「本当はリボンもプリムローズに合わせた意匠にしたかったのですが……ありあわせで作ったので、合っていなくて申し訳ありません。近付かなければそんな細かい部分は分からないので大丈夫だと思いますが……これで、どうにか今日はしのいでいただけたら……」

「凌ぐだなんて、ありあわせだなんて……とんでもありませんわ! こんならしい衣装、今日だけしか着ないなんてことできるはずがありません!」

 ジェシカは語気を強めてそう言うと、いきなりマリーの手を取った。

「本当にありがとう……ッ! あなたにあんなにひどいことを言ったのに、そんな私を助けてくれるなんて……」

 ひどいことを言った自覚はあったらしい。

 ジェシカは目をうるませてから、まどいがちに言う。

「あの野生児のマリア様が、まさかこんなに刺繍がお上手だなんて思ってもいませんでしたわ……」

 マリーはギクリと身を強張らせる。

(しまった……! 修復に夢中になって加減を忘れていたわ……)

 マリアのりをしなければならなかったのに、マリアだったらありえないようなお針子作業をしてしまった。

(ああ……でも、あのじようきようでジェシカさんを見捨てることなんてできなかったんだもの……!)

【織姫】のマリーになら直せるのに、見て見ぬ振りをすることはできなかったのだ。

 マリーが両手で頭を抱えている間、ジェシカは刺繍をじっと目を凝らして見ていた。

 そしてジェシカは興奮した赤い顔で、恐る恐るといった風に言う。

「あの……まさかとは思うけれど、マリア様は【織姫】なのかしら?」

(終わった……)

 マリーは目の前が真っ暗になる。

 身代わりデビュー戦となる初回のパーティで、早々に【織姫】の正体にかんづかれてしまった。

(い、いや、まだ私がマリア様と別人だと知られた訳じゃないわ!)

 マリーは気を取り直す。さすがにマリアとマリーの入れわりに気付かれるのはまずいが、じよう不明の【織姫】の正体がマリアだということになったとしても大きな問題ではない……はず。

(いや、やっぱりマリア様のイメージと違いすぎるから駄目よね)

 あまりにマリアとかけ離れていたら、別人だと疑われやすくなってしまう。やはり、ここはしらを切るしかないとマリーは腹を決めた。

「な、何のことでしょうか? ほら、私は最近病気でやしきにこもっていたから刺繍に目覚めただけですわ。お刺繍はれいじようのたしなみですし、みなさんこれくらいはできるはずです」

 おほほ、と口元に手を当ててマリーはすっとぼけたが、ジェシカの確信の視線はらがない。

「このくらいって、こんなわずかな時間でドレスの補修なんてできませんわ! それに、この見事なリボンレース……! きめ細やかなデザインと……! どう見たって素人しろうとではないでしょうッ!」

(ジェシカさん、意外と刺繍レースにくわしいんですね……)

 内心だらだらあせを流しながら、マリーは言葉に詰まる。

「そ、それはお姉様に買っていただいたものなので……」

「どこの仕立屋です? お針子の名前は? 確認させてくださいませ。こんなに素晴らしいリボンなんですもの。めて差し上げねば」

 ついきゆうしてくるジェシカにマリーはタジタジになる。

 刺繍レースはお針子がいで仕上げるもので、繊細な意匠のものは高値で取引される。貴族のよめり用品の中にも用意されるし、時に黄金と同じ価値を持つのだ。ゆえに名の知れたお針子というのは限られているのだが――。

(調べられたら【織姫】が作ったということがバレてしまうかも……)

 あせをながしながらマリーは言いつくろう。

「そう言えば、お姉様が【織姫】にらいしたとおっしゃっていたかも……」

 マリーのが小声になってしまう。嘘をいている罪悪感もあった。

 ジェシカの目が半眼になり、マリーを指差しながら壁際まで追い込む。

「わたくしをめないでくださいませ! わたくしがどれだけ【織姫】のファンをしていると思っていらっしゃるの? この十年【織姫】の存在を知った時から、誕生日のたびにお父様におねだりしてドレスを作ってもらってきましたのよ。【織姫】のドレスはすでに九着持っていますし、ハンカチもたくさんありますの! わたくしはレースを見れば、あの方の作品かどうかの区別がつくくらいには筋金入りのファンですのよ……!」

「え? えぇ……?」

 ジェシカの言葉に、マリーは目を丸くする。

(ジェシカさんが持っていたのは一着じゃなかったの?)

 先ほど泣いていたから一着しか持っていないのかと思いきや、驚くほど愛用されていたようだ。

「マリア様が【織姫】だったなんて…ショックですわ~!」

 ジェシカはその場に崩れ落ちかけたが、ひざをついたらドレスがよごれてしまうと心配になったのか、壁に両手をついてドンドンとたたき始めた。

 本気で悔しそうな表情だ。自分が心底きらっていたマリアがあこがれの【織姫】だったことに(ジェシカがかんちがいしているだけだが)ショックを隠しきれないでいる。

「あ、あの、ジェシカさん。これは、その……」

 これだけねつれつなファンだったのなら、いくら隠し立てしてもだろう。マリーが混乱していると、ふいにジェシカが顔を向けてきた。

「ご心配なさらないでくださいまし。マリア様はわたくしの恩人ですもの。この秘密は誰にもらしたりいたしませんわ。何かご事情がおありなんでしょう? 【織姫】だということを隠さなければならない理由がある……そういうことでしょう?」

 そうジェシカにしんけんな目で問われて、マリーは目を泳がせながら「え、ええ……まあ?」とあいまいにうなずく。

 これ以上どうにもできないので、その場はそうすしかなかった。

(た、助けて……誰か……)

 嘘を吐いている申し訳なさもあるが、話が予想外の方向へ転がって行ってしまっている気がする。

「そ、それでは、私が【織姫】だということは内密にしてください……」

「もちろんですわ! わたくしの貴族のほこりにかけてお約束いたします!」

 弱々しくマリーがそうたのむと、ジェシカはおのれの胸をさえて堂々と言った。

 そして、ジェシカは気まずそうに視線をせて――ちょっと恥ずかしげに早口で言う。

「その……別にいやなら良いんですけれど、あなたと仲良くして差し上げても良くってよ!」

 ぽかんとしているマリーに、慌てたようにジェシカは言う。

「かっ、勘違いなさらないでくださいませ! マリア様と仲良くしたいわけじゃなくて、【織姫】様と、お近づきになりたいだけなんですからねっ!」

 貴族令嬢特有のツンツンした言い方なのか、それともジェシカの性格ゆえのことなのかマリーには判断がつかなかったが――。

(とにかく、友達になりたいってことよね?)

「嬉しいです。これからよろしくお願いしますね」

 マリーがそう言って微笑ほほえむと、ジェシカは「うぐっ」と言葉に詰まって顔を赤らめた。そしてうでみをしてそっぽを向き、声の調子を外しながら言う。

「こ、今度いつしよにお茶をして差し上げますから、お邸にご招待してくださいませ! お約束ですのよ!」

「ええ、もちろん」

「そ、そうですわよね! このわたくししやくれいじようジェシカ・グッドフェローがおさそいしているんですから喜んで受けて当然! 良い心がけですわ! そっ、それでは会場に戻りましょうか!」

 ジェシカはギクシャクとした動きで歩きだそうとした。

 ええ、とマリーは同意しかけて、先ほどジェシカがカルロとファーストダンスをおどっていたことを思い出した。

 少し聞きにくかったが、マリーは気になって問う。

「あの……もしかしてジェシカさんはカルロ皇子のことが好きなのですか?」

 マリーの問いかけに、ジェシカは扉の前で足を止めて振り返り、きょとんとした表情になる。

「いいえ、別に」

「え? そうなのですか?」

 一緒にダンスを踊っていたし、てっきりカルロ皇子に気があるのだろうと思ったのだが……。

 ジェシカは肩をすくめた。

「まあ、両親がそうしろとすすめるから皇太子のこんやくしやの座を狙っていましたわ。貴族令嬢のけつこんなんて基本は政略結婚でしょう? れんあい結婚なんてできないのですから、それならば、この国の女性の頂点――皇后を目指してやろうかと思ったのです。けれど【織姫】と敵対してまでうばってやろうという気持ちはありませんわ! わたくしにはカルロ様へのこいごころなんてございませんし。これからはじやいたしません。ご心配はいりませんわ!」

「そ、そうなんですか……」

 あっさりとそう言われて、マリーはひようけをする。

 ジェシカはちょっと気まずげに視線をらす。

おろかにもマリア様より、わたくしの方が皇后にふさわしいと思っていたんですの。カルロ様だって婚約者のあなたをれいぐうなさっておいででしたし、付け入るすきがありそうに見えましたわ……ですがマリア様が【織姫】ならば、お二人はとてもお似合いだと思いますわ!」

 ジェシカの【織姫】への好感度が高すぎる。

 マリーはこんわくしながらもジェシカと共に大広間に戻った。そしてジェシカは会場の視線をひとめすることになる。

「ジェシカさん、そのドレス素敵ですわ!」

「どこに行かれたのかと思いましたわ。まさかこんな短時間でこんなに素敵なドレスに仕立て直してくるだなんて……」

「先ほどのシンプルな意匠も素敵でしたが、リボンレースがついたことでとてもはなやかになりましたわね。こちらの方がジェシカ様にはお似合いですわ!」

 ジェシカに友好的な令嬢達が口々に褒めそやす。その様子を先ほどジェシカを馬鹿にしていた令嬢達が苦々しげな表情で眺めていた。

(良かった。何とか上手うまくいったわ……)

「マリー……マリア! 良かった、どこに行ったのかと思ったぞ」

 会場で令嬢につかまっていたエマが血相を変えてマリーのもとまで飛んできた。

「問題は起こらなかったかい? おや、かみかざりのリボンはどうした……?」

 エマはマリーが髪に編みこんでいたリボンが消えていることに気付いたらしい。マリーは気まずくなってほおを指でいた。

「刺繍リボンは……ジェシカさんにあげてしまいました」

 そして【織姫】の正体がジェシカに知られてしまったことを小声で話すと、エマは頭を押さえた。

「ううむ……あまり良くはないが、入れ替わりがバレてないなら、まぁ問題はないだろう。私もジェシカじようあかぱじをかくのは気の毒に思うしな……」

 さんざん馬鹿にされたというのに、ジェシカのことをづかうエマは本当に皇子様のようだ、とマリーは感心した。ご令嬢達が熱を上げるのも無理はない。

「今後のことは、ゆっくりと話し合うとしよう。今日はもう帰ろうじゃないか」

 エマにうながされ、マリーはしゆこうして広間を出て行く。

 そのちゆうで嫌な視線を感じてそちらを見ると――思いがけない相手と目があった。

 ――ギルアン・テーレン。

 マリーと同じ十八さいのその青年は、流行りの男性しんふくに身を包んでいた。百キロほどはありそうな太めの体型、かたで切りそろえたぎんぱつ、底意地の悪そうな表情を、マリーはよく知っていた。

「え……?」

 思わず足を止めてしまう。

「どうした?」

 エマがマリーにそう声をかけてきた。

 しかし返事ができない。血の気が引いてふるえるばかりだ。

(どうしてギルアンが皇宮に……いえ、考えてみれば何もおかしいことではないわ。ギルアンは四大貿易商のむすなのだもの)

 テーレン商会の息子ならば、皇宮のパーティに招待されていてもおかしくないのだ。

(まさか、また会うことになるなんて……)

 もしギルアンと再会すると知っていたら、この依頼を受けることをもっとちゆうちよしていただろう。それほどに彼が苦手なのだ。

(いえ、でも今の私は【マリア】様なんだもの。大丈夫よ)

 マリーはそう己に言い聞かせ、ぎこちなくみをかべた。

「大丈夫よ、お姉様。少しふらついただけ」

「そうか。それなら私の手を取るが良い」

 エマがうでを貸してくれたので、そこに手をかけさせてもらいエスコートされる令嬢のようなかつこうでマリーは扉を出て行く。

 そんなマリーの姿をじっと観察している婚約者カルロの視線に気付かないまま。




 馬車の中で悲痛な表情をしているマリーに、エマが微笑んで言う。

「マリー、君は思っていた以上に、よくやってくれたよ。ダンスだって、ちゃんと踊れていたしな。ジェシカ・グッドフェロー子爵令嬢との仲を改善できたのも良かった。マリアの悪評の多くはジェシカ嬢が流していたからな。それがうすれるのはかんげいすべきことだ。【おりひめ】のことが知られたことは不安もあるが、ジェシカ嬢が秘密にすると約束したなら何もうれう必要はない」

 色々やらかしてしまったのに、そう言ってくれたエマのやさしさにマリーは胸があたたかくなる。

 マリーはぎゅっとスカートの上でこぶしにぎりしめてから言った。

「じつは先ほど会場でギルアンを見かけて……。目が合ってしまったんです」

 そう伝えると、エマは目を見張った。

「なんだって!? ギルアンが……? そうか……しまった。確かにテーレン商会の息子ならパーティに招待されていてもおかしくはないか……」

 エマのとなりにいたしつロジャーが深々と頭を下げる。

「……完全に私の調査不足です。マリー様、不安な思いをさせてしまい申し訳ありません」

 ロジャーに深々と頭を下げられ、マリーはあわてて頭をブンブンと振る。

「い、いえ! お気になさらないでください。私も知らなかったことなので……それに、ギルアンは私の正体に気付いていなかったと思います」

 マリーの知るギルアンなら、マリーの正体に気付いていたらあんな態度はしないだろう。

 エマは険しい表情で腕を組んでからうなる。

「そうか……ギルアンは前々からマリーとマリアがそっくりなことを知っていたのかもしれないな。それならとつぜん別人に入れ替わっていても気付くことは難しいだろう」

「とはいえ、マリー様の身が危険なことには変わりありません。どうなさいますか?」

 ロジャーはエマにたずねた。

 エマはせきかつしよくの髪を掻き回して「ううむ……」となやんでいる。

 マリーを知る人物とせつしよくがあるのとないのでは危険度がだんちがいだ。

 かといって、エマははくしやくのためにも入れ替わりをめるというせんたくをすることはできないだろう。

やつが参加するパーティにはマリーを参加させないように取りはかろう。万が一どこかで出会っても、ギルアンとは極力接触しないようにしてくれ。そして、もし奴が君のことをマリーだと疑うような言動をしたら、すぐに私達に教えてくれ。その時は計画を中止し、君を保護する」

 エマがそう決断したので、マリーは承知した。

「分かりました」

「世間はせまいものだな」

 エマはしようして息を吐いた。

 マリーはしばらく押しだまっていたが、戸惑いがちに言う。

「あの……無理に私がマリア様の振りをしなくても、ずっと病気でせっているということにはできないんですか?」

 エマは困ったような笑みで首を振る。

「マリアは昔からけんを振り回してかいぞくの子供と駆け回るくらいの野生児だから、それは説得力がない。それにマリアはすでに一度、不治の病の振りをしてカルロ殿でんに婚約破棄させようとした過去があるんだ。すぐに嘘だと見破られてしまっていたがな……」

「……そうなんですか」

(それだとびようも疑われるだけで終わりそうだわ)

 変に疑われてさぐられたら困る。それならそっくりな身代わりを立てた方が疑念はいだかれにくい。

 エマは肩をすくめる。

「それにきさき教育もあるから、週に何度かは皇宮に行かなければならない。ずっと邸で臥せっていたらこうてい夫妻が心配してマリアにを差し向けてくるからな。もしマリアの仮病がバレたら父上の皇宮での立場がもっと悪くなるし……マリアがいないことをかくし通すのは難しい。だから身代わりを立てるしかなかったんだ」

「……そうですか」

 マリーは小さくうなずく。

 それなら、これからもカルロと接する機会はあるだろう。

「心配するな。カルロ皇子はマリアに興味がないからな。皇宮での妃教育でも顔を合わせることはない。たまにろうですれちがうことくらいはあるかもしれないが、これまで二人きりで会う機会はほとんどなかったようだ。ぼろは出ないだろう」

 エマにそうはげまされて、マリーはあんらくたんが入り混じった気分になる。

 ポケットに入れたままにしているブローチをそっと握りしめ、カルロの姿を思い返す。

 大人になった彼は、とても格好良かった。

 マリアに対してだけ冷たくなっていたけれど、それでもまたカルロと皇宮で再会できるかもしれないという期待から、おさえきれない喜びがき上がる。

(妃教育か……)

 幼いころから目まぐるしく働き続けてきたマリーにとって、貴族の子女の勉強――それもこうになるためのものなんておそれ多いことだったが、ほんの少し興味もあった。

(……いけない。私はあくまでマリア様の身代わりなんだから、もっとしっかり役目を果たさないと)

 つい再会を喜んでしまったことに罪悪感を覚えながら、『マリア』の振りをしっかりしなければ、とマリーは気持ちを改めるのだった。