第五章、クリスマス

 

 

 霜月五日(※西暦の12月25日)の空は朝からねずみ色にくもっていた。おりから強い北風も吹いてこれは危ないと思っていると、はたして昼前には空から白いものが舞い降りてきた。

「降ってきたな」

「はい」

 私と絹は縁側で雪を眺めながらそう言葉を交わした。ヴラドはまだ寝ている。今日はクリスマスだというのにこんな時でもあいつの生活習慣は変わらないらしい。もっとも昨日は昼間から私のためにいろいろ骨折ってくれていたからある程度は好きにさせておくことにした。

 私は隣の絹に訊ねる。

「どうだ絹、積もりそうか?」

「はい。このまま一晩中止まないと思います」

 絹は気象を見るのがうまい。十日や半月先はともかく、三日先くらいまでなら確実に天候を当てられた。

 私は頷き、

「そうか。では道が悪くなりそうだな」

 と、口の中でぼやく。横浜は普請から日が浅い上に人通りが激しいので、雪や雨が降るとすぐぬかるみだらけになる。

 いまの呟きは別に絹に言ったわけでもなかったのだが、彼女は即座にすっ、と立ち上がり、

「傘とあしの用意をして参ります」

 と言うが早いか玄関の方へ向かってしまった。こういうときの絹は本当に素早い。止めるまもなく行ってしまったため、残された私は困って頬をかいた。

「まいったな」

 絹は本当によく気がついて働いてくれるため、ついつい頼りきりになってしまう。不満や不平を全くこぼさないものだから、私の方から負担をかけすぎないよう気をつけねばならないのに、また余計な仕事を頼んでしまった。

 絹にも、何かねぎらう方法を考えなければならない。しかし休みも給金も、決まった以上には受け取ろうとしない絹になにをしてやったらいいか、ちょっとすぐには思いつかなかった。

 

 絹の予想通り、午後になってますます雪は強く降ってきた。屋敷の前がもうすっかり白く覆われた頃、いつもよりいくらか早い時間にヴラドは起きてきた。

 様々な支度を終えて八つ(※午後二時)過ぎに、外出するので警護をしてほしいとヴラドが言った。

「かまわないが、たしかクリスマスの宴は夕刻じゃなかったか? 公使館に行くにはまだちっと早いだろう」

「公使館にあるchapel……礼拝所で、ミサという大切な儀式があるのです。私も顔を出さないわけにいかないので、そこまで付き合って欲しいのですよ。公使館にはその後で行きます」

「わかった。ならば絹も一緒に連れて行こう」

 絹の用意してくれた足駄をはき、雨傘を持って屋敷の外にでた。ヴラドはいつも通りの重ね着に、真っ黒い大きな洋傘をさす。西洋の傘は和傘より丈夫で雨風に強いものだった。

 三人の中で唯一絹だけは笠を頭にかぶり、箕わらを身につけた。絹の身分だと傘はさせない。くだらない決まりだと思うが、守らないわけにはいかなかった。

 

 

       ****

 

 

 ヴラドは公使館に行く前に、居留地にある一軒の屋敷に立ち寄った。

 間口はよんけんほどもある広い二階建ての屋敷で、居留地のほかの屋敷とは違い西洋風の作りになっている。柱もしっかりした堅固な建物で、飾りは少ないが堂々とした威容を誇っていた。

「ここはどこの屋敷だ?」

 私が訊ねるとヴラドがふくみ笑いをして答える。

「英国海軍提督、キューパー中将の家です。もっとも本人はいま清国に派遣されていて留守ですが」

「ああ、するとここが……」

「スカーレット嬢の暮らしている屋敷ですよ」

 ヴラドが屋敷の召使いに用件を告げると、スカーレットがすぐに出てきた。

 意外なことにはクレアも一緒だった。

『ハァイサツキ、今日は護衛よろしくね』

『サツキさん、お仕事ご苦労様です』

 スカーレットは気さくに、クレアは丁寧に、それぞれ挨拶する。私もまた二人と握手を交わして言った。

『うむ、こちらこそよろしく。しかしクレアに昼間から会えるとは意外だったな』

『今日はお休みをいただいたのです! 公使館の職員の方が代わってくださいました!』

『それはよかった』

 この寒さのためだろう、スカーレットもクレアも厚着をして着膨れしている。特にクレアは異国の人形のようで可愛らしい。

『クレアは着込んでいてもかわいいな。よく似合っている』

『か、かわっ!』

 クレアは顔を赤くして口ごもる。「……chuffed」とつぶやいていたが、どういう意味かはわからなかった。

 あと、なぜだか絹がものすごい目で私を見てきている。なぜだろう。絹はまだ英語はわからないはずなのだが。

「……やっぱりクレアさんは油断ならないですね」

「どうした? 絹」

「いいえ何でも」

『ねえサツキ、私は? 私は!?』

『む? ああ、いつも通り綺麗だな』

『なによいつも通りって!』

 五人となるとさすがにかしましい。道行く人たちに振り返られながら、私たちは公使館の丘を目指し歩いた。

 

 公使館にあるキリシタンの礼拝所は大変な人混みだった。横浜中の英国人が集まっているのではないかという盛況ぶりだ(事実、そうなのだろう)。

 前にヴラドが話していたがキリシタンにも宗派があるらしく、この礼拝所は英国キリシタンのために建てられたのだそうだ。私には全部同じようにしか見えないが、各宗派によって細かい違いがあるらしい。

 今夜は「みさ」と呼ばれるキリシタンたちの重要な儀式があると聞く。まあ、クリスマスが神様の誕生日だというのだから当然のことだろう。

 むろん日本人はそのみさとか言うのに参加することはできない。ヴラドやクレア、スカーレットが礼拝所の中へと向かうなか、私と絹はその入り口で待つことにした。

 クレアが振り返って言う。

 

『あの、サツキさんも入りませんか? 外はこんなに寒いですよ。凍えそうです』

『気にするな。いつもの護衛と同じだ。それほど寒くもないよ。鍛えているからな』

『でも』

 なおも言い募ろうとするクレアに私は優しく笑いかける。

『すまないな。クレアの気持ちは嬉しい。だが私がこの中にはいると、キリシタンと見なされて最悪死罪になることもあり得るんだ。どうしようもない、日本の国の法度だ。気にしないで君たちだけで行ってくれ。大丈夫、攘夷志士なんか入らないようにここで見張っているから』

『サツキさん……』

 クレアが何か言おうとしたとき、別の声がそれを遮った。

『困りますな』

 それが吹きすさぶ雪風のように冷たい響きだったので、私たちは思わず声の主を見た。

 いつの間に出てきたのだろう、礼拝所の入り口に白い法衣を着た異人の男が立っていた。口元は固く引き結ばれ、細くするどい瞳でこちらを見つめている。睨むというより見下しているような、いやな目つきだった。

『困るとはどう言うことでしょう』

 私が話しかけると、異人の男は露骨に顔をしかめた。怒鳴りこそしないものの、吐き捨てるような口調で言う。

『神聖な礼拝所の前で汚らわしい日本の猿にうろうろされるのは迷惑だと言っている。どこか別の場所に行ってもらいたい』

 その言葉に表情を変えなかったのはヴラドだけだった。クレアは水を浴びたように蒼白になり、スカーレットは逆に顔を紅潮させた。絹は英語が分からないのできょとんとした顔をしている。

 スカーレットが憤然として食ってかかった。

『司祭さま! いくら何でも酷すぎる侮辱だわ! 今すぐ撤回しなさい!』

 もともと美人で顔立ちの整ったスカーレットは怒るとその迫力も凄みを増したものになる。鬼さえ逃げ出しそうな剣幕だったが、異人の男は少しも気圧されず言った。

『スカーレット嬢もこのような輩と連れ立っていると評判を落としますぞ。付き合う相手は選ぶべきです』

『あ、あな、あなた……』

 スカーレットは顔を鬼灯ほおずきのように赤くしたまま二の句が継げなくなっている。かわってクレアが男の前に進み出た。

『司祭さまの言葉とは思えません! 神様はすべての人間に平等なはずです!』

 男はクレアを見て優しい声音で諭すように言う。

『そう、人間だけです。だから私は、例えペットであっても、犬や猫を教会に連れてくるのは禁止しています』

 クレアの顔からさあっと血の気が引き、うわずった声で言った。

『サツキさんは……サツキさんは、犬や猫じゃありません』

『くどいですな。それ以上強情を張るならあなた方も教会への立ち入りを禁じますよ。キリスト教徒として今日のミサには参加したいでしょう』

 尊大な態度で男が言う。

 その言葉でついにスカーレットが激高し叫んだ。

「Tosser!」

 声をあらげて叫ぶ。

『ああそうですか、こちらこそ願い下げだわこんな礼拝所! 居留地にここしかないからってえらっそうに……クレア、ヴラド、行きましょう! こんなところに一秒だって長くいたくない!』

 そしてスカーレットは言葉通りくるりと背を向けてあるきだす。この態度に一番驚いたのは、意外にも司祭の男だった。

『ま、まってくださいスカーレット嬢、本当に礼拝されないおつもりですか!』

『当然でしょう』

 振りかえり、軽蔑しきった視線を向けながらスカーレットが言う。

『神への信仰を人種で差別するなんて、あなたが一番汚らわしいということがわからないの』

『馬鹿な、神の代理人たるこの私に信仰を説くなど、なんたる侮辱』

 怒りに身を震わせて男が言う。スカーレットはもう聞いてない様で、ふたたび歩き始めていた。クレアも戸惑いながら、後に従う。

「キヌさん」

 そのとき、初めてヴラドが声を上げた。それも日本語だったので、私もスカーレットもクレアも、思わずヴラドの方を見た。

 ヴラドはまるで目の前の騒ぎなどなにも聞いてなかったような調子で絹に話しかける。

「キヌさん、この前会ったニールという男を覚えていますか? 英国代理公使をしているのですが」

「は、はあ、わかりますが」

 絹もいささかとまどった様子で頷くと、ヴラドはにっこり笑った。

「それは良かった。そのニールのところへ、ちょっとお使いを頼みたいのです」

 ヴラドはそう言うと、どこからかペンと紙を取りだしてさらさらと何か書き付けた。書き終えるとそれをくるりと丸めてひもで結び、絹に手渡す。

「キヌさん、ご苦労ですがこれからそこの英国公使館に走ってニールへこれを届けてもらえますか? お手当には少ないですがこれを」

 そう言って自分の財布からさらに一ポンド札を取り出してキヌに握らせる。

「は、承知しました、が……」

 キヌは窺うように私を見る。ヴラドがなにを考えているのかはさっぱりわからなかったが、私は頷き返した。

「よくわからんが行ってやれ。かまわん」

「はい。それでは失礼いたします」

 絹は一度礼をすると、ぱっと身を翻して駆けだした。吹きすさぶ雪片にまぎれあっという間に見えなくなる。あの早さならすぐに戻ってくるだろう。

 絹を見送った後、私はヴラドに訊ねる。

「いったいなにを書いていたんだ?」

 笑みを深くしてヴラドは答えた。

「いえ、たいしたことでは。ちょっとニールに頼みごとをしたんですよ。あることをイギリス本国に要請して欲しいと」

「ニール殿に? どういうことだ」

 私の質問には答えず、ヴラドは振り返って異人の男に告げた。今度はむろん英語だ。

『司祭、あなたの希望を叶えてあげましたよ。来年にはあなたが汚らわしいというこの国を離れられるでしょう』

 男は憮然とした表情になって言う。

『どういうことです』

『あなたにこの国はふさわしくないかと思いまして。新しい赴任地はもっと長く英国領だったところがいいでしょう。そうですね……インドなんかいいんじゃないですか』

 そこでヴラドはわざとらしく驚いたような顔をする。

『ああ忘れてました。いまインドは大反乱が鎮圧されたばかりで大変なことになっているそうですね。かわいそうに……つらい役目ですがこれも神の代理人としてのつとめでしょう。がんばってください』

 口を押さえて心底同情するようにヴラドが言う。まるでいま気付いたと言わんばかりだ。

 白々しい。

 案の定男の顔が氷を浴びたように青くなった。唇をふるわせながら言う。

『ばかな、一商人に過ぎない貴様にそんなことを決める権利があるはず無い』

 むしろ自分に言い聞かせるような口調だった。すました顔でヴラドが返す。

『私が親しくしている友人に、英国国教会で強い立場を持った女性がいまして……いえ、どういう地位の人かは明かせないのですが、彼女に頼めばまあ何とかしてくれるでしょう』

 ヴラドの言葉にはむしろスカーレットとクレアの方が慌てだした。泡を食ってスカーレットが訊ねる。

『ちょ、ちょっとあなた、その女性ってまさか女王陛下じゃ……』

『さて? では司祭殿、私たちは先ほどの通りこれで失礼します。あなたに神の祝福がありますように。メリークリスマス』

 ヴラドはトップハットをちょっと持ち上げて挨拶し、スカーレットの肩をたたいて促すと、教会に背を向け歩き始める。ヴラドとスカーレットの後を追って、私とクレアもその場を後にした。

 途中うしろを振り返ると、呆然とした司祭の男が、雪の降る中いつまでも立ち尽くしていた。

 

 

       ****

 

 

 礼拝所を離れたところで、ヴラドが話しかけてきた

「とんだことになりましたが、公使館の中に入ってしまいましょう。どうせ公使館の職員たちはもう飲み始めているでしょうから、早く合流してもかまいません。……おっと、忘れてました。私たちがここを離れたらキヌさんが戻ってこれませんね。やはりここで待ちましょうか」

「いや、それなら問題ない。中で合流すればいいだろう」

 私は懐から忍び笛を取り出す。普通の人間には聞こえにくい高い音がでる上に、遠くまで届くよう特別にこしらえられた笛だ。

 私はそれを吹いて公使館の中で待つよう知らせた。絹からも返事の笛が帰ってくる。

「これでよし。絹には公使館で待つよう伝えたよ」

「不思議な笛ですねそれ、音が聞こえませんでしたが。どのような仕組みになっているのでしょう」

「む、それは秘密だ」

「おや残念」

 ヴラドは微笑をもらして、では公使館に向かいましょう、と足を早める。その足取りは礼拝所に向かうときより幾分早かった。意図的にそうしたのかも知れない。なぜなら結果ヴラド一人が先頭を歩くことになり、スカーレットとクレアがちょうど私の両隣を歩くことになったからだ。四人ともすぐには何も話そうとしなかった。静かに雪を踏みしめるさくさくという音だけが響いていた。

『ごめんなさい……』

 やがて左隣のスカーレットがぽつりとつぶやいた。先ほどまでとは打って変わって消え入りそうな声だった。私が顔を向けても、こちらに視線を合わせないまま続ける。

『あのね、こんなこと言ってもなんの慰めにもならないことはわかっているのだけど、あんな連中が英国人のすべてだと思って欲しくないの。ああいうのは一部だけなのよ』

 そこでスカーレットは頭を横に振った。「いや、こんなんじゃダメね、私」と小さくつぶやき、今度は私に顔を向ける。

『嘘をついたわ。本当は英国にもまだまだああいう連中の方が多いのよ。……正直に言って、私もサツキに出会うまで似た様な気持ちでいたこともあったわ』

『気にするな。私だってはじめの頃は似たようなものだ。日本人のほとんどはいまでも異人が嫌いだし、お互い様なんだよ。私は全く気にしてない』

 スカーレットがおずおずと訊ね返してくる。

『……本当?』

『スカーレットが正直な気持ちを明かしてくれたからな、私も正直に答えた。気にしていないさ。本当だ』

 スカーレットを元気づけるように笑みを返してから……、むしろこれまでが出来すぎだったのだと思った。

 私の周りには日本に理解のある異人が多すぎた。

 ヴラドとは初対面の時、なんて鼻持ちならない異人だと思ったが、少なくとも彼女は日本人に限らず誰に対しても不遜だったし、逆に次出会ったクレアは私にも優しかった。スカーレットだって最初の護衛の後は打ち解けてくれた。いままでが幸運すぎたのだ。本来ならあの司祭のような異人にいつ出会っていてもおかしくなかった。

 私は右隣のクレアに視線を向けた。

 あの日、私がクレアと初めて出会った日、この子のしてくれたことがどれほど尊いことだったのか、今ならばわかる。あの日、あの時彼女と出会わなければ、私の人生はきっと違うものになっていた。

 知らない人に、親切にする。子どもの頃から教わった、ともすれば当たり前のようなことがどれほど美しい勇気か、いまさらに驚かされる。

 クレアのしてくれたことは、ささやかだが誰にもできないことだった。

『クレア』

 私は声をかけた。彼女が静かに私を見上げる。立ち止まり、その小さな身体を抱きしめた。

 なぜだか急にそうしたくなった。

『サ、ササ、ササササササツキさん!?』

 クレアは私の腕の中でじたばたともがいている。が、それにかまわず抱く腕に力を込めた。

『クレア、ありがとう』

『ど、どど、どうしたんですかサツキさん!?』

『いや、ふとこうしたくなったんだ。気にしないでくれ』

『は、はい~~』

 クレアはもがくのをやめ、きゅう、と声を上げると顔を真っ赤にして黙ってしまった。彼女の小さいからだがとても熱いのは、着膨れしているからだろうか。

 しばらく抱きしめて満足したので開放すると、クレアはふらふらと右に左にゆれてからようやくまっすぐに立つ。

「I'm made up……」

 とろけた笑顔でそうつぶやく。相変わらずなんといったのかわからなかったが、なんとなく幸せそうだった。

『ズルい……』

『どうした、スカーレット?』

『なんでもないわ!』

 ぶすっとしてスカーレットが顔を背ける。いったいどうしたのだろう。

 前からくすくす笑い声が聞こえる。見ればヴラドがおかしそうに口元を押さえていた。

 先ほどまでの強張こわばったような空気がいつの間にか緩んでいる。ようやく全員の顔に笑顔が戻ってきた。

 ヴラドが澄み切った冬の大気によく響く声で言う。

「公使館まで急ぐことにしましょう。コートの中まで凍えてしまう前にね。もっとも館の職員が歓迎してくれるかはまた別でしょうが」

 不思議に思ってヴラドに訊ねる。

「さっきお前は早く言っても大丈夫だと言っていたじゃないか」

「ええ、しかし準備ができてることと歓迎されることは別ですからね」

 ヴラドはしたり顔で頷いたあと片眉を斜めにあげた。

 

 

       ****

 

 

 ヴラドの言うとおりだった。少し早いが六人分の席を用意してもらいたいと頼むと、クリスマスの宴を取り仕切る公使館の職員は露骨に渋い顔をしていた。

 こっそり隣のスカーレットに囁きかける。

『やはり早すぎたかな?』

『日本ではどうか知らないけど、イギリスではお茶会やパーティーには5分くらい遅れていくのが礼儀なの。早すぎると喜ばれないことが多いわね』

 スカーレットも囁き声で返してくる。

 少し遅れるのが礼儀とは知らなかった。やはり国によってずいぶんと作法が違うらしい。

 職員が進み出てきてヴラドにいう。

『すみませんが今はちょっと遠慮してもらえますかね。まだごく少数の職員だけ集まっているところでして、料理もお酒も用意がありませんから』

『かまいません。テーブルとお茶だけ用意してもらえればいいですよ』

『しかし』

 職員がなおも言い募ろうとしたとき、ヴラドが大げさにため息をついていった

『残念ですねえ、ここで無理を聞いてくれたらお詫びに私の保税倉庫からワインを十ダースプレゼントしようと思っていたのですが』

『すぐにご用意いたします!』

 うってかわって愛想の良い態度になった職員は弾かれたように駆けていった。喜びのあまり飛び跳ねているように見える。葡萄酒は高価と聞くからそれが百二十本もくれば嬉しいのだろう。それにしてもイギリス人も酒が好きなのだな。

 先ほどの職員が嬉々として戻ってきて、うやうやしく案内する。

 用意された席に着くなり、スカーレットがぶすっとした表情で言った。

『私嫌いだわ、ああいうの。下品よ』

 貴族の彼女らしい意見だった。ただ彼女は後にこう続けた。

『でもまあ、今日は予定外のことがあったし、こうして快適な部屋で体を温められるのだから文句は言わないでおいてあげる』

 ヴラドが意外そうに目を見張る。

『あなたずいぶん素直になりましたね。これもサツキの影響ということでしょうか』

『あ~~、もう、いちいちうるさいわねえ』

 スカーレットはふん、と顔をそむけた。ヴラドはクスクス笑っている。

 今日のクリスマスでは公使館の職員が昼間から飲んでいるというのは本当で、卓のあちこちで男たちが酒杯を片手に談笑していた。実に楽しそうに飲んではいるがそこはやはりジェントルマンの国だからなのか、乱れて放歌酔吟する者もおらず節度を保って飲んでいる。中にはちらりとこちらの卓に視線を送ってくる者もいるが、馴れ馴れしく話しかけてくる者はいなかったので感心した。

 武士の中には高位の旗本でも酔うと態度の変わる者がいて、綾様や正音様がたびたび酒席での愚痴を私に漏らしていた。日本の武士も少しはこういう態度を見習えばいいと思う。

 とにかく公使館の中では落ち着いて話ができるのはたしかだった。

 全員の元に紅茶が配られたところで、ヴラドが言う。

『さて、パーティーは夜からですからそれまで間を持たせなければなりませんね。食事をとるわけにもいきませんからどうしましょうか』

 するとクレアが声を上げた。

『あ、それでしたら私クリスマスケーキを用意しておいたんです! よければ召し上がっていただけませんか!』

『くりすます……けーき? それはどんなものなんだ?』

『クリスマスに食べる贅沢なお菓子のことですよ。それはいい仕事をしましたね。ぜひお願いします』

『はい!』

 クレアが嬉しそうに笑ってパタパタとかけていく。

 やがて奥から蓋付きの銀盆を抱えて戻ってくる。卓の上に載せて、ちょっぴり照れながら蓋を持ち上げた。

 

『どうぞ! ブッシュ・ド・ノエルです』

『わあ!』

 

 最初に反応したのはスカーレットだった。いつになく幸せそうな歓声をあげる。

 続けてヴラドも、

『ほう、これは』

 と感心していた。

 実際その菓子はよくできていた。おそらく木の丸太を模しているのだろう、丸く細長い形をしていて周りが焦げ茶色の餡でくるまれている。全体は木肌のような模様がつけられ、小枝のような焼き菓子で飾り付けられていた。さらに上から白い粉砂糖が雪のように振りかけられている。

 十分に目で楽しんだあと、クレアが人数分に切り分けた。普段は異国の料理を嫌っている絹も、西洋の菓子はやはり気になるのか素直に受け取った。

「いただきます」

 挨拶をしてひとくち口に入れる。

 その菓子は見た目に劣らず味もすばらしかった。餡はよく練られていてやわらかく、口の中で溶けていくようだった。それに包まれた生地もふわふわしていて綿布団のようにやわらかい。砂糖を焦がしたような甘い香りが口の中に広がるのもよかった。

「「「「これは美味しい!(ですね)」」」」

 ほとんど四人同時に叫んだと思う。クレアが嬉しそうにはにかんだ。

『えへへへ、ありがとうございます。つくった甲斐がありました』

『ああとっても美味しいぞ。さすがクレアだ。なんと言ったかこの……ぶ?』

『ブッシュ・ド・ノエルです。フランスで最近新しくできたお菓子なんですよ』

『そうか、フランスの菓子だったのか』

 道理で舌をかみそうな名前だと思った。

『ブッシュ・ド・ノエルはブッシュが薪、ノエルがクリスマスのことなんです。「クリスマスの薪」って意味のケーキなんですよ』

 クレアがそう説明を加えてくれる。横でスカーレットが顔をほころばしてケーキを楽しんでいた。

『まさか日本でこれを食べられるなんて、イギリスでは機会を逃して食べれなかったのよね。本当美味しい。さすがよクレア!』

『きょ、恐縮です!』

 スカーレットに褒められてクレアが顔を赤くする。私は黙々と食べ続けている絹に訊ねた。

「どうだ、絹? 菓子の味は」

「……くやしいです」

「ん?」

「間違えました、美味しいです」

 絹はなぜか眉間にしわを寄せながら箸を動かし続けていた。

「こんな美味しい菓子、私には作れません。クレアさんに負けました、くやしいです。でも美味しいです……箸が止まらないです……」

「よ、よくわからんが、美味しいならよかった」

 複雑な味わい方をしている絹はしばらくそっとしておくことにする。

 

 

       ****

 

 

 茶会を始めてから一刻(※二時間)ほどもすると、ぼつぼつ他の公使館の職員たちが集まってきた。いよいよここから本格的な宴が始まるらしい。昼間からずっと飲んでいたというのに英国人は頑丈な臓腑を持っている。

 私たちの席にも給仕係がやってきて、茶会用から宴用に手早く装飾や什器を変えていった。

 やがて公使館の厨房から次々と料理が運ばれ、各席に葡萄酒やビイルの瓶が配られる。宴席に集った人々が酒を注ごうとギヤマンの杯を手に取るのを見て、私ははっとした。

「そうだ、いかん!」

 すぐに席から飛び出して絹を後ろから羽交いじめにする。突然のことで絹も表情を変えてうろたえた。

「さ、五月様!? そんな急に、皆が見ています!?」

「何を勘違いしているのかわからんが、少しの間我慢していろ。こうしていないと多分お前が暴れ出してしまう」

「いったい何のことで……」

 ポンッ!

 突如会場内から次々と破裂音が響きわたる。

 案の定絹が席に座ったまま激しくもがいた。

「鉄砲! 五月様攻撃されてます!」

「落ち着け、あれはしゃんぱんという酒の栓を抜いたときにでる音なんだ!」

 異人たちは葡萄酒やビイル意外にも、シャンパンという不思議な泡のでる酒をよく飲んでいる。特に祝いの席では必ず出されるということを、ヴラドの護衛の経験から私は知っていた。

 しかしこのシャンパンをあけるときの音は銃声にそっくりなのだ。聞き慣れていない日本人は初めて聞くとたいてい驚いて腰を抜かしてしまう。特に忍びにとって銃は最大の天敵だから、修行中銃声には即座に対応するよう徹底的に叩き込まれる。私が絹を説明もなしに羽交い締めにしたのはそのためだった。

 腕の中でしばらく暴れていた絹も、会場内で次々とシャンパンがあけられていくうちに慣れたのか次第におとなしくなってくる。やがて完全に落ち着いたころ、私は腕を放した。

「ふう、急に取り押さえてすまなかったな」

「あ、いえ、むしろしあわせ……なんでもありません」

 頬を赤くして絹がうつむく。よくわからない。

『サツキは相変わらず大胆ですねえ』

 ヴラドの声にはっとして周りを見ると、クレアとスカーレットもなぜか顔を赤くしている。ヴラドは笑いをこらえるように手を口でおおっていた。

 スカーレットが怒ったような口調で言う。

『な、なんで急に抱きついたりしてるの! 自分の従者だからって節度をわきまえたら!』

『ああ、すまない。実は私たちはシャンパンの音が苦手でな。鉄砲の音に聞き違えて暴れるといけないから、先に押さえ込んだんだ』

『ああ、なんだ……そうなの。びっくりした、びっくりしたわ』

 なんだかよくわからない納得の仕方をしたスカーレットは、熱くなった頬に風を送るように手であおぐ。ヴラドがクスクス笑った。

『絹さんはシャンパンを見るのは初めてでしたか。せっかくだからこちらにも用意してもらいましょう。何事も慣れですからね。すぐに給仕係を呼んで……』

 ヴラドが言いかけて広間のほうに視線をやったとき、おや、という風に片眉をあげた。視線をたどると代理公使のニールが手に酒瓶を持ってこちらにやってきている。

 ニールは困ったような、笑いたいような、複雑な表情を浮かべながらヴラドに話しかけた。

『今日のパーティーにワインを寄贈していただきありがとうミス・ヴラド、職員もみんな喜んでいるよ。公使館を代表して礼を言わせてもらう』

『いえ、ささやかな心遣いです。貴方にはいつも迷惑かけていますからね』

『迷惑をかけているという自覚はあるんだね……』

『むろんこれからもかけ続けますから来年もどうぞよろしく』

『まったくよろしくしたくないのだが、もうあきらめた。これをどうぞ、ささやかだが返礼の品だ』

『どうもご丁寧に。ちょうどシャンパンがほしかったのです。気が利いてますね』

 ヴラドが鷹揚に頷いて酒瓶を受け取る。ヴラドに来年もつきあわされることが確定して、ニールには同情するしかない。

『そうそう、先ほど預かった手紙の件はすぐに私の文書を添えて停泊中の定期郵便船に送ったよ。ちょっと正気を疑いたくなる宛先だったが、何も見なかったことにした』

『ありがとう。仕事が速くて助かりますよニール』

『お褒めいただき恐懼の至りだ、まったく』

 ニールは小さく肩をすくめてヴラドとの会話を終わらせると、今度はやわらかな笑みを浮かべて私に向き直った。

『ああミスサツキ、今日は参加いただけて本当に嬉しく思います。何しろ今年最も多くの英国人を救ってくれた人ですからね。貴方が二年前の東禅寺にいなかったことが実に残念です』

『とんでもない、恐れ多いことです』

 まさかこの場で礼を述べられるとは思っていなかったため、慌てて椅子から立ち上がり頭を下げる。するとニールは小さく手をかざして押しとどめる仕草をした。

『いや、座ったままでけっこう。ここはエドじゃないんですから、今日は身分を忘れて気楽にやってほしい。そしてこちらこそ恐縮しつつ頼むのですが――来年も私たちイギリス人を、西洋人を、同胞をよろしく頼みます』

『こちらこそ、よろしくお願いいたします』

 ニールはその顔に似合わない、少年のような明るい笑顔を浮かべて握手を求めてきた。私も握り返す。大きな手に反して繊細な手つきで握られた。

『ヴラドに振り回される者同士、お互いがんばろう。ではメリークリスマス』

 握手を終えると陽気な声で挨拶しニールは去っていく。ニールと公の場で長く言葉を交わしたのは初めてだったが、これほど気さくな人柄だとは思わなかった

 ニールと言えばこの横浜の英国人をまとめ上げる存在で、幕府でいう遠国奉行にあたる重役のはずだ。それが私のような身分の者にも気安く言葉を交わし、あまつさえ礼まで述べて去っていくなんて……江戸城なら考えられないことだ。

 ふと周りを見回すと、絹が私と同じようにぽかんとしていた。言葉がわからなくともやはりニール代理公使の身分意識のなさに驚いたらしい。

 対してヴラドやクレア、スカーレットは何でもないことのように平然としている。英国ではこれが当たり前のことのようだった。

 しばらくして給仕係が人数分の細長い杯を運んできた。ヴラドがシャンパンの栓を抜き、それぞれの杯に注いでいく。絹もなれたものでクレアと一緒に杯を配るのを手伝っていた。

 

『ではみなさん、メリークリスマス』

『『メリークリスマス!』』

 

 ヴラドの言葉にあわせて、クレアとスカーレットが唱和する。無言で杯を掲げながら、絹が訊ねてくる。

 

「五月様、私たちも何か言った方がいいでしょうか」

「む、そうだな。ヴラドたちはめりーくりすますと言っているから、たぶんくりすますを祝う言葉なんだろう」

「なるほど、それでは……」

 絹と二人、同時に杯を掲げながら頭を下げる。

「「くりすます、祝着至極に存じます」」

 ヴラドがなぜかあきれたような目でこちらを見た。

「サツキ、その言葉完全に間違っていますから」

「なに、そうなのか!?」

 

 

       ****

 

 

 宴が本格的に始まって、半刻(※約一時間)ほどした頃のことだった。

 公使館の玄関の方がにわかに騒がしくなった。

「お待ちください! 今日は招待客のみのパーティーですから関係のないあなた方は……」

「奉行所より詮議の筋がある。止められるいわれはござらん!」

 どこかで聞いた声だなと思っていると、やがて荒々しい足音とともに広間の扉が開かれた。

 無理矢理押し入ってきた日本の役人と、それを止めようとしたらしい英国公使館の職員がひとかたまりとなっている。

「うぬ、見届けたりっ!」

 役人団の先頭を見れば神奈川奉行所の組頭、三島が数名の供回りを引き連れたっている。怒りと言うよりも勝ち誇ったような顔をしているのが印象的だった。

 広間に沈黙が落ちる。クレアたちが身を固くするのを横目で見ながら、三島へ静かに問い返した。

「これは三島、いかがなされました」

「ふ、ふ。いまさらとぼけても無駄なことであるぞ。お主がいままさに異人と親しく交わっているのそれがしが見届けたのだからな」

「いえ、これは」

「だまれい! お主には以前から奉行所内でも不信のかどありと噂されておったのだ。それが先日通達されたばかりの禁令を堂々と破るとは言語道断! そもそも……」

 そこから三島はとうとうと私を糾弾し始めた。

 三島がしゃべり続けている間、私は黙っていた。こう言うときは相手の言うとことにいちいち反論するよりも、相手の言い分をひと通り聞いてから短い言葉で返す方が効果的だとむかし綾様に教えられたからだ。

 そしてこの場合反論は一言で足りた。

「……以上を持ってお主に不信のかどがある。何か申し開きすることはあるか!」

「今日私は鬼役として同道したのでございます」

「なにっ……!」

 昨日ヴラドに教えてもらった言い訳の効果は覿てきめんだった。三島は低くうめくなり黙り込んでしまう。

 やがて三島は先ほどまでと違い小さな声で私に訊ねた。

「と、ということはあれか、今日のお主は鬼役、つまり、毒味役としてこの場に参っているということか」

「はい、浪士の不祥事が多発している昨今、もし不逞の輩が異人の毒殺という卑怯千万な手段に出ぬとも限らぬ為やむなく参加いたしました。むろん私も異人と親しく交わってはならぬと言う通達は重々承知いたしておりますが、かかるような事態ゆえご容赦のほどを」

「し、しかしそれでは万が一食事に毒を盛られていた場合、お主が最初に死ぬことになるぞ」

「むろん覚悟の上にございます。死を覚悟せねば異人の警護は務まりませぬ」

「む、むむむ………いやその覚悟、天晴れ」

 命をかけて護衛してますと言われてはさすがの三島も咎め立てはできないようだった。先ほどまで興奮で赤かった顔が次第に青ざめてゆく。

 ややして、三島が突然声を荒げた。

「し、しかし、異人と同席しているのはどう説明する! これこそ異人と過度に親しくしている証左であろうが!」

 この質問にも私はすぐに答えた……というより、こんな問いかけをしてきた三島に内心あきれかえっていた。

「お言葉ですが、複数の異人の警護をするのに同じ料理を同じ席で食さねば、鬼役の意味がございませぬ」

「…………」

 三島は黙りこんでしまう。後ろの役人たちもざわついている。かえって私の毒味役という言い訳を補強したようなものだった。ますます顔を青くしたり赤くしたりしている。

 私の反論に穴がないか、必死に探しているのが手に取るようにわかる。しかしヴラドが知恵を授けてくれたこの言い抜けは、単純だが強い。傍で親しくしていることが全て護衛のためのとなるからだ。このままいけば三島は私を不信のかどで捕らえるどころか、「お役目大儀である」と褒めなければいけないことになる。

 こんなことになるとは思わなかったのだろう、進退窮まった三島は、再び無茶な理屈を付けて糾弾し始めた。

「だ、だがお主のその様子、毒味しているだけでなく宴で度を外れ過ごしている(※過度に楽しんでいる、の意)ように見えるぞ! くりすますとか言うキリシタンの蛮習で楽しむなど、日本人として恥ずかしくないのか!」

 無茶苦茶ないちゃもんを付けてくるのも苛立たしかったが、なによりクレアやスカーレットが楽しんでいるクリスマスを「蛮習」というのに腹が立った。つい言葉を荒げてしまう。

「国ごとに文化も礼儀も違うのであれば、その場によって相手側に合わせるのは当然でありましょう! 異国の宴を野蛮となじられますが、相手の文化も知らないでどうして護衛が務まりますか!」

「これはしたり! 組頭のわしにはんばくする気か」

 三島は怒りのために語気をあらげたが、一方で口辺に笑みを漂わせていた。

 しまった、と思ったがもう遅い。三島が再び自信を取り戻して言う。

「お主の言葉には先ほどからようを讃えるような響きがある! これも異人と親しく交わっているせいであろう、やはり取り調べが必要であるな」

「いや、私は」

「問答無用! ただちに奉行所まで同道するがよい! 縄を打たないのがせめてもの慈悲で……」

 そのとき、割鐘われがねを叩くような声が広間全体に響いた。

「いい加減にしなさいっ!」

 人々が驚いて声の元へと顔を向ける。鞭で打つような叱咤の声を上げたのは、英国代理公使のジョン・ニールだった。

 普段の落ち着き払った顔からは想像もできないほど怒りに燃えている。

「彼女は私が招きました。私がサインし私が封をした公使館の招待状で招いたのです。つまり英国公使館が公式に招いたと言うことであり、英国が賓客として扱ったという意思表示です。あなた方のしていることは、誇り高い大英帝国グレートブリテンへの侮辱そのものです」

 まったく埒外からの激論を受けて、さしもの三島もたじたじとなっている。視線を明後日の方向にそらしながら、それでもなんとか口先だけは動かしていた。

「し、しかしニール殿。五十嵐はそもそもたかだか百俵ひやつぴようそこそこの御家人身分であり、本来ならばこのような宴席に同席できる者ではないのです」

「彼女を招くと決めたとき、英国公使館の職員で反対する者は誰もいませんでした! あなた方に誰を招待するか、口出しされるいわれはありません!」

「二、ニール殿は我が国の文化や儀礼をよくご存じないのだ。そもそもこのような場合では……」

「あなた方はっ!」

 ついにニールが激高した。

「バクフは、あなた方の仕事はなんですか!? 英国を怒らせ戦争をすることですか!? それとも英国との友好をはかり貿易によって国を富ませることですか!?」

 もはや顔面蒼白となりながら、三島が答える。

「そ、それはもちろん貴国との未来にわたる友好を結ぶことにござる」

「でしたらそれに最も成功しているのがここにいるサツキさんです! あなた方の誰にもできなかったことを、彼女はここに来てたった一月で成し遂げた! 本来ならバクフが褒めたたえ地位も上げてしかるべきです! それを……あなた方は……恥ずかしくないのですかっ!」

 三島はなにも言うことができず口をぱくぱくさせている。ニールは怒りで頭から湯気がのぼりそうになっていた。

 突如としてニールが叫ぶ。

「Get out!」

 出口を指さし、続けて叫んだ。

「Get out here!」

 三島は始めなにを言われたかわからなかったようだった。

 やがて、蒼白だった顔が怒りでニールと同じくらい紅潮する。しかし周りからの冷たい視線に気づいて再び青ざめると、こけつまろぶようにして部屋から飛び出していった。

 扉を抜ける直前、こちらに激しい怒気のこもった一瞥を送ってくる。

「……覚えておれ」

 周囲の役人も取り乱してその後を追いかけていった。

 最後の役人が出ていき扉が力任せに閉められたとき、ようやく場の空気が弛緩した。

「フン」

 スカーレットが上品に鼻を鳴らした。

「足をふんずけてやればよかったわ」

 私はスカーレットの足元を見た。彼女の履き物もまたほかの異国の靴同様、踵が細く高くなって背を伸ばす作りになっている。

「それは、つま先か、それとも踵でか?」

「もちろん踵よ」

「なるほど」

 思わず笑ってしまった。

「それは痛そうだ」

 そこでスカーレットもようやく顔をゆるめて笑顔になった。二人して笑いあっているところへニールがやってくる。なぜだかとてもすまなそうな顔をしていた。

「サツキサン、アー、急にあなたの上司を怒鳴って申し訳ありませんでした。ご不快な思いをさせてすみません」

「むしろ快かったです。お気になさらず」

 できる限りの笑顔を浮かべてニールに答える。それでも彼の顔は晴れなかった。

「しかし、あなたの職場での立場を悪くしまったのでは」

「私はもともと難しい立場にありました。それに蔑まれるのは馴れていますから、いまさら恐くありません。むしろ英国が後ろ盾になってくれるとニール殿がはっきり仰ってくれたので、これからは少し良くなるかと思います」

 ニールは何事か考えていたが、やがてはっきりとした発音で言った。

「先ほど私が言った言葉、一言一句違わず本心でありイギリスの意志です。あなたが困ったときは我々が助けます。どうかそれを忘れないでください」

 そういって右手を差し出してくる。彼の真心が嬉しくて、私も強く握り返した。

「こちらこそ、英国の方が攘夷志士に襲われること無いよう、これからも全身全霊でお守りいたします」

「感謝します。さて、もう一度場の空気を盛り上げないといけませんね。乾杯をしましょう」

 そう言うとニールは壇上へと戻っていった。立派な人だと思う。もう公使「代理」をつけなくともいいんじゃないだろうか。

 ニールの合図にあわせて全員が杯を掲げる。広間に再び笑い声が戻ったとき、袂を引かれた。

「……五月様」

 振り返ると、絹が不安げな顔でこちらを見上げていた。

「心配しました。無事に済んで良かったです」

「すまない、いらぬ気苦労をかけたな。なにもう大丈夫だ。意外な展開だったがニール殿にあそこまで言われては、奉行所も手出しができまいよ」

 絹にそう言うと安心したような顔をする。私の身をいつも案じてくれている絹にとって、先ほどのやりとりは身の凍るような心地だったろう。いつも心配させてばかりで申し訳なく思う。

 口には出さなかったが、英国が後ろ盾についたことが知れれば奉行所どころから幕府でさえもちょっと手が出せなくなるはずだ。あまりおおっぴらにはできないが、クレアたちとの付き合いもいままでよりはずっとやりやすくなるだろう。

 ヴラドが空気をやわらげるように明るい声で言った。

「とんだ邪魔が入りましたが、気を取りなおしてプレゼント交換でもしましょうか」

「む、そう言えばクリスマスは贈り物をしあうのだったな」

「奉行所から文句を付けられる心配がなくなりましたから、これで気兼ねなくできるというものです」

「うむ、たしかに」

 よく考えたら贈り物をしあうことも「異人と親しくしている」ことに取られかねないのだった。もし三島の来る前に贈り物をしていたらまたどんないちゃもんを付けられていたかわからない。

「サツキのプレゼント楽しみですね。あ、ちなみに「贈り物は私自身です……」とかでも大歓迎ですよ」

「阿呆な冗談言ってるやつにはやらんぞ」

「もう、冷たいですね」

『あ、あの、五月さん!』

 ヴラドと余計な掛け合いをしていたら、クレアが窺うように近よってきた。

『これ、私からのクリスマスプレゼントです! 受け取ってください!』

 クレアは小さく手を震わしながら、綺麗な布で包まれた細長い瓶を差し出してきた。礼を言って受け取る。

『ありがとう、私からもクレアに贈りたいものがあるんだ』

『私にですか!? ありがとうございます!』

 クレアに贈り物を渡すと飛び上がって喜んでくれた。

『あの、ここで開けてもいいですか?』

『もちろん』

『…………わあ』

 クレアに贈ったのは青貝細工のくしだ。長崎の品なので少し値は張ったが、横浜の町で小間物屋の番頭が「外国のお客様にとても人気のものですよ」と語っていたからこれに決めた。

 番頭の言葉に違わず、クレアは熱心に彩り鮮やかな櫛の模様をみつめている。

『とっても綺麗……。こんな、私にはもったいないです』

『そんなこと無いさ。むしろ気軽に使ってくれると嬉しい』

『ありがとうございます。大切にします』

『気に入ってもらえて良かった』

 クレアがくれた瓶には、何かの液が入っていた。酒かとも最初思ったが、それにしては色が派手というか、淡い藤色をしている。

『クレア、これはなんだ?』

『私の作ったハーブウォーターです! ラベンダーから作りました。ぜひお化粧の時とか使ってください』

「……ヴラド、すまん。ラベンダーって何だ? 何かの花か?」

「日本では『らーへんでる』という名前で知られてますね。ヨーロッパでは昔からよく香水などの原料にされていた花です」

 瓶のふたを開けるとたしかに良い香りが強く鼻へ立ち上ってきた。香水まで手作りできるとはやはりクレアはすごい。

『ありがとう、大事に使わせてもらうよ』

『だ、大事になんて恐れ多いです。私のこそたいしたものではないので気軽に使ってください』

『む、そうか? せっかく貰ったのだから大事に使いたい』

『とんでもないです。それに無くなったらまた新しいのをお注ぎします』

『なんだかますます申し訳ないな』

 苦笑しながらそう答える。

 なぜか後ろで控えていた絹がクレアの方へ視線を向けた。

「…………(ありがとうございますクレアさん。五月様は驚くほど自分の身だしなみに興味がないので、お化粧をしてもらういい機会になります)」

「…………(やっぱりそうなんですね……いつも素顔のままなので、いや、素顔もとってもお綺麗ですけど、気になってました)」

「(二人でがんばって五月様を変えていきましょう……なんだかクレアさんとは仲良くなれる気がしてきました)」

「(私もです、キヌさん)」

 無言で何をさとり合ったのか、二人が静かに手を握りあう

 なんだか不名誉な噂話をされているような気がしたが、気にしないことにした。

『サツキ! この私からもプレゼントをあげるわ。感謝して泣きながら受け取りなさい!』

『む。ありがとう』

 スカーレットがくれたのは華やかな色の、大きな行李のような形をした箱だった。手元に取っ手がついており、持ち運べるようになっている。蓋の留め具を外して開けてみると、中には西洋の食器や什器がみっしり詰まっていた。

『ほう、……これは持ち運びのできる食器入れ、いや、重箱だな』

『ふふ、素敵でしょう。イギリスのピクニックケースよ。かわいいだけじゃなくてとっても便利なんだから。好きに使うといいわ』

『スカーレットさん、春になったらサツキさんとピクニック行きたいって話していましたからね』

『しーーっ。そ、そのことは内緒にしなさいクレア』

 クレアとスカーレットが何事か小声で話している。スカーレットの言う通り、確かにこの箱は便利そうだった。これ一つでどこでも行楽に行ける気がする

『ありがとうスカーレット。大切に使わせてもらう』

『喜んでもらえて良かったわ。ま、まあこの私が贈ったものだもの、嬉しがって当然でしょうけど!』

 私もスカーレットに贈り物をする。クレアと同じ青貝細工の小箱だ。たぶん日常に必要な道具はほとんど持っているだろうと考え、容れ物にしたのだ。

 それにしても、同じ容れ物の類を贈り合うとは、妙なところで考えが似てしまった。

 続いてクレアがスカーレットに暖かそうな織物を差し出した。

『スカーレットさん、もしご迷惑でなければ、こちらどうぞ』

『え? クレアも私にくれるの?』

『はい! 私の編んだティーガウンです』

 スカーレットは意表を突かれたようだったが、クレアから受け取ると顔をほころばせた。

『ありがとう。いい手触り……、さすがね。でもこんなものいつ用意したの? 仕事で忙しかったでしょうに』

『はい、今日のために少しずつ編んでいました。スカーレットさんには綺麗な英語を教えてもらってお世話になっていたので』

『そんなの気にしなくていいのに……、ありがとう』

 見ているこちらにもじんと迫るもののある光景だった。二人の交流も、考えてみれば奇妙な縁から始まったものだ。偶然から生まれた出会いでも、この二人ならきっと末永く仲良くできるだろう。

 ヴラドが近づいてきて言った。

「サツキ、これは私からです」

 ヴラドがくれたのは背の高い西洋靴だった。なにか獣の皮でできているらしくとても丈夫そうだ。派手好みなヴラドにしては地味な色合いだったので少しく意外に思う。

「ありがとう。これは、なんだ?」

「ブーツです。足をぴったり覆うので悪路でも楽に歩けるのが利点の靴ですよ。今日のように雪が降った時や、雨で道がぬかるんだ時にぜひ使ってください」

「ほう」

 ヴラドがこういう実用的なものを選んでくるとは思わなかった。正直嬉しいのだが、つい何かあるのではと勘ぐってしまう。

「ありがとう。しかしお前がこんな地味なものを贈り物にしてくるとは思わなかったな。てっきりまた宝石や小間物の類だと」

「私だって学習しますよ。ふつうの贈り物をしてもサツキには喜んでもらえませんからね。フフ、実は別のものを送ろうと思っていたのですが、準備が間に合わなかったのです。これはその前約束といいますか、本命のための下準備のようなものでして」

「そうなのか? 私はこれでも十分嬉しいが。……正直前はかんざしを失くしてしまったからな、飾りのついているのよりこういう丈夫そうなものの方がありがたい」

「ちゃんと選んだ甲斐がありました。ところで……」

 ヴラドが上目遣いにこちらを見上げて、物欲しそうな顔をしている。

 彼女が人にねだってくるのは珍しい。

「わかってる。私からも贈り物がある」

「よかった、本当にもらえないかと思いました」

「一応世話になってるからな、ほら」

 楽しげに受け取ったヴラドが、包みを開けたとたんがっかりした顔になる。私からの贈り物を不思議そうに持ちあげて訊ねてきた。

「なんですか、これ」

「そろばんだ」

「ソロバン?」

「うむ。商人のおまえにはそれがいいと思ってな」

「なんか、私だけ扱いがひどくないですか?」

「言っておくが柘植の木を使った立派なそろばんだぞ」

「だからこのソロバンがなんに使うものかわからないのですが……これなら私もクレアさんたちのような綺麗な細工物がよかったです」

 ヴラドはぶつぶつ文句を言っている。わがままなやつだ。

「仕方ないな……絹、すまないがヴラドにそろばんの使い方を教えてやってくれ」

「私が、ですか?」

「たのむ。贈っておいてなんだが私はそろばん苦手なんだ」

「いえ、五月様のご命令とあらば」

 絹はすぐにヴラドの側によると、そろばんを机の上に置いて使い方を説明し始めた。

「よいですかヴラド様。これは計算をする道具です。まずこのように水平な台の上に置き、一番上の珠を指でなぞるようにはじきます。それから……」

 はじめはつまらそうに聞いていたヴラドの顔が、だんだんとかがやき始めた。やがては食い入るように絹の説明に聞き入り、熱心にそろばんの珠を動かし始める。

 ひとしきりそろばんを習ったあと、ヴラドは静かな声で言った。

「……サツキ」

「なんだ?」

「このソロバンという道具は……すごいですね。日本人がなぜあれほど数に強いのか、ようやくわかりました」

「そうか? 自分で言うのも何だが、それ自体はただのそろばんだぞ?」

「これがどれほどすごいものかわかってないのがまた恐ろしい……。いままで必死に計算してきた自分がバカみたいじゃないですか。こんな便利な物が極東の島国にあったとは、何事も侮るなかれですね」

 なぜだかよくわからないがヴラドは大感心している。何事にも好奇心旺盛なたちだが、これほど夢中になっているのは始めて見た。

「サツキ、素敵な贈り物をありがとうございます。大切にします」

「まあ、喜んでくれたならよかった」

 ヴラドはその後もぱちぱちと楽しそうに珠を動かしていた。

 

 

       ****

 

 

 夜が近づくにつれ、英国公使館の広間にはますます人が増えてきた。

 そんな中、小田野カネさんも夕方過ぎに英国人の男性を伴いやってきた。

「五月さん! メリークリスマス!」

「おめでとう。カネさんも招待されていたのだな。隣の方は?」

「チャールズよ、チャールズ・ワーグマン。いつだったか話した私の絵の先生!」

「ああ、この方が」

 背が高く、短い口ひげを生やした男性の異人は、にこやかに握手を求めてくる。

『初めまして、チャールズ・ワーグマンです。先日はカネの護衛をありがとうございました』

『五十嵐五月です。こちらこそ、ジャパンパンチ大変おもしろく読んでいます。あなたの絵はとても素晴らしい』

『光栄です、ミス・イガラシ』

 チャールズさんはカネさんの話していた通り、穏やかな物腰のジェントルマンだった。豊かな教養と礼節が澄んだ瞳にあらわれている。カネさんが慕うのも無理ないと思われた。

 と、思っていたら、

『それにしてもカネの話していた通り本当に美しい方ですね……ちょっとそのままでいてもらえますか、スケッチスケッチ……』

 あ、まずい、この人カネさんと同じ種類の人間だ。

『ストップストップ、チャールズ、あれほど人前でスケッチはやめてと……ごめんね五月さん気を悪くしないで。先生はいつもこうなの」

「いや、最近はもう慣れてきたよ。……カネさんのおかげで」

「そう? ならいいのだけど。ところで五月さん! さっそくドレッシングルームに行きましょう! 早く昨日選んだドレスに着替えなくちゃ」

 カネさんの一言でせっかく忘れてかけていたことを思い出してしまった

「むぐっ、……や、やはり着替えなければいけないのか……?」

「当然! せっかくのパーティーですもの、何のために昨日がんばったのかわからないわ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、まだ心の準備が……」

「ヴラドさん!」

「観念しなさいサツキ、さあ行きますよ」

「ま、待って、両脇から抱えないでくれ、わーーーーーーーーーーーっ!」

 周囲が何事かとざわめく中、ヴラドとカネさんに引きずられるようにして、私は広間を後にすることになった。

 

 

       ****

 

 

「じゃじゃーーん、お待たせしました」

「サツキのドレスバージョン、お披露目です」

 四半時後、ヴラドとカネさんによって着替えさせられた私は再び公使館の広間に戻っていた。

 なぜか広間から歓声が上がる。

『さ、サツキさん、とってもとっても綺麗です!』

『今日パーティー来てほんっとうによかったわ……』

 クレアやスカーレットはそういって褒めてくれるが私はといえば、

「恥ずかしい……今すぐ自害したい……」

「ほらほら下を向いていたら綺麗な顔が台無しですよ。もっと前を向いて、自信をもって」

「ヴラド、あとで覚えていろよ」

 楽しそうにしているヴラドと違ってこっちは見世物小屋にでも立ったような気分なんだ。それにしても西洋の服はやっぱりひらひらして動きにくい。こんな格好をパーティーが終わるまでずっと続けなければならないのか。