キャンプが終わって週が明けた月曜日。十月になった。

 まさかこの俺が『お前ら早く結婚しろよ』だなんて、ラブコメで言うところの確定演出を二回も味わうとは。どうやったら俺みたいな陰キャとたけうちさんや胡桃くるみみたいな可愛かわいい子がお似合いに見えるんだろ。

 そんなことを考えながら放課後に突入。席から立ち上がり、下校しようとしたちょうどその時、いつもの声が聞こえる。

「た、なかくんっ!」

「竹内さん?」

 どうしたんだろう。今日は特に委員会の仕事もないはずだけど。

 竹内さんは「えっとその……」と、手をモジモジさせて、うつむきながらもチラチラと俺の方を見ている。いつも可愛いなぁ……。

「き、今日の放課後ね、クラスの何人かで放課後遊ぼうって話が──」

「あ、ごめん、今日バイトだ……」

「ああ……」

 竹内さんはまた俺のせいでへこんでいるようだった。うぅ、やっぱり竹内さんの誘いを断るのは気がるなぁ。でも俺がそんなところに顔を出したら、きっと「え、なんでこいつ来たの? ちょ、呼んだの誰?(笑)」と浮いてしまうこと間違いなしだ。

 それに今回に限らず、これから先こういうのに誘われ続けても、俺なんかは顔を出せそうにない。

 俺はそれをやんわり伝えようと、微笑ほほえむ。

「竹内さん、多分ボッチの俺に気を遣って誘ってくれたんだよね!」

「え? いやそういうわけじゃ……」


「でも大丈夫! 俺、結構一人が好きだから!」


 竹内さんは絶句して固まってしまった。ん、なんか言い方まずかったかな。

「竹内さん?」

「ナンデモナイ……ナンデモナイナンダヨ……」

「……大丈夫?」

「ゴゴ、ゴメンナサイネ……」

 うーん、なんか漫画に出てくる外国人みたいになってるけど、まあ竹内さんって時々壊れるし、今もきっと一時的な何かなんだろうな。それに竹内さんにはともだちがたくさんいるし、うん、大丈夫。

「じゃあ、俺はこれで」

「サヨ……サヨナラ……」

 あまり長くたけうちさんといると注目を浴びてしまうので、さっさと退散した。



 バイトと言って誘いを断ったが、あれはこの前とは違いうそではない。

 学校から自転車で十分強の場所にあるハンバーガーチェーン店、〈ファミリア〉。俺はそこでアルバイトをしている。

 仕事場に到着。従業員用駐輪所に自転車を止めて、入店。今日もそこそこにぎわう店内を抜けて、スタッフオンリーの入口へ。はあ、これまた学校と同じく憂鬱だ。

 広さ六畳ほどの事務室に入ると、まず手前に休憩用スペースがしつらえてあり、その奥にはパソコンの置いてあるデスクが。そのデスクで黙々とパソコンとにらめっこしてシフトを組んでいる女性スタッフの背中が目に入った。しきりに「しんど」とか、「だる」とか、ネガティブな言葉を吐いている。

「おはようございます、店長」

 ただのスタッフではない。この店の店長。きようはなだ。

 俺が声をかけると、「んお……」と、店長は振り返った。美人なのにどこか老け込んで覇気のないその顔は、見ているとこっちが疲れてくる。

「悪いななか、突然まきはらだってよ。本当かどうか知らんがな……あとはやなぎがばあちゃんの葬式だって。……あいつのばあちゃんが死ぬの、三回目なんだが」

 今日は元々シフトに入っていない日だったが、きゆうきよ欠員が出たということで代わりに俺が入ることになったのだ。

「全く、今回だけですよ本当。……って、毎回言ってますよね俺」

「だってみんな予定がとか用事がとかって断るし……。いいだろ別に。お前が学校行ってる間私がちゆうぼうカバーしてたんだぞ? 私店長なのに……」

 人望ないなこの人……。

 万年人手不足のこの店と、頼まれると断れない俺。相性良すぎて、俺はシフトを入れられ放題の仕事させられ放題。昨今のスマホプランくらい色々放題だ。

「それで……このバーガーの山はなんです?」

「聞くな……」

 テーブルには十数個ほどのバーガーが。もう色々てんてこ舞いだったのだろう。

「ただでさえ人が抜けてピークの時間忙しかったのに、その後例のあいつが出勤してきて、ピーク後も目が離せんくてな……どうもあいつは仕事覚えが遅いし、なによりアホだ。やる気はあるみたいだが……。で、もうすぐなかが来る頃だと思って一度抜けてきたってわけだ。こうして戻ってきても結局仕事だけど。はは、笑えん」

「笑えなさに笑ってる……重症だ………」

 店の惨状ととある新人スタッフの話。苦笑いで応えるのが関の山だった。

「……例のあいつって、まいはらさんですか?」

「ああそうだ。ってことで田中、あいつのことは後はお前に任せた」

「いや、みんなでちゃんと仕事教えてあげないと……」

「だってあいつ、可愛かわいすぎてみんな甘やかすんだもん」

 なんて馬鹿げた理由だ、と、でもそれが事実であることに俺はため息をついた。

 その新人は女の子なのだが、なんせめちゃくちゃに可愛いのだ。

 まず顔がい。それはもう尋常じゃない。テレビで見るレベルだ。

 しかも可愛いというのは何も容姿だけの話ではない。明るくて人懐っこく、そしてとにかくあざとく人受けのする性格で、入ってきてすぐ男女共スタッフはその子にメロメロ。そのせいで誰も失敗をとがめず、困っていたら仕事を代わってあげてしまう。結果彼女が仕事を覚えられない悪循環。なのに本人は悪気なく、いたって仕事には前向きなところがなんともまた憎めないのだ。

「ほら、田中は割とあいつに熱心に仕事教えるじゃん? あいつも田中のこと気に入ってるみたいだし、なんつーの、気を利かせて図ってやってる的な?」

「だったら他のことで気を利かせてくださいよ。シフト減らすとか──」

「無理無理(笑)」

「笑うな」

 あきれて首の後ろに手を当てながら、それでも俺は店のために交渉する。

「ならせめてチーフたちにちゃんと教育するよう言ってくださいよ。みんなが甘やかすから俺が色々と教える羽目になってるんですよ? 俺女の子苦手なのに……」

 店長は話し疲れたのか、デスクチェアの上でスライムみたいに「うぇ~」と溶けた。

「まあ難しいことはいい。見ての通りだ田中、私はもう仕事したくない。あとはなんだ、目〇蓮か松〇北斗と結婚したい」

 もうダメだこの人……。

「わかりましたって……。あの子のことはとりあえず今日一日俺が見ますから、店長はせめてそのシフト表、今日中に仕上げてくださいね」

「ひゅ~、田中やっさしぃ♪」

「あんまりめるなよ……?」

 これ以上話していてもかえって仕事を押し付けられそうなので、俺はもう諦めて更衣室に入った。



 クルーの制服に着替え、いざ出勤。

 このバイトを始めた理由は主に二つ。まずはラノベや漫画を買うためのお金を稼ぐため。そしてもう一つは社割でファミリアのハンバーガーを食べるため。

 そんなさいな理由だったのに、今では社畜ならぬバ畜状態。

 辞めればそれで済む話なのだが、人も少ないし、店長あんなだし、新人もなんかあれだし、変に気を遣ってしまう俺は辞めるに辞められない。はぁ……。

 ため息混じりにタイムカードを押したところで、うわさをすれば、


「──だぁれだ♡」


 ちゆうぼうに入った瞬間、目の前が誰かの手で塞がれた。

 視覚が真っ暗になり、それ以外の感覚が研ぎ澄まされる。甘い香りがし、背中に生温かくて柔らかい感触。俺にこんなことするの、あの新人しかいない……。

「ま、まいはらさん! やめてって恥ずかしいから……!」

「えへ、正解です♡」

 手を離してもらい、振り返るとそこにいるのは、とした黒髪ショートカットの絶世の美女だ。クルーの制服を着ていて、この制服にビジュアル的な需要なんてないはずなのに、その姿さえ魅力的に感じる。

 この女の子こそ、うちのバイトの問題児である舞原かえでだ。

「おはようございます、先輩♡」

「お、おお、おはよう……」

 動揺する俺の姿にクスッと笑う舞原さん。クソッ、女性経験がないが故に、やっぱ女の子相手だとまともに返事出来ない……。

「先輩、どうしたんですか?♡」

「い、いや別に……」

 しかもこの子はいつも、多分それをわかっていてやってきてる……。

「先輩、私先輩のことず~っと待ってたんですからね?」

 舞原さんはそう言ってさりげなく俺の腕を取る。ふとした時のボディータッチ……あざといし、普段女の子に触られたりしない俺にはぶっ刺さるぅ……。

「なかなか来ないから、その間やることなくてもう暇で暇で」

「う、うん。暇っていうか、普通みんなはここに来たら働くんだけどね……」

「やだなぁ、あたしだって仕事してますよー? 見てくださいあのシンクにまった洗い物の山を。あれはあたしが運ぼうとして床に落としちゃって、また洗わなきゃいけなくなったたくさんのトレイです!」

「仕事してるっていうか、仕事増やしてるよね?」

「みなさんは運ぼうとしたあたしのやる気を褒めてくださいました♡」

い職場だ……」

「事務所で見ませんでしたか? バーガーの山。あれはあたしがレシピを間違えて作ったバーガーを店長が自費で買い取ったものです!」

「あれ舞原さんのせいだったの……」

「安心してください。社割額ですから♡」

「そういう問題かな?」

 とにかく明るい舞原さんは、悪気なさそうに横でキャピキャピしている。黙って見過ごしているとこの店が危ないので、胸を痛ませながらも舞原さんのことを叱る。

「舞原さん、いい加減バーガーのレシピぐらいは覚えようよ……いつまでもああやって食材を無駄にするわけにもいかないでしょ?」

 舞原さんは「ぶ~、覚えようとはしてますよぉ」とほおを膨らませる。

「あたしたくさんのこといっぺんに覚えたり出来ないんです。次々教えられても、すぐ忘れちゃうっていうか~、記憶力がないんですよね~。やる気はあるんですけど……あ、それより先輩見てくださいあのシンクの洗い物の山!」

「この一連の会話も覚えてられないレベル!?

 なにこの子、記憶力ダチョウなの?

「てへ♡」

 まいはらさんはまたあざとく手を合わせて、ウィンクしてくる。ぐぉ、破壊力……。

「ご、してもダメ……!」

可愛かわいいって思ったくせに……♡」

………………ほ、ほら! 仕事戻りなよ!」

「あ~先輩~、逃げないでくださいよぉ。誤魔化してるのはどっちですかぁ~」

 ああ、めんど可愛い……。

 たけうちさん、胡桃くるみと続いて、舞原さんをこれまたラブコメでたとえるなら、最近りのやたら自分に構ってくるからかい系ヒロインだ。物語として見てる分には、ヒロインのからかい=主人公のことが好きなヒロインの恋愛的アプローチなので見ていて羨ましいものだが、実際主人公当人になってみると、ヒロインに自分への好意があるかどうかなんてさっぱりなわけで、喜んでいいものなのか怒っていいものなのかわからないのが複雑だ。

 出勤中のスタッフに挨拶して回っている時も、水道で手洗いをしている時も、なぜか舞原さんは仕事せずちょこちょこついてくる。

「てか舞原さん、同学年なんだしそろそろその先輩って呼び方と敬語やめてよ……」

 舞原さんは俺と同じく高校一年生らしい。訳あって今はあまり通っていないらしいが、どっちにしたって先輩と呼ばれるのも敬語を使われるのも違和感がある。

 しかし舞原さんは、まるで俺の発言を冗談と捉えたように笑った。

「あはは、嫌ですよもったいない」

「え、何がもったいないの?」

「あたしが先輩のことを先輩として敬い続けていれば、先輩はずっと先輩で、つまりあたしはずっと後輩としての特権が得られるわけじゃないですか。先輩に仕事教えてもらったり、先輩にご飯おごってもらったり、先輩に責任なすり付けれたり」

「ホントに敬ってる……?」

「こんなあたし見せるの、先輩の前だけなんですからね……?」

うれしくないよッ!」

 俺はあきれて首をみながら言う。

「舞原さん……そろそろ仕事に戻りなよ」

「そうですよね! それで先輩、あたしは何をすればいいですか?」

「あ~……ならとりあえず、洗い物の山を片付けてくれるかな」

「はい、わかりました♪」

 そうして自分で作った仕事を自分で片付けるまいはらさん。永久機関の完成だ。



 自分の仕事を開始してしばらくすると、

「なぁなぁなか……!」

「……なに、やまくん」

「お前の妹、次いつ店来るんだよ……?」

「え~、いや……」

 俺がフライのストックを足し終えたところで保温棚の向こう側から話しかけてきたのは、同じうおずみこうこうの同学年の同僚の男子、八組の小山たつくんだ。

 学校ではボッチとは言え、バイトではそうはいかない。コミュニケーションなくして仕事は成り立たないからだ。だから会話する相手くらいはいるのだが……。

「この前も来てたじゃん? あん時俺ともしやべったじゃん?」

「まあ……」

 こいつはうちのをつけ狙っているらしい……。

 恵麻はどういうわけか、俺のバイトの様子を最近何度か見に来ていた。その時に言葉を交わしたことのあるスタッフも、何人かいる。

「お、俺のこと……なんか言ってた?」

「え、別に何も」

「いやいや、何もってことはねえだろ~! だって結構喋ったよ?」

「だから、なんも言ってなかったって……」

 だって小山くん、恵麻に「下心丸出しでちょっと気持ち悪かった」って言われてたんだもん。言えるわけないじゃん。

「それより小山くん、舞原さんイニシでしょ? なんであの子の仕事浮いてるの」

 イニシとは、イニシエーター。バンズをトースターで焼くポジション。アッセンはアッセンブラー。焼けたバーガーに具を挟んでバーガーを作るポジション。小山くんはアッセン、舞原さんはイニシ担当のはずだが。

「いやぁ、かえでちゃん、『パンの種類が覚えらんない~』って困ってて、あんまり可愛かわいいから代わってあげないわけにはいかなかったよね~。優しいっしょ? 俺」

「そんなんじゃいつまでっても舞原さんが仕事覚えらんないでしょ……」

「そんなこと言うなら田中が教えてやれよ。俺だって大変だったんだぞ。楓ちゃんバンズと注文間違えまくって、俺が間違ったバーガーいっぱい作っちまってよ」

「あのバーガー、共作だったのか……」

「せんぱ~い! 洗い物終わりましたぁ!」

 そこに、まいはらさんが上機嫌でやってくる。

「ちょっと聞いてよかえでちゃん。なかってば、俺が楓ちゃんの仕事代わってあげたことに文句言ってくるんだよ~」

「え~、あたしはうれしかったよ? やまくん、ありがとね♡」

「こ、このくらい全然! いやもうホント、他にも困ったことあったらなんでも言ってよ! 俺なんでもやるから!」

 こいつに絶対は渡さない。

 それはさて置き、このままでは舞原さんはちゆうぼうの仕事がままならないままだ。店長にめんどう見るって言った手前、やっぱ俺が教えてあげるしかないか……。

「小山くん、フライのストックちょっと多めに作ったし、俺今手空いてるからさ、舞原さんにバーガー作り俺が改めて教えてもいいかな? 小山くんは在庫確認してきてくれない? 店長が終わってないってあせってたから」

「お! 了解! んだよ田中気が利くじゃーん!」

 そうして小山くんはルンルンで厨房を後にした。どうせサボるんだろうなと察しつつ、俺はそばでニコニコしている舞原さんを横目に、ほおをかく。

「じゃあ舞原さん、今日少しでもいいからバンズの種類覚えようか」

「はい! 先輩が教えてくれるなら、喜んで♡」

「な、何を調子のいいこと言ってんだか……」

 とりあえず三種類のバンズの説明と、それぞれどのバーガーに使うのかを教える。

「あ、早速注文来たよ。チーズバーガーの注文が来たら、『チーズワンです』って、厨房のみんなに伝えるんだよ」

「はい! チーズワンです! 先輩!」

 仕事を教えてもらうとなると、一応真剣になるんだよな。舞原さん。

「チーズバーガーに使うバンズはどれ?」

「えっと……レギュラーバンズ!」

「よし、じゃあそれ焼こう」

「はい!」

 ここまでは順調。焼けたバンズを基にひとまず俺がバーガーを完成させる。

 五回ほど注文をさばいて、次はアッセン、バーガー作りの説明に入る。俺は厨房裏から持ってきたマニュアル本を舞原さんに見せた。

「ここにレシピが書いてあるんだけど、どれくらい覚えてる?」

「えっと、普通のバーガーと、チーズバーガーと………………あはは……」

「いいよいいよ、気にしないで。じゃあ今日もう一個くらい覚えて帰ろう」

 ある程度説明し終えたまさにその時、早速注文が来る。

「ほら、ベーコンレタスバーガーだってさ。『BWワンです』って」

「BWワンです先輩!」

「そうそう、じゃあバンズは?」

「せ、セサミバンズ!」

「そう。そのまま作ってみて」

「わかりましたっ!」

 普段は俺相手に女性的な余裕を見せるまいはらさんも、仕事中はどこか硬くて、目の前のことだけに一生懸命なのが可愛かわいらしい。

 そして舞原さんはレシピを見ながらバーガーを完成させ、カウンターの方にスライドする。

「やれば出来るじゃん! すごいよ!」

「ほ、ホントですか……!?

 余程うれしいのか、舞原さんの目はキラキラしていた。俺もそのまなしに応えてあげるよう、大きくうなずく。

「うん! この調子なら大丈夫そうだね。あ、じゃあ俺、フライのストックまた足すから、困ったら呼んで。あと、マニュアルよく見てね」

「はいっ! ありがとうございます!」

 よし、これでようやく舞原さんも戦力に数えることができそうだ。マニュアルも渡してるし、まず失敗はないだろう。

 そして数分後。カウンタースタッフの声が聞こえてくる。

「あれ、なんかこのバーガー、めっちゃこんもりしてない? しかも五つ注文来てるのにまだ一個しか出来てないし」

なかくん~、食洗機バグってるんだけど、洗い物の後なんかした~?」

 ひぃぃ。あいつ天才だぁ。

 俺が脂汗を額ににじませていると、カウンターから顔を出していたカウンター業のバイトリーダーの大学生、もりぐちさき先輩が俺を見て苦笑いしていた。



「あはは、まだまだ苦労しそうだね、教育係」

 俺が事故の対処に当たりフライヤーに戻った後、俺の事をねぎらうつもりで話しかけてきたらしいさきさんは、ことのあらましを聞いてひらひらと笑った。毎日客にスマイルを注文されているだけあって、美人だ。

 俺はチキンをフライヤーに浸して言う。

「いや、なった覚えないですよ教育係。大体なんでごとなんですか。大変なんですからね。みんなデレデレしてまともに仕事教えないから」

「またまたぁ、何言ってんのさぁ。そういうなかくんだって私らに教わってばっかの新人の時期があったんだよ? ほら、コーラ事件とか」

 美咲さんはニッと笑った。俺はとある苦い思い出を掘り返されて目をらす。

「いい加減忘れてください……」

「それは覚えてるのに、肝心なことは忘れてるんだね」

「……はい? なんのことです?」

「いや、思い出せたらいいね」

 な、なにを思い出せと? 初心? 人の心? どっちにしても俺嫌なやつすぎる。

「……ていうか、美咲さんもあんままいはらさんのこと甘やかさないでくださいよ」

「だって……あの子、みんな言ってるけど可愛かわいいんだもん」

「だからそれも……」

「いや、そうじゃなくてさ! 美少女的な意味もあるけどね!」

 美咲さんは前置きし、微笑ほほえみながら続けた。

「あの子さ、心の底から仕事楽しそうにしてるっていうか、私たちが話しかけたりお仕事教えたりすると、すごくうれしそうにするんだよね。だから仕事を覚えてくれたらいっぱい褒めたくなるし、失敗は励ましてあげたくなるってかさ。まあ甘やかしちゃうよねぇ」

 さっきまで仕事を教えていた時の彼女の、あの充実感にあふれているような笑顔を、俺は思い返す。

「……言われてみれば、そうかもですけど」

「結構いいコンビだよね。そんな頑張り屋さんのかえでちゃんと、世話焼きの田中くん」

「な、なにが……」

 と、話の途中で美咲さんは耳にしていたインカムを聞く仕草をする。

「あ、ドライブスルー私行きます。じゃ、田中くん、舞原さんのことよろしくね」

「よろしくって……」

 美咲さんはドライブスルー用のカウンターにさつそうと走っていった。取り残された俺をバカにするみたいに、ピロリ、ピロリ、と揚げ物が揚がった音がなった。



 乗って帰れるはずの自転車を降りて、わざわざ押して帰り道を歩く。

「はぁ、疲れた……」

「大丈夫ですか? 先輩」

「誰のせいだと思ってるんだよ……」

「ははは、やっぱり先輩はからかいがありますね」

 横ですっかり開き直るまいはらさん。ちなみに帰り道というのは舞原さんの帰り道だ。舞原さんは俺とシフトがかぶった日、いつも俺に家まで送らせてくる。女の子一人の夜道が怖いらしい。

「てかなんでいつも俺に家まで送らせるの? 他にも男性スタッフいるよね?」

「もう、先輩? 仕事終わりでお疲れの人にわざわざ自分を家まで送らせるほど、あたしも鬼畜じゃないですよ?」

「うーん、その理論でいくと舞原さんは鬼畜なんじゃないかな」

 舞原さんのボケにツッコむと、舞原さんは笑ってからまじめなトーンで答えた。

「だって、先輩がいいんですもん」

「俺がいない日はどうしてるの?」

「一人で帰ってますよ?」

「なんで俺だけ……?」

「わかんないですか?」

 俺が答えない間、自転車のチェーンがチチチ、と空回りする音が夜の静寂に響く。

 ……いや、ないない。

 俺は頭に浮かんだ答えに首を振って、ひとまず代わりの回答を適当に宛てがう。

「頼みやすいから……とか」

「おぉ、あながち間違いじゃないですね」

「なんだ……」

 当たっちゃったよ。さっきのラブコメ主人公っぽい葛藤ナシにしてくれ。

「でも、本当に迷惑だったら言ってくださいね」

 進行方向を見たまま、うつろな笑みを浮かべて舞原さんは続けた。

「家まで送るのも、あたしに仕事を教えるのも」

 普段冗談ばかり言ってからかってくる舞原さんにしては神妙な面持ちだった。いつも明るく振る舞っているから、あんまり失敗とか気にしてないのかと思ってたけど、そりゃ多少は心に引っ掛かるもんだよな。俺だって初めはそうだった。

「そりゃまあ、大変だけどさ……でも迷惑だなんて思わないよ。舞原さん、一生懸命なの伝わるし。前向きに頑張ってる舞原さんのことは素直に応援してる……よ?」

 舞原さんがこっちを向いたのが間接視野でわかって、思わずドキッとしてしまう。

「……先輩、もしかして、あたしのこと好きですか?」

「ち、違うよもう! まいはらさんが落ち込んでるようなこと言うから柄にもなく臭いこと言ってあげたのに! からかわないでよ!」

「あはははっ!」

「全くいっつもいっつも……」

 やっぱり舞原さんは舞原さんだ。でも、俺を手のひらで転がすことを心から楽しんでいるようなその混じり気のないいつもの笑顔を見て、少し安心した。

 そして舞原さんの家にゴール。ファミリアから徒歩十分のれいなアパートだ。

「……まあその、俺はこれからもまじめに仕事教えようと思ってるから、少しでも真剣ならなんでも聞いてよ」

「わかりました! これからも先輩のこと、おちょくっちゃお♪」

「それはやめて……」

「じゃあ先輩、またバイトで!」

「う、うん。じゃあ、うぉっ……

 俺が手を振ろうと手を挙げると、舞原さんは自分の手と俺のその手を合わせてつかんできた。女の子特有の柔らかさとか、やけに熱っぽい体温とか、女の子相手に尻込みする俺を捕まえるみたいな力加減とか、普段女の子と触れ合わない俺にとって、一つ一つの感覚が刺激的だった。

「えへへ、やっぱり先輩、ウブですね♪ 可愛かわいい♪」

 い返しが出ず、「じゃあ!」と、舞原さんが家に帰る背中をぼうぜんと見つめる。

 舞原さんにその気がないのはわかっている。これが俗に言うあざといなのだ。

 でも、わかっていても、ドキドキしてしまうものはしょうがない。

 単純だなぁ、俺って……。