第五話 避けられない依頼
「えっ、ギルアンがここに……?」
ギルアンが【仕立屋フェアリー】にやってきた数時間後、マリーはジェシカと共に仕立屋に立ち寄っていた。新しい依頼の話などのスケジュールをベティから聞こうと思って、謎の女主人のベールをつけてやってきたのだ。
ベティは青ざめた顔ですがるように言う。
「そうなんだよぉ。その時は何とか追い払ったけど、また来るかもしれない。店主がマリーじゃないかと疑っていたから」
そう言われて、マリーは
(まさかギルアンが、まだ私のことを捜しているなんて……)
女好きの
「何ですの?
そう不思議そうにジェシカが首を
「まあ! なんて
そう
「気持ちは
いつの間にか
(こんなに私のことを守ってくれようとするジェシカに
そう思うたびに心を痛めるが、それでもどこからか秘密が
マリーは気持ちを
「仕方ないわね……しばらくお店は閉めましょう。ギルアンの興味が
「そんな……! せっかく仕立屋をオープンさせて、これからお針子をもっと雇って商売を
残念そうにジェシカが言う。マリーも
「仕方ないわ。ギルアンは乱暴者だからどんな手段を取ってくるか分からないもの。私だけじゃなく
マリーの言葉に、きゅっとジェシカとベティは頭を垂らした。
まるで
「おや? 閉店の看板は下げてあったんだけど……」
ベティの言葉に、来客の女性は申し訳なさそうな顔をする。
「すみません」
「私は【仕立屋フェアリー】の女主人メアリー・ジェーンと申します。恐れ入りますが、しばらくお店を閉めるつもりだったんです」
話を聞いてしまうとつい引き受けたくなってしまうため、マリーは開口一番にそう言った。
「そうなのですか!? ですが、どうしてもドレスの製作を引き受けていただきたくて……お話だけでも聞いていただけませんか?」
マリーは困惑気味にベティとジェシカと顔を合わせた。仕方なく、応接用のソファーに案内する。
『ちょっとちょっと! 話を聞いちゃったら断りにくくなるじゃないか!』
マリーの
『だ、だって……何だか困っているみたいだったし……』
そんなやり取りが
「私は帝立歌劇団に所属しているミッシェル・ダンと申します」
ミッシェルの依頼は、主演の『二人のお
(二人のお姫様……?)
それはこの国の者ならば誰もが知る有名な物語だ。
マリーにとっては、十年前にカルロと行った妖精降臨祭の夜に見た思い出のオペラでもある。それを
「て、帝立歌劇団!? すごいじゃないか。もしそんな依頼を受けられたら……」
この帝国で最も
(そんな
ビックリしているマリーとは反対に、ジェシカは面白くなさそうな顔をしている。
「なるほど……ミッシェル・ダン。お名前は聞いたことがありますわ」
「そうなの?」
マリーの問いに、ジェシカはうなずく。
「
ミッシェルは
「いえ、私はこんな地味な見た目ですから、どんな役にも化けられるんです……女は
確かに派手な美人が舞台に立つと、どうしても役よりも元々の個としての印象が強くなるが、ミッシェルは印象が薄い分、どんな役でもハマりやすいのだろう。もちろん、そこに彼女の演技力も上乗せされて評価されているのだ。
「私は美人に生まれませんでしたから、今まで血のにじむような努力をして、ようやく『二人のお姫様』の主演の座を勝ち取りました。絶対に成功させたいんです。母のためにも」
「お母さん……?」
マリーの問いかけに、ミッシェルは
「母は帝立歌劇団で一番の歌い手でした。女手ひとつで育ててもらっていたのですが、十年前に
悲痛な話に、マリーは息を呑んだ。
「『二人のお姫様』は母が何度も主役を演じていた、お気に入りの演目です。ようやく私も主演に手が届いた……だから絶対に成功させたいんです。
「え……」
(どうして私が【織姫】だってことが知られているの!?)
マリーがプチパニックに
「わたくしは言っていませんわよ。ですけれど、どうしても噂なんて立ってしまいますわ。だって仕立ての腕が
「だ、だって……」
自分が作るものを適当になんてできない。しかもお金をもらっている衣装だ。
マリーが頭を
「お願いします……! これが私が渡せる全てです」
そう言って、ミッシェルは小切手を渡してきた。それは決して安くはない。仮に高い金糸や布を使ったとしても相場の何倍にもなる金額で――。
「こんなに受け取れません!」
仮にドレスを二着作ったとしても、多すぎる金額だ。
「ならば舞台が成功した時に、これを受け取ってください。今は前金として、これだけ」
ミッシェルはサラサラとペンで書いた用紙をマリーに
「良いんですの? 引き受ける流れになっていますけれど……」
ジェシカに耳打ちされたが、マリーは苦笑いするしかない。あんな話をされて断れるはずがなかった。
「仕方ないわ。この依頼だけ受ける」
ジェシカはため息を落として
「まったく優しすぎますわ! ……そんなところも好きですけれど」
最後の方は小声で言いながらも、ジェシカはミッシェルを睨みつける。
「わたくし用事がありますので、そろそろ帰りますわ。ですが、【織姫】の一番のファンはわたくしですのよ! 彼女が衣装を作るのだから、せいぜい帝立歌劇団の団長の顔に
そうツン発言をして、扉から出て行った。
あまりのお
「ああ、いえ……お貴族のお嬢様の演技の参考になりましたので、お気になさらず」
どんな相手の
「さて、さっそくどんなドレスにするか相談しましょう」
マリーが
玄関の
「ミッシェルさんはどんなドレスが良いですか?」
「そうですね……本当は母が着ていたものと同じドレスが良かったんですけれど、デザイン画がもう残っていなかったんです。代わりに、私が十年前に母からもらったドレスを持ってきました。これは母が演じる王女ライラをイメージしたもので……母が私とお
ミッシェルが大きな
「わあ……
マリーは目を見張った。サテンの布地はなかなか手に入らない高級素材で、美しい
「
親子で衣装を
「ありがとうございます。子供向けなので母親が着たドレスとそっくり同じではないと思いますが……参考にしていただけると幸いです」
ミッシェルは懐かしむように目を細めて、ちょっと辛そうな表情をしていた。
そのドレスは
(確かに子供に、
「なるほど。親子でお揃いにしたんですね」
マリーはそう微笑んだ。舞台に立つ王女ライラを演じる母親と、観客席にいる子供のライラ。マリーの脳裏にそんなイメージが
「他に何かご希望はございますか?」
『二人のお姫様』は主演の
「そうですね。やっぱり舞台の上でも目を引くような
ミッシェルは
「
マリーはつぶやいた。机の上の白いデザイン用の紙束を見つめながら思考を
(手軽に華やかなドレスを作りたいなら、華やかな布やレースで飾り付けすれば良いけれど、今回は元のドレスデザインがあるからそれもできないし……)
マリーは唸った。かなり難しい。はっきり言って無理難題だ。
そもそも一人で簡単に
貴族がまとうコルセットは、メイドがきつく背中側の
どちらにしても、
そんな依頼は皇家
(……いや、できるわ!)
その時、ふっと
取りつかれたように一心不乱にペンを動かすマリーを見て、ミッシェルが驚いたように息を呑んだ。
「す、すごい……! え、このデザインって、パニエですよね? でも私が知っているものと形が違うわ」
ミッシェルがデザインを見つめながら言う。
パニエはスカートの下に身に着けて布をふくらませる補正具だ。
正面から見るとスカートが大きく見えて
しかしマリーが考案した補正具は従来のパニエとは違い、前後左右どこから見ても綺麗に丸く広がっているものだった。後にクリノリンと呼ばれて宮廷で大流行する補正具だったが、生まれたばかりのこの時はまだ名前はない。
マリーは
「えっと……かご状に骨組みを作れば、パニエももっと豪華にできるかなと思いまして……これならシルエットも綺麗ですし、がっちりコルセットでウエストを引き
これなら
ミッシェルは嬉しそうにマリーの手を
「本当に素敵だわ……! ありがとうございます……っ! 絶対に
「楽しみにしています。ミッシェルさん」
マリーはさっそくミッシェルのドレス製作に乗り出したのだった。