それはペルフェス滞在五日目の夜のことだった。
何度目かの入浴後、ルウナは自室でいつもの姉自慢を始めていた。
「やはり姉さまはすごい。素晴らしいお方だ!」
「皇族としての誇りを持ち、いつも国のために動いておられて」
「そのうえ、あの輝かしい笑顔を失わないのだぞ!?」
「あのような姉君がいることが、わたしの人生最大の幸運と言えよう」
ルウナはルシオラに髪をとかされながらうなずいていた。頭がズレるのはいつものことで、すっかり慣れた秘書官は文句も言わずにくしを動かしていた。
鏡台の前、足をパタパタさせるルウナは少しの間黙り込んでいた。
その目は遠くを見ているようだったが、頭の中では姉のことを考えているのを容易に察することができた。
「はあ、姉さま」
「姉さまに会いたくなってきた」
「もう一時間も顔を合わせていないのだが?」
「決めた。すぐ行こう。いますぐ姉さまの部屋に行こう!」
「わーっ!? 待って待って! 姫様、待ってーっ!!」
「むっ、なぜだ? なぜ邪魔をする?」
「服を召されてないからですよぅ! 裸で行ったら姉姫様もびっくりされます!」
「それもそうか」
立ち上がりかけていたルウナはすとんと椅子に腰を下ろした。
その素直な様子に内心胸をなで下ろしながら、ルシオラはふうと息をはいた。
「まったく、本当に姫様はアウローラ様がお好きですね?」
「もちろんだとも。わたしは世界で一番好きなのが姉さまで、二番目、三番目、四番目から十番目までも姉さまが占めている」
「えっと、その……どういうことでしょう?」
「なんだ、分からないのか? 仕方のないやつめ」
「未熟者ですみませんね」
「ふん。なら詳しく教えてやる。いいか? 一番好きなのはいつもの姉さま、これは絶対不動の王者のようなものだな」
「はあ。それはなんとなく分かります」
「次に好きなのは
「まあ、分かるような気もしますね」
「三番目は優しい姉さまだ。知っているか? わたしが猫の
「え? いや、あの、ひと様のプライベートはできれば聞きたくないというか」
「四番目はちょっと困っている姉さまだ。基本的に無理強いは通用しないんだが、たまに『仕方ないなあ』と笑ってくれて」
「すみません、やっぱりこの話題、変えませんか?」
これ以上聞けばどんなものが出るか分かったものではないと、ルシオラは早急にこの話題を断ち切ることにした。
「なんだ、ここからがいいところなのに」
「も、申し訳ないです。また機会があればお話しください」
建前を盾に必死に逃れるルシオラ。幸いなことに、移り気なルウナはもう別のこと(ただしやはり姉のこと)を考えているようだった。
「結局、姉姫様が第一なんですねえ」
「貴様もしつこいな。当たり前のことをそう何度も確認するな!」
「ひえっ!? ご、ごめんなさいです、はい」
「ふん」
少し機嫌を損ねてしまっただろうか? いやいや、黒き
「でも、少し考えてしまいますね」
「今度はなんだ? また確認か?」
「い、いえっ! ちょっと疑問に思ったと言いますか」
「疑問? なんのことだ?」
「いえいえ、あのっ、
「言ってみろ」
「あうう……!!」
身を縮めながらルシオラは迷う。ためらい、
「極めて
「ああ」
「姫様とアウローラ様は皇位を争う立場ですよね?」
「その通りだ」
「なのにこんなに姉君を慕っていて……その、皇位継承争いに勝てるのかな、と」
「…………っ!!」
ルウナの唯一の弱点だったのだろう。戦姫は目を見開いて、しかし声も出せずに鏡の中のルシオラを凝視していた。
武将にも通じる迫力に、若き秘書官はたちまち腰砕けになってしまうが──。
意外なことに、ルウナは部下を怒鳴りつけるようなことはしなかった。海が
「正直なところ、分からない。皇帝になりたい気持ちは本物だ。姉さまを越えたい、姉を上回りたいという気持ちは確かにわたしの中にある」
「しかし一方で姉さまに甘えたいという気持ちもある。優秀な姉さまにすべてをゆだね、わたしは姉さまの右腕として生きる。そんな未来はもう何度も想像した」
「ふたつの気持ちがわたしの中で揺れ動いているんだ」
「姫様……」
「あと、女帝を絶対に殺してやるという強い気持ちも」
「あの、そこは割愛ということで」
ルシオラは最後だけ聞こえないふりをして耳を塞いだ。誰だって女帝は怖い。ルシオラも正直、今後一生女帝とは関わらずに生きたかった。
「と、とにかく、どっちの気持ちも本当だということが分かりました。真逆の気持ちに揺れているということも、あたし、ちゃんと理解しました」
「そうか……助かる」
「いえ。あたしは姫殿下の秘書官ですからね。なんでも打ち明けてもらいたいですし、なんでも相談していただきたいです」
「相談か。そういったことは不慣れなんだがな」
「この機に慣れておきましょうよ! まだ何かあればなんでもお聞きしますよ!」
「ふむ……では聞いてみるが」
「はい!」
「姉さまを独り占めするにはどうすればいい?」
「はい! それはです……ね……?」
「姉さまと一ヶ月ほど魔物狩りの旅に出かけたい。どうすれば?」
「えっ、えっと、その……?」
「姉さまの偉大さを巨岩に刻み込みたいのだが。良い場所はあるか?」
「えええええ~~~~っ!?」
完全にルシオラのキャパシティを超えていた。
だというのにルウナは次々と相談、いや、妄想をぶつけ、そのたびにルシオラは「ひえっ!?」とか「いいっ!?」とか奇妙な声を上げていた。そんな状態が長く続くはずもなく、やがてルウナは質問を
「なんだ、口ほどにもないな。どの問いにも答えられないではないか」
「は、はひ……面目次第もありま……ひぇん」
「まったく、仕方のないやつだ。少しそこで頭を冷やせ」
「はひー……」
「わたしは姉さまに会ってくる。ではな」
そう言い残すとつかつかとルウナは去っていった。そのパジャマ姿を見送り、「姉さま♪」という数オクターブ高い声を聞きながら、ルシオラはよろよろと立ち上がると、
「あばーっ!?」
盛大に転んで再び床に転がった。石張りの床がどうにも冷たく感じられ、思わず涙がちょちょぎれそうになる一幕だった。
「はあ、はあ……まったく、もう」
その後、立ち上がった少女は自分のベッドへと戻ってきていた。
先ほどの会話を思い出しつつ、彼女はふうとため息をついた。
「姫様ってば、ほんとに姉君のことが好きなんだから」
疲れたように
「アウローラ姫に勝てるのかな。どうなんだろ?」
(武力だけは一級で、軍団の規模も申し分ないけど……)
そこだけは疑っていない。ルウナはまさに戦の姫、正面からぶつかれば必ず姉にも勝てる力を備えている。そこは不安材料にもならなかったが、
「とはいえ、このままだと少しまずいんだよね」
壁のカレンダーに目を移し、ルシオラは不穏な空気を漂わせていた。