「おなか減ったから何か食べない? カルロ、お金は持ってる?」

 そうマリーに問われて、カルロはうなずく。

 ポケットには普段、宮殿では使わないこうが入っていた。万が一の時用に叔父さんが持たせてくれていたのだ。

 マリーはシナモンのかかった焼きリンゴ、カルロは木の棒にさったソーセージにむしゃぶりつく。けた皮からにくじゆうあふれ出てきた。しかもはしげている。

(こんなものを宮殿で出したら料理長は首になるにちがいない……)

 しかし思い切ってかじってみると、それは今まで食べたことがないごちそうに感じた。

「あはは、カルロ。くちはしにソースがついているわ」

 そう笑って、マリーはハンカチでカルロの口元をぬぐってくれる。

「う、うん……ありがとう」

 カルロは少し恥ずかしさを覚えながら、お礼を言った。

 きゆうてい作法でナイフやフォークの使い方を厳しく教えられているカルロにとって、口の端にソースをたくさんつけても気にしなくて誰にもおこられないのは気楽だった。

 広場のかたすみではオペラが始まろうとしている。マリーが主演の少女の声に気を取られているのに気付き、カルロは彼女の手を握って「見に行こう」と照れながらさそった。マリーは破顔して「うん!」と、うなずく。

 立ち見客が少なかったため、最前列に二人は立った。

 ちょうどたいの端でぎんゆう詩人が歌いはじめるところだ。

「かつて、この大陸にはラグラスという古代じゆつ国家が存在した。だが一夜にしてほろびてしまった……これはその国で起こった悲しいこいの物語である」

「あっ……『二人のおひめさま』だ!」

 となりでマリーが小さく言った。

 オペラの『二人のお姫様』は幼子でも知っている。失われた王国をモチーフにした歌劇はたくさん作られているが、その中でも一、二を争う人気の話だ。

 本当なのか嘘なのか分からないが、古代魔術国家ラグラスの王族は妖精に愛されており、古の魔法を使うことができるのだという言い伝えがある。

『二人のお姫様』のお話はこうだ。

 かつてこの大陸にあった魔術国家では、双子はきつとされていた。

 双子の王女として生まれたリオンとライラ。妹のライラは双子の悪習からめし使つかいに預けられ、せいで育てられた。

 姉のリオンは本来なら王女として育つはずだったが、おうがなかなか男児に恵まれなかったため、国王の命令で性別をいつわり王子として育てられた。

 そして年頃になると、リオンはりんごくの王子に恋をする。しかし男のりをしている身ではおもいを告白することはできない。

 皮肉なことに、隣国の王子は城下を散策していた時に、ただのまちむすめだったライラをめてしまう。

 そしてリオンとライラがそっくりなことから二人が双子だということが発覚し、ライラはとつぜん町娘から王女として祭り上げられることになる。そして国民の祝福を受けて、隣国の王子とのけつこんまで決まってしまった。

 内心おだやかではなかったのはリオンだ。王子として育ったため女として振るうこともできず、こいごころを王子に打ち明けることができない。

 そしてとうとう、リオンはしつのあまりライラを殺し、彼女に成り代わることにしたのだ。しかし王子に正体が知られてしまい、ライラを暗殺したことまで発覚してしまう。

 リオンは愛する王子や両親、ていしんたちからとがめられて、追い詰められた彼女は【滅びの魔法】を使って世界を滅ぼそうとした。

 そして国がほうかいしていく中で、リオンは空の玉座で自害するのだ。

 オペラが終わると観衆達はしみないはくしゆを送った。カルロもそれにならって軽く手を叩いていたのだが、隣にいたマリーの表情は浮かない。

「どうしたの?」

 そう問いかけると、マリーは複雑そうに笑みを浮かべる。

「わたし、この話はあまり好きじゃないの。おもしろいから、ついやっている時は見ちゃうけど」

「……どうしてきらいなの?」

「だって、自分勝手すぎると思わない? 自分の恋心のせいで周りを巻き込んで国を滅ぼしてしまうなんて……私がリオンだったらライラが出てきたら身を引くと思うの」

 そうくちびるとがらせて言うマリーを見て、カルロはそれまで深く考えてこなかったこの物語について考えをめぐらせた。

(僕がリオンだったら、どうにかして想いをげようとするかもな……)

 もちろん、そのために誰かを殺すなんてぶつそうなことをするかは分からない。けれど、どうにかりようおもいになるために最善を尽くそうとするだろう。

 そう思い、チラリと横を見るとマリーと目が合う。不思議そうに小首をかしげて微笑まれて、カルロはとっさに熱くなった顔をらした。

「もうかなり時間が経っちゃったね。二人が戻ってくる前に喫茶店に戻らないと心配されてしまうわ」

 そう残念そうにマリーから言われて、カルロは冷や水をあびせられたような気持ちになる。

(そっか、もう終わりなんだ……)

 カルロの惜しむ気持ちが伝わったのか、マリーは少し考えるそぶりを見せた後、かれの手を握った。

「ねぇ、これからバンバス川でようせいぶねをやるみたいだから行ってみようよ」

 バンバス川はこの近くにある、帝都を流れる一番大きな川だ。

 広場のそばにある橋の上には多くの人が集まっており、手にはランプを持っていた。

 ランプといっても平たい皿に少しの油や小さなロウソクを入れて、火をともしたものが大半だ。

 船頭達が市民からそれを受け取り、自身のぶねに積んでいく。そんな小舟が十そう以上も岸に浮かんでいた。

「妖精舟か……」

 そのげんそうてきな光景にカルロは目をうばわれる。

 毎年、妖精降臨祭の夜、宮殿の窓からながめていた光景を思い出した。

 大きな川を流れていく何百もの明かりが綺麗で、川の果てで光が消えてしまうまで、ずっと見つめていた。

 もともとは古代魔術国家が滅びた時に生き残った民が死者をいたんで始めたものだと言われているが、今では生者が願い事をたくすしきとなっている。

 マリーはぜにを払って油売りから妖精舟をふたつ買った。

「はい。これ、カルロのね」

「あっ、お金……!」

「良いの。わたし、お母さんからおづかいをもらってるから。今日いっぱい遊んでくれたから、そのお礼ね」

「お礼だなんて……」

 だったら、むしろカルロが払うべきだろうと思った。楽しかったのはカルロの方だから。

 マリーは手の中の明かりを見おろしながら言う。

「カルロは何を願うの?」

「僕は……」

 急に宮廷での自分の立場を思い出し、口をつぐむ。しぶい顔をした後、ぼそりと言った。

「兄さんのようになりたい……」

 カルロの発言にマリーは目を丸くしている。

「お兄さんに? どうして、お兄さんになる必要があるの?」

「だっ、だって、だって……そうしないとみなが困るんだ……兄さんのように完璧にならなきゃ……」

 カルロのつぶやきに、マリーは目をまばたかせて困惑気味に首を傾げた。

「別に完璧になんてならなくても良いじゃない。カルロは今でも十分りよくてきだもの」

 恥ずかしげもなくそう言われて、ほおがカッと熱をおびる。

「み、魅力的って……」

「それより、もっと大事な願い事があるんじゃない?」

(大事な……願い事……?)

 そう思ったせつ、カルロの脳裏に兄から言われた言葉がよみがえった。

『来年の妖精降臨祭は、おしのびでいつしよに市内に出かけましょう』

(ああ、そうか……)

 その時、やっとカルロは理解した。

 重責と日々のいそがしさで、目をそむけ続けていた心のおくそこの感情。

 ふるえる指を握りしめる。これまでずっと目を背けてきたせいか、えてきたものがあふれて止まらなかった。

 兄が亡くなって三か月もの間、一度もなみだを流したことなんてなかったというのに。

「カ、カルロ!? どうしたの!?

 心配そうに声をかけてくるマリーに、カルロは拳で頬をぬぐいながら言う。

「無理なんだ……本当は兄さんと来年もまた来ると……そう願って妖精舟を流すつもりだったけど……もう兄さんは亡くなってしまったから」

 カルロの言葉にマリーは息をんだ。しばし押しだまり、そして一呼吸おいてからやさしい笑顔で言った。

「そう。なら来年も私と一緒にここへ来られるよう願おうよ」

「え……?」

「あ……私じゃ、お兄さんの代わりにはなれないかもしれないけど……」

 慌ててそう言いつくろうマリーに、カルロは思いきり首を横に振る。かのじよの気持ちがうれしかった。

(……そうだ、兄さんのたましいが天国に行けるよう願おう。そして、マリーと来年ここへ来るんだ)

「ありがとう、マリー。僕もまた、君と会いたい」

 そうカルロが照れたように言うと、マリーの頬がロウソクの明かりのように一気にしゆに染まった。

「マリー?」

「あ……な、なんでもないの! さぁ、妖精舟を流しましょう」

 マリーは少しぎくしゃくとしながら、船頭に妖精舟を渡していた。カルロもそれに倣う。

 人々の願いを乗せた小舟が岸からはなれていくのを眺めながら、カルロはようやく自身でも気付いていなかったそうしつかんれつとうかんを受け入れることができた。

 自然と手を取り合い、喫茶店【ショコラール】に足早に戻る。幸い、まだ二人は戻ってきてはいなかった。あんしてカルロとマリーは笑いあう。

「服乾いた?」

 マリーがそう言うのでローブの下を確かめると、トラウザーズはすっかり乾いてしまっていた。

(それほど時間は経っていないはずなのに……)

「君は魔法が使えるのか?」

 そうおどろきながらカルロは言う。

 マリーはえへへと照れたように笑った。

 もちろんカルロも頭の冷静な部分では魔法なんてものは存在していないと分かっている。

 ラグラスの王族が使うような魔法は、ただの言い伝えにすぎない。けれど、今だけは彼女の魔法を信じたいような気持ちになった。

 ローブを脱いで返す時に、首につけていた黄色いタキシナイトがついたブローチを彼女にわたす。

「え? これは……?」

 困惑しているマリーにブローチを握らせた。

「君へのおくものだよ。タキシナイトという石がついている」

「え……そんな。こんな高そうな物、もらっても良いの……?」

 そのブローチは数年前に兄からプレゼントされたものだ。『意中の相手ができたら渡してあげてください』と、からかうように言われた。

(あの時はだれかに渡す時がくるなんて思っていなかったけれど……)

 き兄から贈られたものだと言えば、負担を感じて受け取らないかもしれない。だから、それは言わなかったけれど。

「ああ。君にあげたいんだ」

「……ありがとう。大事にするね。私も何かお返ししたいな。カルロ、次はいつ会える?」

「えっと……それは、分からないんだ」

 身分を隠しているし、立場上、簡単には城下へ出かけることはできない。

 なやんでいるカルロに、マリーは言った。

「じゃあ、またこの店で会いましょう。私もまた来るから。会えなかったら何か伝言を残すね」

 喫茶店などには伝言板が置かれており、会えなかった相手とのやり取りなどに使われているのだ。

「……そうだな。僕もと一緒に……あるいは、一人でこっそり来るよ」

 そう約束しあった。




 カルロはそれから皇太子として忙しい日々を送った。

 マリーに会いに行きたいものの見張りの目が厳しく、きゆう殿でんけ出すことができない。

 仕方なく叔父にまた【ショコラール】に連れて行ってしいと頼んでみたが、どうやら国王からカルロを放っておいたことがなぜか知られてしまったらしく、かなりしつせきを受けたようだった。そのせいかカルロの願いに叔父は色よい返事をしなかった。

(ああ、どうやって城下に行けば……)

 一度こっそり宮殿を抜け出そうとしたことがバレてから警備が厳しくなっている。わいを渡して側近に便べんはかってもらおうとしても、身近にいるのはがん頭ばかりだった。日々の忙しさもあって、なかなか自由な時間も作れない。

 そしてヤキモキしながらも数か月が経ったころめずらしく叔父がしようちんしている日があった。

「どうしたんです、アーネスト叔父さん」

「いや、じつは……ローザが亡くなったんだ」

「ローザ? ローザって、叔父さんの恋人の?」

 アーネストはうなずく。ソファーで頭をかかえてうつむいている姿からは、普段の陽気さはじんも感じられない。

(叔父さんには珍しく……彼女に本気だった、ということか?)

 火遊びばかりしている叔父がこんなに落ち込む姿を初めて見たカルロは、少なからず驚いてしまった。

(きっとマリーも傷ついているだろうな……親戚が亡くなってしまったんだから)

 いつも叔父に会うたびに【ショコラール】に行きたいとねだっていたカルロだったが、叔父の恋人の死を知った日から、そのことを話題にすることができなくなった。さすがに傷ついた叔父の心に塩をるようなはできなかったのだ。

(会いに行きたいけれど……)

 いつまでもあの喫茶店に行く機会にめぐまれずいらいらしていた時、カルロはマリーと運命的な再会をする。とある貴族のパーティの招待客に彼女がいたのだ。

 彼女はシュトレインはくしやくむすめだった。本名はマリア・シュトレイン。カルロにはあいしようのマリーを教えていたのだろう。

(彼女は平民じゃなかったんだな)

 カルロはそれに驚きつつも、喜んだ。

 たとえマリーが平民でもきゆうこんするつもりだったが、貴族なら周囲から『身分不相応だ』などとかげぐちたたかれることもないだろう。ゆいしよ正しいシュトレイン伯爵家の娘なら、文句をつける者もいるはずがない。

 しかし半年で彼女はすっかり変わってしまっていた。

 カルロと会った日のことを忘れ、プレゼントしたブローチも『おくにありませんけど……?』と、しらばっくれる。ついきゆうすれば『そんなにプレゼントしたと言い張るなら、どこかで私が無くしてしまったのかもしれませんわね。ごめんなさい』と、そっけなく言われブローチは捨てられてしまったのだろうとカルロは察した。

 なぜそんなひどい行いをするのだろうと不思議だったが、すぐに理由が分かった。

 彼女は恋をしてしまったのだ、かいぞく王レンディス・バークナイトに。

(……運命だと思ったのに)

 しかし、そう思ったのはカルロだけで、一方的な片思いだった。マリアはカルロのことを覚えてさえいなかったのだから。

 くやしくなかったと言えば嘘になる。それでも彼女に振り向いてもらおうと長年努力したし、こんやくもしたが、『私のことをマリーと呼ばないでください。それほど殿でんと親しくはないので』と、つれない態度で言われ、カルロの努力が実ることはなかった。婚約解消してもらうために無礼な態度をり返すマリアにげんめつし、見る目のなかった自分自身にあきれた。そんなに嫌われているのかと落ち込んだ。

(あの日の彼女は、悪戯好きの妖精が見せたまぼろしだったのかもしれない……)

 そう自身を納得させようとした。そうでなければ彼女がこれほど変わった理由が理解できなかったから。


◇◆◇


(……けれど、彼女はマリーじゃなかったんだ)

 過去を振り返ってカルロは納得する。マリアはマリアだ。カルロの愛する女性じゃない。

 マリーが初めてカルロに会った時にローザのことを『親戚』と不自然に言っていたのは、しようの母親が娘を仕事相手の前に連れてくるのは仕事の足を引っ張ってしまうと気をまわしたからかもしれない。

(ようやく巡りえた。十年間、会いたいと願ってきたはつこいの相手に)

 喜びに心が震える。カルロは己でも信じがたいほど興奮していた。

(マリーがマリアの振りをしていたのは本当に驚いたが……でも良かったのかもしれない)

 たとえマリーが平民でも構わなかったが、彼女のじようを明らかにしてしまうと貴族の中には、彼女が平民であることや娼婦の母を持っていることを口うるさくさわぎ立てる者も出てくるだろう。

 マリーが春を売っていなくても、しようかん育ちであるという事実によっていわれのない中傷も浴びせられるはずだ。彼女をそんな不幸な目にわせたくない。

(彼女は素性を隠したがっている。それなら僕もマリーのことをマリアとしてあつかおう。……いつかしんらいして真実を話してくれる日まで)

「マリー、愛している。今度こそ君を離さない……」

 そうささやいて、カルロは小さくみをかべた。