第六話 お忍びデート



「はぁ……」

 思わずため息をらしてしまったマリーに、となりにいたカルロが声をかけてくる。

「どうしました、マリア」

「いえ、何でもありません」

 きさき教育でこうぐうおとずれていたが、マリーのため息を聞いて心配してくれたようだ。マリーは申し訳ない気持ちになる。

(カルロ様にはギルアンのことは言えないものね……)

 ギルアンのせいで仕立屋の仕事が止まっていることもいやだし、彼がどんなことをしてくるか不安でなかなかけない。エマが念のためマリーの警護を増やしてくれたし仕立屋の周辺も警備してくれているが、思い通りにならない日々に不満ばかりが積もっていく。そんなマリーに何かを思ったのか、カルロがひとつ提案をしてきた。

「マリア、良かったら明日、帝立歌劇団の『二人のお姫様』の舞台を見に行きませんか? お忍びで」

「お忍びで? でも、まだ公演は始まっていませんよね?」

 ミッシェルに公演日を聞いていたマリーは首を傾げる。

「ええ、役者たちの練習です。団長と知り合いなのでさそわれているんです。練習とはいえ見ごたえはありますよ」

(実際に演じているところを見られたら、ミッシェルのドレスのイメージがもっと湧いてくるかもしれないわ)

 ミッシェルにもないかと誘われていたのだ。ギルアンのことがあって行くかどうか迷っていたのだが――。

(カルロ様がいつしよに行ってくれるなら安全ね)

 外出するカルロには常に複数の護衛が付いている。仮にギルアンが周辺にいたとしても、さすがに皇太子の周りでマリーをねらうことはできないだろう。

「何かあっても、ぼくまもりますから」

 そう言ってくれるカルロに嬉しくなると同時に、まるで事情を知っているかのような口ぶりに疑問を覚えた。

(こんな風に優しくしてくれるのも……カルロ様がマリア様を好きだからだわ)

 そう思うと落ちむ。カルロの親切はマリーのためのものではない。そう分かっていても、マリーは作り笑いをかべた。

「ありがとうございます。カルロ様」

「いいえ、デート楽しみにしていますね」

 カルロにそう言われて、マリーはこうちよくした。

(デート!?

 このままでは、さらにマリア(にせもの)とカルロの仲が進展してしまう。しかしきよするとカルロが辛そうな顔をするからきよぜつもできない。

 アワアワしているマリーの様子をカルロは楽しそうに見つめているのだった。




 そして翌日、シュトレインはくしやくにカルロが馬車でむかえに来た。

 あざやかな赤い薔薇ばらの花束を持って現れた彼に、マリーの隣にいたエマは目を丸くする。

「あ、あの……カルロ殿でん? マリアを迎えに来るなんて珍しいですね」

 皇太子の異変を直接かくにんするためにエマはカルロをむかえたのだが――予想以上にねつれつに妹を口説いているカルロに出鼻をくじかれた形だった。

 カルロは満面のみを浮かべる。

「こんにちは、お義姉ねえさん」

「お義姉さん!? 今までエマ・シュトレイン伯爵れいじようと他人ぎように呼んでいたのに、いきなりどうされたんですか……?」

 目を白黒させているエマに、カルロはしれっと言う。

「いえ……よく考えてみれば、愛するマリアの姉ということは、僕にとっても敬愛すべき姉です。これからはお義姉さんと呼ばせてください」

「あ、あいする……?」

 頭が痛くなっているのか、エマはけんんだ。その後はロジャーにかたを支えられながら「おそくならないように」とマリーに言って部屋にもどっていく。さすがに皇太子のデートの邪魔はできなかったのだろう。

 カルロはマリーに薔薇の花束をわたす。

「ありがとうございます。綺麗ですね」

 メイドに渡して部屋にかざってもらうよう言いつける。

「それじゃあ行きましょうか」

 カルロに腕を差し出されて、マリーは悩んだが、やむなく腕に手をからめる。差し出された腕を拒否するのは無礼だ。マリアならやりそうだが。

(私、本当にマリア様がしそうにないことばかりしている気がするわ……!)

 してはいけないと分かっているのに演技が上手うまくできない。

 こうなったらミッシェルの舞台を見て、自分も演技の参考にしようと思った。




 ミッシェルは舞台の上で、大きく手を広げながらライラ役を演じる。頭上にはシャンデリアがきらびやかに光っていた。

『ああ……本当に? こんなにそっくりな人がこの世にいるなんて信じられないわ……リオン、あなたは私の双子の兄なの? この国の王子様が?』

 ライラの独白のシーンだ。

 一階の観客席は空っぽで、マリーとカルロは二階のひんせきすわっていた。

 オペラグラスを手にかんしようするなんてぜいたくは初めてのことだ。妖精達もうっとりとした表情で手すりに並んで舞台をながめている。

 貴賓席は二人けのソファーがあり、後ろのカーテンにかくれたひかしつには常にメイドが控えて軽食と飲み物を用意してくれていた。

 カルロは空間にゆうがあるのにひじがぶつかりそうなほど近いところに座っている。

(意識しちゃダメ……演技に集中しなきゃ)

 マリーはもぞもぞと身じろぎしながらも、オペラグラスしに舞台をぎようした。

『私達は悲しい運命によって引きかれ、はなばなれになってしまったのね……でも、これからはずっとそばにいるわ、リオン。だって私達は双子のきようだいなんだから……』

 このオペラはマリーの胸をざわつかせる。どうして、マリアとマリーはそんなにそっくりなの? と聞かれているような気分だ。

(他人の空似……ただ、それだけ、よね……?)

 そのはずだ。それなのに、マリーの中にモヤモヤとしたものが生まれてくる。

 そんな物語を舞台で演じているから、マリーはカルロがマリアとおのれの入れ替わりにかんかないか今になって気が気ではなかった。

(カルロ様とこの劇を見に来るべきじゃなかったかも……)

 いまさらになってこうかいする。

 この劇は十年前にカルロと見た思い出の演目でもあるのだ。

 十年間と今では立場が大きく変わってしまっている。偽者を演じなければならないこと、彼に嘘を吐き続けていることへの罪悪感がつのっていく。

 ふいに片手を握られて、マリーは驚いてカルロの方を見た。

だいじようですよ」

(何に対して?)

 不安を感じていることが伝わってしまったのだろうか。

 マリーはドキドキしつつ、れ替わりのことを話すべきか迷う。今の彼ならば許してくれるんじゃないかという気持ちが芽生えた。

(本当のことを伝えたら、カルロ様はどんな反応をするだろう)

 マリアではないことに落胆するだろうか。彼をだました伯爵家をしよばつするだろうか。

 あるいは、幼い日に出会った自分マリーのことを思い出してくれるだろうか。

(でも彼はもうきっと十年前のことなんて忘れているわ。今はマリア様のことを愛しているんだから…)

 結局入れ替わりのことは話せなかった。いつしゆんでも秘密を漏らしそうになった自分をじる。

(これが終わったら、カルロ様ともっときよを取ろう)

 マリアが戻ってきた時のためにも、二人の仲が進展するようなことがあってはいけないのだから。




 舞台が終わると、マリーとカルロは舞台まで降りてきた。舞台装置を移動させたりと劇団員はあわただしそうにしていたが、カルロ達に目を留めたミッシェルが微笑んだ。

「団長がおっしゃっていたお客様ですね。今日は残念ながら団長は不在ですが、楽しんでいただけたなら幸いです。カルロ殿下、マリア様」

「とても素敵でした」

 マリーがしとやかに礼をすると、ミッシェルは「おや?」というような表情をした。

 今はカルロのこんやくしやとして来ているから、仕立屋のなぞの女主人のベールをつけていない。

 内心何か不備があったかとあせっていると、ミッシェルはすぐに首を振る。

「いえ、何でもございません。お会いできて光栄です。マリア・シュトレイン伯爵令嬢」

 ミッシェル達はいそがしいだろうから花束だけ渡して帰るつもりだった。そこで見知らぬ妖精がその花弁を引っ張って遊んでいた。この劇場に住む妖精だろうか。

「良かったら、これを」

 マリーがミッシェルに花束を手渡した時――。

 ふいに見知らぬ光景が目の前に広がった。

 妖精が見せたまぼろしだと気付いたのは一秒後のことだ。このじようきようではありえないようなみやくらくのない情景の変化だったから。


◇◆◇


 マリーは十さいくらいの少女の背後にいた。

(ミッシェル?)

 幼いがおもかげがある。

 ミッシェルは母親らしき美しい女性に怒鳴り散らしている。場所は民家の居間だろうか。少女の握った手には水色のドレスがあった。

「こんなものいらないわよ!」

 そう声をあららげる少女に、母親は悲しげな表情をする。

「ミッシェル……」

「私はもう子供じゃないの! 母親とお揃いのドレスなんて着たくない! 恥ずかしいもの! 捨ててきてよ!」

 そう言うとミッシェルはそれをゆかに投げ落とした。そのまま大きな音を立てて扉を閉めて部屋に閉じこもってしまった。

 落ち込む母親の背をそっとハウスメイドらしきろうでる。

「おじようさんは難しいとしごろなんです。きっとすぐに仲直りできますよ」

「そうね……できれば出かける前は笑顔で『行ってきます』って言いたかったけれど……この様子だと無理そう。一週間で戻るから、その間、ミッシェルとこの家のことをお願いね」

 そう母親がハウスメイドに言うのをとびらしに聞きながら、ミッシェルはすぐにベッドにもぐりこんだ。

 マリーの心にミッシェルの悲しみが伝わってくる。本当はこんな嫌な態度は取りたくない。だが、どうしても母親を受け入れられなかった。今日、舞台練習で団員の一人に『親の七光り』だの『母親ほどの華はないよね』と笑われたばかりだったから。

 母親のアリアは【二人のお姫様】の舞台で主役のライラとリオンの双子を演じる。そのライラとお揃いのしようを作らせるなんて、まるで自分のあといでくれと暗に期待されているように感じた。

「私はお母さんみたいに美人じゃないもの……」

 そうつぶやく。

 女手一つで自分をここまで育ててくれた母親に感謝している。だが、どうしてこんな不細工に生んだんだ、とうらごとを言いたい。もっと母親似の美人にしてくれていたら、自分の人生はもっとかがやいたものになっていただろう。こんなことで悩まずに済んだだろうに。

 とびら越しに、母親の声が聞こえてくる。

「ミッシェル、あなたはそのままで十分素敵なんだから、自分らしく生きれば良いのよ。お母さんが保証する」

(それって私にはお母さんみたいな主演はできないってこと!?

 ミッシェルはまくらを扉に向かって投げた。ポスンとけな音を立てて落ちた。何を言われても母親からの言葉は耳に入らない。心を逆なでしていくだけだ。

 母親があきらめたようにたんそくして離れていく音が聞こえた。

 ミッシェルはとんの中で泣きながら丸まる。努力して団長に褒められることがあっても、『あの母親の血を受け継いでいるんだから当然だ』と言われ、失敗をすれば『まあ、母親とは違うよね』と常に比べられる。ミッシェルが頑張っても頑張らなくても、ずっとおものようにだいな母親の存在が立ちふさがる。

「お母さんなんて、いなくなっちゃえば良いのに……」

 そういらち混じりにき捨てて、やさぐれた自分の気持ちをなぐさめた。

 一週間後、母親が亡くなったと団長が知らせに来た。

 てっきり、いつものように母親が『ミッシェル、ただいま! 愛してるわよ~! お土産みやげいっぱいあるわよ!』と暑苦しくきしめてくるに決まっているとおもい込んでいたミッシェルは硬直してしまった。

「お母さんが……?」

 かわいた声がのどから出てくる。

 殺されても死なないような生命力にあふれた人だと思っていたのに。

 初めて舞台に立つ母の姿を見た時から、ずっとあこがれていた。幼き日に、自分もそうなりたいと願った理想の女性は、母親は、もうこの世からいなくなったのだ。


◇◆◇


 マリーはビクリと体をふるわせた。

「あ……」

 急に現実の自分の体に戻ってきたから、眩暈めまいおそわれたのだ。隣にいたカルロが支えてくれる。

「大丈夫ですか!? マリー……マリア」

 慌てているかれを見て、マリーは何度かまばたきした後にうなずく。体勢を立て直してお礼を言った。

「ありがとうございます、カルロ様……」

 いまだにまぶたにこびりついた映像を思い出すと胸が痛くなる。

(これは過去のこと……)

 妖精が飛びねながら、マリーを見てクスクスと笑っている。イタズラが成功したからだろう。

 思わずマリーはそちらを睨みつける。

 そうひんぱんではないが時を選ばずにイタズラをけてくるのでやつかいだ。

「大丈夫ですか、マリア様!?

 ミッシェルが青ざめている。皇太子の婚約者に何かあったら首が飛ぶと思ったのだろう。

 マリーは申し訳なく思い微笑んだ。

「大丈夫です。ちょっと眩暈がしただけで」

「それなら良かったです」

 ミッシェルはホッとした表情をしながらも「お気をつけください。大事なお体ですから」と言った。マリーは少し複雑な気分になりながらうなずく。

「……ありがとう」

(私は皇太子カルロ様の婚約者マリアだから、そう言ってくれるのよね……)

 ミッシェルはマリーとカルロの方を見て言う。

「それにしてもお二人がうわさとは違い仲むつまじくておどろきました。風評なんて当てにならないですね」

 カルロがマリーの肩を抱き寄せる。

「ええ。僕は他の女性なんて考えられないくらい、かのじよれ込んでいるんです」

 その言葉に、マリーはチクリと胸が痛む。

(やっぱりこんな関係止めなきゃ……)

 カルロはきっと、演技が上手くできないマリーが大人しくカルロの求愛を受け入れる気になったとかんちがいしている。

 このままじゃいけない。マリアは別にいる。伯爵家のみなだってマリアをさがしているし、いずれ見つかって戻ってくるだろう。

(だから――)

 劇場を出てから馬車の中でずっとだまり込んでいるマリーに、カルロが心配そうに声をかけてくる。

「どうしたんですか、マリア。気分が悪いのですか?」

 先ほどたおれかけたばかりだからづかってくれているのだろう。

 マリーはあせばむ手のひらをぎゅっと握りしめる。窓の外はもう伯爵家の近くだ。

「……もう一緒に出かけるのは止めます」

 勇気を出してマリーがそう言えば、カルロはどうもくした。

「どうして……? 何か気に入らないことがありましたか?」

「カルロ様のことが嫌だからですわ。妃教育の時もご一緒するのは止めてくださいませ。良いめいわくです」

 心がきしむ音を立てた。だれかに冷たく接するのはつらい。自分に親切にしてくれる相手にはなおさら。

 カルロのまとう空気が暗く重くなった。

「それ本気で言っているんですか? 君が本心から?」

「あなたのこと昔から好きではありませんし。私には心に決めた方がいますから」

 かいぞく王の名前は出せなかった。

 心に決めた相手と言って、のうに思い浮かんだのはカルロの姿だ。

 けれどマリーとカルロは一生結ばれることはない。

 それでもマリーはこれからもカルロの思い出だけを胸に生きていくつもりだった。

「そんなこと許せるはずがない」

 そう言ってカルロはマリーの手を握りしめた。

 しんむらさきいろひとみい込まれそうになる。

「どうか僕に君の本心を話してくれませんか。かくごとなんてしないで」

 伯爵家の皆が断頭台に上がっている姿が思い浮かんで、マリーは強く目を閉じた。

 平民の分際で皇太子の婚約者のりをしたのだから、ただでは済まない。カルロもマリアではないことにらくたんし、マリーに冷たいまなしを向けてくるだろう。その姿を想像すると胸が苦しくなる。

「ごめんなさい……」

「マリア」

 えきれず、マリーは馬車が伯爵家の前でまったのを幸いに鍵を開けて外に飛び出た。

「マリア!」

 焦ったカルロに呼びかけられても背後を振り返ることはなかった。