第一章「第二皇女、あらわる!」




    ‐1‐


 以前、どこかで触れただろうか?

 俺には妹がいるということを。それは二歳年下の少女であるということを。

 彼女の名前はルウナ。東洋人の血を引く「種違い」の妹であり、その姿はえい姿さつそう、実に皇族らしい皇族だと言われている。

 長い黒髪に涼やかな目元。しなやかな手足に引き締まった体。小さな顔はいつも自信と誇りに満ちていて、何があっても、それが崩れるようなことは滅多になかった。

 アイドルまがいの俺よりも余程皇女に相応ふさわしいと言えるだろう。他人におもねることなく、常に堂々と振る舞う妹には、すでに威厳やカリスマが備わっているようにも思える。

 将来は間違いなくりんとした美人になるはずだ。仮に皇位に就いたらさぞや立派な女帝になることだろう。そんなことを予感させる妹は──。

 しかし、今は子猫のように俺のひざの上で甘えていた。


「姉さま、姉さまぁ♪」

「ううーん♪ うにゃーん♪」

「ごろごろごろ……♪」

「もっとなでてください、姉さま♪」

 五月上旬、某日。ルウナ姫殿下は俺にじゃれつきながらとろけていた。

 表情も体もかんしきっている。まるで餅かチーズのごとくにとろとろだ。

 これが世間で言われる第二皇女の姿とは思えない。人というよりはやはり子猫のようで、俺はそんな妹を乞われるがままになで続けていた。

「気持ちいい?」

「気持ちいいです~♪」

「もっとなでてほしい?」

「はい~♪」

 ソファーの上、俺のひざの上でふにゃふにゃと体をくねらせる妹。

 かわいいなあ。実にかわいい。その幸せそうな顔を見ていると、もっとなでたいな、もっと構ってあげたいなという気持ちがじんわりと胸に浮かんできて──。

(いやいや)

 そもそもの話、なんでこんなことになっているんだ?

 バルコニーでの再会。俺の部屋への連行。いずれも事態が急すぎていた。

 もう少し、こう……段階を踏む気はないんだろうか? 積もる話もあるだろうに、なんでいきなりなでなで要求をしているのやら。

(まあ、でも)

 妹の気持ちも分からなくはない。実の母親がアレだからか、この子は俺を母のようにも慕っているからな……。

 姉兼母で恋しさも倍、さびしい気持ちがそろそろ限界に来ていたはずだ。

 皇女とはいえまだまだ子ども、多少の暴走は大目に見てあげても──。

(って、いかんいかん!)

 こうして甘やかすからルウナも甘えんぼになるんだろうが! このままでは妹の甘え度がますますパワーアップしてしまう!

 今日もほどほどにしなくてはならない。あえて妹に厳しくするんだ!

 俺は軽くせきばらいをして、いまだとろける妹に声をかけるのだった。

「あ~、おほん。ルウナ? ルウナ?」

「はい? なんでしょう、姉さま?」

「あのね、ルウナ。ちょっと甘えすぎなんじゃないかな?」

「え? そうでしょうか?」

「そうなの。あなたはもう十三歳になったのでしょう? そろそろ大人としての節度というか、慎み深さを身につけるべきというか」

「十三歳はまだまだ子どもですが」

「そ、そうだけど……外聞とか、世間体とかが、ね?」

「ここにはわたしたちしかいないではありませんか?」

「んんんんん、そうなんだけどね……!?

 見事にカウンターを決められ、俺は早くもたじたじになってしまった。

 皇女相手に一般論でたしなめようとしたのが間違いだったか……!! その一般論も不備を抱えたガバ理論で、妹はそのガバさにいぶかしげな表情さえ浮かべていた。

 そして、それはすぐにも怒りの表情に変わっていった。ムッと眉を寄せた妹は、今度はまるで虎のように俺をソファーに押し倒してきた!

「もう! 変なことばかり言わないでください! せっかく会えたのですから、少しくらい甘えても良いではありませんか!」

「そんなこと言って、前は半日も甘えていたじゃない」

「本当は一日中おそばにいたかったのです!」

 そう叫んで本心をあらわにするルウナ。

 そんなことだろうと思っていたが、まさか本当にそうだったとはな!

 納得と共にされた俺を、妹は更にグイグイと押し込んでくるようだった。

「ねえ、ですから、いいでしょう?」

「う、ううう……!?

「姉さまぁ~?」

 鼻にかかった声を上げ、妹は自身の頬を俺の首元や肩にこすり付けてくる。

 正直に言えばめちゃくちゃかわいい。しい系の美少女が、俺にだけはこうして子猫のような姿を見せてくるんだ。もう甘やかしてもいいかなという気分になってくる。数ヶ月ぶりの再会、もっと妹に時間を割いてあげてもいいんだ。

 い、いや、しかし、俺にはこのあとも仕事があって……!!

「にゃ~ん♪」

「ああ~!?

 妹のすりすりに翻弄され、俺の理性は早くも崩壊を始めていた。

 同時に湧き上がる欲、保護欲、妹への愛情。俺はルウナをこの手で抱いて、かいぐりかいぐり、子どものように甘やかそうとして──。

「「「失礼します、姫さま!!」」」

 とんとん、バタン! ノックと同時に扉が開いた。

 現れたのは未だ幼い侍従たちだ。そろいの衣装に身を包んだ少女たちは、何やら目を輝かせ、俺を、そしてルウナを鼻息荒く見つめている。

「ああ、やはりここでしたのね!」

「探しましたよう。姫さま、急に消えたんですもの」

「こちらがうわさの妹君ですか! なるほど、凛々しい顔立ちをしていらっしゃる!」

 三人寄ってかしましく、年頃の侍従がキャイキャイ、ワイワイと騒ぎ出す。

 目当ては俺よりも妹っぽいな。みんな新米だからかこれまで面識がなかったんだろう。

 宮殿の侍従は大抵が貴族。平民出の者などほとんどいないはずなんだが──。

 こういうところは普通の少女と変わらないな。黄色い声を上げ、やけにはしゃいでいるところなんてそっくりだ。

 前世にいた女子中学生にも似ているかもしれない。騒がしいが、しかし、どこか微笑ほほえましい彼女らに、俺はいつものように気軽に声をかけようとして、


 ドガァァァァァァァァァァァァ!!


「「「「…………………………!?」」」」

 瞬間、ごうおんを立てて出入口のドアが吹き飛んだ。

 見れば応接用のテーブルが残骸と共に転がっている。

 誰かがあれを投げつけたんだ。膨大な魔力で……いや、圧倒的なりよりよくでだ。

 俺と侍従たちは声も出ない。ただ黙って廊下の方を見つめている。

 しかし、そのような「現実逃避」が長く続くわけもなく──。

 俺たちは揃って、不穏な気配にビクリと身をすくめるのだった。

「まさか一介の侍従に邪魔されるとはな……」

「「「「ひえっ!?」」」」

 すぐ近くから低い声が聞こえてきた。

 同時にすさまじい殺気までもが伝わってくる。

 妹だ。ルウナが赤いオーラをまとって侍従たちをにらみつけている。

 まるで地獄の悪鬼のごとき形相だ。すぐにも人を殺しかねない妹は、しかし、ゆっくりと口を開いて話を始める。

「貴様らは分かっているのか? 今は何より大事な姉妹の時間だ」

「わたしと姉さまだけの時間なのだ。そこに割って入るなど、たとえ神でも許されんぞ」

「一体どんなつもりでこの部屋に来たのだ? もしや自殺願望でも持っているのか?」

 ブツブツと独り言のように話をするルウナ。

 その声は小さいものだったが……聞いている俺たちには分かっていた。

 これは前兆なのだと。噴火寸前の鳴動に過ぎないのだと。事実、ルウナはピタリと動きを止めると……最後の最後、破裂するように大きな声を響かせるのだった。

「今すぐせろ!! この恥知らずの侍従どもが!!

「「「は、は、はい~~~~~~っ!!」」」

 ルウナの怒気を受け、侍従たちはドタバタと転がりながら逃げ出していった。

 まさに命からがらといった逃亡だ。それをルウナは面白くもなさそうに見送って、「ふん」と小さく息をついている。

「近頃の侍従はなっていませんね。世が世なら即座に処罰もあり得るでしょう」

「い、いやいや。それほどのことじゃないよ。わたしにとってはいつものことだよ」

「いつも? いつもあのような態度を許しているのですか?」

「えっ……!? え、えーと、まあ、うん」

「許せません。今から追いかけて仕置きをしてきます」

「わーーーーーーーっ!? 待って! 待ってーーーーーっ!!

 いきなり歩き出した妹を必死に止める!

 ルウナの言葉は比喩でも何でもなく、実際に処罰をするという冷酷な宣言だ。

 俺が止めなければ侍従らはただちに仕置きをされるだろう。それが生半可なものでないことは火を見るよりも明らかだ。

 なにせ、妹の肩書きは皇女にして軍団長。

 多くの部下を従え、戦いに明け暮れている「黒きせん」なのだから──。


    ‐2‐


 俺の妹は子猫のようにかわいい少女だ。いつもにゃんにゃんと甘えてきては、俺を「仕方ないなあ」「しょうがないなあ」と朗らかな気分にさせてくれる。

 しかしその一方で、ルウナは激しい一面も持ち合わせている。それが先ほど見せた凶暴とも言えるたけだけしい顔だ。実はあれこそが妹の本質に近いもので、ルウナはその気質をもってして、国内外で黒き戦姫の名で知られていた。

(戦う皇女。指揮する皇女。泣く子も黙るいくさの皇女、か)

 どれも妹を指す言葉だ。ルウナはなんというか、戦いが好きで好きでたまらない、超武闘派な戦国大名みたいなところがあるからな。

 普通の人はそんなことは信じないだろう。先ほど乱入してきた侍従たちもおそらく同じだ。ルウナの姿を遠目に見かけ、第二皇女はなんてかわいいんだ、なんて愛くるしい少女なのだと思い込む人は数多くいる。

 しかし、一度でもその戦いぶりを見た者は──。

 やはりルウナを黒き戦姫の名で呼び始める。それだけの激しさ、どう猛さを、妹は戦いの場において発揮するのだった。

(まあ……俺に対しては甘えん坊な子猫だけど)

 先ほどのげきこうはどこへやら、再び妹は俺のひざの上に乗って甘えていた。

 やっぱり俺にだけはいつもこんな感じなんだよな。ふにゃふにゃと体をかんさせ、実に幸せそうな顔で俺のおなかの匂いなどをかいでいる。

 まるで脈絡のない子どものような甘えっぷりだ。それが戦姫の苛烈さとどうにも重ならず、俺はくらくらと目眩めまいさえ感じていた。

「姉さま? どうかされましたか?」

 げんに思ったのだろう。ルウナが体を起こして問いかけてきた。

 しかし俺は上手な返答を見つけられず、実に曖昧な言葉でお茶を濁すしかなかった。

「いや、その、ちょっとね。ルウナのことを考えていて」

「わたしのことですか!?

うれしそうな顔をしないの。結構真面目な話なんだから」

「ええ……?」

 当の本人は分かってなさそうな顔をしている。

 それもそうか。俺が勝手に問題にしてるだけだもんな。

 だけど先ほどの様子から察するに、そのうち大きな問題が起きるかもしれなくて──。

(うーーーーん……)

 どうしたものかと頭を悩ませる俺。

 そんな俺を、妹のルウナはきょとんとした顔で見つめ続けるのだった。

「ああ、そういえば姉さま!」

「うん? なあに?」

「遅ればせながら、おめでとうございます!」

「ええ? 一体何のこと?」

「悪魔調伏の件ですよ! 遠征先で聞いて、さすが姉さまだと感心しました!」

「あ、ああー……あれのことか……」

 俺にとってははなはだ不本意なあれのことね……。

 微妙な反応を見せる俺に、しかし、妹は目をキラキラさせて詰め寄ってくる。

「わたしなど魔竜討伐に三月近くもかかりましたのに……」

「いや、その方がすごいよ! こっちはなんというか、偶然みたいなものだから」

「偶然? 偶然悪魔と遭遇し、その場でそれを退けたというのですか!?

「え、ええと、その……そうなるの、かな?」

「はああああ……!! やはり姉さまは素晴らしいです……!!

 両手を組み、うっとりとした顔で俺のことを見つめる妹。

 そこには尊敬、興奮、憧れ、陶酔、あらゆるプラスの感情がない交ぜになっていて、なにやら好感度が爆上がりしていくのを感じられる。

(実際はちょっと間抜けな話になっちゃうんだけどな)

 それを話したところで妹は正しく理解しないだろう。

 すでにルウナフィルターというものが出来上がっていて、そこを通せばどんな話も「姉さますごい!」に変換されるのだった。

「話を! ぜひ、その時の話をお聞かせください!」

「ルウナは悪魔退治のお話が聞きたいです!」

「姉さま、姉さま~!」

 俺を揺すって激しくおねだりをしてくるルウナ。これはもう、間違いないだろう。妹が寝るまでお話しするコースの確定だ。しかしそんなことができるはずもなく、俺が妹をどうにか落ち着かせようとしていると──。

 こんこん。こんこん。廊下の辺りでノックが聞こえた。

 誰かが砕けたドアをたたいているんだ。先ほどとは別の侍従が来たのか!? と、ちょっと焦ってしまったが──。

 何のことはない。相手は俺もよく知る少女だった。

「失礼します、姫様」

 それだけ言って静かに入室。慣れた足取りでその子はこちらに近づいてくる。

 メモリアだ。銀髪眼鏡めがねの秘書官殿が、いつもの調子でやってきたんだ。

「少し散らかっているようですね」

 そう言うや否や、少女は魔法を使ってドアやテーブルを元の位置に戻していく。

 その様子を静かに見ながら、俺の隣、ソファーに座るルウナが口を開いた。

「久しいな、メモリア」

「はい。ご無沙汰していました」

「調子はどうだ? 息災にしていたか?」

「おかげさまで快調です。元気に姫様を支えていますよ」

「ふふっ。そうかそうか」

 機嫌が良さそうに笑うルウナ。皇女としての顔を見せながら、しかし、その言動には先ほど見せた武人のごとき苛烈さはない。

「メモリアとは親しげに話せるよね?」

「え? ええ。姉さまの最側近ですからね」

 どうやらそういうことらしい。一応の線引きはあるみたいだ。ただまあ、それも結局はルウナの機嫌次第なので、やはり妹は少々危険で爆弾みたいな人物と言えた。

「さて、姫様。私が来た用件なのですが」

「ああ、うん。分かってる。そろそろ仕事の時間だよね?」

「その通りです。視察の予定が入っていますよ」

「確か新区画の視察だよね?」

「ええ。とても重要な仕事なのです」

 そう言って、メモリアはわずかながらにルウナの方を見た。

 心配しているんだ。俺の妹が何かちやなことを言わないかって。

(たまにわがままを言ってくるからなあ)

 それを未然に防ぐために、ちょっと台本臭い台詞せりふを続けてしまったが──。

 あまり気にはならなかったのだろう。ルウナは少しほおを膨らませるだけで済んでいた。

「そんなに心配せずとも、わたしは姉さまの邪魔をしたりはしませんよ」

「ええっ!?」「ほ、本当ですか?」

「本当です。わたしももう十三歳なのですから、配慮や分別くらいは身につけています」

「「うわあ……!!」」

 思わぬ言葉に、俺とメモリアはそろって感動の声を上げていた。

 配慮! 分別! まさか妹の口からそんな言葉が出てこようとは……!!

「いま、私はえも言われぬ感情に包まれています」

「分かる、分かるぞ、メモリア。これって子の成長を喜ぶような気持ちなのかな」

 ひそひそ声で感動を分かち合う俺たちを、やはりルウナは少し不満げな表情で見つめている。そしてその表情のまま、小さくため息をついて言うのだった。

「そろそろ出立の時間なのでは?」

「あ、ああ!」「そうですね!」

「姉さまは着替えの必要もあるでしょう?」

「そうそう、その通り!」「急いで着替えてしまいましょう!」

 ルウナの指摘によってあたふたと動き始める俺たち。

 これじゃまるでいつもと立場が逆だな。しかしそれがやけに嬉しく、俺は軽やかに外出用の衣装に袖を通していった。

 魔法やメモリアの補助もあり、着替え自体は数分足らずで終了する。先ほどの興奮が冷めないうちに、すっかり視察の準備は整っていった。

 そしてすぐにも部屋を出ていく時間となる。俺たちは自然と笑顔になって、見送りに来てくれたルウナに出立の言葉を伝えていた。

「ありがとうね。おかげで余裕をもって間に合いそうだよ」

「いえ、そんな。礼には及びませんよ、姉さま」

「ルウナ様、ありがとうございました。私からも感謝を伝えます」

「メモリアまで。ちょっと大げさではないか?」

 笑い合う俺たち。しばしの間、その場にはなごやかな空気が漂っていく。

 しかし、いつまでもそれに浸っているわけにもいかない。俺はすぐにも声を上げ、いざ新区画の視察へと出かけるのであった!

「よし! それじゃ、行ってきます!」

「はい、姉さま! 参りましょう!」

「……ん?」「……え?」「はい……?」

「聞き間違いかな? それともルウナもどこかへ行くの?」

「はい。わたしは姉さまについていくつもりでしたが」

え゛!? そ、そんな話になっていたっけ?」

「なってはいませんが、そもそも、行かないなどとは誰も申しておりません」

「そうだっけ?」

 そうだったかも……。

「いや、でも、邪魔しないとは言ってたでしょ!?

「もちろん邪魔などいたしませんよ。ただわたしはついていくだけです」

「で、でも、これは立派な公務なんだし……!!

「それを見学するのも立派な皇族としての務めです。そうだな、メモリア?」

「そ、そうかもしれません」

「メモリアァ!?

 冷や汗をかきながら首を縦に振るメモリア。

 理屈の上ではそうだけど……理屈の上ではそうなんだけど!!

(だけど、これは……!!

 果たして本当に大丈夫なんだろうか?

 早くも感じるトラブルの予感に、何やら俺まで妙な汗が浮かんできたぞ!?

「たくさん勉強させてくださいね、姉さま♪」

 幸せそうな顔で俺の腕に抱きついてくるルウナ。

 どうやら俺は、今回もかわいい妹に振り回されるようだった。


    ‐3‐


 帝都の大通りは誰もが歩きやすいように作られている。

 整備された石畳。たっぷりと広く取られた道幅。坂の傾斜も緩く優しく作られていて、どこを歩いていても気持ちよくなる、帝都レガリアスはそんな街だった。

「姉さま~! こちらですよ、姉さま~!」

 五月の青空の下、先を行く妹が大きく手を振っているのが見えた。

 実に無邪気な顔で俺のことを呼んでいる。だけどいざ俺が追いついてくると、またタッと駆け出して再びこちらを振り返ってくる。

「先導しているつもりなのかな?」

「そうかもしれませんね」

 メモリアとふたりで苦笑する。どこへ向かうかも分かってなさそうなのに、ああして先を進む姿はもっと幼い子どものようだ。

「あんなに騒いで、隠蔽魔法が解けたりしないかな?」

「大丈夫ですよ。術式の効果も夜になるまでは続きます」

「それなら安心だけど……」

 そうつぶやいて周りを見る。

 道行く人はちらりとルウナを見るだけで、誰も「皇女だ!」などとは叫ばなかった。

 どうやら認識阻害の魔法が上手うまく効果を発揮しているようだ。護衛の姿も見える範囲には存在せず、誰も俺たちを皇女一行だとは気づいていない様子だった。

(まあ、この調子なら大丈夫かな?)

 心配性のメモリアでさえ落ち着いているくらいだ。

 それを見習い、俺もいちいち周りを気にせず前を向いて歩くことにした。

 すると──。

「姉さまっ!」

「わっ!?

 どーん! とルウナが体当たりをするように抱きついてきた。

 わざわざ引き返してきてのじゃれつきだ。妹はいつにも増して元気いっぱいな様子で、よく動かす体にはじんわりと汗が浮かんでいるのも見えた。

「姉さま、楽しいですね!」

「楽しい? 何が楽しいの?」

「すべてです! 姉さまといると何でも楽しいのです! それに……」

「それに?」

「風が涼しくて気持ちがいい、絶好の散歩日和ですもの!」

「視察ってことを忘れてないかな?」

 忘れているっぽいよなあ……。

 宮殿を出てからもうずっとこの調子だ。はしゃぎまわるルウナはやはり子どもで、その頭からは公務という言葉が抜け落ちているのかもしれなかった。

(とはいえ、まだ移動の段階か)

 肝心の新区画にはまだもう少し歩かないとたどり着かない。

 ここはまだまだ道の途中、遅れさえしなければ多少はしゃいでも構わなかった。

「目的地に着いたら真面目にね」

「心得ております♪」

 心得てない顔で答えるルウナに、俺は内心こっそりとため息をつくのだった。

「あっ、それはそうと姉さま」

「うん?」

「その新しい区画とやらは、一体、どのような場所なのですか?」

「そこからか!」

 思わずズッコケる俺とメモリア。

 いまいち人の話を聞かない妹に、俺は改めて新区画のことを説明する。

「新区画……わたしが新しく手に入れた区画は、一言で言うと商業が盛んな街なんだ」

「商業が盛ん? 商人たちの街なのですか?」

「そう。ルウナも知ってるでしょ? 商業の街ことメルクリア区だよ」

「ああ!」

 ポンと手をたたくルウナ。どうやら分かってくれたようだ。

「行ったことはありませんが」

「それはそうだよ。わたしもそんなに経験はないかな」

「基本的に、どのような品も出入りの商人が運んできますものね」

「そうそう」

 メモリアの補足にあいづちを打つ。

 彼女の言う通り、王侯貴族は買い物に行く機会があまりないんだ。

(お忍びで繁華街に行ったりはするけれど……)

 商業用の区画となると、やはり俺でもまともに訪れた記憶がないな。

 仕事の関係で過去に数回、おおだなや倉庫に足を運んでいたくらいだ。知っているようでよくは知らない、それが俺にとってのメルクリア区というものだった。

「一体、どのような街なのでしょうね?」

「それを知るために視察をするの。今日はたくさん見て回るよ?」

「楽しみですね、姉さま♪」

「だーかーらー、これはあくまで公務なのーっ!」

 妹の頭をぐるんぐるんと回す俺。そして「うわーっ!?」と声を上げる妹に、後ろでくすくすと楽しげに笑っているメモリア。

 多分、視察をしてもそんなに面白いことはないだろう。

 そんな風に思いながら、しかし、俺の心は不思議と軽く晴れやかだった。


 商業の街、メルクリア区。それは問屋や倉庫、商店が並ぶ無機質な街だ。

 活気や生活感がないとでも言えばいいんだろうか。街はれいに整っているが、どこかそれはモデルハウスのようで、俺はあまりいい印象を持ってはいなかった。

 少なくともプライベートで訪れるような街ではないな。街の方もそれを意図した作りになってはいないだろう。あくまで業者や商人のための区画、それがメルクリア区という街だと思っていたのだが──。

「「「…………………………」」」

 大通りでの会話から十数分後、俺たちはくだんの商業街へとやってきていた。

 ここは玄関口にあたる西の正門。そこから奥へと続く道路には、両側に宝石店、小物店、金物店、服飾店と、とにかく多彩な店舗が競うようにして連なっている。

 喫茶店や料理の店まであるみたいだ。軒先にも露天商が敷物を広げていて、その上には手製であろう細々としたアクセサリーが並んでいた。

(ここって、こんなににぎやかな街だったっけ!?

 俺の知っているメルクリア区とはまるで違う。

 どうやら途中で道に迷い、繁華街の方まで来てしまったのかもしれない。

 俺が本気でそのようなことを考えていると……近くの露天商たちがへっへと短く笑って声をかけてきた。

「お嬢ちゃん、問屋街の方にばかり行ってたんでしょ?」

「ここは小売りの店が多いからにぎやかだよ」

 中年の女がふたり、どちらも気安い声をかけてくる。

 俺が皇女だとは気づいていないみたいだ。隠蔽魔法が上手く働き、世間知らずな娘か何かに見えているのだろう。いや、ある意味ではその通りか。街の実情を知らなかったのだから、事実、俺は何も知らない箱入り娘のようなものだった。

「姉さま! お店がたくさんあります!」

「あ、ああ、うん。そうだね」

「見慣れないものであふれています!」

 目をキラキラとさせるルウナ。素直な妹は見た通りのものを受け入れている。

 ショックを受けているのは俺とメモリアくらいのものか。いまほうけている俺たちとは対照的に、ルウナは早くも手近な店へと突入しようとしている。

「って、こらこら。ひとりで動こうとしないの」

「ですが、姉さま! 早くしないと日が暮れてしまいます!」

「またそんな大げさなことを言って~」

「大げさではありません! ここにはこんなに店があるのですよ?」

「それは確かにその通りだけど……」

 改めて見ても店の数には驚かされる。ここではすべてが何かしらの店舗で構成されていて、それは三階、四階と上の方にも続いているんだ。

 景観に統一性こそ持たせているが、数も種類も数えきれないほど存在する。

 正直、どこから手をつけていいのか分からない。そのくせ時間は有限なので、選択肢がありすぎてないような状態だった。

「まあまあ、姫様。いいではありませんか」

「「メモリア」」

「今日のところはただの視察です。ルウナ様の言う通り、気の向くままに見て回るのがいいと思いますよ?」

「おっ? おおっ! メモリアもそう思うか!」

「はい、ルウナ様」

「ええ……?」

 意外にも賛同の意を見せるメモリア。

 いつも仕事に厳しい彼女にしては珍しい態度だな。

「しかし、やはり時間は限られていますので」

「うん」「はい」

「まずは外からのぞいてみて、気になるお店があればそこで買い物をいたしましょう」

「おお~」

「なるほどな」

 大部分はウインドウショッピングで済ませようというわけだ。

 ある意味では堅実な意見に、しかし、俺と妹は笑顔になってうなずいていた。

「それじゃ、その方向性で行こうかな?」

「はい、姉さま! 参りましょう!」

「最初は見て回るだけだからね?」

「分かっておりますとも!」

 ふんふんと鼻息荒く歩き出したルウナ。ちょっと遅れてそれに続く俺とメモリア。

 なんだかはしゃぐ子どもとそれを見守る夫婦みたいになってしまったな。それもまた良しと思いながら、俺は隣の秘書官殿の耳に顔を寄せるのだった。

「ありがとうな、メモリア。上手く話をまとめてくれて」

「いえ、それが私の仕事ですから」

「そうだけど、やっぱりまとめてくれて助かったよ。正直な話、この街を見て軽くパニックになってたもん」

「そんな時こそ慌てないのが良い秘書官というものです」

 眼鏡めがねをくいっと上げるメモリア。なんて頼もしい少女なんだ……!!

 俺の秘書官がこの子で本当に良かったなあとしみじみ思う。

「だけど、ちょっと意外だったな」

「何がですか?」

「メモリアが案外乗り気に見えたことがだよ」

「うっ……!?

 分かりやすい動揺が見えた。冷静沈着に見えた少女が額に汗を浮かべている。

「もしかしてメモリア、ちょっと楽しくなってきてた?」

「い、いえっ! 決してそのようなことは……」

「いや、いいよいいよ。俺もちょっとわくわくしてきたから」

「わ、私は違いますからね?」

「はいはい」

「違いますからね!?

「は~い」

 顔を赤めるメモリアを置いて、俺は妹を追うように歩調を速めた。

 雑然として、しかし活気に満ちているメルクリア区。見応えがありそうな商業の街に、俺たち三人は胸を躍らせながら飛び込んでいった。


    ‐4‐


 新しく得た区画の視察。新区長としての大事なお仕事。

 今日の活動は、建前としてはそんな感じのものになるのだが──。

 そんなことも忘れたように、俺たちは明るく愉快に商業区での買い物を楽しんでいた。

「姉さま! 姉さま、見てください! 珍しい異国の盾があります!」

「ひ、姫様! あちらに品のいい文房具店が……!!

「あーーーっ!? 姉さま! あそこに魔物の素材が並んでいます!」

「その隣に真新しい本屋もありますよ!」

 はしゃぐルウナと興奮するメモリア。

 俺は俺で魔道具や細工物の店をのぞき、三人は通りをうろうろと進んでいく。

「魔法の巻物の専門店……!?

「古代のからくりの販売店だと……!?

 向こうの方には幻獣、魔獣を扱う店があった。まさにないものはないしなぞろえで、俺たちはついつい、財布のひもを緩めてしまう。

「こちらも運びますか?」

「あ、うん。お願い」

「承りました」

 周りに潜んでいた親衛隊が、サッと出てきて紙袋や箱を引き取ってくれた。

 本当に気の利くお姉さま方だよな。変装もばっちり街に溶け込んでいる。

 おかげでまだまだ買い物が続けられる。俺は身軽になった体で、うんと背伸びをしながら朗らかに笑って──。

「って、ちょっと待った! ストップストップ!」

「えっ?」

「どうかなさいましたか、姉さま?」

「気づいて! わたしたち、いま……めっちゃ買い物してる……!!

「はあ」「はい」

「「…………はっ!?」」

 気がついてくれたか……!!

 そう、当初の予定だとウインドウショッピングがメインだったはずだ。

 なのにいまは次から次へと物を買い、それを親衛隊の手で運んでもらっている状況になってしまっている。

「お、恐ろしい……!!

「これが商業区の魔力ですか……!!

「ちょっ、ちょっと落ち着こう。いったん買い物から離れよう」

「はい!」

「あ、ですが、最後にあの店だけ寄らせていただいても」

「目を覚ませメモリアーーーーーーっ!!

「ああーっ!?

 まさか俺がこの手の台詞せりふをメモリアに言うとは思わなかった。

 普段は完全に言われる側だもんな、俺。それが逆転した事実に恐々としながら、俺は秘書官を引きずって近くの広場へと避難していく。

 そしてベンチに腰かけ、大きく深呼吸をして一言。

「「「危なかった……」」」

 妙に実感のこもった声が出るのであった。

「いや、本当に危なかったよ。完全に浪費モードに入っていたもん」

「余計なものまで買っていましたからね。あとで確認するのが怖いです」

「わたしは自分が何を買ったのかさえ覚えていません」

「我を忘れていたからねえ」

 先ほどの爆買いぶりを思い出してゾッとする。

 皇女さえも魅了する区画、それは何かしらの魔力さえ持っているかのようだった。

「だけど、思った以上に繁盛していて良かったよ」

「そうですね。人の数も多いですし……」

「それに何より、街に活気がありました!」

「まだまだ伸びしろがあるのかもしれないね」

 人でにぎわう広場の中で、俺たちはメルクリア区についてはんすうをする。

 今日、この目で見た商業区は実に魅力に満ちたものだった。

「品揃えもいいし、珍しいものもたくさんあったし」

「これなら姫様の目的の助けにもなりそうですしね?」

「……ああ!」

 耳打ちされて大きくうなずく。そう、一番重要な部分はそこだ。

 邪教徒捕縛の功績により、女帝から商業区や港、鉱山を譲ってもらったのは──。

(俺が男に戻るためだ!!

 いや、正確に言えば、そのための力集め、材料集めになるだろうか。

 この世に存在しない【性転換】魔法を生み出すには、質のいい触媒、高純度の魔石、魔力を高める薬などが必要になると考えている。そういった品によって俺の力を大きく強化し、思った通りの魔法、願いをかなえるための魔法を行使するんだ。

 ある意味では雲をつかむような話だけど、この国には女帝という、まさに魔法を使って何でもできてしまう人もいる。あの域にちょっとでも近づけるように、俺はこれからもまいしんしていくつもりだった。

「さあ、そうと分かれば視察を続けるよ!」

「「おーっ!」」

「今度は買い物を控えめにね?」

「「えーっ?」」

 不満そうな声はあえて無視! 俺はふたりを伴って街の広場から移動を始める。

(さて、次はどこに行こうかな?)

 歩きながらぐるりと辺りを見渡してみる。商業区はまだまだ広く、どこへ行っても、どの通りを選んでもいいように思われたが──。

「……ん?」

 その中で違和感のあるものを見つけてしまった。

 微妙に狭く、微妙に古く、微妙に荒れている住宅街のような通りだ。

 まだ復興が進んでいないんだろうか? この帝都は旧帝都を下地にしているという背景があり、いまだに整備が行き届いていないところも多い。

(いや、しかし)

 それとはまた違うようにも見えるというか、一度れいに作ったものを、わざわざ汚して使っているかのようだ。

「あの通りはなんでしょうね?」

「何やら怪しい匂いがぷんぷんしますが」

 俺の視線を辿たどったのか、メモリアとルウナも同じ方向を見始めた。

 やはり気になるよな。どうにも目を引く謎の通りだ。この活気のある街で、あそこだけがどうにも浮いて見えてしまう。

(歓楽街の一種……なのかな?)

 多少アングラだけど、一般人も普通に立ち寄る場所、なのだろうか?

 それにしては人通りがないようにも見えるが……。

「まあいいや。行って確かめてみよう」

「はい! 姉さま!」

「ひ、姫様? よろしいのですか?」

「大丈夫だって。いざとなったら逃げればいいんだからさ」

 まさかいきなり襲われることもないだろう。刺客が潜んでいる可能性もあるが、あいつらは案外ああいうところには出ないものだ。

 親衛隊の警護もあるし、行って確かめるだけなら構わないだろう。

 それに今日の仕事は街の視察、この違和感をこのままにしては帰れない。

「スラムってわけでもないし、そう心配することもないよ」

「は、はあ……」

 いまいち臆病なメモリアを連れて、俺はルウナといっしょにくだんの通りに向かっていった。

 さて、鬼が出るか蛇が出るか。一体あそこはなんなのかと、俺はわずかに胸を高鳴らせていたのだが──。


「「「ぐへへへへへへ……!!」」」

 わずか数分後、俺たちは荒くれ集団に囲まれていた。

 あのにぎやかな広場から一転、街は悪所のような景色へと変わってしまっている。

 いや、ようなじゃないな。事実、ここはこの街の悪所なんだろう。窓は割れ、壁は崩れ、石畳にも欠けがあるようなこの場所は──。

(スラムだーーーーーっ!?

 まさに俺が思ったようなところだった。

「おいおい、お嬢ちゃんたち。一体全体どうしたんだい?」

「道にでも迷ったのか? それとも何か悪いものでも買いに?」

「まさかその年で男あさりってわけでもあるまいに」

「いやあ、分からねえぞ。最近のガキは進んでるって聞くからなあ!」

 粗野な女たちが大きな声でからかってきた。中にはしようだろう、やけに色っぽい男もいて、彼らもくすくすと口元に手を当てて笑っている。

「こ、ここはまさか……!!

「メモリア? 何か知っているのか?」

「は、はい。事前に資料で読みました。ここはおそらくどぶ板横丁です」

「どぶ板横丁?」

「ええ。帝都でも有数の悪所ですよ!」

 そういえばそんな資料があった気がするな。商業区にはスラムがあること。そこにはようへい崩れの集団がいること。それが補足の資料として概要だけがまとめられていた。

 まさかこんなところにあるとは思わなかったが、

(案外、そういうものかもしれないな)

 わずかに焦りを感じつつ、俺は元の広場へちらりと目をやるのだった。

「なあ、お嬢ちゃん方。ここには度胸試しにでも来たのかい?」

「それなら見学料をいただかないとねぇ?」

「親御さんは? 姿も見えないようだけど……?」

 にたりと笑みを深める女たち。

 傭兵崩れとはいえ、そこまで勘がいい方ではないみたいだ。

 今のところ親衛隊の存在には気づいていない。だけど呼んだところでまたひともんちやくが起きてしまいそうだ。どう転んでも厄介なことになりそうで、俺が内心、頭を抱えて困っていると──。

「姉さま。お任せください」

「ルウナ」

「このようなやから、わたしひとりいれば十分です」

「おお!」

「三分ください。ひとり残さず無礼打ちにします」

「って、待て待て待てーっ!! 極端なのはダメだって!!

「ですが姉さま!」

 もみ合う俺たちに数秒、女たちはあつに取られる。

 しかし気を取り直したのか……いや、そこで真実に気がついたのか、何人かの女が俺たちを指差して叫んできた。

「あーっ!? こいつら、よく見ると皇女じゃん!」

「は!? なんで皇女がこんなところにいるんだよ!?

「どうせあれでしょ? 長女の方がここの区長になったからさ」

「点数稼ぎに来たんだろうね。あー、やだやだ。これだからお上は嫌だ」

 ざわつき始める女たち。さすがにこの状況では隠蔽魔法の効果もなくて、彼女らは俺をはっきり皇女だと認識していた。そのうえで更に威嚇を強めていくのだ。荒くれの名は伊達だてではなく、通りはまさに非難ごうごう、施政者への糾弾大会と化していった。

「帰れ帰れ! 皇女様は大人しくお城に帰んな!」

「あたしらはここを明け渡すつもりは欠片かけらもねえぞ!」

「ここをどうにかしたけりゃ、それこそ女帝でも連れてくるんだね!」

 鳴り響く帰れコール。止まらないブーイング。女たちの声は渦を巻き、その迫力はこの俺でも恐れを感じるほどだったが──。

 はいそうですかと、素直に帰ればますます問題になるだろう。

 顔が割れた以上、俺はここでどうにか事態を収拾するしかなかった。

「ええと……ここは不法に占拠されているそうだけど」

「知るか! どぶ板横丁はあたしらのシマなんだよ!」

「うんと……退き勧告にも従わないみたいだけど」

「そりゃそうだよ。ここの他に行く場所なんてないからねえ」

「新帝国は人手不足。住居も仕事もたくさんあると思うんだけど」

「そんなことは知らないねえ」

「そもそも、この通りの名前はあかれん通りのはずなんだけど」

「よ、余計なことを言うんじゃないよ!」

「ここはどぶ板横丁! そしてうちらはどぶ板横丁の住人なのさ!」

(ダメだこりゃ)

 正攻法では絶対に解決できそうにないな。

 おおなたを振るうか、もしくは大胆な案を強引に押し通すしかなさそうだ。

(改善の意思はなさそうだしなあ)

 彼女らにとってはこのままの状態がベストなんだ。ごねてごねてごねまくって、不法占拠を既成事実に変えていつまでも居座る。そんな相手に交渉など通じるわけがなくて、前任の区長が解決できずにいたのも納得と言えば納得の話だった。

(さて、どうしたものか……)

 俺が黙って考え込むうちに、女たちはますます調子付いていく。

「おいおい、お姫さん、黙っちゃったよ!」

「いざという時にはブルって声が出ないのさ!」

「頼りないなあ。これが新しい区長で大丈夫なのか?」

「皇女様は好色家って話もあるしさ」

「は? なんだい、本当に男漁りが趣味だったのかい?」

「あはっ! 澄ました顔してとんでもない女だね!」

「そんなに男が好きなら、うちのこいつらも貸してやろうか?」

「……は?」

 聞き捨てならない言葉があった。

 皇女様は男好き? 男漁りが趣味だと?

 違う!! 俺は女の子が好きなんだ!! なのに現世では自分も女に生まれたんだ!!

 その苦労も知らずして、この手の輩はいつもいつもいつも……!!

 怒りのあまりにスッと頭が冷めてくる。同時に浮かんでくるひとつのアイデア。

 それを俺はためらわず、にこりと笑って周りの女たちにぶちまけるのだった。

「よし、決めた。今日からここはわくわく横丁だ」

「は?」

「今日からここはわくわく横丁。そして君たちはわくわく横丁の住人となる」

「ばっ……馬鹿、お前!」

「ふざけるんじゃないよぉ!!

「そ、そんなのめるわけないだろ!?

 女たちが顔を青ざめさせて食い下がってくる。しかし、判断を間違えたな。彼女らはこうなる前に、きちんと落としどころを考えておくべきだったんだ!

「もう遅い!! 区長として正式に決定したぞーっ!!

「わーははは!」と高らかに響く俺の声。

 それに混じって聞こえる悲鳴や怒号、戸惑いの声。

 どぶ板横丁、いや、わくわく横丁は、更に混迷の度合いを深めていくのだった──。


    ‐5‐


 その日の夜、俺は自室で妹の髪をくしけずっていた。

 お風呂上がりのつやつやとした長い髪だ。それを丁寧にすいていると、ルウナは突然振り返り、目を輝かせてこう叫んだ。

「やはり姉さまは素晴らしいです!」

 もう十数度目くらいになる賛辞だ。それを「はいはい」と受け流しながら、俺は妹の頭をつかんで前を向かせる。

「もう聞いたよ。それに、急に振り向いたら危ないでしょ?」

「ですが、もっともっと言いたかったのです。姉さまは素晴らしいですと」

「そうは言うけど……」

 あれはとつの思いつきというか、怒り任せの八つ当たりというか──。

(結局、上手うまく話が転がって良かったけど)

 あれから女たちは、すぐに「真面目に働くから通りの改名だけは許して欲しい」と願い出てきた。わくわく横丁の住人だなんて、そりゃまあ誰だって名乗りたくはないだろう。

 住んでいる場所をみようの代わりに使う者もいる。そういった手合いにとって、やはり通りの名前は重要であり、ある意味では急所とも言えるものなのだった。

「姉さまの機転は素晴らしいです。わたしではあのようにいきませんでした」

「ルウナはいつも実力行使で解決するものね」

「それだけは得意です」

「自慢げな顔をしないの」

「あうっ」

 ぽんと頭をたたいて注意をする。しかし妹はすぐにまた笑顔になって、鏡越しに俺のことをたたえ始めた。

「わたしも姉さまのようになりたいです。姉さまのように立派な皇女に」

「うーん、それはどうかな? ルウナはルウナでいいところがあると思うよ?」

「それでも姉さまがいいのです! わたしは姉さま以上に立派な女性は知りません!」

「そんな、他にもすごい人はたくさんいるよ。ほら、うちのお母さんとか」

「女帝など」

 はっと鼻で笑って妹は続けた。

「女帝など、姉さまの爪の先にも及ばない存在です」

「い、いやいやいや。それはちょっと言いすぎじゃないかな?」

「そのようなことはありません。女帝はまれに見る暗君です」

「まだお母さんのことが嫌いなの?」

「当然です! わたしはあの女を母と思ったことはありません!」

 叫び、そして立ち上がるルウナ。

 その黒髪が感情と共にふわりと裾を持ち上げている。

 なんというか、うちの妹は実の母親と相性が悪くて──。

 それこそ殺したいほどに憎んでいるんだ。その気持ちは分からなくもないが、それにしては妙に物騒で殺伐とした感情を持っているように見えた。

「なんでそんなにお母さんのことが嫌いなの?」

「あの尊大な態度が嫌なのです。いつも偉そうで、人を小馬鹿にしたように笑っていて……思い出しただけでもムカムカと腹が立ちます」

「そう悪い人でもないと思うんだけどな」

「悪い人ですよ。姉さまも何度かおもちゃにされたではありませんか」

「そういえばそうだった……!?

 暇つぶしと称して何度地獄を見せられたことか。女帝はこれも教育とうそぶいていたが、実際のところは何のつもりなのかは分からなかった。

「でも、実のお母さんなんだしさ」

「わたしの母は姉さまです。姉さまこそが母さまなのです!」

「い、いや、それはちょっとおかしな話だよ」

「おかしくありません! わたしにとっては真実です!」

「ええ~……!?

 真正面からギュッと抱きつかれ、俺は大いに戸惑った声を上げた。

「いつか、いっしょに女帝を倒しましょうね?」

 そう言ってルウナは花のような笑顔を見せてくるが、俺には女帝を倒そうなどという気はまったくなかった。それを妹に伝えようと、俺はなおも話を続けようとしたが、

「ほほう。何やら面白そうな話をしているではないか」

「お母さまあああああああああああああっ!?

 部屋の中に突如として女帝の姿が現れていた。瞬間移動に近い登場だ。予兆はまったく感じられず、俺はそのせいで飛び上がらんほどに驚いてしまった。

「い、い、一体、いつからここに?」

「いや、なに。娘が帰ってきたと聞いてな。顔でも見ようと思ったのだ」

「は、はあ」

「どうだ? 息災にしていたか、ルウナよ?」

 娘に声をかける赤髪の美女。炎の女帝たる我らが母に、ルウナは少しうつむいて震えたかと思うと──。

「ゼノビアアアアアアアアッ!!

 突然、剣を抜いて斬りかかった! 俺の反応も間に合わないほどの攻撃だ!

 しかし女帝は炎をまとってこれを防ぐと、ゆったりと、そして楽しげな様子で実の娘に声をかけていく。

「元気なようだな、ルウナよ。剣の腕も上がったようで母としてはうれしいぞ」

れ馴れしくわたしの名前を呼ぶな……!! それに、何が母親だ……!!

「事実、母であるからな。お前はかわいいかわいい私の娘だ」

「黙れ! 今すぐその口を引き裂いてやる!」

「ふふっ、ルウナは相変わらず甘えん坊だな」

「甘えん坊だと!? わたしがいつ、貴様に甘えた!?

「今まさに甘えているともさ」

「なにっ!?

 動揺する娘に、母はにやりと笑って言った。

「本来、私に斬りかかるのは重罪だ。決して許されることではない。しかしお前は『自分は娘だから許されるだろう』と打算の下で動いている。そうだな?」

 女帝に問われ、ルウナはその顔を真っ赤にして目を伏せてしまった。

 おそらく無意識のことではあるが、図星だったんだ。その様子を見て、ゼノビアはまた楽しそうに口元を緩める。

「私はお前の夢を否定したりはしない」

「倒したいなら倒せばいいのだ。いつでも挑戦を受けてたとう」

「しかし、あまりじゃれつかれるのも興ざめなのでな」

「もっと腕を上げ、確信を持てたらまた挑んでくるといい」

 それだけ言い残し、母は来た時のようにふっと姿を消した。

 残っているのは女帝の炎のざんだけだ。それもすぐにゆらりと消えて、俺の部屋には夜に相応ふさわしい静かな空気が広がっていった。

 ルウナは女帝に挑んだ姿勢のまま動かない。髪が顔にかかってその表情を隠している。

 しかしすぐにもぷるぷると震え始めると──。

 妹は剣を放り捨て、俺に飛び込むように抱きついてきた。

「姉ざまあああああああ!!

「うわっ、っとっと」

「く、悔しい! 悔しいでずううううう!!

「うんうん、そうだね」

 泣きじゃくる妹の背中を優しくなでて慰める。

 案の定というべきか、またこうなったというべきか。もう何度目かになる光景に、俺はやれやれとばかりにこっそりとため息をつく。

「ゼノビアがあああ! あ、あ、あの女があ!!

「お母さんのことをあの女なんて言わないの」

「あんなの母じゃないですううううう!!

「あ、ああ、うん、そうだったね」

 よしよしと何度も何度も背中をさする。

 それでもまない妹は、本当に喜怒哀楽が激しい少女と言えた。

(この子が帰ってきて、もうひと波乱くらいありそうだけど)

 ひと波乱で済むのかなあ、という気持ちもある。

 いずれにせよ、第二皇女ルウナの帰還によって、俺の生活は一層騒がしく、にぎやかになっていきそうだった。