四限目 最高のものを求めることが、物語への鍵だ




 八月。

 ただ暑いだけであった季節に湿気という忌むべき気持ち悪さが加味されたことによりいよいよ夏の本格化を実感させられる。

 せみも子孫を残す為にいよいよ本気を出し始め、あちらこちらで短い命をフルに使って鳴き叫び続ける、童貞のまま死ぬか、子孫を残して死ぬか、奴らも必死なのだ。

 だが人間にとってそれは全くもつて興味のない話である、何なら網を使って取り押さえられ、小さな籠に閉じ込められた挙げ句、童貞として一生を終わらせられることも珍しくないのであり、それもまた蟬の刹那の一生なのだから。

 蟬の世界というのは誠にれつなものだ……またカラスに襲われてるし。

…………で、何してんの」

 と、俺は一台のママチャリの前で怖いぐらいあいこが続いているじゃんけんを繰り広げるほうじようとらたつを見てつぶやく。

 彼女達が男子禁制の女子トークを延々と繰り広げたあの日からはや数日。

 ストーリーを作り上げる為に中々良い情報を集めることが出来たと北条から聞いていたのだが、どうも彼女達の話し合いだけでは限界だったらしく、北条の発案で実際に恋愛っぽいシチュエーションをやってみるのはどうかという話になったのである。

「あいこでしょ!」

「あいこでしょ!」

「あいこでしょ!」

 確かに実際にやってみるというのは悪くない案ではある、特に俺や虎尾はそういう経験が浅過ぎて干上がっているので、経験することで分かることもあるかもしれない。

 そういうこともあり呼び出されたのがこのドブ──がわである。

 今となってはオペレーションMを完遂するべく、自分の身体からだをいじめ抜いた思い出したくもない場所なのであるが、如何いかんせん近所にそれらしい広場がないのでこうなってしまうのは致し方ないだろう。

「あいこでしょ!」

「あいこでしょ!」

「あいこでしょ────やったわ! 私が権利獲得ね」

「う~……負けちゃったぁ……」

「ぐう……し、仕方ありませぬな……」

「……盛り上がっている所悪いけど、全く事情を聞いてないんだが、今から一体何をするつもりなんだ?」

「何って──そんなの自転車の二人乗り以外にあると思うのかしら?」

「あると思うけども」

「やっぱり恋愛モノの王道シチュエーションと言えばこれだよね! でも藤高はそれが禁止されてるから……やりたかったなぁ……」

「ああ……」

 そういえばふじおか高校は自転車通学が禁止となっている。

 成績が良ければ髪を染めても、遊びほうけるだけの同好会を作っても基本的に罰則を受けることのない実に寛容性のある高校に思えるが、自転車通学だけは禁止なのである。

 不思議に思うだろうが理由は簡単である、自転車置き場がないのだ、以上。

「故にこの青春の象徴とも言える二人乗りを実際にやってみることによって、どういった恋愛的感情を抱くのかやってみようという話でありますね」

「成る程な、ここなら直線距離もあるしそれっぽい雰囲気もある、対岸がマンションだらけなのがイマイチではあるが」

 だから全員制服を着ているのか、夏休みなのにどうして学校以外で制服を着なければならんのだと思っていたがそういうことなら納得がいく。

「ということでまずは私からね、距離はそうね……あそこの市役所までにしましょう」

「市役所見えてないんですけど」

「だ、駄目でありますよ! あそこの陸橋までであります!」

「他にもまだやることはあるんだからちゃんの言う通りだと思います!」

「う……わ、分かりました、あそこの陸橋までとします、では」

 え? というかこの一個だけじゃないのか? もしかしてそれっぽい青春ごっこを片っ端からやるつもりで……いくら何でも時間が足りないと思うんだが……。

…………ん?」

 何となく不味まずい気がしながらふと自転車の方へ目をやると、いつの間にか北条が自転車の荷物置きの部分にちゃっかりとまたがっているではないか。

 そして肝心のサドルには誰も座っていない。

「えー……そういう自転車のぎ方なのかな?」

まさつぐくん……これは遊びじゃないのよ、男と女のくんずほぐれつなラブゲームをいかにして解明するか、そういうことなの」

「血で血を洗うラブゲームとはな」

「一刻を争っているの雅継くん、早く乗って、そして抱き締めさせて」

「絶対青春の香りがしないよぉ……」

 しかしこの状況において俺以外が自転車を漕ぐという選択肢は無いに等しい……、諦めて俺は自転車に跨ると恐る恐るペダルへと足をかける。

「未来で待ってる」

「何で今それ言うの?」

 しかも言うとしたら北条じゃなくて俺だろ。

「にしたって俺も二人乗りをした経験なんてほとんどないからな……ちゃんと落ちないようにしっかりつかまっててくれよ」

「そんなの……当たり前じゃない、こんな機会絶対に逃さないんだか……らっ!」

「ふぐおっ……!?

 俺の腹部に北条の両手が回ってくるとガッチリと固定され、北条の顔と最強のお胸がぴったりと俺の背中へと張り付く。

 こ、これは……北条のことだからいかにも青春っぽく横向きに座ったり、立ったりするなんてのはまずしないと思っていたが……。

 学生の姿こそ見当たらないのでまだ安心ではあるが、普通に人の目についている状態ではあるせいか、か、かなり恥ずかしい……しかもさり気なく「雅継くんいい匂い……」って言いながら背中嗅がれてるし。

 しかし漕がないことには何も始まらないので、俺は漕ぎ出しの不安定さを我慢しながらゆっくりと前へと進み始めた。

「ど、どうだ……? 何かこう感じる所はあるか……?」

「二人乗りは初めての経験だけれど……とても不思議な気分ね、外でスキな人と一緒にいるっていうのはそれだけでうれしいのだけれど、やっぱり人目につくじゃない? 二人だけの世界にいられるならいいのだけれど、学生だとそうはいかないものだし」

「言われてみれば……付き合っている学生カップルって他の生徒にバレないようにこっそり付き合うものだもんな……」

「でも、自転車に乗っているとその感覚が無くなるの、人目につく状況なのは同じはずなのに、まるで二人だけの世界にいるような気分で──」

 そっか……それは実際にやってみないと分かりもしなかったな。

 歩くのとは違ってスピードがある分、周囲に目が行きにくくなるし、加えて風を切るからか周囲の音も遮られて余計な情報が入ってこなくなる。

 それでいて二人は自然に会話が出来るのだ──これは盲点だった、恋愛における二人乗りというのはただの青春イベントの一つとしか捉えていなかったが、こういった相乗効果があるだなんて。

「風が涼しくて心地いい……雅継くんと外で一緒にいられるなんてとても幸せ……もうずっとこのまま二人っきりで走り続けられたらいいのに」

「俺の筋繊維にもっと優しくして」

 いやこのやり取り前もしたような気がするんですけど、もうそこまでいったら青春じゃなくてスポ根になっちゃうからね?

 そんな相変わらずな会話を繰り広げながら折り返し地点の陸橋までたどり着くと、少し膨らむような形で半回転し、虎尾と龍田がいる場所まで戻っていく。

 そこでふと、思い出したことを北条にぶつけてみることにした。

「そういえば……龍田の前では北条の本来の感じ、見せていなかったと思うんだが、あの時にその……お、俺がスキだってこと龍田に言ったのか?」

 北条が俺のことをスキでいてくれているというのは取り立てて話す必要もないのだが、あくまでそれは俺と虎尾(多分も)だけが知っていることで、現代歴史文学研究会以外の場所で彼女はそういう素振りは一切見せないのである。

 理由は言うまでもない、そんな事実が学園中の知る所となれば大パニックになること必至だからだ、それこそ俺が今後の学園生活を安穏と送れる日など皆無になることぐらいは容易に想像出来てしまうほどに。

 有り難い話だが、だから虎尾だって、阿古だってそれをめつに口にすることはない、その優しさにはいつか恩を返さないといけないだろう、でも龍田は──

「そうね──はっきりと私の口からは言っていないけれど、多分彼女は私が雅継くんがスキってこと、気づいているかも」

「そ、そうか……えてどんな話をしたのかはかないけど、でも問題ないのか? 龍田は男女共に幅広く知り合いの多い、リア充中のリア充なんだぞ? そんなつもりがなかったとしても、何かの間違いで口を滑らすことだって──」

「ひかりさんがその程度の人なら、口を滑らすまでもなく、意図的にバラしてしまって周囲を混乱に陥れるでしょうね、でも彼女ならその心配はないわ」

「真面目なやつだからそう言いたいのは分かるが……」

「雅継くんだって薄々分かっている筈よ、例えばほら、彼女は私達と会う時に他の知り合いを無闇に連れてきたりしないでしょう?」

「言われてみれば……そうだな」

「自分で言うのも何だけれど、私と知り合いみたいな関係になった人は大概自分を大きく見せようとして私を見せびらかして自慢をしたがるものよ」

 圧倒的な美貌に頭脳めいせき、スポーツも万能で、何より財閥の令嬢……そんな子と顔見知りになればそういうこともしたくなる……か。

 北条も北条で色々大変なんだな……と少し彼女の過去を勝手にイメージしてしまっていると、北条は話を続ける。

「でも、彼女は一切それをしない、純粋に私達のことをおもってくれているのよ、現にこうして私達四人でいられているのが何よりの証拠」

 ……確かにもし龍田がそういう人間であるなら、そもそも体育祭の昼休憩の時に現代歴史文学研究会の扉を開けていたに違いない。

 ……いくらちょっと心配がよぎってしまったとはいえ。龍田をそういう風に思うのはちょっと失礼だったな。

「だから私はみーんなスキ、雅継くんはだーいスキ」

 俺にしがみついたまま、楽しそうな声でそう言う彼女は、その後何度も幸せという言葉を繰り返すものだから、俺はずっと気恥ずかしいまま自転車を漕いでしまっていた。

 北条にも、こんな子供っぽい所があるんだなと、思ったからだろうか。

 何だか不思議と、俺も青春をしているような、そんな気がした。


    ○


 それから。

 俺と北条は二人乗りをした結果感じたものをタブレットに箇条書きでしたため、どういったシーンで使えるかを四人で簡単に話し合った。

 その時の北条はまあじようぜつで、それがストーリーを作る上で大いに役立ってくれたのは良かったのだが、終始虎尾と龍田が怖い顔でほおを膨らませていたのは何だったのだろうか。

 ともあれ、無事一つ目のシチュエーション体験を終えた俺達は、藤ヶ丘高校へと向かい、体育館棟の裏へと来ていた。

 体育館棟とは言っても体育館自体は二階にあるという特殊な作りをしているので、正確には学食裏と言った方が正しいのだが。

 ともあれ砂地になっているその小さなスペースは普段は野球部のピッチャーが投球練習をする場所になっているのだが、今日は部活動が休みのせいかひとが全く無く、何ともそれらしい雰囲気を醸し出していた。

「あいこでしょ!」

「あいこでしょ!」

「あいこでしょ!」

 何でそうなるのか全く分からないあいこの応酬じゃんけんを除けば、だが。

「あいこでしょ──わ、わ! や、やった! 私だ!」

「そうみたいだな、それで……今度はどんなシチュエーションをするんだ?」

「はぁ……このシチュエーションを見れば言うまでもないでしょう」

「拳と拳で熱く語り合う……ではない……よな」

 そうなると残されるのはアレしかないのだが……いやー……そ、それはキツいな。

 二人の女子に見守られる中でソレをされるとなると、もし誰かに見られていたら異様過ぎて校内新聞号外レベルなんだが……だ、大丈夫なのか……?

「な、なあ流石さすがにこれはめておいた方が良くないか……? べ、別にここじゃなければ出来ないことじゃないしさ、ほらきょ、教室とかでも……」

「え────ま、雅継くんは、わ、私とはやりたくない……のかな……」

「いっ!? い、いやそういう話じゃなくて……」

 そんなあからさまにしよた顔をされると対応に困ってしまう、別に嫌とかそういうことではないんですよ? 嬉しいことに違いはないんだけども……。

「雅継くん、何度も言うようだけれどこれは遊びじゃないのよ、よりリアリティのあるストーリーを作るためなのだから、常に全力で、演技ではなくまるで本当に起こっているかのような気持ちでやるからこそ、真に見えてくるものがあるのよ」

「冷やかしなら帰ってくれますか」

「その言い方はおかしいだろ」

「あ、アハハ……あやさんも、裕美ちゃんも大丈夫だよ、私じゃ雅継くんにとって力不足なだけだから、ご、ごめんね……す、すぐに代わるから」

 いやいや待て待て、そんな言い方をされてしまったらどう考えても俺が悪いじゃないか……いくら恥ずかしいとはいえ龍田にそんな悲しい顔をさせてしまうのはあまりにも罪深い、笑顔でない龍田などいてはいけないのだ。

 それに──本来は部員ではないのにこんなに一生懸命取り組んでくれている彼女を無下にするような真似まねをしてはいけない、前にも龍田の気を悪くさせてしまったし、ここはちゃんと俺も向き合わねば。

「ひかり、ごめん!」

「えっ、そ、そんな、雅継くんが謝ることなんてないよ!」

「いや、これは俺がどう考えても悪い、ひかりだって現代歴史文学研究会を存続させる為にこんなに協力してくれているのに……それなのになんてことを──」

「あ……ま、雅継くん……そんな気にしなくたって……わ、私は──」

「いややって欲しいんだ、ちゃんと感じたこと素直に言葉にしてみせるから」

「ひかりさん、雅継くんもこう言っているから、やってあげてもらえるかしら?」

「お、俺はいつでも準備出来ているからな……」

「う、うん……わ、分かった……!」

 謝罪が通じてくれたのか、龍田は伏し目がちになっていた表情をくっと上げると、直立不動になっていた俺の近くへと歩み寄ってくる。

「う……」

 龍田はバレー部というだけあって実は意外に背が高い、しかしそれは実は彼女にとってコンプレックスらしく、普段は椅子に座って話をしたり、壁にもたれ掛かって膝を曲げたりしてわざと身長をしていることが多いのだ。

 そうは言ってもプロの選手程高いという訳でもない、多分身長はほとんど俺と変わらないぐらいなのであるが、見下ろすのでなく同じ目線で近くに立たれるというのは、何だか距離が妙に縮まったような感じがして緊張してしまう。

 龍田の顔は赤く染まっており、感情マークからも分かるように明らかに緊張している──しかしややあって龍田は右手を胸に当てると、こう言うのだった。


雅継先輩、卒業おめでとうございます」


────へ?」

 やだ、怖い、全くもつて予想してなかったパターンだから衝撃過ぎて声が出ない。

 え? まさかのそのシチュエーションだったの? こういう状況になったら普通はもう告白とかそういうのじゃないの?

 いや間違ってはないんだけどさ……青春の香り漂う恋愛では定番とも言えるんだけども、急に先輩扱いは心の準備が出来ていないって……。

 しかもこんなクソ暑い、木々が青々と茂る季節になんて合ってないにも程が……。

 だが龍田はもう気持ちを込めて演技に入り込んでいる様子……俺がヘラヘラしていてはまた彼女を傷つけてしまうことに……こ、ここはやるしかないか……。

「お、おおう、ああ……ありがとな龍田……」

「……先輩どうしたんですか? いつも私のことひかりって呼んでくれるのに……も、もしかして──」

 あ、そういう奴なのね、実は遠くで先輩の活躍を見てました的な関係性じゃないのね、ごめんなさいちょっと病んでる顔にならないで下さい。

「あ、い、いや、ち、違うんだひかり……そういうのじゃなくてな──」

「で、でもそうですよね……先輩あの人といつも仲がいいから……まぶしいぐらいれいな人だし私なんかじゃ全然……」

 ええ……まあまあ重い展開なんですけど……お願いだから実はその美人先輩を既に刺殺済みでここに来ているとかいう猟奇パターンは止めて下さいよ?

「そ、そんなことはないぜひかり、お前だって可愛かわいいじゃないか」

「かっ……!? か、かわかわかわ……」

「? そ、それにいつも練習の時、マネージャーとして誰よりも一生懸命動いている姿、俺はずっと見てたからな」

 ……い、いやこれはおかしい、完全に二股をかけにいっているクズ先輩ではないか、ただ下手に振るような展開にしてしまうと龍田に刺されてバッドエンドみたいな気配もあるし……え? ヤバくない? 詰んでるよねこれ?

「え……? 先輩私のこと見ていてくれたんですね……う、うれしい──」

「あ、当たり前だろ……部員の為に毎日朝練から顔を出して、掃除から準備までしっかりやるし、空気を乱さないようコミュニケーションも欠かさない……お前みたいな奴は俺がこの部に入って初めてだったよ、本当に誇らしい後輩だ」

「せ、先輩……」

 赤くなった顔を両手で覆って、うつむいてしまう龍田。

 ……ただストーリーを作る為だけならもっと気楽な感じでいいと思うのに、まさかここまで役に入り込んで真剣にやってくれるとは……。

「ひかり……卒業したからってもう会えなくなる訳じゃないんだ、いつでも連絡してきてくれてもいいし、何なら俺もまた部活に顔を出すから、その時はまた、いつもの、お前らしい笑顔で、話しかけてくれないか?」

「は、はい! もちろんです! あ、あの、それで先輩──」

「どうした?」

「ひ、一つだけわがままを言ってもいいですか?」

「うん……? いいぞ、最後に何でも受け止めてやる」

「あ、ありがとうございます……! で、では──」

 俺も少し、シチュエーションに酔っていたのもあったが。

 龍田のお願いに軽々しく応えた瞬間、突如俺の胸ぐらに手が伸びてくる。

「え?」

 まさかのここからの大逆転死亡展開だったのかと、完全に思考が停止してしまっていると、龍田は胸ぐらよりはやや下付近に手を持っていき、そしてぐっとシャツをつかむ。

 その手は、明らかに俺の第二ボタンに掛けられていた。

 しかし。

「んっ……! あ、あれ……と、取れないよ……う、うんしょ……うんしょ……!

 ……摑み所が悪いのだろうか、全く以て第二ボタンが取れる気配がない。

「あ、あの……ひ、ひかりさん……?」

「ま、待って下さいね……これが取れたら……私は先輩を……ん……んんー!」

 龍田の必死な顔がちょっと可愛らしくもあったが、もうシチュエーションとしては尻切れトンボになってしまっている気がする……このままだと制服引き千切られるし。

「きゃっ!」

 そんな龍田を止めにかかろうとした時、全力で引っ張っていたせいか勢いよくはじけ飛んでしまったボタンと一緒に、龍田が後ろ向きに倒れそうになる。

「おっと!」

 前に体育祭の二人三脚の時に北条をさせずに済んだ経験がきたのか、反射的に反応の出来た俺は龍田との距離を詰め、左手で彼女の背中を支えることに成功する。

 しかし力が強過ぎたせいか、自分も身体からだが少し前のめりになってしまい──変に俺が龍田を抱き寄せるような形になってしまう。

「あ……危なかった、大丈夫か?」

「う、うん……あ、ありがとう……雅継くん……あっ──」

「へ? あ……ご、ごめん……近過ぎたよな……」

「そ、そそんなこと……そ、それより雅継くんのボタンが……」

「あ、ああ……気にしなくていいよ、それだけ演技に夢中だったってことだろ」

「あう……」

「はーいカット、そこまででありますよー」

 そんな様子を見ていた虎尾が何とも不機嫌そうな表情で間に割って入ってくると、龍田の肩を摑んでぐいぐいと俺から遠ざけていく。

「あっ、ゆ、裕美ちゃん……」

「まあ最後の部分は如何いかがなものかとは思いますが、それまでの演技は中々良かったのではないでありましょうか、少し特殊な感じは否めませんでしたが……」

 虎尾の言う通り、まさか龍田にそんな秘めたる才能があったとは思ってもみなかった、ボタンは大いに犠牲になったが、これは後日に縫い直して貰うとしよう。

「でもそうね……実際ストーリーを作り込む上で良い参考になったんじゃないかしら、かなわぬ恋にあらがうようにして、積もり積もったおもいを伝えるという展開、即興にしてはかなりよかったと思うわよ」

「ほ、本当……? あ、ありがとう朱雀さん」

「意外に病んでいそうなキャラクターは需要がありますからな……真正面から抱きしめるように刺せば完璧でありましたな」

「何でそんなバイオレンスにするの……」

「いずれにせよメインヒロインとして軸を置くキャラに加えて、こういうサブヒロインがいても悪くないかもしれないわね、リアルな心情を上手うまく反映出来そうだわ」

「えっと、ま、雅継くんはどうだったかな……?」

 龍田が少し心配そうな面持ちで、俺に問いかけてくる。

 ううん……そっくりそのまま反映させてしまうと、色々問題のあるヒロインになってしまいそうだから修正は必要かもしれないが……対抗しうる存在としてそういう子がいるというのはストーリーに緊張感が出るしな。

「うん、かなり良かったと思うぞ、ひかりのお陰でうまく差別化を図れそうだしな」

「ほ、本当に! よ、良かったぁ……」

 あんの表情を見せ、笑顔になる龍田、やはり体育会系ということもあるからか、暑さでにじむ汗に笑顔がよく似合うもので、少しドキっとする。

「本来は部員じゃないのに、色々頑張ってくれてありがとな」

「そ、そんなことないよ、私の方こそ普段は部活があるから、こういう休みの時しか協力出来なくてごめんね」

「さあさあ、お二人共、後がつかえておりますのでサクサク進めていくでありますよ!」

「──ま、真の目的はここで雅継くんをとせるかどうか、という所にかかっていたのだけれど、ひかりさんはここで脱落のようね」

「えっ!?


    ○


「……あれ? もしかして雅継くん?」

 そんな具合で、やけに疲労感が増しつつある青春ごっこはなおも続き、暑さで飲み物が手放せない中、北条が準備している次の場所へと向かっていると一人の生徒に出くわしてしまう。

「んん……? も、もしかしてにゆうどうやまか? な、何でこんな所に──」

「僕は大会が近いから、一人で練習をしてて──」

 しまった。

 夏休みに加えて今日は休日ということもあったので、学校にはほとんど生徒はいないものとして行動していたのが災いしてしまった……。

 まさかよりにもよって入道山と鉢合わせしてしまうとは……。

 虎尾、龍田は問題ないにしても、北条と一緒にいる姿を見られるのは非常にまずいというのに……ど、どう言い訳をしたらいいんだ……。

 想定外の状況に頭が回らず、焦って声が出ないでいると、横にいた北条が突如すっと進み出て、入道山の前に立ち塞がるのであった。

「あ──お、おい北条──」

「初めまして入道山さん、北条朱雀っていいます」

「えっ、あっ、は、初めまして……って言うべきなのかな……?」

「もしかして、私のこと知ってくれているのかしら?」

「知っているも何も、北条さんを知らない人なんていないと思うけど……」

 何やら俺達と少し距離を置いて親しげに入道山に話しかけていく北条。

「えっと……雅継くん、あの子って確か体育祭の時の──」

「俺が最後の水泳競技でデッドヒートを繰り広げた生徒だな、あの時はかなり調子が悪かったらしくて奇跡的に俺が勝つことが出来たけど、本来は普通に実力者だよ」

「ほー……あの子がオペレー──いえ、その時の……どう見てもおなごにしか見えないのでありますが、ちゃ、ちゃんと付いているのでありますよね?」

「ああ、大天使ウリエルの生まれ変わりとも言われている」

「は?」

 しかし今は水泳どうこうで解決するような状態では全くない……それに北条は入道山の俺に対する好感度が80%ということも知らないし……どうするつもりなんだ……?

「体育祭の時あなたの泳ぎ見させてもらったわ、少し動きが悪いように見えたけれど」

「あ、やっぱり北条さんにはバレちゃうんだね……あの時はスランプ気味で……でもあの試合のお陰で色々吹っ切れたというか、今はかなり調子が良いよ」

「それは良かったわ──ちなみになのだけれど、水泳は昔からやっているのかしら?」

「うん、ずっと地元のスクールで、中学までは選手コースで頑張ってたんだけど、あんまりタイムが伸びなくて今は藤ヶ丘高校で、って感じかな」

「そういうことだったのね──じゃあ一つきたいことがあるのだけれど」

「?」

 北条は何やら入道山の耳元に顔を寄せ、俺達には聞こえない声で何かを話し始める。

 北条が水泳経験者で、全国大会の常連だったという話は今や誰もが知る所で、それを今更言う意味はないし……、何なら入道山なら当然知っていておかしくない話ではあるのだが……そこから会話の糸口でも見つけたのだろうか。

 なんて思いながら二人の様子を見守っていると──突如入道山の顔が真っ赤になって北条の方を振り向いたではないか。

「えええっ!? ほ、北条さんどうして──」

「しー……、やっぱりそうだったのね、良い秘密を聞かせて貰ったわ」

「ううう……そんなぁ……」

「何だか入道山さん狼狽うろたえているみたいだけど……どうしたのかな?」

「北条殿のことですから、また華麗に弱みを握ったのではないかと……」

 何だ何だ……? 見えにくいが感情ゲージからも入道山が動揺してしまっているのは何となく分かるが……それに秘密って──?

「安心して頂戴入道山さん、決して言いふらすような真似まねはしないわ、ただ入道山さんには今日見たことは誰にも言わないで欲しいのと──もう一つお願いごとがあるの」

「そ、それは全然いいんだけど……も、もう一つって……?」

 北条に主導権を握られてしまった入道山は、恐る恐る彼女にそう尋ねる。

 すると北条は、優しくも、怖くもある笑顔を見せて、こう言うのだった。

「ふふ──皆にとって、とても幸せなことよ」


    ○


「んっ……やっぱり夏はこうでなきゃ、気持ちいいわね……」

「うう……これは確かにシチュエーション候補に上がっていましたが……」

「じゅ、準備はしてたけど……まさか本当にすることになるなんて……」

「僕、競泳水着しか持ってきてないよ……」

 ホワットイズディス。

 一体誰がこんな展開になるということを予想していただろうか。

 いや、決して、何も間違ってはいないのだ、恋愛青春イベント夏の陣において避けて通る方が無礼とも言える三大イベントの一つ。

 それがまさか、あのオペレーションMの最大の関門として立ち塞がった、藤ヶ丘高校のプールで行われるなど、想像がつくはずもあるまい。

 何が起きたのかもうお分かりであろう、そう、北条が一人で練習をしていた入道山を懐柔し、全員を学校プールへと連れてきてしまったのである。

 実際にプールに行こうと思えば、近場では子供向けの市民プールしかないし、よりまともなモノを求めると遠出をして大阪まで出ていかないといけない、海ともなれば一日を潰さないといけなくなるのでそれも難しい。

 けれど、こんな近所にプールは存在していたのだ。しかも青春ポイントも高い、既に水が張っているので出来ないが、プール掃除なんてのはまさにその王道と言えよう。

「だが…………

 俺にとっては目の前にある光景があまりに刺激的で全く落ち着かない。

 何故なぜか? 言うまでもない、北条と虎尾と龍田が、スクール水着ではない、完全なるビキニ姿でプールサイドに立っているからだ。

 まずは少し派手めな、赤を基調に花柄の模様がプリントされた三角ビキニを着用し恥ずかしそうにする龍田。

 健康的な素肌がこれ見よがしに解き放たれ、バレー部で培われた程よい筋肉と、それに相反するバストが、派手目な水着と相まって素晴らしい相乗効果を生んでいる、かつてこれ程までに健康的であることが暴力的と思った日はあっただろうか、ハラショーという言葉は彼女のために生まれてきたと言っても過言ではない。

 そして次は、青と白を織り交ぜた、上はビキニに、下はショートパンツという意外な組み合わせをし、北条と龍田の後ろで尻込みをしている虎尾。

 こんなことを口にしたら虎尾に泣かれるかもしれないが、龍田に反して不健康そうな肌に、少しおたるみになっているお肉、そして隠していたナイフが姿を現したかのような破壊力満点なお胸の三重奏を、不釣り合いにおしやな水着でカバーするというのが……妙な背徳感を生んでしまっており……ひ、非常に良い。

 最後は黒のホルタービキニを着用してやたら俺を誘惑してくる北条……。

 水着を着せたら右に出る者はいない、目にした者の全ての五感を奪うパーフェクトボディ──体育祭の競泳水着もそうだったが、身体からだのラインが明確に分かってしまう物を着ると彼女の魅力が何十倍にも増幅されてしまう、これがグラビアならきっと悩殺の文字がリオのカーニバルのごとく踊り狂うことだろう。

「──って、何を詳細に解説しているんだ俺は……」

 こんなの駄目だろ……見れば見るほど熱中症になったかと勘違いしそうになるほど頭がボーっとしてくる、何でこうそろいも揃ってけしからんおっぱいを……。

 何なら隅っこで競泳水着(女子用)を着用してもじもじしている入道山までいいあんばいで存在してしまっているものだから、俺の脳みそは完全に処理落ち状態である。

 余談だが俺は当然何をするのかということは聞かされていなかったので、体操服ズボンを水着代わりにして使うという非常に残念な状況。

「実はこんなことも出来ればと思って、虎尾さんとひかりさんの三人で水着を買いに行ってたのだけれど……ねえ……雅継くんどう? 似合うかしら?」

「そ、そうだな……とても……いいと……おもいま……すぅ……」

「四人の中だったら誰が一番可愛かわいくてエッチだと思う?」

「えっ、ぼ、僕も入ってるの!?

「当たり前じゃない、入道山さんの競泳水着だって私は悪くないと思うわよ」

「え──そ、そうかな……」

 北条の言葉に隅っこで縮こまっていた入道山が少し照れた顔をする。

 グッド。

 いや、そんなことを言っている場合ではなくて……。

「あ、あのさ……選ぶのとかそういうのはめようぜ……? これはあくまでストーリーを作る一環であって優劣を決めるっていうのは……」

「で、でもね! 皆それぞれ個性はあるから……雅継くんが一番好みな水着は……あ、あると思うんだけど……」

「ひ、ひかり……」

「ちゃ、ちゃんとした水着など小学生の頃以来ですので……こ、これでも一生懸命調べて買わせて貰ったのでありますが……」

「と、虎尾まで……」

「雅継くんが喜んでくれると思って、真剣に悩んで勝負水着を選んだのよ、ねえ雅継くんもっと私を見て……」

「そ、そう言われてもだな……」

 俺からしたらどれも最高に決まっているではないか……俺の中に自制心という言葉が存在していなければ今頃交番直行の変態顔になっているに違いない。

 そもそも彼女達のポテンシャルというのはこんな辺境の田舎高校に収まっていていいものではないのである、個性に違いこそあれど、辿たどり着く場所は『可愛い』の一言のみ。

 故に皆違って皆良い……それを選んでしまえば俺はバチが当たってしまう……。

「ま、雅継くん……どう……?」

「ど、どうでありますか? 雅継殿……」

「ぼ、僕は競泳水着だけど……」

「雅継くんの胸筋をめたい」

「一人だけ欲望に忠実」

 そ、それはいいんだが……いや良くないんだけども、何で皆さんじりじりと近づいてきているんですかね……? 心なしか好感度も上がっている気がするし……。

 くそったれ……ずっと炎天下にいるせいで思考力も弱まっているというのに……しかもこのままだと北条が暑さを理由に何をしでかすか……こ、ここは一旦逃げ──

「あ」

 かつにも、後ろを注意しないで後ずさりしていたのが悪いのだが、見事に足を踏み外してしまった俺は、そのまま背中からプールへ落ちてしまいそうになる。

「危ない!」

 瞬間的に北条と龍田が反応し、俺の手をつかんでくれるが時既に遅し、その頃には俺の重心は後ろに傾いてしまっており、連鎖的にというか、まあそうなるよなという感じで、俺に引っ張られた二人もそのままプールへと落ちてしまうのであった。

「ぷはっ! び、ビックリした……ま、雅継くん! 大丈夫!?

「あ、ああ……平気だよ、背中から落ちたからちょっと痛いけど」

「た、大変、息をしていないわ……今すぐ人工呼吸をしなきゃ……ん──」

「人の話聞いてました?」

「わー冷たい! でも今日はずっと暑かったからすごく気持ちいいよ!」

 北条のキッス攻撃に全力で抵抗していると、冷たい水の中に入って思わずテンションが上がってしまった龍田が、北条に向かって「えいえいっ」と水をすくって掛け始める。

「ちょ、ちょっとひかりさん……」

「えへへ! 今度は水鉄砲攻撃だよ!」

「や、やったわね……お返しよ!」

「あはは! つめたーい!」

「ほ、本当は飛び込んじゃ駄目なんだけど……よーし……じゃあ僕も、えいっ!」

 ザバーンと、勢いよく飛び込んだ入道山が大きな水しぶきを立て、またそれが北条と龍田にかかり大きな笑い声へと変わっていく。

 まさにせきを切ったように皆が楽しみだしてしまった、まあ……この所ずっと暑かったからな……そんな中でずっとストーリーを作るために奔走していたから、たまにはこれぐらいの息抜きをしても悪くはないだろう。

 こういう遊びを通して何か良いアイデアが浮かぶかもしれないし、と三人が泳いだり、水を掛け合ったりして楽しんでいる姿を遠目に眺めていると、ふと、虎尾がその場におらずプールサイドで日傘をさして座っていることに気づく。

 感情マークを見ると少し不安そうにも見えたので、俺はさっとプールサイドに上がると、虎尾のそばに近づく。

「虎尾どうしたんだ? 一緒に泳がないのか?」

「えっ、あ、いやなんと言いますか……その──」

「?」

 やけにもじもじした顔をして、何か言いよどんでいる様子の虎尾。

 もしかして虎尾だけ恋愛シチュエーションをやっていないから、心配になっているのだろうか、確かに色々とアイデアを出し合っているけど、直接絵に描き出すのは虎尾だもんな……そのせいで、ほんの少しでも遊んでいる気持ちの余裕が無いのかもしれない。

 そうとなれば……俺が役に立つかは分からないが、置いてあるタオルで身体に付いた水を簡単に拭き取ると、虎尾の傘の中に入ってみることにする。

!? はわわわわわわわわわわわわわわ……!? ま、雅継殿、な、なな何を……」

「ほら、こうしてみると相合い傘っぽいだろ、水着なのはちょっとおかしいけど」

「あ、あいあい……? 相合い!?

「あれ? ち、違ったか……? 虎尾だけストーリー作りの為の経験をしていないからちょっと不安になっているかと思って──」

「そ、そそそんなことは……あ、あるにはありますけども……」

 肯定的な返事をしてくれたが、虎尾は三角座りをより縮こまらせて、うつむいてしまう。

 耳まで真っ赤になってしまっているが大丈夫なのだろうか……熱中症──なんてことはなさそうだが……。

 えず虎尾が握っていた傘が倒れそうになってしまっていたのでそれを受け止めると、角度を戻して影へと虎尾を潜ませる。

「──今思ったんだけどさ、相合い傘も多分、自転車の二人乗りに似てるんだろうな」

「……? ど、どうしてでありますか……?」

「今日は雨が降ってないからさ、分からないかもしれないけど多分小さな空間に二人だけな気分になるんだよ、外のけんそうは雨音にき消されて、でも二人の声だけは聞こえるんだ」

「言われてみれば……」

「でも自転車と違ってお互いの顔を見ることが出来る、もしかしたら相合い傘こそ一番特別な青春シチュエーションなのかもしれない」

「と、特別……ま、雅継殿と──」

 空を見上げると吸い込まれそうなぐらい青々とした夏空が広がっていたが、巨大な入道雲が、徐々に青の面積を狭め始めていた。

「あちいな……通り雨──降ってくれれば良かったのに」


「そうなったら──私はずっと、雅継殿と一緒にいられるでありますか?」


「え?」

 思わず虎尾の方を振り向くと、彼女はかすかに笑ってこっちを見ていた、その姿が何だかやけに可愛くて息をんでしまう。

「え、えっと……そ、そういうことになるの……かもな」

────……えっ、あっ、はっ、え、ええと今のは何と言いますか……」

 シチュエーションを盛り上げるつもりだったのだとは思うが、虎尾も自分で言って恥ずかしくなってしまったのか、みるみる内に顔が真っ赤に染まり上がってしまう。

「あ、あはは……あ、今日は凄く暑いでありますな……な、何というしやくねつ地獄」

「あ、暑いのはそうだと思うが……と、虎尾……?」

「も、もももうこれは我慢が出来ぬ暑さですよ! そ、早急に私も泳がねば!」

「あ、お、おい!」

 よく見るといつの間にか好感度も83%まで急上昇し、感情マークもパニック状態になってしまっていた虎尾はそのままプールへと飛び込んで行ってしまう。

 随分と派手に水の中に入って行ったけど、はしていないだろうか……。

 そう思いながら虎尾の様子を見ていたが、中々水面に出てくる気配がない。

「……虎尾?──まさか」

 ──いくら待っても出てこないので、ようやく虎尾が溺れているのだと気づく。

「おいおい……プールに入ろうとしなかったのってそういうことかよ……!」

 俺は勢いよく飛び出すとプールへと飛び込み、ゴーグルをしていなかったので視界がボヤけてしまっていたが、プールの底でいている虎尾を見つけ、腕を摑んで引っ張りあげる。

「ふうっ……おい虎尾、大丈夫か?」

「ぷはっ! わ、わわ! 雅継殿! 雅継殿!」

「落ち着け、怖がらなくても溺れるような深さじゃない、プールってのは中央が深くて端っこは浅い作りになってるから足を伸ばせば普通につ──むぐっ!」

 まさに溺れた人間はわらにもすがる、という感じなのだが、パニックになってしまっている虎尾を諭そうとしてもそれは無理があるというもので。

 虎尾はすぐ横にはしの手すりがあるというのに、俺に抱きついてきてしまう。

「なな……ちょ……!

「う、ううう……」

「お、おう……悪い悪い、怖かったな、でももう安心していいから」

 虎尾の背中をぽんぽんとたたいて落ち着かせていると、そういえば昔あいにも同じようなことをしたな……ということを思い出す、今となっては俺が助けられる側のとんでもないスイマーと化してしまったのだが。

 しかしそれでも恐怖が勝ってしまっているのだろう、虎尾は俺にピッタリとくっついて離れようとしない……ちょ、ちょっとこれは……布一枚を隔てただけの状態で豊満なアレが当たってしまうというのは……お、おうふ、中々の攻撃力が……。

 と。

 ふと猛烈な視線を感じて右へと目を傾けると、さっきまであれだけ楽しそうに遊んでいた北条と龍田と入道山が、至近距離まで来てこっちを見ているではないか。

「……いや、無言で見てないで助けてくれよ」

「何で私カナヅチじゃなかったんだろう……」

「……ひかりさん?」

「あ、ああ~……足がって身動きが~、雅継くん助けて~」

「三人の中だとお前の演技が一番ヘタクソだな──って! お、おい! 北条……この状態で俺にしがみつくのはや、めて……」

「うー……あ、朱雀さんずるい……」

「い……いいなあ……」

「いや……ひかりも入道山も見てないで助け……し、沈む……」

「わ、わわわ! 雅継殿! 私を置いて沈没しないで下され~!」

 誰がタイタニック号やねん。

 とまあ。

 そんな具合で俺は無事虎尾を龍田に預けた後、北条という名のジョーズに沈められてしまった訳なのであるが(入道山にはただただ申し訳無さしかない)。

 一見するとはや遊んでいるようにしか見えない青春恋愛ごっこも、様々な方向性、観点でやってみると思いの外想像だけでは分からないことも多くあったもので。

 お陰でお互いに直感で思ったことや、こういう風にすればもっと良いのではないかという、活発な意見が飛び交うようになり、ストーリー制作は大幅に進むようになった。

 そこから。

 龍田の幅広い人脈を駆使して、自分達以外の生徒からも恋愛に関する情報を多く仕入れることに成功し、それを参考により厚みのある物語を仕上げていく。

 虎尾の素晴らしいキャラクターデザイン力もあり、漫画を作っているという実感が一層湧いてきた俺達は虎尾の足を引っ張らないよう、ストーリー制作の傍ら、懸命に漫画作りの基礎練習を続けた。

 そんな日々が数日間続き、ようやくストーリーも完成することとなった。

 タイトルは『スキとキライは紙一重』。

 一人の主人公を巡って、四人のヒロインの思惑が交錯する、王道でありながらも女の子の心情をリアルに描いた青春モノの作品である。

 虎尾が決めたそのタイトルを実際に見ると、うれしさのあまり何とも言えない感慨深さに浸ってしまうのであったが。

 同時に、必ずやり遂げ、現代歴史文学研究会を存続させるのだという気持ちが全員に満ちあふれ、より一層、ペンが進んだように思えた。

 授業もなく毎日現代歴史文学研究会に通う日々は、中々に大変ではあったが笑顔が絶えることはなく、それが俺にとって初めて青春を味わった時間のようにも思えた。

 だからこそ、絶対にコンテストの応募に間に合わせ、今度こそ生徒会に、そして阿古りゆうに目にもの見せてやるのだと誰もが意気込んでいたに違いないだろう。

 まさに一致団結、目指すべきは受賞の二文字、それだけである。


 だが。


 まさかあんなことが起ころうとは、この時の俺達は知る由もないのだった。