そのまま瞬時に四方を斬り伏せる。整った隊列を組んでいたのが徒となり、身近にひしめいていた四人の浪士が地面にバラバラと倒れ伏した。おそらくなにが起きたかもわからないまま意識を刈り取られたのだろう。倒した浪士達はもう捨て置き、隊列の前方へと身体を向ける。向かう先へ身を投げ出しながら、あらん限りの力で地を蹴った。
限界まで姿勢を低くしたまま這うように移動する。煙の中で敵の向こうずねを狙い、刀とベルトから引き抜いた鞘で片っ端から打ち払っていく。
「ぐおわっ! 下に何かいるぞ!」
「いかん足をやられた! 動けん!」
「ま、まるで獣のようだ! 敵は何かの妖獣ではないか!」
「馬鹿なことを申すなっ!」
煙玉の作り出した闇の中はいまや混乱の渦中にたたき落とされていた。刀を抜く鞘走りの音、抵抗するべく駆け出す音、地面に転がる音、悲鳴、咆哮、それらが渾然一体となった喧噪の中を、白刃を閃かし駆け抜ける。
やがて風に吹き散らされ、煙幕はだんだんと晴れていった。音と気配のみで刀を振るっていた私にも、周囲の状況が見え始めてくる。
奇襲は成功したようだった。浪士の前列を占めていた五名ほどが、すでにおのれの足を抱えて地面にうずくまっていた。うまくいった、と、ほんの少し気を緩めたのがいけなかった。
前列の中でまだ残っていた内の二人が、脱兎のごとく前方へと駆け出す。まだ混乱さめやらぬ浪士組のなかで勘のいいらしい二人は、みるみる距離をあけていった。浪士は一人でも公使館に行かせてはならないのに。
「っ、待てっ!」
即座に追いかけようとした私の前へ、別の浪士が三人、ぬっと身を乗り出し行く手を遮った。
「うぬっ! 貴様が襲撃者か!」
「たった一人でようもやってくれたな」
白刃を抜き閃かしてくる正面の相手へ、即座に横殴りの一撃を見舞う。敵は握っていた刀ごと壁まで吹き飛び、したたかに背を打って動けなくなった。続いて切りかかってきた敵の唐竹割りを僅かに身をずらしてかわし、相手の刃の反りをなぞるように刀を走らせ小手先を打った。敵はそのまま苦悶の声を上げて刀を取り落とす。
視界が晴れてさあ反撃、と思っていたのだろう、瞬時に二人がやられて残りの一人は狼狽した。驚いて身を引いたその男の鳩尾を、こじりで強く突き上げた。
「ぐえっ」
蛙のつぶれるような悲鳴を上げて、敵はそのまま地面に崩れ落ちる。しかしこの間に、逃がした二人はさらに遠くへと駆けていた。
「しまった」
ともかくも追いかけようと足に力を込めたとき、はるか先を行く浪士二人が突然がくんと動きを止めた。見えない壁に阻まれたように二度三度、その場でむなしく足を動かすと、あとは前を向いたままこちらへ吸い寄せられてくる。
はっと気づいてそばの屋根へ目を向けると、絹が瓦の上に立ち上がったまま何かを手でたぐり寄せていた。闇夜で見えないがあれは極細の鋼線だろう。絹は先端に鉤針のついた鋼線を自在に操り、今のように敵を捕らえたり自身を建物の上へ吊したり、時にはそれで物を切断したりできるのだ。それにしてもいったい何時
獣めいた身の速さで公使館へと先んじていた浪士二人は、今や捕らえられた蜘蛛のように四肢をもたつかせつつスルスルとこちらまで引きずられてきていた。
「よくやった、絹!」
私は快哉を叫ぶと二人の首筋を鞘で打った。浪士達は身も世もなくそのまま昏倒する。
その場で身体を返し、私は後ろの敵を見据えた。もはや煙幕は完全に晴れ、浪士達は抜刀し戦いの身構えをすませていた。奇襲によって半数を倒したとはいえ、まだ、半分、十人近くが残っている。戦う準備を整えた十人というのは、侮れる数ではない。幸いなことは、まだ敵側の混乱が収まっていないことだった。
「な、なんだあいつらは! 屋根に変なのが立っているぞ」
「通りにいる奴も怪しい風俗だ。ただ者ではない」
「アレが噂に聞く別手組ではないか?」
「馬鹿な。たった二人でわれらを待ち受けていたというのか!?」
刀を構えつつも敵が私達を遠巻きにしているのはこちらの正体がつかめないためらしかった。突然煙幕の中襲われたことで、得体の知れない恐怖がまだ身体から抜け出てないのだろう。これに乗じない手はない。
私は鞘を敵に向けて投げつけた。これ以上は腰に差していても戦いの邪魔になる。
浪士達の目が一瞬空中の鞘へと吸い寄せられる。それは十間ほど先まで飛んでいき奥にいる浪士の額を打って昏倒させた。
鞘が地面に落ちると同時、浪士達の戦列へと私は踏み込んでいた。急に表れたように見えたのだろう、鞘に視線を奪われていた先頭の浪士が、驚愕に目を見開く。
「なっ! いつの間に!?」
「遅い」
正面の浪士に足払いを駆けて転がすと、両脇の浪士に向けて刀を二閃する。体を打たれた左右の敵は痛みにもがきながら倒れた。両脇の浪士が動けなくなったのを確かめて、先に転ばしていた浪士の首を刈る。
そこで一足先に混乱から覚めたらしい背の高い浪士が、声を張り上げた。
「まさか、別手組が控えておるとはな……きさまら、敵が幕臣だとて恐れることはない! 斬り伏せてこの雪道を奴らの血に染めてやれ」
「「「おうっ」」」
まとめ役らしい浪士に叱咤されて敵の目に殺意の灯がともった。いよいよここからが正念場だ。
私一人に向かって数人の浪士が殺到してくる。
「死ねえっ! 幕府の狗め!」
「ふっ」
左八双に構えて斬りかかってきた敵の胴腹を蹴り飛ばす。体の中心にえぐり込んだ一撃は後ろの浪士をも巻き込み吹き飛ばした。続けて背後に回ろうしていた右の敵も、これまた回し蹴りで手に持つ得物を弾き飛ばす。
戦う中で気づいたが、このズボンとブーツというのは、蹴り技を出すのにひどく便利だ。
次々と襲いかかってくる敵の刀を最小限の動きで避けては返す刀で倒してく。右に左に半身をずらし、姿勢を低くし、また飛び上がり、脇を、肩を、首を打ち、また時には刀を斬り捨てる。
「畜生! でかいくせになんて身の軽さだ!」
正面から敵の浪士が槍の穂先をつきだしてきたのを、左に回転して避けた。敵に槍を引く間を与えず、中程で柄の部分を握る。回転の力をそのまま伝えるように逆に回すと、相手は、もんどり打ってひっくり返った。
ついに敵の頭目一人が最後に残った。
「きえあああああーーーっ」
「ふっ!」
正面から斬りかかってくる刃を交わしざま右腿を打った。確実に骨に達した感触がありこれで勝ったと振り返る。
しかし敵は強かった。なんと片足で跳ねながらなお長刀を振り回して襲い掛かってきたのだ。
「貴様、よくも同士達を! 許さぬっ」
「くっ」
頭目は絶叫しながら片足とは思えない身のこなしで縦横無尽に暴れ回る。荒れ狂う刃圏の中を縫うようにして、今度こそ左のわき腹を胴薙ぎに打った。さしもの頭目も雪の上へと昏倒する。
周囲を見回してもう動いている浪士がいないことを確かめたとき、さすがにほっと安堵のため息を付いてしまった。
「……良かった、何とか勝てたか」
公使館を、守ることができた。
「五月様!」
絹がこちらへ駆けてくる。遠目で見る限り彼女も特にけがはないようだ。二十人の浪士を相手取ると決めたときはどうなることかと思ったが、何とか無事に済んで良かった。
「絹。怪我はないか?」
「は。私は五月様のお助けをするだけでしたから……五月様こそ、お怪我は」
「私も大丈夫だよ。明日はさすがに筋が痛むだろうがな、この数の浪士を相手にして無傷で済んだのは僥倖だ」
「いえ、五月様の実力です」
「ははは、絹はこんな時でも私を立ててくれるな」
さすがに私も疲れているようだった。それに洋服も泥や傷でぼろぼろだった。せっかくヴラドがくれたのに、申し訳ないことをした。
絹の着物も所々汚れたり裂けたりしているところがあった。まじまじと絹の顔を見つめて、私は言う
「改めて礼を言うぞ。英国公使館を守るために戦ってくれてありがとう」
「な、なにを急に言われるのです」
絹が驚いたように固まる。
「お前がいてくれて助かった。異人が嫌いなのによく一緒に闘ってくれたな。私は絹のそういう優しいところが好きだぞ」
「べ、別にことさら公使館を守るために戦ったわけではありません。五月様が心配だったからです」
絹は目をそらして、ほんの少し口先をとがらして言った。相変わらず意地を張っているのに苦笑しかけ――、
絹の背後にうっそりと立つ人影に気づき、驚愕に目を見開いた。
「――っ、絹! 後ろだ」
警告は一拍遅かった。すでに後ろの陰は剣の切っ先を高々と掲げ、絹を一刀両断するべく腕にあらん限りの力を込めている。
それでも絹の反応は神速と言っていいものだった。私の声が届くか届かないかの間に身を翻した絹は、即座に避けられないと見て取ったのか腰に差している二振りの
すでに不意討ちには失敗したにもかかわらず、よほど腕に自信があるのか敵はそのまま真正面から切りかかってきた。一条の光にしか見えない太刀筋が絹に向けて振り下ろされる。
眼前に迫る刃を前に何かを直感したのか、刃がふれあう寸前、絹は後ろへ飛ぼうとした。逃げるにはすでに遅く敵の太刀が交差する小太刀の中心へ打ち合わされる。
絹の判断は正解だった。太刀の切っ先が掠るように当たっただけなのに、鉄の砕ける耳障りな音を上げて小太刀が中程から二本とも折り砕かれた。それでも斬撃の勢いを殺せず絹の小さな身体は鞠のように弾き飛ばされる。
「絹っ!」
無我夢中で両手を広げ、私は飛んでくる絹を抱き留めた。信じられない衝撃が身体を貫き私まで吹き飛ばされそうになるのを懸命にこらえる。どこか内臓を痛めたのか、一拍おいて絹がかはっと血を吐いた。
あれほどの大技を放った後だというのに、敵はすでに構え直しつつあった。私は絹の懐から棒手裏剣を掴み出しありったけ投げつける。敵は即座に反応し刀でたたき落としたが、恐るべき技量の奴もさすがに暗中の中十本の棒手裏剣すべてを捌くことはできず、二本が右腕と左股を僅かに掠った。
敵が身体をかばって後ろへ飛び退いた隙に、私は絹の身体を揺さぶった。
「絹! 絹! 大丈夫か!?」
我を忘れて名前を叫ぶも、絹は目を開けなかった。胸がかすかに上下しているので息はあるが、完全に意識を失っている。
絹程のくノ一を一撃でここまで追い詰める相手――、二十人の攘夷浪士を前にしてすら感じなかった戦慄が、体の中を走り抜けた。
ちらと遠目で敵を見やる。棒手裏剣で受けた傷を手当てするためまだ動けないようだった。私はかばうように絹をしっかりと抱きかかえて、一気に通りの
近くの大店にあった大きな
「すまんな絹、寒いだろうがもう少しだけここで待っていてくれ」
私が、敵の男を倒すまで。