第六話 お忍びデート
「はぁ……」
思わずため息を
「どうしました、マリア」
「いえ、何でもありません」
(カルロ様にはギルアンのことは言えないものね……)
ギルアンのせいで仕立屋の仕事が止まっていることも
「マリア、良かったら明日、帝立歌劇団の『二人のお姫様』の舞台を見に行きませんか? お忍びで」
「お忍びで? でも、まだ公演は始まっていませんよね?」
ミッシェルに公演日を聞いていたマリーは首を傾げる。
「ええ、役者
(実際に演じているところを見られたら、ミッシェルのドレスのイメージがもっと湧いてくるかもしれないわ)
ミッシェルにも
(カルロ様が
外出するカルロには常に複数の護衛が付いている。仮にギルアンが周辺にいたとしても、さすがに皇太子の周りでマリーを
「何かあっても、
そう言ってくれるカルロに嬉しくなると同時に、まるで事情を知っているかのような口ぶりに疑問を覚えた。
(こんな風に優しくしてくれるのも……カルロ様がマリア様を好きだからだわ)
そう思うと落ち
「ありがとうございます。カルロ様」
「いいえ、デート楽しみにしていますね」
カルロにそう言われて、マリーは
(デート!?)
このままでは、さらにマリア(
アワアワしているマリーの様子をカルロは楽しそうに見つめているのだった。
そして翌日、シュトレイン
「あ、あの……カルロ
皇太子の異変を直接
カルロは満面の
「こんにちは、お
「お義姉さん!? 今までエマ・シュトレイン伯爵
目を白黒させているエマに、カルロはしれっと言う。
「いえ……よく考えてみれば、愛するマリアの姉ということは、僕にとっても敬愛すべき姉です。これからはお義姉さんと呼ばせてください」
「あ、あいする……?」
頭が痛くなっているのか、エマは
カルロはマリーに薔薇の花束を
「ありがとうございます。綺麗ですね」
メイドに渡して部屋に
「それじゃあ行きましょうか」
カルロに腕を差し出されて、マリーは悩んだが、やむなく腕に手を
(私、本当にマリア様がしそうにないことばかりしている気がするわ……!)
してはいけないと分かっているのに演技が
こうなったらミッシェルの舞台を見て、自分も演技の参考にしようと思った。
ミッシェルは舞台の上で、大きく手を広げながらライラ役を演じる。頭上にはシャンデリアがきらびやかに光っていた。
『ああ……本当に? こんなにそっくりな人がこの世にいるなんて信じられないわ……リオン、あなたは私の双子の兄なの? この国の王子様が?』
ライラの独白のシーンだ。
一階の観客席は空っぽで、マリーとカルロは二階の
オペラグラスを手に
貴賓席は二人
カルロは空間に
(意識しちゃダメ……演技に集中しなきゃ)
マリーはもぞもぞと身じろぎしながらも、オペラグラス
『私達は悲しい運命によって引き
このオペラはマリーの胸をざわつかせる。どうして、マリアとマリーはそんなにそっくりなの? と聞かれているような気分だ。
(他人の空似……ただ、それだけ、よね……?)
そのはずだ。それなのに、マリーの中にモヤモヤとしたものが生まれてくる。
そんな物語を舞台で演じているから、マリーはカルロがマリアと
(カルロ様とこの劇を見に来るべきじゃなかったかも……)
この劇は十年前にカルロと見た思い出の演目でもあるのだ。
十年間と今では立場が大きく変わってしまっている。偽者を演じなければならないこと、彼に嘘を吐き続けていることへの罪悪感が
ふいに片手を握られて、マリーは驚いてカルロの方を見た。
「
(何に対して?)
不安を感じていることが伝わってしまったのだろうか。
マリーはドキドキしつつ、
(本当のことを伝えたら、カルロ様はどんな反応をするだろう)
マリアではないことに落胆するだろうか。彼を
あるいは、幼い日に出会った
(でも彼はもうきっと十年前のことなんて忘れているわ。今はマリア様のことを愛しているんだから…)
結局入れ替わりのことは話せなかった。
(これが終わったら、カルロ様ともっと
マリアが戻ってきた時のためにも、二人の仲が進展するようなことがあってはいけないのだから。
舞台が終わると、マリーとカルロは舞台まで降りてきた。舞台装置を移動させたりと劇団員は
「団長がおっしゃっていたお客様ですね。今日は残念ながら団長は不在ですが、楽しんでいただけたなら幸いです。カルロ殿下、マリア様」
「とても素敵でした」
マリーが
今はカルロの
内心何か不備があったかと
「いえ、何でもございません。お会いできて光栄です。マリア・シュトレイン伯爵令嬢」
ミッシェル達は
「良かったら、これを」
マリーがミッシェルに花束を手渡した時――。
ふいに見知らぬ光景が目の前に広がった。
妖精が見せた
◇◆◇
マリーは十
(ミッシェル?)
幼いが
ミッシェルは母親らしき美しい女性に怒鳴り散らしている。場所は民家の居間だろうか。少女の握った手には水色のドレスがあった。
「こんなものいらないわよ!」
そう声を
「ミッシェル……」
「私はもう子供じゃないの! 母親とお揃いのドレスなんて着たくない! 恥ずかしいもの! 捨ててきてよ!」
そう言うとミッシェルはそれを
落ち込む母親の背をそっとハウスメイドらしき
「お
「そうね……できれば出かける前は笑顔で『行ってきます』って言いたかったけれど……この様子だと無理そう。一週間で戻るから、その間、ミッシェルとこの家のことをお願いね」
そう母親がハウスメイドに言うのを
マリーの心にミッシェルの悲しみが伝わってくる。本当はこんな嫌な態度は取りたくない。だが、どうしても母親を受け入れられなかった。今日、舞台練習で団員の一人に『親の七光り』だの『母親ほどの華はないよね』と笑われたばかりだったから。
母親のアリアは【二人のお姫様】の舞台で主役のライラとリオンの双子を演じる。そのライラとお揃いの
「私はお母さんみたいに美人じゃないもの……」
そうつぶやく。
女手一つで自分をここまで育ててくれた母親に感謝している。だが、どうしてこんな不細工に生んだんだ、と
「ミッシェル、あなたはそのままで十分素敵なんだから、自分らしく生きれば良いのよ。お母さんが保証する」
(それって私にはお母さんみたいな主演はできないってこと!?)
ミッシェルは
母親が
ミッシェルは
「お母さんなんて、いなくなっちゃえば良いのに……」
そう
一週間後、母親が亡くなったと団長が知らせに来た。
てっきり、いつものように母親が『ミッシェル、ただいま! 愛してるわよ~! お
「お母さんが……?」
殺されても死なないような生命力に
初めて舞台に立つ母の姿を見た時から、ずっと
◇◆◇
マリーはビクリと体を
「あ……」
急に現実の自分の体に戻ってきたから、
「大丈夫ですか!? マリー……マリア」
慌てている
「ありがとうございます、カルロ様……」
(これは過去のこと……)
妖精が飛び
思わずマリーはそちらを睨みつける。
そう
「大丈夫ですか、マリア様!?」
ミッシェルが青ざめている。皇太子の婚約者に何かあったら首が飛ぶと思ったのだろう。
マリーは申し訳なく思い微笑んだ。
「大丈夫です。ちょっと眩暈がしただけで」
「それなら良かったです」
ミッシェルはホッとした表情をしながらも「お気をつけください。大事なお体ですから」と言った。マリーは少し複雑な気分になりながらうなずく。
「……ありがとう」
(私は皇太子カルロ様の婚約者マリアだから、そう言ってくれるのよね……)
ミッシェルはマリーとカルロの方を見て言う。
「それにしてもお二人が
カルロがマリーの肩を抱き寄せる。
「ええ。僕は他の女性なんて考えられないくらい、
その言葉に、マリーはチクリと胸が痛む。
(やっぱりこんな関係止めなきゃ……)
カルロはきっと、演技が上手くできないマリーが大人しくカルロの求愛を受け入れる気になったと
このままじゃいけない。マリアは別にいる。伯爵家の
(だから――)
劇場を出てから馬車の中でずっと
「どうしたんですか、マリア。気分が悪いのですか?」
先ほど
マリーは
「……もう一緒に出かけるのは止めます」
勇気を出してマリーがそう言えば、カルロは
「どうして……? 何か気に入らないことがありましたか?」
「カルロ様のことが嫌だからですわ。妃教育の時もご一緒するのは止めてくださいませ。良い
心がきしむ音を立てた。
カルロのまとう空気が暗く重くなった。
「それ本気で言っているんですか? 君が本心から?」
「あなたのこと昔から好きではありませんし。私には心に決めた方がいますから」
心に決めた相手と言って、
けれどマリーとカルロは一生結ばれることはない。
それでもマリーはこれからもカルロの思い出だけを胸に生きていくつもりだった。
「そんなこと許せるはずがない」
そう言ってカルロはマリーの手を握りしめた。
「どうか僕に君の本心を話してくれませんか。
伯爵家の皆が断頭台に上がっている姿が思い浮かんで、マリーは強く目を閉じた。
平民の分際で皇太子の婚約者の
「ごめんなさい……」
「マリア」
「マリア!」
焦ったカルロに呼びかけられても背後を振り返ることはなかった。