プロローグ



 帝都レガリアスに本格的な春が来た。

 五月上旬、週明けの朝。この日の帝都は暖かな空気に包まれていた。

 空からは日差しが降り注ぎ、民家の窓辺には色とりどりの花が咲いていて──。

 水のぬるんだ湾には大小様々な商船、漁船が行き交っている。これからの季節、舟遊びをする貴族も増えるだろう。そんなことを思いながら、俺は乱れた呼吸を素早く整え、まるで春の女神のような表情を浮かべてこう叫んだ。

「みんなーーーーっ!! まだまだ元気かなーーーーーっ!?

「「「はーーーーーーーーー!!」」」

「もっともっと、わたしの歌を聞きたいかなーーーーっ!?

「「「はーーーーーーーーーーーーー!!」」」

「それじゃあ、わたし、歌います! 聞いてください!」

「「「うぉおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」

「シングルナンバー12番! 『悪魔なんて怖くない』!」

「「「わああああぁぁぁぁぁ……!!」」」

 長い白髪を羽のように広げ、俺は宮殿のバルコニーでマイク片手に飛び跳ねていた。

 ごぞん、人気取りのためのパフォーマンスってやつだ。帝国政治の基本はパンとサーカス、執政者はこうして民の心を喜ばせなければならない。

(それを俺がやる必要はあるのか?)

 そんなことを思わないでもなかったが──。

 いやいや! 結果重視! 効率重視だ! 一番人気のアウローラ姫殿下として、俺は今日も今日とて笑顔とびを振りまくのだった。


「うへーーーーー……

 三十分後、俺はへろへろになりながら自室の中へと引っ込んでいた。

 歌い、踊り、しやべりも交えての単独ライブ。そこで精根を使い果たした俺は、ゾンビのような動きでベッドの方へと近づいていく。

「ぐへっ」

 そのままダイブ、五体投地だ。触れた部分はすぐにじっとりとした熱がこもり、俺は妙なところで春の本格化、気温の上昇を実感するのだった。

「おつかれさまでした」

「メモリア」

 体を起こすと、ベッドサイドに秘書官が立っているのが見えた。

 最初からこの部屋にいたんだろう。彼女の手には冷やしたタオルが広げられていて、応接机の上にはお茶の準備が整えられていた。

「ん、ありがと」

 タオルを受け取りながら、俺はメモリア、銀髪眼鏡めがねの少女に笑いかける。

 いつもながら完璧な仕事ぶりを見せる彼女に、俺は本当の自分のままで接し、彼女もそれを当然のことのように受け止めるのだった。


 さて、ここらで一度、現状確認をしておこうか。

 俺の名前はアウローラ。新生帝国の第一皇女、アウローラ姫殿下だ。

 れんな容姿と強い魔力を併せ持ったお姫様で、ご存知の通り、臣民からは絶大な人気を誇るアイドルとしても扱われている。

 事実、どこに行ってもきゃあきゃあと黄色い声を上げられて、パーティーを開こうものなら押し合いし合いの取り合いにもなって──。

 いや、そこはあんまり関係ないな。大事なのは俺がお姫様ということで、空前絶後の美少女でもあるということだ。そう、俺は生まれついての女の子である。少なくとも肉体的にはその通りで、そこに疑いを持つ者はいないだろうが、

「俺は男だ!!

 俺は正真正銘、男なんだ!!

 たまたま女の子として生まれてきただけで、前世では男、それもバリバリの男子中学生だったんだ。なんでその記憶が今もあるのかは分からないが、男としての意識がある以上、今の俺も立派な男と言えるだろう。

 幸いにして、生まれ変わった先の世界には魔法なるものが存在する。術者の望みをかなえるという万能の力、それを使いこなせば男に戻ることだって可能なはずだ。

 それをよすがに俺は修行や勉学に励んでいる。もちろんそればかりじゃなく、皇族としての仕事も決しておろそかにはしていない。

 先ほどのアイドル活動もその一環だな。皇女としてのファンサービスってやつだ。

 臣民は喜んでくれるし、俺は支持基盤が厚くなるしで、まさにWIN‐WINな活動と言えるのだが──。

「いや、でも、最近回数が多くない?」

 ここで意識を現実に戻した。対面には依然、メモリアの姿がある。

 ソファーに座ってお茶をたしなんでいた彼女は、特に驚くでもなく静かにこちらを見つめていた。

「おのことですか?」

「そう! それ! 必要性は理解できるけど、毎日続けてやるのはちょっとさ」

「仕方ありませんよ。姫様は悪魔調伏という偉業を成し遂げられましたからね。臣民からの人気は絶頂、遠方からも多くの人が押しかけていると聞きますよ」

「だとしても、もう少し加減というか、手心というかだな……」

「親衛隊の方など、朝昼晩公演にしましょうと息巻いていましたが」

「それは止めてくれたよな!?

「もちろんです。他にご公務がありますからね」

 涼しい顔でお茶を口にするメモリア。まったく、いつもながらクールで理知的な秘書官殿だよ。言うことにいちいち隙がないというか、何というか。

「そもそもさ。悪魔調伏だなんて、あんまり実感がないんだけどな」

「そうなんですか?」

「そうなんです。ぶっちゃけ、そんなつもりはなかったし」

 ため息混じりに後ろにもたれる。投げ出した足をぶらぶらと揺らしながら、俺はつい先日、一週間ほど前のことを思い出していた。

「大悪魔ディアボロスねえ」

 ねじくれた角、見上げるような巨体、赤黒い肌のことは覚えているが──。

 それ以外はサッパリだ。伝承にも出てくる強い悪魔の一体らしいけど、俺にとってはポンコツ小悪魔と変わらない。「魂と引き換えにどんな願いも叶えてやろう」とか豪語してたのに、いざ願いを言ったら「ちょっと無理です」とか言い出すんだもんな。

「拍子抜けもいいとこだったよ」

 はあーーーー……と、深いため息をはき出す俺。

 そんな俺にお小言を言うでもなく、メモリアは淡々とした様子で口を開いていた。

「大事なのは『他人がどう思うか』ですよ。事実はどうあれ、先日の事件は大いに宣伝に使えます。姫様は次期皇帝候補筆頭として、もっともっと、名をせてくださいね」

「うへーい」

 だらけた姿勢のままで返事をする。そんな姿も気にならないほど、メモリアは悪魔調伏のこと、棚ぼたな功績を喜んでくれているようだった。

「あ、そういえばさ」

「はい? なんでしょう?」

「ああ、いや。次期皇帝候補って単語で思い出したんだけど」

「ええ」

俺の妹は……ルウナは今頃、何しているんだろうな?」

「妹姫様のことですか」

 メモリアは目をぱちくりとさせて考え込んでいた。

 言われてみれば、といったところだろうか。あの子は国内各地を飛び回っているから、めつなことでは顔を合わすこともないもんな。

 そもそも俺自身、妹の近況を知らないわけで──。

「まあ、元気にやってるのは間違いないな」

「ですね。あのルウナ様ですものね」

 くすりと笑う俺とメモリア。あの真面目でしっかり者の姫君は、きっと今もどこかで元気に暮らしているだろう。

 そう結論付けた俺たちは、また違う話に移ろうとして、


 ……ドゥン。


「「…………え?」」

 ほんのわずかに宮殿が揺れた。

 地震とは異なる、一度きりの重たい振動だ。

「な、なんだ?」

 慌てて腰を上げるが、異常らしい異常は見当たらない。

 遠くからざわめきのような何かが聞こえてくるような気はするが──。

『ワァァァァァ……!!

「今度はなんだ!?

 歓声、なのか? これは? 爆発するような歓喜の声に、しかし、心当たりのない俺たちは不安の気持ちを強くしていく。

「ひ、姫様! 行ってみましょう!」

「そ、そうだな」

 何はともあれ、まずは自分の目で確かめてみるべきかもしれない。

 メモリアに促された俺は、部屋を出て、廊下を走り、いつものバルコニーに飛び出して、そして──!!

「「えーーーーーーーーーっ!?」」

 な、な、な、な……!!

(なんだこりゃ……!?

 多くの人でにぎわう広場、そこにはなんと、大きなドラゴンが鎮座していて──。

 しかも、きっちりトドメを刺されているみたいだ。ピクリとも動かない紅色の竜は、背中や肩に何本ものやりが突き立てられていた。

(誰がこんな巨竜を?)

 見るからに強そうなドラゴンである。討伐するにも一苦労だし、ここまで運ぶのにも手間と人手がかかりそうだし、

(って、ああ! あの人がいたか!)

 うちにはあの女帝がいるんだった!

 最大最強の魔法使い、万夫不当のリアルチート、あの真紅の女帝の手にかかれば、これほどの竜も暇つぶしがてらに倒せるだろう。先ほどの歓声も女帝の登場となれば納得だ。

 きっと竜を椅子代わりにして余裕の笑みを浮かべているのだろう。そんな姿を思い描きながら、俺が母親の姿を探していると──。

「……さまっ!」

「ん?」

「……さまっ!」

「んん?」

 一際大きな声が上がった。

 立て続けに二度、通りがよく、子どもっぽさを残したかわいい感じの声だ。

 聞き覚えのある声でもある。誰だったかと、俺が視線を巡らせたところで、

「姉さまっ!!

「うわああっ!?

 瞬間、黒い影が飛び込んできた!

 広場からバルコニーへの跳躍、俺は反応もできずに真正面から突進を受けてしまう。

 防御や回避も間に合わず、そのまま俺はごろごろと床の上を転がっていって、

「あだっ!」

 そして激突、ようやくの停止だ。

 まるで漫画みたいに何回も転がってしまったな。

 おかげで視界がゆらゆら揺れて、なんだか体も重いみたいで──。

「うう……って、あれ?」

…………

「ルウナ?」

「はいっ!!

「ルウナか!?

「そうです!」

 大きな声を上げ、黒髪の少女が俺の胸に飛び込んでくる。

 すぐにも背中に手を回し、ほおずりをしながら甘い声を漏らし始める少女。

 帝国の第二皇女にして俺の妹であるルウナは、にっこりと笑ってこう告げるのだった。


「ようやく会えましたね、姉さま♪」