第四話 カルロの変化



「あ、あの……カルロ様。私にいったい何のご用でしょうか?」

 マリーはおそる恐る目の前のソファーに腰掛けたカルロにたずねた。机の上にはケーキセットが置かれている。

 前回のきさき教育から三日経っている。

(本当は休みたかったけれど、プリシラ先生がどうしてもって言うから……)

 マリアだってたまにサボっていたようなので、マリーがやっても問題ないだろう。そう思ったのに、プリシラのしの強さに負けてしまった。しかもかんじんの妃教育はすぐに終わり、プリシラはあっさりカルロと交代してしまったのだ。ウィンク付きで。められたような気分だった。

(カルロ様と会うのは気まずいのに……)

 幸いブローチは見られなかったようだが、その前のやり取りを思い出すと赤くなったり青ざめたりしてしまう。

 カルロは「ああ」とうなずき、ナプキンで口をぬぐってから満面の笑みを浮かべた。

「用はありません」

「……は? え……っと?」

(用はない……?)

 どういうことなのかと、マリーは目を丸くする。話があるからお茶に誘われた訳ではないようだ。

 カルロは悪びれもなく言う。

「マリアとお話ししたかったんです。先ほども言いましたが、こんやくしやと仲を深めることは何も悪いことではないでしょう?」

 やたらと『婚約者』を強調されて、めんらった。

「それは……そう、かもしれませんが……?」

「そうでしょう? ですから、今後は妃教育でこうぐうに来た時は一緒にお茶をしましょう」

 さらりとそう言われて、さすがにマリーはあわてた。

「ま、毎回ですか!?

(それはさすがに……一緒の時間が増えると、ぼろが出ちゃうかもしれないし。あまりきよを縮めるのはやっぱり良くないわよね……?)

「あ、あの……でも、カルロ様はお忙しいんじゃありませんか?」

 そう遠回しにきよしようとしたのだが――。

「マリア以上に優先すべきことなんて、ありません」

 そう断言されて、マリーは息をむ。

(急にどうしたの……!? まさか変なものでも食べたんじゃ……? それとも、それがカルロ様の本音……?)

 心の奥底に押し殺してきたマリアへのれんが、何かをきっかけにあふれ出してしまったのだろうか。

 マリーはいんうつな気持ちになって唇を引き結ぶ。

(やっぱり断らなきゃ……。そうだわ! 海賊王の名前を出せば、きっと……)

「でも、私にはレンディス様が……ひぃッ!」

 その名前を口にしようとしたたん、カルロのまとう空気が変わった。笑みを浮かべているのに底冷えするような殺気を放っている。

 あまりのきようにマリーはこうちよくしてしまった。

 カルロは悲しげな表情をする。

「君の口から別の男の名前が出てくるのはいやなんです」

「あっ、すみません……」

(はっ……! ついあやまっちゃった……でも、マリア様が海賊王の話をするなんて今さらなのに……どうして……)

「良いんです。でも、これからは気をつけてくださいね。使用人以外は、異性と一緒にいるのもうわですから。いや、待てよ。使用人も良くないな……」

 カルロが深刻な表情で、そうつぶやいた。

(どうして急にそんなことを……?)

 急にどくせんよくを出してきたカルロに、マリーはこんわくしていた。

 仮にマリアが戻ってきた時、この状態のカルロを見たらどう思うだろうか。

 先日まではあきらめるそぶりを見せていたのに、今のカルロはマリアをばなす気はなさそうだ。そうなると本物のマリアが戻ってきたら、また手ひどく振られて傷ついてしまうかもしれない。そんな姿を見るのは心が痛む。

(このままだとマリア様とカルロ様の関係が修復不能になってしまうかも……。最悪の場合は、嫉妬にられたカルロ様が海賊王を殺してしまう未来だって、ありえるかもしれない。もし、そんなことになったら……)

 おのれの想像に青ざめた。

 そんなことになればマリアはレンディスの後を追って命を絶ってしまうだろう。おそらく、シュトレイン伯爵家だって黙ってはいない。皇家と伯爵家が対立してしまう。

(私とカルロ様の仲が進展すれば、結果的に多くの人が不幸になる……このままじゃ、少なくとも明るい未来はないわ)

 マリーはオロオロしながら、お茶の時間をやり過ごすしかなかった。

 まさか、それ以降も妃教育で皇宮にくるたびに、カルロがまるでこいびとのようにってくるとは思ってもいなかったのだ。

 エマもカルロの最近の様子に頭を抱えているし、ロジャーはカルロが毒キノコでも食べたのではないかと疑い調べている。

 カルロの態度のひようへんに社交界はおおさわぎになり、城で働くメイドたちもカルロとマリーの様子を絶句したように見ていた。

(こ、こんなことになるなんて……)

 カルロにソファーの上でまれながら、混乱をきわめすぎたマリーは何が何だか分からない。

 カルロにタルトが乗ったフォークで「あ~ん」をされた。ここでマリアらしく振る舞おうとすると悲しげな表情をされてしまうので、最終的にマリーは根負けして口を開くしかなかった。

しいですか? 君のために特別に作らせたのです。好きでしょう、ベリー」

「……美味しいです」

 確かにベリーのタルトは頬が落ちるほど美味だ。

 マリーの返答に、カルロがとろけるような笑みを浮かべる。それを見て、マリーはウッと言葉にまった。

 れた弱みなのだろう。どうしても彼に冷たい態度が取れない。

(このままではいけないのに……)

 そう義務感に駆られても、手のひらから伝わる彼の熱のここよさは優しくて、はなれがたかった。


◇◆◇


 マリーはできたばかりの仕立屋の店内で、スケジュール表を見ながらうなっていた。

「やっぱり誰か店員をやとわないと難しいわ……」

 細々としゆ程度でやっていくつもりだったが、ジェシカのおかげで想定以上にお客が集まっている。

 今のところ店の顔となるてんは作ったものの、まだ準備が整っていないので開店していない。ジェシカのしようかいでマリーは顔をベールでかくして貴族女性の家に行き、オーダーメイドのドレスを作るというやり方を取っていた。

 だが馬車を使っても荷物を抱えて行き来するのはきつい。やはり、お店にきてもらってサンプルを見てもらった方が良さそうだ。

「思った以上に早く店舗が完成してしまったものね」

 エマのツテで、工事が早く進んだ。布や糸も仕入れており、趣味で作ったしゆうリボンやレース、いくつかのドレスもトルソーにかざられていた。せっかくお店があるのに利用しないのはもったいない。

(それに今後は貴族だけではなくしよみんも着られる安価なしようを作りたいわ……そのためにも店員を雇わなきゃ)

 マリーは妃教育もあるし、ドレス製作の時間も取らなければならないから店番までは手が回らない。

 できれば信頼できる相手にたのみたいが――。

 その時、店のげんかんの窓ガラスから店内をじっとのぞき込むひとかげがあった。

 マリーは慌ててベールをまとい、店の外に顔を出す。

(開店前の看板はあるけれど、お客様かしら……?)

「すみません。まだお店は開いてなくて――」

 相手の女性は驚いた様子で、頭と手を振る。両手に大荷物を持っていた。

「いえ! あたしはお客じゃないんです! こちらで店員しゆうとかしてないのかなって……」

 そう言う彼女の顔にマリーは見覚えがあった。

「ベティ?」

 思わず、なぞの店主という設定も忘れて口にしてしまった。ベティは娼館でマリーに優しくしてくれた女性だ。

「え? その声……まさかマリーかい!?

 ベールで顔を隠していたが、ベティもマリーに気付いたようだ。目をきようがくに見開いている。

(いつか会えたらと思っていたが、こんなところで再会できるなんて……)

「会えて嬉しいわ。ベティ、良かったら中へどうぞ」

 マリーは立ち話も何だからと店内にベティを招待した。

「はぁ~~、すごいねぇ。まさかマリーが伯爵家にお世話になっていたとは。それでこんなお店まで開いちまうなんて」

 雑談の流れで伯爵家にたいざいしていることを教えた。さすがに身代わりのことは伝えられなかったが。

 マリーがおくのキッチンでれてきたお茶を飲みながら、ベティは来客用ソファーにすわって嬉しそうに笑う。

「夢がかなって良かったよ。あんたのこと心配していたんだ」

「ベティ……ありがとう。心配かけてごめんなさい。娼館を出る時にベティにあいさつできなかったのがずっと心残りだったの。ちょっと事情があって、すぐにれんらくできなかったけれど……折を見て必ず連絡しようと思っていたのよ」

 マリーは弁解ぽくなっているのを自覚しながら言う。

 ベティはちょっとねたような表情をしていたが、すぐに笑ってかたをすくめた。

「いいよ。あんたも忙しかったんだろう。ここで会えたのは良かったよ。そもそも、スカーレットの娼館はつぶれてしまったからねぇ。娼館に行っても会えなかったよ」

「え? そうなの?」

 マリーは目を丸くした。

「ああ、実はあんたが世話になってるっていうシュトレイン伯爵家のおじようさんが、あたしの借金もチャラにしてくれたんだ。法外な利息をはらわせられてた他の姉さん達も、これまでスカーレットに払った分で十分だと取り合ってくれて、スカーレットはぶたばこ行きさ」

 まさかそんなことになっているとは思ってもいなかった。

「お姉様が……」

 マリーはエマからスカーレットの借金を回収してもらったと言われて、先日マリー名義の銀行口座の明細をわたされて目が飛び出るかと思った。そこには三億五千ジニーとこれまでマリーがスカーレットに不当にはらったと思われる金銭一億ジニーが追加されていたのだ。それは一生働かなくても困らないような額だ。

(おかげでお姉様に貸してもらっていた開店資金もへんきやくできたし……自分のお金で店を持つという夢も叶えられたわ)

 こんなに良くしてもらってエマには頭が上がらない。その上、マリーの知らないところでマリーの友人まで助けてくれていたのだ。

「お姉様?」

 きょとんとするベティに、マリーは笑みを浮かべてした。

「まるで本当のお姉さんみたいに親切にしてくださっているの」

 いつの間にか『お姉様』と呼ぶうちに、本当の家族のような気持ちが芽生えつつある。

 シュトレインはくしやくれいじようを姉と思うなんてほどらずにもほどがあると分かっていたが、『マリア』の振りが心地よすぎて離れがたい気持ちだった。

(いつかはマリア様だってもどってくる。そしたら、お姉様の妹としての場所もカルロ様の婚約者という立場もけ渡さなければならないのに……)

 しんみりしながらも無理やり笑みを作っているマリーに、ベティは言う。

「優しい人達に囲まれていて良かったよ。……あたしはこれから新しい仕事を探さなきゃいけないから、また様子を見に来るよ。お茶ごちそうさま」

 ベティはそう言って立ち上がる。マリーはベティが足元に置いていた荷物を見つめた。

「この荷物はどうしたの?」

「ああ。娼館から持ってきた最後の私物だよ。み込みで娼館で働いていたから、引っし先に持って行っているんだ。さすがに多くて一度じゃ運びきれなくてねぇ。今は近くの貸し部屋に住んでいるんだ。今度うちに遊びにおいでよ」

「そうなの……」

(先ほどベティはうちの店に興味を持ってくれていたし……もし仕事を探しているなら)

「ねぇ、ベティ。もし良かったら……うちで店員として働かない?」

 ベティなら、マリーのことをよく知っている。信頼して任せられそうだ。

「え? 良いのかい? もう娼館で働くのはこりごりだったから嬉しいよ」

 そうベティは嬉しそうに笑ってくれた。