第七話 あなたのそばで



「はぁ」

 マリーは安楽の上で重いため息を吐く。

 カルロと別れた日以来、いんうつな日々を過ごしていた。

 あれから一か月がったが、カルロからのれんらくはない。あんな態度を取ったのだから当然だろう。

 妃教育でもカルロが訪れてこなくなったので、プリシラ先生が残念そうな顔をしていた。

(これが本来あるべき形……)

 そう思うのにゆううつな気分が晴れない。

 別館のマリーの作業室には、トルソーに飾られた二対のドレスがあった。一つはミッシェルから預かった見本の子供用ドレス、そしてもう一つはそれを元にした大人のライラのドレスだ。

 カルロのことを考えないように作業にぼつとうしていたから、思っていたより早く完成できた。公演が始まるまで、まだ二週間も余裕がある。

 ライラの元のドレスと似た生地が見つからなくて手に入れるのに苦労したが、どうにかイメージに近いものが完成できた。

「早く持って行きましょう」

 試着してもらって現在のサイズとの調ちようせいを行いたかった。

(早く渡せば、きっとミッシェルも喜んでくれるわ)

 マリーはそう思い、ライラのドレスをていねいに布に包んだ後に大きめの鞄にめた。それを手に持ってしつに「出かけてくるわ。お姉様に伝えておいてね」と伝言を頼む。

 エマに直接声をかけずに出かけようとしたのは、ギルアンをけいかいし始めてから一か月以上も経って気がゆるんでいたからだろう。

 げんかんで待っていた護衛服を着た男性と馬車に乗り込んだところで、忘れ物をしたことに気付いた。

(あっ、しまった。ミッシェルさんの子供用ドレスもお返しするつもりだったのに)

 鞄に入れ忘れてしまったことに気付き、マリーは馬車の扉を開けてていに戻ろうとした。

 だが隣に座っていた護衛の男にがっちりとうでつかまれ、片手で口元をさえつけられる。

「なっ……!」

「静かにしろ」

 よく見れば、彼はいつもの警護の男性ではなかった。たまに別の人とこうたいしているから、マリーはかんに気付けなかった。

「ギルアンっちゃんがお待ちだ」

 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる男。

 マリーはあぶらあせがにじみ、きようさけびだしそうになる。しかし口元を手で押さえつけられているから、くぐもったうめき声にしかならない。

「んん~~~ッ!!

「身動きすれば傷物になるぞ」

 男はマリーの腕をひねり上げた。

(痛いッ)

 折れたのではないかと思うほどの痛みが走り、じんじんと腕がうずく。

 マリーのていこうの力が緩んだのを良いことに、男はマリーを後ろ手に縛り付けた。そして首にナイフを押し当ててくる。

「だれか……っ!」

 暴れようとしたマリーの喉にピリリとした痛みが走った。喉がわずかに切られたのだ。そのちゆうちよのない態度にマリーのきもが冷える。

「黙れ。ここで死にたいのか」

(殺されるかもしれない……)

 そのおそれから身動きが取れなくなってしまう。

「マリー!? おい、やめろ! 彼女を傷つけないでくれ!」

 わざわざ見送りに出てくれたのだろう。マリーの異変に気付いたエマがそう叫んでけ寄ってくる。

 マリーは馬車の窓から必死にエマに向かって首を振る。

(止めて! お姉様まで危険だわ……!)

 馬車はエマがたどり着く前に走り出してしまった。

 エマは馬車に追いつこうとしていたが、どんどん距離が離れてそのうちに見えなくなってしまった。

ずいぶんと愛されているんだな。にせもののくせに」

 男がそう笑いながら、マリーにかくしの布を縛り付けた。

 背筋に冷たい汗が流れていく。

(身代わりのことを知られている……)

 それならギルアンもすでに知っているのだろう。彼ならばそれをネタに伯爵家をおどすくらいのことはするはずだ。

(そうしたらカルロ様も私がマリア様と別人だと気付いてしまうかも……)

 いや、と心の中で頭を振る。もうカルロはマリアに興味を失っているだろう。あんな冷たい態度を取ったのだから。

 そう思うと、胸がズキリと痛んだ。

(どこまで行くつもり……?)

 不安で音から外の場所をさぐろうとしたが、さっぱり分からない。

 しばらくエマからの追手の目をすためか、馬車は色んな道を通っていた。

 気が付いたら、人けのない倉庫のような場所の前に連れてこられていた。

(海……?)

 しおさいにおいから、海が近い場所だとさとる。

「こっちへ来い」

 マリーはうでをつかまれ、無理やり歩かされた。

「ここに入れ」

 男たちがきしむ音を立てて開けたてつの音。

 マリーの目隠しの布ががされると、そこは倉庫のようなうすぐらい空間だった。二階部分の窓からゆうが差し込んでいる。

 恐怖で血の気がせたマリーを、男は木の柱に背中がつくようしばり付けた。

さわぎ立てるんじゃないぞ」

 そう命じられて、マリーは青ざめながら、うなずく。

 後ろに縛られている手首は痛かったが、先ほどよりはまだマシだった。

 男は扉にかぎをかけて倉庫から出て行った。

 マリーは一人きりになって、ようやくきんちようの糸が切れる。この分だと、すぐに殺されることはなさそうだ。

(どうして、さるぐつわをしないで行ったのかしら……? 手足はこうそくされたままだけど……)

 大声を出されたら困るはずなのに。

(もしかして、すぐそばに見張りがいるの?)

 何か異変があったらすぐに駆け付けられる距離にいるのかもしれない。それとも周囲に人がいないから大声を出されても大丈夫だというまんしんがあるのか……。

 しかし相手をおこらせたら無事でいられるかの保証はないのだ。それを想像すると、マリーも大声を出す勇気が持てない。

 だんマリーの周囲にいるようせい達も男におびえて付いてこられなかったようだ。

(私、どうして連れてこられたのかしら……?)

「……みのしろきん目的?」

 ギルアンのことだから、そうにちがいない。伯爵家からしぼり取れるだけ取るつもりだろう。

(でも、私は偽者だから意味ないのに……)

 血のつながりのないエマがマリーのために大金をはらうなんてことはありえない――と思いたいが、金銭感覚がくるったお人よしのエマならば躊躇なくやりかねない。それに彼女は責任感も強いのだ。

(皆に迷惑かけてしまうわ……)

 そう悲しい気持ちになっていた時、倉庫の扉が開いた。

 逆光になっていて、そこに誰がいるのかがよく分からない。しかし太めの男のようだった。

「だれ……?」

 マリーが目をすがめて問いかけると、青年は喜色のにじむ声を漏らした。

「マリー……会いたかった」

 その声に聞き覚えがあった。世界で一番きらいな相手。

「あなたは……」

 扉が全開にされると、マリーにも男の顔を見ることができた。

 そこにいたのは最悪の予想通り――ギルアン・テーレンだった。

「どうして、私を……?」

 くちびるがわななく。

 ギルアンはくちはしの形に上げながら、ゆったりとした足取りで近付いてくる。

「久しぶりだな……って違うか。お前はずっと皇太子のそばにいたんだから。いつからだ? やっぱり、あのパーティの前か」

 その言葉に心臓が嫌な音をたてた。完全に正体がバレている。

 それでもマリーはしらばっくれた。

「な……何を言っているの? あなた私にこんなことして、どうなるか分かっているの!? 正気とは思えないわ。お姉様だって、カルロ様だって、あなたのことを決して許さな――」

 マリーが恐怖で震えそうになりながらつむごうとした言葉は、ちゆうでギルアンの片手にさえぎられた。

 片手でにぎりしめるようにりようほほおおわれたのだ。い込んだつめはだに痛みが走る。

「黙れよ。いつおれが発言を許した?」

こわい……)

 目の前が暗くなっていく。幼いころから変わらないギルアンのあつてきな態度は、マリーを委縮させるのに十分だった。

 血の気の失せたマリーを見おろして、ギルアンはようやく手を放した。鼻歌でも歌い出しそうなほどじようげんに言う。

「ああ、やっぱりマリーだな。おかしいと思ったんだ。マリアみたいなゴリラ女が急に女らしくなるなんて。ありえないだろう」

 マリーは観念した。もうマリアだと誤魔化しきることはできない。彼の性格上、これ以上不要にしらを切れば逆上して何をするか分からない。

「……ギルアンは、どうして私だと分かったの……?」

「いや、すぐには分からなかったよ。だって見た目だけはそっくりだったからな。だが、お前が一人で借金をどうにかできるはずがないと思った」

 ギルアンは銀色のかみき回して、舌打ちした。

「まさかシュトレイン伯爵家のマリアに成り代わっているとは予想外だった」

 ギルアンはこわったマリーのあごに指をかける。

「お前は本当に暴力が嫌いだな。いつも俺と目を合わせようとしないな。だが言うことを聞かない女はなぐってでも言うことを聞かせないとな」

 ギルアンがにぎこぶしを振りかぶり、マリーはぎゅっと目を閉じて身を縮めた。

(殴られる……!)

 だが拳は降りてこなかった。

 人差し指で軽く額をはじかれる。

「ばーか、じようだんだよ。……もっとも、またお前が俺からげようとしたら……どうなるか分かっているな?」

 ギロリとにらまれて、恐怖で目の前が遠くなる。

 ギルアンのニタニタ笑いが気持ち悪い。

「カルロ殿下がお前にべったりりつくようになっていたから、お前をさらうのに時間がかかった。クソいまいましい」

「カルロ殿下が……?」

 マリーは目を見開いた。

(私を助けようとして、そばにいてくれたの……?)

 そう気付き、マリーの胸がふいにあたたかくなる。いつだって彼はさりげなくマリーを助けてくれていた。

 ギルアンは苛立ったようにマリーにりつけてくる。

「何だ、その顔は!? 惚れたのか、あのクソに! このうわもの!!

 婚約者でもないどころか、付き合ってすらいないギルアンにそんなことを言われる筋合いはない。だが今そんなことをてきすれば、逆上して手がつけられなくなるだろう。

 太っているために息が上がるのが早い。ギルアンはハァハァと肩をらしながら、まるで良いことを思いついたような表情をする。

「そういえば、こんなものもあったなぁ」

 ギルアンは倉庫の外から大きなかばんを引きずってきた。

「それは……っ!」

 マリーがミッシェルのために用意したドレスだ。

 大きな音を立てて鞄を開かれ、布に包まれた青いドレスが地面に落ちる。

「お前にはこっちの方がこたえるよなぁ」

 ギルアンはベルトに差しんであったナイフを取り出し、ニチャァと笑う。

「やめてぇ――!!

 マリーは制止の声を上げたが、ドレスは上から下まで大きく破られてしまった。

「……ッ! ギルアン! なんてことを……!」

 マリーはギリリとおくみしめる。

 ギルアンはかたをすくめた。

「なに感情的になってるんだよ? ドレスが破れて困っているなら俺が新しいやつを買ってやろうか? お前が俺の言うことをおとなしく聞くなら一着くらい買ってやっても良いぞ」

 ギルアンはどこまでも上から目線で、職人の気持ちも衣装を受け取る側の気持ちも理解できないのだろう。

 ――こんな男なんかのために泣きたくない。

 そんなことをしたらギルアンを喜ばせるだけだ。

(ギルアンは他人の気持ちなんて、全然考えていない……昔からそうだわ……)

 でなければ、マリーに長年いやがらせをすることなんてできるはずがないのだ。

 マリーのはんこうてきな目を見て、ギルアンが舌打ちする。

「お前は俺が買ったんだ! 黙って言うことを聞いていろ!」

 ギルアンなんかにくつするのは嫌だ。たとえ死んでも。

 もう、こんな男にビクビクして生きていくなんてごめんだ。

「あなたなんかに良いようにされるくらいなら死んだ方がマシだわ!!

 マリーがそう叫ぶと、ギルアンの顔がふんに染まる。

(ああ……私、死ぬんだわ……)

 そう悟る。

 ――ここで死ぬくらいならカルロに本当のことを言えばよかった。そんな後悔が心をくす。

 その時、倉庫の入り口に誰かのひとかげが映った。

「なら望み通り死ね!!

 ナイフを握ったギルアンの手が振り上げられ――。

 直後、ギルアンはうめごえを上げて倒れた。

「……ッ!?

 きようがくに息をんだマリーの視線の先に立っていたのは――カルロだった。

 彼はギルアンにたたきつけて割れたガラスびんを落として駆け寄ってくる。

「大丈夫か、マリー!」

 カルロは肩で息をしていた。今まで見たことがないほど必死な顔だった。

(カルロ……様……? 本当に……?)

 ぼうぜんとしているうちに、カルロが泣きそうに顔をゆがめて、ばやくマリーを拘束していた縄を外した。

 そしてマリーの肩に自身がまとっていたコートをかけてくれる。

 衣服に移っている彼の香りとぬくもりに、ようやくこれが現実のことなんだと実感することができた。

「君がいなくなったとエマお義姉ねえさんから聞いて捜し回っていました。港までは消息がつかめましたが、こんせきえてほうにくれて……しかし不思議とこちらに導かれるように来てみたんです。良かった、無事で……」

 カルロの肩にようせいとどまっていた。マリーを見て、エヘンと胸をらしている。彼女がカルロを連れてきてくれたのだろう。

「カルロ様……?」

「ああ……おそくなって、ごめん」

 しばし呆然としていたが、本当にカルロが目の前にいるとにんしきしたたんあんかんからなみだがこぼれてしまう。

「私はひどいことを言ってしまったのに……」

「気にしていません。君の本心じゃないって分かっていますから」

 思わず彼の胸に顔をうずめてしまう。

 カルロはやさしく受け止めてくれて、震える腕でマリーを抱きしめた。

「ごめん、……本当に、ごめん。遅くなった」

 マリーはえつをこぼしながらも、何度も首を振る。

(カルロ様のせいじゃない……)

 彼は助けにきてくれたのだ。それなのに彼は責任を感じているらしい。

「……助けにきてくれて、ありがとうございます。うれしい、です」

 マリーはそう言った。

 カルロは悲痛な表情だ。

「……君が無事で、本当に良かったです。心がつぶれるかと思いました」

 マリーは目を見開く。

「カルロ様……」

 カルロの腕の衣をぎゅっとつかむ。

 ギルアンを前にした時のようなきようしんも今はなく、むしろようやく心が落ち着けたような気持ちになっていた。

 マリーはカルロの胸にそっと体を預ける。

「……ありがとうございます。私も、また会えて良かったです……」

 いつしゆんだけ、十年前の彼に再会できたような気持ちになる。ようやく、あるべき場所にもどってこられたひなどりみたいな気分だった。

(カルロ様の言葉はマリア様へのものだけど……それでも、今だけは……彼をそばで感じていたい)

 マリーは、そっとぶたを閉じる。

 そしてエマやカルロの護衛が駆けつけてくるまで、二人はたがいの熱をかくにんするように、ずっと寄りっていた。