幕 間 破綻(スカーレット視点)
スカーレットは苛立ちをこらえ切れず、娼館の受付の机を殴りつけた。その拍子に灰皿に置いていた煙管が倒れて灰が落ちる。
「どうしてこんなにうまくいかないんだ!?」
スカーレットはギリリと親指の爪を噛む。
これまで順調だった仕立屋の客が、急に波が引いたようにいなくなったのだ。
本当は【織姫】がいなくなったことは伏せて、腕の良い職人に作らせた衣装を彼女の作品として偽り、これからも売っていくつもりだった。
それなのに【織姫】がもうお店にはいないという噂が立ってしまったのだ。似たデザインを作っていけば見破られることはないだろうと踏んでいたのに。
マリーがいなくなった際に依頼を受けていたドレスは未完成だった。
しかし引っ越しのどさくさで製作途中の衣装はマリーに持って行かれてしまったのだ。
それで仕方なくお店にあった複製図案を使って急遽別の職人達に作らせた。出来たものはマリーが作った物と比べると見劣りしたが、それでも悪い出来ではなかった。しかし、お客はいつまで経っても商品を取りにこなかった。
仕方なくお客のもとまで運べば、「すでに【織姫】の作品は受け取っていますよ。今回も素晴らしい出来でした」と言われる始末。
何かの間違いではないかと思ったが、お客は皆嬉しそうな顔でこう言った。
「【織姫】から、商品と一緒に直筆のお手紙をいただいたんです……! それにはこう書かれていましたよ」
『ご依頼ありがとうございました。お客様の未来に幸がありますよう、一糸、一糸、大切に、お祈りしながら織らせていただきました。一身上の都合により、お店を退職することになりましたが、またいつか作品を通してお会いできることを願っております』
「あたたかな文面に、私とっても感動しちゃって。やっぱり作品と同じように内面も素敵な御方ですね。――ところで、【織姫】はどちらに転職されたのでしょうか? また是非、ドレスの製作をお願いしたいのですが……」
スカーレットは黙って退散する他なかった。
しかもそんなお客は一人ではなく、その後も何人も続いた。そのせいで【織姫】がいなくなったことが世間に広まってしまったのだ。
「これも全てマリーのせいだよ……!!」
今は娼館の経営もうまくいっていなかった。
マリーがいなくなった時を境に、お客がこなくなったのだ。『結婚することになった』とか『田舎に帰ることになって……』とか『金欠で……』と、お客の足が遠のいた理由はさまざまだったが、常連客が示し合わせたようにタイミングが悪く全員がこられなくなってしまった。
(店を出すのだって、タダじゃないっていうのに……)
賃料もかかるし、管理費、人件費など、毎月出ていく費用は存外に大きい。
それに最近ではトラブル続きで、懇意にしている貿易商から綿花や蚕の繭を仕入れることができなくなっていた。
店の在庫の糸や布が底を尽きかけているから、どこかで材料を調達しなければならないのだが、スカーレットの悪名が高いせいで引き受けてくれる者がいない。
(これまでだったら、【織姫】の名前を出せば、皆快諾してくれていたのに……)
テーレン商会も頼りにならない。今まで商会長には色々と便宜を図ってもらっていたのだが、最近はスカーレットとの浮気が妻にバレて離婚の危機らしく、「もう、君のお店には行けない」と言われてしまった。
(息子のギルアンも……この前の様子じゃあ、父親を説得してくれないだろうし……)
もちろん、大金でマリーを売ったとギルアンに正直には言わなかった。夜逃げしてしまった、と伝えると、ギルアンは「嘘だ!」と怒り狂い娼館の中を荒らして去って行ったのだ。
(ま、悪い奴とつるんでいるという噂の坊ちゃんだが、あのくらいの被害で済むなら御の字だねぇ)
店内の道具はぐちゃぐちゃにされ、壁にも穴を開けられたが、壊れた物はまた買いなおせば良い。
(クソッ……しかしなんだってこう悪いことばかり重なる……?)
まるで呪われているようだ。
その上、帳簿をつけていたマリーがいなくなったことで、自分達に下っ端仕事が降ってくるようになった娼婦達が不満を漏らすようになり、逃げ出す者も出てきた。近頃は客もろくに取れなくなっていたので無理のないことではあるのだが……。
マリーと親しかったベティはマリーが出て行く日に挨拶できなかったらしく、「マリーはどこへ行ったんですか?」と詰め寄られたが、スカーレットは答えられなかった。
なぜなら、スカーレット自身も売った相手の素性を知らないのだ。
春を売ったこともないマリーを引き取ろうとするなんて、どうせ変態趣味の好事家に違いないと思うのだが。マリーがそこでどんな目に遭おうが、知ったこっちゃない。スカーレットはお金さえもらえたら、どうでも良かった。
あの時に対応していた男は貴族の邸で働く執事のように見えたが、ロジャーという名前以外は分からない。借金の数倍もの大金が迷いなく支払われたのは口止め料も含まれていたのだ。
(失敗した……マリーがいれば、ギルアンからお金を引き出せたかもしれないのに……)
今の災難の何もかもがマリーとつながっているように感じて腹立たしかった。
しかも最近王都に開店したばかりの【仕立屋フェアリー】の評判が良く、そちらにスカーレットの店の客を取られている。
普段だったら色香を使ってテーレン商会の商会長に頼み、布や糸の仕入れをできなくさせて、ひそかに【仕立屋フェアリー】の商売の邪魔したりもできたが、今はスカーレットの手足になれる者がいない。
閑古鳥が鳴いている娼館の受付でスカーレットは歯噛みする。
もう諦めて今日は店を閉めようかと重い腰を上げたところで、客の来店を告げる鈴の音が鳴る。目深に帽子をかぶったまだ若い二人の青年だった。
スカーレットは手をすり合わせながら媚びるような笑みを浮かべて男性客のところへ向かった。
「いらっしゃいませ! どんな娘がお好みでしょうか。うちには色んな娘がおりますよ! 当店きっての人気の嬢は……ああ、そういえば休暇を取っていたんでした。それなら、ええっと、今残っているのは……」
ほとんどの娼婦が辞めてしまっているのだ。慌てて今は休暇で休んでいるだけという風に取りつくろい、数えるほどしかいない娼館の娘の中で誰を薦めるか考えていた時――。
一人の青年が帽子を脱いで苦笑いを浮かべていた。
「どうも、ご無沙汰しております。先日お取引をさせていただいたロジャーと申します。恐れ入りますが、お客としてやって来たわけではありません」
そう言って眼鏡を押し上げたのは、先日マリーを高値で購入した執事らしき男だった。その隣にいるのは、よく見れば男装した女性のようだ。髪を結い上げて帽子の中に収め、クラヴァットを締めトラウザーズを穿いているから男と見間違えてしまった。雰囲気からして庶民ではなさそうな気配を感じる。奇妙な客人にスカーレットは顔をしかめた。
(前回はロジャーという男一人だったが……この女は何者だ?)
「なんだい、あんたロジャーって言ったか、何しにきたんだい?」
「先日、三億五千ジニーの三倍……十億五千ジニーをお支払いしましたよね? それを利子をつけて返していただこうと思いまして」
「はぁ!? 利子? 何言っているんだい? あれは私の金だよ! 借りた訳でもないのに意味が分からないことを言うんじゃないよっ!!」
スカーレットは困惑して唾を飛ばしながら怒鳴り散らす。
ロジャーは愉快そうに笑いながら懐から数枚の紙を取り出して、スカーレットの前に広げて見せた。
「この記憶はございませんか?」
それはマリーにサインさせた契約書だった。十年ほど前の代物なため端がボロボロに擦り切れている。
「それはマリーの……? どうしてあんたが……」
戸惑いがちに口にすると、ロジャーはうなずく。
「ここに法外な利息が記載されていますね。これは我が国の法に違反しています」
そうロジャーに指摘されて、スカーレットはぐっと言葉に詰まる。
(だから何だって言うんだ! そんなの皆やっていることだ!)
確かに法律ではそうあるが律儀に守っている金貸しなんていない。弱い者が搾取される世の中だ。いくら法律の知識があっても、役人なんてスカーレットがお金を握らせれば黙る。スカーレットはこのやり方で何人もの老若男女からお金を巻きあげてきた。
「道理の分からない子供に法外な利息がついた契約をさせるなんてあくどいねぇ。それで【織姫】を縛りつけていたとは」
呆れたように男装の麗人に言われて、スカーレットはカッとして怒鳴る。
「うるさいねぇ! 私は知らないよ! マリーが勝手に後から私を脅すために出鱈目な文章を付け加えたんだろう!」
スカーレットはしらばっくれた。原本はスカーレットが金庫に保存してあるからその用紙が原本通りなことは知っているが、証拠なんてないはずだと高をくくる。
「それは不可能だな。なぜなら、これはマリーが持っていた契約書じゃない」
「なんだって……?」
困惑するスカーレットに、男装の麗人は言う。
「これは公証役場のものだ。お前は契約書を三部作っただろう? 一枚はスカーレット、もう一枚はマリー、そして最後の一枚は公証役場へ。契約者が反故にできないように、重要なものは役所に一部預けるものだ」
マリーが書類を改ざんしたり破り捨てても追い詰めることができるように、スカーレットは契約書を公証役場に預けていた。役場といっても、役人と有力者の癒着が激しく書類の公平性など重視されていない。
スカーレットから冷や汗がダラダラ流れていく。
本来、他人の書類を公証役場から持ち出すことなんてできない。それをしようとするなら、書類紛失時の保証金として多額の金銭を渡さねばならないだろう。だから、そんな滅茶苦茶なことをする者がいるはずはないのだ。
――つまり、目の前にいるのはそんなことができる財力と権力を持った相手ということだ。おそらく法務大臣あたりとも繋がりがあるのかもしれない。
(分が悪い……)
ギリリと奥歯を噛みしめる。
利息が道理に反すると彼らに指摘されれば、スカーレットは逃げ場がない。今までのように有力者に根回しすることも、手下に命じて相手を暴行させて言うことを聞かせることもできないのだ。
「スカーレット、お前は恨みを買いすぎた。他のお針子や娼婦達と交わした契約も調査が済んでいる。観念するんだな」
そう男装の麗人に突き放すように言われて、スカーレットは思わずよろめき、その場に崩れ落ちた。
間もなく押し入ってきた男達に取り囲まれ、連れて行かれてしまう。
男装の麗人――エマは帽子を取って、長いポニーテールを背中に払って言う。
「我が可愛い妹の邪魔をする者は早々に消しておかねば」
スカーレットから有り金を全部巻きあげた後に、皇宮の兵士に引き渡すつもりだ。
お金などエマにとってはどうでも良いことだが、マリーが必死になってこれまで稼いできたお金は命も同然だと思う。それを全てマリーに返してあげたい。
「仕立屋の開業資金としてマリー様に渡して差し上げれば、きっと喜ぶでしょう」
ロジャーの言葉に、エマは「そうだな」とうなずく。
マリーは開業資金をエマに支援してもらうのを気おくれしている様子だったから、自分の稼いできたお金で賄えるのであれば歓迎するだろう。