おっさんがびじょ。 2 わるものVS異世界ブラック企業 (アース・スターノベル)

山田 まる


*     *


 いろいろ、考えてはいたのだ。

 俺たちは彼女に飛空艇を墜とす姿を見られている。

 命の恩人ではあるものの、怖がられてしまう可能性も決して少なくはない。

 それでまずは一枚の布を隔てて姿を隠しつつ、言葉を重ねてこちらに彼女に対する害意がないことをわかってもらってから姿を現す。

 それと同時に万が一彼女が聞く耳を持たず、人を呼ぼうとしたり、さらに万が一というか億が一ぐらいの確率で彼女がこちらへと攻撃を仕掛けてくるようなことがあった場合には、エリサとライザは回れ右、俺とイサトさんは廃墟を突っ切って逃げる、というような退路までも考えてあった。

 考えてあったのだ、が。

 そういった諸々が、悪戯な風のせいで一気に無駄になった感。

 思わず目がテンになる俺とイサトさん。

 ぽかんと目を丸くする彼女。

 エリサとライザも彼女の背後で「!?」という顔をしている。

 当事者でなければちょっと面白く思ってしまうような状況ではあるのだが……。

 さて、どうするか。

 逃げるか?

 それとも何もなかったかのように平然と話を続けるか?

 迷いつつ俺は彼女の反応を窺い、ちょっとばかりびくっとしてしまった。

 どうも、目の前の彼女の反応は俺たちの予想から大きく外れていたのだ。逃げられる、叫ばれる、あたりは想定していたが、彼女はまるで白昼夢でも見ているかのようにぼんやりとしてしまっている。

 そんな反応に対する対処法はさすがに考えていなかった。

「…………」

「…………」

 微かに潤んでいるように見える濃いあおの瞳や、うっすらと赤く染まった頰、はたまた恥じらうように伏せられた視線だったりに、なんだか妙な気まずさを感じてしまうのは俺だけだろうか。

 なんかこう。

 おしゃべりな友人に、「隣のクラスの誰それがお前のこと好きらしいぜ」と聞かされた直後に、その隣のクラスの誰それと放課後の教室でうっかり二人きりになってしまった時に感じる気まずさ、というか。

 照れくさいような、どうしていいのかわからなくて逃げ出したくなるようなあの感じ。

 ……まあ、自意識過剰なのがいけないのはわかってるんだが。

 俺はびす、と軽く隣のイサトさんの脇腹を肘でつつく。

 ここはイサトさんが行くべきだろう。

 なんて言ったって同性だし。

 だというのに、何故かやんわりと足を踏むことで応戦された。

 何故だ。

 ちらっと隣を見やれば、イサトさんがもっともらしい顔でこそりと俺へと囁く。

「私は面識がないからな。君が仕切ってくれないと」

「……………………」

 なるほど。

 もっともだ。

「で、本音は?」

「君がどぎまぎしているのが面白い」

「コノヤロウ」

 完全にただの愉快犯じゃねえか。

 俺はちょっぴりすさんだ気持ちで小さく息を吐く。

 まったく、青少年をからかって楽しむ悪い大人には困ったものである。

 が、いつまでももじもじと恥じらいあっていても話は進まない。

 ここは俺が男を見せるしかないだろう。

「ええと……その」

 ものすごい掠れた声が出た。

 イサトさんが変なことを言いやがったせいで、余計に意識して心拍数が上がっている。なんだこれ。どういう状況なんだ。

「は、はい。なんでしょう……?」

 ぎこちない俺の声に、彼女も緊張に上擦った声で言葉を返す。

 隣でイサトさんがニヤニヤしているのがわかる。

 この仕返しはいつか絶対してやるからな、と心の中で呟きつつ、俺はこの状況を打破すべく──…覚悟を決めて口を開いた。

「ちょっとお茶でもどうです?」

「ナンパか」

 イサトさんのツッコミが高速ちよつぱやだった。


*     *


 彼女を連れて、宿に戻る。

 本当ならばもっと人目のあるカフェなどの方が彼女にとっては安心できるのだろうが、これから話そうとしている諸々の内容を考えると、そういうわけにもいかない。三部屋とっているうちの、イサトさんの部屋に案内したのがせめてもの良心である。

 ちなみに三部屋の内訳は、俺、イサトさん、エリサ&ライザ姉弟、だ。

 エリサ達は、ちゃんと帰る場所があるから良い、と最初は遠慮していたのだけれども、そこは俺らが雇っているのだからという雇い主特権で押し切った。

 それこそまさに小さな親切大きなお世話だったかもしれないが、ギルロイ商会側の動きがわからない上に、獣人の対してのあたりのキツいこの街で、エリサとライザを二人だけにしたくない、と思ってしまったのだ。

 戸惑ったように立ちつくしている彼女へと、ベッドサイドのテーブルを勧めようとしてふと気づいた。椅子が足りてない。

「しまったな」

 もともと一人~二人で泊まることを前提としているので、この部屋には椅子が二つしか備えつけられていないのだ。普段四人で話す時は、わりと行儀悪くベッドに座って済ましてしまうことが多かったせいで、こうして部屋に来るまで椅子の数のことが頭から抜けていた。

「アレか」

「ん?」

「親ガメ子ガメ作戦」

 同じことに気付いたらしきイサトさんが、ロクでもない作戦を提案する。

 親ガメ子ガメというのはアレだろう。

 俺の上にイサトさん、その上にエリサ、ライザが乗るという。

「…………」

 数瞬の沈思黙考。

 悪くない。悪くはない。

 俺はにこーっと無害そうに微笑みつつ、両手をわきわきと動かしてイサトさんへと視線を投げかけた。

「俺はそれでもいいけど?」

「え」

 がたりと椅子を引いて、どっかりと腰掛ける。

 そして笑顔でさあ来いと促してみた。

 やれるものならやってみやがれ。

「………………秋良青年が可愛くない返しを」

「俺だって学ぶわ」

「くそう……」

 悔しそうにイサトさんが肩を落とす。

 それを見届けてから、俺はふん、と小さく勝ち誇るように息を吐いて立ち上がった。実際に親ガメ子ガメ作戦をしてもいいが、そんな得体えたいのしれないブツと対話しなくてはならない彼女が可哀そうである。

「秋良青年?」

「隣の部屋から椅子取ってくる」

 後で元に戻せば、特に問題はないだろう。

 俺は部屋から出ようとして、ついでにベッドの上に座っているエリサとライザへと声をかけた。

「お前たちはどうする? お前たちの分の椅子も持ってくるか?」

「オレらはベッドの上にでもいるよ」

「了解」

 基本的に彼女と話をするのは俺とイサトさんになるだろうし、テーブルはベッドサイドに設置されているため、二人が会話する俺たちから遠すぎる、ということもない。二人がそれで良いと言うのならそれはそれで良いだろう。

 俺はそのまま部屋を出かけて、ふと振り返った。

 お茶でも、とナンパの常套句じようとうくを口走ってしまったというのに、飲み物一つ出さないのもどうかと思ったのだ。

「エリサ、ライザ、もし手が空いてたら下で紅茶でもれてきてくれないか?」

「いいぜ、わかった」

「僕も手伝う!」

 二人が張り切った様子で俺の横をすり抜けて、下へと向かう。

 ここの女将さんは、エリサやライザが獣人だからといって冷たい対応をするというようなことがない。きっと人間か獣人か、というよりも客かどうかの方が女将さんにとっては大事な問題なのだろう。二人が仲良く階段を下りて行くのを見届けてから、俺は隣の部屋へと向かった。

 椅子を担いで部屋に戻ると、俺は持ってきた椅子をテーブルの傍に下ろしてそのまま腰を下ろした。やや俺側にイサトさん、その向かいに彼女が座る、という位置関係だ。

「…………」

「…………」

「…………」

 お互いに、会話のきっかけを探しあぐねる、といったような沈黙。

 さて、何から切りだそうかと俺が考えていると……。

「あ、あの……っ」

 緊張に声を震わせながらも、先制攻撃(何か違う)に出たのは彼女の方だった。

 彼女はがたりと音をたてて立ち上がると、テーブルに額を打ちつける気なのではと思ってしまうような勢いで俺たちに向かって頭を深々と下げた。

「先日は、助けていただき本当にありがとうございました……!」

「「えっ」」

 俺とイサトさんの声がハモる。

 そしてほぼ同時に二人してがたたっ、と音を立てつつ立ち上がる。

 こう、なんというか、カラットの村でも感じたことだが、こんなにも大袈裟に感謝を示されてしまうと、どうにも座りが悪くなる。

「いや、その俺はほとんど何もしてないし。感謝ならイサトさんにしてくれ」

「いやいや何を言っているんだ秋良青年、モンスターの大部分を倒したのは秋良青年じゃないか。そこのお嬢さん、感謝ならば彼にすべきだよ」

「いやいやいや、飛空艇墜としたのはイサトさんじゃないか」

「いやいやいやいや、ヌメっとしたのを倒したのは秋良青年だろう」

 びす。

 びすびす。

 お互いに肘で小突きあいながら、感謝の矛先を押し付けあう。

 別段感謝されるのが嫌、というわけではないのだが……喉元過ぎれば熱さを忘れるというか、変なところで謙虚な日本人特性が遺憾なく発揮されてしまうというべきか、その感謝と自分のしたことが釣りあうのかどうかと考えると妙に気恥ずかしくなってしまうのだ。

「あー……」

「うー……」

 俺たちが言葉に困り、ゾンビのような声をあげている辺りで、紅茶を淹れに行っていたエリサとライザが戻ってきた。二人はテーブルを挟んで向かい合い、お互いに立ったまま困ったようにしている俺たちに訝しげな視線を向けてくる。

「紅茶、淹れてきたけど……オマエたち何やってんの?」

「あの、タイミング悪かったですか……?」

 紅茶の載ったお盆を手にしたエリサとライザが戻ってきた。

 タイミングが悪い、というかある意味ベストタイミングというか。

 エリサは立ちつくしてしまっていた俺たちに向かって、呆れたような溜息を一つついて、それからさっさと紅茶をそれぞれの前へと置いた。ライザが、軽く眉尻を下げた笑みを浮かべつつ、そっとミルクと砂糖のツボをテーブルの真ん中に置く。

「で?」

「……え?」

 軽く砂糖をティースプーンに一杯紅茶にいれて、くるくると回しながらエリサは俺たちに向かってものすごく端的に問いかけた。

 何がどう「で?」なのかがわからなくて、俺は目を丸くする。

「だから、なんでオマエらそんな立ったまま見つめあってんだよ。座れば?」

「ああ、うん」

「うん」

「はい」

 三人して年下の女の子に仕切って貰って、ようやく再びテーブルを囲むことが出来るという残念な感じである。そんな残念な大人をちらりと見て、全くしょうがねえな、という顔で再び小さく息を吐くエリサ。

 なんというか、不甲斐なくて申し訳ない。

 俺もイサトさんも、揃ってこういう空気が不得手なのである。

 真っ当な人を相手にするとペースが狂う、というあたり、俺とイサトさんはつくづく駄目かもしれない。

「あー……その」

「はい、何でしょう」

 彼女が、俺の声にぴくっと肩を震わせて顔を上げる。

 そんなに身構えられると、俺としてもそれだけの反応に見合った大事なことを言わないといけないような気になってしまって困る。

 ぐぬぬ。なんとかならないのか、この空気。

 経験したことはないが、なんだかお見合い会場っぽい。

 なんだかトチ狂ってご趣味は、とか聞きたくなってしまう。

「ええと、まあ、みんな無事で良かった、です」

 結局何か小学生の作文のようなコメントになった。

 いや、本当気になってはいたのだ。

 俺とイサトさんは、飛空艇を墜としてすぐにそのままトンズラぶっこいたので、『家』から出した後の乗客たちがどうなったのかを見届けていない。

 あの段階で既に飛空艇撃墜に気付いたらしきセントラリアの方が騒がしくなっていたし、そもそも街の周辺には自分から人を襲うようなアクティブなモンスターはいない。そんなわけで、特に心配はしていなかったのだが……やはりこうして無事な姿を見るとほっとする部分はある。

「いえ……私たちが無事に助かったのは、全て貴方たちのおかげです。だというのに、きちんとお礼を差し上げることもできず……本当に失礼いたしました」

「いやいやいやいや、逃げたのは私たちだから」

 イサトさんがひらひらと手を振る。

 と、そこで俺たちのぎこちない会話を聞いていたエリサとライザがふと話に交じってきた。

「アキラとイサトはやっぱり人助けばっかしてんじゃねーか」

「わるもの、なんて言ってるのにね」

「……ぬ」

「ぐぬ」

 エリサとライザのもっともな言葉に、俺とイサトさんが揃って言葉に詰まる。

 イサトさんは、ちみっと誤魔化すように紅茶を啜った後、ちろり、とエリサとライザへと拗ねたような視線を向けた。

 あ。これはちょっと止めた方が良いかもしれん。

 そう思って俺がイサトさんの口を塞ぐよりも先に、イサトさんはぽそりと口を開いてしまっていた。

「飛空艇の撃墜は、たぶん『わるいこと』だぞ」

「──は?」

 エリサの目がぽかんと丸くなる。

 イサトさんの言葉を理解するまでに時間がかかっているのか、完全にフリーズしてしまっている。隣のライザも同様にピシッと石のように硬直している。

 その反応に、イサトさんははちり、と瞬いた。

 それからこそっと、隣に座っていた俺の耳元に顔を寄せる。

「……秋良青年、そう言えばエリサたちには飛空艇を墜としたことは話してなかったのだっけか」

「話してない話してない」

 だから止めようと思ったのに。

 きっとエリサやライザの中での俺たちは、正体不明ながらもそれなりに腕の立つ冒険者、といった感じでしか認識されていなかったはずだ。

 それがいきなり、飛空艇撃墜の犯人である。

「…………」

「…………」

 エリサとライザは呆然としている。

 俺は椅子の前脚二本を浮かして傾けるようにしながら腕を伸ばし、俺は二人の眼前でひらひらっと手を振って見せた。

「!」

「!」

 びくっと二人の肩が揺れる。

 どうやら俺はエリザとライザの再起動に成功した模様。

「いやいやいや、確かに飛空艇墜落の話はオレたちも聞いてるけど!」

「確かトゥーラウェスト発の飛空艇が途中でモンスターに襲われて……」

「でも、たまたま落ちた雷のおかげでモンスターが死んで、助かったんじゃねーのか?」

 ほう。

 一般的にはそういう話になっているのか。

 俺たちの関与がなかったことにされているなら、それはそれでありがたい。

「じゃあそういうことd──」

「──でも」

 エリサがふと真剣な顔で言葉を続ける。

「飛空艇に乗ってた連中が、女神の使いに助けられたって言ってるって話も聞いた。漆黒の騎士がどこからともなく飛空艇に現れて、乗客を救いだしたんだって」

「……僕も、聞いた。空を飛ぶモンスターを従えた黒き伝承の民が、雷を呼んでセントラリアを救ったんだって」

 二人の視線が、俺とイサトさんの上で止まる。

「…………」

「…………」

 漆黒の騎士と、黒き伝承の民。

 その組み合わせは、俺の装備とイサトさんの外見特徴とぴったり一致する。

 まあ、一致するも何も張本人なのだが。

「い、い……」

 ふるふる、とエリサが小刻みに震えはじめた。

 が、果たして「い」とは何なのか。

 半ば俺が現実逃避気味に「い」から始まる言葉を考え始めたあたりで、どかーんとエリサが爆発した。再起動に成功したと思っていたが、そのまま回線がショートしたくさい。

「意味わかんねー!!!!

「おおおおねーちゃんしっかりー!!!

 涙目で叫びつつ、エリサがベッドの上にあった枕を俺らに向かってぶん投げる。

「おわっと!?

 俺は思わず反射的に頭をかがめてそれをけ──…その結果、エリサのぶん投げた枕は見事にイサトさんの顔面にクリーンヒットした。

「おうっ」

 ──これ、俺は何も悪くないと主張したい。


*     *


 一時は俺とイサトさんが飛空艇を撃墜した犯人であるということを知って錯乱したエリサであったが、ぶん投げた枕によりイサトさんをKOしたあたりで我に返ってくれたらしい。ちなみに枕の直撃を受けたイサトさんは、不意打ちの勢いを殺せずそのままびたんと椅子から転げ落ちた。

 戦闘の際にはグリフォンの手綱を駆って遊撃に勤しんだり、はたまたそのグリフォンの背から敵に向かって飛び降りてその胸を貫いたりとそれほど運動神経が悪いようには見えないイサトさんなのだが……どうも、普段はのたーん、としている。

 非常時に分泌される脳内麻薬的な何かがないと、その運動神経は活性化されないものなのかもしれない。

「い、イサト、本当ごめん」

「いや、私たちの方こそ驚かしてしまって悪かったな。あと、一番悪いのはあそこで避けた秋良青年だ」

 しょんもりと項垂れたエリサが気づかわしげにイサトさんを覗き込み、それに柔らかく微笑んだイサトさんが応じていたりするわけなのだが。

 何かしれっと全部悪いのは俺のせいにされた感。

「…………」

 物言いをつけるほどのことではないので、おとなしく俺のせいにされておく。

 それから落ち着いたエリサがベッドの上に戻ったところで、改めて俺たちは彼女へと向き直った。

 エリサのおかげで、妙な気まずさが粉砕されたような気がしないでもない。

 ここはこのまま、彼女を俺たちのペースに巻き込んでしまうことにしよう。

「えーっと、なんかいろいろあったがとりあえず自己紹介から始めるか」

「そうだな、それが良い」

 もともと隠す気もなく、彼女の前でも平気で呼び合ってしまっていたので、彼女はある程度俺たちの名前を把握しているだろうが、俺たちは彼女のことをまだ何も知らないのだ。自己紹介は大事だ。

「わりと今更な感じだけど、俺はアキラだ。アキラ・トーノ。アキラって呼んでくれ。冒険者をやってる」

「私はイサトだ。イサト・クガ。イサトと呼んでくれると良い。秋良青年と同様冒険者をしている」

「……、」

 俺とイサトさんの自己紹介に、彼女は少しだけ驚いたように息を吐いた。

 何か物言いたげな様子だが、ひとまずは俺たちの自己紹介を最後まで聞くことにしたらしい。そんな彼女へと、エリサとライザがベッドの上から名乗りを上げる。

「オレはエリサ。こっちが弟のライザだ」

「ライザです」

 エリサとライザは、まだ少し警戒しているのか名乗りが短めだ。

 こちらの自己紹介が終わると、彼女はそっと自分の胸のあたりに手をあて、俺たちを順番に見つめながら口を開いた。

「私は、レティシア・レスタロイド。トゥーラウェストのレスタロイド商会の末娘です」

「……」

「……」

 よほどギルロイ商会の連中のことがトラウマになっているのか、エリサやライザは彼女の口から「商会」という言葉が出ただけで苦虫を嚙み潰したような顔をした。それに、彼女、レティシアが困ったように眉尻を下げる。俺はそれをとりなすように言葉を続けた。

「だから君はこちらの商人ギルドにも出入りしていたわけなんだな」

「はい」

 レスタロイド商会、か。

 この世界のことをよく知らない俺たちにとっては、初めて聞く名前だ。

 トゥーラウェストの商会だということで、エリサやライザも彼女の実家については知らないようだ。

 セントラリアのギルロイ商会は獣人を利用して相当あくどいことをしているわけだが、果たしてレスタロイド商会はどうなのだろうか。

 また、トゥーラウェストの商会であるレスタロイド家の末娘である彼女が、いったい何の用があってセントラリアの商人ギルドを訪ねていたのかも気になるところだ。先ほど見た感じだと、あまり和気藹々あいあいとしているようには見えなかったわけだが……。

 聞きたいことは、たくさんある。

 けれど、それらを聞く前に一番の前提として最初に聞いておかなければいけないことがある。俺は、ちらりと一度視線をベッドの上のエリサやライザへと向けてから、彼女に視線を戻して口を開いた。

「最初に確認しておきたいんだけど、君は……」

「レティシア、と呼んでください」

「じゃあレティシアは、獣人のことをどう思ってる?」

 まっすぐに彼女を見据えて、俺は直球で問いかける。

 エリサやライザの前でこんなことを聞いてしまうのは、無神経にも過ぎるかもしれないが、今回の話をする上では一番大事なことだ。

 レティシアがセントラリアにいる多くの人たちのように、獣人を略奪者ルーターと差別するようなことがあるのならば、彼女は俺たちの情報提供者として相応ふさわしくない。気持ち的な問題としてもそうだし、獣人側に対して偏見を持っている人間がその偏見をなくそうとしている俺たちに有用な情報を提供してくれるとは思えないからだ。

 レティシアは俺の問いに答える前に、一度視線をエリサやライザへと向けた。

 別に何の期待もしていない、といった顔で俺たちを見ている二人に対して、少しだけ悲し気に彼女は顔を曇らせた。それから、自分の中にある言葉を手探りで掬い上げるように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

「素晴らしい取引相手だと思っています。……それと同時に、手ごわいライバルであるとも」

 ふむ。

 今のところ彼女の答えは、俺たちの抱く理想に限りなく近い。

 俺とイサトさんはちらりと視線を交わしたのち、今度はイサトさんの方から詳細を訪ねてみる。

「もう少し詳しく聞いても?」

「……はい」

 俺たちがその答えからレティシアを見定めようとしていることがわかっているのか、彼女の声には微かに緊張の色が滲んでいた。それでも、レティシアは俺やイサトさんから視線をそらさない。

「現在、この世界では私たち人間は『女神の恵み』を手に入れることができなくなってしまいました。そんな中で、『女神の恵み』を未だ手に入れることができる獣人種の方々が、我々と取引をしてそれを流通させてくれるのならば、彼らは私にとっては素晴らしい取引相手だと思います」

「では、手ごわいライバルである、というのは?」

「彼らが取引してでもほしい、と思うものを人間側が供給できなくなれば、取引は一方的になり、バランスは崩れます。そう考えると、商人としては手ごわい、と感じてしまうのです」

「……なるほど」

 彼女には、獣人種と人間の抱える問題が俺たちと同程度には見えている。

「それじゃあ、少し意地悪なことを聞いてもいいか?」

「はい、何でしょう」

「君の目から見て、セントラリアはどう見える? 人間側にとって非常に有利な状況だと言えると思うんだが」

 すっと目を細めつつ、聞いてみる。

 同じ人間である俺からの問い故に、彼女は少し迷うように瞳を揺らした。

「これはあくまで私の私見ということで構わないでしょうか」

「ああ、構わない」

「……うまくない、と思います」

「うまくない?」

 彼女は「良い」「悪い」ではない判断基準でもって、セントラリアの現状についてを表してみせた。

「私は、商人です。場合によっては情よりも利益で物事を判断することも厭わない身です」

 彼女はそんな風に、自分自身の立場を語る。

 それはきっと、彼女の行動基準が「正しいかどうか」というだけではないということなのだろう。この場合、問題となるのは彼女の「うまくやる」の基準がどこにあるか、だ。ギルロイ商会が今していることだって、見方を変えれば十分「うまくやっている」と言えなくもないのだから。

 続きを促すような視線を向けると、彼女はゆっくりと自分の考えをまとめながら言葉を続けた。

「セントラリアでは、商会が『セントラリアから離れられない』理由のある獣人の方々から『女神の恵み』を安く仕入れています。これは一見我々人間側にとても有利であるように見えますが……短いスパンでしかこの優位性は保たれません」

「……どういうことだよ」

 レティシアの言葉は、エリサとしてもスルーしきれなかったらしい。

 彼女は、エリサに対して申し訳なさそうに眉尻を下げつつも、言葉を止めようとはしなかった。きちんと自分の意見を口にしなければ、信用を勝ち取ることができないということを分かっているのだ。

「失礼なことをお聞きしても良いですか?」

「……なんだよ」

 警戒した風のエリサに対して、レティシアは静かに問いかける。

「エリサさん達は、どうしてセントラリアを離れないのですか?」

「ギルロイ商会の連中に借金があるからだ」

「では、どうして借金を踏み倒して逃げようとはしないのでしょう?」

「……っ」

 レティシアの言葉に、思わずと言ったようにエリサが息を吞んだ。

 まさか商会側の人間に、ここまで単刀直入な質問をぶつけられるとは思っていなかったのだろう。エリサは口をへの字にして黙り込む。それをエリサが気を悪くした故の沈黙だと思ったのか、レティシアは申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にしようとして……それに重ねるように答えたのはライザだった。

「それは、僕の体が弱いからだよ」

「…………」

 エリサは口が悪かったり、素直じゃない部分はあるものの、基本的にはライザの良い姉であろうと努力している。そんなエリサにとって、ライザの存在が家族の足枷あしかせになってしまっている、というようなことは、口に出したくなかったのだろう。

「そう、ですか……」

 レティシアは一度痛ましげに目を伏せたものの、そっと再び質問を口にする。

「もしも……もしも、ライザさんの身体の心配をしないでもすむようになったなら、どうですか?」

「出ていく、かもしれないね、お姉ちゃん」

「ああ、そうだな」

 そうだろう。

 エリサやライザの両親が人の社会に見切りをつけられない一番の理由は、ライザのための薬を手に入れるためだろう。その必要さえなければ、きっと借金を踏み倒し、人の社会から外れて生きることを選んでいたのではないだろうか。

 レティシアはエリサやライザの言葉に、ふっと息を吐き出した。

「それでは、うまくないと私は思うのです。ギルロイ商会は、獣人の方々を利用して安く『女神の恵み』を手に入れることで利益を上げていますが、今聞いた通り獣人の方々は機会さえあれば街を離れたいと思ってしまっています。獣人の方々は、取引を続ける意思がないのです」

「そんなの、当たり前だろ。こんな状態、続けたいって思う獣人がいるわけねー」

「ですが、人間側はそれを望んでいます」

「それ、いつまでもオレらにずっと良いように利用されてろってことかよ……っ」

「違います」

 きっと視線を強めて睨むエリサにも怯まず、レティシアはまっすぐとその怒りに燃える暗紅の瞳を見詰め返した。

「獣人と人間側で比べれば、人間側の方が獣人の方々との取引に依存した生活をしているのです。エリサさんやライザさんは、必要さえなくなれば街での生活を捨てても良い、という覚悟を持っています。ですが、人間側はどうでしょう? セントラリアで生活する人々のうち、『女神の恵み』が手に入らなくなった後の生活に備えている人がどれくらいいるでしょうか」

 それはきっと、彼女が最初に言った『獣人側が取引してでもほしいもの』に『街での生活』が値するか、ということなのだろう。

 確かに、通りすがりの俺の目から見てもそのバランスはすでに危ういと思う。

 だからこそ、いざとなったら逃げちまえ、とそそのかしているぐらいなのだ。

 現状のセントラリアに、獣人が耐えてまで残る価値はないように見える。

「そういう意味で、私はセントラリアの現状はうまくない、と思っています。自分たちが供給できるものの価値を、自分たちで壊してしまっているように見えるのです。

 だから、私はセントラリアに来ることにしたんです。家族には反対されたんですけど」

「なんでまた」

「レスタロイド商会も、トゥーラウェストでは大きな商会ですから。セントラリアの商人からしたら、自分たちの縄張りを荒らしに来たと受け取られてしまいかねません」

「あー……」

 俺はレティシアの言葉に何となく納得の声をあげていた。

「だから、レティシアは一人なのか」

「……はい。世間知らずのひよっこが力試しに来た、ぐらいならあまり角が立たないでしょう?」

 レティシアは苦笑混じりにそういうものの、すぐに真面目な調子に戻って言葉を続けた。

「セントラリアでの人間側の暴挙が、人間と獣人全体の関係にも影響していると思うと、やはりこのままギルロイ商会のやり方を放っておくわけにはいかない、と思ったんです」

「それはそう、だろうな。セントラリアでギルロイ商会に良いように使われて苦渋を舐めた獣人が、他の街でまた同じように人間と取引をするつもりになるか、と言われたら難しいだろう」

「実際、何人かの獣人の方から、セントラリアを離れてトゥーラウェストに来たい、というお話をこちらでも受けていたのですが……結局来てはいただけませんでした」

「……え?」

 イサトさんへと相槌を打ったレティシアの残念そうな声に、はっとしたようにエリサとライザが顔をあげた。その顔に浮かんでいるのは、レティシアの言葉に対する疑念と……不安、だろうか。

「待てよ、そんなはずねーぞ」

「え……?」

 強い調子で言われたエリサの言葉に、今度はレティシアが戸惑ったように瞳を揺らす。

「くだらない噓ついてんじゃねー」

 エリサはそう吐き捨てるように言うと、苛立ったように身体ごと横を向いてしまった。珍しく、ライザもそんな姉の頑なな態度を諫めたり、レティシアに対してフォローしようとはしていない。ただ、不安そうに顔を俯けている。

 一度軽く俺に視線をやってから、イサトさんは席を立つとそっぽを向いて黙り込んでしまったエリサの隣に腰かけた。

「エリサ」

「……なんだよ」

「どうして、レティシアの言葉が噓だと思ったんだ?」

「だって……っ」

 エリサが顔をあげる。

 その瞳には、うっすらと涙すら浮かんでいた。

 エリサは何かを訴えかけるようにイサトさんを見つめるものの、なかなかそれを言葉にしようとはしない。まるで、自分の中にある疑念を確かめてしまうことを怖がっているかのようだった。

 俺は、深く息を吐き出した。

 これまでの会話の流れで、ここまでエリサが拒絶反応を示す理由。

 そんなのは簡単に想像がついた。

 そして、それをエリサとライザが認めたくないと思ってしまう理由も。

「……誰か、お前たちの知り合いがトゥーラウェストに向かったはず、なんだな?」

「……っ」

「……っ」

 俺の言葉に、エリサとライザの肩が小さく跳ねる。

 そう。

 エリサとライザがレティシアの言葉にここまで強い拒絶反応を示したのは、きっと誰か実際にセントラリアを見捨て、トゥーラウェストに向かった獣人らに心当たりがあるからに違いない。

「レティシア」

「は、はいっ」

「レスタロイド商会に繫ぎをとっていた獣人の名前はわかるか?」

「はい、それならすぐに」

 そう言うと、レティシアは足元に置いていた大振りの鞄から手帳を取り出してぱらぱらとめくっていく。

「ありました。ロッゾ・ルレッタ夫妻とその娘カネリ、それとシーカス・タニア夫妻とその息子、レンとミーシャ。それから……」

 レティシアは次々と名前を挙げていく。

 そして、その朗読が続くにつれて、エリサとライザの顔色はどんどん悪くなっていった。

「──以上になります」

 四組の家族と、未婚の男女が数人。

 レティシアの読み上げた名前は二十人ほどにも及ぶ。

 そして──……

「その全員が、トゥーラウェストには到着していないんだな?」

「……はい」

 事情が吞み込めてきたのか、レティシアの顔も青褪あおざめている。

「レスタロイド商会ではないところに身を寄せた可能性は?」

「ゼロではないとは思いますが……可能性は低いと思います。もしそのようなことがあれば、商人ギルドで話題にならないはずがありませんから」

「レスタロイド商会を出し抜いてしまった、ということでどこかの商会がほとぼりがさめるまでかくまってる……っていうのは?」

「こちらも可能性は低いと思います。トゥーラウェストはセントラリアと違って獣人の方が少ないので……。街に出ず、屋内でのみ生活している、というのならそれもあるかもしれませんが……」

 あまり、現実味はない。

 そもそも、セントラリアでの不自由な生活を嫌って出奔したはずの人々が、自由に外に出ることも儘ならない隠遁生活を選ぶとは思えない。商会にしても、いくら『女神の恵み』を手に入れることができる獣人とはいえ、外に出せないのではただの不良債権だ。そんな存在を好き好んで何人も抱え込む商会はないだろう。

 では──…セントラリアを出発したはずの獣人たちはどこへ消えた?

 嫌な予感に、背筋がぞわぞわと毛羽立つ。

「エリサ、ライザ、辛いかもしれないが答えてくれ。さっきレティシアが名前を挙げた人たちは、皆本当にセントラリアを出発したのか?」

「…………」

 こくり、とエリサが小さくうなずく。

「僕たち、見送ったんです」

 震える声で、ライザがぽつりと呟いた。

「いってらっしゃい、て西門から出ていくみんなを、見送ったんです……っ」

「みんな、落ち着いたら連絡するって言ってた。あっちでガンガン稼いで、まとまった金ができたらセントラリアに残ってるオレたちのことも呼んでやる、って」

 ぽろぽろ、とエリサの頰を大粒の涙が零れ落ちていった。

 ああ、本当に。

 俺たちと出会ってから、エリサは泣いてばかりだ。

 俺たちは、エリサを泣かしてしまってばかりいる。

「……なあ、アキラ、みんな、どこに行っちゃったんだよ。ずっと、オレらは待ってたんだ。なあ、アキラ、どうしたらいいんだよ、オレ、あいつらのことちょっと怒ってたんだ……っ」

 セントラリアを先に見放して、出ていってしまった仲間たち。

 準備ができて、用意が整ったら連絡する、いつか助けてやるから、なんて言葉を残して旅立っていきながら……やがて連絡は途絶える。

 もしも、セントラリアからトゥーラウェストへの道のりが危険なものであり、命がけの旅であったのならば、きっと残されたものは旅立ったものたちの安否を気遣っただろう。

 けれど、実際はそうではない。セントラリアからトゥーラウェストへの道のりは、時間さえかければ誰でも徒歩で踏破できる程度のものだ。だからこそ連絡を待ち続けた残されたものたちは、きっとセントラリアごと見捨てられたかのような気落ちを味わったのだろう。

 エリサが言ったように、自分たちだけが助かれば、かつての仲間のことはどうでもよくなってしまったのかとやりきれない怒りを感じたりもしただろう。その怒りや、それでも先に旅立ったものの助けがなければセントラリアを脱出することもできないという引け目が、きっと彼らの失踪の発覚をここまで遅れさせてしまった。

「まさか、こんなことになっていたなんて……」

 レティシアが茫然と呟く。

「私は……私たちレスタロイド商会側は、獣人の方々が私たちを信用してくださっていないから、土壇場でセントラリアを出ることをやめたか、もしくは別の都市に行ってしまったのだとばかり思っていました。だから……私がセントラリアに来て、直接獣人の方々と交渉するつもりでいたのです」

 エリサやライザは、セントラリアに残されている獣人はもうそう多くはないと言っていたはずだ。セントラリアを見放すだけの強さを持った獣人のほとんどはセントラリアを出ていった、と。

 エリサの隣に座り、その背をなだめるように優しく撫でてやっていたイサトさんがすっくと立ち上がった。

「秋良青年、確かめよう」

「ああ。レティシア、ちょっと力を貸してくれるか」

「はい……っ!」

 俺は、ベッドの上で悄然と項垂れているエリサとライザへと向き直る。

 そんな二人の姿は、見ていて痛ましく、一回りも二回りも小さくなってしまったように見えた。

 これから、俺たちが暴こうとしている事実は、ますます二人を傷つけることになるかもしれない。知らなければ、エリサとライザはこれまで同様の日常を送ることができるのかもしれない。

「エリサ、ライザ」

「…………」

「…………」

 俺の呼びかけに応えるように、エリサとライザが顔をあげる。

 涙に滲み、赤くなった二対の双眸が俺を見る。

「俺は、お前たちを助ける。それは約束した通りだ。でも……もし辛いなら、お前たちは俺たちに付き合わなくてもいい」

 何も知らないまま、助かる道を選んだとしてもいいのだ。

 よくわからないけど解決したっぽい、ぐらいのふわふわした認識でいたって構わない。辛い現実になど、直面する必要はない。

「ちょっと行ってくる」

 俺は、ぽんぽんと二人の頭を撫でた。

 柔らかな緋色の癖っ毛をくしゃくしゃとかき混ぜる。

 俺は、二人がどんな決断を下したとしてもその意思を尊重するし、その決断によって二人への態度が変わることはない。

 そんな気持ちを込めて二人の頭を撫でて──…俺はイサトさんとレティシアとともに部屋を後にした。


*     *


 宿を出たところで、俺は腹の底にわだかまった嫌な感じを散らすようにほう、と一息ついた。

 なんとも、予想外の展開である。

 陰険な商人に一泡吹かせてやろうと思っていただけだったはずなのだが……どうも事態が思わぬ方向に転がり出している。

「イサトさん、どう思う?」

「……うーん」

 難しそうにイサトさんが唸る。

 どうも納得がいっていない、という顔だ。

 が、俺から話を振ってしまったとはいえ、ここでこのまま話をするのもアレだ。どこでギルロイ商会の息のかかった者に話を聞かれているかわかったものではない。とりあえず、先に街を出ることにした方が良いだろう。

「まあ、そのあたりはおいおい話していくとして……どこから行く?」

「どのみち全部確認するつもりなら、私はどこからでも構わないよ」

「それじゃあ……」

 俺は、思いつめた表情をしているレティシアへと目を向けた。

「レティシア、セントラリアから脱出した獣人たちが選びそうな都市ってトゥーラウェスト以外だとどこが多そうかわかるか?」

「……トゥーラウェストを除くとなると、一番可能性が高いのはエスタイーストだと思います。次に、サウスガリアンでしょうか」

「へえ、ノースガリアは人気がないのか」

 そんな風に言いつつ、俺はとりあえず南門へと足を向ける。

 本命をラストに残す、というよりも単に俺たちの宿から一番近い門が南というだけなのだが、二人が何も言わずについてきたあたり、特に異論はない、ということでいいのだろう。

「ノースガリア、綺麗なのにな」

「なー」

 ノースガリアは、セントラリアの北、極寒の地に作られた都市国家である。

 俺もゲーム時代にはちょいちょいお世話になったが、「白亜の城」なんて言葉が似合う、どこか静謐せいひつな空気に包まれた美しい国だった。氷を思わせるクリスタルをふんだんに使った街並みは、ゲーム内ではスクリーンショットを撮る撮影場所として人気が高かった。街の奥にある大神殿などは、プレイヤーが行う結婚式──プレイヤー同士でやるごっこ遊びのようなもの──の開催場所としても賑わっていたはずだ。俺も、何度かそんな光景を見たことがある。

 そんなノースガリアが、セントラリアから逃げ出そうとする獣人たちの受け皿として人気がない、というのは少しだけ意外な気がした。

 確かに極寒地域ということもあり、エリアによってはあらかじめ準備をしないと状態異常扱いでエリア内にいるだけでHPが減少する、というデメリットもあったが……それはサウスガリアンも同じだ。南は南で、暑さによる状態異常エリアが広がっていたりするのである。

 それでノースガリアを避けるあたり、獣人というのはもしかすると人間以上に寒さに弱かったりするんだろうか。

「…………」

 と、そこでレティシアが何かもの言いたげな視線をちらちらと向けているのに気づいた。何か聞きたいことがあるものの、それを口にしてもいいのかどうかを迷っている、というような顔だ。

 聞かれて困るようなことならばこちらで適当に誤魔化せばいいだけの話なので、俺は何気なく首を傾げてレティシアへと話を向けてみることにした。

「どうかしたか?」

「いえ……その、ノースガリアの人気がないことを不思議そうにしてたので」

「ああ、俺たちは最近このあたりに来たばかりの旅人でなー」

「まだあまりこのあたりのことをよく知らないんだ」

「…………」

 俺の隣から、イサトさんも援護のように口を開く。

 この世界に来てから出会った人々には、基本「物を知らない田舎者」という設定で誤魔化してきているので、レティシアに対してもそのつもりである。

「そうなんですね。お二人はノースガリアには行ったことがあるんですか? ものすごく寒いけれど……建物なんかはとても綺麗だと聞いたことがあります」

「そうだなあ、建物は凄く綺麗だよ。街全体がエルフの女王の張った結界に包まれててな」

「空から差し込む淡い光に、水晶の街並みがきらきら光ってるんだ」

「…………」

 お?

 俺たちの言葉を聞いたとたん、レティシアは雑踏の中でぴたりと足を止めてしまった。

 何かまずいことを言ってしまっただろうか。

 俺はちらりとイサトさんを見てみる。

 イサトさんも、今のやりとりで何がまずかったのかを測りかねているのか、やっぱり不思議そうに瞬くばかりだ。

 それに対して、レティシアは俺たちへと緊張のこもった眼差しを向けた。

 そして、静かに口を開く。

「イサト様とアキラ様は──…どちらから来られたのですか?」

「「え」」

 俺とイサトさんは思わず顔を見合わせる。

 カラット村やエルリアにおいては「どこか遠く」という適当な誤魔化しが通用していたのだが、こうして正面から「どこ」と聞かれると困る。

「ええっと……カラットのあたりだよ」

 噓はついてない。

 セントラリアに来る前は、確かに俺たちはカラットにいた。

 トゥーラウェストや、エルリアではなく、カラットという辺境の小さな村の名前を出したのは、その響きから適当にレティシアが「どこか遠く」だと認識してくれれば良いと思ったからだ。

 が、俺のそんな誤魔化しは通用しなかったらしい。

「アキラ様とイサト様が、自らの存在を隠しておきたいのなら、それはそれで構いません。ですが……」

 困ったように、眉尻を小さく下げてレティシアは笑った。

「それなら、もっと気を付けた方がいいです」

「……う」

 どうやら俺とイサトさんは、うまく誤魔化したつもりで、何か墓穴ぼけつを掘ってしまっていたらしい。

 こうなったら下手に隠し立てするよりも、開き直った方がいいだろう。

 レティシアも、俺たちに対して無理に追及するような気はないようだし。

 俺はぽりぽりと頭をかきつつ、レティシアへと聞き返した。

「えっと……今のやりとりのどこがまずかった?」

「ノースガリアです。ノースガリアは……すでに滅んだ国なんです」

「……っ」

 イサトさんと二人、息を吞んで思わず顔を見合せた。

「かつてはエルフの女王によって結界が張られ、美しいクリスタルの都市が栄えていたとは言われているのですが……結界がなくなった今、廃墟が雪に埋まるばかりだと聞いています」

 ああ、そうか。

 俺たちは知っているはずだ。

 エルフが、「白き森の民」と呼ばれた存在が、もうとうにこの世界からは途絶えてしまっていたことを。

 エルフがいなくなれば、ノースガリアを降りやまぬ雪から守る存在もなくなるのは当然だ。

 雪と氷に閉ざされ、白に吞まれて滅んだ美しい国。

 ゲーム内でしか知らないとはいえ、馴染み深い場所が今ではもうなくなってしまったのだと思うと、喪失感に心がわずかに重くなる。

 が、そのおかげで俺たちがとんでもない墓穴を掘ったのは理解した。

 そりゃそうだ。

 俺とイサトさんは、未だに「ノースガリア」という国があるつもりで話をしてしまっていたのだから。

「ノースガリアで何があったんだ?」

「……わかりません。ただ、『セントラリアの大消失』と関係している、という話は伝わっています」

「セントラリアの大消失……?」

 また、俺たちの知らない言葉が出てきた。

 おそらく、きっとこのあたりのことも、この世界においては「当たり前の歴史」の話なのだろう。

 俺たちが知るゲームとしてのこの世界の形と、今俺たちがいるこの世界に至るまでの空白。

 レティシアは俺たちへと説明を続けながら、再びゆっくりと歩き出す。

「今から何百年も前に、セントラリアは一度滅んだらしいんです」

「セントラリアも滅んだって……」

 あちこち滅びすぎである。

「ある朝、いつものようにセントラリア近郊に暮らす農夫が朝市に出すつもりの野菜を荷馬車に載せてやってきたところ、門に騎士の姿が見当たらず……首を傾げながらも足を踏み入れた先にあったのは、誰もいないセントラリアだったんだそうです」

「街の住人が……一晩で消えた、ということか?」

「……はい」

「マリーセレスト号事件めいているな」

「確かに」

 マリーセレスト号。

 それは、大海原を彷徨う幽霊船の一種だ。

 つい先ほどまで人々がいた気配だけは残っているのに、乗組員は誰一人として見つからない幽霊船。

 世界七不思議に入ってるんだったか入っていないんだったか。

 思わずそんな怪談を思い出してしまうエピソードである。

「何があったのかは、今でもわかっていません。目撃者はおろか、朝になるまで近隣の人間は誰もそんなことが起きているなんて気づいていなかったのですから」

「なるほどな……ノースガリアでも同じことがあったのか?」

「そのよう、です。ノースガリアは白き森の民の国だったと言われているのですが……やはりある日旅人が訪れたときには、もうもぬけの殻だったのだと言われています」

「……サウスガリアンはどうだったんだ? サウスガリアンにはダークエルフが、黒き伝承の民がいたはずだ」

 そう。

 ノースガリアとサウスガリアン、名前が似ているのには理由がある。

 どちらも、エルフ種族が中心となって栄えている国なのだ。

 北はエルフ、南はダークエルフ。

 自然環境の厳しいエリアだからこそ、精霊たちに愛された種族であるエルフとダークエルフが繁栄していたのだろう。

「サウスガリアンも……知らせを聞いた人々が黒き伝承の民が直接治める遺跡を訪れたときには、もうそこには誰も……」

 俺たちの間に、沈黙が降りる。

 セントラリアの大消失。

 消えたエルフとダークエルフ。

『女神の恵み』が手に入らなくなった人間種。

 セントラリアに飛空艇を墜とそうとした謎のヌメっとした黒い人型。

 俺らの知らないところで、何かが起きている。

 もしかしたら、「異世界人である俺たちの召喚」もこの世界に起きている異変の一つであるのかもしれない。

 もしそうだとしたのならば……この世界のどこかに、俺たちと同様に迷い込んでしまったお仲間がいる可能性だってある。

 もし本格的にレティシアと協力関係が結べるのならば……そのあたりの情報収集であったりも、頼みたいところだ。

 俺は、ちらりとレティシアへと目を向ける。

「なあ」

「はい?」

 少し、緊張したような声と眼差し。

 けれど、警戒はない。

「レティシアは、俺たちが怖くはないのか?」

 思えば、先ほど路地裏で俺たちに再会したときだって、彼女の目に怯えの色はなかった。そんな彼女は、俺たちが「ただの凄腕の冒険者」ではないことも知った上で、どうしてこうして俺たちと一緒に行動を共にしてくれているのだろう。

 我ながら、逃げられてもおかしくないとも思うのだが。

「怖くなんか、ありません」

 俺の問いかけに、そう言ってレティシアはふわりと微笑みを浮かべた。

 柔らかいのに、どこか強かさを感じる笑みだ。

 綺麗だな、となんとなく思った。

「……自分でいうのもなんだが、俺たち、結構得体が知れないぞ?」

「はい」

 きっぱりと頷かれてしまった。

 これはこれで、なんだか微妙な気がしてちょっと目が泳ぐ。

「きっと……イサト様とアキラ様が、私を助けてくれたからだと思います。あの時飛空艇で、私は死を覚悟してました。そんなとき、お二人が颯爽さつそうと現れて私たちを助けてくださったんです」

 少し、照れくさそうにレティシアが微笑む。

「私には──…お二人が、まるで女神から遣わされたいにしえの英雄のように見えたんです。だから……お二人が普通の人じゃないことなんて、最初からわかってたようなものなんです」

「…………」

「…………」

 真正面から讃えられて、俺とイサトさんは揃ってぎくしゃくと顔を伏せた。

 耳がじんわり熱い。

 どうも、こういうのは慣れない。

 イサトさんの、銀髪からツンと飛び出したエルフ耳の先っちょもほんのりと朱色に染まっている。

「まあ、あれだ。うん」

「うん。あれだ」

 何だろう。

 とりあえずイサトさんに相槌を打ってはみたものの、謎である。

 そうこうしているうちに、先に立ち直ったのはイサトさんだった。

 まだ少し目元を赤くしつつも、ふん、と顔をあげてレティシアを見る。

「だが良かったよ。君が怖くない、と言うなら安心して──…巻き込むことが出来る」

「え」

 ぴし、とぎこちなくレティシアの動きが固まる。

 可哀そうに。

 おっさんに迂闊うかつなことを言うから、振り回されることになるのである。

 まあ、俺も人のことは言えないが。

「……そういう意味じゃないと思うけどなー」

 謎の負け惜しみめいたイサトさんの言葉に小声でつっこみつつ。

 俺たちはセントラリアの南門をくぐったのだった。


*     *


 そして。

 大空にレティシアの物悲しげな悲鳴がこだまする。

「ひ────────────────!」

 もちろん、グリフォンに騎乗してのことである。

 今回の騎乗順はイサトさん、レティシア、俺、だ。

 やっぱり俺が手綱を握り、バックシートも兼ねているわけなのだが……体勢上背後からレティシアを抱きしめるような形になってしまうことに戸惑いを感じずにはいられない。これまでは気心の知れたイサトさんが相手だったから、俺だってまあいいか、と思えていたのだ。まだ出会って間もない女の子に、命綱を兼ねているとはいえこうして腕を回すのはなんとなく躊躇ってしまう。

 身長的には「イサトさん>レティシア」だったので、アーミットの時と同じでいいじゃないか、と思っていたのだが……途中で本気で怖がったレティシアに泣きを入れられてしまったのである。ジェットコースターなんかでも、一番怖いのは先頭だと言う話を聞いたことがあるので、レティシアが怖がるのも仕方のないことなのかもしれない。

 そんなわけで、イサトさんとレティシアの位置を入れ替え、何とか俺たちはサウスガリアンを目指しているのだが……。

「う、ぐぐぐぐ……」

 イサトさんが時折呻いているのが聞こえるのは、レティシアが力任せにぎゅうぎゅうイサトさんに抱き付いているせいだろう。

 締め技めいているが大丈夫かアレ。

 時折ギブアップのタップめいて、イサトさんがぺしぺしとレティシアの腕を叩いているわけなのだが、余裕のないレティシアはそんなイサトさんのコールを綺麗にスルーし続けている。

「も、モツが……モツが……」

 そんな呻き声を聞きながら、俺はイサトさんのモツの無事を祈りつつ、サウスガリアンへと急ぐのだった。


*     *


 サウスガリアンの街につながる門が見え始めたところで、俺たちは人目につかない岩陰に降りることにした。

 サウスガリアンの目の前だけあって、こうして地上に降りるとむっとするような熱気とともに、鼻先を微かに硫黄の香りが漂う。RFCにおけるサウスガリアンは火山に囲まれた工業国で、人よりもドアーフのような亜人種が多く、質の良い武器や防具を店売りで手に入れることができた。RFCプレイヤーの多くは、サウスガリアンでレベルに応じた武器を買ったり、必要な材料を集めた上でNPCのドアーフ職人に依頼して武器や防具を作ってもらったことがあるはずだ。俺も今のドロップ武器に落ち着くまでは、さまざまな剣を鍛えてもらったものだ。

 もしかすると、ノースガリアとサウスガリアンの違いはそこにあったのかもしれない。ノースガリアは、エルフの女王を司祭としてまつる神殿を中心とした、本当にエルフによるエルフのための国、といった感じだったのだ。

 それに比べると、サウスガリアンは少し様子が違う。

 ダークエルフの女王が司祭として祀られる神殿があるのはノースガリアと変わらないのだが、サウスガリアンはその一方でドアーフや獣人、人間による工業地帯としても栄えている。その結果、サウスガリアンはダークエルフが姿を消しても都市国家としての形を残すことに成功し、一方のノースガリアは国ごと滅んでしまうことになったのだろう。

 周囲をひとしきり観察して、それから俺はちらりと視線を連れの二人へと戻した。なんというか、二人して疲労困憊こんぱい、といった態である。

「……大丈夫か?」

「だ、大丈夫、です……」

 俺の問いかけに、顔面蒼白のレティシアが答える。

 それはいいとして、無言でおなか回りを撫でているイサトさんの安否が気になるところである。

 モツは無事か。

 何気なく隣に並んで様子をうかがうと、イサトさんは小声で「内臓の配置が微妙に変わったような気がする……」などと謎のコメントをのたまった。

 それから俺の視線にふと気付いたように瞬いて……、にまーとタチの悪い笑みがその口元に浮かんだ。

 意外と元気だな、おっさん!

 なんだか嫌な予感しかしない顔である。

 イサトさんはうりうり、と肘で俺の脇腹のあたりを小突きながら言う。

「役得だったな、秋良青年」

「…………」

 何が、なんてわざわざ聞くまでもない。

 グリフォンでの移動の間、俺とレティシアが密着していたことをからかっているのだろう。

 おっさんか。

 おっさんイサトさんだ。

 俺は「はあ」と深々と溜息をついた。

 半眼で溜息をついた俺に、イサトさんは満足そうにふっふっふっふ、と笑いながら赤茶けた大地を歩いていく。

 役得なら普段から存分に味わっているわけなのだが、どうしてこのおつさんはこうも華麗に自分のことを棚上げしやがるのか。

 一度とことん問い詰めてみたい。

 小一時間正座で問い詰めたい。

「……まったく」

 俺は小声でぼやいて、少しだけ足を速めてイサトさんへと追いついた。

 そして、そろそろ良いか、とばかりにセントラリアでは口にするのがはばかられた疑問についてを口にしてみる。

「なあ、イサトさん」

「なんだ?」

「本当にギルロイ商会がそこまでやったと思うか?」

「うーん……やっぱりそこだよな」

 そう。

 問題はそこだ。

 イサトさんも同じところで引っかかっていたらしい。

 セントラリアから脱出した獣人、というのがギルロイ商会にとって厄介なものなのはわかる。純粋にギルロイ商会の労働力が減る、というだけでなく、その獣人たちが別の商会に属することにでもなれば、ライバルの強化にすら繫がるからだ。味方になるどころか敵の戦力になりうる相手ならば消してしまった方が都合が良い──…というのは、考え方としてはアリといえばアリなのだが……。

「レティシア、ギルロイ商会のやり口について聞いてもいいか?」

「はい」

 俺は頭の中でこれまでに知りえたギルロイ商会についての情報を整理する。

 十数年前より、「獣人が『女神の恵み』を独占する略奪者ルーター」であるという差別意識をセントラリアに広め、獣人から富を奪い返しても構わないという風潮を作りあげたギルロイ商会。

 その一方で、セントラリアの街の中に居場所を失った獣人たちに金を貸すことで援助し、『女神の恵み』を手に入れるための労働力を確保した。

「『女神の恵み』は一律の価格で買い取られなければならない」という法律を悪用して低価格で買いたたき、獣人たちから財力を奪い、街で暮らすためにはギルロイ商会に従属するしかない環境を作りあげた。

 えげつない手腕ではあるが、ある意味見事だとも言える。

「ギルロイ商会にライバルはいなかったのか?」

「ライバル、ですか?」

「『女神の恵み』を独占したりしたら、他の商会はいい顔をしたりはしないんじゃないか、と思って」

 普通なら、利益の独占は同業者からも嫌われる。

 獣人との取引の窓口をギルロイ商会一本に絞るなど、他の商会が素直に認めるとは思えないのだが……。

「ギルロイ商会は……『女神の恵み』は独占しましたが、どうやらその利益は独占しなかったようなんです」

「独占しなかった?」

「ギルロイ商会は、『女神の恵み』の売買で得た利益の四割程度をセントラリアの商人ギルドを通して、分配してるんです。また、加工が必要な原料としての『女神の恵み』に関しては、市場を通すよりも安価で提供しています」

「おお……」

 そこまでしていれば、確かに競合他社からの文句も出にくいだろう。

 というか競合してない。

 ある程度利益を共有することで、ギルロイ商会はセントラリアの商人ギルドを一つにまとめあげているのだ。

「でも、そんなことして肝心の利益は出せるのか? 文句も出ませんが儲かりもしません、じゃ困るだろう?」

「そうですね。そこをギルロイ商会は外貨を稼ぐことで解決しているんです」

「外貨? ああ、セントラリア以外の国の商会との取引、か」

「はい。例えば私の実家のあるトゥーラウェストでは、砂漠のピラミッドから取れる宝石系の『女神の恵み』が特産品になります。エスタイーストでは、体力の回復などに役立つ薬草、植物系の『女神の恵み』が。サウスガリアンでは、鉱物系の『女神の恵み』が特産です。そしてセントラリアは──…その全ての特産品を手に入れることが出来るんです」

「あー……なるほどな」

 セントラリアの南門を出たあたりのフィールドに出没するのは確かにサウスガリアン系のモンスターだし、東門を出た先のフィールドにはエスタイースト系のモンスターがいる。街に近いエリアには基本的に低レベルモンスターしかいないが、それでも倒せばアイテムはドロップするのだ。

 そういった恵まれた立地にあるため、セントラリアは『女神の恵み』に関しては、他の周辺都市国家に比べると非常にアドバンテージを持っていることになる。それならば、セントラリア内で争うよりも、獣人から『女神の恵み』を買いたたく窓口を上手く絞り、安く手に入れた原材料を元に加工品を高く周辺都市国家に売った方が確かに他の商人や商会にとっても都合が良い。

 つくづく下種げすいが上手いやり口である。

 だが、上手いが故にやっぱりちぐはぐな印象を受ける。

 そこまで上手くやっている連中が、いくらブラック企業だからといって、優秀な人材が他社に引き抜かれるぐらいなら殺す、なんて極論に飛びつくだろうか。

 そのあたりが、俺とイサトさんの現代人的感覚に違和感を訴えている。

 果たして、セントラリアを後にしたはずの獣人たちの失踪にギルロイ商会以外の何かが関与しているのか。

 それとも、最初から俺たちがギルロイ商会を見誤っていたのか。

 そんなことを考えている間にも、無事にサウスガリアンに到着する。

 門を抜ける際には冒険者カードを見せて身分を証明。

 三人とも問題なく通り抜けることが出来た。

 向かうのは、サウスガリアンの商人ギルドだ。

 石畳の街並みを、レティシアの案内で歩いていく。

 セントラリアや、トゥーラウェストとはまた趣の異なる街並みが目に新鮮だ。

 セントラリアは、いかにも中世の西洋都市といったイメージをかきたてる三角屋根が多かったのだが……サウスガリアンの入り組んだ街並みにはどこかスチームパンクっぽい雰囲気がある。無骨なパイプや、歯車といったものが無造作に組み込まれているのが男心をくすぐる。

 ふと顔をあげると、イサトさんが楽しそうにきょろきょろと周囲を眺めているのが目に入った。完全に油断した観光モードである。子供のように瞳をきらきらさせて、何か物珍しい建物を見かけるたびに、こっそりと小さく「ほー」と感心するような声をあげている。

「…………」

 そんな姿が微笑ましくて、ちょっとだけからかってやりたくなった。

 俺はイサトさんの隣にすすっと並ぶ。

「イサトさん」

「ん? どうかしたか?」

 俺の方に振り返ったとたん、イサトさんはいかにもはしゃいでませんよ、といった顔を取り繕った。そんなイサトさんへと俺はすっと目を細め。

「ここで俺が今から別行動な、サウスガリアンの門前で一時間後に待ち合わせしようぜ、って言ったらどうする?」

 俺の意地悪な問いかけに、イサトさんはぱちりと瞬いた。

 そして。

「二度と再会できなくなる」

「ぶ」

 即答だった。

 開き直りやがった。

 ここで別に大丈夫ですし、なんて意地を張ってくれたりなどしたならば、それをネタにからかってやろうと思っていたのに。

 さすがはイサトさん、一筋縄ではいかなかった。

「だから秋良青年、私とはぐれたら終わりだと思ってくれ」

「そんな大げさな……」

 とは言いつつイサトさんならあり得そうなので、目を離さないようにしようと改めて決意する。そういえばイサトさんには砂漠で迷子という前科があるのである。しかも、俺が見つけるまで迷子になったことにすら気づいてなかった。

「つきましたよ」

「お」

 ふと、俺たちを先導していたレティシアが一軒の建物の前で足を止めた。

 俺たちが馬鹿なやりとりをしている間にも、目的地についていたらしい。

 どうやらここがサウスガリアンの商人ギルドのようだ。

「ちょっと、話を聞いてきてみます。こちらにセントラリアから越してきた獣人の方たちがいるかどうかを確認したら良いんですよね?」

「ああ、頼めるか?」

「大丈夫だと思います。ちょっと行ってきますね」

 きりっと表情を引き締めて、レティシアはサウスガリアンの商人ギルドへと乗り込んでいった。


*     *


 結果。

 サウスガリアンでもトゥーラウェストと同様のことが起きていたことがわかった。

 獣人たちは、どこにもたどりついていない。

 サウスガリアンの商人たちも、レティシアと同様に獣人が途中で気を変えたか、もしくはセントラリアの商人ギルドに引き抜き行為を見咎められたかのどちらかだろうと判断し、これ以上の手出しを控えているところだったのだそうだ。

 レティシアが、セントラリアを旅立った獣人たちが消えていることを告げたところ、サウスガリアンの商人たちは酷く驚いていたのだと言う。

 サウスガリアンを後にして、向かったエスタイーストでも同じことを繰り返しただけだった。

 希望を胸にセントラリアを旅立った獣人たちは、忽然こつぜんと姿を消してしまっている。

 受け入れる側の商人たちは、引き抜き行為を咎められることを恐れて騒ぐことをせず、送り出した獣人たちは旅立った者の幸福を祈るがために連絡が途絶えたことを追求しようとはしなかった。

 それ故に──…発覚がこんなにも遅くなってしまったのだ。

「……エリサとライザにどう説明したもんだろうな」

「説明を望むなら、本当のことを打ち明けるしかないだろう」

「……まさか、こんなことになっていたなんて……」

 レティシアの顔色が紙のように白いのは、グリフォンの背に揺られているから、だけではないだろう。

 俺たちは夜のとばりが降りてきた群青の空を飛びながら、沈鬱な息を吐く。

 また、エリサを泣かしてしまうことになるのだろうかと思うと気が重いながらも、セントラリアの南門近くでグリフォンから降り、宿へと戻る。

 そして、二人が待つ部屋の扉を開こうとして──…

「アキラ、イサト……っ!!

 俺たちの足音を聞きつけたのか、えらい勢いで部屋の扉が開いた。

 がん、と凄い音がした。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「~~~ッ」

 どうしようもない沈黙。

 誰も何も言えなくなってしまったので、仕方なく俺が犠牲になることにする。

「…………イサトさん、無事か」

「し、しんだ」

 扉の直撃を受けたイサトさん、轟沈。

 額を押さえてうずくまり、無言で悶えている。

 今のは痛かったろうなあ。

 合掌。

 と、それはいいとして。

 出鼻をくじかれて呆然としているエリサとライザに水を向けてみる。

「どうしたエリサ、ライザ、そんな血相を変えて」

「!」

「!」

 どうしよう、と困惑していた二人が、必死な面持ちで顔をあげて──

「ギルロイ商会のやつら、狩りチームを全滅させる気だ……!!!


*     *


「ギルロイ商会のやつら、狩りチームを全滅させる気だ……!!!

 その言葉に対するイサトさんの行動は早かった。

 獣人たちを安くこき使うことで、利益をあげているはずのギルロイ商会が、大事な手駒である獣人を全滅させることに何の意味があるのか。

 金の卵を産む鶏を今ここで殺したとして、何の得がある?

 ついそんなことを考えてしまった俺の傍らをすり抜けて室内に足を踏み入れると、インベントリから取り出した謎の球体をどちゃーっとベッドの上にぶちまける。大きさとしてはピンポン玉をもう一回りほど大きくした程度、だろうか。色は単色だが、赤色のものと緑色のものと二種類ある。無造作にぶちまけられたそれらのうちの幾つかは、ころころとベッドから転がり落ちてしまっている。

「おっと」

 俺は自分の足元にも転がってきたそれを、足で軽く踏むようにして止めた。

 そんな俺にちらりと一瞥を投げかけて、イサトさんが一言。

「秋良青年、それ衝撃を加えると爆発するぞ」

「ぶ」

 なんという危険物。

 そろっと足を持ち上げて、足元にあったそれを拾いあげる。

「イサトさん、これ何?」

「ん? 使ったことないか? 砲閃珠ホウセンジユだよ」

「ああ、あの投擲とうてき用の?」

「そうそう」

 砲閃珠ホウセンジユ

 今の会話からわかるとおり、前衛でがしがし敵とやりあう戦闘スタイルの俺には馴染が薄い、中距離攻撃用の使い捨て投擲武器である。その中でも、植物の種をベースに、生産スキルで生成するのが確か砲閃珠ホウセンジユシリーズだったはずだ。

「……あ」

 そうか、このためだったのか。

 俺は今さらながら納得した。

 以前、エリサとライザが俺たちへの恩返しのために何か出来ることはないか、と申し出てくれたことがあった。その時俺は、セントラリアの案内をしてくれればそれで十分だという話をしたのだが──…その後で二人がイサトさんにも同じ申し出をした時に、イサトさんは少し考えた後に、『それじゃあ、二人で植物の種を集めてくれないか?』なんて頼んでいたのだ。

 その時はまた俺の『家』の庭に何か植える気か、としか思っていなかったのだが……なるほど、このためだったのか。ようやく合点がいった。

 投擲武器というのは、他の武器と違って敵に与えるダメージ量が使用する人間のステータスに依存しない。ダメージ500と設定された投擲武器は、誰が使ってもどんな敵にでも必ずダメージを500与えるのだ。その分、高ダメージを叩き出す投擲武器ほど乱用を躊躇う程度には高額になるのだが……イサトさんなら材料さえ集めてしまえばある程度は自作が出来る。エリサやライザの戦力を強化する、という意味では、一番手っ取り早い方法だろう。

「ライザ、これを君に託す」

「ぼ、僕?」

「え?」

 イサトさんの言葉に、ライザとエリサが二人して驚いたように声をあげる。

「今から私たちは狩りチームの方を助けに行くつもりだが、ギルロイ商会が動いたということは街に残った獣人側に対しても何らかの攻撃があるかもしれない。君はそれに備えて、私たちが行った後、他の獣人たちを集めて何とかしのいでほしい」

「……っ、お姉ちゃんは?」

「エリサには私たちの方についてきてもらおうと思ってる。私たちだけで助けに行ったところで、信用して貰えるかどうかわからないからな」

「…………」

 エリサが一緒ではない、と聞いて、ライザが、少しだけ怯えたように息を吞む。

 エリサはそんな弟の様子に、唇を嚙んで迷うかのように瞳を揺らした。

 両親を助けるために俺らと一緒に行くことを選ぶのが正解なのか、それとも、幼い弟の傍について共に戦いに備えるべきなのか。

「ライザ、もしオマエが……」

「……ううん」

 躊躇いながらも口を開きかけたエリサに、ライザはゆっくりと首を横に振った。

 まだ手は小さく震えてはいたものの、ライザはしっかりと両足を踏ん張ってエリサを見つめる。

「僕、やるよ。こっちは僕が頑張るから、お姉ちゃんは母さんたちを助けに行ってあげて」

「…………わかった」

 そう言い切るのに、ライザがどれだけの勇気を振り絞り、覚悟を決めたのかがわかるからこそ、それ以上はエリサも何も言えないようだった。そもそも、エリサもライザも『両親を助けたい』という想いは一緒なのだ。

 ライザの覚悟を見届けたイサトさんは、続いて視線をレティシアへと流す。

「レティシア、君にはライザのサポートを頼みたい。君も、ギルロイ商会とは対立してる側の人間だ。街で何か動きがあった時には、いっしょくたに狙われる可能性も高い。それなら最初からライザたち獣人グループと一緒に行動していた方が良いと思うんだが、どうだろう?」

「わかりました。ライザさんも……構いませんか?」

「うん、よろしくお願いします」

「はい、こちらこそ」

 そう言って、二人はお互いに会釈えしやくしあう。

 なんとなくだが、この二人はわりとウマが合いそうだ。

 まだ出会って間もないこともあり、どこか少しぎこちなさもあるが、きっと何とかなるだろう。

「それじゃあ、このボールみたいなヤツの使い方を説明しよう。二人ともよく聞いておいてくれ。この緑色のものは砲閃珠粘ホウセンジユネンといって、弾けるとべたべたした液体を撒き散らして敵の動きを止める。赤いのは砲閃珠絶ホウセンジユゼツだ。こっちは弾けると同時に当てた相手を一定の確率で気絶させることが出来る。緑で動きを止めて、赤で仕留めると思えばいい」

「緑で動きを止めて……赤で仕留める」

「万が一ギルロイ商会の方々が攻めてきたら……これで応戦すればいいんですね」

 イサトさんの、いつもよりもやや低めの硬い声音で語られる説明に、二人は気圧けおされたかのように神妙な顔つきで耳を傾けている。

 その様子を見つつ、俺はこそっとイサトさんの耳元に顔を寄せて聞いてみた。

「イサトさん、アレ威力はどうなの」

 店売りの投擲武器はダメージが固定だが、プレイヤーが生成した場合、そのプレイヤーの生産スキルのレベルに合わせて投擲武器の出来は変動する。正直イサトさんのレベルで生成した投擲武器なんていうのはかなり怖いものがあるわけなのだが。

「たぶん死なない」

「…………」

 そうか。

「たぶん」か。

「ダメージよりもサブ効果の確率を上げるように調整したからな。ネンだったらべたべた度UPだし、ゼツの方は気絶させる確率の方が上がってる」

「なるほど」

「まあ、ちょっとは威力も強化されちゃってるが──…、たぶん死なないとおもう。たぶん」

 何故「たぶん」が二度ついたのか。

 いまいち不安が残る。

 が、今のところ使用を想定しているのはあくまで攻撃を受けた際の反撃として、というシチュエーションだ。万が一のことがあったとしても、自業自得で諦めてもらうしかないだろう。俺としても別に襲撃者の生死を心配しているわけではない。ただ……

「……直撃した瞬間人体が爆発四散とかしないよな?」

「さすがにそれはない」

 良かった。

 そんなことになったらレティシアやライザにトラウマが出来てしまうところだった。

「それじゃあ俺らも行くか」

「そうだな。ライザ、レティシア、後は任せた」

「うん!」

「はい……!」

 そう言って俺は足早に部屋を出ようとして。

「どこに行くんだ、秋良」

 そんな風にイサトさんに呼び止められた。

 どこってそりゃあもちろん外に……、と思いつつ振り返った先、イサトさんは宿の出窓に足をかけ、半分身体を持ち上げた状態で俺を振り返っていた。片手にはすでに例の禍々しいスタッフが握られており、窓の外からはばさりばさりとグリフォンの羽ばたく音まで聞こえてきている。

「…………」

 無言でUターン。

 どうやらイサトさんは、もう人目を忍ぶ気もないらしい。

 確かに緊急事態だし、後のことは後で考えることにしよう。

「イサトさん、落ちるなよ」

「ん」

 イサトさんがグリフォンに乗り移るのを待って、俺もどっこらせ、と出窓に足をかける。かなり窮屈だが、そもそも人が出入りするための窓ではないので仕方がない。目測を誤ると頭をぶつけそうだ。

「よっと」

 いつものようにイサトさんの背後を陣取り、グリフォンに跨って──…部屋の中から呆然と目を見開いてこちらを見つめるエリサへと手を差し出した。

「行こう、エリサ」

「っ……」

 俺を見上げるエリサの瞳が、ほんの少しだけ不安の色に翳った。

 俺に向かって伸ばされかけた手が、微かに躊躇するように震える。

 その様子に、エリサが今試されていることがわかった。

 エリサは、これまで「姉」であることを自分に強いてきた女の子だ。

 留守がちな両親に代わって身体の弱い弟の面倒を見て、守ってきた。それが、エリサが自分に課した役割であり、仮面だ。その仮面をかぶることでエリサはある意味自分の弱い心──実際には年相応の子供の部分──を押し殺し、強くてしっかり者の頼りになる姉を演じていたのだ。

 だが、エリサはもうすでに、俺たちにならの自分を見せられることを知っている。そして、ライザとの別行動。これは、エリサにとっては大きいだろう。エリサが強い姉を演じていたのだとしたならば、その場合の観客はライザに他ならない。エリサはライザのためにその役を演じていたのだ。それなら、観客がいない舞台でエリサはどうする?

「オレ、は……」

 迷うように小さく呟いて、エリサが俺を見上げる。

 迷子の子供のようなその瞳をしっかりと見つめ返して、俺は言う。

「エリサが、決めていいぞ」

 ライザのことは考えなくていい。

 両親のことだって、エリサが行けないというのなら俺とイサトさんだけででも絶対に何とかしてやる。

 だから、エリサが決めろ。

 それが俺の素直な気持ちだった。

「来なくても良いぞ」とも「来てくれなきゃ困る」ともどっちも言ってあげることはしなかった。これまでエリサは、「姉としてしなければいけないこと」「姉としてした方が良いであろうこと」を意図的に選んでばかりきたのだ。それだってそうすると決めたのはエリサの意志には違いないだろうが……たまには難しかろうが我儘だって言わせたい。

 それはきっと、エリサにとって楽なことではないはずだ。

 自分のために自分の意志で決断するということは、時に誰かのために何かを決めることよりも難しい。

 エリサが迷ったのは、ほんの少しの間だけだった。

 ゆっくりと暗い紅の瞳が伏せられ、強い光を帯びて再び持ち上がる。

「行くに決まってんだろ!」

 そう啖呵たんかでも切るように言って、エリサは勢いよく俺の手を取った。

 乗り移りやすいように軽く支えてやったその手は、微かに震えている。

 けれど、それには気づかないふりをすることにした。

 エリサ本人が隠そうとしているのなら、知らないふりをするのが武士の情けというものだ。俺もエリサも武士じゃないが。

 俺とイサトさんの間に滑りこんだエリサの腰に緩く手を回して、固定する。

「エリサ、目的地は!」

「東だ! 狩りチームは黒の城シヤトー・ノワールに向かったって言ってた!」

「了解! いつもよりかっとばすから秋良、しっかり摑まえててくれ!」

「了解ッ!」

 ぐ、っと手綱を強く握る。

 いつもは俺に任される手綱だが、今回に限ってはイサトさんが握った余りの部分で身体を支えている、といった程度だ。それだけ、本気で飛ばす気なのだろう。

 グリフォンが羽ばたき、窓辺を離れてみるみるうちに高度をあげ──…

「エリサ、よく決めたな」

 高速移動に入る前に、俺はこっそりとエリサに耳打ちするように言った。

「……別にいつもと変わんねーよ、ただの意地だ」

 そんな風に、エリサは照れたように言う。

 だが、誰かのためでなく自分のために張った意地は、きっとエリサに良い変化をもたらすことだろう。実際、何かを吹っ切ったように、エリサの横顔は気持ちの良い清々すがすがしさに満ちている。

「行けッ!」

 イサトさんの鋭い指示と同時に、頭部を低めに構えたグリフォンが、羽で空気を押しだすように羽ばたいて一気に加速した。俺は手綱を握る手にわずかに力を込める。バイクやその他地球上の乗り物ほど正直に風の影響やGを感じる、というわけではないが、それでもいつもよりもキツい。だというのに、対するイサトさんは、バランスを取るようグリフォンの背をしっかりと太腿で挟んで腰を浮かし、馬を駆るジョッキーのような姿勢で前のめりだ。まっすぐに前を見つめる金の瞳が爛々と楽しげに燃えていて、最初の頃のビビりようが噓のようである。

 ……本当、スイッチ入ると強いよなぁ。

 いつもはわりとへっぽこなのだが、非常時には本当頼りになる人なのだ。

 普段からこうであって欲しい、と思わなくもないが、手間のかからないデキるイサトさんはそれはそれで物足りない、なんて思ってしまった俺は、たぶん相当毒されている。

「エリサ、大丈夫か?」

「…………」

「エリサ?」

 反応がない。

 まさか気絶したか、と慌てて覗きこめば、呆然と見開かれたエリサの瞳と目があった。俺と視線があったところで、エリサがはっと思い出したかのようにぱちぱちと数度瞬いた。

「大丈夫か?」

「…………なんつーか、オマエらって本当規格外だなって改めて思ってた」

「……主にイサトさんが、ってことにしておいてくれ」

 イサトさんに比べたら、俺はまだ真っ当な方だと思う。

 何故かエリサからは心底疑念に満ちた眼差しを向けられてしまったような気がするが、それは気にしないことにしておく。きっと気のせいだ。話題を変えるべく、エリサへと話を振る。

「それよりも、今のうちに俺たちが街にいない間に何があったのか教えて貰えるか?」

「……実は、狩りに出かけてるみんなから連絡があったんだ」

「連絡?」

 俺は首を傾げる。

 ゲーム時代においてはその他MMOと同じようにチャット機能が充実していたRFCであるが、そもそもゲームの機能としてチャットが備わっていたために、逆に遠くにいるキャラと会話をするためのアイテム、というのは俺の知る限りでは存在していない。ケータイに慣れっことなった現代人な俺たちにとっては、なかなかに痛い現実である。常々ケータイが普及する前の人間はどんな風に待ち合わせをしたり、連絡を取り合っていたのかと思いを巡らせたりしていたものだが、それを自らこんな形で体験することになるとは思ってもいなかった。

「狩りチームの方には鳥系獣人のデレクさんがいて、街にはその奥さんで同じく鳥系獣人のルーナさんが残ってるんだよ」

「…………む」

 当たり前の理由であるかのようにエリサはそう言うが、それでどうして連絡が取れるのかが謎だ。鳥系の獣人、というのはRFC時代にはキャラメイクの選択肢として存在しなかったので、どういった種族特徴を持つのかが俺にはわからない。ちらりと前方のイサトさんの様子を窺ってみるが、イサトさんの後ろ頭も微妙に傾いでいる。俺たちの頭上からクエスチョンマークが消えていないことを察したらしく、エリサが改めて説明を追加してくれた。

「鳥系の獣人は、戦闘向きじゃない代わりに眷属けんぞくである鳥を使って連絡を取り合うことが出来るんだよ。と言っても誰にでも伝えられるってわけじゃねーけど。普段は連絡係としてギルロイ商会の連中のところにいるんだけど、内容が内容だったからって連中の目を盗んで知らせに来てくれたんだ」

「……なるほど」

 同族の、繫がりが深い相手にのみメッセージを飛ばすことが出来る、ということなのだろう。それを利用して、ギルロイ商会は狩りチームと連絡を取り合っていたらしい。

「で、あっちからはなんて?」

「……今から、黒の城シヤトー・ノワールに行くことになった、って」

黒の城シヤトー・ノワール、か」

 思わず眉間に皺が寄った。

 RFCの世界においては、人間の暮らす場所から離れれば離れるほど強いモンスターに遭遇しやすくなる、という傾向がある。当然ゲームとして考えた時には、初心者も多い街付近にやたら強力なモンスターがいても困る、というゲームデザイン的な理由もあるのだろうが、RFCという一つの創作世界として見た場合でも同様だ。それには、RFCにおけるモンスターの設定が関係してきている。

 RFCのモンスターは、女神の余剰な力がよどんだ結果生まれてくる、ということになっている。そして、生まれたモンスターは少しずつ女神の余剰な力を溜めこみ、強力なモンスターへと育っていく。が、人間の生活圏で誕生した場合、少しでも危険だと認知されると、その段階で討伐対象に認定されてしまうのである。そうなると、当然なかなか強力なモンスターは育たない。それ故に、大きな街の周辺にはそれほど強くない、危険度の低いモンスターばかりが徘徊することになるのである。その一方で、ドラゴンやら何やら世間一般的に高レベルだと言われる強力なモンスターほど人里離れたダンジョンの奥などに潜んでいることが多い。

 エリサが口にした、黒の城シヤトー・ノワールもそんな強力なモンスターが潜むダンジョンの一つである。

 見た目はヨーロッパ辺りにありそうな、鋭い尖塔も洒落たゴシックデザインの城なのだが……その実態は立派なダンジョンMAPだ。その敷地内は昼でもなお薄暗く闇に包まれ、ゾンビやらヴァンパイアやら闇属性のアンデッドどもがうようよとうごめいている。見た目がダンジョンダンジョンしていないのと、比較的街道沿いにあることもあって、わりと初見殺しのエリアだと話題に事欠かなかった。街道での狩りにも困らなくなってきたし、ちょっと背伸びして狩場を変えてみるか、なんて思って迷い込んだプレイヤーを容赦なく死に戻りさせてくれる。

 なんせ、セントラリアから各都市への街道沿いに出てくるモンスターのレベルが平均12~15前後であるのに対し、黒の城シヤトー・ノワールに出てくるモンスターの平均レベルは4050という跳ねあがり具合である。城の中にいるボスモンスターに至っては、単独で狩るなら6070は欲しいところだ。

 ちなみに、この黒の城シヤトー・ノワールこそが、以前より俺とイサトさんの会話に登場していた『アンデッド城』の正式名称だったりする。

「エリサ、あの辺りのモンスターを、君たちの御両親達は狩れるのか?」

「……狩れないこともない、とは思う。でも……」

 エリサはそこで言葉を切って視線を伏せる。

「ギルロイ商会の連中、勘違いしてんだと思う」

「勘違い?」

「前に一度、父さんと母さんはライザの薬代のために、黒の城シヤトー・ノワールで手に入れた『女神の恵み』をギルロイ商会に売ったことがあるんだよ。だからきっと、連中は父さんたちが黒の城シヤトー・ノワールでも狩りが出来るって思ってる」

「実際のところはどうなんだ?」

「難しい、と思う。父さんと母さん、その時は二人がかりで一匹ずつMAPの外におびきだして倒したって言ってたから」

「あー……」

 エリサの言葉に思わず視線が遠のいた。

 それはどうにもよろしくない。

 狩場の適正レベルというのは、そこにいるモンスターを倒せるかどうか、だけで決まるわけではないのだ。たとえ適正レベルに達していなかったとしても、モンスターを倒すだけならある程度何とかなることも多い。だが、狩りというのは経験値狙いにしてもアイテム狙いにしても、連続して大量に狩らなければ美味しくない。命からがら一匹ずつ時間をかけて撃破しても、効率が悪いだけなのだ。それに、効率の問題だけでなく、危険度だって高くつく。モンスターは必ずしも一匹ずつ襲ってくるとは限らない。一対一、二対一では倒せるモンスターであっても、そいつらに囲まれてしまえば詰む、ということだってありうる。ゲームの中であれば、せいぜい死んでもデスペナルティを喰らうだけで済むが、こちらではそうもいかない。死ねばそこで終わりだ。

 それがわかっているからこそ、普通ならば慎重になるところなのだろうが……ギルロイ商会の連中の場合、賭けているのは自らの命ではない。それに、一度、黒の城シヤトー・ノワールで手に入れた『女神の恵み』を売ったことがある、というのもまずかった。それでは、エリサの両親が何を言ったとしても、連中はサボる口実としかみなさないだろう。

「狩りに参加してる他の人達はどれくらい戦えるんだ?」

「……同じぐらいか、父さんや母さんより少し弱い、ぐらいだと思う」

「そうか。ますます急いだ方が良さそうだな」

「そうみたいだ」

 俺の言葉に、しばらく聞き専に回っていたイサトさんも小さく頷く。

 飛ぶ。

 闇を切り裂くように、力強い羽ばたきを響かせグリフォンが空を翔ける。

 ──果たして、間に合うか。


*     *


 いつもよりはるかにトばしている甲斐もあって、やがて俺たちの向かう先に黒の城シヤトー・ノワールの影がぼんやりと浮かび上がった。月明かりの下、黒々と浮かび上がる城影はまさにヴァンパイアキャッスルといった風情ふぜいだ。ゲーム内だと、飛行タイプの騎獣に乗ってもここまで実際に高く飛べるわけではなかったこともあり、こうして上空から黒の城シヤトー・ノワールを臨む、というのは随分と新鮮だ。そもそも、日本から出たことのない俺にとっては、洋風の城そのものが珍しいということもある。俺が思わずその光景に目を奪われていると、腕の中でぽつりとエリサが口を開いた。

「……なあ、アキラ、イサト」

「ん?」

 城影がぐんぐんと近くなる中、エリサの声には緊張と同時に何故か申し訳なさそうな苦い響きが含まれていた。俺はゆるりと首を傾げて、エリサの様子を窺う。俯き加減のエリサの表情は、背後にいる俺からは隠れてしまっているものの、エリサが何か大事なことを言おうとしていることはわかった。

「どうした、エリサ」

 なるべく優しく聞こえるように、続きを促す。

「……オレ、オマエたちが助けてくれるって言った言葉がすげー嬉しくて、ここまで甘えちゃったけどさ」

「うん」

 エリサはぽつぽつと言葉を続ける。

「…………ごめんな、こんなことに巻き込んで」

「おい」

 これは俺たちが望んだことだ。

 エリサに巻き込まれたわけではない。

 俺たちが、首を突っ込んだのだ。

 勘違いしてほしくなくて訂正の声をあげかけた俺を遮るようにして、エリサが言葉を続ける。

「わかってる。オマエらはこんな風に謝られたくねーってこと、ちゃんとわかってる。けど、やっぱり、さ。黒の城シヤトー・ノワールなんて洒落になんねーだろ。いくらオマエらがすげー冒険者でも……怪我、とか」

 ひくり、とエリサの喉が震える。

 本当は、「怪我」ではなく「死」についてを言及したかったのだろう。

 けれど、きっとエリサはこの状況で「死」についてを口にすることが怖くて、避けた。口にすることで、本当になってしまうかもしれないという可能性を、きっとちらりと考えて、少しでも俺たちから死を遠ざけたかったのだ。だから、「死」を飲みこんだ。

 俺はエリサを安心させてやろうと口を開きかけて……、それより早く、それまで超特急でグリフォンを駆ることに専念していたイサトさんがふっと振り返った。

「エリサ」

 そう呼びかける声音は柔らかく。

 けれど、その底には確かな決意があった。

「私たちは、君や、君のご両親、そしてその仲間たちを助け出して見せる。そして──…そのためには犠牲を払うことも、覚悟している」

 エリサを見つめるイサトさんの瞳は静かに澄み渡っている。

 ふと、イサトさんの口元に笑みが浮かんだ。

 それは、とても儚くて。

 まるでその身を犠牲にすることを、すでに決意した聖女のようですらあった。

「イサト……?」

 エリサの声に不安が滲む。

「大丈夫だ」

 イサトさんの言葉には、エリサを安心させるためにというよりも、むしろ自分自身に言い聞かせるような響きが秘められていた。

 そして、それから視線をエリサから俺へと移す。

 夜空に輝く月と同じ色をした瞳が、どこか助けを求めるような色を帯びている。

 けれど、イサトさんにはわかっているのだ。

 俺がどうこう出来る問題ではないのだと。

 だから、先ほどまできらきらと輝かせていた金色を諦念にくらく染めて、イサトさんは目を伏せる。伏せられた睫毛の下の双眸は、どこか遠いところを見ているような、それでいて何も映していないかのような──…簡単にぶっちゃけると死んだ魚の眼だった。どんより曇っていて、目を合わせるのが躊躇われる。ふっと口元に浮かんだ笑みも儚さを通り過ぎてうつろだ。怖い。

 そんなイサトさんは、嫌そうに、本当に心底厭そうに、のろのろと俺へと手を差し出した。

「……アレを」

「…………」

 アレってなんだ、と考えたのは一瞬だった。

 この状況で、死んだ魚の眼をしたイサトさんが俺によこせと要求するようなものなんて一つしかない。

 俺は、インベントリから取り出したソレをそっとイサトさんへと渡す。

 イサトさんは心底厭そうな顔で──…それでもソレをぐっと握りしめる。

 ──その間にもグリフォンの力強い羽ばたきが夜の静寂を切り裂き、黒の城シヤトー・ノワールがぐんぐん近くなる。

 イサトさんは覚悟を決めるようにふー……と息を吐いた。

 それから、未だかつて聞いたことがないような、この世全てを呪うかのごとく鬱々とした声で重々しく口を開く。


「笑ったらぶちころがす」


 とんでもない重圧を感じた。

 いや本当。

 下手なこと言ったらこの場でブチ殺されそうである。

 はあ、ともう一度深い溜息。

 こくこく、と黙ったまま頭を上下に振った俺とエリサに、イサトさんはとりあえず満足したように視線を前に戻した。

 すでにグリフォンは黒の城シヤトー・ノワールMAP内上空に侵入している。黒の城シヤトー・ノワールMAPは、ダンジョンMAPの第一階層にあたる部分が地上に露出しているという珍しいタイプのMAPだ。通常ダンジョンであれば、深くに潜れば潜るほど遭遇するモンスターが強くなり、ダンジョンボスは最深部で待ち構えているものなのだが……黒の城シヤトー・ノワールの場合、ダンジョンの本体部分めいた黒の城シヤトー・ノワールを取り囲む庭園が第一階層に該当している。黒薔薇ばらの咲き誇る生垣で造りこまれた迷路を突破して足を踏み入れる黒の城シヤトー・ノワールの一階が第二階層、そして上に上がれば上がるほど強力なモンスターが出てくるという仕様である。黒の城シヤトー・ノワールのダンジョンボスである不死王ノーライフキングは城の最上階にある謁見の間にてプレイヤーを待ち構えている。

 が、今回はどうやら城の内部には入らなくても済みそうだ。

 庭の片隅にて、ちらちらと灯りが揺れているのが見える。

 おそらく、それがギルロイ商会に率いられた狩りチームなのだろう。

 庭の一番端っこ、隅を背にすることで背中を守り、群がるモンスターを撃破しようとしているように見える。

「秋良」

「おう」

「先に行く。手綱は任せた。場合によっては君らが到着と同時に召喚モンスターを入れ替えるので、心の準備はしておいてくれ」

「お、おお?」

 先に行く、なんて不穏な言葉の意味を俺が理解するよりも先に、イサトさんはひらりとグリフォンの背から飛び降りていった。

「おいこらちょっと!!!!!!

「ちょっ……!? イサトー!!!!?

 いくらなんでもアグレッシブにもほどがあるってもんだろう。

 あの人、目スワってた気がしてならない。

 …………まあ、その気持ちはわからなくもないが。

 それだけ見られたくなかった、ということなんだろう。相当嫌がってたし。

「…………しゃらんらだしな」

 そう。

 イサトさんが俺から受け取ったのは、飛空艇を撃墜させたあの日以降俺に押し付けられていた「マジ狩るしゃらんらステッキ」である。その選択は間違っていない。黒の城シヤトー・ノワールはアンデッド系のモンスターが多く存在するMAPだ。

 闇属性のアンデッド系のモンスターには、聖属性の攻撃が一番効果がある。もちろん、あのヌメっとした人型を相手にした時のように俺が振り回してもダメージは十分与えられるだろうが、その場合どうしたって攻撃範囲は俺の手が届く距離に絞られてしまう。

 その点イサトさんの場合、広範囲の攻撃魔法に聖属性のダメージを上乗せすることで、一息に広範囲のモンスターにダメージを与えることが出来るのだ。護衛対象の範囲が大きいことを考えた場合、イサトさんのその選択は大正解だ。ただ、イサトさんがメンタル的に大火傷おおやけどするだけで。

 イサトさん、あなたの犠牲は忘れない。

 っていうか俺が超見たい。

「急ぐぞエリサ!」

「う、うん……!」

 俺はグリフォンの手綱をぐっと強く握りしめると、先に飛び降りたイサトさんの後を追うようにして急降下していく。

 そして──…視線の先でドリーミィピンクの閃光が炸裂した。


*     *


 黒の城シヤトー・ノワールの裾野に広がる黒薔薇の庭に足を踏み入れてからのことは、まさしく悪夢のようだった。

 一行の連絡役でもある鳥系獣人のデレクは、暗い空を見上げて深い息を吐く。

 獣人に獣にちなんだ特性が備わるというのなら、今こそ空を飛ぶ能力が欲しいとしみじみ思う。もしも空が飛べたならば、逃げることも出来ただろうし、もう少し戦力になることも出来ただろう。鳥系獣人の戦闘能力は人と比べても大差ない。こうして一行に加えられているのも、戦闘能力を期待されてというよりも、単純に連絡役としての役割を果たすためだ。鳥系獣人は、恋人や夫婦という限られたパートナー間で、という制約こそつくものの、互いの眷属である鳥を使って連絡を取ることが出来るのだ。たとえ相手がどこにいたとしても、鳥系獣人が使う鳥は決して迷わない。それが、鳥系獣人の持つ唯一の特殊能力だった。

 その能力を頼りに、最後にセントラリアから連絡が飛んできたのは、日差しが少しずつ赤みを帯び始めた午後過ぎのことだった。その連絡を受け取った直後、ギルロイ商会の人間は、街道からそれた草原で狩りを行っていた獣人たちを一か所に集めて、新たな指示を出した。

 今から黒の城シヤトー・ノワールに行く、と。

 最初は、冗談でも言っているのかと思った。

 強力なモンスターを倒すことで、より良い『女神の恵み』が手に入れられるというのは、この世界に住む者なら誰でも知っていることだ。だからこそ、獣人の中でも一攫千金を夢見る者がハイリスクハイリターンを狙って自分の実力以上のモンスターを狙うことはままある。それでも、黒の城シヤトー・ノワールは危険すぎた。人間より身体能力に優れた獣人とはいえ、この狩りチームに参加している者が全員モンスターとの戦闘に慣れているか、といったらそうではないのだ。むしろ、デレクのようにもともとは街で普通に生活していた者の方が多い。それでもこれまで狩りが成立していたのは、セントラリア周辺の比較的レベルの低い、格下のモンスターを相手にしていたからだ。

 その辺のことは、当然ギルロイ商会もわかっているのだと、これまでデレクは思っていた。

 ギルロイ商会がデレクらに無理をさせて得をすることはない。怪我でもされて狩りに参加できる獣人が減れば、それはすなわち手に入る『女神の恵み』の減少に直結するし、それを避けるために回復アイテムを使えばそれはそれで余計な出費となる。だから実際にギルロイ商会はこれまで、獣人の狩りチームに決して無茶をさせ過ぎることはなかった。手に入れられる『女神の恵み』の種類だけでなく、「いかに安定して狩れるか」も狩場を選ぶ上での重要な要素だったはずなのだ。

 それなのに、今回ギルロイ商会の連中は黒の城シヤトー・ノワール行きを命じてきた。

 デレクら獣人たちを、全滅させようとしているとしか思えない。

 だから……デレクはこっそりと鳥を飛ばした。

 何かがおかしい。

 自分たちが知らないところで、何か状況が変わり始めていることを察したから、街に残した妻へと連絡を飛ばした。自分たちが黒の城シヤトー・ノワールに向かうことになったことを街に残っている他の獣人たちにも伝えるように、頼んだ。自分たちに何かあったとしても、せめて街に残った女子供だけでも難を逃れて欲しいと思ったから。

 返事は期待していなかった。

 きっと、時間切れだ。

 デレクの放った鳥がセントラリアにいる妻にメッセージを伝えるのは日暮れギリギリになったことだろう。それからでは、もう鳥は飛ばせられない。

 あれが最期になるのなら。

 多少気恥ずかしくても、愛してるの一言ぐらい書けば良かった。

 そんなことを、暗い空を見上げてデレクは思う。

 漆黒に塗りつぶされたような夜空に、金色のお月様がぽっかりと浮かんでデレクらの悪あがきを見下ろしている。

 月のまわりをたなびく雲が煌々と明るくて、真っ暗なはずなのに不思議と明るいような気すらしてくるから不思議だ。

「ああクソ」

 毒づきながらも、手元に伸びてきたつたをダガーでぶった切る。

 夜が深まるにつれ、闇が濃くなるにつれ、一行を取り囲むモンスターの数は増えていくばかりだ。戦闘慣れしたメンツが前衛を務めなんとか侵入を防いではいるが、その死角をついては音もなく植物の蔦が獲物を搦め捕ろうと伸びて来ている。獣人側のリーダーであるクロードの判断で、早めに黒薔薇の庭園を囲む壁の角を背に陣取ったのが良かった。おかげで今のところは前方にだけ注意を向ければ済んでいる。これで四方を囲まれていたら、もっと早く詰んでいただろう。いや、今でも充分「詰み」と言ってもおかしくない状況ではあるのだが。

「お、おいッ、早くなんとかしろ!!

「手を抜くな……!!

「うるせェ、なんとか出来たらとっととやってるっつーの!!

 動揺しきった声で叫ぶギルロイ商会の男に、デレクは口汚く怒鳴りつける。

 夜になればモンスターがより活性化するから危険度が増す、せめて朝まで待ってはどうかと進言したクロードの言葉を無視して、暗くなり始めた黒薔薇の庭園に突っ込むように指示を出したのはこいつらなのだ。出来ることならば、さっさと放り出してモンスターの餌なりおとりなりに使ってやりたい気持ちは満々だ。

「あんまりうるせェと俺がぶっ殺すぞ!」

「ひ……ッ」

「貴様私たちにそんな口をきいて……ッ」

「だからうるせえっつってんだろうが!」

 こいつらは本当にわかっているのだろうか。

 あくまでデレクらのお目付け役として同行している彼らに、戦闘能力はないに等しい。基本的にはデレクらが狩りを行う様を監督しているだけなのだ。つまり、デレクらがモンスターにやられれば、彼らも同様に死ぬ。どうもこのウスラトンカチどもはその辺のことを理解していないようにデレクには思えて仕方ない。

 ……わかってなかったんだろうな。

 情けなく震えあがりながら、早くなんとかしろと怒鳴り続ける商人に、デレクはふっと呆れたように目を細めた。戦うのは獣人の仕事で、自分たちはただ獣人どもがサボらないように見張っているだけで良い、とそう思っていたのだろう。だから、戦っていた獣人たちが万が一にでも全滅した場合、自分たちがどうなるかなんて当たり前のことにも考えが及んでいなかったのだ。

「デレク! 怪我人を後方に!」

「ッ、了解した!」

 前衛から響いた鋭い声に、デレクはそんな思考を振り切るように声をあげて前に出る。鋭い刃物で斬りつけられでもしたのか、腕を押さえてよろよろと下がってきた仲間に肩を貸してやりながら、後方へと運んでやる。そこにはすでに何人かの先客がいて、それぞれ痛みに耐えるように蹲っていた。傷口に障らないように、そっと運んできた男を座らせてやる。

「大丈夫か?」

「……今んとこはな。でももう戦力にはなれそうにない」

「…………」

 そう言った男の利き腕からは、今も鮮血が滴り落ちている。顔色も悪い。戦力にならないどころか、このまま放っておけば命すら危ないだろう。

「とりあえず止血しよう」

 鼻先を掠める濃厚な血の香りに顔をしかめながら、デレクは自分の着ていた服の裾を豪快に引き裂くと、それを怪我人の腕にきつく巻きつけていく。どこまでも簡単な応急手当でしかないが、それでもしないよりはマシだろう。

「ったく、一体何にやられたらこんな怪我するんだよ」

「『庭師』、だな」

「あー……」

 デレクは顔を顰めつつ納得する。

『庭師』というのは黒の城シヤトー・ノワールの城主である不死王ノーライフキングが黒薔薇の庭園を美しく保つために創りだしたと言われている存在だ。見た目は青白い肌をした華奢な青年の姿をした人形で、手には巨大な剪定鋏せんていばさみを携えている。普段は黒薔薇の生垣の手入れをしているらしいのだが、人の気配を感じるとシャキンシャキンと鋏を鳴らして追いかけてくる厄介なモンスターだ。今も耳を澄ませると、シャキンシャキンと鋏を鳴らす音が、暗闇のあちこちから響いている。

「ああクソ」

「本当に、クソ、だな」

 はは、と小さく笑いあう。

 もう笑うことぐらいしか出来なかった。

 笑っていなければ、恐怖から叫びだしてしまいそうだった。

 周囲に立ち込める仲間の血の匂い。

 暗闇から響くシャキンシャキンと鋏を鳴らす音。

 そして──…

 はら、り。

 デレクの目の前に、ビロードのような手触りの布が落ちてきた。

 大きさは掌ほどだろうか。

 誰かが怪我人の手当てに使えと放ってくれたのか、なんて思いながらデレクはそれを手に取る。しっとりとすべらかなそれは、手に取るとふわりと場違いなほどに甘く上品に香った。まるで貴婦人のハンカチのようだ。夜に香る鮮やかな薔薇の──……

「───」

 ごくりとデレクは息を吞んだ。

 そんなはずがない。

 そんなはずはない。

 薔薇の香り。貴婦人。

 それらのキーワードから思いつくモノがこの黒薔薇の庭園には存在している。

 鋏をシャキシャキ鳴らして迫る庭師などよりも、よほど恐ろしいモンスター。

 だが、そいつが前衛をすり抜けてこんな場所まで侵入してきているはずがない。

 だからきっとこれはデレクの妄想だ。

 闇に怯えてそんな怖い思いつきをひらめいてしまっただけだ。

 頭の中で必死に否定しながら、ぎこちない仕草でデレクは顔をあげる。

「ひ」

 悲鳴は喉の奥で潰れた。

 顔をあげたデレクの眼前数cmの距離に、能面のように整った女の顔があった。

 綺麗に結い上げられた栗色の髪に、美しく化粧の施された表情のない顔。

 その女は、壁に直角に貼りついたまま無表情にデレクを見つめていた。

 前衛をすり抜けてここまで到達したのではない。

 この女は、壁を伝ってデレクらの背後に回ったのだ。

「う、うわああああああ!!

 叫ぶ。

 叫びながら、我武羅者がむしやらに腰から引き抜いたダガーをその顔面に叩きつける。

 刃は通らず、何か硬い陶器でもぶん殴ったような感触がデレクの腕に伝わった。

 したたかに顔面を斬りつけられたというのに、女の表情は変わらない。

 いや。

 表情が変わらないどころか、女は瞬きすらしていなかった。

 その代わりといったように、壁に垂直に立つ女の足元を重力に逆らい慎ましく覆い隠すドレスの裾がふわりと持ち上がる。美しくも巨大な薔薇の花びらを幾重いくえにも重ねたようなドレスの内側に、ぬめぬめと肉色に光る口が裂けるのが見えた。ぎざぎざと波打つ白は柔らかなレースなどではなく、獲物を引き裂くための牙だ。

 ──『薔薇姫』。

 美しいお姫様めいた姿をしてはいるが、その正体は巨大な薔薇のバケモノだ。ドレスに見えている部分が本体で、お姫様めいた人型の上半身は獲物を油断させるためのデコイに過ぎない。数こそ庭師よりも少ないが、黒薔薇の庭園において一番恐ろしいのはこのモンスターだ。

 かぱあ、と大きく開かれた巨大な口がデレクを捕食しようと大きく開かれる。

 生暖かい湿った風が、デレクの頰を撫で──…終わりを意識した時、どこか遠くで鋭い猛禽の鳴き声が響くのを聞いた。

 妻の愛鳥の声に、少し似ていたような気がした。

 でも、きっと違うだろう。

 あの子は夜目が利かない。

 こんなに暗くなってしまっては、飛べない。

 でも最期に聞くのがそれで良かった。

 死を迎える瞬間、想うのが恐怖でも憎悪でもなく、妻のことであって良かった。

 刹那の間に、そんなことを思ったデレクの目の前を──薄桃色の雷が、貫いた。


*     *


「うわあ」

 俺は思わずそんな声をあげてしまっていた。

 魔法少女なのに初手がいきなり物理攻撃というのは如何いかがなものなのか。

 グリフォンの背から飛び降りたイサトさんは、ドリーミィピンクの光に包まれたまま眼下の獲物へと特攻をかけ──…城壁から生えた薔薇姫の細いウェストにはるか上空からドロップキックをぶちかましたのである。そのまま薔薇姫を地面に叩きつける形で、華麗に着地。

 それはなんだか、いっそ神々しさすら感じる光景だった。

 いつか言っていたように、イサトさんの全身はうっすらとした桃色の光に覆われている。グリフォンの背から飛び降りたところで何らかの魔法を使ったのか、イサトさんはあれだけ嫌がっていた魔法少女仕様だ。しゃらんらと同じ色合いの、ドリーミィピンクのふあふあドレスは、意外にも思えるほどイサトさんによく似合っていた。ふぅわりと風を孕んだように揺らぐスカートのデザインは、前面から背面に向かって次第に裾が長くなるという不思議なデザインで、見る角度によって雰囲気が変わる。背面が長くたなびく様は、二股に分かれていない燕尾服の裾に似ているかもしれない。たっぷりと布を使っているように見えて、前面は意外と短く、形の良い脚が惜し気もなく晒されている。ナース服や赤ずきんの時にはぴったりとした黒革のブーツに覆われている脚が、今は薄手の白のニーハイソックスに覆われている。透け気味の生地を通して褐色肌がぼんやりと見えるのもたまらなければ、何より特筆すべきなのは太腿のガーターベルトだろう。白のレースと、小ぶりなパールで飾られたガーターベルトの魅力といったらない。アレだ。そっと恭しく脱がしてさしあげたくなる。

 また、いつもは無造作に背中に流されている銀髪が、今はまさかのツインテールだ。普段のイサトさんが自発的にしてくれるとは思えない髪型にも目を奪われる。くるくると巻かれた髪が、イサトさんの動きに合わせて揺れている。

「イサトさん」

「何か余計なこと言ったらマジ狩る直葬」

「…………」

 似合ってる、と褒めようと思ったのに。

 が、命は惜しいので大人しくお口にチャック。

 そんなイサトさんの足元で、びくりとわななくように薔薇姫が蠢いた。

 ダメージとインパクトは与えられたとしても、イサトさんの物理攻撃レベルでは薔薇姫を一撃では倒せないだろう。薔薇姫とイサトさんの間にはそれなりのレベル差が存在するが、イサトさんの専門は召喚であり、そしてその次に精霊魔法だ。物理攻撃ではそれほどのダメージは出せまい。

 実際、イサトさんの足元でのたうつ薔薇姫が、本体であるドレス部分をもたげてイサトさんへと喰らいつこうとする。それがわかっているはずなのにイサトさんが動こうとしないのは……まあ、俺が動くことを知っているからなのだろう。この横着者め。

 グリフォンの手綱を操り、イサトさんへと襲いかかろうとした薔薇姫の本体部分を鋭い蹴爪で上空からぐしゃりと踏み潰させた。ぶわりっと濃厚な薔薇の香りが周囲へと立ち込め、巨大な花びらをはらはらと散らしながら薔薇姫が消えていく。最後まで残った花びらも、そのうち消えることだろう。

「エリサ、行くぞ」

「う……うん」

 俺はぎくしゃくと頷いたエリサの腰に腕を回し、ひょいと抱えるようにしてグリフォンの背から降りた。エリサが微妙に呆然としている……というかドン引いているように見えるのはイサトさんの蛮行──グリフォンからの飛び降りドロップキック──のせいなのか、それとも一撃で薔薇姫を倒して見せたグリフォンのせいなのか。

 ……両方か。

「エ、エリサ……?」

 呆然とイサトさんを見つめていた青年が、俺たちの方へとのろのろと視線を這わせ、ようやく我に返ったといったように声を上げた。その声に、エリサもはっとしたようにそちらへと駆け寄る。

「デレクさん! あ、……ギグさん、怪我……っ」

 エリサが泣きそうな顔で俺たちを振り返る。

 どうやらこの後方には怪我人が集められているらしい。

 周囲からは、薔薇の匂いに混じって濃い血の匂いが漂っている。

 青年の傍らに蹲っている男性の腕は真っ赤に染まり、布地がたっぷりと血を吸って重そうに肌に貼りついていた。

「イサトさん!」

「まかせろ」

 俺の声に応じるように、イサトさんがしゃらんらを優雅に振るう。

 ケェン、と高く鳴いたグリフォンの姿が霞むように溶け、代わりに紅蓮の焰が夜闇を赤々と照らすように燃え盛る。その焰は生き物のように形を変えていき、やがて一羽の巨大な鳥のシルエットを形作った。イサトさんの召喚モンスターの一つで、回復に特化した朱雀すざくだ。

「朱雀、エリアヒールを!」

 イサトさんの指示に合わせて、朱雀がグリフォンに比べてもどこか優美な印象を受ける翼をはためかせる。焰の翼から散った燐光が、前線を含む獣人一行を囲むように広がり、円を描いた。何が起こっているのかが摑めていない前線の方でも、戸惑ったようなざわめきが起きている。エリアヒールは、そのサークル内にいる人間をまとめて回復してくれるという便利なスキルだ。その分瞬間的な回復量では通常のヒールに劣るが、怪我人が複数いる状態で、さらに戦闘が続行しているようなシチュエーションでは非常に心強い。

「お、おい、噓だろ、怪我が……!」

「手が、動く……!」

「痛みが引いていく……!」

 イサトさんの周囲で痛みに耐えるように蹲っていた男たちが、自身の身に起きていることが信じられないといったように声をあげた。彼らの傷が完全に癒えるのも時間の問題だろう。痛みから解放された彼らは、まるで女神でも見るかのような眼差しを、朱雀を従えるイサトさんへと向けている。こうなるとうっすらとイサトさんの全身を包む薄桃色の光でさえ、神々しい演出のように見えるのだから不思議だ。

「さて」

 俺はそんな風に呟いて、イサトさんへと手を差し出した。

 別段エスコートが必要なほど足場が悪いというわけではないが、なんとなくそんな気分だったのだ。

「行くか?」

 に、と口角を吊り上げてイサトさんへと問いかける。

 わざわざ色んなものを犠牲にして魔法少女に変身までしたのだ。

 ここで大暴れしなければ、イサトさんの犠牲はまるっと無駄になってしまう。

「当然」

 くそ、と毒づきながらイサトさんが俺の差し出した手の上に、言葉とは裏腹に淑女めいた仕草でそっと手を乗せた。

「エリサ、前線は俺とイサトさんで引き受ける。とりあえずこの辺り一帯のモンスターは狩り尽くすので、それまで皆には休んでもらいつつ事情の説明を任せた」

「わ、わかった」

 イサトさんの手を取ったのとは逆の手に、インベントリからずるりと幅広の大剣を引き出す。イサトさんも、自由な方の手にはしっかりとしゃらんらを構えている。

「ではでは」

「参りましょうか」

 イサトさんの金色の双眸が、獰猛な獣のように爛々と燃えている。

 たぶん、俺も似たような顔をしている。

 これまでにたまった鬱憤、しっかり晴らさせてもらうとしよう。

 ついでに薔薇姫は、上位ポーションの材料をたんまり落としてくれると良い。

 そして前線に突っ込む寸前、俺はさり気なさを装って口を開いた。

「イサトさん」

「ん?」

「それ、すごくいい」

「…………」

 やっぱり言わずにはいられなかった。

 返事は、わりと本気気味の、俺の首を落とす勢いで振り抜かれたしゃらんらスウィングだった。


*     *


「あー、もう」

 エリサは、泣きたいような、笑い出したいような気持ちで小さく呟いた。

 何なんだろうか、この光景は。

 今までだって、散々アキラとイサトが規格外なのは思い知らされてきたつもりだった。あの二人が何かする度に、エリサは驚かされてきたのだ。

 あの二人が飛空艇を墜とした犯人だと知らされたとき、もうこれ以上驚くようなことはないと思っていた。

 けれど、それはエリサの勘違いだった。

 エリサの驚きの原因は、アキラだ。

 エリサはずっと、アキラはイサトの保護者おもりだと思っていたのだ。

 イサトはわかりやすく『普通』ではない。

 銀髪金瞳、褐色肌に尖った耳。

 それらの特徴は、明らかにイサトが『ただびと』ではない証拠じみている。

 イサトの外見は、今ではもう御伽おとぎ話にしか登場しないような、黒き伝承の民にとてもよく似ている。エリサらと同じ亜人種でありながら、より女神に近く、魔法に優れていたという既に滅んで久しい民。たまに先祖がえりのように、そういった特徴を持って産まれる者がいる、ということはエリサも知っていた。だが、イサトのように強力な魔法を使える者はいない。少なくとも、イサトが使うような魔法をエリサはこれまで見たことも聞いたこともない。だから今ではエリサは、イサトはもしかすると先祖がえりなんかではなく、滅んだと言われている黒き伝承の民の生き残りなんじゃ……、と疑っている。

 その予想が当たっているにしろ、外れているにしろ、だからこそイサトが『特別』だというのはエリサにとってもわかりやすかった。イサトが何か凄いことをしたとしても、そこにある驚きはある種『やっぱりイサトは黒き伝承の民だったんだ』という確信に繫がるものでしかなかった。イサトが空翔ける騎獣を召喚したり、変身したことには確かにエリサは驚いたけれど、イサトなら仕方ない、とも思ったのだ。

 でも、アキラは違う。

 黒髪黒眼に、陽に焼けた黄色い肌。

 体格は優れている方だろうが、アキラの外見はそれほど珍しいものではない。

 どこにでもいそうな、普通の人間だ。

 それに、言動にしたってアキラはイサトほど突拍子のないことを言ったりやらかしたりはしなかった。どちらかというと、そういったイサトを諫めたり、宥めたりしていることの方が多かったような気がする。

 だから、エリサは勘違いをしてしまったのだ。

 アキラはイサトにつけられた優秀な保護者おもりなのだと、そう思ってしまった。

 強大な力を操る古代種の生き残りの姫と、そんな浮世離れした姫に振り回される苦労性くろうしようの騎士。

 エリサがイサトとアキラから想像したのはそんな物語だ。

 ギルロイ商会の連中に絡まれた時の対応からして、アキラがタダモノではないのはわかっていた。でも、それでもエリサはとびきり優秀な、という意味合いでしか認識していなかったのだ。

 実際本人だって、

『……規格外なのは主にイサトさんが、ってことにしておいてくれ』

 なんて言っていたじゃないか。

 それなのに。

 ああ、それなのに。

 アレのどこが真っ当だと言うのか。

 頭を抱えたいような気持でエリサが見つめる先には、前線にてエリサの身長とほとんど変わらないような馬鹿でかい剣を容赦なく振るって敵をほふるアキラの姿があった。体を低く構えた前傾姿勢、腰だめに大剣を構えて敵に接近しては、一息に振り抜く。庭師は受けとめようと鋏を構えるものの、アキラの大剣はそんな鋏ごと易々と引き裂いて庭師を無に還した。庭師の形を崩され、解放された女神の力がきらきらと光の粒子となって闇に溶けて行く。

 こんな光景は、あんまりに想定外だ。

 アキラの武器が幅広の大剣なのは、エリサだって見て知っていた。そんな大剣を見ていたからこそ、エリサはアキラの本分は護ることにあるのだと思っていたのだ。あんな馬鹿でかい大剣をがんがん振り回して戦う姿なんて、誰が想像するだろう。普通ああいった大剣というのはいわゆるロマン武器だ。趣味で持ち歩く者はいても、実際の戦闘で使う者は限られるし、使いどころもかなり限定的だ。重さがある分威力は十分だし、上手く当てることができれば一撃で大抵の獲物は仕留めることが出来るだろう。けれど、その一撃が外れた時が怖いのが重量武器なのだ。その重さ故に、連続して攻撃することが出来ない。一度振り下ろすか振り抜くかした武器を、再び攻撃出来る体勢にまで戻すのに通常の武器よりも時間がかかり、大きな隙が出来てしまう。

 それ故に、エリサはアキラの役目は、イサトが魔法詠唱している間の護衛であり、あの大剣は盾を兼ねているのだと思っていた。

 ……ある意味、それは間違ってはいなかったのかもしれない。

 確かにアキラはイサトを護っている。ただしその方法は、「攻撃は最大の防御なり」なんて言葉を実践する形で、だ。イサトの魔法が敵を滅ぼすよりも先に、重さすら感じていないかのように軽々と振り回されたアキラの大剣が敵をぶった斬っていく。大剣を振り抜いた勢いで身体が振りまわされるような危うさは欠片もない。易々とモンスターを引き裂いた大剣は、致命傷を与えモンスターが光の粒子に分解されたのを見てとるや否や、くんと跳ね上がって次の獲物に向けて振り抜かれる。

 イサトのサポートなんて、とんでもなかった。

 アキラこそが、主力だ。

 唯一の弱点は、イサトに比べると間合いが狭いことかとも思ったけれど、それすらも勘違いに過ぎないことは、アキラの大剣の届く範囲外からイサトに向かって薔薇姫の蔦が伸ばされた瞬間にわかってしまった。呪文の詠唱のためにか、伏し目がちにスタッフを構えるイサトは、きっと自らに忍び寄る薔薇姫の蔦の存在に気付いてもいなかっただろう。しゅるるるる、と地を這う蛇のように音もなくイサトに忍びよる蔦に気付いたエリサが、危ない、と声を上げるよりも早く、アキラがその蔦へと一瞥をくれる。そして、薔薇姫に向かって大剣の一閃。その視線はすぐに己の前に迫る庭師へと戻される。ただそれだけ。ただそれだけの一振りで、本来ならば刃が届くはずもない距離にいた薔薇姫は真っ二つに両断されて光の粒子へと分解された。

 アキラは、イサトの保護者おもりなどではない。

 アキラは、イサトの守護者だ。

 イサトへと不用意に近づくモンスターがいれば、イサトの影から湧いたかのように、ぬぅと闇より出でたアキラがあっさりとその哀れな獲物を斬り捨てる。イサトの姿が薄桃色の光に包まれている分、却ってその明るさがアキラの身に纏う闇を色濃く見せていた。

 アキラの大剣がイサトの放つ光を弾き、闇の中を閃く度にモンスターが粒子となって砕け散る。きらりと煌めいたモンスターの残滓ざんしに浮かび上がったアキラの横顔に、エリサはぞくりと小さく背を震わせた。

 どうしてだろう。

 無感情に淡々と敵を屠る黒の双眸を、怖いと思ってしまった。怖がる必要なんてないと頭では理解しているのに、手が勝手に震えてしまいそうになる。一度、その眼を向けられたことがあるからだろうか。

「──…」

 視線に気づいたように、アキラの視線がちろりと揺らめいてエリサを見る。

 冷徹な殺意の滲む鋭い眼差しがエリサを映す。

「……ッ」

 エリサがぎくりと身体を強張らせて息を吞んだのと、アキラがぱち、と瞬きをするのはほぼ同時だった。振り抜きかけていた大剣がぴたりと止まる。困ったように眉尻を下げて、言い訳を探すように口をぱくぱくさせる姿は、とてもじゃないがついほんの一瞬前まで殺気をみなぎらせていた人物と同一人物のようには見えない。

 と、いうか。

「馬鹿アキラ!! ちゃんと前見ろ馬鹿!!!!

 エリサは思わず叫んでいた。

 本来ならばアキラの振るうはずだった大剣の先にいた庭師が、鋏を開いてアキラへと飛びかかる。そこに滑り込むように間に入ったのはイサトだった。

 がきん、と鈍い音がする。

 鋏の間に、桃色のスタッフを咬ませてぎりぎりとせめぎ合う。

 なんだかその様子に、アキラに対して怖い、と思ったのがとてつもなく馬鹿げたことのように感じてしまった。

 薔薇園のモンスターを一撃で易々と引き裂いて倒せるような男が、エリサの表情一つに動揺して戸惑っている。

 それだけ、エリサのことを気にかけてくれている。

「ああもう。アキラの馬鹿。オレがちょっと怖がったぐらいで、固まってんじゃねーよ。ばか。ばか。ばか」

 ばか、と呟く度にじんわりと目元が熱くなる。

 ぎゅっと握り固めた拳に、いつかのぬくもりが甦ったような気がした。

『じゃあ、エリサより年上で、エリサより大きい俺がエリサを守ってやりたいって言うのは駄目か?』

 何でも一人でやらなければ、と思い詰めていたエリサの手を、優しく包んでくれたアキラの大きな掌。

 本当は、あの時エリサはとんでもなく安心したのだ。

 もう一人で頑張らなくてもいいんだ、って。

 もうきっと大丈夫だ、って。

 だから。

 エリサはぎゅっと拳を強く握りしめる。

 あの時の嬉しかった気持ちと、ぬくもりを逃さないようにしっかりと。

「アキラ!! さっさとそんな奴ら蹴散らしちまえ!!

 エリサの声に、ぐぬぬぬぬ、と庭師と鬩ぎあってるイサトを背景に、アキラがほっとしたように小さく口元に笑みを浮かべた。それから再び視線を庭師へと向ける。鋭く細められた黒の双眸に、ぎらりと凶悪な光が煌めく。けれど、それはもう怖くはない。アキラは軽く上体を傾がせると、よっと、なんて軽い声が聞こえそうな調子で庭師の腹に蹴りをぶち込んだ。ごしゃあと鈍い音がして、アキラの蹴りがめり込んだところから庭師の身体がひび割れて光となって消えていく。

「……蹴散らせっていうのは……ああもういいや、うん」

 もうなんだかアキラとイサトに常識を求める方が間違っているような気がしてきた。あれほど恐れ、苦戦していた薔薇園のモンスターどもを、アキラとイサトはまるで紙でも引き裂くようにあっさりと倒していく。

 それは先ほどまで薔薇園に満ちていた絶望が冗談か何かに思えてしまうほど、圧倒的な掃討戦だった。

『前線は俺とイサトさんで引き受ける。とりあえずこの辺り一帯のモンスターは狩り尽くすので、それまでは皆に休んでもらいつつ事情の説明を任せた』

 アキラの言葉に、噓はなかったのだ。

 ならば、エリサも自分の役割を果たさなければいけない。

 エリサたちを守るように翼を広げた炎の鳥に照らされた薔薇園の片隅で、エリサは両親の姿を探す。怪我人の中に、二人の姿はなかった。セントラリアに残っている獣人の中では比較的戦闘に秀でているエリサの両親ならば、きっと前衛にいたはずだ。うろうろと視線を彷徨わせていたエリサの視界に、信じられないものを見るような目でアキラとイサトを眺めて茫然と立ち尽くす男女の姿が目に入った。

「父さん母さん……!!

「え、エリサ!?

「どうしてこんなところにあなたがいるの……!」

 驚愕に振り返る二人の下へと、エリサは全力で駆け出した。

 何日かぶりかに聞く両親の声。

 生きてた。無事だった。また、会えた。

「……っ」

 子供みたいでみっともないと思うのに、ひくりと喉が震えるのを止められなかった。迎えるように両手を広げた父親の胸の中に、思い切り飛び込む。ぎゅっと抱きしめると、汗や埃と一緒に懐かしい父親の匂いがする。父親の腕の中にすっぽりと抱きしめられたエリサの背を包みこむように、母親のぬくもりが寄り添った。

「ぅ、え……っ」

 ちゃんと話さなければ、と思うのに。

 アキラとイサトに説明を任されたのだから、ちゃんと役割を果たそうと思うのに、喉の奥から溢れる嗚咽を吞み込めない。

 悪名高き黒の城シヤトー・ノワールの片隅。

 エリサは両親の腕の中で、どこよりも守られている安心感に包まれていた。


*     *


 途中エリサにドン引かれていることに気付いて俺の心が折れかけたことを除いては、比較的順調に薔薇園の掃討戦は上手くいっていた。薔薇姫と庭師の属性の違いに、イサトさんが少々手こずってはいたものの、その辺りは俺が十分フォロー出来る範囲のことだ。

 薔薇姫と庭師は、どちらも聖属性に弱いという点では共通しているのだが、サブの属性がそれぞれ異なっているのだ。薔薇姫は見た目の通りサブが植物属性なので、聖属性を乗せた火系の魔法に弱く、サブ属性が水である庭師には聖属性を乗せた土系の魔法が効く。スキルの切り替えに難があるイサトさんにとっては、この二種類のモンスターを同時に相手にするのがなかなか骨が折れるようだった。それ故に一種類ずつ、一度薔薇姫をターゲットと定めたら、一息に周辺にいる薔薇姫を殲滅し、その後スキルを切り替えて今度は庭師を殲滅して回る、というスタイルを取らざるを得ないのだ。

 その間、上手く対応出来ないモンスターを始末するのは俺の仕事である。

「秋良」

「ん?」

 ふと、名前を呼ばれた。

 目の前に迫ってきていた薔薇姫をずばん、と斬り捨ててイサトさんへと振り返る。

「どうした?」

「ちょっと、良いことを思いついた。試したいので、フォロー頼んでも良いか?」

「……了解」

 イサトさんの「良いこと思いついた」は大概ロクでもないことが起きる前振りなので、あまり了解はしたくないのだが……。先ほどエリサに心を折られかけた際にフォローして貰った恩があるので無下むげに出来ない。

「あんまり無茶はするなよ」

「まかせろたぶん大丈夫だ」

 たぶんて。たぶんて。

 微妙に不安が残る。

 疑惑に満ちた半眼を向けつつも、俺は一歩下がってイサトさんの様子を見守ることにした。一応何かあった時にはすぐさま援護に入れる距離は保つ。

 イサトさんはそんな俺へと視線を流して小さく笑うと、は、と短く息を吐いた。それから、ドリーミィピンクのスタッフを体の前で縦に構えて、精神を集中させるように長い銀色の睫毛をやわりと伏せる。吹き抜ける風に煽られ、優雅にドレスの裾が波打つ。そんなイサトさんの姿は、着ているドレスの効果もあってどこまでも神秘的だ。不可思議を操る魔法少女に相応しい。

 やがて、俺が見守る中イサトさんの唇が小さく開かれる。

 スキル名を思い出したのか?

 そう思った俺の耳に届いたのは──…

「スキルショートカットCtrlコントロール1、フアンクシヨン3! フアンクシヨン6!」

 まさかのキーボード配列だった。

 が、イサトさんの作戦は成功したのか、スキル名を唱えたわけでもないのに、二種類のスキルが未だかつてない切り替えの早さで発動して庭師と薔薇姫のそれぞれに着弾する。

 普段ゲームとしてRFCをプレイしている折にはスキルをショートカットキーに登録していたことが原因でスキル名を覚えていないのなら。いっそ記憶に残っているショートカットキーの配列をそのままスキルに当てはめてしまえ、という豪快極まりない解決法だった。

 RFCでは1から10までのショートカット画面があり、それぞれのショートカット画面にそれぞれフアンクシヨン1からフアンクシヨン9までのキーを対応させて登録することが出来た。今のイサトさんの言葉をわかりやすく説明すると、スキルショートカット画面の1において、フアンクシヨン3キーとフアンクシヨン6キーに対応するスキルを発動させた、ということになる。

「これで勝つる」

 ふふんとイサトさんが得意そうに胸を張る。

 確かにこれで、庭師と薔薇姫の属性の違いに手間取ることもなくなるだろう。

 ……魔法少女の呪文にしては若干味気なさすぎるような気がしないでもないが。

「さてさて、狩り尽くしてしまうとしよう」

 にんまりと笑って、イサトさんがちろりと唇を舐めた。


*     *


「さてと、こんなもんか」

「だな」

 それから数十分の間に、次々と集まってきた薔薇姫と庭師をことごとく退けた俺たちは、小さく息を吐きつつ顔を見合わせた。手を休めて様子を窺ってみるが、こちらに向かって近づいてくる敵影は見当たらない。

 皆を避難させるなら今がチャンスだろう。

 俺たちはエリサが事情を説明してくれているであろう狩りチームの方へと戻る。

 エリサは、と捜したところ、どこかエリサやライザと面差しの似た二人の獣人と一緒にいるエリサの姿が目に入った。きっとあれがエリサの両親なのだろう。保護者と一緒にいるからなのか、こんな状況だというのにエリサの表情がどこか柔らかく、いつもよりも幼げに見える。

「エリサのご両親もご無事なようで何よりだ」

「そうだな」

 同じことを思っていたのか、隣でそう呟いたイサトさんの声には安堵が滲んでいる。間に合って本当に良かった。

「アキラ! イサト!」

 俺たちが戻ってきたことに気付いたのか、エリサが両親から離れて駆け寄ってくる。エリサは俺と目が合うと少しだけ気恥ずかしそうに目元を赤く染めた。なんだろう。怖がられるのは辛いが、そういう反応は反応でなんだか妙に俺まで照れる。

 俺は「あー……」と誤魔化すように間を置いて、エリサへと問いかけた。

「怪我人の具合はどうだ?」

「イサトの火の鳥のおかげで、みんな治ったみたいだ。みんな二人にすごく感謝してる」

「それは良かった」

 イサトさんがほっとしたように呟いて朱雀を見上げると、その眼差しに応じるように朱雀がイサトさんの背後に寄りそうように舞い降りた。全身が赤々と焰に彩られているのに、こうして近くにいても熱を感じることはない。イサトさんがぽんぽん、と労り、褒めるようにその首筋を軽く叩くと、くるるるる、と小鳥じみた可愛らしい鳴き声が響いた。グリフォンとはまた違った、柔らかそうなもふもふとした羽毛につい目が引き寄せられる。触れて火傷する心配がないのなら、是非俺も触らせていただきたい。そろーっと手を伸ばしかけたところで、まるでその気配を察知したかのようにイサトさんが俺へと振り返った。別に悪いことをしようとしていたわけでもないのに、思わず手を引く。

「秋良青年?」

「……なんでもない。どうした?」

「いや、『家』を出してもらおうかと思って。ここから徒歩でセントラリアまで戻るのもアレだろう?」

「ん。そうだな」

 脱出経路は、飛空艇の時と同じで良いだろう。

 狩りチームの皆さんには一度『家』に入っていただき、そこから一息にセントラリアにドアを繫げてしまえば良い。

 俺はインベントリから『鍵』を取り出すと、しゃらりと音を立てて一振りした。

 ふっと高原を吹き抜けるような爽やかな風が吹き抜けて、うっすらと光に包まれた扉が召喚される。魔法のような光景に、狩りチームの皆さんが息を吞む気配が伝わってきた。

「えーと、この扉の向こうは安全地帯に繫がってる。そこを通り抜けたらセントラリアはすぐだ。なので、皆さんには一度この扉の向こうに避難してほしい」

「…………」

「…………」

 俺の説明に、少し不安そうな顔を見合わせる狩りチームの人々。

 そんな彼らを説得するように声を上げたのはエリサだった。

「みんなの信じられねー気持ちもわかるけど、アキラとイサトはみんなを助けに来てくれたんだ。オレは、二人を信じてる。だから、みんなにも信じて欲しい」

「……っつーかあんな戦い見せられたら抵抗できねえっての」

 くつ、と苦笑いめいて喉を鳴らして、一番最初にイサトさんがドロップキックで助けた鳥の獣人が口を開いた。彼の言葉に、さざめきのように小さな笑い声が狩りチームの中に広がっていく。

「確かにあれだけ強けりゃ、騙し討ちなんかしなくても俺たちなんて瞬殺だわな」

「そうね、そのとおりね」

 エリサの両親らしき男女の声に、狩りチームの獣人たちも笑い混じりに納得したように頷いている。なんだか微妙に嫌な納得のされ方をしているような気がしないでもないが、皆がおとなしく『家』に向かってくれるなら無問題である。

 俺はがちゃりと『扉』を開き、その向こうに広がる『家』へと皆を誘導しようとして……そこで待ったの声が響いた。

「待て……っ、お前らどこへ行くつもりだ!」

「まだノルマは達成していないぞ!!

 そんなことをがなり立てたのは、身なりの良い商人風の男二人だった。

 というか、商人だ。

「……ギルロイ商会か?」

「ああ。見張りだ」

「なるほど」

 ぼそりと問いかけた俺の声に、エリサの父親だと思われる男性が低く答える。

 狩りチームに指示を出し、その仕事ぶりを監視するのが彼らの役割なのだろう。

 つまり──…エリサの両親やその仲間たちを死地に追い込んだ張本人だとも言える。こうなったら物理的に黙っていただこうかと俺が一歩前に出るよりも先に、ひらりと可憐な桃色が揺れた。

 するりと前に出たイサトさんが、鋭くドリーミィピンクのスタッフを彼らの首元に突きつけたのだ。

「……っ!」

「な、なんのつもりだ!」

 見た目は大層可愛らしいスタッフであっても、そのスタッフからほとばしる魔法がいかに強力なのかは、彼らは見て知っているはずだ。怯んだように声を震わせながらも、それでもなんとかイサトさんを威圧しようと男が声を張り上げる。大声を出せば主張が通るとでも思っているのだろうか。

 ……俺ですら怖いというのに。

 それほどに、イサトさんの身に纏う空気が冷え切っている。

 こわい。ちょうこわい。

「──…残りたければ君らだけでいくらでも残ると良いよ」

 低く、柔らかなイサトさんの声が響く。

 いつもと変わらず、優しげですらあるというのに、何故か冷たいものが背筋を走った。ごくりと思わず喉が鳴る。

 が、そんな空気を読まずに、男たちは一度顔を見合わせると、大声で言葉を続けた。

「これだから略奪者ルーターは! 仕事を投げ出すなんてな!」

「全く、仕方がないな!」

 こいつらの心臓には毛が生えているのだろうか。

 俺や、エリサを筆頭にした狩りチームのみなさんの方がよっぽどイサトさんにビビっている。

 男たちはいかにも獣人たちの我儘を許し、付き合ってやるのだと誇張するように恩着せがましくがなりながらイサトさんの突きつけたスタッフを手で撥ねのけた。そしてずんずんと獣人たちを押しのけて、俺が開いた『扉』の方へとやって来る。それから胡散臭うさんくさそうな顔つきで、品定めするような視線を『扉』の先へと送る。

「本当に安全なのだろうな?」

「何かあったら責任は取ってもらうぞ」

 そんな勝手なことを言いながらも、本当はこの先が安全圏だということは確信しているのだろう。男たちは、狩りチームに先んじて『扉』の向こうへとさっさと足を踏み出そうとして──…そんな背中に向かって、イサトさんが何気ない様子で声をかけた。

「後一歩でもその先に進んだならば、す」

「……っ」

「……!?

 シンプル極まりない脅迫に、びくりと男たちの身体が揺れる。

 背後から吹き付けるような殺気に、まるで足から根でも生えてしまったかのようにその動きが止まった。

「なあ、貴方がたは何を勘違いしているんだ?」

「かん、ちがい……?」

「ああ、勘違いだ」

「勘違い、って何がだ……!」

 ふっとイサトさんが呆れたように小さく息を吐いて、それから心底不思議で仕方ないといった口調で、可愛らしく小首を傾げて問いかけた。

「どうして私たちが君らを助けると思っているんだ?」

「「!」」

 男二人が、絶句する。

 そしてようやく、自分たちの前にいる魔女がお怒りであることに気付いたようだった。

「わ、私たちを見捨てるつもり、なのか……?」

「見捨てる? 最初から助ける人数の勘定にも入っていないのに?」

 イサトさんの口元に艶やかな笑みが浮かぶ。

「私たちは、そこにいるエリサ嬢の依頼で獣人の皆さまを助けにやって来たんだ。貴方たちのことなど、知らないな」

「あ、あ……」

 おろおろ、と男たちの視線が揺れる。

 助けを求めるように周囲を見渡し、周囲にいるのが自分たちが散々虐げてきた略奪者ルーターでしかないことに絶望したように小さく声をあげる。

「だ、だが私たちに何かあれば商会が黙ってない……!」

「そう?」

 イサトさんはおかしくて仕方ないというように、くすくすと小さく笑った。

 無垢で可憐な少女のように微笑んで、口を開く。

「証拠も、ないのに?」

「っ……!」

「私たちが薔薇園にたどりついた時には、一行の中でも身を護る力を持たない監視役の商人たちは残念ながら事切れており──…、助けられたのは獣人の皆さまだけだった、なんて言っても十分通じると思うのだけれども」

 ざっと男たちの顔から血の気が引く。

 ここに置き去りにされれば、彼らは遅かれ早かれ、薔薇姫や庭師の犠牲になるだろう。それが俺たちが助けに来るより先に起きたのか、後に起きたのかを判別する方法はない。

 周囲が固唾かたずを飲んで見守る中、商人たちはがくりとその場で崩れ落ちた。

 がたがたとその背中が小刻みに震えている。

「た、助けてくれ……お願いだから、助けてくれ……っ」

「金ならいくらでも出す……!」

「残念ながら金には困っていない」

 男たちの命乞いをさっくりと斬り捨てて、イサトさんはふっとエリサへと視線を流した。毒気の強い艶やかな眼差しにアテられたように、びくっとエリサの肩が跳ねる。

「さて、どうする?」

「ど、どうするって……」

「私たちは君の依頼で助けに来たわけだからな。君がこいつらの命も助けてやって欲しい、というのならまあ、助けてやっても構わない」

 イサトさんの言葉に、男たちは弾かれたようにエリサへと向き直った。

 イサトさんを説得するよりも、エリサの方がまだマシだと思ったのだろう。

 その判断はたぶん間違ってない。

「頼む、助けてくれ……!」

「助けてくれるなら何でもする……!」

 男たちは額を地面に擦り付けるようにして、エリサへと懇願を繰り返す。

「そんなこと、オレに言われても……」

 困惑しきった声音で呟いて、エリサが瞳を揺らした。

 そりゃそうだろう。こんな状況で、いくら嫌な相手だからといって生殺与奪の権利を与えられても持て余す。助けを求めるような視線を向けられて、俺は小さく息を吐いた。口を挟んだだけで首をねられそうな雰囲気だが、仕方ない。

「イサトさん、エリサに決めさせるのも酷だと思うぞ」

 俺の言葉に、イサトさんがちらりと俺を見た。

「そうか。それなら……どうする?」

「んー……」

 俺は、ちょいと這いつくばる男たちの前に座り込んだ。

 怯みながらも、助かるチャンスを嗅ぎ取ったのか男たちがそろそろと顔を上げて俺を見上げる。

「何でもすると言った言葉に噓はないな?」

「ない! 誓う!」

「私もだ!」

「じゃあ、街に戻っても決して俺たちの邪魔はしないと約束しろ。もしその約束をたがえるようなことがあれば──…」

 どん、と俺は男たちの顔面すれすれに大剣を突き立てる。

 ひっと悲鳴が上がったが気にしない。

「今度は置き去りなんて生ぬるいことはしない。俺がこの手でぶち殺す」

 どれだけ防御を固めようと、どれだけ逃げようと、必ずそれを成し遂げるだけの力があることは、流石のこの男どもも思い知ったはずだ。水飲み人形のようにがくがく頭を縦に振る男たちを横目に、俺はよいせ、と立ち上がってイサトさんへと目を向けた。

「こんなところでどうよ」

「充分じゃないか? ギルロイ商会を内側から崩すコマになっていただこう」

 そう言ったイサトさんは、すっかりいつもの様子に戻っている。

 俺が助け舟を出すことまで、織り込み済みだったのだろう。

 全く、心臓によろしくない。

「んじゃ、皆さんはどうぞ『家』に移動してくれ」

 俺の促した声に、ぞろぞろと今度こそ皆が移動しかけて──…


「ああ、困りますねえ」


 そんな、この場にいないはずの第三者の声が響いたのはそんな時だった。


*     *


 イサトさんのドエスっぷりに商人二人が死を覚悟し、何故かその怒りの矛先ではないはずの俺やエリサが恐怖のどん底に叩きこまれたりした後──…

 いざ避難を始めようか、というところでその声は響いた。

「ああ、困りますねえ」

「……っ」

 いるはずのない第三者の声に、俺は素早く大剣を構えてそちらへと向き直る。

 そこに立っていたのは、見覚えのある太った中年オヤジだった。

 にこにこと愛想の良い笑みを浮かべているものの、その双眸にはぬとりとした油断のならない光が浮かんでいる。

 あの男だ。

 セントラリアで、騎士を引き連れ絡んできたギルロイ商会の男。

「マルクトさん……!?

「なんであんたがここに……!」

 マルクト、というのがこの男の名前らしい。

 俺は傍らで同じく身構えていたイサトさんへとちらりと視線を流す。

「イサトさん、気付いてたか?」

「いいや、君は?」

「俺もだ」

 ぐ、と大剣の柄を握る手に力が入る。

 俺も、イサトさんも、この場にこの男がいることに気付いていなかった。

 いくら黒薔薇の庭園が戦場となっていたとはいえ、保護すべき狩りチームは一か所に固まっていたし、そもそも純粋な人間種は先程までイサトさんがいびり倒していた商人二人しかいなかったはずだ。

 俺はゆっくりと大剣を持ちあげると、男へと突き付けた。

「あんた、何者だ」

「おや、まだ名乗っていませんでしたか? それは大変失礼致しました」

 男は、商品の不備を指摘された商人めいた態度で上っ面の詫びを口にする。それから、恭しく片手を胸に当てて頭を下げて見せた。

「私の名前はマルクト・ギルロイ。ギルロイ商会の代表でございます」

「……なるほど」

 この男がギルロイ商会の親玉だったというわけか。

 セントラリアで絡まれた際、騎士相手に目で指示を出す様からお偉いさんだろうとは思っていたが……、どうやらこの男が諸悪の根源らしい。

「だが、それだけじゃないだろう」

 イサトさんが横合いから口を開いた。

 その金色の双眸は、油断なく男を見据えている。

 そんなイサトさんへと、男はやはり愛想よく微笑んで、それでいてイサトさんの問い掛けには答えないまま言葉を続けた。

「皆さんに、私の息子を紹介しましょう。おいで、坊や」

 男は、そっと自分の隣を覗きこむようにして声をかける。

 子供が……いるのか?

 俺は目を凝らす。

 俺たちのいる辺りは朱雀のおかげで明るいが、男の立っている辺りはぼんやりと闇に沈んでいる。男の腰のあたりまではかろうじて朱雀の光が届いているが、それより下に関してはどうにか形が判別出来るか出来ないか、といった程度だ。

 男は、優しい父親といった声音でその薄暗がりへと声をかける。

 ぺた、と小さな足音がした。

 薄暗がりから、小さな人影が一歩前に出る。

 父親である男と手を繫いだその子は、父親の膝を少し超える程度の背丈しかない、本当に小さな子供だった。3、4歳といったところだろうか。

 けれど。

 けれど。

「……、」

 俺とイサトさんは、その子を直視することが出来なかった。

 アレは、生きていない。

 それは直感だった。

 その子の見た目に何か異様なところがあったというわけではない。

 あえて言うならその子は、若干表情に乏しいだけの普通の子供のようだった。

 けれど、違うのだ。

 存在感があまりにも異質だ。

 冷たいやすりでざりざりと神経を擦りあげられているような違和感。

 ただ父親に寄りそうようにして立っているだけの子供の姿から、まるであのヌメっとした人型から受けたのと同じような気色悪さを感じる。人ではないものが、巧妙に人を真似ているからこその気持ち悪さ。不気味の谷、なんていう言葉を思いだす。

「おい、マルクトさん……なあ、おい、噓だろ……」

「あ、……あ……」

 俺たちの背後で、商人二人が呻く声が聞こえた。

 悲しそうにも、怯えているようにも、憤っているようにも聞こえる、不思議な声だった。

「なあ、おい……マルクトさん、その子はあんたの」

「ええ、うちの坊やですよ」

「ありえない!」

 商人の声にも、男は表情を変えなかった。

 にこやかな愛想笑いを浮かべたまま、首をすこぅしだけ傾けた。

「何を言ってるんですか、ディーゲンさん。ありえない、なんて失礼ですねえ」

「マルクトさん……!!!

 男の名前を呼ぶ商人の声は、悲鳴のようだった。

「あんた……、何したんだよ……、その子に何を……っ」

「おかしなディーゲンさんですね? あなたはうちの坊やのことは可愛がってくれていたと思うんですが」

 動揺し、声を引き攣らせている商人とは対照的に、男はどこまでも穏やかに、のんびりと、まるで世間話でもしているかのような態で言葉を紡ぐ。時折手を繫いだ先にいる子供に対して愛しげな眼差しを注ぐ様などは、場所さえ違えば子煩悩な父親にしか見えなかっただろう。

 ここが黒薔薇の庭園である、ということが。

 その子の黒々とした昆虫のような無機質な眼差しが。

 ありふれた幸せな光景を、おぞましい何かに見せていた。

「マルクトさん、あんたも本当はわかってんだろ……!」

「何が、です?」

「あんたの息子は十年前に流行はややまいで死んだ!」

「……っ、」

 商人の声に、俺は小さく息を吞む。

 そうか。

 だからか。

 あの男が連れた子供から感じる違和感はそれか。

 一目見た瞬間から「生きていない」と感じてしまった理由は。

 事実、あの子は生ある存在ではないのだ。

 何らかの方法でもって、理を歪めた存在。

「私の可愛い坊やはね、蘇ったんですよ。おかげさまで。だから、こうして父子揃って幸せな毎日を送らせて頂いています」

 にこにこ、と微笑みながら男は語る。

 人外の虚ろな目をした子供の手を引いて、父親は楽しそうに語る。

「ただ……この子が生きるためには『女神の恵み』が必要なんですよ」

 父親の声に応じるように、その子は小さく顔を上げた。

 父親の様子を窺うようなあどけない仕草。

 が、そこから続いて起こったことは、決して微笑ましいなんて言葉で済むものではなかった。

 かぱあ。

 幼子の顎が落ちる。

 喉奥からせぐりあげるようにこみあげてくるのはヌトリとした汚泥めいた漆黒だった。俺はこの色を知っている。飛空艇で戦ったヌメっとした人型だ。嫌悪感に、ぞわりと全身の毛が逆立つ。

 アレが、人の中に潜んでいる?

 カラットの村で見たのも、そんな存在だったのだろうか。

 裏表が入れ換わるように、幼子の中から溢れた漆黒がその身体を包みこみ、やがてどぷんと溶けるように消えた。

 いや、消えたように見えるだけだ。

 きっと、アレはスライムか何かのように地面に広がっているのだろう。

 闇が濃い地表に溶け込むように、じりじりと地面に広がる黒の粘体の姿を幻視して俺は顔をしかめた。いきなり足元を掬われて喰われるなんて、たまったもんじゃない。

「イサトさん、光を」

「わかった」

 イサトさんが、手を掲げる。

 その指示に従って、優雅に羽ばたいた朱雀が舞いあがる。

 光源が高くなったことにより、辺りに昼のような明るさが満ちた。

 光に照らされた地上は明るく。

 そして、光に照らされて闇色はなお暗く。

 俺が脳裏に思い描いた通り、黒の粘体は地表に薄く広がっていた。

 光から逃れるように、ひたひたと俺たちとは逆の方向へと広がっていく。

「うちの坊やは不器用でしてね」

 にこにこと親馬鹿のようにマルクト・ギルロイは語る。

「見本がないと、どうも上手に工作が出来ないんですよ。私もそういった方面には全くなので……父親に似てしまったんですかねえ。家内はわりと器用な方だったはずなんですけど」

 場違いな言葉が空々しく響く中、びゅ、っと何かが風を切る音が聞こえた。

 俺は咄嗟とつさに身構えるものの、黒の粘体から伸びた触手が向かったのは俺たちの居る明るい方ではなく、闇の向こう側に潜むモンスターの方だった。薔薇園においては最強であるはずの薔薇姫が易々と黒い触手に搦め捕られる。貴婦人然とした影が触手から逃れようと暴れながらも、ずるずると引きずり寄せられる様が黒々とした闇の向こうに微かにシルエットで浮かびあがった。朱雀の光の範囲外、闇の中でぐちゃりごりばきりと不気味な音と微かな影絵だけがおぞましい惨劇を物語る。薔薇姫の影がいびつに歪み、どろどろと少しずつ闇の塊に取り込まれていく。詳細が見えないからこそ、より恐怖を搔きたてられる光景だった。

 そして、闇が震えた。

 うぞぞぞ、と地面に広がっていた黒の粘体が蠢き、膨れ上がって新たな輪郭を形作る。それは、見た目だけなら薔薇姫の形状にとてもよく似ていた。下向きの薔薇の花をかたどったような球状の下半身に、その上にちょこんとついた上半身。薔薇姫であればその名の通り、可憐なお姫様の上半身がついていたものだが、今そこにあるのはのっぺりとした黒の無貌だ。これだけの質量がよくもまあ小さな幼子の身体に収まっていたものだと、変なところに感心してしまいそうになる。

 茫然自失と目の前の光景を見つめることしか出来ない一同の前で、マルクト・ギルロイだけが愛息子のお遊戯を眺める親馬鹿のような顔でにこにこと変わらずに微笑んでいた。

「……コレが、あんたの息子なのか」

「ええ、私の自慢の坊やです」

 即答だった。

 迷いはなかった。

 モンスターを捕食してその形を真似た異形の黒の粘体を、この男は変わらずに『坊や』と呼んだ。

 病んでいる。

 いや、それは姿形を超えた父子の愛なのかもしれない。

 俺のような若造には、父親が子供に注ぐ愛の深さを推し量ることは出来ない。もしかしたら、マルクト・ギルロイとその『息子』である異形との間には俺らには理解出来ないような深い愛の物語があるのかもしれない。けれど、それは俺にとっては途轍もなく異質なものだった。

 そしてその異質さを、マルクト・ギルロイは歯牙にもかけていない。

 彼にとって目の前の息子は愛しい自慢の坊やでしかなく。

 周囲から向けられる恐怖の眼差しに意味はない。

 あんまりにも完結した父子の関係を見せつけられて、俺はどうしたものかと反応に困ってしまう。

 そんな俺に代わって、横合いから口を開いたのはやっぱりイサトさんだった。

「──彼が、あなたの息子だと言うのなら、それはそれで良いだろう」

 良いのか。

 本当にそれで良いのか。

 いろいろ良くない気もする。

「だが──…その息子さん連れで私たちに何の用だ?」

「あ」

 そうだ。

 間の抜けた話だ。

 衝撃的な息子さん紹介に度肝を抜かれて、そこで思考がフリーズしてしまっていた。問題はマルクト・ギルロイの息子が薄気味悪い異形である、ということではなく。マルクト・ギルロイがここに何をしに現れたのか、ということだ。たとえマルクト・ギルロイの息子があのヌメっとした人型だったとして、彼らが俺らに害を成す存在でさえなければ別にそれで良いのだ。個性は尊重しよう。それはたとえその息子が黒い粘体と化してモンスターを捕食するような存在であったとしても、だ。

 イサトさんの問い掛けに、マルクト・ギルロイはにこやかに笑った。

「あなた方には──…坊やのご飯になってもらおうかと」

 その言葉と同時に、ぶびゅるッと粘質な音がほとばしる。

 それがヌメっとした人型の背が破裂した音だと気付いた時には、すでに弾けるような勢いで射出された黒の触手が俺たちに向かって降り注ごうとしているところだった。

 俺やイサトさんどころか、その背後にいるエリサ達までをも取り込もうと広げられた触手は、いつかテレビで見たクリオネの捕食光景じみている。

「ちッ」

 悪寒を振り切るように、俺は舌打ちを一つ。

 先程からの戦闘で学んだのだが、俺の攻撃というのは基本的に一点豪華主義である。スキルを使うことである程度離れたところにいるモンスターを狙い撃ちにしたり、直線上にいるモンスターをまとめてぶった切る、というような手段も持ち合わせてはいるのだが……それでも基本的に俺の攻撃は一点に収束する傾向にある。つまり、相手が手数で攻めてきた場合、なおかつそれが広範囲に及ぶ場合、迎撃が間に合わない。自分一人の身を守る程度ならわりとどうにでもなるのだが、守るべき対象が複数になるとどうにも弱い。

 そもそもRFCというゲーム自体が、そういった状況を前提にしていなかったということもある。だからこそ、リアルとなったこの世界において、「守るもの」が複数存在する戦闘に、俺のこれまでのスキルやスタイルがうまく咬みあわない。

 そんなわけで。

「イサトさん……!!

フアンクシヨン8!」

 あっさりとこの場をイサトさんに譲ることにした。

 イサトさんは大きく広がって迫りくる触手に向けて手をかざし、高らかにスキルの実行を宣言する。その手の先に、ごうっと渦巻く焰が花開くように展開し、俺たちを護る焰の壁となった。一応警戒しつつ様子を窺ったものの、触手が焰の壁を突き抜ける様子はない。

「エリサ、今のうちに皆を逃がせ!」

「…………」

「エリサ!」

「わ、わかった!」

 あまりの展開に呆然としていたエリサが、俺の声にびくりと小さく肩を揺らし、両親らと共に狩りチームのメンバーを扉の向こうへと押し込んでいく。その様子をちらりと目の端で見届けて──…

「先に行く!」

「ん」

 俺はイサトさんにそう一声かけると、大剣を携えて焰の壁へと突っ込んだ。

 ゲーム時代であれば俯瞰で画面を見ていたので気にならなかったのだが、イサトさんが防御のために展開したこの壁魔法の欠点をあげるとしたら視界が遮られる点だ。まあ、それは逆に相手からも俺らの姿が見えないということになるので……こんな風に不意打ちも可能になる。

 身体にまとわりつくような熱気を感じたのは一瞬。

 ぼひゅっと焰の壁を突き抜けて、俺は大股に一息にヌメっとしたモンスターへと接近した。腰だめに構えていた大剣を一閃、その膨れあがった球体を薙ごうと試みる。飛空艇で遭遇したヌメっとした人型と同類だとした場合、通常武器でダメージを与えることが出来ないのは予想できるが、時間稼ぎぐらいにはなるだろう。

 そう思っていたのだが……大剣が黒くヌメる球の表面に触れるか触れないか、というところで急にすぅっとその色が抜けた。最初は溶けた飴のように濁りがあるそれが見る見るうちに硝子ガラス細工のように澄み渡る。そして、その中にあるものを視認して俺は息を吞んだ。

「……ッ!」

 振り抜きかけた大剣だったり、前のめりに突っ込みかけていた脚に急ブレーキ。

 ざりりりりッ、と足元で砂利が鳴る。

 重心を一気に反転させての方向転換。

 バスケ部時代に慣れたターンとはいえ、重量級の武器を振り抜きかけたところでのこととなると流石に足腰が軋むように鈍く痛む。が、振り返った先でやっぱり、というか案の定、というか待ち構えていた光景にそれどころではなくなった。

 焰の壁は、もう役目を終えたかのように消えていた。

 名残のように、ちろりと熾火おきびめいた光がイサトさんの足元を彩る。

 その背後にいた怯える狩りチームの人々の姿はもうない。

 頭の片隅で、これでやりやすくなったと安堵しておく。

「イサトさんスト」

Ctrlコントロール2、フアンクシヨン1! フアンクシヨン2! フアンクシヨン3……!!

 ップ、と最後まで言うより先に、イサトさんの放った攻撃魔法が次々とヌメっとしたモンスターめがけて飛来する。俺の援護なのだとしたら完璧なタイミングでの追撃だった。ヌメっとした黒の人型が取り込んだモンスターが薔薇姫だったことをかんがみてのチョイスなのだろう。その全てが焰系の魔法である。地を蔦のように走りながら迫るもの、複数の火矢となって降り注ぐもの、そしてサッカーボールほどのサイズの焰の塊が縦横無尽に突っ込んでくる。

 だから。

 もう一度言うが。

 俺は複数迎撃には向いていないのである。

「……ッ!」

 ぐっと強く奥歯をかみしめて、ヌメっとしたモンスターに直撃しそうな魔法攻撃を幅広の大剣を振りまわして薙ぎ払った。接触した地点で爆発するタイプの攻撃魔法が次々と誘爆してイサトさんの魔法を搦め捕る。轟々と渦巻く爆炎に息が詰まる。燃え盛る焰に焙られ、露出した肌がちりちりと痛んだ。が、まだ怯むわけにはいかない。俺は素早く足元を確認。そして地表を走る焰の蔦を、顔を顰めつつ思い切り踏みつけた。腹に響く音とともに足元で焰が炸裂する。

「っ、」

 足裏から膝の辺りまでを灼熱の焰に焼かれる痛みに、一瞬頭の中が真っ白になった。これは痛い。いくら高レベル装備で身を固めていようと、さすがにイサトさんの魔法攻撃を受けてノーダメというわけにはいかないらしい。装備がなかったら間違いなく足を吹っ飛ばされていた。

「秋良!?

 イサトさんが驚いたように俺の名を呼ぶが、それに返事をする余裕はない。イサトさんの魔法攻撃を迎撃している俺の無防備な背中を敵が見逃すわけもないのだ。ああクソ、と口汚く罵りながら、俺は目の前を渦巻く焰の中に自ら突っ込んだ。だん、と叩きつけるように左手で身体を押しやり、転がって距離を稼ぐ。あちこちの皮膚がひきつるように痛むのは間違いなく火傷のせいだろう。そんな俺の背後で、ざすざすざすッとくうを切った触手が地面に刺さる音が聞こえた。

「触手…だけ、狙え……!」

フアンクシヨン2!」

 がさがさに掠れた声で叫ぶ。

 状況もわかっていないだろうに、イサトさんはすぐさま再びスキルを発動させると、俺を追って伸ばされた触手を迎撃してくれたようだった。イサトさんと同じ位置まで一旦下がって、俺はげふごふと咳き込んだ。熱気を吸いこんだせいで、喉が焼けたように痛む。というか、実際焼けている。息をする度に金臭いのは、熱にただれた粘膜が出血しているせいだろう。口の中も血の味でいっぱいだ。やばい死ぬ。ざん、と大剣を地面に突き立て、それで身体を支えつつぜいぜいと喉を鳴らして息を継いだ。吸っても吸っても肺に酸素が行き届いてないような感覚に、目の奥がチカチカと瞬く。

「朱雀!」

 イサトさんの声をきっかけに、少しずつ呼吸が楽になり、喉やら全身やらの痛みが薄れていった。朱雀の回復魔法の恩恵だろう。は、は、とまだ荒い息を整えながら、ようやく顔をあげてぼそりと呟いた。

「……し、死ぬかと思った」

「殺すかと思ったぞこっちは!!!」

 イサトさんに間髪を容れず怒鳴られた。イサトさんにしては珍しいぐらい動揺が声に表れていて、なんだかちょっと泣きそうに震えているようにも聞こえる。顔をあげようとしたところ、べちりと顔面に手を押しあてられた。アイアンクローじみているものの、その指に力はこもっていない。

 もしかして、顔を見られたくない、とか?

「イサトさん?」

「……後で覚えてろ」

 非常に恐ろしい宣言をされた。

 イサトさんはふいっと手を俺の顔面から離すと、インベントリへと手を滑らせる。そこから取り出したのは、先程の狩りで手に入れたばかりの小瓶だった。薔薇姫ドロップの蜜だ。手のひらサイズの小瓶に入ったとろりとした蜜は、朱雀に照らされてとろりとした光を放っている。

「念のため、こっちも飲んでおくといい。というか、飲め」

「はい」

 逆らうと後が怖い。

 きっと俺を睨む金色が、ちょっとばかり潤んでいるように見えるのは見間違いだろうか。これはアレだ。全部終わったら本気で謝らないといけない奴だ。

 きゅぽ、と瓶の蓋を落として、中身を一息にあおった。薔薇の香りを濃く纏った甘ったるい蜜がとろとろと喉を過ぎていく。精製前とはいえ、高級ポーションの材料となるぐらいなので、薔薇姫の蜜だけでも回復アイテムとして優秀なのである。

 俺は回復具合を確かめるように首を回して手首を振りつつ、ヌメっとしたモンスターへと向き直った。その球体部分は、すでに元ののっぺりとした黒に戻っている。

「秋良、説明してくれ」

「イサトさん」

 俺は、重々しい声音でイサトさんの名を呼ぶ。

 そして、俺を見やった金色をしっかりと見据えて口を開いた。

「ライザとレティシアが人質に取られてる」


*     *


 そう。

 接敵して斬りつけようとした瞬間、硝子のように透けたモンスターの腹部に囚われていたのはセントラリアに残してきたはずの二人だった。

 あのまま俺が大剣を振り抜いていたならば、間違いなく内部に囚われていた二人ごとぶった切る軌跡だった。それ故のクイックターンである。

「ライザとレティシアが捕まってるって……」

 信じられないといったようにイサトさんは、俺とヌメっとしたモンスターの球状に膨れた下半身とを交互に見やる。が、それ以外に俺がイサトさんの攻撃から身をていしてあのモンスターを庇う理由が思いあたらなかったのか、嫌そうに顔を顰めつつも納得したように深く息を吐いた。

「……もっと強力なアイテムを渡しておけば良かった」

「いやいやヌメっとシリーズを倒せるだけの破壊力を秘めたアイテムは流石に駄目だろ」

 下手したらセントラリアの一画が吹っ飛ぶ。

 イサトさんは冗談めかしながらも、悔しそうに唇をきゅっと咬んでいる。

「イサトさん、仕方ない」

「……でも」

「ヌメっとしたのが潜んでるなんて知らなかったんだから」

「それはそうだけれども」

 イサトさんは、敵の戦力を見誤ったことを悔やんでいる。

 セントラリアに残してきたライザやレティシアに敵の手が及ぶ可能性に気付いていながら、こんな事態になってしまったことを自分の責任だと思っている。

 あそこで自分がもっと適したアイテムを渡すことが出来ていたならば、こんなことにならずに……、俺を痛い目に遭わせずに済んだのではないかとありもしない可能性を思い描いている。

「イサトさん」

「……なんだ」

「いいことを教えてあげよう」

 俺は、悔しそうに唇をへの字にして敵を見据えているイサトさんの肩をぐいと引き寄せた。本来ならば敵を目の前にして目をそらすなんて良くないんだろうが、この流れを引っ張るよりはマシだ。それに、頭上を旋回するように舞う朱雀がある程度は応戦してくれるだろうという見込みもあった。

 イサトさんを正面からまっすぐに見つめる。

 応戦するように、イサトさんもぐっと俺を見つめ返してくる。

 年頃の男女が向かい合って見つめ合っているというのに、なんだかカケラもロマンチックなシチュエーションを掠らないのが残念極まりない。

 が、今は言うべきことがある。

 俺はしっかりとイサトさんを見据えて口を開いた。

「試合の最中に悔やんでると、後でもっと悔やむことになるぞ」

「……う」

 俺の言葉に、イサトさんは小さく唸った。

 これは俺がバスケやら剣道やらの試合の中で学んだことである。

 反省は大事だし、同じ間違いを繰り返さないために対策を考えることは大事だ。

 けれどそのせいで集中出来なかったために、一つのミスからがたがたと崩れていった試合を俺は腐るほど見てきているし、嫌というほど体験もしてきている。

 ヌメっとシリーズが潜んでいることを予見出来なかったのは、こちらのミスかもしれない。だが、人質を取られているとはいっても、俺たちは一度飛空艇で同シリーズのヌメっとした人型を見事倒すことに成功しているのだ。

 撲殺、なんていうシンプル極まりない手段で。

 なので、今すべきことは反省でも後悔でもない。

 どうしたらライザとレティシアを取り戻し、あのヌメっとしたモンスターを無事に撲殺することが出来るかという手段を考えることだ。

「──…」

 イサトさんは、ふっと目を閉じて深呼吸を一つした。

 次に目を開けた時、イサトさんの瞳から動揺の色はだいぶ薄くなっていた。

 そう。それでいい。

 ミスは取り返せばいい。

 俺たちにはそれが出来るだけの力がある。

 俺はイサトさんの肩から手を離し、再びヌメっとしたモンスターへと向き直ろうとして……

「秋良青年」

 ふと、イサトさんに呼び止められた。

「ん?」

「その」

 イサトさんは、少しだけ気恥ずかしそうにほんのりと目元を淡く染めて、ぽつりとつぶやいた。

「ありがとう」

「…………」

 思わず言葉を失った。

 まだまだ戦場だとか、これからライザとレティシアの奪還戦が待っているとか、そういうことが一瞬頭からトぶ程度には可愛らしいお礼だった。

 くそう。

 普段年上ぶっている──…というか実際に年上なわけなのだが、そんなイサトさんにしおらしくお礼なんて言われてしまうと、予想外に心臓が跳ねる。

 そんな動揺を誤魔化すように俺はぼり、と頭を搔く。

 鎮まれ俺の心臓。

「──…さて」

 イサトさんが敵に向き直って改めて口を開いた。

「幾つかわからないことがあるんだが……、質問しても?」

「ええ、構いませんよ」

 イサトさんの言葉に、マルクト・ギルロイが一歩前に出る。

 二人のやりとりは、商品について聞こうとしている客とそれに愛想良く応じる販売員といった風にさりげなく響いた。

「まず一つ。せっかく囲っていた獣人たちを始末しようとしたのはどうして?」

「それはアレですよ。セントラリアを出た獣人たちがそのまま消えているということに、貴方がたが気づいてしまったからです」

「なるほど」

 会話の間、手慰みというようにイサトさんはトン、トン、としゃらんらで地面を叩く。

「いくら愚鈍な動物でも、さすがにそこまで状況が明らかになってしまえば恩も忘れて逃げ出すだろうと思いましたので」

「そもそもそんな恩があったのかどうかも疑問だけどな」

「そう、ですか?」

 横合いから口を挟んだ俺に、マルクト・ギルロイは心底不思議そうに首を傾げた。あれだけの境遇に街に住む獣人たちを追いこんでおきながら、本人は恩を売っているつもりだったというのが何とも恐ろしい。

「だって、ここまで生かしておいてあげたでしょう?」

 おおう。

 俺とイサトさんは思わずちら、っと視線を交わしてしまった。

 この男にとって、きっと獣人というのは同じ「人間」のカテゴリには存在しない、自分よりももっと遥か下位に存在しているものなのだろう。

 同じ言葉を話し、相互理解を深めることが出来る相手に対してどうしてそこまで残酷になれるのかが、俺にはよくわからない。それは俺がほぼ単一種族のみで成立する日本という国で育ったからなのか。

 誰それが嫌い、~~という考え方が合わないからその団体を避ける、というような感覚は俺にもわかる。だが、肌の色や種族が違うというだけで、意思の疎通が可能な相手を自分よりも劣る動物のように扱う感覚はどうもピンと来ないのだ。

「それでも、『女神の恵み』が手に入らなくなったら困るんじゃないのか?」

 商売という意味でも、生活という意味でも、獣人側にそっぽを向かれたら本当に困るのは人間の方だというのが俺たちの結論だった。だからこそ、そこの利害関係をうまく交渉することが出来れば獣人の立場を向上させることも出来るのではないか、などと考えていたわけなのだが……どうやら、このマルクト・ギルロイなるおっさんの発言を聞いているとどうにも難しそうだ。

 商売上の利益のために獣人の立場を弱めて利用していた、というよりもこの言いようでは、心の底から獣人を蔑み、嫌っているからこそ利用してついでのように利益を上げていた、というように聞こえる。

 それを確かめるための疑問に、マルクト・ギルロイはにっこりと笑った。

「ああ、そこが心配だったんですね。大丈夫ですよ。『女神の恵み』を独占する薄汚い略奪者ルーターを駆逐することが出来れば、その心配はなくなりますから」

「……っ」

「…………」

 これは、駄目だ。駄目な奴だ。

 相互理解とかそういう生ぬるい言葉が届かない域にイってしまわれている。

 セントラリアにはびこる獣人蔑視の思想をとことん突き詰めたらそこまでいってしまうのかという暴論が、マルクト・ギルロイの中では成立してしまっていた。

 獣人が『女神の恵み』を独占しているが故に、人間にその恩恵が行き渡らないというのなら、略奪者獣人を殺せばいい。

 それが、マルクト・ギルロイの辿りついた歪な結論だった。

 声高に主張するわけでもなく、さも当然のように語られたその言葉に背筋がぞくぞくと冷える。主張しないのは、それが主張するまでもなく皆にも受け入れられる「正論」だと確信しているからだとわかってしまったからだ。

 このマルクト・ギルロイという男は根っ子の部分から狂っている。

 極悪非道な商人というわけではなかったのだ。

 ただ、理屈が狂っている。

「……それが、本当じゃなかったらどうするんだ?」

「とは?」

 イサトさんの疑問に、マルクト・ギルロイが首を傾げる。

「いや、ほら。貴方は獣人を殺せば人間も『女神の恵み』を手に入れられるようになると思っているみたいだけれども……もしそうならなかったら? 誰も『女神の恵み』を手に入れられない、なんてことになったらどうするつもりなんだ?」

「試しに獣人全滅させてみたけど駄目でした、じゃ済まないだろ?」

「はは、大丈夫ですよ」

 俺たちの声に、マルクト・ギルロイはにっこりと明るく微笑んだ。そんな仕草はまるで、疑り深い客を相手にする深夜の通販ショーの販売員のようである。

 こん。こん。こん。

 そんなやりとりの間も、イサトさんは手慰みのようにスタッフで地面を小突いている。

「実際に坊やは救われましたから」

「救われた?」

「ええ、ええ。今から十年ほど前のことになりますか。うちの坊やは流行り病で酷い熱を出してしまったんです。坊やを救うためには、ある『女神の恵み』が必要でした」

 昔を懐かしむように、マルクト・ギルロイは黒薔薇の庭を見渡した。

「それなのに、街の獣人たちは誰も力を貸してはくれなかった」

 ぴしり、と。

 愛想の良い販売員風の顔にひびが入ったように見えた。

 顔は笑っていたものの、マルクト・ギルロイの目の奥にたぎるのは明らかな憎悪だった。

「怖気づいたんですよ。普段威張りくさって『女神の恵み』を高値で売りつけてきた獣人どもは、いくら金を積んでも私が本当に必要なものは売ってくれなかった」

 ふとマルクト・ギルロイが目を伏せる。

「坊やは、死にました。獣人どもに見殺しにされたんです」

 次に顔を上げたとき、マルクト・ギルロイはやっぱり笑っていた。

 にこにこと笑いながら、そのまなじりからつっと唯一の人らしさのように涙が頰を滑り落ちて行った。

「でもね、ある人が坊やを助けてくれたんです。獣人どもを殺せば、『女神の恵み』を取り戻すことが出来るって。坊やを生き返らせることが出来るって教えてくれたんです。だから、殺しました。商談があると呼び寄せて、何度も何度もその腹を刺して、動かなくなるまで頭を殴って、殺しました」

 マルクト・ギルロイは嬉しそうに語った。

 その独白に、俺はなんだか憂鬱になってしまった。

 人を殺したことを嬉しそうに語るから、ではない。

 それが、マルクト・ギルロイという男が息子のためにしてやれる唯一だったということに、なんとも言えない気持ちにさせられてしまったのだ。

 獣人でなければ、『女神の恵み』を手に入れることが出来ない。

 だからこの男は、息子の病のための特効薬があると知りながらも、自らそれを手に入れるために危険を冒すことは出来なかった。それが無駄であるということを知っていたから。

 そして、何も出来ないまま息子はやがて死に至る。

 きっと、心が擦り減るほどに自分を責めたことだろう。

 何もしてくれなかった周囲を憎み、呪い、そして誰よりも何も出来なかった自分自身を憎み、呪ったことだろう。

 だからきっと、この男は飛びついたのだ。

「獣人を殺せば息子を救ってやる」という何者かの妄言に。

「私は人間ですから、息子のために『女神の恵み』を手に入れてやることは出来なかった。けれど、私にも獣人を殺すことは出来た。そして──…坊やは甦ったんです」

 愛しげに瞳を細めて、マルクト・ギルロイは傍らに控えるバケモノを見る。

 そして無貌に成り果て、黒くヌメる人外のバケモノをこの男は「可愛い坊や」と呼ぶのだ。

 は、とイサトさんがやりきれないといったように息を零すのが聞こえた。

「……きっと、無駄なんだろうな」

「……うん」

 イサトさんの呟きに、俺は頷く。

 きっと、無駄だ。

 あなたの隣にいるのはただのヌメっとしたバケモノで、あなたの息子などではないのだと言う言葉は、彼には届かない。

「時間稼ぎのつもりだったんだけども──…」

 聞かなきゃ良かった、と言うようにイサトさんがやわりと目を伏せる。

 銀色の睫毛がその目元に濃く影を落とす。

 物憂げなその横顔に、俺も短く息を吐き出した。

「さて、随分と無駄話をしてしまいましたが……そろそろ坊やがお腹を空かせている頃です。質問はもう良いですか?」

 その問いかけに言葉で答える代わりに、俺とイサトさんはそれぞれ得物を構えることで応じた。

 そして、再び戦闘が始まる。


*     *


「秋良、これを!」

「うえええええ……」

 ぶびゅるっと伸ばされた黒の触手を迎撃するためにイサトさんが俺に放ったのは、ドリーミィピンクが暗がりでも輝くようなマジ狩るしゃらんらだった。それを手にするのは心底嫌で嫌で仕方ないのだが、それしか手がないのもわかっているためおとなしく受け取る。

 それと同時にイサトさんの身体を包んでいた薄い桃色の光が闇に溶けるように消えていき、その衣装も変身前の赤ずきんへと戻る。

 握ることで、俺の身体を薄桃の光が包んだりなんかした日には舌嚙んで死んでやる、とやさぐれた気持ちで思っていたりもしたのだが……、そんなことは起こらないまましゃらんらの柄はしっくりと俺の手に馴染んだ。

 鈍器として。

「どうりゃ……っ!!

 俺とイサトさんを搦め捕ろうと伸ばされる触手を、ぱしんぱしんと叩き払うようにしてしゃらんらを振るう。そして、手に伝わった重みに顔をしかめた。

 薔薇姫を取り込んだせいだろうか。飛空艇で相手にしたヌメっとした人型よりも、触手の一撃一撃に重みがある。もちろん硬さも増しているのだが、一番しっくりくる表現としては密度が上がっている、といったところだろうか。

 迎撃出来ないほどの速度ではない。今のところ問題なく触手の一撃一撃を叩き落とすことが出来ている。打撃ダメージはそれほど与えられていないはずだが、聖属性のしゃらんらに触れられることを嫌がるようにしゃらんらに払われた触手はしおしおと萎れて地に落ちる。

 それだけを見ていると何も不安に思う必要はないようにも思えるが、実際はそうでもない。触手を打ち払う手に伝わる感触が、それが危険なものだと訴えている。俺なら何発か喰らっても平気だろうが、紙装甲のイサトさんにならかなりのダメージが通ってしまうはずだ。あまり長引かせたくはない。

「イサトさん、ライザやレティシアの居場所はわかったか?」

「何度か試したが駄目だった……!」

「ぐぬぅ」

 いつもの禍々しいスタッフに持ち替えたイサトさんの返事に、俺は渋面じゆうめんで呻いた。先ほどマルクト・ギルロイとの会話の間に何度もイサトさんがさりげなくしゃらんらで地面を叩いていたのはおそらくスキルの発動のためだと見て聞いてみたわけなのだが、スキルを使ってもあのヌメっとした身体のどこにあの二人が囚われているのかを見届けることは出来なかったらしい。

「まあ、もともとスキャンスキルは条件が厳しいから難しいとは思っていたんだけど」

「ちなみに発動した結果としては?」

「聖属性が弱点ってことしかわからなかった」

「やっぱりそうなるか」

 スキャンスキルというのは、モンスターの弱点を見抜くことが出来るという便利スキルだ。前衛、後衛、ジョブに関係なく身につけられるスキルなので、RFCプレイヤーの中にはこのスキルを持っている者も多い。が、その発動条件がなかなか厳しいため、俺は数少ないスキャンスキルを最初から諦めたクチの一人である。

 まず一番基本的な条件として、スキャンして出る情報は、一度自らの手で判明させたものに限られる。つまり、未知のモンスターに対しては通用しない。また、高レベルのモンスターに関しては魔力防御の値が高く、スキャンスキルに対してレジストしてくるのも多いのだ。

 それならば二窓で攻略サイトでも開いておけば十分代用出来るし、そもそも俺はガチガチの前衛ステ振りで魔力系のステータスはとことん低い。

 そんなわけで、俺は最初からスキャンスキルを持ってすらいなかったりするのである。

「ってことは、ライザやレティシアの状況も不明なままか?」

「とりあえず朱雀にはライザとレティシアの回復を命じていて、それが失敗してないってことは確実に生きてはいる」

「了解……ッ、っと!」

 そんな会話の合間にも、次々と伸ばされてくる触手を俺はしゃらんらで叩き落としていく。これで、俺たちが手を出しあぐねて戦っている間にモンスターの中でライザとレティシアが命を落とす、なんていう最悪な事態は回避することが出来たはずだ。後は、どうにかしてライザとレティシアを助けだすことさえ出来れば──…


*     *


 そう、思い続けてどれくらいの時間が経っただろうか。

 相変わらず状況は膠着している。

 お互いに決め手がないままに睨みあっている。

 ヌメっとしたモンスターには俺たちをどうこう出来るだけの決め手がなく、俺たちにはヌメっとしたモンスターをぶち殺す手段はあっても、人質のためにそれを実行出来ずにいる。

 ふつふつと額に浮いた汗を、ぐいと手の甲で乱暴に拭った。

 体力的にはまだ余裕はあるものの、精神的になかなか追い込まれている。

「秋良青年」

 そんな中、ふと神妙な声でイサトさんが俺の背中に声をかけた。

「何」

 返事がそっけなくなるのは、それだけ余裕がないからだと思って見逃していただきたい。

「イチかバチかの作戦がある。聞いてほしい」

 ほんの少しだけ、違和感を感じる。

 けれど、この状況ではそんな違和感を気にしていられるわけもなく、俺はそのまま触手を打ち払いながら頷くことでイサトさんを促した。

 正直に言おう。

 俺はイサトさんを庇いながらひたすら触手を打ち払うという作業にプレッシャーを感じていたのだ。少しでも俺がミスれば、イサトさんに危険が及ぶというこの状況は、想像以上にキツかった。なので、そんな状況を打破するための作戦があるというのなら、何でも良いから飛びつきたかった。

「作戦自体は、とんでもなくシンプルなんだ。いつも通り、君は敵に突っ込んで一撃を加えればいい。ただ、インパクトの面を一点に絞って突き立ててほしい」

 イサトさんが言った通り、それはどこまでもシンプルな作戦だった。

 けれど、その意味を察したとたん口の中に苦いものが広がった。

「おいイサトさん」

「私がここで全力で回復に回る」

「……ッ」

 息を吞む。

 思わず振り返ってしまいそうになるのを、なんとか自制した。

 唸るように言葉を吐く。

「それは、犠牲が出ること覚悟ってことかよ」

「…………」

 イサトさんは、言葉にしては答えなかった。

 けれど、決して否定の言葉を言おうともしなかった。

 全力で突っ込んで、あのヌメっとしたモンスターの膨れ上がった腹にしゃらんらを突き立てる。

 それはこの戦いが始まって以来ずっと俺がしたいと思っていたことだ。

 だが、その体内のどこにライザとレティシアがいるのかがわからないからといって、実行に移せなかったことだ。

 万が一俺が突き立てたしゃらんらがライザやレティシアにまで及べば、二人の命を危険に晒すことになる。

 イサトさんが今言っているのは、その危険をあえて冒すということだ。

 確かに、大剣の薙ぐような攻撃と違って杖で刺し貫くような攻撃であれば……攻撃の面積を最小限に絞れば、二人に危害が及ぶ可能性はそれだけ減るだろう。

 そしてそれと同時に、その一撃が当たったとしても二人が即死する可能性も同様に減る。むしろイサトさんは、二人を巻き込む前提の貫通攻撃でかたを付けようと言っているのだ。もちろん、イサトさんがその間全力でライザとレティシアの回復に回ることで、最大限二人の安全を確保しようとはしているのだが。

「…………」

 そんな作戦に乗れるか、と怒鳴ってしまいたかった。

 この手で、ライザやレティシアを傷つけることが前提として組み込まれている作戦になんて、顔をそむけてしまいたかった。

 けれど、それしか方法がないこともわかっていた。

 このままではいつまでもキリがない。

 俺の集中力が尽きれば、その後に待つのは全滅だ。

 それよりは悲惨な作戦だろうが……、まだ助かる可能性に賭けたい。

「…………わかった」

 俺は呻くような苦味を帯びた声音で頷いた。

 そして、しゃらんらを携えて一息にヌメっとしたモンスターに向かって鋭く踏み込む。

「おや、人質のことはもう良いのですか?」

 うるせえ。

 からかうようなマルクト・ギルロイの声に、心の中だけで怒鳴る。

 今はそんな呼気すら勿体ない。

 俺を搦め捕ろうと伸びてくる触手のことごとくを避け、しゃらんらで叩き落としながら体を低くして3、4メートル程度の距離を駆け抜ける。

 俺の背後を舞う朱雀が、スキルの発動を予兆するようにめらめらとより明るく燃えた。

 大丈夫だ。

 イサトさんを信じろ。

「う、らァアアアアアア!!!!

 自身を鼓舞するようにえながら、俺はまっすぐにしゃらんらの石突をヌメっとした球体へと突き立てる。

 初撃の繰り返しのように、黒々とした球が透けて、中に囚われたライザとレティシアの姿が浮かび上がっていく。

 二人の姿は、まるで水の中を揺蕩たゆたっているかのようだった。

 力を失った四肢や、取りこまれた時に二人が手にしていたのであろう物がゆらゆらと揺れている。

 そんな中で、水流に流されるかのようにして球の中を漂うレティシアの身体が、俺の攻撃に対する盾のようにしゃらんらの接触面に向かって押し出されてくる。

 綺麗な金髪が、ゆらりと揺れて。

 うっすらと閉ざされた瞼の奥の瞳が、俺を見たような気がした。

 意識もないはずのその唇が、小さく戦慄わなないて俺の名を呼んだような気がした。

 それでも俺は手を止めない。

 ず、としゃらんらの石突がヌメっとしたバケモノの腹にめりこむ。

 まだ腹は破れない。

 でも後少しだ。

 後ほんの少し力をこめれば、しゃらんらの石突はぶつりとバケモノの表面を突き破り──…そしてそのままレティシアの胸を貫くことになるだろう。

 これで本当にいいのか。

 なあ。イサトさん。

 こんなやり方で。

「ァアアアアアアアア!!!」

 吼えながら、俺はしゃらんらをなおも押し込もうとして。


 唐突に、周囲に闇が落ちた。


 真っ黒にブラックアウトしたように見えたのは、俺の目が光に慣れていたせいだと気づいたのは、急速に闇に慣れようと瞬きを繰り返した俺の目に、うっすらとレティシアの姿が浮かんだからだった。

 俺が失明したわけでないのなら。

 俺の視覚が失われたわけでないのなら。

 答えはシンプルだ。

 ───光源が失われた。

 壮絶に厭な予感がした。

 俺は突き立てようとしていたしゃらんらを死にもの狂いで引き戻しつつ、背後を振り返る。

「──ッ」

 冴え冴えとした月明かりの下、呆然と立ち尽くすイサトさんと目があった。

 その顔色が不思議と色を失って見えるのは、月明かりのせいだけじゃないのだとようやく俺は気づいた。

 俺はあの時の違和感を無視すべきではなかった。

『イチかバチかの作戦がある。聞いてほしい』

 あの時イサトさんは、「聞いてくれ」ではなく「聞いてほしい」と強い調子で言い切った。そして口にした作戦だって、いくら追い詰められているとはいえあまりにもイサトさんらしくなさすぎた。あれはきっと、これ以上戦闘が長引けば自らのMPが持たないことに気づいていたからこそだったのだ。

 そして、その作戦の実行を待たずにして、イサトさんのMPは尽きた。

 だから、維持出来なくなった朱雀が消えた。

 イサトさんのいつかの言葉が頭の中に甦る。

『だって、自分がMP切れしてるって自覚がないまま戦闘が続行するんだぞ。その勘違いって結構命取りだと思わないか?』

 俺の横合いから、ぶびゅると粘着質な音が響いて、次々と黒の触手がイサトさんに向かって伸ばされる。

 息が詰まる。

 まずい。

 本当にまずい。

 ぞわぞわと悪寒に背筋が冷える。

「やめろッ!!

 叫びながら、しゃらんらを振り抜いて触手を薙ぎ払う。

 けれど、全ては落とせない。

 上空を弧を描きしなった触手がイサトさんの腕を搦め捕る。

 それをきっかけに次々と触手がイサトさんの四肢に絡みついていくのが見えた。

「やめろっつってんだろ……!!

 我武者羅にしゃらんらを振りまわすが、俺はヌメっとしたモンスターに近すぎた。イサトさんから、離れ過ぎた。

 漆黒の繭に包まれてその姿すら見えなくなったイサトさんの身体がそのまま地面に吞まれるようにして消える。

 からん、と後に残された禍々しいスタッフが地面に倒れる音だけが、空々しく響いた。

 噓だ。

 噓だ。

 こんなのは噓だ。

 そして。

 ごぷりと。

 俺を嗤うよう、透けたモンスターの腹の中にイサトさんの姿が浮かんだ。

「あ…………」

 絶望の声が漏れる。

「イサト、さん」

 硝子のように透けていたヌメっとしたモンスターの球体がどろどろと黒く濁り、やがてイサトさんの姿が見えなくなる。

 手脚が、ぞっとするほどに冷たく感じた。

 しゃらんらを握る指先の感覚がない。

 それなのに、頭の芯だけがぐらぐらと煮立つように熱く、痺れる。

 息が出来ない。

 イサトさんを奪われた。

 イサトさんを取り込まれた。

 どうしたら取り返せる?

 どうしたら。

 不安と焦燥が脳髄を焦げ付かせる。

 そんな俺に向かって、ヌメっとした無貌が触手を伸ばし──…


ど ぱ ァ ん !


 その腹が内側からぜた。

「え」

 びちゃびちゃびちゃ、と周囲に黒い泥が飛び散る。

 その爆心地にいたのは、当然のようにイサトさんだった。

「げっほ……ッ、げほッ」

 片腕を血の赤で彩り、喉をひゅうひゅう鳴らして咳き込みながらも、イサトさんは無事な方の手を泥の中に突っ込みバケモノの腹を搔き混ぜる。そんなイサトさんを再び包み込むように黒の泥が球を象って再生しようとするが……

「させるかッ!!

 俺はびちゃりと泥を踏みしだいて踏み込むと同時に、しゃらんらをぐずぐずと滑る漆黒の泥の中に突き立てた。そこを中心に、漆黒の泥が粘度を失ってどろどろと溶解していく。

「秋良、ここにライザとレティシアもいるか」

 ら、と最後までイサトさんが言うより先に、身体が勝手に動いていた。

 黒い泥にまみれてびちゃびちゃになってるイサトさんの上身を、手加減も忘れて強引に抱き寄せる。どうしても、そこにイサトさんがちゃんといるのだと確認せずにはいられなかった。じっとりと濡れた服の生地を通して、イサトさんの柔らかな肉感と共に体温が伝わってくる。

 良かった。

 ちゃんと、生きてる。

 とっとっと、と速いリズムを刻む鼓動が伝わってきて、ようやく俺は安堵したように深い息を吐き出した。

「え、っと。あの。その。……秋良、青年?」

「死ぬかと、思った」

 イサトさんが。

 そしてある意味でおいては俺が。

「──…」

 イサトさんの手が、ゆっくりと俺の背に回った。

 愚図る子供を宥めるかのように、ぽんぽん、と優しく俺の背を叩く。

「色んな意味で私も今死にそうだが、大丈夫。ちゃんと生きてるよ。なので──…とりあえず引き抜いて貰えるとありがたい」

「おう」

 いろいろ言いたいことは胸の中に渦巻いていたものの、場所も場所である。俺はそのまま頭の位置を下げ、イサトさんの腹に肩を押し当てるようにしてずぶずぶと黒の汚泥の中からイサトさんの身体を引き上げた。そのままイサトさんをかついだまま、俺はイサトさんが埋まってたあたりの泥の塊に腕を突っ込む。ぐちゅぐちゅと滑る泥をかきわけていると、ふにゃりと柔らかい体温を感じた。服を手繰たぐるようにして引き上げ、ずぶりと泥の中から引きずりだしたのはライザだった。次に、レティシア。

「私はもう大丈夫なので、ライザとレティシアを頼む」

「やだ」

「え」

 俺の肩から降りようと身じろいだイサトさんを、一言で却下。信用ならん。というか、怪我人は大人しくしてろ。

「え、でもさすがに三人担ぐのは」

「うるさい」

「うるさいって」

 ごちゃごちゃ言ってるのは聞こえないふりして、俺はライザとレティシアを何とか抱えあげると、最後にしゃらんらを引き抜いてその腹の中からとっとと脱出する。ちら、と横目に振り返った背後、そんな俺に向かって獲物を奪い返そうと触手がうねうねと迫ってくるのが見えた。

「しつけえ!」

 怒鳴りつつ、なんとか回避しようと試みる。

 そんな俺の背でがっくんがっくんと揺られながら、イサトさんが身を乗り出してしゃらんらを握る俺の手の上から掌を重ねた。

Ctrlコントロール2、フアンクシヨン1! フアンクシヨン2! フアンクシヨン3!」

 肩の上に抱いた身体が薄桃の光に包まれると同時に、まるで魔法のように衣装が変わってスキルが発動した。しゃらんらから放たれた聖属性を帯びた火焰攻撃が次々と追いすがる触手を撃ち滅ぼし、黒のヌメっとしたモンスター本体へと着弾しては轟々と明るく燃え盛る。その熱気を背中に感じながら、俺は自然と半眼になっていた。

 MP、尽きてねえでやんの。

 ということは、俺はここまでイサトさんの掌の上で転がされていたことになる。

 どこからだ。

 決まってる。

 あの、イサトさんらしからぬ犠牲を前提にした作戦からだ。

「…………イサトさん」

 我ながら凶悪な低音が出たもんだと思う。

「……………………、」

 いろいろと言い訳をしようと試みるような沈黙。

 その後、何を言っても駄目だと判断したのか、イサトさんはぐんにゃりと俺の肩の上で身体を弛緩させて、ぽそりと口を開いた。

「私が悪かった。ごめん。心配させた。でも細かく作戦を伝えるタイミングがなくて」

「ほうほう」

 そうか。

 確かにその言い分にも一理ある。

 三人分の体重に軽く息を弾ませつつ、俺はにこやかに言葉を続けた。

「なら結婚しようか、これ終わったら」

「え」

 肩の上でイサトさんがびくりと硬直する。

「結婚て。あの。結婚。ですか」

「はい。あの、結婚です」

 イサトさんは何故かカタコトである。

 はっはっは。

 自分の蒔いた種は責任持って刈り取るが良い。

 RFCには、『結婚』というシステムがあった。

 お互いの同意の下に教会で申請し、女神による祝福をもつて成立するシステムで──…その『結婚』したキャラ同士はお互いの『家』の合鍵を交換することが可能になる他、専用の回線で二人きりの会話を登録なしで行うことが出来るようになるのだ。

 1:1チャットやPTチャットなど、オープンではない会話を行う方法は幾つかあるが、どれも事前に相手のIDを調べて1:1チャットに招いたりPTを組むといった手間が必要だった。が、この『結婚』システムを利用した場合、チャット画面に直接「パートナー」というタブが新たに増え、そこから直接会話することが可能になるのである。

 こちらの世界に来て、PTや1:1チャットといったゲームならではの機能は使えなくなったわけだが……もしかしたら『結婚』制度による通信の追加なら、アイテムの恩恵として実現する可能性がある。

 少なくともそれが駄目だったとしても、俺にはそれでも良いと思えるだけの利点がこの『結婚』システムにはあった。

 それはずばり。

 自分のパートナーがどこにいるのかが常に把握出来る、ということである。

 イサトさんの首輪代わりにはちょうど良いと思うのだが如何だろうか。

「わ、私は嫌だぞ、あんなストーカー御用達システム!」

「自業自得です」

「どこで何してるのかバレるじゃないか!」

「そのためのシステムです」

 断じて違う。

 本来なら愛し合うカップルをサポートするためのシステムである。

 が、ほんの少しとは言えお互いの得た経験値がプールされるという旨みもあったため、カップル外でこのシステムを利用するものも多かった。

 実際、油断するとすぐにレベル上げを放り出してスキル獲得やらに精を出すイサトさん捕獲のために、リモネが「結婚しろやゴルァ」と迫りまくっていたこともあったぐらいだ。目的のレベルまでイサトさんが達したら離婚してやる、という謎の制度である。

 俺はヌメっとしたモンスターから充分に距離を取った辺りで、ゆっくりとイサトさんとレティシア、ライザを地面に降ろした。地面に寝かせた後、そっと首に手をあてて脈を確認する。良かった。二人とも、意識はないものの脈は安定している。

「イサトさん、怪我は?」

「ものすごく痛い」

「…………何したんだ一体」

 腹の中から引きずりだしたとき、イサトさんはスタッフを手にしてはいなかったはずだ。

 俺の問いかけに、イサトさんはインベントリから取り出した薔薇姫の蜜をばしゃばしゃと腕全体にぶっかけつつバツの悪そうな顔をした。

「ほら、ライザに私、アイテムを幾つか渡してあっただろう?」

 その言葉だけでピンと来た。

 確か、あの時。

 モンスターの腹の中に浮かび上がった二人の周囲には、二人の持ち物も一緒に漂っていた。きっとイサトさんはそれを確認させるために、俺を突っ込ませたのだろう。そして、その存在を確認したからこそ、作戦を実行に移した。MP切れを装い、自らモンスターに取り込まれつつその腹の中で砲閃珠ホウセンジユを発動させたのだ。

 思わず深い溜息が出た。

 わざわざ調節して破壊力を上げてあった投擲武器を至近距離で発動させたのなら腕を痛めて当然だ。むしろ腕がふっとばなくて本当に良かった。

「お願いだから、後は俺に任せて大人しくしといてくれ」

「そんな心底呆れた風に言わなくても」

 イサトさんはちょっと拗ねたようにぷ、と唇を尖らせつつも、すぐに口元に柔らかな笑みを浮かべて俺を見た。

「……ん。ちょっと無茶をしたもんで、さすがに私も疲れた。後は君に任せるよ」

「おう」

 これ以上イサトさんに無茶をされたら、俺の心臓が止まる。

 イサトさんはそっとしゃらんらに添えていた手をするりと下ろした。

 魔法少女のドレスと、イサトさんの身体を包んでいた薄桃の光とが蕩け合うように変身が解けていく。

 イサトさんの魔法が解ける様を見届けた後、俺はゆっくりとしゃらんらを構えてヌメっとしたモンスターへと向き直った。

 イサトさんの放った聖属性を帯びた火焰魔法に包まれて、黒の無貌はうねうねと悶え苦しむように揺れていた。ぱちぱちと爆ぜる焰の中で、少しずつ黒の泥が粘度を失ってさらさらと崩れていく。

 そんな姿を、マルクト・ギルロイは呆然と眺めているようだった。

 燃え盛る焰の中で踊るように揺らめく漆黒の異形と、その傍らで立ちつくす父親のシルエットは不思議なほど俺の目には印象的に映った。焰による逆光で、マルクト・ギルロイの表情は窺えない。

 俺は、しゃらんらを片手にゆっくりと距離を詰めていく。

 時折思いだしたように焰に包まれた触手が俺に向かって伸ばされるものの、軽く打ち払うだけでそれはぱしゅりと軽やかな音を上げて霧散した。

 やっと終わらせられる。

 やっと終わらせてやれる。

 そんな想いが、胸の中で混ざりあう。

 ぐずぐずと焰に焙られて溶けたヌメっとしたモンスターは、随分と縮んでしまっていた。ライザ、レティシア、そしてイサトさんを吞みこむほどに大きかった下半身の球は、もう三分の二ほどがぐずぐずに溶けて崩壊してしまっている。おかげで、球の上部に乗っていた無貌の子供の顔がちょうど俺の目の高さにあった。

 ヌメっとした黒の人型に顔はない。

 人を象っただけのマネキンのような黒が、無感情に俺を見る。

「もう、いいだろ」

 気づいたら、そんな言葉が俺の口から零れていた。

 それは誰に向けたものだったのか。

 俺は静かに、しゃらんらの石突で黒の人型の胸を貫いた。

 焰にまかれ弱っていたからなのか、それともそれ以外の理由が何かあったのか、まるで吸い込まれるかのようにしゃらんらの先端が黒に吞まれていく。

 おおおおおお、と慟哭どうこくめいた声にならない声が空気を震わせる。

 焰の中、ぐずぐず、ぼろぼろと人型が崩れていく。

 そこへ、ふとマルクト・ギルロイが一歩を踏みだした。

「っ、おい」

 俺が腕を伸ばして引き戻そうとするよりも早く、その下半身がどろりと黒い泥に吞みこまれる。それはヌメっとしたモンスターが生き延びるために力を得ようと人を取り込もうとしてのことだったのか、それともそのモンスターの中に残ったその男の息子だった部分が最期の最期で父親を求めてのことだったのか、俺にはわからない。ずぶずぶと黒に吞まれながらも、マルクト・ギルロイは焰に包まれぼろぼろと崩れゆく我が子を、幸せそうに抱きしめた。

 どろどろ、ぼろぼろ。

 それはどこまでも奇妙な抱擁のようで。

 焰に照らされたマルクト・ギルロイは黒の泥に吞みこまれながらも、どこか安堵したような笑みを浮かべているようにも見えた。


*     *


 やがて静かに焰が消えた後──…、そこにはもうヌメっとしたモンスターの姿も、マルクト・ギルロイの姿も残ってはいなかった。微かに残った灰すらも、風に攫われてすぐに見えなくなる。

「なんだか、なあ」

 小声で呟いた。

 これがゲームであれば、強敵を倒した喜びに興奮を覚えるところなのだろう。

 イサトさんと二人協力して、味方に犠牲を出さずになんとかボスを倒すことが出来たことを祝うべきシーンだ。

 けれど、どうにもそんな気にはなれなかった。

 ただただ、疲労と虚脱感だけを感じる。

 小さく溜息をついて踵を返そうとして、何も残らなかったと思っていた燃え跡に何か小さな白い欠片が落ちていることに気づいた。

 屈んで拾おうとしかけて、それが何であるのかを察した。

 骨だ。

 おそらくは子供の……、マルクト・ギルロイが何としてでも救いたくて、最後には異形として甦らせることを選んだ坊やのものだろう。

 未発達な小さな骨が、ぱらぱらと燃え跡に落ちていた。

「…………」

 はあ、と深い溜息が零れる。

 どこで、何を間違えてこうなってしまったのだろう。

 俺はそっとその小さな骨を手の上に拾い上げた。

 せめて、骨だけでもきちんと供養して貰えるように手配したい。

 からりと乾いたかつて人だったものはあまりにも脆く儚くて、その軽やかさが余計に空しさを搔きたてた。

 そんな俺の肩を、いつの間にか傍らにいたイサトさんがぽんと軽く叩く。

「イサトさん」

「──…帰ろう、秋良」

「……うん」

 隣に寄りそうように立つイサトさんから伝わる柔らかな体温に、ほっと吐息が緩んだ。それと同時に、これで良かったのだとも強く思う。俺はちゃんと、俺の護りたいものを護れた。だから、これで良いのだ。

「あっついシャワー浴びたいなー」

「いいな、その後は清潔なお布団にくるまって死んだように眠りたい」

「最高だ」

「だろう」

 ちらりと二人視線を交わした後、ふっと口元に笑みを浮かべて俺たちは歩きだした。


「イサトさん」

「ん?」

「薬指を洗って待ってろよ」

「──…プロポーズがこんなにも恐ろしいものだったなんて」


 俺はわりと本気なので、覚悟しておくと良い。

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