****
大通りの中央へ戻ると、敵はすでに傷の手当を終え刀を構えなおしていた。すでに次の戦いの準備は万端という感じだ。一方私も上着を絹に預けてきたのでウエストコートとシャツだけの少し身軽な格好になった。雪の寒さは、もう感じない。
それにしても恐ろしく場数を踏んだ敵だ。薄ら寒さすら覚える。
しかしこれほどの敵がいると考えなかったのも、絹が怪我をしたのも、全て私の責任にある。意地とこだわりで絹を傷つけてしまったことがくやしくて仕方がない。自分が情けなかった。
だからこそ、もうこれ以上絹には触れさせない。絹を寝かせている場所には一歩も近づけさせない。固い決意と圧倒的な怒りを込めて、私は敵を睨みつけた。
「よくも絹を、傷つけたな」
戦いの場に卑怯という言葉はない。それはよくわかっているし相手の不意打ちを咎めるつもりもないが、許すかどうかは別の話だ。
「お前は、絶対この場で捕らえる。引きずってでも奉行所に連れてくからそう思え」
五間ほど先にいる敵はなにも答えない。構えも最初の襲撃とは違いどこか力の抜けた、悪く言えばだらしのないような構え方だった。いぶかしく思いつつこちらも刀を青眼に構える。
そのとき雲間からさっと月が表れ、闇に沈む敵の姿を照らし出した。
敵は、意外にも細い痩せた体つきの男だった。それに若い。年の頃は私と変わらないかもしれない。伸ばし放題の総髪を頭の後ろで一本に束ね、毛先は遊ばすに任せている。おそらくどこかの藩士か浪人だろうが、顔立ちは役者のように整っていて少しも暮らしの荒れた感じがしなかった。細い眉の下には子供のように輝く大きな眼があり、口辺に
観察しながら、どちらかと言えば華奢とすら思わせる痩せた男の、いったいどこからあれほどの
先に沈黙を破ったのは意外にも敵の方だった。
「姐さん! あんた強えぇなあ! 姐さんみたいな凄腕が横浜にいるなんて
場違いに明るい声、馴れ馴れしい江戸弁、しかもそれをきらきらした瞳で好奇心いっぱいに語ってくるので、さすがの私も戸惑った。絹のことがなければ毒気を抜かれていたかも知れない。敵の男はいっそ無邪気とすら思える笑顔で続ける。
「まさかあの体勢から棒手裏剣投げられる奴がこの世にいるとは思わなかったぜ。しかもあの威力と精度! 見たとこ棒手裏剣の達人ってわけでもないし、姐さんの本分は剣士なんだろ? それにいままでこそこそこつこつ、横浜に集めてきた浪人者が姐さんのおかげで全滅だよ。やっぱり功を焦るもんじゃねえや」
「……貴様が浪人共の頭目か?」
相手の呼吸に呑まれないよう意識して固い声を出す。公使館を襲おうとした浪士組と、先ほど奴が見せた剛剣と、いま奴が見せる軽薄さがどうしても頭の中で結びつかなかった。
男はにやっと笑って構えをとくと、刀で軽く自分の肩をたたいた。
「頭目っつーほどてえしたもんじゃねえけどよ。ま、ただの世話役ってとこだ。いろいろ身分を偽って関所を通したり、この横浜で身の隠し場所を世話したり、金を用意したり食べ物はこんだり、ま、それもいまとなっちゃあ玉無しだけどサ。いやさすがの俺らもここまで役に立たねえとは思わなかった。今夜の襲撃は諦めたよ」
言葉と裏腹に男はにやにや笑って妙な余裕がある。私はますます緊張を高めた。
「そうか。これほどの浪人者、詮議の厳重な横浜にどうやって入り込んだのかと思っていたが……手引きする者がいたわけだ。それに貴様相当もの慣れているな。ただの浪人ではあるまい、どこぞの藩に召し抱えられた武士かあるいは……隠密か」
そのとき相手が初めて軽薄な笑みを消した。片眉を上げ、かすかに冷ややかさを増した声でつぶやく。
「……姐さん、あんたも
おしゃべりが過ぎたようだ。まさかこちらの出まで探られるとは思わなかった。しかしこれで相手が他藩の――おそらくは尊皇攘夷派の――隠密であることもほぼはっきりした。
「貴様何者だ。どこの藩の命を受けて動いてる。水戸か? 長州か?」
名高い攘夷派の藩を上げて私は問いかけた。無意識に薩摩をはずしたのは、相手の江戸弁があまりに巧みだったためだ。「言葉は国の手形」という諺があるが、いくら隠密とはいえ薩摩者がなまりなく江戸弁を話すとは考えにくい。
私の問いに、敵は冷たく笑っただけだった。
「さあて、どこだろうなあ?」
「ならば……捕まえて詮議するまでだ!」
叫ぶと同時地面を強く蹴り抜き正面へと飛び出した。様子見などしない。最速で距離を詰め斬りかかる。
雪を蹴たて一気に間合いを詰めた私はそのまま上段から振りおろし――
「―――っ!」
雷光のごとき速さで敵も抜刀しこちらの刀を受け止めた。鋼同士がぶつかる澄んだ音とともに激しい火花が闇夜を照らす。
油断はしていなかった。それでも驚きを隠せない。一合打ち合っただけで相手の恐るべき技量が伝わってしまった。先ほどまで戦っていた浪人達など、全員束にしてもまるで比較にならなかった。
互いに一歩も引かない鍔迫り合いの中、相手の男は薄い笑みを浮かべた。
「いいねえ、姐さん。俺らあんたのこと気に入っちまった」
「――くっ」
「エゲレス公使館襲撃なんておもしろくもねえお役目だと思っていたが……あんたのおかげで楽しめそうだっ!」
叫ぶと同時、男が両腕に力を込めた。私の刀を上に弾くつもりだと直感し、一瞬速く刀を戻す。
互いに上段へ構え直し、ほんの寸刻力をためた。
「はあぁっ!」
「シイィィッ!」
鋭い気合いとともに、猛然と刀を打ち合わせる。一瞬で無数の剣撃が交差し、間髪の差もなく斬り結んだ。一合、打ち合わせたときに舞い散る火花が消える前に次の一合が放たれるため周囲が星を散らしたような輝きに照らされる。
刃と刃の噛み合うすさまじい音が通りに反響し、鉄の焼けるにおいがあたりに立ちこめた。
「くぅっ」
時間にしては数拍、内実数十合を打ち合わせたところで、たまらず苦悶のうめきを漏らす。
やはり、強い。男の一撃一撃が恐ろしく重い。いままで戦ってきた浪人達のような力任せの斬撃とはまるで違う、身体全体の力を利用した振り下ろしだ。速さも威力も段違いでありながら鞭がしなうような柔らかさも持っている。
刀はどうしても横方向からの衝撃に弱い。打ち合わせる中心が僅かでもずれて、この重い衝撃が横腹に伝わったら頑丈な同田貫とはいえどうなるかわからない。実際敵の刀を受け止める度にかすかにいやな感触が手に伝わっていた。
このまま受け続けるわけにはいかない!
下段から上へ大きく振り抜き相手の剣を弾き上げると、即座に私は後ろへと飛んだ。六間ほどの距離をとり刀を構え直す。六間(※約十メートル)の距離は剣客にとって決して遠い間合いではないが、ともかく一拍おくことはできる、はずだった。
「――!」
敵は六間の距離を刹那のうちに詰めてきた。驚異的な跳躍力。身体全体がバネで出来ているかのようだ。敵の刀の軌道を視認している暇もなく、ほとんど直感だけで私は迎え撃った。
刀が打ち合わされる耳障りな音とともに、まるで硬質な壁にぶつけたような重い手応えがあった。全身の骨が軋む嫌な感覚と鋭い痛みが同時に襲ってくる。
敵の力は凄まじく、刀を合わせたまま膠着状態に持ち込まれてしまった。二度の鍔迫り合い。
しかしさすがにこちらの腕も限界に達していた。二十人の浪士達との戦闘から休む間もなく手練れの男と闘うことになって筋肉が悲鳴を上げている。
対して相手の男は私が闘っている間ずっとそれを見守っていただけで、万全の状態だったのだ。
「ふんっ!」
「ぐっ……」
敵が気合いを込めて刃を押してくる。こちらも力を込めて抗うが、じわじわと一分ずつ押し戻されてしまう。敵の力はすさまじく、ブーツでしっかり地を踏みしめていても少しずつと後退させられた。
刃の奥で敵がにやりと笑う。
「すげえ力だなあ。俺らと刀で押っ比べしてこんなに耐えたのは姐さんが初めてだよ。けどよぉ、そんな歯ぁ食いしばって耐えてもつらいだけだぜ。あきらめた方がいいじゃねえかい」
「……っ、だれが、あきらめるものか……!」
ほとんどうめき声のようになった言葉を漏らし、無い力を振り絞って柄を握り込む。ここで私が押し負ければ、その後は絹がまっさきに襲われるだろう。さらにその後英国公使館にまで危険が及ばないとも限らないのだ。あきらめるわけがない!
道端の天水桶の影で今も気絶している絹。
そしてヴラド、クレア、スカーレット、カネさんにニール。
頭の中に彼女たちの顔を思い起こして――
「っ、はああああああああっ!」
腹の底から雄叫びを上げ、今一度あらん限りの力を腕に込めた。じりじりと押し込まれていた刃が止まり、逆にわずかながら相手を押し返す。
――もう少しっ!
これで腕の骨が砕けてもいい、そんな思いで剣に渾身の力を乗せたとき……
「うぉおらあっっ!」
「!」
相手がさらに倍する力をかけてきた。恐るべきことに先ほどまでですら余裕をみせていたのだ。一寸ほど戻したかに思えた刃が再び一気に三寸ほども押し込まれた。
もはや敵の白刃は顔の真横にあった。髪の毛にさえ触れそうな距離。
「ぐぅぅぅっ!」
「試すような真似して悪いね姐さん。けどよう、こういうやり方しねえと勝てそうになかったもんでなあ」
男の両腕ははちきれんばかりに膨れ上がっていた。天井を知らないかのようにまだまだ力は増していく。
「悪いがこのまま押し切らせてもらうぜ。あばよ姐さん、久しぶりに楽しい喧嘩だった。恨むなら――あの世で恨んでくんな!」
男がひときわ大きく声を上げ、最後の力が込められた。ついに私が支えきれなくなり、膝を屈しそうになった、そのとき、
「――五月様! 目をつぶってください!」
後ろから、絹の叫び声が聞こえた。
絹の意識が戻ったことは嬉しいが安堵するのは後だ。後ろを振り返れないから、なぜ絹が目をつぶれといったのか理由は全くわからなかったが、私は迷わず絹を信じることにした。絹が何の理由もなくそんなことを言うはずがない。
絹を信じて目を閉じたとき、何かが転がる音がした。直後、瞼越しからでも視界を焼くような強烈な光が放たれた。絹が何らかの忍び道具を使ったことは明らかだ。
「がぁっ! 畜生、目が!」
唐突に私を押さえつけていた敵の刀が離れた。おそらく光をまともに浴びて、とっさに目を覆ったのだろう。絹のねらいをようやく理解した私は、目を閉じたまま体勢を立て直す。
一拍おいて光がやや弱まったと思ったとき、絹が再び叫んだ
「五月様! 今です!」
瞼を開けると夜が明けたかと思うような光が目に突き刺さってきた。急速にその輝きは失われつつあったが、周囲の状況は十分に見て取れた。私の前で敵の男が刀を持ったまま両手で顔を覆っているのが今までになくはっきり見えた。
絹が作ってくれたこれ以上ない好機だ。ここで絶対に決める!
「せあああーーーーーっっ!」
後足を思い切り踏み込み、うずくまったままの相手を全力で空中へ蹴り上げた。私より小さい敵の身体は鞠のように弾み高く飛び上がる。さすがの奴もこの状況では避けることも防ぐこともできなかったが、それでも蹴りの当たる寸前僅かに自ら宙へ飛び上がって、威力を殺していた。
だが、私が蹴りを放ったのは打撃が目的ではない。
「はあああああああっ!」
宙に浮かび上がった敵を追いかけるように私もまた地を蹴った。そのまま下から斬り上げる。奴の体にようやくまともな打ち込みが入った感覚があり、更に宙へと浮かび上がる。
この男は強い。恐ろしく強い。私の剣速でも避けるか防がれてしまう。ならば、身動きの取れない状態にして打ち込む!
飛び上がったときの勢いを使い、空中で更にもう一撃を放った。そうして生まれた回転を殺さず、今度は上から剣を振り下ろす。
「ぐぅっ!」
空中での三連撃を立て続けに食らって、さしもの奴も苦悶のうめきを漏らした。さらには私の剣撃で倍加した勢いを持ったまま、地面へと叩きつけられる。
寸暇の間を置いて私も雪面へと降りた。着地と同時あたりに白い雪煙が舞い上がる。
いくら奴でもこれでまともには動けないはず……、
「――っ! 馬鹿な」
私が見たのは流星のような黒い残像だった。なすすべ無く地面に落ちると見せかけて、奴は後ろへ跳び下がったのだ。常軌を逸した頑丈さと敏捷さにいまさらながら冷や汗が出る。
いったい後、どれ程打ちこめば奴は倒れるんだ?
あっという間に四、五間ほども下がった男は、片手で目を押さえたまま言う。
「いや参った。あのおちびちゃんおもしれえ仕掛け持ってんなあ。やっぱりそう簡単にはいかねえか。さすがに今夜は退散させてもらうぜ」
「待て! 逃がすか!」
「悪いね姐さん。俺ら戦うのと同じくらい逃げるのも得意なんだ……そいじゃああばよっ! また
叫ぶが早いか敵の男は足下へ丸い玉を投げつけた。途端もうもうと煙がわき出し辺り一面を覆っていく。通常の煙玉では考えられない量の煙幕だった。しかも鼻を突き刺す強烈な異臭がする。
「くっ」
鼻も視界も潰されて、それでも音を頼りに懸命に追いかけようとしたとき、駄目押しとばかりに煙の中から棒手裏剣が飛んできた。私とは桁違いの数で、三、四十本もの棒手裏剣が空気を割く甲高い音を立てて迫ってくる。
たまらず剣で弾き落とすのに気を取られ、棒手裏剣を捌ききったときすでに敵の気配はなかった。煙幕も薄くはなったがいまだあたりに立ち込めている。
「――くそっ、取り逃がしたか」
仕方なく、パチン、と音を立てて刀を鞘に収めた。
おそらくもう今夜は襲ってこないだろうが、攘夷浪士どもを束ねていた大物をみすみす逃がしてしまったのは口惜しい。しかも煙幕といい棒手裏剣のわざといい、まだまだ実力を隠していそうだ。
「五月様!」
後ろから絹の聞き慣れた声が響いた。それでようやく肩の力を抜くことができ、煙幕の中から抜け出す。
絹は思いの外しっかりした足取りでこちらに向かってきていた。ひとまず無事な様子にほっと安堵する。
「絹、気がついたのだな」
「申し訳ありません。不覚をとりました。五月様こそお怪我はございませんか?」
「私は無事だ。怪我もない。それにしてもさっきの光は何だ?」
「新作の閃光玉を使いました。
「さすが絹だな、助かった。それにしても恐ろしい敵だったな」
「あれ程の手練がいるとは思いませんでした。意識を失い五月様を危険にさらして申し訳ありません」
本当に心から悔しそうな顔で言うので、慌ててかぶりを振りつつ答える。
「何を言う、絹がさっき援護してくれなかったら負けていたところだった。そもそも最初にお前を戦いに巻き込んでしまったのは私なのだから、謝るのはこっちのほうだ」
「いえ、五月様に付き従うのは当然のことです。私は五月様の従者ですから」
いつもの無表情ながら、精一杯胸をそらし毅然として絹が言う。こんなに大変な目にあったと言うのに、文句一つ言うこと無く私に心から従ってくれる絹への感謝は言葉で言い表せるものではない。
だからこそ、私は言葉よりも行動で報いなければいけないと思う。どんな敵からも主人としてこの子を守り、育てていかなければいけないのだと思う。
私は絹を抱き寄せた。その小さく冷えた身体を温めるように胸元へ寄せる。
「さ、五月様?」
「絹、今日はありがとう。お前のお陰で私は命拾いしたし、公使館を守ることもできた」
「そんな、もったいないお言葉です。私は五月様のためならどこにでも付き従いますし、どんな敵とも戦います」
「ありがとう。絹がいるお陰で私は無茶ができているのかもしれないな。本当なら褒美を与えたいのだが、お前は何も受け取らないからな」
「あの、五月様」
そこで絹が、珍しく上目遣いになって私を見上げた。僅かにためらった後、つぶやくような囁きをもらす。
「もし、褒美がいただけるのでしたら……。もう少しだけ、こうしていてほしいです」
「もちろん、かまわないぞ」
戦いが終わりしんと静まり返った大通りの中で、私はいっそう絹を抱く腕に力を込めた。
****
『こ、これは……』
絹を抱きしめていると、後ろからガチャガチャという
振り返れば、武装したエゲレス兵が公使館の丘を降りてきている。
『あなた方は……公使館の護衛兵ですか?』
私が訊ねると、頭目らしい一人が踵を揃え、手指を頭の脇に揃えた。確か敬礼とかいう挨拶だ。
『ハッ、第67連隊のプライス中尉であります。ニール中佐の命令で、襲撃者の偵察、撃退、及び貴女の保護と撤退の支援を行うため出撃いたしました! ……が、これは』
彼はそう言いかけると、敬礼したままの姿勢でマジマジと周囲を見渡した、やがて目を見開いたまま続けて言う。
『その、我々は戦闘も覚悟しここに来たのですが……いったいこれはどういうことでしょう。まさか、貴女お一人で?』
『ええ、襲撃してきた攘夷浪士はすでに全員撃退しました。よろしければ彼らの捕縛を手伝っていただけると助かります』
『ハッ、それはもちろんの事ですが。正直に言いまして、小官は夢を見る思いです』
エゲレス兵は唖然とした表情のまま敬礼を下ろしたが、すぐに兵士へ指示するとキビキビと動いて散開して浪士を縛り上げ始めた。正直これはありがたい援軍だった。それにしてもニールには私のやることなどお見通しだったのだ。やれやれ。
英国兵の動きは素早く、私も絹が手伝う暇もなく浪士の捕縛は終わってしまった。もっとも手伝えなかった理由には、なぜか絹が私の着物裾を掴んで離してくれなかったということもあるのだが。
浪士たちがみな縛り上げられた頃に、今度はようやく奉行所の捕り手たちがやってきた。
「こ、これは……!」
三島もまたエゲレス兵と同じく、通りの現場に着くなり青ざめて絶句した。後ろの同心たちも一様に驚いた顔をしているが、青ざめてまではいない。三島が「しまった!」という顔をしている理由に察しはついたが、わざと当てつけがましく問いかけてみた。
「これは三島様、そんな物々しい格好で夜中に見回りですか?」
「むむ、い、いや異人居留地にて騒ぎが起きていると聞きつけ押っ取り刀にて飛び出してきたのだが。これはいかがした」
「は、まさに今宵英国公使館を襲撃しようとした攘夷浪士共にございます。大胆にも公使館へ通ずる道の正面から攻め込もうとしたようで、間一髪襲撃に気づいた私と絹が撃退いたしました。その後救援に来て下さったエゲレス兵とともに、召し捕った次第にございます」
「ば、馬鹿な……、貴様一人でこれだけの数の攘夷浪士をことごとく倒したというのか」
「は、火急の事態にて致し方なく」
「信じられん……」
霜月の凍えるように寒い夜中だと言うのに、三島は滝のような脂汗を流していた。もはや土気色に変わった顔でもごもごと口をうごめかす。
「で、では英国公使館は無事ということだな。お主が守ったと」
「は、幸いなんとか守り抜くことができました」
「う、ううむそんな馬鹿なことが……。いや、ご苦労、あっぱれ見事な働きであった。やがて奉行所から褒美が下ろうぞ」
「興味ありませぬ。それより三島様」
「な、なんであるか」
「今宵英国公使館でクリスマスの宴が行われているのは秘中の秘のはず。しかし攘夷浪士たちはそれを知っているような様子でした。いったいどこから漏れたのでありましょう」
「う、ううぬ、そのようなことが……。いや皆目検討もつかぬが、調べてみよう」
「よろしくお願い致します」
三島が蛇に睨まれた蛙の様になったのを見て満足し、視線を外した。それを合図にするように三島が下役の同心たちへ指示を出す。
「さあ何をしておる。御用だ、御用だ! この場にいる浪士共を、残らず奉行所へひったてい!」
私は側の絹を見た。月も凍らせそうなすさまじい目つきで三島を睨んでいる。
そっと掌で絹の目を覆いで、語りかける。
「絹、さすがに睨みすぎだ。相手を無用に警戒させてしまう」
「申し訳ありません。つい」
「いや、いいんだ。それより早く公使館に戻ろう。お前の手当もしなければならないし、私も、腹が減った」
「はい」
「どれ、歩くのも辛いだろう。抱えるぞ、絹」
「い、いえそんなとんでもないことです……きゃっ!」
「軽いな。絹はもっと飯を食ったほうがいいぞ」
戦闘中はうめき一つ漏らさなかった絹が、私に抱えられた途端可愛らしい悲鳴を上げたのに笑みがこぼれた。
後の始末は奉行所に任せることにして、私と絹は公使館へと来た雪道を再び辿っていった。
****
公使館への坂を登りきったところで、何故かヴラドが玄関で待っていた。更には両手で真新しい洋服も抱えている。
私達を見ると、彼女はたおやかに微笑んだ。
「お疲れ様でしたサツキ。これは着替えです」
「……なんでか知らんが、お前には全て見透かされているような気がする」
「ニールには私からも口添えしておきました。サツキなら大丈夫。必ずこの公使館を守りきってくれますと」
「ありがとう。信じてくれたのだな」
「いえ、当然の事実を語っただけです。なにせ貴方は私の護衛なんですから」
自信満々にヴラドが言う。まるで私よりよっぽど私のことを信じているようだった。
「はは、なんだか面映いな。だが、すまん。戦いには勝ったが、お前から貰った服はぼろぼろにしてしまった。詫びる言葉もない」
「そう思って着替えを持ってきたのですよ。私や公使館の人々を守ってくれたと言うのに、なに小さなことを気にしているんですか」
「すまん、そう言って貰えるといくらか気が楽だ。服も、ブーツとかいう履物も私にぴったり合っていて動きやすかった」
「ね、きちんと採寸してよかったでしょう?」
ますます笑みを深くしたヴラドはねぎらうように近づいてくる。そこで絹へと目を向けた。
「キヌさん、うらやましい格好ですね」
「こ、これは私がお頼みしたわけではありません!」
「フフフ、ではますますうらやましいですね。ですが怪我もしているようですし、からかうのはこの辺にしておきましょう」
ヴラドはテキパキと公使館の職員に指示をだすと、絹を医務室に導いたり私に着替えを渡して空いてる部屋に案内したりした。絹もおとなしくヴラドの言うとおりに医務室へと向かっていった。日本よりも進んだ英国の医療が受けられるのなら一安心だ。
私は着替えを済ませると、何食わぬ顔でクリスマスの会場に戻ることにした。まるで一晩中戦ったような気がしたが、廊下の時計を見ればほんの半刻しか経っていない、クレアやスカーレットが私がいないことを不思議に思っても、不審に思うほどではないだろう。これでいい。彼女たちには今日は楽しい一夜のままで思い出を残してもらいたい。
もっとも、ヴラドには気づかれてしまったわけだが。あいつには本当かなわない。
体の痛みをこらえつつ、私は再びヴラドとともに宴の中へと戻った。
英国公使館では変わりなくパーティーが続いていた。穏やかな喧騒の中で楽しそうに笑う人々の姿を見ると、激戦の疲労も和らぐ気がする。
奥の方で客の対応をしているニールが、ちらりとこちらに視線を向けてきた。無言で頷くと、ホッとしたように顔をゆるめる。おっつけ彼にも事件の顛末が奉行所から届くだろう。
このクリスマスを、守ることができてよかった。
広間の壁にぐったりと背を預ける。しばらくここで休まないととても持たない。
広間の時計は四ツ(※午後十時)を過ぎていたが、会場の熱気は衰えることを知らない。英国公使館の職員に男が多いと言うこともあるのだろうが、どうもこのまま朝まで騒ぐつもりのようだ。日本の屋敷と違い、ランプや暖炉が盛んに焚かれ明るいのも時を狂わされるような気持ちになる。
しばらく壁により掛かり休んでいると、なぜか周囲から奇妙な視線を投げられていることに気づいた。私を見てひそひそと噂話する者もいる。何人か私に近づいてきては顔を赤くして離れていくものさえいた。
何か自分の格好に奇妙なものがあるのだろうか。着替えたから衣服に問題はないはずだが。無論日本人が西洋人の格好をしているのだからおかしいと言えばおかしいだろうが、急に妙な視線を向けられるようになったのが気になる。
さらに面妖なことには、クレアやスカーレットでさえも私の方を見て立ち止まり、驚いたような顔をした。しかも決まって顔を赤くするのである。
内心首をかしげていると、ヴラドがいつになく楽しそうな顔でやってきた。
「フフフ。疲れてるようですね、サツキ」
「む、まあ、な」
「休みたいのはわかりますが、そこの壁はやめた方がいいと思いますよ。Mistletoeの下ですからね」
「ミセトー?」
何をいっているのかわからず上を見上げると、ギザギザの葉が特徴の小枝が飾られていることに気づいた。
「ああ、宿り木か。この下にいると何かまずいのか?」
「まずいといいますか、なんといいますか」
くすくす笑いをやめないままヴラドが言う。
「西洋にはね、Mistletoeの下にいる女性にはkissしてもいいという習慣があるんですよ。サツキは知らなかったのでしょうが、今のままでは勘違いされかねませんね」
「きす? きすとは何のことだ?」
聞き慣れない言葉だった。
日常使いそうな言葉はだいたい辞書で調べたはずだがkissという言葉はあいにく覚えがない。
ヴラドは一瞬きょとんとして、なにやら考えはじめた
「そうか、kissもわからないんですね。ふむ、日本語でなんと説明しましょうか……ああそうだ」
突然ヴラドは身を寄せてきて背伸びすると、私の唇に口づけする。やわらかな感触が唇から伝わり、息がふさがれる。
「!!!!!!!!!!??????????????」
驚きで固まっている間にヴラドは身を離し、にっこり笑った。
「―――ン、これのことです」
広間から黄色い悲鳴が上がった。
クレアが持っていた皿を取り落とし、スカーレットがこちらを指さして凍り付く。
私はというと口元を押さえて、
「っ!!!! ヴラドおまえっ! いったいなにかんがえてる!!!!」
「サツキがkissの意味を知りたがったんじゃないですか」
「やかましいっ!!? おまえ、ほんと、今度という今度は許さないからなっ!?」
「顔が赤くなってますね」
「~~~~~~~っ!!!」
抜こうとしてから刀がないことに気づく。ヴラドはまったく悪びれずに笑っている。
「残念、洋服だと私を斬れないですね」
「つ、つ、つ、次やったら本気で斬るからな」
「照れなくてもいいんですよ」
「照れてなどいないっ!!」