マリアの姉であるエマから訳あって、彼女になりすますようらいされたのがすべてのほつたん。当然、おのれの正体を決してカルロに知られてはいけない。

かくを決めなければ……マリア様の身代わりとして彼をだます覚悟を)

 そう思うのに気持ちがれてしまうのは、彼がマリーにとって初恋の相手だったからだろう。

 幼い頃からがれてきたカルロとようやく再会できたというのに、己の正体を明かすことができないなんて運命の神をのろうしかない。

 皇族がだんじようにそろうと、楽団のラッパの音が広間にひびいた。

 マリーは周囲の人々にならって深く礼をする。

 カルロはにゆうに人々にあいさつをしていたが、マリーと目が合うとこごえるようなまなしを送ってきた。

 前情報どおり、カルロは婚約者であるマリアをひどくきらっているらしい。

 こうてい夫妻が大広間の中央に向かうと、楽団がはなやかなダンス曲をかなで始める。それに合わせて、みながダンスを始めた。

 とうかいで最初におどるダンスの相手は、身内かパートナーというのがあんもくりようかいだ。

 どうしたものかと困り、マリーが周囲を見回すと、ホールの中央にカルロを見つけた。

 彼は見知らぬれいじようとダンスを踊っていたのだ。それを見たマリーの背後にいた人々がヒソヒソと小声で言う。

「マリア様はこんやくしやなのにカルロ皇子にファーストダンスにもさそわれないんですわね」

「仕方ありませんわ。私だって踊りたくありませんもの。あの【はくしやくの野生児】ではね」

(マリア様は相当嫌われているんだわ……)

 分かっていたことではあったが、やはり気分はあまり良くない。

 マリアが社交界からものにされていることは事前にマリーも教えてもらっていた。

 もともと令嬢のたしなみである刺繍よりも、けんや乗馬を好むマリアは貴族社会ではたんだった。その上、彼女は皇太子カルロとの婚約を心底いやがっており、かいぞく王と呼ばれる男に堂々と熱を上げる始末。婚約者である自国の皇太子をないがしろにする令嬢を快く思わない貴族が多いのは当然だろう。

 マリーに浴びせられる心無い言葉の数々にエマが後ろをにらみつけると、そこに集まっていた人々は蜘蛛くもの子を散らすようにげていった。

「まったく……」

 エマがあきれたようにため息をいた後、マリーに向かって手を差しべてきた。

「私ではパートナーには不足かもしれないが」

 マリーは首を振って「喜んで」とつつしぶか微笑ほほえみ、エマの手を取る。

 ファーストダンスは身内かパートナー。だからエマがマリーと踊るのは、おかしなことではない。性別はともかくとしても。

 エマのおかげで、何とか練習の時と同じようにきんちようせず踊ることができた。ファーストダンスを知らない人と踊ることになっていたら、きっとガチガチに緊張してしまっていただろう。

「……すまない。ごこの悪い思いをさせてしまって」

 申し訳なさそうにエマに言われて、マリーはうなずいた。

「大丈夫です。覚悟の上ですから」

 その時、カルロとファーストダンスを踊っている最中の女性がこちらにちようせんてきな笑みを向けてきた。

 気の強そうな顔立ちの黄色いドレスをまとった女性だった。後ろで一つに結んだちやいろの髪がくせで大きくふくらんでいるせいか、リスのような印象を受ける。

「ジェシカ・グッドフェローしやく令嬢だ」

 そうエマがこっそりと耳打ちして教えてくれた。

(あらかじめ教えてもらった交友関係のリストの中では、マリア様はジェシカさんとはけんえんの仲と書かれていたはず……)

 マリーはそれを思い出しながら、とげのあるジェシカの視線にこんわくした。

 カルロとジェシカ、美男美女の二人がれいう姿に目がくぎけになる。マリアよりもずっとジェシカの方が婚約者のように見えた。

 二人がなごやかに会話をしながら踊っている光景は、マリーの胸をざわめかせるものだった。

 ――その時、曲が終わりをむかえる。

 エマと対面でおをして、辺りを見回すとカルロがマリーに近付いてきていた。

 マリーは身をこわらせる。心臓が飛び出るのではないかと思うほど緊張した。再会するのは十年ぶりなのだ。

 おそらく一度はカルロとダンスを踊ることになるだろうとエマからは言われていたが、カルロが初恋の人であったのは完全に予想外だったので彼と相対する覚悟は正直決まっていない。

「……マリア。ダンスを」

 そっけなく、それだけ言われて、カルロが手を差し伸べてくる。

 先ほどジェシカと友好的に踊っていた時とは別人のように、つまらなさそうな顔をしていた。婚約者と一度も踊らないのはさすがに外聞が悪いから、仕方なく声をかけたんだと言わんばかりの表情だ。

 マリーの表情がぎやくゆがむ。

(やっぱり、気付いてもらえるわけないわよね……)

 マリアとよく似た名前で、そっくりな見た目だから彼が気付かないのも無理はない。けれど心のどこかで気付いてしいと思ってしまった自分がいて、気分が落ちんでしまう。

 マリーはそっと彼と指先だけ重ねた。

 カルロはいつしゆん不快そうな表情をしたあと、マリーの手をぎゅっとつかんで引き寄せてきた。もう一方の手がマリーのこしわされる。

「……っ!」

 ごういんなやり方だ。しかもダンスだというのに、マリーの方をろくに見ていない。あまりにも冷たい対応に胸が痛くなる。

「マリア……ッ」

 エマが心配そうに手を伸ばそうとしてきたが、マリーは首を振った。

「お姉様、大丈夫よ。ありがとう」

(何とかダンスをこなさなくては……)

 カルロ皇子の話は事前にエマたちから聞いている。だれに対してもものごしが柔らかくしんなのに、婚約者のマリアにだけは冷ややかな人。

(それだけマリア様が嫌われているってことなんでしょうけど)

 あの頃のカルロは誰に対しても分けへだてなく接する気さくな少年だった。もし彼が以前のままなら、嫌っているマリアとは早々に婚約解消しそうなものだが、何故なぜかそれもしない。

 マリーは困惑しながら、カルロを見つめる。

 シャンデリアのあかりが彼の全身を照らしている。

 ぜいらした調度品の数々と大広間はげんじつばなれしてマリーをりようした。集った華やかなしようの貴族達。その中で一番ひかかがやいているのがカルロだ。

 その時、むらさきずいしようの彼の瞳と目が合ってマリーはドキリとした。ついステップを間違えてしまい、右足から体勢をくずしそうになる。

(転ぶ……っ!?

 思わず目を閉じたせつ――腰にまわったカルロの手に力が入った。ふわりとジャンプするようにゆかに着地する。さりげなく助けてくれたのだ。

「あ……っ、ありが……」

(あ……マリア様は、カルロ様にお礼なんて言わないんだった……)

 教えられたことを思い出して、あわててマリーは口をつぐむ。

 助けてもらったのに感謝の言葉も伝えられないことに、やきもきしてしまう。無礼な態度をした方がマリアらしかったとしても落ち着かない。

(マリア様はよくこんな冷たい態度を取れたものだわ)

「いつもの君らしくないですね。ダンスで転びそうになるなんて。運動神経だけは良いのに」

 カルロは感情のこもらない声で言う。

 マリーは血の気が引いていくのを感じた。

あやしまれてしまったのかしら……?)

 そもそもマリーは剣も乗馬もできないし、運動は苦手の部類だ。見た目以外にマリアと同じ部分なんてないのに、彼女の振りをするのは無理がある。自分でもそこは不安だったのだ。

「……今日は、やけに静かなんですね。いつもそうであってくれたら良いんですが」

「い、いつもと同じですよ……?」

 どうにか、そうつっかえながらマリーは言う。

「そうですか? いつもなら海賊王、海賊王と、やかましいくらいでしょう」

 たんたんとした物言いに、マリーはヒヤリとする。カルロはさぐるような視線を送ってきた。

(そうか……マリア様の振りをするなら、海賊王レンディスの話をしつこくしなきゃいけなかったんだわ……!)

 しかしマリーは海賊王のことをほとんど知らない。それに好きでもないのに好きな振りをするのはていこう感もあった。

み上がりで、体調がまだばんぜんではないのですか?」

 カルロはそう心配そうな表情でささやいて、マリーのほおに手をえてきた。マリーはおどろき、勝手に顔が赤らんでしまう。思わず言葉がつっかえた。

「……そっ、そうかもしれませんわね。まだ体調が悪いんです」

 彼の手からのがれようと身を引く。

 カルロを騙している気まずさもあって、マリーは彼と目を合わせられない。

(だ、大丈夫。今日はお姉様に会話しなくても良いって言われているもの。体調が悪いと思わせておけば良いんだわ)

 本物のマリアがしつそうして一か月と少しっている。その間は病気でりようようしていたことになっているのだ。

 カルロはしんそうにまゆをよせる。

「ふぅん。どうやら体調が悪いのは本当のようですね……。さっさと元気になってください。君が静かだと気持ち悪いです」

 とうなのかづかいなのか判断できないことをカルロが言った時に、ダンス曲が終わった。

 マリーはお辞儀をして、ようやく彼とはなれられることにあんの息をく。

(終わった……)

 かべぎわで見学していたエマのもとへ足早に向かった。

 カルロがいぶかしげな表情で、マリーをじっと見つめていることにも気付かずに。


◇◆◇


「おつかさま

 エマからがおを向けられ、マリーは安堵でドッとかたから力がけるのを感じた。

 広間の中央ではまだ華やかなダンスパーティがり広げられていたが、マリーはもうあの輪に入るのはごめんだ。

「もうカルロ皇子とのダンスは終わったから、後は適当に流して良いぞ」

 エマからそう言われて、マリーはようやく落ち着ける気持ちになった。

 しよみんとして育ったマリーには、舞踏会なんてなものは似合わないと思っている。

 ようやくおだやかな気持ちでホールをながめていると、広間でクルクルと踊るようせいの姿が目に入った。

(妖精さんたちもダンスを楽しんでいるみたい)

 この世界には妖精と呼ばれる不思議な生き物がいる。彼らはつうの人には見えないが、マリーは不思議なことに昔から彼らの姿が見えていた。会話はできないものの、りで意思つうもできる。

悪戯いたずら好きなところは困りものだけれど……)

 たまに花などをプレゼントしてくれる良い面もあるのだが、基本的に二さい児くらいの知能を持つ彼らは悪さばかりしてマリーを冷や冷やさせる。人間からはさわることはできないが、妖精達からは多少触ることができるため、びんかんな人ならば妖精にぶつかると何かはだかんを覚えるらしい。

「やはりお針子としては、他人のドレスが気になるかな?」

 エマにそう小声でからかうように言われて、マリーは少し目を見開いた後に微笑む。

「そうですね」

 先ほどまで目にしていたのは妖精だったが、エマの言葉で自然と人々の衣装に目がいく。

(今の流行はやりは、やはりパニエよね)

 木やふじを素材にした鳥かごのようなパニエの骨組みの上からスカートをかぶせて左右に大きく見せるデザインだ。レースやそうしよくも見目うるわしい。

 どうしてもドレスのデザインに目がいってしまうのは、マリーがお針子だからだ。

 とは言っても、ただのお針子ではない。

 本来ならしようを考えるデザイナー、糸から生地を作るはたり職人、生地をつなぎ合わせるさいほう師、衣装につける刺繍やレースを作るお針子など、ドレスを作るにはそれぞれの工程を行う職人がいるが、かつてのマリーは全て一人で行っていた。そうせざるを得なかったというのが正しいが。お針子というには高すぎる技能をマリーは持っていた。

「周りのドレスを見て【おりひめ】は、どんなことを考えているのかな?」

 エマにそう小声でからかうように言われて、マリーは唇をとがらせる。

「その呼び名はやめてください。過去のものです」

 マリー自身は己につけられたその過分な賛辞が照れくさかった。

【織姫】――それは名前も容姿も世間に知られていない、伝説のお針子の呼び名だ。

 マリーがいのりながら布を織ったり刺繍をすと、衣装に不思議な力が宿る。

 普通の人にはただのようのようにしか見えないが、がくや花や植物を模したほうじんり込まれているのだ。それが妖精の通り道になり、せきを起こす。

 マリーはなぜ自分にそんなことができるのか分からない。今はき母親は『マリーは妖精のいとだから、彼らが力を貸してくれるのよ』と話していた。『私はりよくがなくて妖精に好かれなかったけど、マリーならこの力を有効活用できるわ』と。そう笑った母の姿を、マリーはなつかしく思い出す。

 もともとはお世話になっている人へのおくものとしてハンカチに魔法陣を刺繍したのが始まりだったが、義母であるしようかんの女主人のスカーレットに見つかってからはお針子の仕事を任されるようになったのだ。

 奇蹟とは言っても、せいぜい風邪かぜを引きにくくなるとか、好きな相手にぐうぜん出会えるといった軽いものだったが、話題が話題を呼び、マリーはいつの間にか【織姫】とかげで呼ばれて仕事が舞い込んでくるようになっていた。

 そんなマリーに対して、エマは同情の込められた眼差しで言う。

「まぁ【織姫】の力のせいで、君は大変な目にもったのだからな。かくすのも無理はないが……」

 マリーには過去をとくしなければならない事情がある。

 ――その時、黄色いドレスをまとったリスのような印象の女性が近付いてきた。

(この子はさっきの……)

 カルロとファーストダンスを踊っていたジェシカだ。

(あれ……? あのドレス、見覚えがあるような……)

 先ほどは緊張して気付けなかったが、ジェシカが身につけているのは【織姫】マリーのけたオーダーメイドドレスだった。

(あのドレスはジェシカさんに着てもらっていたのね)

 かつてお針子として義母のもとで働いていた頃、マリーは接客をいつさいさせてもらえなかった。義母は【織姫】の正体を隠して、利益をどくせんしていたのだ。

 八歳の時から義母の指示のまま仕立てるだけだった十年間。

 本当はもっと一人一人お客に寄り添ったデザインにしたかったのに、それができないむなしさをかかえていた。お客が本当に自分の手掛けたドレスに満足してくれていたのか分からない。

(でも、こうやってドレスを着てもらえているのはうれしいわ)

 マリーがひそかに喜んでいることに気付いていないジェシカがおうぎを広げながら言う。

「マリア様、パーティはお久しぶりですね。お風邪をされたとうかがいましたが……もう、よろしいのですか?」

「え、ええ。おかげさまで全快いたしましたわ。ご心配をおかけいたしました」

 マリーは己の身代わりの役目を思い出し、慌ててそう言った。

 ジェシカは意地悪そうにくちはしを上げる。

「それはそれは……ようございました。健康だけがの【はくしやく家の野生児】かと思っていましたけれど、そんなにせんさいだったのですね。マリア様は皇太子となられる身なのですから大事になされねば」

「そ……そうですわね」

 マリーはぎこちなく微笑む。

 ジェシカはニヤニヤと嫌な笑いを浮かべた。

「さぞ、カルロ殿でんはご心配なされたでしょう? おいの花束や贈り物もいただいたのではありませんか? 社交シーズンだというのに婚約者がお顔を見せていなかったのですからね」

「それは……」

 マリーは顔をしかめる。

 この一か月、伯爵邸にたいざいしていたがマリアあてのお見舞いのプレゼントなんてなかった。

 カルロとマリアの冷え切った仲をわかっていて、ジェシカはそう言っているにちがいない。マリーはひそかに唇をむ。

 なおもジェシカは言う。

「一か月も、どのパーティでもお姿をお見かけしなかったんですもの。てっきり領地にもどられたのかと思いましたのよ。そちらの方が自然も豊かですし、しばらくそちらで療養した方がよろしかったのではなくて? マリア様のご性格ならば、そちらの方が合っていらっしゃるでしょうし」

 言い方にチクチクと棘を感じた。これはつまり『田舎いなかものは引っ込んでいろ』と言いたいのだろう。

(毒をていねいな言葉でコーティングして、水面下でのなぐり合い。なんておそろしい世界……これが社交界なのね)

 マリーはおののいた。

 その時、マリーは背筋にヒヤリとしたものを感じた。隣にいるエマの方をこわくて見られない。おそらく相当おこっている。

 エマの変化に気付いていないのか、ジェシカの話はヒートアップしていく。

「こうしたパーティですのに、マリア様のエスコートは、またお姉様ですのね? 婚約者のカルロ殿下は一緒にいてくださらないのですね。まぁ、おいそがしい方ですから仕方がないことですわ。お気を落とさないでくださいませ」

 マリーは、そこでピンときた。

 ジェシカがいちいちかんさわる言い方をしているのは、おそらく彼女がカルロ皇子に気があるからなのだろう。

 マリーは深呼吸してから、にっこりと笑みを深めた。

「気にしておりませんわ。ご心配いただき、ありがとうございます。私にはお姉様がいてくださればじゆうぶんです」

「あら? そうかしら? 姉離れはすべきですわよ。いつまでもまいいつしよにいられる訳ではありませんし、カルロ殿下もお気になされるかもしれません。これ以上、カルロ殿下に嫌われて、こんやくが破談にされてしまっては困るでしょうに」

「……婚約を続けるか解消するかは、私の意志ではございませんわ。皇家の――カルロ様のお考えによるものです。ご不満がおありでしたら、カルロ様にお伝えしてみては?」

 言外にカルロ皇子が婚約しないから、まだ婚約者なんです、とマリーは伝えた。

 ジェシカは顔をカッといかりで赤くして「何ですって!? あなた生意気な……!」と歩み出ようとした。

 しかし不幸にもジェシカのみ出した足は彼女のスカートのすそにからまり、体勢を崩してしまった。

「危ない!」

 そうマリーはさけんで手を伸ばしたが、ジェシカはそばにあった丸テーブルにぶつかり、床にたおれ込んでしまった。

「きゃあっ!!

「だっ、大丈夫ですか!?

 慌ててマリーはけ寄る。大きな音を立てたので何事かと人々の視線が集まっていた。

 ジェシカは床にうずくまってうめいている。

「ジ……ジェシカさん、おは?」

 声をかけたがジェシカは胸元を押さえている。ドレスの足元にはしよくだいが落ちていた。丸テーブルの上にあったものが一緒に落ちたのだろう。

「怪我は大丈夫だけど……ドレスが……」

 泣きそうに顔を歪めて、ジェシカは手で隠していた胸元を開いた。

 黄色い絹の上に細かな白い花のレース飾りが胸元一面に飾られており、華やかにいろどられている。それが右上からななめ下に一直線に引きかれていた。

(ああ……このプリムローズはかなり苦労していあげたやつ……)

 作り上げたドレスが眼の前で破れてしまったのは残念だが、物はいつかなくなってしまうことをマリーは知っている。

(ジェシカさんは大丈夫かしら……?)

 そう思ってジェシカの方を見ると――。

 かのじよはポトリとおおつぶなみだをこぼし始めた。その姿にマリーはぎょっとする。

「ジェシカさん!?

 胸元を押さえて泣き始めたジェシカに、おろおろするマリー。

 周りにいた若い女性たちがクスクスと笑う。なぜか辺りにいた悪戯好きの妖精達も一緒に笑っていて、マリーは内心で『コラッ』とあせりながら口パクでしかった。

 一人の令嬢があざけ笑いながら言う。

「あ~ぁ、みっともないわね」

「良い気味だわ。ずっと【織姫】のドレスを会場でもまんして回っていたものね。子爵令嬢の分際で」

「私だって【織姫】が退職される前にドレス注文したかったわぁ。今は新規で受付していらっしゃらないみたいだし……残念ねぇ」

「でも注文しても半年待ちでしょう?」

「それでも欲しいわよ。だって【織姫】のドレスよ!?

 彼女達が自分のことを話していると気付き、マリーは青ざめたり赤くなったりを繰り返した。脳内はどうして良いか分からず大混乱だ。

 ジェシカは声をまらせながら言う。

「これは、お父様に何度もお願いして、ようやく【織姫】に作っていただいたものなのに……っ」

 それを聞いたたん、マリーはたまらなくなり、思わずジェシカの手をつかんでいた。

「ジェシカさん、とりあえず乱れた衣装を整えましょう。――あなた、きゆうけいしつに案内していただけますか?」

 近くに立っていたきゆうの女性に声をかけると、彼女は「は、はいっ! こちらへどうぞ」と案内しようとした。

「マリア様……?」

 とうわくしているジェシカに微笑みかけ、マリーは言う。

「大丈夫ですよ」

「ち、ちょっと待ってくれ。マリア!」

 その時、エマが慌ててついてこようとしてきたのだが――。

 タイミング悪く、波のように押し寄せていたれいじようたちがエマを取り囲んだ。

「エマ様~! こんにちは、お会いしたかったです。ぜひ、今日こそは私とダンスを踊ってくださいませ!」

「あっ! ずるいです~! エマ様、次は私と踊ってくださいませ!」

 どうやらファーストダンスの慣習を守って待機していた令嬢達が、エマの次のダンスの相手をねらってやってきたらしい。

(お姉様のファンって多いのね……)

 マリーも皇太子の婚約者ということで目立っていたが、エマは会場でゆいいつの男装の麗人だからだろうか、会場でもひときわ目を引いていた。女性はおくゆかしくあるべきという貴族社会の慣習を気にしないエマの堂々とした態度に、ご令嬢達からは熱のこもった視線が向けられているのだ。

 しかし、いつもなら穏やかに令嬢達に接しているエマにも今はゆうがない。

「やあ、れんなお花達。すまないが今日は妹のエスコートをしていて今はちょっとね……!」

 そう困り顔をするエマに、集まったご令嬢達が黄色い悲鳴をあげた。「キャア!」とか「そんなクールなところもてき……」とうっとりした声が聞こえてきた。

 もうマリーはエマを待っていられなかった。エマの周りにもどんどん人が集まってしゆうしゆうがつかなくなっている。

 ドレスが破れてしまったジェシカを放って、このままはじをかかせ続ける訳にはいかない。貴族令嬢からしたらドレスが破れているのは下着が見え続けているのと同じくらいずかしいことなのだから。

(早くこの場を出て行かなきゃ)

「お姉様! すみません、すぐ戻りますから!」

「おっ、おい! マリア……ッ」

 人混みの中でエマの顔と手だけが見えたが、すぐに令嬢達に押しつぶされて消えた。




 給仕の女性に案内されたのは、広間からさほど離れていないソファーのある一室だった。

 会場とは打って変わって静かな部屋につくと、マリーは給仕に「何でも良いので裁縫道具を持ってきてもらえませんか?」と頼んだ。

 彼女は間もなく両手にるくらいの小さなさいほうばこを持ってきてくれた。

 給仕が出て行くと、マリーは人目を気にしてとびらかぎをかける。

 赤く目をはらしたジェシカがソファーに腰をおろして言った。

「あなた一体どういうおつもり? わたくしをこんなところに連れてきて……」

 マリーは少し返答に困ってしまった。

(私はマリア様の振りをしているのだから、らしくない言動はしてはいけないのよね……)

 しかし、あのままジェシカを放っておくことはできなかった。彼女をあわれに思ったのもあるが、破れたドレスが可哀かわいそうだったから。

 マリーは「失礼します」と言ってメジャーでジェシカの破れた刺繍のはんを測る。破れたしよは二十センチくらいだ。

「もしかして直そうとしてくれているんですの……? でも無理ですわ。こんなに破れてしまっていたら、仕立屋にだって直すことは難しいですわ。【織姫】に直しをお願いしたくても、もう新規でドレスの受付はしていないようですし……」

 ジェシカはそうため息を落とした。

 確かに編目が細かすぎるため、普通の仕立屋には元通り修復するのは難しいだろう。

 もちろん【織姫】のマリーになら直せるが、それでも元通りにするには時間はかかる。このパーティに間に合わせるなら、何箇所かを糸でめる程度しかできない。だが、そうすると繊細な刺繍があだとなって、ところどころ穴が開いたように見えてしまうだろう。

「マリア様……?」

 ジェシカの声は聞こえていたが耳をどおりしてしまっていた。

「いや、待って……刺繍はもうあきらめて別のデザインにすれば……」

 ブツブツとマリーは無意識のうちにつぶやく。

 その時、ふっとてんけいがおりたような感覚がして、脳内にイメージがふくらんでいった。ドレスのデザインを考える時、マリーは自分でも不思議なほど頭がえることがある。

 マリーが己の髪に巻きつけてあった刺繍リボンをほどくと、腰まである赤髪がさらりと落ちた。そのリボンはマリーがしゆで編んだものだ。ドレスに使うことも考えていたから、1メートル50センチくらいはあるだろう。

 それをジェシカのドレスの胸元に当ててかくにんした後、大丈夫そうだと判断する。

「ジェシカさん、少しのあいだじっとしておいてくださいませ」

 ドレスをいでもらった方がやりやすいが、さすがにこうぐうで下着姿にするのは悪い気がしたし、ちやくだつにも時間がかかる。

「え、ええ。それは構わないけれど……」

 当惑しているジェシカに「だいじようですよ」と微笑み、マリーは手を動かし始めた。

 引き裂かれてしまったプリムローズのしゆうは、手早く軽い縫いめをしていく。その上から刺繍リボンを重ねるようにザックリと縫いつけた。

(細部まで丁寧にできないのはくちしいけれど、パーティに間に合わせるためだから仕方がないわね)

 破れた箇所が縫い終わると、リボンをハサミで切ってはしを内側に折り込んでドレスに縫い留める。さらに、そこから少し斜めの位置にリボンを縫いつけていく。まるで右上から左下に、いくつも流れる植物のつるのように。

「何を……なさっているの?」

 これ以上【織姫】のドレスをにしたくない、恥をかきたくないという不安があるのだろう。最初こそジェシカは不安そうだったが、マリーの常人とは思えない手さばきに最後には言葉を発することもできなくなっていた。――マリーは作業に夢中でそれにまったく気付いていなかったが。

(――妖精さん、ドレスを素敵にしてあげて)

 マリーがそう願いを込めて刺繍リボンのほうじんれると、空中に金粉のようなきらめきが踊った。

 人の姿をしている小さなかれらが踊ると魔法陣が光り輝く。これは【織姫】であるマリーにしか見えない妖精達が放つ光だった。

「最後に残ったレースでプリムローズをイメージした花を作って……できた!」

 マリーは顔を輝かせた。

 ジェシカはおずおずと部屋のすみにあった姿見の前に立つと、目をきようがくに見開いた。

うそでしょう……」

 破れた刺繍が嘘のように修復されている。

 右上には刺繍レースのプリムローズが愛らしい様子でかざられており、そこから左下に四つの蔓が伸びるようにレースが流れていた。まるで最初からそうだったかのようなデザインだ。

「素敵……」

 うっとりとジェシカは頬を染めていた。妖精達が嬉しそうに辺りを飛び回っている。

 最初のデザインは細やかな刺繍を目立たせるために飾りはほとんどないシンプルなものだったが、刺繍レースを入れることで華やかな印象に変わった。

 マリーはやりげた満足感と、かんぺきなドレスを作れなかったくやしさを味わいながら言う。