第三話 妃教育



 初めての夜会から二か月後。皇宮の一室にて――。

(これだけはいつも慣れないわ)

 分厚い本を頭にせて、マリーはゆうに歩く訓練をしていた。身につけているのは伯爵家から着てきたしようではなく、夜会用の腰をしぼったごうしやなドレスだ。

「はい! ワン・ツー・スリー! ワン・ツー・スリー!」

 教育係の女官長プリシラが両手を叩いてリズムを作っている。プリシラは四十さいくらいのきつめの印象の美人で、きんぱつを全て後ろにまとめ上げている。彼女の頭の上にはようせいが三体ほど乗っていた。

(く、苦しい……)

 じよにコルセットで腹部をぎゅうぎゅうに絞られたため、息苦しい。

(コルセットなんて……! コルセットなんて必要ないドレスを作ってやる~!)

 コルセットをつけた方がシルエットが美しいのは作り手として分かる。だが着る側からしたら、こんなにきついものなのだ。

 マリーは普段は動きやすさ重視の衣装だったし、伯爵家でも格式張ったドレスは着ていない。

(せめて苦しくないコルセットに改良しなければ……)

 マリーがひそかにそう燃えていた時、扉がノックされて皇太子カルロが姿を現した。

「カルロ様、ごげんうるわしゅう」

 そくにプリシラが礼をする。

(どうして殿でんがここに?)

 マリーは混乱しながらも慌てて本を頭から取り、プリシラにならって礼をした。

「気にしないでくれ。プリシラ、しばらくマリアと二人きりにしてくれるかな?」

 カルロがおだやかにそう声をけると、プリシラは喜色満面になる。

もちろんでございますわ! それでは今日の妃教育はここまでにしましょう」

 そうプリシラはマリーに言って、そそくさと部屋を出て行こうとする。

(い、行かないでー!!

 マリーは二人っきりにされては困るのだ。できればボロが出ないように。

(話が違うわ! カルロ様はマリア様に無関心だから妃教育では顔をあわせないと聞いていたのに……!)

 今日はパーティの時とは違い、心の準備ができていない。はつこいの人の前で、うまくマリアを演じきれるか自信がなかった。

 プリシラは扉から出るぎわ、マリーに向かってニッコリと意味ありげに微笑ほほえみウィンクをする。

 その目が『しっかりカルロ様のお心を射止めるんですよ』と言っているようだった。

 プリシラとしてはおのれが教育している娘が皇太子妃になる方が都合が良いのだろう。しかも初めてカルロが自分から訪ねて来たのだ。応援しないはずがない。

 妖精もなぜかプリシラのウィンクをしてキャッキャッとしていた。

 マリーの内心の悲鳴をよそに、二人っきりになってしまう。

「どうしました、マリア。まだプリシラとお話が?」

「え、ええ。まだ聞きたかったことがありまして……」

(ここはボロを出さないうちにさっさと退散してしまった方が良いわ)

 マリーはそう思い、こそこそと逃げようとしたが、カルロに呼び止められてしまった。

「マリア、いつしよにお茶をしましょう。侍女にティーセットを用意させています。プリシラに用があるなら、後ほど呼び寄せますから」

 そうまで言われてしまえば、マリーは何も言えなかった。相手は皇太子だ。無下にする訳にはいかない。

(クッ……こうなったら無難にマリア様のりをして乗り切るしかないわね)

 マリーは引きつった顔に無理やり笑みを浮かべる。

「こんにちは、カルロ殿下。先日はおいの花束を贈ってくださり、ありがとうございます。な、なかなかセンスが良くて気に入りましたわ……っ」

 パーティの後にカルロから花束が届いたのは、とても驚いた。

 自分に向けられたものでなくても嬉しくて、ついばなにしてしまったほどだ。そのことを思い出して、無意識のうちに顔がほころぶ。

 カルロはどうもくして、少し押し黙ってから言う。

「いえ、お元気になられたようで良かったです。ところで……マリア」

 カルロはそう言うと、マリーの方に顔を近付けてくる。

「はっ、はい」

 マリーは思わずビクリとかたが跳ねてしまう。

(ダ、ダメだわ。しっかりとしないと……! ビクビクしていたら、マリア様らしくないもの)

 マリーは無理やり顔に笑みを作った。

「な、なんでしょうか? カルロ殿下」

 しかしカルロは至近きよでジィッとマリーを見つめるだけだ。

 マリーはあせき出るのをおさえられない。

(え……? どこか、おかしかった? いえ、そんなことないわ。あいさつの仕方はかんぺきだとお姉様もプリシラ先生も認めてくださったもの。どこもおかしくはなかったはずだわ)

 ならば、なぜこうもぎようされているのだろうか。

 まさか何か失敗してしまったのだろうか、と不安がき上がってくる。

 マリーがもんの表情を隠しきれなくなってきたころ、カルロはしんそうに目を細める。

「……叩かないんですか?」

「は?」

「ダンスの時以外でこんなに近付けば、『無礼者! 私はかいぞく王以外に興味ないのよ!』って人のいないところで僕を叩いていたでしょう。最近、僕にれいただしくなったのは、いったいどういう心境の変化ですか?」

「は? え……」

(マリア様、カルロ殿下に暴力を振るっていたの!?

 そんな話は聞いていない。

(まさか、お姉様たちの知らないところで、マリア様はそんなことをしていたなんて……)

 こんやく解消したすぎて、マリアはやりたい放題だったのだろう。不敬罪に処されないのが不思議なくらいだ。カルロの懐が広いのだとしても、どうしてそんなことを許しているのか理解できない。

 マリーは混乱しながらも、どうにか言いつくろう。

「……そ、それは、私もはくしやくの娘ですから! いくら婚約を解消したいという目的があったとはいえ、今までのカルロ殿下への態度は決してめられるものではないと休み中に反省しましたの! これまでの無礼を、どうかお許しくださいませ」

(ど、どう!? 上手うまくごまかせたかも……。あと海賊王の話をしなきゃマリア様らしくないかしら)

 ゴホンとせきばらいしてから、マリーは言う。

「ですが、私の気持ちは変わりません。私の心は海賊王レンディスのものです。私はカルロ様を愛することはできません……。ですから、どうか婚約解消をしんけんにお考えくださいませ」

 できるだけマリアらしさを見せるために、まだ婚約解消を諦めていないとアピールした。

(きっとマリア様なら、こうするわよね……)

 嘘をいていることにバツの悪さを覚えて、マリーはカルロから目をらす。

 長いちんもくの後に、カルロは深くため息を落とした。

「……最近おとなしかったのは、そういうことですか?」

「え……?」

 困惑した次のしゆんかん、マリーは軽く押されてソファーに後ろから倒れむ。

「きゃっ……って、え?」

 目の前にカルロの顔があった。

 カルロの手がマリーの顎と首にわされた。強くはないがのがさないと言いたげにマリーのはだの上をおおう。

「え、あ、あの……?」

 どうしてこんなじようきようおちいっているのか分からない。

 マリーはどうようしてカルロの静かなむらさきいろひとみを見つめた。

「それで僕の気が変わるとでも?」

 表面的には優しげな笑みを浮かべているのに、声は氷のように冷たい。美しい顔をいろどるのは怒りの色だ。窓から差し込む陽光がカルロのくろかみを照らし、間近にせまったその紫色の瞳におびえたマリーの顔が映る。