
「ねえお兄ちゃん?
バイトから帰ってきて俺が遅めの晩ご飯を食べていると、目の前で受験勉強をする
「ん? まあ、いつも通りしっちゃかめっちゃかで──」
「いや仕事の話じゃなくて。舞原さん、今日もお兄ちゃんにくっついたりしてた?」
恵麻はよくバイト先に俺を
「え、まあ……な、なに? 何がそんなに気になるの?」
「いや私ね、舞原さんって実はお兄ちゃんのこと狙ってるんじゃないかなって思ってんだよね」
「えぇ……? そんなわけないじゃん……そりゃ何かと絡んではくるけど、でも舞原さん、他の人とだってすごいコミュ力で
「はぁ、全く……相変わらず、お兄ちゃんは
「なにその
理解に苦しんでいると「もう、鈍感なんだから……」と、恵麻は頭を抱えた。
「ま、それだけだから。じゃあ私寝るね」
「えぇ……?」
恵麻は自分の気が済むと、勉強セットを持ってさっさと部屋に引っ込んでいった。
……なんだったんだ?
ご飯が済んで部屋に戻り、今度はタンスからパジャマを取り出し、風呂の準備をする。
いつもからかってくる舞原さんが、あれを俺のことが好きでやっていたら、か……。
一瞬その場で固まって、俺はベッドにほったらかしていたスマホに目をやる。
「……」
俺はすぐさまスマホのメモアプリを開いた。
「
「しょ、しょうがないだろ。女の子にこんなに近づかれることないんだよ」
「じゃあ山田先輩、こういうのも初めて──?」
そう言って
うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!
◇
一から
日曜夜の出勤。
午後八時半、退勤三十分前。いくらあの舞原さんがいると言えど、この時間帯ともなれば客も減り、落ち着いて仕事が出来る。
このまま何もなく退勤出来ることを祈っていると……。
「アチッ」
「大丈夫? 小山くん」
「あぁ、うん。
小山くんは、グリル機に付着した焦げカスが手に引っ付いて火傷したらしい。
「冷やしてきた方がいいよ」
「でも今俺がここ離れたら
「平気だよ。ストックも間に合ってるし、お客さんも少ないから」
「いや、女の子を独り占めされたくない」
私情かよ。
「そんなこと言ってる場合じゃないって……ほら、なんかどんどん水ぶくれみたいになってきてるよ」
「う、うーん……しょうがねえ。頼むわ」
小山くんは担当に回っていたグリルを離れ、手当てしに事務所に戻った。
「大丈夫ですかね? 小山くん」
舞原さんが心配そうに小山くんの背中を見送る。
「ああまあ……
ちょうどそのタイミングだ。
「先輩、なんかフロア騒がしくないですか?」
「確かに。何かあったのかな?」
客の騒ぎ声が厨房まで聞こえてくる。それも少し
その折、オーダーが入る。
「あ、オーダー入りました先輩! バーガーワン、チーズワン、ダブチワン、テリワン……せ、先輩オーダーがいっぱいです!」
「う、うわなんだこれ。こんなの今までで初めてだ……。っていうかこれ……」
察したタイミングで、
「やばいよみんな! って、あれ、二人だけ?」
「あ、はい、
「今ね! YouTuberの〈モリタベチャンネル〉がうちに来てるの!」
「誰……?」
「え、やば! モッパン系のYouTuberですよ! ほら、大食いの! へえ! あの人この辺の人だったんですかね!」
どうやら
「いや感心してる場合じゃない! も、もしかしてこの注文、その人の……?」
そう、俺が絶句した注文一覧の画面には──ファミリアのバーガー全種類の名前が表示されていたのだ。
「こっちもドリンクとか色々作ってるところだけど……厨房、二人で大丈夫?」
美咲さんも心配する。どうしよう、ダメだ!
店長は今クレーム対応の電話で不在。火傷している小山くんを呼ぶことも出来ない。カウンターにはオーダーを受けた美咲さんと、厨房の仕事が出来ない女性スタッフしかいない。
「お、俺
食料のストックは元々この時間帯をやり過ごすほどの量しか作っていない。俺が担当していたフライは大丈夫だとして、小山くんが担当のグリルの方は全メニューを作るにはパティが数枚足りておらず、俺が焼かなければならないだろう。
「ど、どうしよ先輩……!」
舞原さんが俺を頼る。でも俺がパティを焼くその間、舞原さんには一人でバーガーを作ってもらうしかない。舞原さんに務まるか……?
絶望に打ちひしがれていると、舞原さんの心配そうな顔が目に入る。……いや、そうだよな。舞原さんは悪くないのに。
この子は俺の後輩で、俺はこの子の先輩だ。先輩の俺が
「舞原さん、俺、今からパティ焼かないとだから、少しの間だけバーガー作るのお願い。自分の出来るバーガーから順番に作っていって」
「そんな! あたし一人でなんて! また失敗しちゃったら……」
「
「で、でも……」
「舞原さん、この一週間俺と一緒にずっと頑張ってきたでしょ? 百パーセント
「先輩……」
舞原さんは少しだけ瞳をうるりと揺らせ「はいっ!」と大きく返事をした。
「よ、よし……! 頑張ろう! 舞原さん!」
「はいっ!」
舞原さんはバーガーを作り始めた。俺は急いで冷凍庫からパティのストックを持ってきて、素早くグリルの機械にかける。そして舞原さんのいるキッチンに戻った。
「舞原さん! 今どこまで出来た?」
「上四つは出来ました! でも五個目失敗して今作り直してて……」
「わかった! パティ焼き上がるまで少し時間あるから、舞原さんは残りのバーガーのバンズをトースターにどんどん入れていって! 俺作るから!」
「は、はい!」
舞原さんはすっかりバンズの種類を覚えていて、的確にバンズをトースターに放り込む。彼女なりに仕事と向き合っている証拠だ。
しかしここでオニオンが切れる。次から次にトラブルだ。
「舞原さんごめん! オニオンが無くなっちゃった! 俺すぐ新しいの作るから、またしばらく一人でバーガー作って! 失敗してもいいから!」
「わわわ、わかりました!」
オーダーは現在半分クリア。俺はすぐ冷蔵庫からオニオンの入った袋と器になる角ポットを持ってくる。よし、これで大丈夫。
「先輩、パティが!」
「大丈夫! ちょうど焼ける!」
俺は焼き終えたパティを急いで鉄板からトレイに移す。これで食材がオーダーに追いついた。
「すみません、あたしまた二つ失敗して! パティの枚数間に合いますか?」
「うん! 多めに焼いたから心配ないよ!」
「先輩……!」
「もう大丈夫! あとはバーガー作るだけ!」
そして俺
◇
失敗したバーガーを抱えて事務所に入ると、先に戻って帰り支度を済ませた
「せ、先輩! あの、今日は本当にありがとうございました……!」
「い、いいってそんな……! 急に改まらないでよ……」
「でも、先輩がいなかったらあたし……」
舞原さんはいつになくそわそわして俺のことを見ている。やっぱりこの子、根はまじめなんだろうな。
奥でパソコン作業をする店長が舞原さんと俺のやり取りにほくそ笑んでいることに頭をかきながらも、俺は舞原さんの隣に座り、カウンターにバーガーを置いた。
「……これ」
「先輩のおごり……?」
「じゃなくて……今日失敗したバーガー三つ。山のように失敗してたあの頃と比べたら舞原さん、すっごく成長したね」
「先輩……!」
「……俺も一人じゃきっとあの大量のオーダーは捌ききれなかったよ。でも舞原さんが頑張ってくれたからなんとかなった。ホント心強かったよ。ありがとね」
「せ、せんぱぁい……!」
「うわぁッ! ちょ、えぇ! くっつかないでよ!」
「うぇーん! だってぇ! 先輩優しいしぃ~!」
「ちょ……うぁ~……」
先輩として振る舞うべきところなのに、童貞としての俺が
「先輩、あたし一生先輩について行きます……♡」
「いや、ただのバイトよ? 俺……」
「ただのじゃないです!」
舞原さんは俺の胸の中に収まって俺を見上げた。
「あたしにとって先輩は、ずっとずっと憧れです……!」
ずっとってそんな、出会って
「そ、そんな
「先輩は、先輩だけ……♡」
い、いや待て落ち着け俺!
なんて自分に言い聞かせていると、事務所の入口にさっきからずっと
「こ、小山くんと美咲さん……! いつから……」
「え? 『あの、今日は本当にありがとうございました……』からだな」
「俺の背後にいたのかよ……。って、あ、いやその、これは違くて……」
あっけらかんと言う小山くんに続いて、美咲さんは肩を
「いやいやていうか、お前ら早く結婚しろよ……」
「なっ……」
なんで美咲さんまでそのセリフを……!
なんという偶然。俺は
「悔しい……
小山くんが悔しそうにしている。田中なんかって、小山くんに言われたくないな。
「い、いや本当に違うんですって。舞原さんはさっきのパニックを乗り切ったから安心してこうなってるだけで……」
「せぇんぱぁい、照れちゃってぇ~♡ かぁいい~♡」
あ、ダメだ。変になってる。
俺はなんとかまた美咲さんの誤解を解こうと試みるも、美咲さんはなんか一人で「そうかぁ、そういうことかぁ」と何かに納得して取りあってくれない。
「
「だから、そういうんじゃないですって! とにかく帰ろう! ほら舞原さん! どうせ今日も家まで送って欲しいんでしょ!」
「一緒に帰るなんて、ますます夫婦じゃん」
「これ以上話をややこしくしないでください! じゃあ俺着替えるんで!」
更衣室に閉じ
◇
ファミリアに属す前まで、楓は非行少年
もちろん高校に進学して楓のような女子は一人もいなかった。本当は非行に抵抗感があったものの、当時の自分を捨て皆と同じに染まることにもまた
成長期の揺らぐ感情が災いし、楓は通っていた高校に
そんな時期のこと。いつものように良くない仲間とファミリアで集まっていた日。
バーガーを
「おい、ピクルス入ってんだけど。どういうこと? 抜きで注文したぞ俺」
「あの、私が作ったわけではなくて……」
「なら作ったやつ呼べや。お前が作ったかどうかなんて聞いてねえから」
「すみません……今呼んで参ります」
ほどなくして、店長の
「大変申し訳ありませんでした」
「申し訳ありませんでしたじゃねえだろ。こっち金払ってんだぞ? 金返せよ」
「申し訳ございません。返金は出来ない決まりになっておりまして。その代わり、ピクルス抜きのバーガーをもう一点用意させていただきますので」
「はぁ? こっちは嫌いなもん食わされてんだ。金返してタダでバーガー
「金返さねえはやべえだろwww 貴也やっちまえーwww」
「やばすぎwww 面白くなってきたぞ~www」
同調するグループの中で、非行を
自覚する。ああ、自分はこんなに醜いところにまで至ってしまっていたのかと。
後悔した。しても遅いのに。
その時。
「ちょっと
「すみませんッ……!」
「……あ?」
そこに現れた一人の小柄な少年。止める
「お、おい田中! お前、出てこなくていいって言ったろ!」
「すみませんでした……ぼ、僕なんです……ピクルス抜きのバーガーにピクルスを入れてしまったの……」
「あっそう」
「はい……ほ、本当にすみませ──うわっ」
──ジョバ。
「はい、お礼~。ピクルスありがと~」
コツンと空っぽのコップが莉太の頭に落とされた。頭に溶け終わりの氷が乗っかり、
「二度と来ねえからこんな店」
貴也はそうして風を切るようにして店を歩いて出て行く。まるで英雄でも気取っているかのよう。その格好悪さに
しかし、
「貴也最高www めっちゃスカッとしたwww」
「あの陰キャ超キョドってたよねwww ずぶ濡れウケるwww」
「──ほら、楓も行こ」
楓はいつもの友人の誘いをその場で拒めなかったのだ。
そして楓はその後少しして、友達と解散した後に良心の
「(
そう思いながらも店に着いた。さっきまで自分
「……あの」
「はい?」
莉太はすぐには気づかなかった。当然だ。姿を隠しているのだから。
「さ、さっきの騒ぎを起こしたヤツの……その、友人です」
もうあれの友人と名乗ることにも嫌気がさすほど、さっきの出来事は激烈に楓の後悔を
「えと、友人が
道を外してきた
だけど
「わ、わざわざ謝りに来てくださったんですね……! あ、ありがとうございます! でも今回のことは本当にミスした僕が悪いんです。すみません。まだバイト始めたばかりで……って、こ、こういうのも言い訳がましいですかね!」
「そ、そんな。あたしは全く気にしてないし……」
「……お客様はお優しいですね。なんだか少し励まされました……失敗ばっかりで萎えてたところだったので……あはは……」
何度も人を傷つけ、何度も悪いことをした。親に、学校に、反発して生きてきた。
そんな自分のことを、莉太は怒らずに褒めてくれた。
優しいのは、自分ではない。彼だ。
「じ、じゃあそれだけなので、あたし帰りますね……」
「あ、あの!」
「はい……?」
「……僕がミスしただけで、このお店のスタッフはみんないい人
莉太のその
その後また一から歩み出した楓は、晴れてこの店のスタッフの一員となった。
◇
楓は家に帰ると、まず明かりをつける。夜は家に誰もいないからだ。
せっかく楽しいバイトだったのに、家に帰ってくると、その静けさのせいでいつも熱が冷めてしまう。
ソファに背を預け、莉太のことを思い出すと、心が温かくなった。
「今日も気づきませんでしたね、先輩。ホントにウブなんだから」
莉太を見ていると、
莉太のことを考えると、胸が温かくなる。
「先輩、好き……」

◇
家に帰ってきてベッドに
俺みたいな陰キャとあんなに魅力的な女の子
これは物語ではなく、現実。
女の子が好きになる男は、より顔が良くて、男らしくて、能力があって、頼りになって……そんな要素が俺に一つでもあれば、まだ納得出来たかもしれない。
でも俺は顔も良くない。勉強も運動も出来ない。男としての尊厳も、自信も、プライドもない。空想だけが
「……俺が将来あの子達の誰かと結婚とか、うーん、ないよなぁ」
ため息と同じタイミングでスマホが光る。
『今日の最新話も面白かったよ。みかん氏』
顔も名前も、住んでいる場所も知らないネットの
そう、そして事件は起こった。
俺は自分のウェブ小説の感想欄に寄せられた、あの愛の告白文を
──あの中に一人だけ、本物の俺のヒロインがいる。
もう一度確認のために言っておこう。
これは、ラブコメが大好きなだけのただのオタクの俺が、
──やがて、本当に一人の女の子と結婚するまでの一連の騒動の話である。