第七話 あなたのそばで
「はぁ」
マリーは安楽
カルロと別れた日以来、
あれから一か月が
妃教育でもカルロが訪れてこなくなったので、プリシラ先生が残念そうな顔をしていた。
(これが本来あるべき形……)
そう思うのに
別館のマリーの作業室には、トルソーに飾られた二対のドレスがあった。一つはミッシェルから預かった見本の子供用ドレス、そしてもう一つはそれを元にした大人のライラのドレスだ。
カルロのことを考えないように作業に
ライラの元のドレスと似た生地が見つからなくて手に入れるのに苦労したが、どうにかイメージに近いものが完成できた。
「早く持って行きましょう」
試着してもらって現在のサイズとの
(早く渡せば、きっとミッシェルも喜んでくれるわ)
マリーはそう思い、ライラのドレスを
エマに直接声をかけずに出かけようとしたのは、ギルアンを
(あっ、しまった。ミッシェルさんの子供用ドレスもお返しするつもりだったのに)
鞄に入れ忘れてしまったことに気付き、マリーは馬車の扉を開けて
だが隣に座っていた護衛の男にがっちりと
「なっ……!」
「静かにしろ」
よく見れば、彼はいつもの警護の男性ではなかった。たまに別の人と
「ギルアン
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる男。
マリーは
「んん~~~ッ!!」
「身動きすれば傷物になるぞ」
男はマリーの腕を
(痛いッ)
折れたのではないかと思うほどの痛みが走り、じんじんと腕がうずく。
マリーの
「だれか……っ!」
暴れようとしたマリーの喉にピリリとした痛みが走った。喉がわずかに切られたのだ。その
「黙れ。ここで死にたいのか」
(殺されるかもしれない……)
その
「マリー!? おい、やめろ! 彼女を傷つけないでくれ!」
わざわざ見送りに出てくれたのだろう。マリーの異変に気付いたエマがそう叫んで
マリーは馬車の窓から必死にエマに向かって首を振る。
(止めて! お姉様まで危険だわ……!)
馬車はエマがたどり着く前に走り出してしまった。
エマは馬車に追いつこうとしていたが、どんどん距離が離れてそのうちに見えなくなってしまった。
「
男がそう笑いながら、マリーに
背筋に冷たい汗が流れていく。
(身代わりのことを知られている……)
それならギルアンも
(そうしたらカルロ様も私がマリア様と別人だと気付いてしまうかも……)
いや、と心の中で頭を振る。もうカルロはマリアに興味を失っているだろう。あんな冷たい態度を取ったのだから。
そう思うと、胸がズキリと痛んだ。
(どこまで行くつもり……?)
不安で音から外の場所を
しばらくエマからの追手の目を
気が付いたら、人けのない倉庫のような場所の前に連れてこられていた。
(海……?)
「こっちへ来い」
マリーは
「ここに入れ」
男
マリーの目隠しの布が
恐怖で血の気が
「
そう命じられて、マリーは青ざめながら、うなずく。
後ろに縛られている手首は痛かったが、先ほどよりはまだマシだった。
男は扉に
マリーは一人きりになって、ようやく
(どうして、さるぐつわをしないで行ったのかしら……? 手足は
大声を出されたら困るはずなのに。
(もしかして、すぐそばに見張りがいるの?)
何か異変があったらすぐに駆け付けられる距離にいるのかもしれない。それとも周囲に人がいないから大声を出されても大丈夫だという
しかし相手を
(私、どうして連れてこられたのかしら……?)
「……
ギルアンのことだから、そうに
(でも、私は偽者だから意味ないのに……)
血の
(皆に迷惑かけてしまうわ……)
そう悲しい気持ちになっていた時、倉庫の扉が開いた。
逆光になっていて、そこに誰がいるのかがよく分からない。しかし太めの男のようだった。
「だれ……?」
マリーが目をすがめて問いかけると、青年は喜色のにじむ声を漏らした。
「マリー……会いたかった」
その声に聞き覚えがあった。世界で一番
「あなたは……」
扉が全開にされると、マリーにも男の顔を見ることができた。
そこにいたのは最悪の予想通り――ギルアン・テーレンだった。
「どうして、私を……?」
ギルアンは
「久しぶりだな……って違うか。お前はずっと皇太子のそばにいたんだから。いつからだ? やっぱり、あのパーティの前か」
その言葉に心臓が嫌な音をたてた。完全に正体がバレている。
それでもマリーはしらばっくれた。
「な……何を言っているの? あなた私にこんなことして、どうなるか分かっているの!? 正気とは思えないわ。お姉様だって、カルロ様だって、あなたのことを決して許さな――」
マリーが恐怖で震えそうになりながら
片手で
「黙れよ。いつ
(
目の前が暗くなっていく。幼い
血の気の失せたマリーを見おろして、ギルアンはようやく手を放した。鼻歌でも歌い出しそうなほど
「ああ、やっぱりマリーだな。おかしいと思ったんだ。マリアみたいなゴリラ女が急に女らしくなるなんて。ありえないだろう」
マリーは観念した。もうマリアだと誤魔化しきることはできない。彼の性格上、これ以上不要にしらを切れば逆上して何をするか分からない。
「……ギルアンは、どうして私だと分かったの……?」
「いや、すぐには分からなかったよ。だって見た目だけはそっくりだったからな。だが、お前が一人で借金をどうにかできるはずがないと思った」
ギルアンは銀色の
「まさかシュトレイン伯爵家のマリアに成り代わっているとは予想外だった」
ギルアンは
「お前は本当に暴力が嫌いだな。いつも俺と目を合わせようとしないな。だが言うことを聞かない女は
ギルアンが
(殴られる……!)
だが拳は降りてこなかった。
人差し指で軽く額を
「ばーか、
ギロリと
ギルアンのニタニタ笑いが気持ち悪い。
「カルロ殿下がお前にべったり
「カルロ殿下が……?」
マリーは目を見開いた。
(私を助けようとして、そばにいてくれたの……?)
そう気付き、マリーの胸がふいにあたたかくなる。いつだって彼はさりげなくマリーを助けてくれていた。
ギルアンは苛立ったようにマリーに
「何だ、その顔は!? 惚れたのか、あのクソに! この
婚約者でもないどころか、付き合ってすらいないギルアンにそんなことを言われる筋合いはない。だが今そんなことを
太っているために息が上がるのが早い。ギルアンはハァハァと肩を
「そういえば、こんなものもあったなぁ」
ギルアンは倉庫の外から大きな
「それは……っ!」
マリーがミッシェルのために用意したドレスだ。
大きな音を立てて鞄を開かれ、布に包まれた青いドレスが地面に落ちる。
「お前にはこっちの方が
ギルアンはベルトに差し
「やめてぇ――!!」
マリーは制止の声を上げたが、ドレスは上から下まで大きく破られてしまった。
「……ッ! ギルアン! なんてことを……!」
マリーはギリリと
ギルアンは
「なに感情的になってるんだよ? ドレスが破れて困っているなら俺が新しいやつを買ってやろうか? お前が俺の言うことをおとなしく聞くなら一着くらい買ってやっても良いぞ」
ギルアンはどこまでも上から目線で、職人の気持ちも衣装を受け取る側の気持ちも理解できないのだろう。
――こんな男なんかのために泣きたくない。
そんなことをしたらギルアンを喜ばせるだけだ。
(ギルアンは他人の気持ちなんて、全然考えていない……昔からそうだわ……)
でなければ、マリーに長年
マリーの
「お前は俺が買ったんだ! 黙って言うことを聞いていろ!」
ギルアンなんかに
もう、こんな男にビクビクして生きていくなんてごめんだ。
「あなたなんかに良いようにされるくらいなら死んだ方がマシだわ!!」
マリーがそう叫ぶと、ギルアンの顔が
(ああ……私、死ぬんだわ……)
そう悟る。
――ここで死ぬくらいならカルロに本当のことを言えばよかった。そんな後悔が心を
その時、倉庫の入り口に誰かの
「なら望み通り死ね!!」
ナイフを握ったギルアンの手が振り上げられ――。
直後、ギルアンは
「……ッ!?」
彼はギルアンに
「大丈夫か、マリー!」
カルロは肩で息をしていた。今まで見たことがないほど必死な顔だった。
(カルロ……様……? 本当に……?)
そしてマリーの肩に自身がまとっていたコートをかけてくれる。
衣服に移っている彼の香りとぬくもりに、ようやくこれが現実のことなんだと実感することができた。
「君がいなくなったとエマお
カルロの肩に
「カルロ様……?」
「ああ……
しばし呆然としていたが、本当にカルロが目の前にいると
「私はひどいことを言ってしまったのに……」
「気にしていません。君の本心じゃないって分かっていますから」
思わず彼の胸に顔をうずめてしまう。
カルロは
「ごめん、……本当に、ごめん。遅くなった」
マリーは
(カルロ様のせいじゃない……)
彼は助けにきてくれたのだ。それなのに彼は責任を感じているらしい。
「……助けにきてくれて、ありがとうございます。
マリーはそう言った。
カルロは悲痛な表情だ。
「……君が無事で、本当に良かったです。心が
マリーは目を見開く。
「カルロ様……」
カルロの腕の衣をぎゅっとつかむ。
ギルアンを前にした時のような
マリーはカルロの胸にそっと体を預ける。
「……ありがとうございます。私も、また会えて良かったです……」
(カルロ様の言葉はマリア様へのものだけど……それでも、今だけは……彼をそばで感じていたい)
マリーは、そっと
そしてエマやカルロの護衛が駆けつけてくるまで、二人は