奥底へと静かに下降していった。