夢というのはいつも理不尽で突然だ。
気付くと私は見慣れぬ寝所の中にいた。日本のものではない。長い足の付いた寝台に、厚く綿の詰まった敷布団。上には
まるで闇から生まれでたように人影が現れた。冬の月のように輝く銀の髪、磨き上げた珊瑚のように紅い瞳、
ヴラド――私が護るべき異人、ヴラド・ドラキュリアが、なめらかな動作で寝所へと潜り込んできた。衣擦れの音が細く高く響く。
ヴラドの動作の意味が流石にわからない私ではない。ぼやけた意識のまま寝所から逃げ出そうとして、しかし体を動かせなかった。むしろ私の身体は意識を離れて、彼女をさしまねくように身体をずらした。ヴラドは今や完全に私に覆いかぶさっている。形の良い唇をそのまま近づけてきて……
そのまま、私の首筋へ、噛み付いてきた。
ぶつりという音とともに首の皮が破られる。なのに痛みはまるでなかった。ただ泥のような甘美さだけが私を溶かし込むように傷口から広がっていく。
ごぶり、とヴラドが私の血をすする。首からは後から後から血が溢れてくる。このままでは死んでしまうのに、抵抗も振り払って逃げ出すこともできない。もっともっと吸ってほしいという異常な欲望が膨れ上がる。
一升ほども吸い尽くしたかと思われる頃、ちゅ、と音を立ててヴラドが唇を離した。私の口からそれを残念がるようなため息が漏れる。それは濡れたように艶じみて、もはや自分の漏らす声とは思われなかった。
ヴラドはなんとも言えない表情で私を見上げた。口の中には私の首を食い破ったであろう長い牙が、生々しい赤色を帯びて光を跳ね返している。ヴラドの瞳の中には私が、夢の中でなければ直視できないような表情を浮かべ映っていた。
口元に紅い雫を垂らしながら、ヴラドが凄艶に笑う。
それは、
そこで、はっと目が覚めた。
「……~~~~~~~~~っ!!?」
そのまま夜着をひっかぶり身悶えする。
なんっーーっという夢を見てしまったのだ私は!?
これでは私が、まるで、その、
それはつまりあれがその、
『ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!』
声にならぬ叫びを上げて顔を覆う。
それにしても奇妙な夢だった。ヴラドが同衾してくるものだから、てっきりそういうことになるかと思ったのに。
いや、無論そちらを期待する気持ちはまるで無いが、しかし、
まさかあんな、ヴラドから、首を噛まれて、血を吸われるなどと……。いったいどうしたらこんな夢を見るというのだ!?
たしかに異人は人の血をすするという話が昔から語られてきたが、それは葡萄酒を勘違いしただけだと私は知っているはずなのに
「ううう……よりにもよってなぜ血を吸われるなんて変態的な夢を」
疲れているのだろうか。
あるいは私でも気づかない意識の奥底にそんな欲望が眠っているのだろうか。
「……む?」
ようやく暗さに目が慣れてきたところで、違和感に気づいた。腹の辺りに奇妙な重みを感じるし、布団がどう見ても一人分以上膨れ上がっている。くわえて部屋中からやたらといいにおいがしていた。
まさかと思いながら夜具の上をはいでみると、裸身のヴラドが私の隣でしどけなく横たわり穏やかな寝息をたてていた。
「のわーーーーーーーーーーーーっ!!」
大声を出して飛び起きた。動転してしまってうまく立ち上がれない。腕をもつれさせながらようやく布団から這いだす。
とりあえず自分の
たぶん。
「ンン……うるさいですね、どうしました……?」
こっちは大慌てしているというのに、当のヴラド嫌みなくらいのんびりと目を覚ました。
鼻にかかった声をあげて、緩慢な動作で身を起こす。
「なんだまだ朝じゃないですか。こんな時間に起きるなんてどうしたんです。ふぁ」
夜具を引き寄せ前を隠しながら辺りを見回したヴラドは、堂々とそうのたまわって上品にあくびを漏らした。この状況でこの態度、こいつはどれだけ図太いんだ。
迷わず刀掛けから太刀をひっつかんだ私は、そのままヴラドの鼻先に突きつけた。今はまだ刀身は鞘に収まっているが、ヴラドの返答しだいではどうなるかわからない。
「ブ! ラ! ド! あれほど私は言ったな! もし夜這いなんかかけてきたら叩き斬ると! 今朝のこれはいったいどういうことだ!?」
鞘越しとはいえ目の前に刃があるというのに、ヴラドは涼しい顔で笑った。
「なんだそんなこと、夜這いなんかしてませんよ。ただ夜中こっそり五月の布団に潜り込んだだけです」
「それを夜這いと言うんだ!」
「まあまあ、この前も同じ布団で一緒に寝たじゃないですか。今さらなにをそんなに怒るんです」
「あのときはクレアやスカーレットがいただろうが!」
なにをいってもまったく悪びれずヴラドはクスクス笑っている。ダメだ、やはりこいつに反省とか相手に気を使うという言葉はないらしい。
ああそうだ、とその時夢での出来事を思い出した。
「ブラド、ちょっと口の中を見せろ」
「はい?」
身構える間も与えず私はヴラドの口へと飛びついた。両手でぐいっと口辺を引き伸ばす。
「いひゃい、いひゃいでふ。なにふふんでふか」
「おとなしくしていろ」
うーむ。どんなに口の中を見ても夢で見たような牙は生えてなかった。やはりあれは夢が勝手に作り上げた姿だったのだろうか。実際思い返してみても普段のヴラドに牙があった記憶など無い。
「む、もういいぞ」
「うぐぐ、さすがに恨みますよサツキ」
口から手を離すと、ヴラドは涙目で抗議してくる。しかし私は取り合わなかった。
「やかましい。勝手に人の寝所に潜り込んできた罰だ」
「だからってそれがなんで口を引っ張ることなんですか。もう……」
文句を言いながら頬を揉んでいるヴラドに、私は太刀を構えもう一度念を押した。
「いいか、とにかく今度また入ってきたら問答無用で斬るからな!」
「はいはい、わかりましたよ。では私は自分の寝室で二度寝することにします」
ヴラドは再び小さくあくびを漏らすと立ち上がり、夜具を引きずりながら本当に眠そうな様子で部屋から出ていった。怒りのあまりヴラドの出て行ったあともしばらく障子をにらみつけていたが、しばらくしてはっと気づいた。
慌てて障子を開けて後からヴラドを追いかける。
「待てヴラド! その夜具は私のだ! 勝手に持っていくなっ!」
****
「もーーーーーーう我慢ならん!」
その後、目覚めるとヴラドが勝手に私の布団に潜り込んでいるということが二晩続き、三回目の朝にはさすがに堪忍袋の緒が音を立てて切れた。
最初の朝と同じように私はヴラドに鞘ぐるみの刀を突きつけていた。ヴラドもまた最初の日と同じように悪びれず半身を起こして髪をいじっている。
「はいはい、どうしましたサツキ」
「何度言ってもやめる気がないというのがよーくわかった! ならこっちにも考えがあるぞ! この屋敷に私の家来を呼ぶ! いいか、お前がいやだと言っても遅いからな!」
噛みつくような調子でそう告げると、なぜだかヴラドは髪をいじるのをやめて目を輝かした。
「その家来さんは、女性ですか?」
「む? まあ私の側仕えだからな。絹という五つ下の女子だ」
「どんな子なんです」
「むむ? 絹はいい子だぞ。忠義者で、気だてがよくて、少し無口で無愛想なのが玉に傷だが、本当に優しい子だ」
「ほうほう、それで、かわいいですか?」
いつのまにか布団から身を乗り出してきていたヴラドは、興味津々といった様子で訊ねてくる。
「むむむ? まあ整った顔立ちをしているとは思うが。……ブラド、お前何かろくでもないことを考えていないか?」
「いえいえそんなことは」
ヴラドはますます笑みを深くして言う。ちっとも信用ならない。
「……言っておくが、絹は私よりずっとまじめで融通が利かないからな。妙なちょっかいをかけるんじゃないぞ」
「ンン? 妙なちょっかいとは何でしょう。さっぱりわかりませんね」
ヴラドはそう空とぼけると、ようやく部屋から出ていった。