第三章「悲願、念願の温泉旅行!」




    ‐1‐


 ある日、俺は「非情な現実」に気がついてしまった。

 俺の生活を根幹から揺るがしかねない、残酷で、しかし避けようのない厳然たる未来。

 それを否定しようとして何度もカレンダーに指を添わせる。だけど現実は動かしがたく、俺はただ短く声を上げることしかできなかった。

「いかん……!! これはいかんぞ……!!

「何がいけないのです?」

 専用のデスクに座ったまま秘書官がたずねてくる。

 彼女はまだ気づいていないんだ。何が問題なのかも分かっちゃいない。

 こんな時は彼女の冷静さを恨めしく感じる。そんな自分に嫌悪をしつつ、俺は卓上カレンダーを手に取って秘書官に示した。

「メモリア。これを見てくれ」

「はい」

「何か気づいたことはないか? ささいなことでも構わないんだが」

「もうすぐ五月が終わりますね」

「そう!」

「来月には鎮魂祭が待っています。これからますます忙しくなりますよ」

「そうだよ!!

 涙を流して大きくうなずく。そこまで分かっていながら、肝心の部分は分かってなさそうな少女に、俺は補足するように話を続けた。

「なあ、メモリア。ここ最近、仕事、仕事の毎日だったろ?」

「ええ、まあ」

「休みは週に一度の安息日。それも来客やら何やらで結局潰れてしまっていた」

「それはまあ、そうですね」

「最近は妹がべったりだし、やっぱりスケジュールに空きはないし」

「結局、何が言いたいのです?」

 いきなりメモリアが核心部分に斬り込んできた。

 いかにも彼女らしいやり方じゃないか。無駄を省き、効率を重視する秘書官殿のことだ。さっさとこの回りくどい話を終わらせようとしているのだろう。

 それは俺にも分かっている。分かってはいるのだが、どうにも話を切り出す勇気が湧いてこなくて──。

(ええい!)

 こんな姿勢じゃ駄目だ! もっと前向きに話を進めないと!

 俺は帝国の第一皇女、次期皇帝の呼び声も高いアウローラ姫殿下なんだ!

 側近相手に尻込みをしている場合じゃない! 言いたいことがあるなら、思い切ってズバッと端的に切り出さないと!

(よし! 言うぞ! 言うぞ!!

 パンパンとほおたたいてやる気を燃やす。

 依然としてげんそうな顔を見せるメモリアに──。

 俺は力強く、堂々とした態度で言い放った!

「最近、まとまった休みが取れて、ない、かな~、って」

 氷のような視線を受け、俺の言葉は尻すぼみになってしまった。

 ま、まあ、言いたいことはちゃんと言えたから大丈夫だろう、うん!

 そういうことにしておいて、俺は秘書官殿の反応をうかがうことにした。

「まとまった休み、ですか?」

 口元に手を当てて、何やら思案げな顔を見せているメモリア。

 まだ油断はできそうにない。ここからお説教につながるパターンを、俺はもう何度も何度も経験しているんだ。ここで気を緩めることはできないが、

「この時期に何日にもわたるお休みですか」

(うう……!!

 メモリアの目が冷たい……!!

 い、いや、でも、ここからばんかいできる可能性もきにしもあらずで、

「まだ仕事が残っているのに、どこか遠くへ遊びに行きたいと?」

(ああっ!?

 これはどうも駄目みたいですね。完全に脈なしのルートに突入しました。

 薄々こうなるとは分かってはいたが、やっぱりこうなってしまったのか……。

 しょんぼりと肩を落とす俺は、降参とばかりに力なく両手を上げていた。

「分かった。分かったよ。変なこと言って悪かった」

 魔の森の開拓は順調だけど、まだ鉱山の管理が残っているもんな……。

(新区画、貿易港と、厄介な事案が立て続けに起きたことだし)

 きっと新しい鉱山とやらも、何かトラブルを抱えているはずで──。

「構いませんよ」

「え?」

「まとまった休暇が取りたいのですよね? それはまったく構いませんよ」

「えっ? えっ!?

 予想外の答えに挙動不審な動きを見せてしまった。

 しかしメモリアは少しも動じず、淡々とした口調で休みについての話を続ける。

「調べてみたところ、譲渡された鉱山にはいささかの問題も見られませんでした。管理運営は順調そのもので、魔石や鉱石の埋蔵量も類を見ないほどに潤沢。今さら私たちが何かをする必要などないのですよ」

「いや、だけど、実際はどうなのかまだ分からないし」

「さすがに私も学びました。事前に入念な調査を行いましたよ」

「そ、その結果は?」

「やはり優良と言えるでしょう。姫様は良い鉱山を譲っていただけましたね」

「ええええ……!?

 か細い声が口から漏れる。まさかという気持ちが腹の奥底から湧いて出てくる。

(だって、相手はあの女帝なんだぞ!?

 かんなんしんを俺に与え、苦しむ様子をにやにや笑いで眺めるような人だ。

 彼女に限れば都合のいい話なんてありはしない。ぬか喜びをさせておいて、実は地獄が待っていたという展開でも俺は別に驚いたりはしないんだ。

「もしかしたら、その情報が丸ごとわなって可能性もあるし!」

「少し落ち着いてください」

「ぐえっ」

 念動力で襟を掴まれてうめき声を上げる。

 いつもの「ステイ」で止まった俺に、メモリアは諭すように更に言葉を重ねてきた。

「先ほど言った通り、来月には鎮魂祭という重要な祭事が控えています。そこで失態を演じないためにも、ここで一度、しっかりと骨休めをした方がいいと思いますよ?」

「うーん、言いたいことは分かるんだけど……」

「やはり鉱山のことが気になりますか?」

「そりゃまあ、ねえ?」

 こうもすんなり許可が下りると、かえって不安な気持ちが募るというものだ。

 休みたいには休みたいが、はてさて、一体どうしたものか──。

「そこまで気になるなら、一度視察に行かれてみては?」

「やっぱそういう話になるよなあ」

 諦めたように大きくため息をつく俺。しかしメモリアは、なぜか慌てた様子で両手をふるふると振り始めた。

「ああ、いえいえ、そういうことではなくてですね? 視察は視察ですが、休暇も兼ねた視察はいかがですか? と言いたかったのです」

「休暇も兼ねた視察? 鉱山に?」

 それはまた味気のないバケーションになりそうだな。

 むき出しの岩盤、口を開けた坑道、ポンプからは土砂混じりの地下水が延々と排出され、作業場には鉱石を仕分ける女たちがすすけた顔で並んでいて──。

「あんまり休めそうにないなあ」

 またもため息をつく俺に、メモリアはくすりと微笑ほほえむのだった。

「やはりごぞんないようですね?」

「え? どういうこと?」

「あの場所は帝国有数の鉱山地帯ではありますが」

「うん」

「同時に、知る人ぞ知る秘湯の地でもあるのですよ?」

「ええっ!?

「疲れをいやし、英気を養うにはうってつけの場所と言えましょう。無論、姫様が嫌と言うなら別のプランを考えてみますが」

「いやいやいや! そんなことないよ! わたし、温泉大好き!!

 混乱のあまり一人称が「わたし」になってしまったな……。

 いや、しかし、それも仕方ないほどの僥倖ビツグニユースだ! まさかこの時期に温泉に行けるだなんて、願ってもみなかった幸運というものだろう。

(まだ油断はできないけど……)

 ここはあえて楽観的に考えようじゃないか!

 大祭の前の一休み、俺はそれを全力で楽しむつもりになっていた。

「よーし! それじゃ、今週末は温泉に行くぞーっ!!

 温泉にかって、のんびり景色を楽しんで、

「これまでの疲れを、きれいさっぱり消し去るぞーーーっ!!

 そのためにも、いまの仕事は片づけなければならない。俺は微笑むメモリアに見守られながら、バリバリと音を立てて書類の山を減らしていくのだった。


    ‐2‐


 帝都から北へ向かっておよそ半日。夜をまたぎ、長く飛行船で揺られた先に、その圧巻とも言える景色は広がっていた。

 東西に長く連なる山脈。植生豊かで牧畜の姿も見える高原。それを縫うように走っているのが、いわゆる渓流というものだろうか? ごうごうと音を立てて流れる川は、この山々に豊かな水源があることをうかがわせた。

 澄んだ空気のためなのか、この一帯には魔獣や魔鳥の気配もない。ただただ青い空と、うっすらと雪をかぶった連峰が広がるばかりだ。

 まるで避暑地のような光景だ。本当にここに鉱山があるのだろうか? その疑問に答えるように、やがて山の景色は人工物のあるものへと変わっていく。

「姫様、あれが例の鉱山ですよ」

 展望室でメモリアが遠くを指し示す。

「思った以上にれいなところですね」

 隣にいた親衛隊長ベラが感心したようにううむとうなった。

「この辺りは『神宿る山』とも言われていますからね~。極力、汚さないようにしているのだと思いますよ~?」

 いつもの解説は導師であるソフィアの役目だった。

 それぞれ違う反応を見せる同行者たち。彼女らの言葉にうんうんとうなずきながら、俺は悠然と眼下の景色を眺め続ける。鉱山がある。比較的大きな街がある。高原や清流、麓へ続く道もあり、しかし、肝心要のものだけが見えてこない。

 まだか? まだか? はやる心を落ち着かせ、そのまま一分、二分と待ち続けると──。

 やがてその聖域は俺たちの前に姿を見せた。

「「「おお~……!!」」」

 立ち上る煙の中、棚田状の温泉が山肌に沿って連なっているのが見えた。

 その上には神殿のような建物が見える。山裾には湯気の立つ川のようなものも流れている。小さいながらも温泉街のようなものもある。大小様々な温泉で、年頃の少女たちが肌もあらわに戯れているのも見える。

 それを確認した俺は、ゆっくりと展望室を離れると──。

 客室に戻り、きちんと扉を閉めてからこう叫んだ。


「やったあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!


 すうと息を吸い、もう一度叫ぶ。


「やったぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!

 もう何度だって叫びたい気分だった。どうなることかと思っていたが、まさかこれほど素敵で素晴らしい場所が待っていたとは……!!

「ありがとう、ありがとう……!!

「泣かないでくださいよ」

 ついてきていたメモリアに困惑顔をさせてしまった。どうも情緒が不安定になっているみたいだな。少しだけ反省しつつ、しかし興奮が収まらない俺は、この場所を薦めてくれた秘書官殿の手をギュッと強く握って言った。

「ありがとう、ありがとう……!!

「だから泣かないでください!」

「あだっ!?

 ごつんと頭突きをされ、さすがの俺も正気に戻っていった。

 いや、ちょっとテンションがおかしくなっていたな。久しぶりの連休、久しぶりの行楽とはいえ、少し気が緩み過ぎていたみたいだ。

「休暇ではありますが、半分は公務としてここに来たのですからね? そのようにおかしな態度を人に見せてはいけませんよ?」

「はーい」

「羽目を外しすぎてもいけませんからね? あくまで皇族として、第一皇女の名に恥じない振る舞いを心がけてくださいね?」

「うんうん。うんうん」

 にこにこ笑顔の俺に、メモリアはそこはかとなく不安を感じているようだが──。

 経験上、ここで言っても仕方ないと判断したのだろう。彼女は小さくため息をつくと、気を取り直すように眼鏡めがねをくいっと上げるのだった。

「まあ、まずは現地に着いてからですね。もう到着するとは思いますが」

 そう言って窓の外に目を向けるメモリア。彼女の言う通り、すでに飛行船は発着場の上空に停止しているようだ。かと思えばすぐにも下降が開始されて、景色はゆるゆると下から上へと流れていった。

「さっ、準備を始めましょう。先方はすでに待機しているはずですよ」

「先方……この辺りの鉱山主だっけ?」

「正確には鉱山も含めた一帯の取りまとめ役ですね。貴族ではないのですが、下手な貴族よりも余程力を持っていますよ」

「いわゆる大地主というやつなのか?」

「それとはまた違いますよ。ここは皇帝直轄領の一部なので、どちらかと言えば彼女の立場は代官のようなものであって」

「こら! 間違うな! ここはもう女帝の直轄領ではないのだぞ!?

「ああ、そうでした。正確にはもう姫様に譲渡された土地で……」

………………

………………

「「…………うん?」」

 違和感にそろって動きを止める。ここには俺たちしかいないはずなのに、途中から誰かが会話に参加しているような……。

「って、うわっ!? ルウナ!?

「い、いつからそちらに!?

「つい先ほどだが?」

 いつの間にか、俺たちの間には小柄な第二皇女の姿があった。

 おそらくではあるが、話を始めたと同時にスッと入り込んできたのだろう。

 いや、そうじゃないと困る! 先ほどの大絶叫を聞かれていたら大いに困る!

「あ、あの、ルウナ、さん?」

「なんですか、姉さま?」

「特におかしなものとかは……見てないよね?」

「ええ。別段、そのようなものは見ておりませんが」

「自分の目を疑うようなものも……?」

「見ておりません。先ほども言いましたが、わたしはここに来たばかりですので」

 その言葉に俺とメモリアは「はああああ」と大きな息をはいた。

 幸いにして俺のイメージをぶち壊すシーンは見ていなかったみたいだ。思い返せば自分でもどうかなというはっちゃけぶりだったからな……。

「見られてなくて本当に良かった……!!

「そう思うなら少しは乱心を控えてください!」

 小声でメモリアに注意される俺。それをきょとんと見つめるルウナ。何ともいたたまれない空間は、しかし、すぐにも妹の手によって破られるのだった。

「それはそうと姉さま」

「な、何かな?」

「姉さまは見ましたか? あの絶景、あの雄大な山々を」

「ああ、うん。見た見た。すごかったよね?」

「はい! まさに霊峰、神々の座に相応ふさわしいだけのかんろくがありました!」

 美しさではなく威厳や風格に目が向くところ、そこがルウナらしいなと思いつつ、俺は興奮気味の妹に対してうなずいた。

「何と言っても大陸一の山脈だからね。その肩書きは伊達だてじゃないよ」

「大陸一の山脈……!! 響きからして素晴らしいです……!!

「まあ、いま見えているのはほんの一部分だけだけど」

「それでも十分です! この感動は変わりません!」

 今度はジーンと胸を震わせるルウナ。感受性が高いというか何というか、相変わらず感情の起伏が激しい妹である。黒きせん、いまは情熱家とも言える少女は、今度は腕を組んで大きくうんうんと納得をしていた。

「神宿る山、ペルフェス。ここは実に姉さまに相応しい領地と言えましょう」

「そ、そうかな。そうなの?」

「そうですとも! 少なくとも女帝の支配下にあるより千倍マシです!」

「うわーっ!? わああーっ!?

「遅くなってしまいましたが、領地の切り取り、おめでとうございます。このまま女帝のすべてを奪い取ってやりましょうね♪」

「朗らかな笑顔で物騒なことを言うんじゃない……!!

 ルウナに比べて俺の声は蚊の鳴くような声だった。

 女帝の耳はどこにでもある。いつどこで何を聞かれているのか分かったものじゃないからな……自然とおののく俺に対し、妹はどこまでも豪胆だった。

「さあ、船の接舷も済んだようです。くだんの代官とやらに会いに行きましょう!」

「えっ? ええと……?」

「つい先日まで女帝の配下だった者ですからね。いまの主人は誰なのか、腹の底から分からせてやろうではありませんか!」

 そう言うや否や、ルウナはふんふんと鼻息も荒く退室していった。

 あとに残されたのはぜんとする俺たちだけだ。にわかに騒がしくなってきた気配を感じながら、それでも俺が動けずにいると──。

 隣のメモリアがぽつんとつぶやくように問いかけてきた。

「あの……今さらではありますが……」

「なに……?」

「姫様のご公務に、なぜ妹君が同行されているのでしょう……?」

「魔の森では頑張ってくれたし……それに……」

「それに……?」

「置いていくと軍団ごと追いかけてきそうだから……」

「そうですか……」

「そうだよ……」

 ルウナという嵐に巻き込まれ、すっかり気が抜かれてしまった俺たちは、ほうけたような表情で揃って窓の外を眺めるのだった。


(って、いかんいかん!)

 数分後、我に返った俺は早足でスロープの上を歩いていた。

 かたわらには秘書官の姿が、そして前方の広場には親衛隊や団員たちの姿がある。

 すっかり待たせてしまったようだ。全部合わせて五百名ほど、りすぐりの軍人、武人が背筋を伸ばして整列していた。

 最後にゆっくり現れるのは、いかにも王侯貴族らしい行動と言えるが、

(そんな趣味、俺にはないしなあ)

 わずかに焦りを感じつつ、俺は地上へ続く階段を一気に駆け下りていくのだった。

「お待ちしておりました、姫様」

「無事、目的地に到着しましたね~?」

「だね。何事もなくて良かったよ」

「空賊と言いますか、不届き者が現れるかもと警戒していたのですが」

「い、いやあ、そこは心配いらなかったんじゃないかな?」

 ちらりと後ろを振り返ってみる。そこには軍艦とまがうような見事な船と、それを空に浮かべるための気球、魔道具などが係留されていた。

 元の世界にあった飛行船よりも随分といかめしい印象だ。船体には帝国の紋章が大きく描かれていることもあり、これを襲うには余程の覚悟と準備が必要に思えた。

 少なくとも野盗風情が気まぐれで襲撃できるものではない。魔物の生息域も近場にはなく、今回は特に安全な航路を進んだはずだった。

 俺なんかは、のん気に景色を楽しんでいたほどだったが──。

 しかしベラやソフィアの表情は晴れない。姉やたちは俺の耳元に顔を寄せると、人目をはばかるようにして小さな声で警告をしてきた。

「姫様、あまり油断はされませんように」

「姫様は邪教徒狩り、大悪魔狩りの英雄になりましたからね~」

「その姫様に手をかけ、帝国の威信をおとしめようというやからは増えたかと」

「あ……!?

 思わず口に手を当てて驚いてしまった。

 言われてみればそうだ。先の功績で俺の価値はグッと高まってしまっている。

 以前から暗殺、襲撃の危険はあったが、これから先はそれがますます激しくなっていくのだろうか?

「で、でもさ。開拓事業の際は特に何も起きなかったけど」

「それは軍団規模だったからですよ~」

「いくら凶手とはいえ、一万超の精鋭はさすがに避けて通りますよ」

「う、うう……!!

 ここで初めて焦りの感情が浮かんできた。

 考えてみれば遠出をするのもこれが久々の出来事だ。反帝国主義者には絶好の機会であり、ここを逃すような者はそもそも皇女なんて狙わないだろう。

 言わば俺は致命的な隙を見せてしまった子ウサギだ。その柔らかな肉を狙い、霊峰ペルフェスに凶手が集ってしまうのか……!?

「姉さま、気づかれましたか?」

「ひえっ!? な、何をかな?」

「出迎えの者たちです。何やら異様な気配を発していますが」

「えええ……!?

 見れば、確かに広場の端に奇妙な集団が何かを持って立っていた。

 あれは短めのこん棒だろうか? 布を抱えている者もいるが、ここからではいまいち詳細が見えてこない。全員がうつむいているのは臣下の礼なのか殺意の隠蔽なのか。ルウナの言う通り、異様な気配、籠った熱のようなものが離れていても感じられた。

「な、何だか妙ですね。話しかけても無反応でしたし」

「ルシオラ。もう挨拶してきたの?」

「それが秘書官の役目と思ったんですが……」

 主人の小さな体越しに、少女は集団をうかがったかと思うと、

「わーっ!? やっぱり彫像みたいですーっ!!

 すぐに泣き声を上げて団員たちの方へと逃げていった。

 いざという時は屈強な兵士に守ってもらおうというのだろう。小市民らしくちゃっかりとしたところを、しかし、誰も責めるようなことはしなかった。

(さて……)

 ここはどうしたものか。常識で考えればあれは出迎えの集団で、その先頭に立っているのが代表の代官だと思えるのだが。

(代官に化けた鉄砲玉だと笑い話にもできないしな)

 近づいたところで猛ダッシュ! 隠し持ったナイフでぐさりという展開になる。

 過去にそういった事件があったこともあり、俺がわずかに思案していると、

「あのう」

「うん?」

「アウローラ姫殿下でございますか?」

「あなた様が邪教徒殺し、悪魔殺しの皇女様で?」

「別に殺したわけじゃないけど……」

 いつの間にか小間使いらしき少女がふたり、近づいてきていた。

 厳戒態勢の中、ものじしない彼女らは確認するように俺の顔を見ている。

「やっぱり」

「肖像画で見た皇女様そっくりだよ」

「彫像ともそっくりだよね」

 ひそひそとささやき合う少女たち。彼女らが集団の方へと駆けていき、うつむく女たちに何やら耳打ちしたかと思うと──。

 まるで風船が膨らむように、一気に異様な空気が膨張していった!!

「な、なんだ!?

「姫様、気を引き締めてください!」

「メモリアちゃんはわたしの後ろに~!」

 集団に触発され、こちらの陣営も臨戦態勢に移行していった。

 すぐさま剣を抜く戦士たち。魔法陣を展開し、即時応戦しようと構える魔術師たち。

 破裂しそうな空気の中、しかし集団はひるむことなく、手に持つ棒や布を振り上げたかと思うと──。

「「「熱烈歓迎アウローラ姫殿下!!」」」

 感極まった声でそう叫ぶのだった。

「……ふあっ!?

 数拍遅れて俺の口から変な声が漏れた。

 周りのみんなはギョッとした表情で固まってしまっている。

 唯一自由なのは例の集団、百人ほどの女たちだけであり、そちらはそちらでくしゃくしゃになった顔で何度も大声を張り上げていた。

「うあ、うあああああーーーーっ!!

「やったー!! やったぞー!! ついに姫様がこの地に来られたー!!

「苦節十余年、何度この日を夢見たことか……!!

「新帝国万歳! アウローラ姫殿下、万歳!」

 棒と思ったのはサイリウムのような魔道具で、布と思ったのは熱烈歓迎の文字が記された横断幕だった。女たちの中には気絶した者、感極まって泣き崩れる者も多くいて、発着場の広場は先ほどとはまた違った熱気に包まれていた。

 とはいえ、こちらは俺にも覚えがあった。これはあれだ。アイドルのコンサート会場みたいなものだ。俺が定期的に行っているバルコニーでのお、そこから見える景色に目の前の光景が重なって見えた。

「何やら様子がおかしいが……」

「ここにいるみんな、姫様のファンということでしょうか~?」

「おそらくそうだと思いますよ」

「メモリア」

「この地域は根強いアウローラ派の拠点ですからね。ファンの集いも度々開かれていると聞きましたし、出迎えの時点でこうなるだろうとは予想していました」

「それならそうと言っておいて欲しかったんだけど?」

「実際はどうなのか分かりませんでしたし。警護や安全のことも考え、まずは様子見をしようと考えておりました」

「なるほど……」

 ずっと黙っていたと思ったら、抜け目なく相手を観察していたというわけだ。

 皇女の懐刀と呼ぶに相応ふさわしい言動に、俺だけでなくベラやソフィア、ルウナやルシオラさえも目を丸くして感心していた。

「あれが演技という可能性もありますが」

「さすがにそれはないだろう。あの様子は間違いなくガチ勢だよ」

「わたしもそう思います!」

「何やら親近感が湧いてきますね」

 元祖ガチ勢たちがにこにこと笑いながら太鼓判を押した。

 異様な熱気も蓋を開ければファンの熱気と分かったわけで、先ほどまであったけんのんな空気はいつの間にか霧散してしまっていた。

 集団の方も過度のたかぶりが収まったのだろう。いまだにぐすぐすとはなをすすってはいるが、比較的まともに見える人物がハンカチを畳みながら近づいてきていた。

「そこで一度止まれ」

「はい」

「あなたが代表の方ですか~?」

「ええ。この一帯を任されている統領でございます」

 素直に片膝をつき、長い髪を垂らして深く頭を下げる女性。

 三十代半ば、脂の乗ったやり手といった印象だ。領主にも通じるそうめいさが感じられ、しかし腰帯に「姫様うちわ」を挟んでいる水色髪の女は、にこりと柔らかく微笑ほほえんでから俺に向かって名乗りを始めた。

「あなた様が生の姫殿下」

「なま?」

「ああ、いえいえ、アウローラ姫殿下でありますね? わたくしは代々この地を仕切る家の当主。二十七代目のクリスティアでございます」

「ははあ、クリスティアさん」

「ありがたき幸せ」

「何が!?

 いきなり鼻血を出されたぞ……違う意味で大丈夫かこの女。

「失礼。早くも名を呼ばれるという幸運に耐えられませんでした」

「「「ずるーーーーー!!」」」

「はっはっはっ。これが統領の役得というものでございますな」

 配下の文句をさらりと流し、流血しているのにつやつや輝く顔でクリスティアなる統領女は続ける。

「ペルフェスに住まう一同、首を長くしてお待ちしておりました。いまやこの一帯はすべてがアウローラ姫殿下のもの。何もかもをご意向のままにいたしましょう」

「それは助かるけど……何だか妙に話が早いね?」

「この山は古くから尊き者かわいい子あがめる文化がありますゆえ。姫殿下の管理下に入るのはむしろご褒美、我らの本願でありました」

 爽やかな顔でおかしなことを言わないで欲しいな。統領の背後からは「尊い」「尊い」という声も聞こえてきて、俺は思わず引きつった笑みを浮かべてしまう。

 しかしクリスティアはそれさえざとく見つけてしまい、安心させるようにやはり柔らかく微笑ほほえむのだった。

「難しく考える必要はありませんよ。わたくしたちは喜びと共にあなた様にお仕えします。それを知っていてくださるだけで良いのです」

「うーん、言わんとすることは分かるけど」

「こちらからは何も求めませんので。ただ、ご尊顔を拝した際、気を失ったり祈りをささげたりするのを許していただきたいだけで」

「それはちょっと難しいかなあ……」

 まるであらひとがみのような扱いに、ついつい真顔で返してしまう俺であった。

「まあいいや。挨拶はこれくらいで仕事に移ろう」

「かしこまりました。では、早速館の方に移動していただいて」

「その前にね。まず聞いておきたいことがあるんだけど」

「はい。なんでしょうか?」

「この鉱山、問題は抱えていないよね?」

「それはもちろんです。経営はもちろん、人口の管理も順調ですよ」

「成果を偽装しているとか、密輸に関わっているとかはないよね?」

「無論です。むしろそういった手合いを出さないように気を配っております」

「鉱山の奥に封印された魔神がいたりだとか、過度の開発で山の神を怒らせたりだとか、統領の一族の中に反帝国主義の人間が隠れていたりだとか」

「何か過去に嫌なことでもあったのですか?」

 ここでノーと言えないのが俺の人生のつらいところだな……。

 ともあれ、その口ぶりや整った環境、従者が着ている服などを見ればおのずと多くが分かるものだ。メモリアの説明にもあった通り、ここは超が付くほどの優良な領地。その一点だけは真実と見て間違いはないだろう。

 となれば、あとは温泉を楽しむだけなんだが、

(いやいや!)

 緩みかけた気分を締め直す。これはあくまで休暇を兼ねた公務! 新たな領主として、やるべきことはきちんとやらねば面目が立つまい!

 表情もキリリと整えて、俺は家臣を伴い、いざ視察へ乗り出そうとして、

「ところで姫殿下」

「何かな?」

「この喜ばしい日、歓待の準備はできておりますゆえ」

「歓待? 歓待というと?」

「この地が誇る至高の泉に、やはりこの地が誇る麗しき宝玉そろえております」

「うん……それで?」

「姫殿下が望むのであれば、そちらの浴場を自由に使っていただいても」

「詳しい話を聞こうか?」

「姫様ッ!!

 気がつくと頭に角を生やしたメモリアに腕を引かれていた。

 神の宿る山、霊峰ペルフェス。ここは確かに豊かで実りの多い土地なのだろうが──。

 その分誘惑も多く、俺を引きつけてまない楽園でもあるのだった。


    ‐3‐


 結果から言えば驚くほどに何もなかった。

 もちろん鉱山の視察のことだ。俺が手に入れた新しい領地、良質な魔石を多く産出する山々は、事前に読んだ資料の通りに安全かつ効率的な採掘がされていた。

 無理な開発は絶対にしない! 鉱員、作業員にもちやをさせない! 鉱山間の道路は余裕を持って整えておく! 環境にも配慮し、湖や川の水を無闇やたらと汚さない!

(なんだこれ、完璧か……?)

 少なくとも欠点や問題点は見当たらない。

 俺が恐れていた「実はこんな事情がありまして」なんて暴露も存在しない。

 やはり何もなかった。俺が何かをする必要はまるでなかった。鉱山の管理運営はクリスティアがきちんとやり遂げていた!!

(やったーーーーーーーーーーーーーっ!!

 やったぞ! 久しぶりにスムーズに視察を終えられた!

 俺が何かをしようとすると、いっつも事件やトラブルが起きるからな……。

(暗殺者の襲撃くらいは覚悟したけど)

 考えてみれば精鋭五百人規模の集団行動である。

 ノックス・レギオンのような圧倒的戦力はないものの、俺の親衛隊、妹の親衛隊、そして護衛の兵士たちなら大抵の相手は脅威にさえならないはずだ。

 それでも襲われる可能性もなくはないが、そこまで心配していたら日常生活さえ送れなくなるというものだ。

 ここは楽観的にどっしりと構え、俺は休暇の方を存分に楽しむつもりでいた。


 視察を終え、宿に案内され、一息入れてから脱衣所へ移動。

 急いで服を脱ぎ終えて、お供も待たずに駆け込んだ先にあったのは──。

 言うまでもなく、この世の天国、温泉だった。

「おおおお~~~……!!

 開放感のある広間で感嘆の声を上げる。

 山の斜面にある浴場は、洗い場から先が露天風呂のように広がっていた。まるでざっくりと切り取られたかのように広がる光景、その中には雄大な山々があり、青く澄み渡った大空があり、そして棚田のような他の温泉の一部も見えた。

 風呂にかりながら景色も堪能させようという腹積もりだろうか。無駄な装飾を省く辺り、この土地の人や設計者の美意識のようなものも感じられる。

 調べれば温泉の歴史、成り立ちのようなものも分かるとは思うが──。

 まずは入浴、温泉に浸かることが何より大事だ。かけ湯でしっかりと汗を流し、俺はたっぷりと湯をたたえた風呂へと身を沈めていく。

「う、くっ」

 高原の冷たい空気、そして涼やかな風でかじかんでいた体がじんとしびれる。

 決して悪い感覚ではない。お湯も熱すぎずぬるすぎずの好みの温度だ。温泉の中で俺の体はゆるゆるとほどけ、まるでとろけるように硬い部分もほぐれていった。

 もうきちんと座っていることもできない。この感覚とぬくもりは脱力さえも生じさせる。たまらず体を投げ出して、風呂の縁をまくら代わりにしてから、俺は大きく間延びした声を漏らすのだった。

「ふわあああああ~~~……♪」

 どうにもだらしない顔をしてしまったな……このふにゃふにゃにかんしきった姿、決して臣民には見せられまいて!

 幸いなことにこの浴場、というよりもこの宿自体が皇女ご一行の完全貸し切り状態となっている。これから滞在する六日間、部外者はここに近づくことさえできないようだ。

 だから誰かに見られる心配はないのだけど──。

 もうすぐみんなも来るなと思い、俺は湯に浸かったまま入り口の方へと顔を向けた。

「ここが話にあった露天風呂か」

「わ~! とっても素敵なお風呂だね~?」

「姉さま! わたしも来ましたよ!」

「ひ、姫様! 前くらい隠してください!」

 やってきたのは身内中の身内と呼べる者たちだった。

 ふたりの姉やに妹とその秘書官。彼女らは魔石ランプがともる洗い場から、夕暮れ前の空の下へと近づいてくる。すっぽんぽんなのはうちの妹くらいなものだ。みんなは器用にタオルを巻き、礼を失しない程度に裸体を隠している。内ひとりはどう見ても大きな胸が収まり切っていないが、そちらに目を向けるんじゃない! 吸い込まれるぞ!!

「姉さま?」

「はっ!?

 いつの間にか隣にいたルウナに呼び戻された。

 本当に危ないところだった……まさに危機一髪な状況だったな。ソフィアの胸をなるべく意識しないようにしつつ、俺は改めてみんなの方を向くのであった。

「こほん。みんないらっしゃい。先に来て待っていたよ?」

「少し早すぎですよ! 部屋で待っていてくれても良かったですのに」

「相変わらず姫さまはお風呂が好きですよね~?」

「宮殿にも大浴場がありますのに」

「あれとはまた別だよ。温泉には温泉の良さがあるんだ」

 入浴中も腕を取って抱きつくルウナ。適度な距離を取るベラとソフィアに、何やらすみっこの方で小さく縮こまっているルシオラ。

「って、あれ? なんでそんなに離れているの?」

…………っ!!

「もっと近くにくればいいのに」

 純粋に疑問に思う俺に対し、少女の反応は極めて分かりやすいものだった。

「いえいえいえ! ここはあたしなんかがいていい場所じゃありませんし! 分不相応ですし、そもそも同じ湯に浸かること自体あり得ませんし!」

「そんなことないよ。ルウナの秘書官なんだから、ここにいてもいいんだよ?」

「いけませんよぉ。あたしなんて庶民の出ですし、体つきだって、人に見せられるほど立派なもんじゃありませんし……」

 ぼそぼそとしゃべり、ちらりちらりとこちらを見てくる少女。

 その姿を見て、ようやく俺にも彼女の真意が見えてきたのだが──。

 しかしそこには決定的な間違いがあった。認知のゆがみとも言える思い込みに、俺は諭すように妹の秘書官と向かい合った。

「そう自分を卑下してはいけないよ、ルシオラ」

「え、えっ? ど、どういうことでしょう?」

「あなたは自分の体を貧相だと思っているでしょう? とても誇れるものではないと、他の人にはかなわないと思い込んでいるはずです」

「実際そうですからね……みなさんとは比べ物になりませんよ」

「確かにそうかもしれない。そう評する者も多いでしょうね」

「でも」と言葉を区切り、俺はぐるりと周りを見回した。

 ベラの日に焼け、引き締まった体。ソフィアの豊満な体つきと柔らかそうな肌。

 俺たち姉妹に至ってはまさに玉体そのものと言えるだろう。そういったものに比べれば、ルシオラの体はやや色黒で、発育も悪いように感じられるが、

「そもそも女性の体に良い悪いなんてないの」

「え、えっと? その……つまり?」

「みんな違ってみんないい。女の子はみんな素晴らしいのです」

「悟りきったような目が逆にさんくさいです!!

 思いっきりツッコまれてしまった……むう、説得は失敗だったか。

 まあこればかりは仕方がない。そのうち慣れてくれるだろうと、俺はルシオラのことをあえて放っておくことに決めた。

(無理に近づけさせて、かえって恐縮させてもなんだしな)

 大前提として、彼女は俺ではなく妹のルウナの秘書官である。あれこれ口を出すのも筋違いというものであり、俺はこれ以上の過干渉を避けることにして、

(って、あれ?)

 秘書官と言えば、俺の秘書官はどこに行ったんだろう?

 ここに来るまでは同じ部屋にいたと思うんだが──。

「メモリアは? 一緒じゃなかったの?」

「そういえばいませんね」

「脱衣所にはいたはずですけど~?」

 きょろきょろと辺りに目をやる俺たち。もしや用事があって部屋に帰ったのか、と思い始めたところで、

「ああ、いました!」

 ルウナが入り口の方、洗い場の陰を指差して言った。

 そちらに目を向けると確かにメモリアがいたのだが、

(……なんで隠れているんだろう?)

 奇妙なことに、彼女は柱に隠れるようにしてこちらを見ていた。

 眼鏡めがねを外しているからまっすぐ歩けない……というわけではなさそうだ。メモリアはそこまで視力が悪いわけではないし、一時的に視力を上げる魔法というものもこの世界にはきちんと存在していた。

 ではなぜあのように足をすくませているのだろうか? 湧いてくる疑問に、俺はいよいよ彼女に声をかけようとしたが──。

 それより早く、メモリアはおずおずと出てきて近づいてくるのだった。

「うう……」

…………?

 なんだろう、のぼせてもいないのに顔が真っ赤だ。

 つま先からゆっくりと湯に浸かっていったが、俺とは違って体がほぐれていくような様子も見えない。表情も含め、依然として固くこわった姿のままだ。

「メモリア?」

「は、はい。なんでしょうか?」

 眼鏡もないのに眼鏡を「くいっ」とさせる秘書官殿。

 見るからに緊張している彼女に対し、俺はなおも首をかしげて思案にふける。

(ルシオラと同じ理由ではなさそうだけど……)

 では一体なんなのかと考えたところで──。

 電撃のように、急に答えがビビッと頭に浮かび上がった!

「そういえば一緒にお風呂に入るのは久しぶりだ!」

「そうですよ!」

「えっ、何年ぶりだろ……子どもの時以来!?

「そうです! もう、早く気づいてくださいよ」

 ますます顔を赤くして答えたメモリア。どうやらそれが真相のようだった。

「純粋に慣れていないんですよ。子どもの頃ならまだしも、私は他の誰かとお風呂に入る習慣なんてありませんからね」

「それならそうと言ってくれればいいのに」

「言う前に誘われたんですよ。それを無視してひとりで入るのも変でしょう?」

「それはまあ、確かに……そうかも?」

 曖昧な返事をする俺に対し、メモリアはなおも不満げな様子を見せている。

 腕を組み、ふんとそっぽを向きながら、しかし視線はこちらをちらりとうかがっている。随分と器用な真似まねをする少女に、俺はかえって笑いがこみあげてくるのを感じていた。

「昔はむしろこちらが誘われる側だったんだけどな」

「昔は昔、いまはいまです。もうそのようなことはしません」

「あの頃の『髪を洗わせたガール』はもうこの世にいないのか……」

「い・ま・せ・ん! いますぐここで忘れてください!」

「ちょっとさびしい気もするな」

「私は全然しませんけどね!」

 真正面に座って真っ赤な顔を見せる少女。そんなところもかわいいなと思いながら、でも、そろそろ切り上げようかと考えていると、

「……うん?」

 他の子もぐぬぬと口をへの字にしているのに気がついた。

 ルシオラは別として、ルウナを筆頭に随分と悔しげな表情を見せている。

 何かたまりかねたことでもあったのだろうか? 黒きせんはぐいっと身を寄せてくると、いかにも不機嫌そうな顔を近づけてこう言ってきた。

「姉さまっ!」

「はいっ」

「メモリアに構いすぎだと思います!」

「そうです!」「そうです~!」

「ここにはわたしたちもいるのですよ? ふたりの世界に浸るのは厳禁です!」

 その言葉に姉やたちもうんうんとうなずいている。

 どうやら俺は彼女らの不興を買ってしまったようだ。おさなじみ同士にしか分からない共通の話題、それを目の前でじっくり語られるのはさすがに看過できなかったのだろう。

「どうせ浸るのなら姉妹水入らずの時間にしましょう!」

「いや、それはそれでおかしくないかな……?」

「おかしくありません! それがこの世の真理なのです!」

「そっかぁ」

 ここまで言い切られるとそれが真理なのかもと思えてくる。

 もちろんそんなはずはなく、俺が妹を落ち着かせようとすると、

「姫さま~? わたしとの時間はどうでしょう~?」

「ひえっ!?

「旅先でのお勉強も乙なものですよ~?」

「あわわわわ……!?

 今度は大質量が間近に接近してきた! 妹とは反対側の腕をからられている!

 何か大きく柔らかいものを感じるが、それを意識してしまえばそこで終わりだ。

 底なし沼にみ込まれないよう、俺は必死に念仏を頭の中で唱え始めて、

「姫様。惑わされてはいけませんよ!」

「ベラ!」

「姫様には私たちがついております。その時間こそ大切にしましょう」

「……うん?」

「おーい、お前たち! 出番だ!」

「「「はーーーーーーい♪」」」

「なんかゾロゾロ湧き出してきた!」

 その全員が俺の親衛隊だから、特におかしな話ではないのだが──。

 いや、おかしいよ! 何もかもおかしい! なんで全員集合の事態になるんだ!?

 常軌を逸した展開にだった頭がついていかない。俺は嵐に翻弄される木の葉のように、ただ「姫様取り合い合戦」の渦に巻き込まれていく。

(あ~~~~~~……)

 声にならない声も群れの中へと消えていく。

 結局、この騒ぎは俺がのぼせて倒れるまで続くのだった。


    ‐4‐


 楽しい時間は早く過ぎ去ってしまうもので、気がつくと休暇兼公務も終わりと帰還が見えてきていた。五泊六日の日程のうち、すでに四日もの日数が経過している。最終日が移動日だと考えると、実質的に今日がここで過ごせる最後の日になるだろう。

 ペルフェスでの休暇は実に素晴らしいものとなった。湯量豊富で種類も多い温泉。牧場で作られたばかりの新鮮な乳製品。ふかふかのベッドでは毎日ぐっすりと眠ることができて、自分でも気づいていなかった日頃の疲れ、そのすべてがまるで溶かされたように消えていくのを感じられた。

 一方の公務も順調そのもので、視察はどこに行っても統領の善政が見られ、今後の統治の勉強になること、参考になるものも数多く知ることができた。唯一危惧していた襲撃も事前に警備兵が怪しい者を見つけて見事に捕らえてしまったらしい。

 さすが皇帝直轄領と言うべきだろうか、歴史ある霊峰は俺に多くの恵みと成果をもたらしてくれた。これ以上は望むべくもなく、そのこと自体は何の不満もないのだが、

(でもなあ……)

 あまりの完璧っぷりに、逆に焦燥感も覚えるのだった。


 ペルフェス滞在五日目の朝、俺はメモリアを伴ってペルクの街を歩いていた。

 ここは温泉街や牧場、鉱山などをつなげる扇の要だ。鉱員や作業員、職人たちの住居も大部分がこの街に集まっていて、それゆえか通りには朝から多くの屋台が立ち並んでいる。

 ここで腹を満たしてサッと職場に出かけていくのだ。何度か見た光景に目の前の光景も加えつつ、俺は屋台で買った軽食をぽいと口の中へと放り込んだ。

(うーん、美味うまい)

 それはペルクでは一般的な食べ物だった。小ぶりな新じゃがに硬い衣をまとわせたような揚げ物で、パリパリと小気味よく砕けて芋とチーズの後味を残す。中身のねっとりとした食感も大したものだ。これをどうにか帝都でも売り出すことができないものか、俺は真剣にそのようなことを考えていて、

(いや、だから感心している場合じゃなくて!)

 自分の手で改善できる箇所はないかと、そう思って見て回っていたのに──。

 気づけば「ペルフェスすごい」「クリスティアすごい」ということばかり考えている。

 繰り返しになるが、それ自体は良いことだと思うんだが、

(これじゃ新領主としての立場がないよなあ)

 結局はその「ぜいたくな悩み」へと行きついてしまうのだった。

「はあ……」

「姫様? どうかなさいましたか?」

「いや……見れば見るほど隙がないなって」

「それはそうですよ。書類上でも善政が見て取れましたもの」

「だけど実際は何かあるんじゃないかと思ったけど」

「まったくのゆうでしたね。ペルクの街、およびペルフェスは良い領地でした」

 淡々と事実を述べる秘書官メモリア。現実主義者の少女は、俺よりもかなり早い段階でこの一帯の真価について見抜いていたようだ。

「もう何度でも言いますが、今さら姫様が何かをする必要はありませんよ。管理はこれまで通り統領に一任し、姫様はどんと構えていれば良いのです」

 それが皇族としての正しい姿勢ですよ、とは昨日の晩にも聞いた言葉だ。

 これから先、区画や領地を人に任せることも増えるだろう。その第一歩がペルフェスだったことはむしろ幸運で、これをモデルケースに色々学べることも多そうだ。

「新領主として存在感を示したかったんだけどなあ」

「またライブをされますか? サイン会も喜ばれますよ?」

「……どっちも領主の仕事じゃなくない?」

「臣民が喜べばそれがその場の正解なのです」

 しれっと答えるメモリアにげんなりとした顔を向けてみる。

 それさえ受け流す鉄の少女に、俺は大きくため息をついてみせるのだった。

「まあ、下手に手を出して混乱させてもいけないよな」

「そうですよ。『あえて何もしない』も立派な選択肢のひとつです」

「今回はそれを知ったのが最大の成果だったということで」

「数日にわたる模索と熟考、お疲れ様でした」

 ねぎらいの言葉を受け、俺は今度こそ重荷が下りたような気分を味わっていた。

 うんと背筋を伸ばしてみる。今日もペルフェスはいい天気で、穏やかな日差し、澄んだ空気には神々のおんちようさえも感じられた。

 お忍び効果のある腕輪をキュッとなで、俺はふっと肩の力を抜くのだった。

「さて、と。じゃあ、あとはのんびり過ごすとするかな」

「一度宿に戻られますか?」

「いや、適当に歩いてみる。メモリアも自由にしていいよ」

「特に予定もないので姫様に同行しようと思いますが……構いませんか?」

「つまりデートということだな? よし、行こう!」

「え? いえ、あの、そういうつもりではなく……!?

「行くぞーーーーーーっ!!

「うわああああっ!?

 仕事明けのテンションのように明るくはしゃいで背を押す俺。メモリアはそれを驚きの表情で受け止めていたが、やがてくすくす微笑ほほえむようになっていった。

「なんですか、もう。いつも急に変なことばかりをして」

 仕方ない人ですね、とばかりに笑ってみせる幼馴染の少女に、俺はますますテンションを上げて列車のように走っていった。理由もなく湧いてくる楽しさに、俺はどこへ行くともなくメモリアの背を押し続けて、

「ぶべっ!?

「姫様!?

 直後、何かにけつまずいて盛大に地面を転がるのだった。

「えっ、ひ、姫様? 大丈夫ですか?」

「な、何とか……げほっ、何とか無事……」

 ヨガみたいなポーズでどうにかメモリアに返事をしてみる。魔法のおかげで転んだ程度じゃしないが、衝撃や圧迫感くらいは感じるんだよな……。

 もう一度大きくんで、俺はよっこいしょと小さく言って立ち上がった。

「はあ。ひどい目にあった」

「自業自得な気もしますが……これのせいでもありますね」

「これ?」

 メモリアの視線を追ってみると、建物の脇に積まれ、それでも収まり切らずに道路にこぼれていた魔石の塊が見えた。

「これにつまずいたみたいですね」

「なるほどだけど……なんか妙に大きい魔石だな」

「魔石、なんですかね? 随分と濁っているように見えますが」

「不純物が多いのかも。それとも研磨前だとか?」

 うーんと腕を組んで考え込む俺たち。一般的な知識はあるが、専門的な知識となると分からないことも多いからな。ましてやこんな形状の魔石(?)は図鑑や本でも見たことがなく、物知りメモリアもただげんに塊を見るばかりだった。

「形状もいびつですね。大きさも一定してませんし」

「クズ魔石ってことかな? あとで捨てるためにまとめてるとか?」

「かもしれませんが……どうもしっくりきませんね」

 すっかり足を止め、謎の鉱石についてああでもない、こうでもないとメモリアと推論を交わしてみる。それは十分、二十分と続きそうな気配があったが──。

 肝心の答えもまた、ばったりと出くわすように現れるのだった。

ガントウがまたまってきたよ』

『ちょいと! あんた、処理場に運んでおくれ!』

『ええ? おれぁ、配達があるんだけど』

『そっちはあとでいいから! まずはガントウの処理処理!』

『はいよー』

 建物の中から声が聞こえ、すぐにのそのそと大柄なおじさんが荷車を引いて出てきた。

 彼は俺たちに気づいているのかいないのか、やはり緩慢な動きでガントウなるものを荷車の台へと積んでいった。

「これさえなけりゃ、だいぶ楽になるんだけどな」

 ぼやきながら荷造りを進める彼は、実に面倒臭そうにまたガントウを積み上げて、

「お……? っとお!?

 俺たちの存在に気づき、危うく鉱石を取り落としそうになった。

 幸い、足の上に落としこそしなかったが──。

 積んでいたガントウがわずかに崩れ、しかし、彼はそれを気にする風でもなかった。

「こりゃまた、どうも」

 とりあえずといった感じで頭を下げるおじさん。応じてぺこりと頭を下げる俺たちに、彼はぎこちなく後ろを指差しながら言った。

「ええと……うちに何か用でも?」

「ああ、いえ。ただちょっと、この魔石を見ていただけで」

「魔石? こりゃあただのガントウですぜ?」

「そのガントウとは何なのでしょうか? 何か特殊な鉱石ですか?」

「そんな大層なもんじゃありませんよ。水晶糖の出来損ない、使い道のないがんとうです」

「「ああ、岩糖」」

 正しい名前と意味を知り、俺たちはぽんと手を打った。

 水晶糖。岩糖。どちらも帝都の薬屋で売っているようなものだった。

「元はこんな形だったんだ」

「煎じて粉にしたものしか知りませんでしたよ」

「まあ……それくらいですかね。普通の店に並んでいるのは」

「一応、魔力補給の薬の材料にもなるんですよね?」

「カサ増しみたいなもんですよ。あんまし効果はありません」

 バリバリと頭の後ろをかく大男。彼は居心地悪そうに体を揺すると、ここから逃れるように会話を終わらせてきた。

「すんません、仕事があるんで、俺ぁこれで」

「あ、す、すみません!」

「ど、どうぞ行ってください」

 話はそれきり、男はのそりと頭を下げて去っていった。

 俺たちはそれをしばらくの間、見送ってから──。

 まだたくさん残っている岩糖の塊に目をやっていた。

「これって加工前の岩糖だったんだな」

「だとすると、ここは岩糖や水晶糖の加工場でしょうか?」

「岩糖は廃棄物じゃないかな。わざわざ積んで捨てに行くくらいだし」

「ふうむ……」

 興味深そうに身を乗り出すメモリア。元々好奇心や探究心は旺盛な子で、今日はそういった面が強く出ているようだった。

 とはいえ、種明かしをされれば目の前の塊はただの岩糖でしかない。ここでは文字通り掃いて捨てられているもので、そこに神秘や不思議、世界の謎が隠れているようにはとても思えなかった。

(広い意味では魔石の一種ではあるんだけど)

 魔道具に組み込むこともできないのがこの岩糖という代物だ。

 糖の名の通りちょっぴり甘くて食べられるのが取り得だが、だからどうしたと言えるような効果しか持ってはいなかった。

「もったいないですね。何かしら使い道はありそうですのに」

「ありそうだけどないんだろうな。薬のカサ増しとか言われてたし」

「それほど甘い話はないということですか……」

「……岩糖だけに?」

「……? ……~~~っ!!

 すぐに気づいたメモリアが「洒落しやれではありませんからね!?」と肩を揺すってきた。

 そんなかわいい秘書官に苦笑しながら、俺はゆっくりと街の中心部へと戻ろうとする。

 使い道のない岩糖、この街の廃棄物のことは、それと同時に意識の外へと出ていこうとしていたが──。

 ふと思いついたこともあり、先ほどの店へくるりと引き返していくのだった。


 岩糖、水晶糖、宝玉糖。これら魔糖は大地に染み込んだ魔力が結晶化したものであり、通常の魔石や宝玉とは異なる変化を遂げたものでもあった。

 比較的もろい物質という一面もあるが、その最大の特徴はやはり生き物が摂取可能ということだろう。端的に言えばバリバリとくだいて食べられる。あめだまのようにしゃぶって溶かすこともでき、その味は岩塩などとは違って甘かった。

 正確には「甘く感じている」だけだそうだが──。

 詳しい理屈はさておいて、俺はこの魔糖を使って何か商品を作るつもりでいた。

「というわけで、ソフィア先生! お願いします!」

 先ほどの店で譲ってもらった岩糖、水晶糖の削りカスを宿の一室で広げてみせた。

 俺とメモリアの前には《導師》であるソフィアが穏やかな顔で微笑んでいる。

「そうですか~。これをどうにか使えるように~」

 ふわふわと明るい顔を見せる姉や。一瞬、これは上手うまくいくかと思ったが、

「う~~~~~~~ん……」

 考え込んだ彼女の表情を見て、勢い任せの計画が瞬時にとん挫したことを悟っていた。

「やっぱりダメか!」

「ソフィア様なら、と思ったのですが」

 落ち込む俺たちは上げていた腰をソファーへと下ろした。いくら《導師》とはいえ導けるものと導けないものがあるのだ。その道理をわきまえつつ、しかし若干期待した目でソフィアを見るも、

「シロップやポーションに~、使えなくもありませんが~」

 言葉を濁す姉やに、今度こそ肩を落とすのだった。

「廃棄物が何かに使えればいいなと思ったんだけど……」

「思いつきは思いつき、見事に散ってしまいましたね……」

「やっぱり味がダメなのかな?」

「どうにも癖のあるものですからね」

 メモリアとふたりで反省会を始める。そんな諦めの早い俺たちに、ソフィアはさり気なく水を向けてきた。

「街の人のお話などは~、いかがでしたか~?」

「ああ、うん。聞いてきたけど、あんまりいいものはなかったよ」

「魔力不足の土地にいたり山に撒いたり、魔法植物を育てる際の肥料にしたり」

「廃鉱山にばら撒いてみて、鉱床の再生も企画したらしいけど」

「どれも上手くいかなかったようです。やはり効果が薄いのだと」

「でしょうね~。なにせ、食べてこそ真価を発揮するものなので~」

「魔石のように使っても意味がないんだね……」

「はい~」

 こくりとうなずくソフィア。普段はゆるふわな彼女も知識に関しては右に出る者がいないほどの賢者だ。それほどの人に半ば無理だと言われると、やはりちやな計画だったと悔いる気持ちが浮かんできて、

「あっ、そうだ! シロップにはできるんだよね?」

「できますが~。味はとっても微妙ですよ~?」

「幼い頃に飲んだことのある私が言います。あれは人が飲むものではありません」

「え、そんなに?」

「ええ。たとえるなら飴玉を溶かしたジュースか、あるいはそれをハーブと煮詰めて作った薬液と言いますか」

「うっ……!? 微妙に想像できるところが嫌だ……!!

「ご理解いただけてうれしいです」

 ちっとも嬉しくなさそうな顔でメモリアがそう締めくくった。

 宝玉糖や水晶糖はたまに口にするけれど、あれを溶かして飲んでも美味おいしいとは思えないよな……どこかのっぺりとした風味もあり、純粋に味が好きで食べている人は俺の周りには少なかった。

「姫様。そもそも魔糖は魔力補給のための物資なのでは?」

「ああ、親衛隊はよく口にしてるよね。噛み砕いているとも言うけど」

「戦闘時に悠長になめている暇などありませんので。部下にも噛めと教えています」

「うーん、そっかあ」

 ここまで割り切れば補給アイテムとしても使えるんだろうけど──。

 でもそれは、加工なんて必要ない! 効果が欲しけりゃそのまま食え! という無慈悲な宣告になってしまう。そのやり方も結局は水晶糖以上、ある程度の魔力を備えた魔糖が適しているわけで、これでは岩糖の在庫処理には結びつかなかった。

「せめて岩糖シロップが美味しかったら良かったのにね」

「姫さま~、それは高望みというものですよ~?」

「良薬は口に苦しとも申します。美味しい薬なんてありませんよ」

「いや、私たちは過去に姫様専用の甘い丸薬を作ったが?」

「あれは糖衣で包んだだけだよ~」

「む……今回の件とはまた違ったか」

 ベラを中心に少し朗らかな空気が部屋に流れた。確かに岩糖加工には関係ないが、みんなの気持ちをほぐすのには役に立ったように見える。

(それにしても、糖衣、美味しい薬、薬を美味しく飲む方法かあ)

 そんなものがあればいいのになと、もう一度ふふっと笑おうとして、

……………………ん?」

 なんだろう、いま、いきなり答えを引き当てた気分だ。

 薬を美味しく飲む方法? そんなの前世では何度も聞いたことじゃないか!

 そうやって作られたものを俺は日常的に飲んでいた。それなのにいまのいままで忘れていたなんて、自分に対する腹立たしささえ湧き上がってきた。

(まあいい。とにかく試作だ!)

 怒りはいったん封じ込め、俺は早速美味しい薬を作ることを決めた。

 材料はすべてこの宿のちゆうぼうにあったはず。中心となる魔糖はすでに一定量がここにそろっている。あとは俺がこの舌とセンスで作り上げるだけだ!

「ソフィア! ちょっとこれで岩糖シロップを作っておいて!」

「ええ~!?

「ベラとメモリアはグラスと氷を用意しておいて!」

「あの、えっ、ええっ!?

「姫様!?

 驚きの声を上げる側近たちを残し、俺は宿の中を駆け巡っていった。

 欲しいものはフルーツシロップ各種。それに生薬、ハーブ、原料の類だ。

 それらを揃えて部屋に戻ってくると、用意はすっかり整えられ、広いテーブルの上には望んだ通りのものがきちんと用意されていた。

 やはり持つべきものは頼りになる仲間たちだ……。

 彼女らの助力に感謝をしつつ、俺は早速材料の調合に取りかかることにした。

「姫様、一体、これは何を……?」

 秘書官の言葉にも応じず持ち込んだものを混ぜ込んでいく。ベースとなるのは岩糖シロップ。そこにフルーツシロップや比較的無難なハーブなどを加えてみる。

 そうして出来上がったものを炭酸水で割ってみて──。

…………んん?」

 悪くはないが良くもないな。もう少しピリッとした刺激が欲しいところだ。

 分けておいた原液にしようしようを加えてみる。すると一気に味が引き締まったが、今度は岩糖シロップの無機質さが浮き彫りになってしまった。

「もうちょいフルーツを足してみるかな」

 ひとち、新たなシロップを加える俺。そんなあるじをハラハラと見守り、たまらずメモリアが口にした言葉は、

「毒薬でも作っておられるのですか……?」

「違いますーっ!!

 なんとも信用のないものだったが、まあ、きっと過去のトラウマ味体験が影響しているのだろう。こればかりは説明しないと分からないかなと思い、俺はここで自分の狙い、思惑というものを身近な彼女らに打ち明けていった。

「これは美味しく飲める薬を作ろうとしているんだよ」

「「「美味しく飲める薬……?」」」

「そう。理想を言えばジュースみたいに飲める薬」

「それは薬と呼べるのでしょうか?」

「考え方としては面白いかもしれませんが~」

「すでに美味しいものには見えなくなりつつあるのですが」

 ベラの言葉にうんうんとうなずくメモリアとソフィア。

 まあ、うん。これは仕方ない。各種シロップが織りなすどどめ色の海にハーブや生薬が残骸のように浮かんでいるんだからな。

 でもこれはあくまで製造過程! 最終的にいい感じの色に調整すれば構わないんだ!

(コーラやエナジードリンクみたいにな)

 そう、俺が作ろうとしていたのはこれらの炭酸飲料だった。

 薬を甘くしてフレーバーを付けて炭酸で割って飲みやすくするという手法! ある意味では本末転倒のような製法が、岩糖の大量消費には向いているように思えた。

「やっぱり人工甘味料みたいな風味がするな。そこをかしてみようか」

「ひ、姫様? めましょう。食べ物で遊んではいけませんよ?」

「いやいや、ここからすごいのが生まれるから!」

「どういう意味で凄いのですか!? やはり危ないものなのですか!?

「う~ん、思ったより味はいい、かも~?」

「私には甘ったるいだけだな。辛口のジンジャーエールで割りませんか?」

「お二方まで! どうか姫様を止めてください! ひ、姫様を!」

「楽しげな気配がするので来てみました」

「あーーーーーっ!?

 ルウナの登場によってますます混迷の度合いを深める宿の一室。

 慌てふためく秘書官殿と、いつの間にか開発に加わったふたりの姉やたち。

 結局、この日だけで理想の飲料を完成させることはできなかったのだが──。

 研究を引き継いだクリスティアが地元の人たちと完成させ、のちに「アウローラ印の活力飲料」として大々的に売り出すこととなった。

 人気は爆発、効果も抜群、飲料はすぐにも人気商品の仲間入りを果たすことになる。

 肝心の岩糖の余りもこれで解消されるかに、思われたが……。

 しかし、この時の俺たちはまだ何も知らなかった。

 これが後の世で魔剤と呼ばれることも。アウローラ印の不眠薬と呼ばれることも。

 中毒者を生み出す恐怖の飲料として恐れられ、その一方で熱烈な支持を受け、様々なフレーバーが生み出されていくことも──。

 そんな飲料の原型が、いままさに宿の一室で生まれようとしていた──!!