『なんか二人のこと見てたらすごいインスピレーションが刺激されたの! お願いあと10分そのままで!』
『だから何で急に私たちを描いているんだ!?』
うーん。
カネさんは見た目よりずっと変人なのかもしれない。
まあ女なのに絵師を、それも日本ではほとんど描く者のいない洋画家を目指そうというのだから、多少変わり者のなのは当然かもしれない。そういえば葛飾北斎の娘のお栄という人も、有名な女絵師だが変わり者という噂だった気がする。
まあ、剣でほとんどの男を倒してしまった私が言うことでもないのだろうが……。
結局私とクレアはカネさんのスケッチが終わるまで手を握り合ったままだった。
****
スケッチが終わると、クレアは仕事が溜まっているとかでいそいそと部屋を出て行った。
のぼせたように顔を赤くしていたが大丈夫だろうか……心配だ。
でも、なぜかやたらとカネさんにお礼は言っていたから、体調は大丈夫なのだろう。
二人きりになってからも、いろいろの話がそれからそれへとはずんで、さらには途中途中でカネさんが急に絵をかきだすものだから、取材が終わったのは結局夕方近くになってしまった。
窓の外の陽が傾いたのを見て、カネさんはあたふたと席を立った。
「いっけないもうこんな時間。そろそろ帰らなきゃ」
「お、もう七つ(※午後4時)か」
公使館の柱時計を見て、私も今さらにずいぶん時間が経っていたことに気付く。
「今日は本当にありがとう。お話しできて良かった」
「こちらこそいろいろ話せて楽しかった。今度はヴラドの屋敷に来るといい。私は横浜では大体そこにいるから。取材なんて理由がなくても、遊びに来てくれ」
「ええ是非。それじゃあこれで私も五月さんのフレンドってことでいいのかしら」
「もちろんだ」
私とカネさんは固く握手を交わした。こちらのほうがふさわしい挨拶の気がしたからだ。カネさんは同じ日本人と接している感じがしなかった。異人だらけでの横浜の町で、こんなに明るく生き生きと暮らしている日本人を見るのは初めてだった。
握手を終えて、カネさんが帰り支度をする。
「それじゃあ名残惜しいけど今日はこれで。また会えるのを楽しみにしているわ」
「帰る家は横浜にあるのか? もう暗いし、良ければ警護を兼ねて家まで送るぞ?」
私がそう言ったのは通り一遍のあいさつでもお節介からでもない。最近の横浜の街は本当に物騒で、異人と親しくしているだけで日本人も狙われるのだった。異人から洋画を学んでいるカネさんが狙われないという保証はない。
しかしカネさんはゆるやかに微笑んで首を振った。
「いえ、大丈夫よ。帰る先はチャールズさんの家だから、公使館が護衛をつけてくれるの」
「ほう、関係者とはいえ日本人まで護衛してくれるとは、エゲレスはずいぶんカネさんのことを大切にしているんだな」
「うーん、というか、ね……」
そこでなぜかカネさんはもじもじし始めた。私の察しの悪さは冬ごもり中の熊並なのでしばらく何のことやらわからなかったが、やがて合点がいった。
「ああそうか、住み込みなのだものな、もしかして……」
「うん、チャールズさんとは結婚することになっているの。来年の話だけどね」
ほほを薄紅く染めて、カネさんは言う。幸せそうなのは一目で伝わってくる。
「それはおめでとう。少し気が早いかもしれないが」
「ううん、ありがとう。まあ、だからって絵の修業は優しくしてもらえないんだけどね」
カネさんはそう言って屈託なく笑った。なんだかこちらまで幸せを分けてもらったような笑顔だった。
「さっきの話も合点がいった。公使館から許嫁として応対されているのだな」
「そういうこと。なんだか夢みたいよ。自分が洋画の勉強ができて。しかも異人さんと結婚するなんて、ねえ」
「でも、尊敬できる人なんだろう」
「うん、絵は上手いし、修行中以外では優しいし、……それに結構かっこいいからね」
「それは良かった」
彼女の笑顔を見るとこちらも喜ばしくなる半面、別の心配も頭をもたげてくる。
「しかし、それでは結婚すればますます攘夷派の浪士から狙われるな」
「うん、それはチャールズさんも心配していたわ」
「残念なことだ。華燭の典を上げることにエゲレスも日本もないだろうに」
「仕方ないわ、攘夷派にとっては、異人と恋をすることがもう悪だもの」
カネさんの顔が少し曇る。いけない。余計な話をしてしまったかもしれない。
「すまん、暗い話にしてしまった……。私で力になれることがあったら言ってくれ。特に護衛なら任せてほしい。こう見えてそこそこ腕は立つんだ」
「ありがとう。もちろんあなたの腕のほどは知っているわよ。たつどころかたぶん神奈川奉行所最強でしょう、五月さんは。守ってもらえるなら心強いわね」
「本当にいつでも頼ってくれ。カネさんのことは必ず守るから」
「ありがとう」
カネさんはもう一度明るく笑った。
こういう人をこそ守るために、自分はいるのだと思う。
公使館の正門までカネさんを見送った。門を出てからはすでに明るいランプを下げた護衛兵に守られて、カネさんは夕闇迫る横浜の町へと坂を下っていった。
「異人との恋は悪、か」
彼女の姿が見えなくなってからも、私はその場に立ったまま、
****
見送りを終えて番士室に戻る時、廊下で見覚えのある人物に出くわした。仕立ての良い羽織を身に纏った中年の上級武士で、用人であろう侍と何事か話し込んでいる。たしか外国掛の支配組頭で、三島という名前だったはずだ。
外国掛配下とはいえ普段ヴラドの屋敷に住み込んでいる私は、あまり掛役人とのつきあいはない。三島殿の顔と名前を覚えていたのも、身分の高い方々の顔と名前は一応失礼がないよう頭に入れているだけだった。実際ヴラドのつきあいで公使館にやってくると、こうした突発的なすれ違いもめずらしくない。
なにやら取り込んでいるようなので会釈だけしてすれ違おうとすると、一、二間ほど行きすぎたところで、背中から呼び止められた。
「ああ待て待て、そこの者。別手組の五十嵐だな。ちょうど良いところで行き逢うた。こちらに来るが良い」
「……は」
無視するわけにもゆかないので振り返る。正直上級武士とのつきあいは苦手なのだが、仕方がない。
支配組頭の三島は四十がらみの痩せ形の男で、その人品も卑しくなかったが、細長い瞳の奥には冷徹な光を宿していた。異人との交渉でも堂々と議論を戦わす理知的な人だが、家中の者にはとりわけ厳しいという噂も聞く。
その噂通りひと目で切れ者とわかる風貌をしていた。
型どおりの挨拶をすませると、三島から口火を切った。
「お主の噂は聞いておる、異人を守って数々の活躍。ことに港崎遊郭を襲いに来た浪人共を、当座の剣術を以って見事撃ち倒し、市中の
「は、恐れ入り奉ります」
「ついてお主は言語の才もあり、まだ横浜にきて日が浅いにもかかわらずかなりのエゲレス語を修得していると聞くがまことか?」
「は、修得など恐れ多く、非才に恥入るばかりですが、
そこで三島は口元に細い笑みを浮かべ、扇子をぱちりと閉じた。
「良い。そのエゲレス語の力が所望じゃ。実は今日ここでジョン・ニール殿と会見することになっておるのだが、我らと同道する予定だった通詞が急な病で倒れての。他の通詞の手当が付かず
「は、しかし恐れながら、私には異人警護の役務もございますれば……」
「それは捨て置いてよい。こちらは公務であるぞ」
有無をいわさぬ口調でそう断じた後、なだめるようにやわらかく言った。
「なに、警護の件については後で儂が奉行様に直接取りなしておこう。首尾良くつとめればそなたにも応分の褒美を下すから安心いたせ」
「は……」
これでは仕方がない。ヴラドのことは心配だったが(主に、私に黙って勝手に帰ったりしないかということで)今は黙って三島に従うことにした。
公使の執務室に入ったとき、ニールは私の姿を見て驚いたように眉を上げた。今日は臨時の通詞であることを伝えると、朗らかな笑みを浮かべる。
「それは、お勤めご苦労様です。貴女が通詞でしたらこちらも気が休まるというものです」
「いえ、こちらこそお聞き苦しい英語でしょうがよろしくお願いいたします」
会釈を返した後、差し出された手を握り返す。
ニールは目を細めて私をみた後、「そうだ、いい機会ですから今渡してしまいましょう」と言って執務机から何かの封書を取り出した。
真っ白なその封書は表面に「Christmas」と書かれている。どうも何かの宴に関する誘い文らしかった。
「ええと……ちゅり、すとます?」
「それはクリスマスと読むんです。パーティーの招待状ですよ。今度この英国公使館で行うので、もし都合が付くならあなたにも是非参加してもらいたいと思いまして」
「その、くりすます? と言うのは一体何でしょう?」
ますますわからずニールに訊ねると、彼は笑みを深くしていった。
「キリスト教信徒の特別なお祭りです。毎年12月25日に、信者が集まってキリストの誕生日を祝うのです」
「ははあなるほど、つまりキリシタンの灌仏会(※仏教で釈迦の誕生日を祝う祭り)ですか。たしかにそれは盛大にやらねばならないでしょうね」
「理解が早くて助かります」
「しかし冬の時期では花を探すのが大変でしょう」
「花は飾りませんから大丈夫ですよ」
「キリスト像に甘茶はかけるんですか?」
「かけません」
「では一体何をするんです?」
「あの、ミス・イガラシ、あなたさっきからクリスマスをなにか、ものすごい勘違いしていませんか?」
私が首をひねると、ニールは困ったような顔をした。
「ええと、クリスマスというのがキリシタンの祭りということはよくわかりましたが、……しかしなぜ私を招待してくださったのでしょう?」
「クリスマスは確かにキリスト教の祭りですが、その後のパーティーは必ずしも信徒だけというわけでもないのです。親しい人同士で集まり楽しく飲んだり食べたりする、年末の祝いも兼ねているのですよ」
「年末? しかしまだ師走にもなっていませんが……」
「日本の暦ではそうですね、しかし西洋では……」
「ああ、わかりました。ちょっと待ってください」
ニールの言わんとすることを察して、答えを聞く前に指折り数えてみた。
「ひぃふぅみぃ……、そうか、西洋の暦では今日は師走の二十二日なんですね」
ニールが笑って頷く。
「はい、ミス・イガラシ。暦の計算が速いですね」
「もう二月以上もやっているので。だいぶ慣れました」
「流石です。どうでしょう。貴方さえ良ければ、このクリスマスパーティーにぜひ招待したいのですが」
本来なら英国人だけだろう祝賀会に、日本人の、それもただの護衛役である私が呼ばれるのはなんだかくすぐったいような嬉しさがあった。
英国人は異人の中でもとりわけ同胞意識が強くて、なかなか他国人に心を許さない人達だ。それがヴラドのことがあるとはいえ、これほど心やすく接してくれるようになるとは想像もしていなかった。
私もそうだが、人の
「ちなみに、それにはヴラドも招かれているのですか?」
「あー、ええ、まあ、招かないわけに行きませんからね」
ヴラドの名前を出した途端ニールの目が泳ぐ。まるで招きたくないが後が怖いから仕方なく、という態度だった。いったい普段何をしているんだあいつは。
慌ててとりなすように続ける。
「ああ! ヴラドのこととは関係なく、お招きに預かり光栄です。ありがたくお受け致します。どちらにしろヴラドの護衛でここに来ることになったでしょうし」
「それはよかった。ささやかですが、あなたのこれまでの貢献に対する公使館からのお礼だと思ってください」
招待状を袱紗に包んで丁寧に懐にしまう。ニールに礼を言ってから三島の後ろへ控えると、なぜか妙な目つきで見られた。
「…………」
視線の意味はよくわからなかったのでとりあえず通詞に徹することにする。ニールと三島は暖炉の側の肘掛け椅子に向かい合って座り、会談が始まった。
****
『――以上で横浜の警備状況はいいでしょう。次に三島サン、バクフはまだナマムギ事件の賠償金について結論を出せないでいるのですか?』
「長くお待ちいただき申し訳ござらぬ。なにしろ今年は類を見ないほどの多事多難。山積する問題の処理に幕府も悲鳴を上げているような次第でしてな」
『とにかく早くしていただかなければ困ります。年が明ければまた本国からラッセル外相の指示書が届くと聞いています。それが最後通牒とならない可能性はどこにもないのですよ』
「承知してござる。とにかくニール殿には今しばらく返事を待っていただけるよう伏してお願い申しあげる」
『賠償金を払うだけのことに、なぜこの国はこんなにも時間がかかるのですか』
その内容はともかくとして、会談は順調に進み議案を消化していた。いくつか私の立場では知り得ない情報を聞いてしまったが、この会談が終わったら早めに忘れることにしよう。
一刻(※二時間)ほど後、最終的に重要ないくつかの合意を終えて、ニールと三島が数種の書面を取り交わし、予定されていた会談が全て終了した。
『――確認しました、いいでしょう。これでOKです』
サインの加えられた書面にさっと目を通したニールは、わずかに肩から力を抜き言った。書類を側の机において、椅子に深く座り直す。
そこで三島は、気を緩めたニールに不意打ちを食らわせるように発言した。
「いや、もうひとつ残ってござる」
「っ、なんでしょう?」
やや首を傾げ、頭を支えるように軽く拳を添えたニールは、かすかだが動揺を見せている。先ほどまで、どちらかと言えばへりくだるような態度だった三島が、ここに来て急に固い声を出したからだ。
「くりすます、とやらの一件にござる。拙者よくは承知してござらぬが、たしかキリシタンが信仰する神の誕生を祝う祭りであるとか」
『概ねその解釈でかまわないと思います』
「まことに申し訳ないが、そのくりすますとやら、中止していただきたい」
言葉は丁寧だが断固とした調子で三島が言った。
私は通訳の役目も忘れて暫時固まった。三島の余りに
いつまでも黙ったままでいたので、ニールがこちらへ視線を向ける。三島も横合いからじろりとにらみつけてくる。
「なにをしておる、早くお伝えしないか」
強い口調で促されても、まだためらわれた。三島の言葉はあまりに一方的にすぎると思う。しかしここで何か遠回しな言葉に変えればさらにまずいことになるのを感じ、結局そのままニールに伝えた。
案の定ニールは愕然と目を見開いた。
『理由を聞かせてもらえますか?』
「治安上の措置にござる。昨今攘夷浪士の活動はますます激しくなっている。もっとも厳しい警戒を強いているこの横浜ですら、攘夷浪士が密かに潜り込んでくるのを塞ぎ止めることができないでいるのでござる。その中でそのような、クリスマスとかいう
ニールはしばらく黙りこくった後、椅子から立ちあがる。執務机の傍によると、見事な煙草入れから西洋の
一息吸い込んで、ゆっくりと独特の香りのする煙を吐き出す。
彼は努力して気持ちを落ち着けようとしているらしかった。
パイプを片手に椅子に戻ったニールは、青ざめた、しかし強い決意を伴った顔で口を開いた。
『クリスマスパーティーを中止させることはできません。あなた方に想像するのは難しいでしょうが、これは我々キリスト教徒にとって非常に重要な儀式なのです。それに今年は我らが同胞の命がナマムギ村にて悲惨なる運命を遂げました。彼らの魂を慰めるためにも、我々は祈らなければなりません』
「承伏できませんな。外国掛としても、また横浜の治安を預かる神奈川奉行所の立場としても、クリスマスは中止すべきと考えます」
『公使館の警護はイギリス横浜駐屯軍が行います。バクフの手を煩わせはしません。充分な準備と訓練を持って望みましょう』
「いけませぬ。そのクリスマスには横浜に住む多くのエゲレス人が公使館に集うのでござろう? 東禅寺のようなことはもう起こらぬにしても、火でもつけられたらひとたまりもござらぬ。現在の神奈川奉行所の人員はようやく千人に届くかと言うところで、とても公使館周辺の警備までは手が回らぬ。それはエゲレスの陸軍も同様でござろう」
『……パーティーの規模は縮小します。時間も早めに切り上げることにしましょう。大々的な告知はせず、公使館外の灯りもできるだけ抑えたものにします。それでなんとか開催は許可してもらえませんか』
「何度も申し上げているように、これは治安上の問題にござる。派手でなければいいと言うものではござらん」
けんもほろろな三島の態度に、ニールの
ニールが語気を強め、脅すような口調で言った。
『クリスマスパーティーを開けないことは横浜に住む我々外国人にとって重大な問題です。場合によっては各国連盟でバクフに抗議することになるかもしれませんが、かまいませんか』
一歩も引かず三島ははねつける。
「拙者も頑固にはねつけているのではない。また独断でもござらぬ。これは外国掛の、引いてはご公儀の総意と思ってもらいたい」
ニールが背中を丸めうなだれる。私はすっかり同情していた。三島の言うこともわからないではなかったが、突きつける条件が余りに厳しすぎる気がする。
やがて顔を上げたニールは哀願するような口調で言った。
『……今年の横浜居留地には本当に多くの災難がありました。ここに住む外国人はみんな疲れ切っています。クリスマスパーティーはただ重要な儀式であるばかりではない、皆の心を慰める得難い機会なのです。このままでは私たちの心がすさみ、擦り切れてしまいます。なんとかクリスマスを中止しないで済む方法はありませんか?』
「ニール殿も強情でござるな」
三島はあきれるように鼻を鳴らした。
「今年だけでも中止すれば安全が確保されると申しておるのでござる。横浜に住む異人たちには同情するが、命と心の慰め、どちらをとるかは明白でござろう」
ニールががっくりとうなだれる。
あまりといえばあまりな三島の言葉に、思わず口を出してしまった。
「三島様、何とかクリスマスパーティーを許してさしあげられないでしょうか。いくらなんでも異人たちがかわいそうです」
言って、はっと後悔するがもう遅い。私はいつもそうだ。言ってはならないことでも心に浮かぶとつい口に出してしまう。
案に相違せず三島は目を怒らせてこちらを見上げた。
「五十嵐、よけいな口を出すな。お主はただ儂の言葉を忠実に訳しておればよいのだ」
「ですが、英国公使館が危険なのはなにもクリスマスに限りません。東禅寺などではまったく予想もできない日取りに襲われたではないですか。横浜に住む異人の心の安寧をはかるのも、外国掛の務めと存知ます」
「おのれ知った風な口を、無礼な! 支配組頭の儂を前にしてその雑言、覚悟はできているのであろうな!」
「ですが……」
「ええい、まだ何か口答えいたすか!」
椅子を蹴倒すような勢いで三島様は立ち上がった。忌々しげに私を睨みつけて言う。
「お主自分の立場がわかっておらぬようだな。それともなにか? ニール殿から直々に招かれたというのにクリスマスパーティーそのものが中止になるのが悔しいのか? 奉行所の役人は誰も、この儂ですら招かれておらぬと言うのに!」
「いえ、そのようなことは決して」
すぐにその言葉を否定しながら、私はやっと異常な三島の態度が飲み込めた。つまりは私だけクリスマスパーティーに招かれたということが、よほど腹立たしいらしい。
「ふん、どうだかわからぬな。お主どうやら異人どもとよほど親しくしておるようだからの」
「三島様、信仰は心の拠り所です。異人か日本人かの関わりなく、信心は尊重して差し上げるべきです」
「それで万が一東禅寺のようなことがまたここで起きたらどうする! 責任がとれるのか! 所詮お主はたった一人の異人を守っているにすぎん、大勢を守らねばならぬ責任など感じぬから、そのように何とでも言えるのであろう」
嘲るように薄く笑った三島に向かって、思わず言い返してしまった。
「私は別手組、身命に代えても異人を守るのがお役目です。クリスマス当日の警衛を命じられましたならば、喜んでお引き受けいたします」
三島の目に冷酷な光が宿った。そのときようやくはめられたことに気づく。
「よう申した。ならばお主にそのお役目命じてくれる。それをもってこの儂への無礼雑言は大目に見てとらす。わかっておるな、もしそのクリスマスパーティーで何かあれば……すべてお主の責任とするぞ」
酷薄な笑みを浮かべて三島が言う。先ほどまでの剣幕はすべて演技だったのだ。
と言って私もここで引くわけにはいかない。
「わかりました。そのかわり私が警護を引き受ければ、クリスマスを開催してくださるのですね」
「よかろう。奉行所からも別手組は出役させるが最低限の人数とする。せいぜい仲の良いエゲレス駐屯軍の力でも借りるがよい」
「承知いたしました」
口に針でも含んでいるような三島の嫌みをぐっとこらえて、深々とお辞儀をする。顔を上げると、三島は愉快そうに笑っていた。
打って変わったように恭しい態度で、三島がニールに言った。
「ニール殿申し訳ござらぬ。やはり拙者考えを改め、クリスマスパーティーの許可を出すことにいたしたゆえ存分に楽しまれてくだされ。奉行所の方は私が説得する故のでご心配なきよう」
『は? え? 今いったいなにがあったのですか?』
ニールは狐につままれたような顔で訊ねてくる。時々こちらに心配そうな視線を投げかけてきた。
「ニール殿が心配されるようなことはなにもござらぬ。では儂は御用繁多(ごようはんた)の折り柄これから別の用向きがある故これにて」
身なりを整えた三島は満足そうに公使執務室を出て行く。扉をくぐる直前、私に毒のこもった視線を投げかけ、
「五十嵐ご苦労であった。今日はこのまま下がって良いぞ」
楽しげにさえ聞こえる口振りで言い捨てていった。
三島が抜けて扉が閉まると、ニールはすぐに立ち上がりこちらに歩み寄ってきた。
「ミス・イガラシ、いったいなにがあったというのです。何かやっかいなことに巻き込んでしまいましたか」
心の底から私を案じてくれるニールに、なんとも言えない温かい気持ちが溢れてくる。
「ご心配なさらず。むしろニール殿には不快な思いをさせて申し訳ないです。実は――」
三島とのやりとりを説明すると、ニールは頭を抱えた。
『~~~~なんてことだっ! ミス・イガラシを、英国の恩人を、大変なことに巻き込んでしまった』
『いえ違います。これは全て私の発言が悪いのです。ニール殿に責はなにもありません』
『しかし警備の責任をあなたに押しつけるだなんて、ミシマサンはなんて残酷な人だ』
気の毒なほど青ざめたニールは、その場で腰を折った。
『申し訳ありません! ただ私は本当に日頃のお礼がいいたくて、パーティーに招いただけだったのですが、まさかこんなことになるなんて』
『ですから、ニール殿が謝ることではありません! お手を上げてください』
私は泡を食ってニールの手を取る。何度もなだめすかして、ようよう顔を上げてくれた。
『こんなこと私がいえた義理ではありませんが……どうかお気をつけて。英国はあなたに与えられる全ての力をお貸しします』
『身に余るお言葉です。ありがとう存じます』
ニールとしっかり握手して、礼を述べる。やはりこの方は誠実で真摯なジェントルマンだ。
その後私はクリスマスパーティーの詳しい様子などを聞き取って、執務室を後にした。ヴラドもとっくに用事を済ませ、私を待ちくたびれているに違いない。
それにしても……ヴラドになんと言って説明したものだろう。
****
「ク、クク、アハハハハハハハハハハ!」
私の話を聞いたヴラドは腹をかかえて大笑いした。
本当こいつはいい性格をしている。
「クックックッ、ふ、サツキはよくよく厄介事を抱え込むのが好きなようですね」
「うるさい、好きこのんでこんな状況になったわけではない」
「それにしてもクリスマスパーティーの警護とは。難題ですよ、これは」
「わかってる」
ぶすっとして答える。ヴラドはなおも可笑しそうな顔をしていたが、それ以上突っ込んできたりはせず話題を変えてきた。
「ところで取材はどうでした?」
「悪くなかったよ、カネさんはいい人だったしな」
「でしょう? 以前彼女とは会ってしばらく話をしているうちにあなたにぜひ会いたいと頼まれましてね。うまくいってよかったです」
「お前、絶対カネさんが美人だから引き受けただろう……」
「それっていけないことですか?」
「お前は本当自分の欲望に素直だな……」
呆れて何も言えない。
話しているうちに公使館の門を出た。手持ちの小田原提灯に火をつけて、足元を薄ぼんやりと照らしながら屋敷までの道を歩く。
「しかしカネさんと話していて、少しお前たちの国がうらやましくなったよ」
「おや、どういうことです?」
「今日初めてフレンドと言う言葉を知ってな。異国は身分差の無い国だとは聞いていたが、改めて人々が生まれに関係なく親しく交わっているのだと思い知らされた。考えてみれば、クレアがお前やスカーレットと親しくするなど日本ではありえないことだ。私は少しこの国が窮屈に思えてきた」
「あの二人に関しては本人の人柄もあるとは思いますよ。アメリカならばいざ知らず、イギリスはまだずいぶん身分差別が残っていますから。それでも、日本よりはずっとゆるやかでしょうね」
ろうそくの弱い火影に照らされながら、ヴラドが話す。
「ですが、私も時々この国がうらやましくなる時があります。この国は同性同士で愛し合っても何も言われませんからね」
「どういうことだ?」
「ヨーロッパのほとんどの国は、法律で同性の交わりを禁じているのです。女性同士はまだマシですが、国によっては牢屋行きになります」
思わず提灯を取り落としそうになった。
「愛し合ったら牢屋に放り込まれるなんて、そんなに厳しいのか」
「イギリスでも最近まで男性の同性愛は最悪死刑だったんですよ。去年(※西暦1861年のこと)ようやく法改正されて死刑は廃止されましたが」
「当然だ。恋をしたら殺されるなんて冗談じゃない」
「ええ、死刑から永牢(※無期懲役のこと)に変わりました」
「たいして変わらんじゃないか……」
「ま、私はイギリスでも好きに過ごしていましたが、金の力は否めませんね」
「……見つかれば捕まるかもしれないというのに、よくできるな」
「自分の魂に嘘をついてまで生きたいとは思いませんね。そのために手に入れた金と権力ですし」
言い切るヴラドの姿を、私は初めて眩しく感じた。真似できるわけもないが。
「お前はきっとどこに行っても自由に生きるのだろうな。少し、うらやましいよ」
「難儀なことにこれ以外の生き方ができないもので。それにうらやまれるような人生かはわかりませんよ。自由とは、与えられるものでも勝ち得るものでもなく――戦うことそのものですから」
「はあ……」
思わずため息をつく。何とはなしに空を見上げると、冬の星々が冷たい大気に凍えるように弱くまたたいていた。
「どうしました、サツキ」
「もし、もし仮にだが、私がお前のことを好きになったとして」
「!? ついにその気になってくれたのですか!?」
「仮の話だといっただろう寄るな寄るな近い!」
ヴラドは不満そうにする。
「ぬか喜びさせないでください」
「お前が勝手に勘違いしたんじゃないか」
まったく油断も隙もない。気を取り直して話を続ける。
「日本では異人と恋をしたら殺される、異人の国では牢屋に入れられる。もしお前のことを好きなったとしても、安住の地はないのだな」
「ええ、時代が変わらない限り」
「時代、か」
少なくとも今の日本のままでは何を変わらないだろう。時代が変わるということは、それはすなわち幕府が……。
一瞬頭にひらめいた恐ろしい考えを慌てて振り払う。
ヴラドが場を変えるように笑って言った。
「失礼、少し暗い話になりましたね。ひとつ明るいニュースを。今日ニールと話して知ったのですが、なんでもクレアさん、近々
「パーラーメイド?」
「公使館の接客専門のメイドです。何かと表に出る仕事ですから、容姿が優れていることと礼儀作法を身につけていることが求められるのです。クレアさんの容貌で成れないのが不思議でしたが、どうも下町時代のスラングがなかなか抜けなかったことに原因があったそうで。この前の食事以来スカーレットさんがいろいろと言葉を指導したり上流の礼儀作法を教えたので、今回昇進することに決まったそうですよ」
「ほう、それは良かったな。……本当に良かった」
クレアがいろいろと努力しているのは私も知っている。彼女の待遇がよくなるのは、とても嬉しい。
しかしスカーレットのやつ、ああ見えてなかなか面倒見のいいところがある。今度また一緒の食事に誘おうか。
「そのうち本人に話があるでしょうから、それまではサツキも知らないふりをしていてください」
「そうだな、決まった時にお祝いしよう」
そうこうしているうちに横浜の大通りに足を踏み入れていた。時間的にはまだ宵の口とあって、軒先を開けている店も多く大通りの景色は明るかった。冷たい大気にもめげずに喉を張り上げ、大きな声で客を呼び込んでいる。
特に熱心なのが青物売り(※八百屋)で南瓜や柚子を売り込んでいた。その光景を見て気づく。
「そうか、今日は冬至か」
「冬至、ですか?」
「イギリスでは何もしないのか? 日本では冬至には南瓜を食べたり柚子湯に入る風習があるんだ」
「ほほう、柚子湯」
なぜだかヴラドが目をキラキラさせ始めた。嫌な予感がする。
「その柚子湯というの、入ってみたいです」
「ブラド、お前はたしか風呂嫌いだったんじゃ……」
ヴラドというか、異人はみんなそうだが。
「こんな面白そうなもの見逃す手はありません。サツキ、あそこのお店で柚子を買って、早速屋敷でやってみましょう」
「いや、お前風呂は沸かすのも結構大変なんだぞ……ってああもう!」
ヴラドが勝手に青物売りの方に駆け寄ってしまったため、仕方なくあとを追いかけた。