第六章、襲撃

 

 

 凄まじいダンスの嵐がようやく過ぎてホッと一息ついていたとき。

 

 ふと、胸騒ぎを覚えた。

 

 それは気配ともいえない極々かすかなものだったが、奇妙に不安を掻き立てられた。

 壁際によって耳を澄ます。すると今度ははっきりと鉄のかち鳴る音と何か重い物を持つ人間が雪を踏む音が聞こえた。僅かだが、たしかに殺気も感じとれる。

 背筋が凍った。その音は明らかに、武装した侍が向かってくる音だったからだ。

 なぜこんな時に……まさか、ここでクリスマスの宴をやっていることが、どこからか漏れたのだろうか。

 まさか、と、やはり、という二つの思いが交錯する。僅かな逡巡の後、私は一つの決意を固めた。

 そっと壁際を離れる。気配をなるべく消したまま、会場の出口へと向かった。

 受付所で、着替える時に預けておいた大小を返して欲しいとエゲレス職員に頼んだ。その時いまさらに自分が洋装のままであることを思い出す。着替えようかとも思ったが、存外この男性服は動きやすいし、何より今は時間がない。このままで行くことにする。おそらく戦闘で傷めることになってしまうだろうが、ヴラドには後で何度でも謝ることにしよう。

 なにも知らないだろうエゲレスの職員が、にこやかに微笑んで刀を捧げ持って来てくれた。

『どうぞ、外にご用事ですか』

『大したことではない。少し外の空気を吸いたくなった』

『それはそれは。どうぞお気をつけて』

『ありがとう』

 大小を腰のベルトで固定し、私は会場を後にした。

 

 

 公使館を出ると外は墨を流したような暗闇に沈んでいた。クリスマスパーティーを隠すため公使館の外ではほとんど灯りを焚いてなかったから無理もない。明かりの代わりになるものといえば雲にその身を隠している月の光だけだったが、私は御庭番として夜目の訓練はしているので充分周囲の様子を見て取ることはできた。提灯などを使ってはかえってこちらの位置を覚られるので、このまま明かりは出さずに暗闇の中を走ることにする。

 公使館が襲撃されるかもしれないこと、誰かに言うべきだったかもしれない。

 しかしあの場でそのことを伝えれば、確実に混乱が起こるだろう。もとよりここは丘の上、降りて逃げる道はそれほど多くない。少なく狭い逃げ道に人々が殺到したら無用の怪我人がでるだろうし、押し合いへし合いしている背中を浪士に襲われたりしたら目も当てられない。

「だから、私がすべて倒す」

 幸い公使館に通じる大きな道は正面の階段だけだ。そこを通さなければ浪士達は公使館にたどり着けない。

 無論それがどれほど危険なことかも承知している。敵はおそらく十分に準備を整えた攘夷浪士。ほとんど藩兵と変わらないだろう。この前の岩亀楼のような、刀を持ってるだけのごろつきを蹴散らすのとは訳が違う。まあ簡単に負けるつもりもないが。

 一つ安心なのは、この前の岩亀楼と違って公使館はエゲレスの兵士が守っているということだ。たとえ私が敵の撃退に失敗しても、彼らならば絶対防いでくれる。

 本当はそのエゲレス軍や、せめてニールだけにでも敵の襲撃を伝えるべきなのだろう。それでも私が誰にも言わず公使館を出てきたのは、あのクリスマスパーティーを壊したくなかったからだ。

 クリスマスの宴は素晴らしいものだった。とても楽しかった。だからこそ、今夜会場にいる異人達にはなにも知らないままでいて欲しい。あの楽しいパーティーに水を差したくない。今日を良い思い出のままで締めくくらせたい。何人にも邪魔されず、何事もなく、ただみんなで楽しいクリスマスを過ごした、そういう日にしてあげたい。

 決めたのだ。今夜は、「何事もなかった」そういう夜にしようと。

 

 

 公使館の丘を降りきると、また何度か雪が降ったのか横浜の異人居留地は真っ白に埋まっていた。わずかな月明かりを反射して全体がほのかな銀の輝きを帯びている。しんと静まり返っている町はどこもかしこも安楽な眠りについているようだった。丘に面している通りは昼の騒ぎが嘘のような寂しさで、人っこ一人いない。文久になってからというものたて続けに異人襲撃事件が起きているから、居留地の人間は皆おびえて夜は出歩かず厳重に戸締まりをして眠る者が多かった。それはそれで荒涼としたもの寂しさを感じるが、今この時においてはまことに都合が良い。

 私はボタンを外してスーツの前を開くと、首からネクタイを抜き取った。靴の履き具合を確かめ、刀の目釘を湿していると、今まで人影もなかった通りの奥でかすかな火影が二つ三つゆらめいた。この時間に外を出歩く異人などまずいないから、あれは攘夷浪士達の持つ提灯に相違ないだろう。

「先程物見で数えましたが、敵は二十人以上います。」

「む、それは油断ならぬ数だな」

「闇に紛れて仕掛けますか」

「ああ、上手く背後をつければよいのだが…………む?」

 隣に音もなく絹が姿を現したことに気づいたのは、その時だった。

「うおおおおおうっ! 絹っ!!!???」

「五月様お静かに。敵に気取られます」

「おまっ、なぜ、どうしてここに!?」

 慌てて囁き声を出しながら、絹に訪ねる。

 絹は、呆れ返ったような顔で私を見上げた。

「私が気づかないとでも思ったのですか? 五月様がそっと会場を抜け出されたときからお供して参りました。敵が来ているとは外に出るまで気づきませんでしたが……」

 そこで、絹はいつになく真剣に怒りの炎を目に宿し言う。

「まったく、五月様は無茶をしすぎです。お一人で攘夷浪士の一団と戦うなど、尋常のなされようではありません」

「すまん」

 一言の言い訳もできない。絹なら私のことを心配するのは当然だった。心配をかけてばかりで、申し訳なく思う。

「まったく……ことここに至っては戦うしかありませんが次からはもっと慎重に行動なされてください」

「すまん」

「……せめて、私には、声をかけてほしかったです」

「…………すまん」

 前を向いてそうつぶやく絹に、私は詫びる。一拍おいて、絹は盛大に溜息をついた。

「構いません。無鉄砲な五月様を支えるのも私のお役目ですから。こうして共に戦わせていただければ、満足です」

「待て待て、危険だぞっ! これは私が勝手にやってるんだ、お前まで付き合う必要はない」

「その危険な戦いに今から飛び込もうとされているのは五月様ではないですか」

 絹が呆れたような目でこちらを見る。

「五月様が戦うというのならお止めしませんが、私も共に戦わせていただきます。それ以外のご命令は承伏できません」

「まいったな……」

 確かに私が戦うとなれば絹がこういうことを言い出すのは当然だった。これから起きる戦いはいわば私のわがままで、誰も巻き込むつもりはなかったのだが、こうなったら絹は絶対翻意しないだろう。

 それに……まったく予想外の形だったが、正直何度も共に戦ったことのある絹が一緒にいてくれるのは心強かった。

「わかった。絹、お前の手を借りたい。助けてくれ」

「なんなりとご命令ください」

「うむ、頼りにしてるぞ」

「は。それにしても、一人で戦うだなんて五月様は人が良すぎます。くりすますに参加している人々に気づかれないためなのでしょう?」

「よくわかったな」

「五月様のお心を読めずして従者は務まりません。本当はお止めしたいのですが、五月様は言っても聞かないでしょうから」

「はは、よくわかってるな。ますます申し訳ない」

「それに、今宵の襲撃、はかりごとの匂いを感じます」

 絹の言葉にぴんと空気が突っ張ったように感じた。

「……なに?」

「五月様はお気づきになられませんでしたか? この状況での襲撃、あまりにできすぎています。クリスマスの宴の件がどこからか漏れたとしか……。考えたくはないのですが、おそらく三島様あたりから」

「三島様が? いったいなぜ」

「三島様はこの宴で何か起これば五月様が責任をとるという口上をとっていました。五月様の糾弾に失敗した今、この場を攘夷派に襲撃させればその責任を追及できると考えたのではないでしょうか」

「馬鹿な」

 私は低く唸った。

「外国掛は日本にいる異人を守るのが仕事だぞ。私を罪に陥れるためだけに、攘夷派に襲撃させるなんてことがありえるのか?」

「五月様は人を信じすぎです。三島様にとってみれば、ただの噂として情報を漏らせば自分が疑われることもないですし、公使館はエゲレス軍が守っているのですから襲撃が成功することもまずない。どう転んでも五月様の責任は問うことができる。自分の地位が脅かされず目障りな存在を消せるとあれば、そのくらいことはやりかねない人だと私は思います」

「~~~~っ、」

 思わず頭をかきむしる。絹の言葉はきちんと筋道が通っていた。それにしても、ただか私を潰すためにそこまでするとは!

 敵の灯りがだんだんに近づいてくる。三島のことはとりあえずあとで考えよう

 絹が前を向いて闇を透かすように目を細めた。

「あれですね。先程遠目で物見したのですが、各自手に提灯を持っているようです」

「ふむ、ここまで持ってきたということは闇に紛れての奇襲は考えていないわけだ。まあ二十人もいれば数を頼みにしても不思議はないか」

「浪人者にしては隊列もきちんとしていて、むやみに騒いだりせず歩んでいました。それに遠目で見ただけですが、酔っている者もおらぬようです」

 人を斬るのに慣れてない者は襲撃前むやみに気を大きくして騒いだり、酒を浴びるほど呑んで気を紛らわせ酔いに任せて斬ろうとする者がいる。それがいないということは、今夜の敵は何度も修羅場をくぐっている者……相当な手練れと考えた方がいい。

「浪人者の集団で規律がとれているということは、誰か頭目がいそうだな。そいつを先に倒せれば、何とか追い散らすこともできそうだが」

「申し訳ありません。物見では誰が頭目なのかまでは判別できませんでした」

「なにを言う、敵の数を確かめてくれただけで大助かりだ」

 提灯の火影が次第に近づいてきた。灯りを反射した槍の穂先のきらめきも見え、敵影がおぼろげながらわかるようになる。

「絹、こちらも動くぞ。機先を制して混乱させたい。私が横合いから中央へ攻め込んで主立った者を打ち倒すから、絹は私が取りこぼしたのを倒してくれ。敵の数が数だ。逃げ出す者は居留地の外へ出て行くのであれば見逃していい」

「承知いたしました」

「では……いくぞ」

「はっ」

 私と絹は同時に反対方向へと地を蹴り、手近な家の屋根に飛び移った。街路を挟んで左右に分かれた私たちは、瓦を踏む音を忍び足で殺しながら屋根の上を駆け抜ける。この異人居留地は基本的に日本の町屋と同じ造りで平屋か二階建ての家が並んでいるのが普通だが、所々で異人商人が自費で建てさせた西洋風の館があり、それが春山に筍のようにニョッキリ煙突付きの高い屋根を生やしているものだから、駆け抜けるのは少し面倒だった。

 やがて眼下に浪士達の隊列を見下ろす位置にきた。それぞれが提灯を手に持ち、しかも隊列の中には槍を持っているものもいるからそれが灯りを反射して、夜闇に目をこらさなくても敵の様子はよく見える。

 攘夷浪士達は全員が白鉢巻にたすき掛け、袴のももだちをとって襲撃の身支度を充分にすませていた。目は爛々と輝き精悍な顔つきで、その身の内から立ち上る殺気が視界を歪ませるようだ。浪士組の頭目が誰か見定めようと目を凝らしたが、腰の運びも歩き方からもそのほとんどがかなりの遣い手であることが見て取れ、容易に判別できない。先の遊郭での戦いと違い、これは手強そうだと考える。

 唯一の救いは襲撃を狙う浪士達が別働隊を設けていないことだった。奇妙なことだが攘夷浪士というのは、剣の腕や戦いに長けてる浪士でも、なぜか襲撃の計画はずさんなことが多い。策を練るのは卑怯と考えているのか、はたまたせいおのずと天に通ずと信じているのか、ともかく奇襲をいさぎよしとせず、夜襲ですら正面の門から堂々と乗り込んでくる者が多かった。彼らの愚直なまでの襲撃方法は幕閣も首を傾げるところが多かったが、ともあれ警護役としては搦め手に気を払わなくていいのはありがたいことだ。

 私は向こうの屋根の上で同じように浪士達を見下ろしている絹に視線を送った。すぐに気づいた絹が顔を上げる。数瞬視線を交わし、私達は同時に頷き合った。

 絹が両手を胸元に差し込んだ。と思った次の瞬間には手指の間に橙ほどの大きさの黒い丸玉を挟んでいる。流れるような一拍子でそれら八個の玉を絹は下へと投げつけた。

 丸玉が地面に触れた途端それら全て黒い煙へと変ずる。瞬く間に広がった煙幕は通りを多い、提灯の明かりを一時的に消して真の暗中へと戻す。

「うわっ! 何事だっ」

「急に煙が湧いてきたぞ」

「おのれ襲撃かっ!? 奉行所の連中がもうかぎつけたのか」

 煙が拡散するのを追いかけるように敵中へ混乱が広がった。絹が煙り玉を投げたと同時、私はそのまま瓦を蹴って地面へと飛び降りる。煙幕で身動きをとれなくなっている連中がぎょっとして目をむいた。

 動くこともできないでいる敵の中心へ飛び込むと同時、私は刀を抜いた。

 キィン――

 と、同田貫の鯉口を切る音が高く響く。