二限目 順調な時で無くとも危機は訪れる




「うーん、認められないかな」


 りゆうは相も変わらず憎たらしいぐらいに澄ました顔でそう言った。

 我らが二年三組の委員長にして、生徒会の副会長、教師陣さえも首を縦に振らせてしまう程の説得力のある言葉を発し、生徒でありながらふじおか高校を強権的に改革した、まさに将来は政治家間違いなしの黒髪ロングの女である。

 俺に対する好感度は60%と比較的悪くない数値を持っているが、感情マークは常に何かをたくらんでいる顔をしており、正確な素性はうかがえない。

 ただ一つ言えることは彼女は現代歴史文学研究会を廃部に追いやろうとし、そして今もなお俺達が存続の為に奔走している原因を作った張本人である。

「待ってくれよ、確かに体育祭の時は物言いを付けられる内容だったかもしれないし、それでも保留にしてくれたことには感謝しているけど、今回はちゃんと同好会の方針に沿った内容なはずだし、文句を言われる筋合いは無いと思うんだが」

「申請の手順に不備はないし、何よりこれに関しては体育会系も文化系も関係はなかった筈よ、それでも認められないというなら理由を教えて貰えるかしら」

「阿古氏、私達は現代歴史文学研究会を存続させたい、それだけなのでありますよ!」

「そんなに詰め寄らなくても分かってるよ、でもねえ……」

 くそ……現状俺達が出来ることはとらの才能をかし、漫画を作って結果を出す、それしかないというのに、またしても阿古に阻まれようとは……。

 しかし俺達だってそう簡単にはいそうですかと引き下がる訳にはいかない、残された時間を最大限使う為には何としても認めて貰わないといけないのだ。

 と、阿古と熱き火花を散らす俺達であったが。

 そもそも何故なぜ俺達がまだコンテストで結果を残してもいないのに生徒会に訪れこんな状況になっているのかと言えば、それは数十分前に遡る。


    ○


「そういえば、漫画ってどうやって作るんだ?」

 現代歴史文学研究会存続の為に、漫画を制作しようと決まった次の日。

 今日も今日とて現代歴史文学研究会で時間を過ごし、具体的な役割分担を決めつつ進行スケジュールを考えていた時に、俺はふとそんなことを口にしてしまう。

「はい? また随分とアバウトなご質問でありますな……」

「いや、簡単な流れみたいなのは分かるんだけどさ、頭で考えるのと実際にやってみるのとではちょっと話が変わってくるだろ?」

まさつぐくんの匂いを手で仰いで嗅ぐのと、直で嗅ぐのとは脳への刺激が違うものね」

「アンモニア嗅ぐ時みたいなことしないでくれます?」

「……ふむ、まあ言われてみればそうでありますな、では簡単に説明しますけど、まずはストーリーを作る、それは分かりますよね?」

「それがなきゃ始まらないからな」

「あくまで私がやる時ではありますが、まずは大まかな流れをテキストに書き起こして、そこから可能な限り詳しく舞台設定を作り込んでいきまする」

「そういうのもイラストに起こしてみたりするのかしら?」

「する時もありますが、私は世界観が必要なファンタジーでなければ、基本はキャラクター作りだけでありますね、それもお見せしましょう」

 向かいに座っていた虎尾は立ち上がると、液晶タブレットの置いてあるハイスペックパソコンの前へと移動したので、俺とほうじようもその後に続いて横に座る。

「ま、雅継殿にまじまじと見られるのは初めてなので少し緊張しますな……」

「虎尾の実力は言うまでもないんだし、あんまり気負わずに描いてくれればいいよ、あくまで参考までにだしな」

「か、簡単に言ってくれますな……で、では──」

 話をしながらソフトを立ち上げた虎尾はペンを持つとタブレットに描き込み始める。

 簡単に下描きを済ませ構図が出来上がると、そこに線を入れ始め、短時間でみるみる内に可愛らしい女子高生が姿を現す。

「お、おお……」

「ちょ、ちょっと雅継殿……ち、近いでありますよ……」

「え、あ、ああすまん、つい夢中になってしまって」

 邪魔になっては悪いので少し離れると、虎尾は呼吸を整えてまたペンを走らせる。

 そこから十分ぐらいだろうか、虎尾の技術力の高さがせる業に違いはないが、あっという間に学園のアイドルのような可愛らしい女の子が出来上がるのだった。

「ふう……ざっとこんな感じでありますな、ここから少し修正を入れたり、塗りの作業もするともっと時間はかかりますが、おおまかなキャラ設定であればこんなものでしょう」

「すげえ……このクオリティをこんな短時間で……やっぱり虎尾はすごいよ、天才だ」

「え、そ、そうでありますか……?」

 俺の言葉にやけに照れた表情で頭をく虎尾。

 そういえば虎尾のこういう姿って、現代歴史文学研究会に入ってから当たり前になり過ぎてしまっていて、ちゃんと言葉にして言ったことがなかったな。

 どれだけ上手うまくなっても人に褒められるのはいつだってうれしいもんだし、虎尾の気分を盛り上げる為にも、積極的に伝えるようにした方がいいかもしれない。

「是非他の絵も見てみたいわ、過去に描いた作品は残っているのかしら虎尾さん」

もちろんでありますよ、ちょっとお待ち下され……ほら、これとか、これとか」

 上機嫌になった虎尾は過去に描いた作品を続々と見せてくれる、ジャンルは様々だが、どれもいち高校生が描いたとは思えないほどよく出来ている────おや?


「あら、このイラスト……何だか雅継くんと虎尾さんに似てないかしら……」


「はえ? 北条殿何を急に──────────っっっっっっっっっ!!??!!??

 唐突に画面の中に現れた、並んで立っている二人の男女、二次元と三次元の違いはあるものの、北条の言う通り何処どことなく俺と虎尾に似ている気も……。

 北条の発言に虎尾は、突然頭から煙が出てきそうになるぐらい顔を真っ赤にさせ、感情マークもぐるぐるとまいを起こしたかのような表情になってしまう。

「はわっ!? はっ……こ、これは……な、なななんと言いますか……そう! 三次元の人間を二次元のキャラクターに落とし込む練習みたいなものでありますよ! 特徴を捉えて描くというのは大事な要素でありますからね! 逆にそれ以外の理由で雅継殿を描く理由なんてありますでしょうかねえ! 私には分かりませぬなあ! あはははは!」

 猛烈に早口で言っているがおおむね言っていることは分からないでもない、実際練習をすることでスキルが上がりそうだし、そういうことなら──

 なんて思っていると、何やら北条が虎尾の耳元まで顔を近づけているではないか。

「……虎尾さん」

「な、なな何でありましょうか……」

手を繫いでいるのはどういうことかしら

!?

 北条が俺には聞こえにくい声で虎尾に何かを言った途端、虎尾がまるで元から何もなかったのではないかと思わせる速度で、一瞬で画像を消してしまう。

「あれ? おい消しちゃうのか、ちやちや俺がかついい仕上がりになってたから正直一枚欲しいと思ってたのに……」

「な、何を言っているでありますか! そんな簡単に人から絵を恵んでもらおうなんて、そんなずうずうしいこと間違っても言うものではありませぬぞ!」

「え……あ、す、すいません……」

「ふうん……それにしてもそういう手があったなんて……まさに虎尾さんならではね……私も本気でイラストの勉強をしてみようかしら……そしたら雅継くんとあんなことやこんなことが好き放題に──」

「ぬああああああああああん! そ、そんなの絶対駄目でありますよ北条殿ぉ!」

「きゃっ! と、虎尾さん……! わ、分かったから……! お願いだから脇腹にしがみつくのはめて……くっ、くすぐったい……んっ……い、いや駄目……」

 どうやら北条が虎尾に言った言葉が大分お気に召さなかったらしく、虎尾お得意の泣き落とし攻撃に北条も大分苦しんでいるようであった。

 うむ……何というか、見ていて実に微笑ほほえましい光景である、そして北条の弱点は脇腹であることが分かったのは大きな収穫だな。

 じゃなくて。

 このままではらちが明かないので俺は虎尾のそばに駆け寄ると、どうどうと落ち着かせる。

「うう……」

 すると瞳を潤ませた虎尾が俺の方を上目遣いでじっと見つめてくる、それがやけに心をくすぐられる表情で、思わず息をんでしまった。

「ま、雅継殿はさっきの全部見ていませぬよね……?」

「え? ええと……顔があまりにもよく似ていたからそっちにしか目が行ってなかったけども……それがどうかしたのか?」

「あ──い、いえ、そ、それなら……な、何も問題はないで……ありますよ……」

「?」

 そのまま思ったことを言っただけだったのだが、あれだけ混乱していた感情マークが急激に落ち着きを取り戻し、やけに疲れた表情でパイプ椅子へと座り込む。

 漫画制作に向けて話し合っていただけの筈なのに、何でこんな長距離を走った後みたいな雰囲気になってんだよ……いい加減話を戻さなければ。

「……と、かく、虎尾にこれだけのスキルがあるのは、俺達にとってかなり有利であるのに違いはない、ただそれを差し引いても時間が限られているのは他ならぬ事実だ」

「それは……そうね……、ただこんなことを言うのは失礼かもしれないけれど、虎尾さんは一通り漫画を描いたことはあるのかしら?」

「? それは応募要項にあるぐらいのページ数を、ということでありますか?」

「それもあるのだけれど、ほら応募要項にはアナログしか受け付けていないと書いてあるじゃない? デジタルとでは少し勝手が違うんじゃないかと思って」

「私はデジタルのイラストメインで描いておりますので、そちらの心配をされるのはもつともでありますが、勿論アナログの経験も豊富なので大丈夫でありますよ」

 その点は俺も虎尾が原稿用紙を使って漫画を描いている所を見たことがあるので心配はない、速度も十分速かった記憶がある。

 好きなことをやらせれば右に出るやつはそうそういない、それが虎尾なのだ。

「どちらかといえば注意するべきなのは虎尾に任せっきりにならないようにすることだな、あくまで俺達三人が参加している形でないと、また生徒会に難癖をつけられてしまう」

「そうなりますと……やはり役割分担は必須でありますな」

「ネーム、下描き、ペン入れまでは全て虎尾に任せるとして……、ベタ、トーン、ホワイトを俺と北条が行う流れにするしかないだろうな」

「恐らくそれを加味しても、私の方が先に作業は終わるでしょうから、手が空きましたら手伝えるような体制にしておきましょう」

「そうなると……大体どのくらいの期間で終われそうだ?」

「ううん……」

 虎尾は顎に手を置いて考えるような素振りを見せると、難しい顔のまま口を開いた。

もろもろを考えると一ヶ月はかかるでありましょう、想定外のことを考えるともう少し時間が欲しいぐらいであります」

「うーん……やっぱりそうなるか……」

「あくまで学校で作業の出来る時間を考えた上ですので、別に可能な場所があるというのでしたらもっと余裕を持って出来ると思いますぞ?」

「それは……例えば合宿を行うという意味かしら?」

「合宿でありますか! それが出来れば最高でありますな!」

「当然ながらそれがベストとは俺も思うんだが……、実績のない俺達に遠征の予算は間違いなく下りないのがな……」

 あの阿古のことだ、仮に許可が下りたとしてもそれに見合う実績を取らなければと下手にハードルを上げられたら、それこそ自分で自分の首を絞める羽目になってしまう。

「では私達で勝手にやれば問題ないのでは?」

「申し訳ないんだが、遠征するだけのお金がない、親にお願いするのも難しいからな」

「そうでありますか……でしたら家を使って──とも思いましたが何日もというのは私の家では無理でありますな……」

「私も協力はしたいのだけれど、家となると厳しいわね」

「俺も妹達がいるからな……あいつらうるさいから多分集中出来ないと思う」

 うーん……と、行き詰まり困った表情を浮かべてしまう虎尾と北条。

 仕方がないというか、こうなってしまうのは分かっていたことではある、高校生がそう簡単に合宿なんて、出来るもんじゃないからな。

 こうなってはもう諦めるしか……なんて言うつもりはない、俺はそんなこともあろうかと、準備していた一つの用紙を取り出し、二人の前へと差し出す。

「……? 何でありますかこれは?」

「学校が定めている部活、同好会における要項……みたいに見えるけれど」

「そうだ、実はこれを見て貰うと分かるんだが、同好会でも合宿を行うこと自体は可能ではあるんだよ」

「へ? ですがさっき予算は下りないと言ったではありませぬか」

「確かに遠征の合宿は無理だろう、でも学校側が許可すれば夏休みの期間だけに限って校内での合宿は認められているんだよ」

「まさか──あ、ほ、本当でありますな! これならお金をかけずに、しかも大幅に時間を増やすことが出来るでありますぞ!」

「それに阿古さんがかたくなに守るルールからも逸脱していないものね──そういうことなら早速申請をしに行くとしましょう」

「ん……? あ、ああ──」

「そうでありますな! ではがわ先生にお願いするとしましょう!」

「あ、待ってくれ!」

 虎尾が意気揚々と部室を出ていこうとしたので慌てて呼び止める。

「どうしたでありますか?」

「その辺の交渉は俺にさせてくれないか? 多分神奈川相手なら俺だけが行った方がスムーズに進むと思うんだよ」

「? そうでありますか? それならお願いしますけども……」

「虎尾には漫画制作で頑張って貰うしさ、ま、ここは俺に任せてくれよ」

「雅継くんだけにお願いするのは申し訳ないけれど──あまり部室以外で目立った行動は出来ないし、私からもお願いしていいかしら」

「全然いいって、じゃ、ちょっくら行ってくるよ」

 そう言うと俺は現代歴史文学研究会を後にし、神奈川が確実にいるであろういつもの喫煙所へと足を運ぶのだった。

 それにしても……さっきのは気のせいだろうか。

 好感度が120%であるのに変わりはなかったが、常に狂喜乱舞しているはずの感情マークが、ほんの一瞬だけ曇ったように見えたのは。


    ○


「おー心の友よ」

 喫煙所に辿たどり着くと、相変わらずいつもと変わらぬ座り位置で煙をくゆらせていた神奈川が、俺を見るなりさんくさい言葉と共に右手をぷらぷらと揺らしてくる。

 神奈川は俺達二年三組の担任にして、国語の教師である、最近は伸びた茶髪をローポニーテールにし、相変わらずジャージ姿という、一言でいえばだらしない女。

「先生はいつもここにいますけど、お仕事はちゃんとされてるんですか」

「おいこら先生に向かって何てこと言うんだ……ふっ、だが私は心の広いお母さんみたいな先生だからな、こらっ! 雅継ちゃん! めっ!」

「間違っても先生をお母さんとは呼び間違えないでしょうね」

「まーまーそう怖い顔をしなさんな、ほら、横座ってもいいんだぞ? ずっと立ち話はしんどいだろう、さあさあ」

 まさかと思うが……もしかして俺がもうけ話を持ってきたと勘違いしてないか……?

 というのも、あの世紀の茶番劇、オペレーションMにおいて華麗な暗躍っぷりを見せた神奈川は、体育祭にて教師陣の間で行われていた闇のゲーム(賭け事)で周囲をぜんとさせる大勝ちを果たしたのである。

 うわさによれば、かもねぎ背負しよってくるような存在だった神奈川が、それはもう葱をぶん回して暴れる程の大勝ちだったのだとか。

 ……だがそれも息をするように通うギャンブルにより三日で消えたというクズにクズをプラスしたエピソードがおまけで付いてくるのだが、今はいいとしよう。

「おいどうした? 座らないのか? もしかしてお姉さんの膝の上が良かったか?」

「……あの、先生、申し訳ないんですけど、今回は美味おいしい話を持ってきたとか、そういうことで来たわけではないんですよ」

「……は? おいおいうそこけ、そんな筈無いだろう、だったら私は今月一杯どうやって生活したらいいんだよ」

「貯金しろ」

 しかもどうやったらそこまでがくぜんとした表情が出来るんだよ、地味に上がっていた好感度ゲージが若干下がるのも腹立つわ。

 この調子だと近日中に競馬には必勝法があるみたいな詐欺に引っ掛かるわこの人……顔は美人なのに内面がオッサン過ぎるんだよ。

「な、なあ……雅継ちゃん頼むよ……マッチ売ってる少女を助けると思ってそこを何とか頼む……! 今日もスティックパンで飢えをしのいだ私惨め過ぎるだろ……?」

「リアル過ぎるから止めて下さい──というか何ですぐ散財をしてしまうんですか? 普通に生活をしていればこんなことにはならないでしょう」

「ふっ……雅継ちゃんよ……お前は何も分かっていないようだな」

「開き直ってますねこれ」

「いいか、人間ってのはとしを重ねれば重ねるほど、心に隙間が空いていく生き物なんだよ、そして一度空いた穴は元に戻りはしない、別のモノで埋めるしか無いのだ」

「尤もらしいことを言っているようには聞こえますけども……」

「だが! 厄介なのはその穴というのは一つとして同じ形をしていないことである、つまり同じ形を見つけて埋めるのは至難の業なのだ、分かるか?」

「はあ……」

「故に人は常に悩み、そして苦しみを余儀なくされる、何と悲しいことか……」

 うまくされているようにしか思えないが神奈川の言っていることはあながち間違っているようにも聞こえないので、一応返事だけはしておく。

 どうでもいいけど校内合宿の申請をしに来ただけなのにどうしてこうなった。

 しかしそんな俺の心境など知る由もない神奈川は銭失いの一因とも言える煙草たばこにまた火をつけると、持論を展開させていく。

「だがよく聞きたまえ雅継ちゃんよ、こんな複雑な構造をしている心の隙間を、あたかもパテで埋めるかのように塞いでしまえる秘伝の裏技、いや三種の神器があるのだが、そんなことは思いもしなかっただろう?」

「どう考えても──いや、是非とも後学のために教えて下さい」

「そうくんじゃあない、何事も早い男は嫌われるぞ?」

 やかましいわ。

「ま、雅継ちゃんもいずれ大人になるのだからな、先に知っておいても損はないだろう、いいか、三種の神器というのは──」

 大体答えは読めているのにミリオネア張りにもつたいぶられているのがウザいにも程がある……もう他の先生にお願いしに行こうかな……。

「そう! 酒と男とギャンブルだ!」

「でしょうね」

「だから雅継ちゃんよ、私の穴を埋めておくれ」

 いつの間にか俺の近くまで寄って来ると、瞳を潤ませそう言う神奈川。

 いや……そういうのが似合うタイプの顔じゃないからそれはキツイって……。

 もっと美人さ売りにすれば男も寄ってきそうなものなのに、どうしてこの教師はやることなすこと裏目に出るようなことばかりするのか……。

「先生……ああいうチャンスはそう簡単には降ってこないんですよ、搾取する側になりましょうと言いましたけど、基本は堅実な生活ですよ、違う趣味を見つけましょう」

「それは……ソシャゲでガチャを回せということなのか」

「何でそうなる」

 脳汁出すことで精神安定を図るしかないのかこの人は……。

 生徒が教師を諭すのもおかしい気がするし、もう諦めるしかないな……。

「……えっと、何と言いますか、先生がちやな生活を送らないことを祈ってます、ちょっと別に用が出来たのでそろそろ帰りますね」

「な──!? おい! 雅継ちゃんよ! 私を捨てるのか! あれだけ私のことを好き勝手に弄んで、最後は側溝にポイするのか!」

「変な言いがかりはめて下さい……あくまで同意の上でじゃないですか」

 いやその言い方もおかしいだろ、完全にヒモじゃねえか。

「くっ……結局私は搾取される側だったというわけか……儲けるだけ儲けて、用済みとなればいとも簡単に切り捨てる……この外道めが!」

「言いたくないですけど、この状況で何を言っても立場が悪くなるのは先生の方ですよ、それに損はしていないんですから、まずは落ち着いて──」

「ひ、ひどい……あんまりだ……これでも毎日必死に生きているというのに……」

 ええ……噓でしょ……ただのいち生徒から美味うまい話がもらえないからってマジで泣く先生がいるかよ……これじゃあどっちが教師で生徒なのか分からんくなるわ……。

…………

 ま、好感度ゲージと感情マークの見える俺にそれが通用しないのは悲しい話ではある、別に好感度は全く下がってないし、何なら感情マークに至っては泣き落としでどうにかしてやろうという魂胆が見え見えの悪い顔をしているのだから。

 これなら見捨てていっても問題ないのだが、神奈川の性格を考えると、このまま放置しておくと確実に今後の俺の学園生活にドロをぶん投げて来そうなのであまり無下にも出来ないのが面倒だからな……。

「……しょうがないですね、現状はそういった話はないので確約は出来ませんけど、何かあれば先生にお伝えしますので、今はそれでいいですか?」

「うっうっ────なに? 本当かそれは! 噓じゃないんだろうな!」

「せめて涙ぐらいこぼしてくれます?」

 感情マークがしてやったりみたいな顔なのも素直にムカつくから困る。

「まあ……具体的な話があれば──ですけど」

「ふっ……それでこそ私のいとしき生徒というものだ、これからも貴様の活躍心から応援しているぞ! おっと、長居をし過ぎてしまったな、それじゃ私はこれで」

 用は済んだ消えろと言わんばかりに神奈川は立ち上がると、花火デートをしてくれる男はいないかな~と言いながら、汚らしいスキップで喫煙所を退出するのだった。

「……反面教師という言葉があそこまで似合う教師もいないな」

 あきれて物が言えないが、教師内に協力者がいるというのは悪いことではないし、しばらくはこのままにしておくとしよう……。


「……あれ、俺何か忘れてないか」


    ○


 そんな感じで。

 随分と関係のない話で遠回りをした気がしてならないが、簡潔に説明すると校内で合宿を行う場合は教師の許可が必要だったのだが、それを神奈川にお願いすると同好会はまず生徒会に申請しないといけないという話だったので、結局俺達三人は生徒会室へと訪れた、というオチであった。

 え? そんな話はしていないだって? 気にするな、俺もした記憶がない。

「どうして駄目なのか理由を教えて貰っていいかしら」

 阿古とはどうにも相性が悪い(部活動予算削減案の事件以来彼女と相性の良い人がいるのかどうか甚だ疑問ではあるが)北条が少し不機嫌そうな顔でそう質問する。

「合宿の申請をする部活や同好会はゼロからスタートしてちゃんと結果を残してから合宿の権利を得ているからね、実績もなくいきなり合宿を行おうという事例がそもそもないっていうのが、こちらとしても判断が難しいってとこかな」

「事例がないから駄目というのは理由にならないと思うけれど」

「事例がないというのは裏を返せばそれがリスクだという意味だよ、君達が現代歴史文学研究会を存続させたいという気持ちは分かるけど、そもそも活動をおろそかにしていなければこんなことにはなっていないからね」

「ううう……」

 隠れられる場所は存在しないのだが、俺の肩に手を置いて身体からだを寄せてきた虎尾が怖い顔をして阿古に威嚇行為をする。

 ふむ……彼女は常に正論を振りかざすから厄介だ、少なくともそれに矛盾があればまだやりようはあるのだけども、北条でさえ彼女相手ではディベートで勝った姿を見たことがないので正攻法で勝つというのはほとんど不可能と言ってもいい。

 あんまり長引かせてしまうと北条は暴れ回り、虎尾は泣きわめくという本末転倒な事態にもなりかねない……何か良い手はないだろうか。

…………ん?」

 そういえば……阿古の好感度って決して低い訳じゃないんだよな……何なら今の好感度はこの短時間で62%と上昇している。

 感情マークこそ相変わらず悪巧みをしているような顔ではあるが……ここまで高い好感度で果たして本当に俺達の合宿を阻んでやろうと思うだろうか。

 本気で排除しようと言うなら体育祭の時点で切り捨てられてもおかしくなかった、阿古が正論だけを持ち合わせている人間ならあんな温情に近い真似まねをするだろうか。

 ……賭けではあるが、やってみる価値はあるかもしれない。

「虎尾ちょっといいか?」

「な、何でありますかこんな時に……」

「いいから小声のまま話してくれ、今お前の阿古に対する気持ちはどんな感じだ?」

???──だ、大体怒りが半分でもう半分が悲しみでありますが」

 やはり感情マーク通りという感じか、それなら問題ないな。

「虎尾、今から俺の言うことを阿古のやつにやってみて欲しいんだが?」

「はい……? 一体何をすればいいのでありますか?」

「阿古に泣いて抱きついて、合宿を許可するよう懇願してくれ」

「えええっ!? そ、そんなの無理でありますよ……」

「無理にとは言わないが、もしかしたらそれで阿古が許可するかもしれないんだよ、ほら思い出してみろ、体育祭の後阿古に泣きついたことあっただろ?」

「あ、あれは……私も必死でしたから……それに保留は元から決まっていたのですから私のあれはあまり関係ないように思えますが……」

「でもあれだけひようひようとしている阿古が動揺したのはあの時一回だけだ、後でアイツーンズの三千円分のカードおごってやるから、な?」

「むう……ガチャなんて要りませぬけど──こ、今度二人で遊びに行った際にご飯でも奢って頂ければ、そ、それでいいでありますよ……」

「え? ああそれでいいなら全然構わないけど……」

「ぜ、絶対約束でありますからね……」

「お、おう……」

 ……いつもならガチャ費用を奢ると言ったら飛び跳ねて喜んでるのに、変な奴だな。

 しかし虎尾は納得をしてくれたのか、ゆっくりとその場から立ち上がると、フラフラとした足取りで阿古の方へと近づいていく。

「……? 急にどうしたの虎尾さん? トイレなら部屋を出て右側すぐに────って! ちょ、ちょっと!?

「あ、あごし……やばりばたぐじだぢはばいぶするじかないのでありまずが……?」

「えっ、い、いや何を言っているのか分からないのだけど──合宿を許可出来ないと言っているだけで廃部にさせようなんて思っては──だから泣くのは待って──」

 想像以上のガチモードで、十分と言える大泣きの演技を見せた虎尾は阿古の胸元へと飛び込むと、そのままボタンへと手をかけていく。

「ぢゃんとげっかはのごせるようばたぐじたしがんばりまずので……どうかがっじゅぐのほどをみどめでいだだけまぜぬでじょうが……?」

「お、お願い虎尾さん……れ、冷静に話をしましょう? 建設的な話し合いにこそ意味があるものだから……だ、だからボタンを引き千切ろうとしないでええ……」

「す、すごいわね虎尾さん……」

「俺がけしかけたとはいえ、まさかあそこまでやるとは思ってなかった」

 しかし純粋に現代歴史文学研究会を廃部させたくないという彼女の気持ちの表れだろう。

 現に感情マークは本当に悲しみの表情を見せているし……阿古を泣き落としで納得させるためとはいえイーブンだった感情をここまで引き上げられるのは恐ろしくもある。

「ね、ねえ! 雅継くんも北条さんも見ていないで、虎尾さんを止めて──」

 焦りに満ちた表情で俺達に助けを求める阿古だったが、当然助けるつもりはない。

「そうしたいのは山々なんだが、無理だな、悪いけど虎尾を泣かせてしまったらその当事者が責任を持って対応しないと彼女は泣きむことはない」

「そうね……私も不用意とはいえ、虎尾さんを悲しませてしまって制服を破られたことがあるから、それ相応の覚悟はした方がいいわよ」

「何をふざけた──ま、待って! 意図的に制服千切ろうとしてるよね!?

 ふはは、お前も生徒会室で制服を破かれてしまうのは本意ではなかろう、もっとけ、そして苦しむが良い──

 なんて言ってはいるが、それをしたら後で大きな仕返しを食らいそうなのでそろそろ止めなければ。

「俺達としても武力行使になるのは本意じゃない、それに何も同好会を存続させろとは言ってないんだ、存続する為に校内合宿を許可して欲しい、それだけなんだよ」

「遊びにほうけている部活動や同好会が合宿を申請するというなら、却下するのは致し方ないと思うけれど、私達は一度反省をして、その上で再起を図ろうとしているだけなの、何とか許可をしてくれないかしら」

「こ、この状況でよくもまあ…………わ、分かった、分かったから! 現代歴史文学研究会の校内合宿の許可をするからまずは虎尾さんを離して──」

「よし、北条、げん取ったな?」

「しっかり録音済みよ」

「虎尾、校内合宿しても良いって言ってくれたぞ、阿古から離れてやってくれ」

「うわーん! 雅継殿~!」

 泣きながら戻ってきた虎尾の感情マークは悲しいというより明らかに歓喜の涙という感じだったが、そのまま方向を転換すると北条の豊満なお胸へと飛び込んでいく。

「あらあら、よしよし、虎尾さん頑張ったわね」

「はあ……つ、疲れた……全く神経が図太いというか……生徒会に対してこんなやり方をするのは君達が初めてだよ……」

 柄にもなく疲れた表情を見せながら、しわしわになったカッターシャツとスカートを整え、くしゃくしゃに散らかった髪の毛を手ぐしで直すと、阿古はそう言った。

「でも、これで合宿は認めてくれるんだよな?」

「私も言ったことに二言はないから許可はするけど──雅継くんの人を見透かしたようで大胆な行動には驚かされてばかりだね……」

「あ、阿古氏! 本当でありますか──!」

「ただし」

 と、その場から立ち上がった阿古は俺達に向かって指を差すと、最後の抵抗だと言わんばかりに、こう言うのだった。

「ちゃんと保護者の許可を得た上で、だからね」

「なんだ、そんなことでありますか、元から合宿をする予定なのですからその点は全く問題ありませぬよ」

「もう先に申請書と同意書も渡しておくけど、夏休みに入ってから申請しても受理されないから、それだけはちゃんと守るようにしてよ?」

「ありがとう──うるさくして悪かったな、でも俺達は現代歴史文学研究会を残す為に合宿をしたいっていうのは事実だから、そこは勘違いしないで欲しい」

「分かってるって、別に君達を値踏みなんてしてないし──ただ強いて言うなら虎尾さんを使って何とかしようとするのだけはもう勘弁してね……」

 疲れ切った表情で阿古はそう言い残すと、ふらふらと生徒会室から出ていってしまう。

 ……北風と太陽、なんて言うとおおではあるが、どうやら好感度に応じてやり方を変えるというのは効果はあるみたいだな……。

 誰かの為にこの力を使うのはあまり気が進まないが、それが北条や虎尾の為というのであれば、阿古には悪いがこれからも全力で使わせてもらうとするぜ。

「う~何はともあれ、これで準備は整ったでありますな! 今度こそ漫画の完成に向けて頑張るだけでありますよ!」

「そうだな、必ず現代歴史文学研究会を存続させよう」

…………そうね、皆で頑張りましょう」

 活路が見え、ぜん明るさを見せる虎尾だったが、それに対して笑顔を見せて応えた北条の感情マークは、やはり一瞬だけ曇った表情に見えた。

 ……北条が現代歴史文学研究会の存続に協力したくない、なんてことは間違ってもあるはずがない、そんなことがあればそれこそ一大事である。

 多分、どちらかと言えば合宿そのものに対して反応をしているような……。

 まさか、合宿に参加出来ない、とかじゃないよな……?


    ○


「兄ちゃんおかえんなさーい」

「お兄様、お帰りなさいませ」

「ただいま、あい

 家に帰ると、珍しく逢花と緋浮美が二人先にそろっており、夕食の当番である緋浮美が台所に立ち、相も変わらず逢花は床の上でだらしなく横になっていた。

 二人は眼球と入れ替えても痛くないほど可愛かわいい俺の妹達であり、ボーイッシュなちが特徴の水泳が得意な逢花と北条よりもお嬢様な雰囲気を漂わせる緋浮美は好感度が85%と92%という高い水準を誇っている。

 俺は一度自室に行くとかばんを置いて着替えを済ませ、リビングへと戻り、椅子に座り一息つく、するとやけに逢花がニコニコしながら話しかけて来た。

「にいちゃーん、今日は学校楽しかったかい?」

「うん? まーそこそこ充実してたかな」

「ふふーん、でしょうねえ、兄ちゃん今日はご機嫌なお顔をしてますもん」

「そうか? 特段変わったこともなかったけどな」

「いやいや、こう見えても十四年間毎日兄ちゃんの顔を見続けているからね、ちょっとした眉の動きとか口角、振る舞いやら声のトーンで分かってしまうんですなこれが」

「急にメンタリスト」

「ふふっ……ですが逢花の言う通りいつもより少し明るいように見えます、何かいいことでもあったのですかお兄様」

「いやマジで何もねえって、えて言うなら部活でやろうとしていることがうまく軌道に乗りそうってことぐらいで、それ以外全く思い当たる節はないぜ?」

「ふ~ん、そんなこと言っちゃって、もしかして北条さんと色々進展でもあったんじゃないの~? ほら逢花ちゃんに言ってみなさいよ」

「あのな……関係性は続いてはいるがやましいことなんてある筈が──」

「またまた~ここはこの可愛い妹に正直に話してみなさ──」

 ズドン! ……と。

 俺の腕を小突きながら憎たらしい顔であおってくる逢花に抵抗していたら、台所から聞いたこともないような何かがたたきつけられる音がして二人の会話が瞬時に停止する。

「──なくてもいいかなー……なんて」

「えーと……緋浮美大丈夫か? 何か今凄い音がした気がするんだけど」

…………え? わ、私ですか? やだ……お兄様……ご心配ありがとうございます、でも全く問題ありません、ほら御覧下さい、大根を斬っていただけですから」

「ワオ、見てみろよ逢花、大根に包丁が突き刺さってるぜ」

「わー凄いね兄ちゃん、ひふみんそんな斬り方したら危ないよ」

「逢花、ご心配は無用です、実はこういう斬り方でも意外と輪切りには出来るものなんですよ? ほら、ほら、ほら、ほら、ほら、ほらァ! お兄様見てぇ!!

「緋浮美! 俺が悪かった! だから大根にもっと優しくしてあげてくれ!」

 かつて誰も見たことのない大根の斬り方で案外ちゃんと輪切りになっているのはすごいが、見ていて色々とこう……つらい気持ちになってくるから、いやどうせ煮物の具材にはなってしまうんだけども。

「ではお兄様、次はこのたまねぎを斬っていきますね…………北条」

「ねえ、何で語尾に固有名詞が入るのかお兄ちゃんに教えて」

 いや……俺もかつだったことは認めるが、何で逢花は緋浮美の前で北条の名前を出しやがったんだよ……こうなるのは分かってただろ……。

「おい逢花……何とかしろ、このままじゃ具材が全部北条になっちまうぞ」

「そう言われても……じゃあ他の女の子の名前とか入れてみる?」

「何一つ解決してないんですけど」

「北条……北条……北条……北条……北条……北条……北条……北条……北条……北条……北条……北条……北条……北条……北条……北条……北条……北条……北条……」

 危なっかしい手付きではなくなったが、ゲシュタルト崩壊寸前まで北条の名前をつぶやく度に玉葱を切り刻んでいく緋浮美。

 今日の献立が全て北条になるのだけは勘弁願いたい……何とかしなければ……。

「あ、そうだ、あれじゃない? 兄ちゃんが後ろからひふみん抱きしめれば万事解決」

こんしんの押し付けしやがったな」

「うっかり名前出しちゃった私も悪いけどさー、やっぱりひふみんが大好きなのは兄ちゃんだから『心配させてごめん、でも一番愛しているのは緋浮美、お前だから』みたいなこと言えば効果はバツグンでしょ」

「昼ドラの見過ぎだろ……」

「でもこのままじゃひふみんアイは北条さんが玉葱のままだし……」

「玉葱が北条な、そして将棋界に謝れ」

 だが不服とはいえ多分俺が何かをしないと緋浮美の暴走は止まりそうにない……ここは愛する妹のため、一肌脱ぐしかないか……。

 俺は北条という名の野菜のカットを続ける緋浮美の後ろにそっと回り込むと、一度渇いた喉を潤す為に唾液を飲み込む。

 何かの間違いで包丁が刺さるというヤンデレ的な展開にならないようにだけ細心の注意を払うと──まな板の上に包丁を置いた瞬間を狙って、俺は後ろから優しく緋浮美の身体からだを抱き締めた。

「はああっ!? えっ!? お、お兄様……!?

「わーお、兄ちゃん大胆だなー、流石さすがはシスコン」

 やかましい、ちょっと人より妹がスキなだけじゃい。

 抱き締められることを想定していなかったのか、緋浮美は感情マークを混乱させ、その場から動かなくなってしまう。

「あ、あの……お兄様……今は料理中ですから……そ、その危ないです……」

「緋浮美、心配させちゃってごめんな」

「そ、そんな……私は心配など一つもしておりません……お兄様の幸せは私の幸せなのですから……ただ──少しだけ、ほんの少しだけ寂しいと思ってしまっただけで……」

「勘違いしないで欲しいんだが、緋浮美を愛しているのはうそ偽りない事実だから、こんな出来た妹がいて俺はなんて幸せ者なんだろうって、いつも思ってる」

「ああお兄様……私もお兄様の妹に産まれて幸せでございます……」

「こんな不出来な兄で申し訳ないが、これからも俺の妹でいてくれるか?」

「不出来なんて……滅相もありません、こんな、こんなにも何事にも形容し難い、言葉にするのも烏滸おこがましい程に素晴らしいお兄様の妹で私は光栄です──」

「そうか──ありがとう、愛してるよ緋浮美」

「私も愛しております──お兄様」


「あっ、お、お兄様──そんな所……あ、逢花が見ていますから──」

「──ああっ! は、恥ずかしい……」

「で、ですがお兄様が望むのでありましたら私──きようだいの禁忌すら乗り越えてみせます」

「ん……んん──」


「……ひふみん何を一人でクネクネしてるの……?」

「……完全に自分の世界に入ったんだろ、もうとっくの昔に終わってるんだが」

「え、もしかして晩御飯遅くなっちゃうんじゃ……」

「逢花が余計なこと言わなきゃ緋浮美は暴走してねーんだから、妄想ぐらい我慢してやれ」

 飯前になんつー妄想繰り広げてんだって話ではあるが。

 今に始まったことではないのだが、緋浮美は基本的に妄想モードに入ってしまうと外界との交信を一切合切遮断し、現実世界へとしばらく帰ってこなくなる。

 場合によっては三時間も帰ってこなくなる時もあるので、そうなると対策を打つしか無いのだが……しかしこれでようやく逢花にしたかった質問をすることが出来る。

「はーあ……しょうがないからよどがわの花火中継でも見ながらお菓子食べてひふみんが帰ってくるのを待つとしよっかなー」

「それはいいんだが逢花、その前に北条のことで質問に答えてくれないか?」

「へ? 付き合ったらまずファミリーランドに行くべきとかそういう話?」

「残念ながらもうホワイトタイガーはいないんだよ、そうじゃない、俺がきたいのは付き合うとかの話じゃなくて彼女の過去のことなんだ」

 俺には唯一の特技と言っていい水泳があるが、それはあくまで小学生の頃から中学一年ぐらいまでの話であって、実際はそれ以降に関しては全くのノータッチなのである。

 しかし逢花は水泳歴が俺よりも長く、実力は折り紙付き、その上同様に実力のある北条と接点があるなら俺が知らないことを知っているかもしれないと思ったのだ。

…………

 恐らく北条は必死に隠したつもりかもしれないが、合宿をするという話になった際、一瞬感情マークが曇ったことがどうしても頭に引っ掛かっていた。

 北条は問題ないという素振りを見せていたが、現代歴史文学研究会存続がかかっている手前、現存する問題は可能な限り潰しておきたい。

「えー本人から訊けばいいじゃんと──言いたい所だけど、その様子だと何だか退きならない事情でもありそうだね……うーん、と言っても深い交流があった訳じゃないからうわさ伝いに聞いた話ばかりになっちゃうけど……」

 逢花はビーズクッションに身体をうずめると、俺を見上げながら話し始めた。

「確か医療機器関係で数千億規模の資産のある財閥の令嬢でー、住まいは大阪の方って聞いたかな? お金持ちしか住んでいない超高級住宅街に家を構えてて、何でもそのかいわいで知らない人はいないみたいだよ」

「学校の噂でお金持ちとは聞いていたけど、そんなレベルとはな……」

「ていうかそんな話すら北条さんとしたことなかったの?」

「本人がしたがらない話を無理に訊く趣味はないからな」

「ふーん、そんなことないと思うけど──ま、今はどうか知らないけど、中学の頃は毎日車で送り迎えをされてたみたいで、送迎専用の運転手もいたみたいだよ」

「絵に描いたような金持ち過ぎてまいがしそうになる……俺達といつもいる時は気品こそあれどそんな風には全く見えないけどな……」

 というより俺達が現代歴史文学研究会での彼女を知り過ぎてしまっているのも要因の一つな気がする、冷静に考えるとクラスでの北条は品行方正で才色兼備、物静かでお上品さにあふれ返った振る舞いを怠らないし。

「んー、でもやっぱり私から見るとたかの花っていう印象が強いよね、誰も彼女に近づける人なんていなかった気がするし」

「でも全く誰とも話をしていなかった訳でもないんだろう?」

「そりゃね、北条さんって愛想は凄く良い人だったし、でも多分皆思ってたんじゃないかなー、壁を感じるというか、違う次元に生きてる人みたいだって」

 だから何で兄ちゃんのことスキなのか私はすっごい不思議なんだよねーとあまり興味があるようには思えない口調で逢花は言う。

 ふうむ……しかしもし噂通りのお嬢様となれば、いくら校内合宿であるとはいえ参加出来るのか心配になってきたな……。

「あ、そうそう、それで思い出したんだけど、メイドも見たことあるよ」

「め、メイドだと……? そんなのがカフェ以外に実在しているのか?」

「うん、いつもはいない、というか北条さんって普段の練習も遅くて十九時までには切り上げて帰っちゃうらしくて──ま、それで十分な成績残しちゃってるから天才でしかないし、誰も文句は言わないけどね、でも水泳合宿はそうもいかないじゃん?」

「そりゃあ、何日も泊りがけで行くもんだし、逢花だってそうだからな」

「そうなんだけどさ、実はその時にいつもそばに北条さんをお世話しているというか、怖い顔で見張っているようなメイドさんがいたんだよねー」

「いやいや冗談だろ……? 過保護って次元じゃねーだろそれ」

「でもいたんだからしょうがないじゃん、実際かなり厳格なご家庭みたいだよ? 何としても合宿に参加して欲しいからって、水泳のお偉いさんが総出で北条さんのご両親に頭を下げに行ったなんて話もあるぐらいだし──兄ちゃん?」

…………

「おーい、何で兄ちゃんまでシャットアウトなのー」

 いや……これで確信したと言ってもいいだろ、間違いなく北条は合宿に参加出来ない。

 水泳ならまだしも、こんな小規模な同好会がする合宿なんてどうやったら許してもらえるんだ……メイドを通り越して両親に横で監視して貰えとでも言うのか。

 やっぱり感情ゲージが一瞬曇ったのはそういう意味……だが俺達としても終盤での北条の戦力が欠けてしまうのはかなり手痛いロスになりかねない……。

 と、ともかく……申請書と同意書を阿古に提出するのは明日の予定になっている。

 その時にちゃんと北条に確認しなければ──

 もし北条の本意でないとするならば、なおさらだ。


    ○


────うん、ちゃんと申請書と、三人全員の同意書があるね」


 次の日。

 現代歴史文学研究会が校内合宿を行う上で必要となる申請書と、俺と虎尾、そして北条を含めた全員の同意書が阿古に手渡された。

「書類に不備は無さそう──みたいだね、じゃ後は私の方で処理しておくから、コンテストの結果がどうなるかは分からないけど、頑張ってね」

 その言葉と一緒にポンポンと生徒会承認の判子が押されたのを見届けた所で、虎尾があんためいきを漏らした。

「や、やりましたな! これで大賞は貰ったようなものでありますぞ!」

「おいおい、まだ作り始めてもないのに気が早過ぎるだろ」

「でもこれで一番大きな障害はクリアしたと言ってもいいかもしれないわね」

「うんうん! では早速放課後にでも画材を買いに行くとしましょう! 何事もまずは形から、雅継殿と北条殿のためにも奮発して差し上げますよ!」

「ふふっ、これから楽しみね────

…………

「……? 雅継くん、どうかしたのかしら」

「え、ああいや何でもない、そうだな、早いに越したことはないし、準備を始めようか」

「レッツらゴー! でありますよ!」


 意外にも、北条は俺の心配を他所よそに、普通に同意書を持ってきた。

 まるでそこに障害など無かったと言わんばかりに……だが実際どれだけ彼女の感情ゲージを見ても今日は一度も曇る瞬間を確認出来なかった。

 俺のゆう……だったんだろうか、第一逢花の話は人づてに聞いたものだし、何よりそれが中学生の頃の話とあれば高校生になってから方針が変わった可能性だって十分に考えられる。

 ……いくらでも探りようはあるが、ちゃんと同意書を持って来たのだからこれ以上詮索をするのは良くない、北条が家の話を相談しないのなら、余計に。

 ならば気を取り直すとしよう。


 ここからがいよいよ、現代歴史文学研究会存続の為の漫画制作の幕開けである。