第二話 大嫌いな幼馴染の専属娼婦になれと?(過去)



 これはまだ、マリーがマリアの身代わりになる前――つまり【織姫】として活動していた頃のこと。

「そろそろきゆうけいしたらどうだい?」

 とびらがノックされて戸口からマリーにそう声をかけたのは、今年二十歳はたちになるベティだった。

 スカーレット・モファットが経営するしようかんの一室。華やかなそうしよくのほどこされた建物の、お客も立ち入らないおくまった場所にマリーの部屋はある。

「そうね。ありがとう。ベティ」

 マリーはがおはたりの手を止める。集中するとしんしよくを忘れてしまうのが悪いくせだ。

 ベティはぐるりと室内を見回して、感心したように口笛をきながら言う。

「それにしても……久しぶりに入ったけど、相変わらずあんたの部屋はいつもそうかんだねえ。ちょっと見ない間に衣装がものすごく増えているじゃないか」

 マリーの部屋には木製のトルソー(人をしたどうたいだけのもの)が何体も置かれており、仕立て途中のさまざまなドレスや紳士服がかかっている。

 かべに備え付けられたたなてんじようまであり、多種多様な糸や編み針、完成したレースがれいせいとんされて箱に収納されていた。机の上にはレースやドレスのデザインがえがかれた紙が山積みになっている。たくさんの物があるのに乱雑さを感じさせないのは持ち主のちようめんさの表れかもしれない。

 一番目立っているのは、部屋の中央にある機織り機だろう。大の男が二人がかりでないと運べないような木製のしよつだ。そのそばではようせいたちが楽しそうに飛びながら遊んでいるが、ベティには見えていない。

 マリーはそっと労わるように機織り機をでながら苦笑する。

「えへへ……そうかしら? どうしても作りかけの布やレースがまっちゃって……」

 マリーは衣装の裁断から仕上げまで全て一人で行っていた。義母がマリーの正体を隠しているのと、【織姫】一人で製作した手製ドレスという形にこだわって値段をり上げているためだ。

「でもスカーレットから、ほとんど賃金はもらってないんだろう? こんな娼館の狭い部屋に押し込まれてさぁ。あんたを他所に引きかれたくないからって【織姫】の正体も隠しているし……」

 ベティがまゆを寄せて言った言葉に、マリーは困った顔をして目を逸らす。

 内心不服はあっても、マリーは嫌とは言えない。

「私はスカーレットさんに借金があるから……」

 マリーの母親は高級娼婦だったが、マリーが幼い頃にくなってしまった。

 身寄りがなかったマリーは、母がみ込みで働いていたこの娼館で下働きをしながら今も生活をさせてもらっている。同時に、これまでかかった生活費はへんきやくしなければならないというけいやくを養母のスカーレットに結ばされていた。

 道理の分からない幼少期にサインさせられた契約書は法外な利息のついたもので、今では借金は三億ジニーにまでふくれ上がってしまっている。しよみんでは一生働いても返せるか分からない額だ。

 マリーの作った衣装は高額で売買されていたが、その窓口になっているのはスカーレットだ。手元にはわずかな賃金としてしか入ってこない。『ほとんどは借金の利子で消えているから、それだけしか出せないよ』とスカーレットに言われてしまえば、マリーも引き下がるしかなかった。

「そのブローチも売ればそれなりのお金になるだろうに」

 マリーが胸につけていたブローチを指さして、ベティはなげくように言った。

 それは黄色の希少なタキシナイトという宝石で、売ればかなりの値がつくことは分かっている。

 マリーはそっとブローチにれた。せんさいしようをほどこされたそれは、誰もが目を奪われる質の良いものだ。

「でも、これは……大事な思い出の品だから」

 初恋の少年からもらった物だ。一度しか会えなかったけれど、あの時のおくは今でもせんめいに残っている。

 くちびるを引き結んでいるベティに、マリーは無理やり笑みを向けた。

「私はだいじよう。温かい食事をもらえているし、る場所もあって……ゆうふくではないけれど、好きな仕事もできているもの。これ以上望んだら、きっとバチが当たるわ」

 そう言うマリーを、ベティは痛々しげに見つめる。

「あんたはもっと欲張って良いと思うけどねぇ。さっさと娼館を出て自分の店でも持った方が良いよ。やとわれの職人と自分の店じゃ違うしね」

 ベティの言葉に、マリーはうつむいた。

(お店か……)

 職人ならば自分の店を持つことに憧れを抱くものだ。

 だが以前、個人的に頼まれてドレスを売ろうとしたことがスカーレットに知られて、激しいしつせきたいばつを受けた。

 スカーレットの報復がこわくてげ出す勇気が持てない。顔が広いスカーレットの知り合いはこの国にたくさんいるから、どこかで見つかってしまうかもしれないと恐れていた。

 それに不当に法外な借金をさせられたとはいえ、ここまで育ててもらった恩も確かにあるのだ。それなのに全てたおして逃げても良いのか、マリーには決められずにいた。

(『自分の店を持つ』なんて大きすぎる夢までは望まないから……せめて、お客様に直接会って、どういう風に仕上げたいか完成イメージを聞きながら、もっと満足してもらえるものを作りたいのだけれど……)

 安い賃金で朝から晩まで働かされていることよりも、そちらの方がマリーにとってはよほど不服なことだった。

 ――その時、廊下の方からドシンドシンと重い男性の足音が聞こえてくる。

 同時に娼館の使用人らしき女性の声が「そちらは立ち入り禁止です!」とあせったように誰かにうつたえていた。

「俺を誰だと思っている? この娼館のお得意様のギルアン様だぞ」

 マリーは誰なのか察して身をかたくする。

「また、あいつか……! マリーは嫌がっているのに、何度来たら気が済むんだ」

 ベティが気遣うようにマリーを抱きしめて悪態をく。ようせいたちの中でも気の弱い子達が飛んで逃げていった。

 声かけもなくマリーの部屋の扉が開けられた。

「よお」と、ニヤニヤ笑いを浮かべながら現れたのは、太めの青年ギルアンだった。

「はぁ~、こんなしんくさい部屋に、よくずっとこもっていられるよなァ」

 かれは室内をながめまわして、そうあきれたように言う。

 この部屋にはマリーの好きなものがいっぱいまっている。辛気臭くなんてない。そう反論したかったが、どうにかえてマリーは言った。

「……何しに来たの?」

 マリーがこわった顔でそう問いかけると、ギルアンは肩をすくめた。

「こんな美男子を前に、そんなつれない態度をするのはお前くらいだぞ。本当におもしれー女」

 ギルアンは楽しげにそう笑って、肩で切りそろえた銀色の髪をさらりとき上げる。

 マリーの肩に乗っていた妖精が「イーッ!」とギルアンにちようはつするように歯を見せた。中にはギルアンのおしりを小さな手でペンペンとたたく妖精もいる。しかしギルアンはあまり繊細なタイプではないので、まったく気付いていない。

「……用がないなら、帰って」

 マリーは冷たく言い放つ。

 いきなり部屋に入ってくる無礼者を追い払いたかった。

 ギルアンは何度も娼婦を買っているようだが、他の女性と違いマリーは春を売っている訳ではない。仕立ての仕事をしているのだ。勝手に入ってこられても困る。

「幼馴染に対して冷たいなァ、マリーは」

 マリーはギルアンを己の幼馴染とは認めていない。幼少の頃から付きまとわれて、嫌がらせをされ続けているのを幼馴染としようするのは好意的に言い過ぎだ。

(話が通じない……)

 ギルアンは常連客だし、父親はテーレン商会の商会長だ。娼館の下働き達も彼をむげにすることができず、ギルアンはここで好きにっている。

「あなたを幼馴染とは認めないわ」

 マリーはそう吐き捨てた。

 ギルアンは乱暴者だ。マリーのはんこうてきな態度に立腹し、髪の毛を引っ張られたり、時になぐられ、とうされてしまうと分かっていても、ギルアン相手に従順な態度は取りたくない。大人しくすれば態度がなんすると分かっていても、つい反論をしてしまった。

 しかし、いつもなら罵倒が飛んでくるはずなのに、今日はそれがない。ただニヤついているだけのギルアンが気持ち悪かった。

「そんなにくまれぐちを叩いていられるのも、今の内だ。俺の女になった時は、たっぷりほどを分からせてやるからな」

 突然の『俺の女』宣言に、マリーはどうもくする。

「俺の女って、何を……言っているの?」

「ああ、まだ聞いてないのも当然だな。さっき話がまとまったばかりだからな」

 ギルアンはかいそうに笑う。

 いやな予感を覚えて、マリーのはだおぞつ。

(いったい何のこと……?)

「お前は売られたんだよ。三億五千ジニーの借金と引きえにな。俺に買われた。これからは、お前は俺の専属娼婦だ」

 ――悪夢のようだった。血の気が引いていく。

「う、そ……」