一章 マジ狩る★しゃらんら
飛空艇を撃墜などというテロリストも真っ青な所業をやり遂げた後──…。
俺はセントラリアの南門が近くなり始めたあたりで、ようやくイサトさんを背から降ろしてやることにした。セントラリアの西に位置するトゥーラウェストからやってきたので、本来ならば西門から入るのが最短だったのだが、今ごろ飛空艇の撃墜騒ぎで西門はごった返しているだろう。
あれだけセントラリアから目と鼻の先で起きた大事件だ。事情を調べるために騎士団も派遣されているだろうし、うっかり下手人として捕まっても面倒くさい。
いざとなったら力押しで逃げられないこともないだろうが、ここで指名手配でもされてしまったら今後動きにくくなってしまう。
そんなわけで、俺たちは一旦西門を離れ、そそくさと南門側へと回ったのである。
さりげなくうっかり道をそれてしまっていた旅人を装って南からの街道に戻る。
「──…君、たまに容赦ないよな」
「そう?」
疲れたように呻くイサトさんに、俺はしらばっくれた笑みを返した。
普段わりとしてやられているので、俺にだってたまには仕返しが許されてしかるべきだ。ぽかぽか背中を軽やかに殴られたりもしたが、ご褒美です。
そうして並んで歩き始めたところで、ふとイサトさんが呟いた。
「……アレ、なんだったんだろうな」
アレ、というのはあの人型の存在だろう。
「たぶん、俺がカラットで見たのと同じヤツだと思うんだけど」
あんな薄気味悪い存在を、俺は長年RFCをプレイして来た中で一度たりとも見たことはない。あんな奴が出てくるイベントなんて、なかったはずだ。覚えがないのはイサトさんも同じなのか、やはり難しい顔で首を捻っている。
うまく説明のつかない数多のモンスターによる飛空艇の襲撃。
それを操っていたように見える謎の人型。
俺らが知らないところで、この世界では一体何が起きているのだろうか。
「……まあ、何かが起きてる、ってことがわかっただけ良いのかもな」
俺は小さくつぶやく。
何の心の準備も出来ないままに巻き込まれるよりは、おかしなことが起こっている、とわかっていた方がまだ対処のしようもある。
ここは俺たちの知るRFCの流れを汲んだ未来の異世界で、俺たちが知らない何かが起きている。
それがわかっただけでも、心の準備ぐらいは出来そうだ。
それに、今回のことであのヌメっとした人型への対抗手段もはっきりした。
……かなり不本意だが。
って。
俺はふと気づいたことがあって、足を止めた。
「なあ、イサトさん」
「ん?」
「あのマジ狩る★ステッキだけどさ」
「マジ狩る★しゃらんら★ステッキな」
正式名称に訂正された。
「そう、そのマジ狩る★しゃらんら★ステッキだけど」
「それがどうかしたか?」
「アレ、聖属性のスタッフなら普通にイサトさんが使っても良かったんじゃ?」
「──…」
俺につられたように立ち止まったイサトさんの表情が、ひくりと引き攣った。
それからゆっくりと、取り繕うような笑みがその口元に広がる。
「ナンノハナシカナ」
「おいカタコト」
やっぱりか! やっぱりか!!
属性武器というのは、その武器を使った攻撃に自動的に属性を付与することが出来る便利武器のことだ。例えば火属性の大剣であれば、普通に剣として使っても相手に火属性ダメージを与えることが出来る。
先ほど俺がしゃらんら★でヌメっとした人型を撲殺出来たのも、その仕組みによるものだ。物理ダメージに聖属性が付与された結果、俺はあの人型をたこ殴りにすることで討伐に成功したわけだ。
が、それは何も物理攻撃に限った話ではなく、属性を帯びた魔法武器の場合、その属性の攻撃魔法の威力を上げたり、属性が反目していない限りはその属性を上乗せすることが出来る……、はずなのだ。
つまり。
聖属性のしゃらんら★で闇系の攻撃魔法を使わない限りは、普通にイサトさんもあの人型に魔法でダメージを与えられていたのではないだろうか。
「…………」
「…………」
ジト目で見つめていたところ、イサトさんはそっと良心の呵責に耐えかねたかのように目をそらした。
「イサトさん」
「…………はい」
「先ほどの地獄絵図について何か言い訳があるならどうぞ」
「………………25にもなって魔法少女は辛いかな、って」
「…………」
「…………」
「普通に考えてガチムチ男の魔法少女ステッキ装備の方が辛いわ!!!!」
「年齢的には君のがセーフだ!!!!」
「年齢じゃなくて性別で考えて!!!!!!」
「私の場合君より酷いことになるんだぞ!!!!」
お互い吼えるようにぎゃんぎゃん言い合いながら睨み合う。
傍を通り過ぎる旅人の集団が、ぎょっとしたように俺らに目を向けていった。
ご迷惑をおかけしております。
っていうか、俺より酷いことになるとはどういうことだ。
俺のようなむさくるしい男が持つよりも、イサトさんが持った方が絶対似合うと思うんだ、しゃらんら★。
俺のそんな疑問の滲んだ眼差しに、イサトさんは嫌そうに顔をそむけながら言葉を続けた。
「それ、基本的には運営の遊び装備だったじゃないか」
「そうだな」
「属性武器って魔法使い的にはなかなか使いにくいアイテムなんだよ。火属性武器だと水や氷属性の魔法は威力が半減するし」
「その辺のことはリモネから聞いたことがあるな」
様々な属性魔法を駆使して敵モンスターを倒す魔法使いの場合、結局メインウェポンは無属性に限る、とかなんとか。属性武器はある程度狩り場に合わせて選ぶことが出来るが、大体の狩場には異なる属性を持つモンスターが配置されていることが多い。
例えばセントラリアの南にあるガランジュの森では、基本植物属性、もしくは虫属性のモンスターが多く湧いている。そうなってくるとガランジュの森で狩りをするならば植物属性と虫属性の両方に強い火属性を選びがちなのだが……そういったモンスター同様にガランジュの森にはその他のモンスターより比較的レベルの高い、岩属性のアクティブモンスターも潜んでいる。岩属性は火属性に対しては耐性を持っており、そのままの火属性武器で挑めば相当苦戦することになってしまうだろう。
特に魔法使い系の職業の場合、属性の異なる武器と魔法を組み合わせた場合のハンデがある分、攻撃力は良くて半減、最悪六割以上低下する。
それでも相手がノンアクティブモンスターであれば、岩属性を相手にする前に武器を持ち替えて、などと準備をすることも出来るだろうが、相手はプレイヤーを感知次第自動で襲ってくるアクティブモンスターだ。植物属性や虫属性相手に火属性で無双プレイしているところを背後から忍び寄られて不意打ちでもされたものなら、HPの少ない魔法系職業プレイヤーはひとたまりもない。
そんなわけで、狙って属性ごとに武器を用意するのはあまり現実的ではないらしい。
確かにもともと属性武器なんていうのは、魔法の使えない前衛職が、少しでも戦闘を有利に行うために用意された救済武器のようなものだ。最初から魔法を使って敵モンスターの弱点を突くことができる魔法使いにとっては、それほど美味しい装備ではないのかもしれない。
「そんな中で、唯一の例外は聖属性武器なんだよな」
「例外?」
「聖属性と反目するのは闇属性のみで、基本的にその他の火や風、水、氷、土っていった属性とは相性がいいから。例えば火属性の魔法を使う時に、聖属性のスタッフを使った場合、聖・火の両方の属性がつくわけなんだ」
「便利じゃないか」
「うん。まあその代わり他の性能は一切ないけどな。私の普段使ってるスタッフは、無属性だがHP30%増と、MP10%増、あと防御力10%増、あと魔法攻撃力に30%増がついてる」
「イサトさんのステータスをかなり底上げしてくれてるわけか」
「そういうこと」
それなら、まあ確かにイサトさんがしゃらんら★を使うのを躊躇う理由には一応なるか。いくら相手への有効打を放つことが出来るようになるとは言っても、武器を持ち替えることで防御力やHPが落ちるのは怖いものがある。
が、イサトさんがしゃらんら★を使いたくないのにはまだ他にも理由があるようだった。嫌そうな顔で、言葉を続ける。
「だが、それでも聖属性追加武器、というのは非常に美味しい。アンデッド系モンスターの出てくるエリアで経験値をがんがん稼げるからな。だが──…、君はこのしゃらんら★を使っているものを見たことがあるか?」
「そういえば……あんまりないような?」
運営がまたネタ装備を出したぞ、と話題になっていたのは覚えている。街中で実際に装備して笑っている人を見かけたのも、覚えている。
だが、実際にフィールドで使っている人間はあまり見たことがない、ような。
イサトさんは首をかしげている俺に向かって、重々しく口を開いた。
「しゃらんら★で魔法を使うと、強制的に魔法少女に変身します」
「ぶッ」
噴いた。
「へ、変身……??」
「魔法に限らずMPを使うタイプのスキルを使うと変身します。男女関係なく」
「おいちょっとまて」
それは俺がもしメイス系のスキルを持っていて、それを先ほどの戦闘で使ってしまっていた場合、俺も魔法少女に変身してしまっていた可能性がある、ということか。何それ怖い。
「ぴんくいふあっふあの甘ロリ系魔法少女に変身します。問答無用で」
「うわァ」
それは確かに、使う者を選びそうだ。
でも……外見よりも性能でものを考える人間なら使いそうなものだし、そもそも可愛い服をキャラに着せることに躊躇いを覚えないプレイヤーは多そうだ。
強制変身だけで、ありがたい聖属性追加武器をお蔵入りするだろうか。
俺のそんな疑問に、イサトさんはふっと視線を遠くにやった。
「ただのネタ装備なら、ゲームとしてアバターが使う分には喜んで使ったよ。女装仮装何でもござれだったしな」
「確かに、おっさんしれっとネタ装備してること多かったな」
ビリベアの着ぐるみもそうだし、例の宴会装備のお花ビキニもそうだ。
「ただこれ、光るんだよな……」
「光る……」
「魔法少女に変身すると、全身からずっと淡いピンクの光を放つことになるんだ。それが結構邪魔なんだよ」
「あー……」
アンデッド系モンスターのいるエリアとなると、基本的には暗い。
そんなエリアでずっとピンクに発光され続けると、確かに邪魔だろう。
「変身してる自分でも操作しづらくなるし、同じエリアで狩ってて画面に入るだけでも結構邪魔だし……、ってことで実戦で使う人は少なかったんだ」
「……なるほど」
さすがRFC運営。
ネタ装備として性能は良いながら実戦での使い道を制限するあたりのバランス感覚がうまいというかえげつないというか。
なるほどなァ。
しみじみイサトさんの言葉に納得しつつ、俺はそっとインベントリを操って先ほど託されたしゃらんら★を取り出す。
そして、そっとイサトさんへと差し出した。
「変身しよう?」
「…………」
しら、と冷たい視線を向けられるがここで負けるわけにはいかない。
「いやほら、変身した方が防御力も上がるだろ、普通の服に比べたら」
「まあ、普通の服に比べたら上がるかもしれないが」
「それならやっぱり変身してくれた方が、カラットで手に入れたみたいな普通の服着てる時に、戦闘に巻き込まれたりした時には安心できるっていうか」
「…………」
イサトさんがじ、っと俺の目を真っ直ぐに見上げる。
「で、本音は」
「ぴんくで甘ロリで光るイサトさんが見たい」
そんな切実な思いをこめた俺の言葉に、イサトさんは黙って耳を塞いだ。
ちッ。
しばらくそんなしゃらんら★を互いに押し付けあうという攻防戦を繰り広げていたところ、ふと話題を変えるかのようにイサトさんがポンと手を打った。
「あ、そうだ」
「ん?」
「ちょっと、君に話しておきたいことがある」
「何?」
「しばらく、戦闘の際にはなるべく私の側にいてくれないか? 相手が雑魚なら問題ないが、ある程度こちらの被ダメが増えそうな時は特に」
「それはもちろんそのつもりだけど」
ゲームの中でなら、「おっさんまた死んでやんのwww」と小馬鹿に出来たものの、こうしてモンスターとの戦闘がリアルになった世界ではそういうわけにはいかない。俺と比べて物理的な防御力や、戦闘力に欠けるイサトさんのことを俺が援護するのは当然のことだ。
「さっき飛空艇を撃墜した時に気づいたんだ。私はどうもMPの概念が感覚としてよく理解出来てないみたいなんだよな」
「それってどういう?」
「うーん、どういったらいいのかわからないんだけども、私たちこれまでMP使うような生活をしてきてないじゃないか」
「うむ」
現代日本において、「MP」という概念は存在しなかった。
冗談で精神的に疲れた時などに、「MPが尽きそう」なんていう表現を使うようなことはあったが、それはあくまでネタである。
「ああ、そうか」
俺は、ぽんと手を打った。
「MP使ってる、って感覚がないのか」
「そうなんだ。だから下手すると自覚なく唐突にMP切れを起こす可能性がある」
「それは……厄介だな」
「うん」
ゲーム内であれば、画面の左上に常に自分のHPやMPのバーが見えていたので、プレイヤーである俺たちは、それを基準に戦略を立てることが出来ていた。だが、こうしてこの世界が現実となった今、俺たちにステータス画面はない。自分の状態を客観的に見ることが出来ないのだ。
「よくアニメとかであるみたいな、めっちゃ疲れる、とかそういうのは?」
「集中力が落ちたかな、ちょっとだるいな、ぐらいはあるような気がするんだけれども……さっき実際大魔法を発動させた感触として、それほど劇的な変化ではない……、かな。なんというか、戦闘中のアドレナリンでまくった状態で冷静にそれに気づけるか、っていったら危ういと思う」
「なるほど」
よくライトノベルやアニメなどでは、MPを使い過ぎると意識を失ったり、下手をすると命にかかわる、というような描写があるが、どうやらこの世界ではそういうわけではないらしい。
「まあ、MPが切れると意識を失う、とか死に至る、ってペナルティが発生するわけじゃないのは俺としては安心かな。イサトさん、そういう無茶平気でやらかしそうだし」
いざという時、イサトさんはそういう無茶を平気でやるタイプだと思っている。
「……否定はしない」
「してくれよ」
うろり、とイサトさんが遠いところへと視線を彷徨わせた。
そして、誤魔化すような咳払いが一つ。
「が、逆にそういうペナルティがない分危険な気もするんだよな」
「またそうやって誤魔化す。……って、逆に危険?」
「だって、自分がMP切れしてるって自覚がないまま戦闘が続行するんだぞ。その勘違いって結構命取りだと思わないか?」
「……あ」
確かにそうだ。
敵の攻撃を魔法であしらうつもりでいて、その魔法が発動しなかったら?
仕留められると思っていたはずの敵を仕留め損なって反撃を食らったら?
俺らはそれなりにゲーム内での高ステータスを引き継いだ状態でこの世界に迷い込んでいるため、基本的にはよほど無茶なエリアに無謀な特攻をしない限りは戦闘で死ぬ可能性は低いだろう。
だが、先ほどの人型の件もある。
カラットで見かけたように、あの人型に類するようなモノがあちこちに潜んでいると考えた場合、これからも俺たちがあのような騒動に巻き込まれる、というのは決して考えられない話ではない。
そんな人型との戦闘の中で、もし自覚なくMPが切れるようなことが起きてしまったら。
脳裏に、無残に切り倒されたアーミットの姿がよみがえる。
あの時の、しんしんと身体が冷えるような恐怖と、腸が煮えくりかえるような怒りを思い出すと、足元から沈み行くような不安を感じた。
「イサトさん、頼むから危ないことはしないでくれよ」
あの時の俺は、目の前で会ったばかりの少女が斬り殺されたことにぶちキレて、比較的冷静なまま相手を殺そうとした。
じゃあ、付き合いの長いイサトさんが目の前で殺されたら?
「っ……」
厭な想像に、眉間に深い皺を寄せる。
そして……
「わかってるよ。だから、先に君に相談しているんだ」
そんな俺を安心させるように、隣を歩くイサトさんがぽん、と軽く俺の腕を叩いた。イサトさんの癖なのだろうか。俺を宥めたり、励まそうとするとき、イサトさんは軽やかに俺の腕に触れる。
手を握るほど近くはなく、それでいて言葉だけほどの距離もなく。
ちょうど良い距離感を感じる触れ合いに、俺はゆっくりと深呼吸をして落ち着きを取り戻す。
「最初から私がこの世界の住人なら……、経験からどのスキルをどれだけ使ったら自分のMPが尽きるのか、っていうのが感覚としてわかってるんだろうけどな」
「ゲーム時代の感覚はアテにならない感じ?」
ゲーム時代であっても、MP回復薬を飲むタイミング等である程度MPの消費率は把握できていたような気がするが。
「大技に関しては覚えてるんだ。さっき飛空艇を墜とすのに使ったスキルなんかは一発でMPが尽きる大技だ。その他にもわりと大型なスキルに関しては大体五発連発したらMPヤバい、って認識はある。でも……」
イサトさんは、そこで一度言葉を切ると、いつの間にか手にしていたスタッフを何気ない仕草で一閃した。そこから放たれた空気の刃が、道沿いに転がっていた大岩をすっぱりと切断する。
「普段の戦闘で使う攻撃魔法なんてこの程度の小技だろ? そうなると、小技をどれだけ連発したら自分のMPが尽きるのか、なんてのは私も把握してないんだ」
「……なるほどなぁ」
しみじみと納得した。
浴槽から水を汲み出すのに、大きなバケツを使えば五回で空になるとわかっていても、スプーンで汲み出したら何回になるのかはわからない、といった感覚だろうか。それにMPやHPは緩やかではあるが時間経過とともに回復する。そうなるとますます回数は曖昧になってしまうだろう。
「ってことは……、やっぱり戦闘中はなるべく俺がフォローするようにするしかないか」
「戦闘が想定以上に長引いたり、苦戦するほどの強敵、あのヌメっとした人が出てきたときには、そのあたりのことを念頭に置いててくれると助かるよ。
できれば……、そういう事態が起きる前に、MPの感覚に慣れておきたいけども」
「おお、イサトさんにしては珍しく戦闘に乗り気な」
「私だって死にたくはないし……、君を危険に晒したいわけでもないからな」
「……っ」
さらりと言われたイサトさんの言葉に、少しだけどきりとしてしまった。
俺を、危険に晒したくない。
あの面倒くさがりで、自分の戦闘レベルをあげることよりも趣味的な技能レベルをあげることを優先しがちなイサトさんが、俺のためにまともに戦闘訓練をしようなんて。ちょっと、嬉しいかもしれない。
思わず緩んでしまいそうになる口元を、手で押さえて隠す。
イサトさんはそんな俺の様子には気づいていないのか、難しい顔で言葉を続けていく。
「それに……、実は課題がもう幾つかあるんだ」
「ん? MPの他にも?」
「うん。なんていうか、かなり初歩的なことなんだけど」
「なに?」
「実はスキル名覚えてない」
「ぶふッ」
想像以上に初歩的なことだった。
「君だって覚えてなくないか。普段略称だし操作するときはショートカットキー押すだけだし」
「……そう言われるとそんな気もする」
確かに俺も、自分の所持していたスキルを全部正式名称で言えるかと言ったら非常に怪しい。普段使うことが多かった「風刃三連斬」だとか、「焰魔光刃」だとかはなんとなく字面は覚えているが。
ちなみに「風刃三連斬」は「h3」、「焰魔光刃」は「援交」なんていう通称でゲーム内では呼ばれていた。
「アキは洞窟のボスを最終的に援交で倒した」なんて言われた時の人聞きの悪さ、プライスレス。
「魔法系はほら、スキル名がやたら仰々しくて長いの多かったし……」
言い訳のようにごにょごにょ呟きながら、イサトさんは肩を竦めて息を吐く。
「でも、スキル名を覚えてないと何か困ることってあるっけか? 今のところ普通にスキル使えてたよな?」
俺もイサトさんも、この世界にやってきてから当たり前のようにスキル名を唱えたりすることなくスキルを行使してきている。
今更スキルの正式名称がわからないからといって困ることはないように思うのだが……。
「普通に使う分にはそんなに困らないんだけど……、切り替えがスムーズじゃないな」
「切り替え?」
「たぶん、こっちの世界におけるスキルだったり魔法だったりっていうのは『どのスキルを発動させるか』っていうイメージが重要になってるんだと思う」
「ふむふむ」
「スキルロールを使うことで、スキルの使い方を頭の中に叩きこみ、その発動イメージをトリガーにしてMPと引き換えにスキルが実際に発動する──……と言ったら伝わる?」
「大体わかる気はする」
当たり前のようにそうしていたが、言われてみれば確かにスキルを使うときにはそのプロセスを経ていたように思う。
「スキルに名前がついてるのは、その発動イメージを浮かびやすくするため、なんじゃないかな。条件反射的に、スキル名を口にすることで、そのスキルのイメージが湧きやすくなる、っていうか」
「ふんふん、なるほど」
「普通にスキルを使う分にはそんなに不便を感じてなかったんだけど……、さっきの戦闘の時にいくつかのスキルを使い分けようとしたら、スキルの切り替えがうまくいかなかったんだ」
「…………」
俺はふと思いついたことがあって、つっと道をそれた。
イサトさんは俺がしようとしていることがわかるのか、特に追うことはせず街道に立ったまま俺の動向を見守っている。
手頃な岩は……、っと。あった。
俺は背丈の三倍ほどはある岩の前に立つと、腰に下げた剣に手をかけて二種類のスキルを連続して放つ……!
「……だっ!」
素早く三度振り抜いた先から放たれた風の刃が交差、重なりあうような軌跡で岩をすっぱりと切断。返す刀で発動したスキルにより、手にした剣が紅蓮の焰を纏って斬りつけた岩塊を溶断する。
「って……あれ?」
特に違和感や、不具合を感じることなく二種類のスキルの連続発動に成功してしまった。ぽりぽり、と頭をかきつつイサトさんを振り返る。
「……何故だ」
解せぬ、と不満そうにイサトさんが唇を尖らせる。
「私もスキル試したいから、秋良青年ちょっと的にならないか」
「おいこら待てこら」
物騒なことをぼやくイサトさんにツッコミをいれつつ、俺は街道に戻ると、再びイサトさんと並んで歩き始める。
イサトさんはむっつりと眉間に皺を寄せつつ考え込み……、ぽん、と手を打った。
「わかった」
「何が」
「君のスキルの場合、動作がスキルのイメージを手伝ってるんだ」
「動作が?」
「最初のスキルの発動には、三連撃を放つっていう動作が伴ってるだろう?」
「そういやそうだな」
無意識のうちに、ゲーム内のキャラのアクションを真似ていた。
「──あ」
俺も、ぽん、と手を打った。
イサトさんの言いたいことがわかったような気がする。
「そっか、イサトさんの魔法スキルの場合、発動するスキルの種類は違っても『スタッフを振る』って動作は同じなのか」
「そういうこと。杖を振るとエアリアルカッターが出る、というイメージを一度発動させると、『杖を振る=エアリアルカッター』でイメージが固定されて『杖を振る=ヘルフレイム』に切り替えるのが上手くいかないんだ」
「なるほどな。杖の振り方をスキルごとに変える……にしてもその認識から作らないといけないわけか」
「そういうこと。あー……面倒くさくなってきた」
歩きながら、かくりとイサトさんがうなだれる。
スキルを発動させるのに、スキルの正式名称を叫ぶ必要はない。
だが、それに代わる起動イメージを呼び起こす「スイッチ」はやはりあった方が良いのだ。そしてその「スイッチ」と「結果」であるスキルが結び付くには、これまたやっぱり地道な実戦を重ねるしかないのだろう。
「しばらく戦闘のメインにイサトさんを据えて……、俺は援護に徹する、とかにした方が良いかもしれないな」
「うう……」
イサトさんにはひたすらスキルの使い分けや、MPの消耗感覚に慣れてもらう必要がある。
呻きつつも抵抗はしないあたり、イサトさんも実戦の必要性はわかっているらしかった。
そして──…、セントラリアの城壁が見え始めた頃。
ふと俺はあることに思い当たって口を開いた。
「そういや、イサトさん、さっき課題は他に幾つかある、って言ってなかったっけか」
「言ったな」
「他にも何かあるのか?」
「ええと、さっき私は必要に迫られて飛空艇を撃墜しちゃったわけなんだけれども──…、それが犯罪だと認識された場合、街の入口でとっつかまる可能性が少々」
「あ」
失念していた。
俺たちの冒険者カードを発行してくれた酒場の主人の言葉が本当ならば、このカードは「犯行の記憶」に反応してアラートを鳴らすことになっている。
街の入口で身分証としてカードを石版にかざした瞬間鳴り響く警告音──なんていうのはなかなかに洒落にならない。
まあ、俺とイサトさんであれば、街の騎士ぐらいなら楽々蹴散らせるような気もしないではないが。
気もしないではないが……それはあくまで最終手段にしておきたい。
お尋ねものになるのは、他に選択肢がなくなってからで十分である。
「カードは常に私たちの記憶に同期するようになっている、と言っていたわけだし、今現在アラートが鳴ってないあたり、ギリセーフで犯罪者にならずにすんだと思いたいところ」
「そうだな」
今のところ、突き合わせて覗きこんだ二人分の冒険者カードには警告らしきものは一切浮かんでいない。あるのは、噓のように跳ねあがった経験値とレベルぐらいである。
「もし入口でアラートが鳴ったら──…、とりあえず全力」
「全力」
その次に来る言葉が「殲滅」でないことだけを祈る。
「そんなもんか」
「あと、最後に一番大事な相談が残っているかもしれない」
「一番大事な?」
今話していたこと以上に大事な話題、なんてあっただろうか。
「MPの消費について」や「スキルの切り替え」以上の大事。
一体何をイサトさんが言おうとしているのかが予想もつかず、黙ってその続きを待つ。
イサトさんは神妙な顔ですっと息を吸い……。
「ぱんつ栽培したい」
全力で何言ってんだこのひと。

「この世界が現代日本とは違うことはよくわかっているんだ」
「うん」
「だから日本の常識を押し付ける気はないし、押し付けてはいけないこともわかっている。郷に入れば郷に従えという言葉のある通りだ。自分たちの常識とは異なる文化を野蛮だとか劣っている、遅れているというつもりもない」
「うん」
「だから毎日お風呂に入れないことは仕方ないと思う。それでもまあスキルを活用したならば、タオルで身体を拭くぐらいのことは出来るからな」
「うん」
「でもぱんつは毎日換えたい」
おっさんは切実だった。
「…………」
妙齢の女性の口から「ぱんつ」なんてエロワードが出てきているのに、ときめきを感じないのはイサトさんがどこまでも大真面目かつ切実だからかもしれない。
それでも、ちろりと視線を隣を歩くイサトさんの腰のあたりまで下ろすと、ぴっちりとタイトなナース服の奥に潜む神秘についてを真剣に考察してしまいそうになった。
いかん。それは考えたらあかんやつや。
俺は頭を左右に振って、そっと視線を隣を歩くイサトさんから逸らした。
そうなると自然に目に入るのは、セントラリアの街並みである。
そう。
俺たちはあの後、無事にセントラリアに入ることが出来ていた。
心配していたような、入国審査でひっかかるようなことはなかった。
それはありがたいのだが……飛空艇なんていう重要な交通機関を破壊して堕とすなんていうテロリストさながらのことをやらかしておいて鳴らないアラートというのは本当に大丈夫なのだろうか。おかげで助かった俺らが言えた言葉ではないのだが。
「こら、聞いてるか」
「ごめんちょっと現実逃避してた」
「私は大真面目なんだぞ」
「いや、それはわかるんだけどさ。大真面目にぱんつの話をされても俺としては困るというかなんというか」
イサトさんの気持ちはわかるのだ。
わかるのだが、その話題に真面目に取り組むとたぶん俺の脳みそが大変なことになる。イサトさんのぱんつ事情が気になって夜も眠れなくなる。そんなわけで、ぱんつについての話題を聞き流すように現実逃避に走っては、イサトさんに引き戻される、というようなことを繰り返してしまっていた。
「と、いうわけでぱんつ栽培がしたいわけです」
「ぱんつって栽培するものなんです?」
「正確に言うとぱんつ専用綿花栽培」
「……なるほど」
俺がぱんつの話題に怯んでいるのに気付きつつも、イサトさんが退かない理由がわかった。イサトさんは俺の「家」を使って綿花の栽培をしたいのだ。家主である俺の許可が欲しいがために、こうして切々と訴えているのだろう。
「君が恐れていることはわかるぞ。私が元の世界に戻るための努力も忘れ、農家ライフを満喫する可能性を警戒してるんだろう?」
「あー……、うん」
さすがのイサトさんも、元の世界に帰ることよりも農業を優先することはないだろう、とは思っている。それでも……、出来ればしばらくはメインジョブの強化に専念して欲しいと思ってしまうのだ。
「だから、ぱんつ栽培」
「だから、なのか」
「だから、だ」
イサトさんの順接の使い方に疑問を呈してみたが、さも当然のようにこっくりと頷かれてしまった。
「君の監督の範囲で、基本はぱんつの素材としての綿花栽培を許してもらえないだろうか」
「…………」
「当然君のぱんつも作るから」
「……ますます悩ましいわ」
イサトさんとしては後押しのつもりだったのだろうが、余計に躊躇してしまう。
が、その一方でイサトさんの言う「せめてぱんつは換えたい」という意見には俺としても心底同意したい。元の世界に戻るまで、俺とイサトさんは嫌でも基本的には共同生活を強いられる。お互い気持ち良く関係を保つために、最低限の身だしなみには気を遣いたいところだ。特に俺らは男女のコンビなのだから。
「街で既製品を買って置いておくというのは?」
「不可能ではないと思うが、下着のためだけに簞笥のスペースを三つも消費するのは辛くないか?」
「あー……あれセットじゃないんです?」
「ない」
きっぱり断言されてしまった。
そうかセットじゃなかったのか。
「一番最初の初期装備のデフォルト下着はセットな気がしないでもないが……、RFC的には下着なんて基本的には『見えない』部分の装備だろ? だからあんまりレシピにも種類がないんだよ。あるのは一部に大人気すぎてネタで実装された縞パンとアウターと合わせる見せブラぐらいかな」
「……なるほど」
確かに現実と異なり、ゲーム内では下着というのはそれほど重要視されない。露出度で言うならばビキニなど水着類で代用出来るからだ。実際RFCのプレイヤーは水着が下着と同じレイヤーで着用されることを生かし、装備の下にお気に入りの水着を着る者が多かった。そうしておけば、万が一装備の耐久値が振り切れて戦闘中にフィールドでキャストオフしても「下着じゃないから恥ずかしくないもん」が出来るわけだ。眼福眼福。
が、実生活で水着を下着として代用出来るかといったら無理だ。子供の頃、プールや海に遊びに行く際に、家から水着を着せられた時の違和感を思い出して、俺はもぞりと背中を揺らした。
そしてそれからちらり、と視線をイサトさんの胸のあたりに流してみる。男と違って女性の場合上半身にも下着が必要であり、それがセットになっていないことを考えると、確かに下着だけで簞笥のスペースを三つも占められてしまうのはかなり痛い。
「綿花栽培を許可して貰えるなら、ある程度下着はまとめて作って各自インベントリに保管、簞笥には綿花をごっそり詰めておく、という補充形式がとれる」
「うーん……」
それならばインベントリにパンツを、とも思ったが……重量制限のある荷物に替えの下着を詰めて戦闘用の資源が圧迫されるというのはあまり賢くない。
「ぱんつ栽培、許可するしかないのか……」
ぐぬぬ、と唸る。
イサトさんにぱんつ専用綿花とはいえ、農家になる許可を与えてしまうのはなんとなく不安だが、背に腹はかえられない。
「本当なら着替えだってしたいが──…、そこはまあ我慢するしかないからせめてぱんつ」
「うーん、着替えまで持ち歩く、着替えまで毎日生産するのはさすがにいくらイサトさんだって厳しいもんな?」
「材料さえあれば……、と言いたいところだが、私たちのレベル帯になってくるとわりと素材もレアだからな」
毎日日替わりでレア素材を駆使した装備を作るというのは不可能だ。
幾つか着回し出来るだけの装備を用意して、着替えて洗濯して……、ならまだ可能性はあるだろうか。ただ、それでもどこに干すのかという問題は出てきてしまう。人類が発展と共に遊牧スタイルから定住スタイルに変わっていった進化の流れを垣間見てしまう瞬間だ。人は快適さを求めて財をなし、その財を保管するために定住を求めたのだ。
「生活するって厳しいのな……」
「……うむ」
しみじみと二人して項垂れる。
一体他の冒険者たちはその辺の部分をどうしているのだろうか。
もしくは、そういった不快さに目を閉じることが出来る者のみが冒険者たりえるのだろうか。
「……わかった。ぱんつ栽培承認しよう。けど、あくまでぱんつ栽培だからな。ぱんつのための綿花栽培なので、謎の凝り性を発揮してえらいもん作ろうとしたりはしないように」
「ぐぬ……」
念入りに釘を刺しつつ許可を出せば、イサトさんは一度小さく唸った。やっぱりなし崩しで何かする気だったのか。綿オンリーだから!!とか言って、素材を綿だけでどこまでやれるか的なチャレンジでもするつもりだったのだろうか。……やりそうだ。
「イサトさん?」
「……はい」
ジト目で名前を呼べば、イサトさんは名残惜しそうにしつつも頷いてくれた。
後は俺がしっかり監督しておけば、いくらイサトさんの職人魂が疼いたとしてもなんとか手綱を取ることが出来るだろう。
「イサトさん、綿花ってどれぐらいで育つの?」
「とりあえずまずは畑を作って……、種をまくところから始めるから……」
視線をちょろりと上空に彷徨わせてイサトさんが思案する。
「畑を作るのに数時間、綿花が育つまで一日、ってところかな」
「………………………」
「ん?」
「…………イサトさん」
「なんだ?」
「それ、農家スキルあること前提で話してない?」
「………………あ」
ぎぎぃっと軋むような動きで隣を見やれば、イサトさんは「てへぺろ」の概念を具現化したらこんな顔になるよね、というような大層可愛らしい顔で笑って見せた。
……コノヤロウ。
「あんた農家スキルも持ってたのか……!!!!!!!!」
「ごめん!!!!!!つい!!!!!出来心で!!!!!!!!」
そのうちこの人には、持ってるスキルあらいざらい白状させたい。
本気で。
その日は、その日分の着替えや、日常生活で必要になるこまごまとしたものを購入した後に宿を取って休むことにした。
イサトさんは隣の部屋だ。
カラット村で過ごした晩のように、何かあったら困ると一応備えて眠りについたものの、特に何事もなく無事に次の日の朝を迎えることが出来た。
翌日の朝。
宿屋の下にある食堂で朝食を済ませた後、「家」の扉に宿屋の扉を設定する。
これで「家」を仲介することで、エルリア、トゥーラウェスト、セントラリアにはいつでも行けるようになった。
その後、イサトさんはわくわくと楽しそうにしつつ畑を作りに行った。
ちなみに、罰ゲーム期間が終わったので、本日はアーミットのお母さんより貰った服に戻っていた。ちっ。ちょっとばかりミニスカ赤ずきんに期待したのはきっと俺だけではないはずだ。
そして──…、イサトさんが農家スキルを駆使して「家」の周りを開拓しまくった後、俺たちは街に買い出しに出かけることにした。
観光も兼ねて、ふらふらと街の中を見てまわる。
「ふと思ったんだけど」
「ん?」
「『家』を整えませんか」
「却下」
「違うんだ聞いてくれ」
じわじわと俺の「家」を改造しようとしている節のあるイサトさんを速攻で却下してみたわけだが、どうやらイサトさんの提案は職人魂に突き動かされた結果のものというわけでもなかったらしい。
「『家』ってダンジョンや特殊な区域以外からならアクセス出来るじゃないか」
「そうだな」
「そうなると、これからしばらくは君の『家』が私たちの拠点になることも多いと思うんだ」
「あー……、確かに。フィールドで長期狩りとかすることになったら、いちいち街に戻るのも面倒くさくなるもんな」
「そうそう。ゲームの時は消耗品の補充のために『家』を使っていたけれど、今の状況的には休息を取るための場所としても必要になると思うんだ」
「そうだな。そうなると……、今の簞笥しかない状態だと確かにキツいな」
「うん」
「家」はフィールドや街中、基本的にはダンジョン以外の場所からならば自由にアクセスすることが出来る。それ故に俺はアイテム倉庫として活用してきていたのだが……、イサトさんが言うようにこれからは本当の意味で「家」としても使うことが増えていくだろう。
これから俺たちはポーションの素材を確保するためにあちこちで狩りをおこなうつもりなのだが、その途中で夜になる度に街に戻っていては時間のロスだ。
「私が改造費を出してもいいので、風呂とトイレとベッドが欲しい」
イサトさんはやっぱり切実だった。
こういう生活面の不便に事前に気付くあたり、やっぱりイサトさんは女性なんだな、と改めて思う。
俺だけならば、必要な場面が来るまで気づかなそうだ。
そんなことを思いつつ、まじまじとイサトさんを見つめていると、イサトさんが不思議そうに首をかしげる。
「なんだ、どうかしたか?」
「いや、イサトさんがいてくれて良かったなと思って」
「……ぬ?」
「こういうところ、男の俺だけだったら後回しにして後悔しそうだったから」
「…………」
じんわりと、イサトさんの目元に薄い朱色が浮かんだ。
どうやら照れたらしい。可愛い。照れ隠しなのか、やんわりと足を踏まれた。痛くも痒くもない、本当に乗る程度の圧である辺りに謎の気遣いを感じる。
「それで、君に相談があるんだ」
「なんだ?」
うっすらと頰を赤らめたまま、イサトさんはもじもじと合わせた両手を弄りだした。上目遣いに俺を見上げる視線と併せて、なんだか非常に心ときめく甘いシチュエーションを思わせて鼓動が速くなる。
『私は、君のことが──…』
そんな言葉の続きをうっかり期待してしまいそうになって──…
「実は私には一押しの家具レシピがあってだn」
「はい却下」
最後まで言わせてたまるか。
「聞こう! せめて最後まで聞こう!」
「いやだって聞かなくてもわかるもん。イサトさんの一押し家具なんて素材もえらいことになってるに決まってるし」
「ぐっ……!」
図星だったか。
家具が必要なことには同意しよう。
だが、その家具をイサトさんに作らせるかといったらそれは別問題だ。
「自分で手の入れられる『家』が手に入ったら、やりたい夢がいろいろあったんだよー……」
「イサトさんイサトさん、これ、俺の『家』だからね?」
「もう秋良青年、結婚しよう」
「何言ってんだあんた」
これほどまでに爽快に財産目当てなプロポーズが未だかつてあっただろうか。
うぐうぐ言ってるイサトさんを放置して、俺は話を続ける。
「ベッドぐらいならすぐに買える気もするが、風呂やトイレって簡単に作れるものなんだろうか」
「その辺りは職人に相談、って感じになりそうだよな」
「そもそもシステム周りが不明すぎる」
「どこに行けば買えるのかすらわからない」
「金はあるのにな」
水道とか下水システムとかその辺りはどうなっているのだろうか。
魔法でさくっと解決してくれるのならば、それが一番なのだが。
と。
そんなことを俺とイサトさんがやいのやいのと話しながら歩いているところで、街中の喧噪を割って響く怒声が耳に届いた。
「返せよ……!! それはオレが稼いだものだ!!」
子供、だろうか。まだ、声変わり前の、少女のようにも聞こえる声。怒りに満ちてはいるものの、それはどこか悲鳴のようにも響く。
それに絡んでいるのは数人のゴロツキだった。
ゴロツキの影に隠れて、絡まれている少年の姿は見えない。
「……」
「……」
俺とイサトさんは、ちょろ、と視線を合わせる。
つい昨日派手に飛空艇を撃墜してしまった手前、あまり目立つのはよろしくない。
「巻き込まれないようにしとくか」
「それが一番」
揉め事からは距離を置くに限る。
俺らの知識が通用するのならば、セントラリアは通称『王都』とも呼ばれるだけあって治安は良い。何か騒ぎを起こしたならば、すぐにでも騎士が駆けつけるようになっていたはずだ。俺たちが介入せずとも、騎士が仲裁に入って解決してくれるだろう。
「……秋良青年」
「…………」
そう思って素通りしようと思っていたはずなのに。
イサトさんの低い囁き声に注意を促されて見た先では、騒ぎに気づいているはずなのに、やる気のないそぶりで見ないふりをしようとしている騎士がいた。その白を基調とした鎧にも見覚えはあったし、そこに刻まれた紋章もセントラリアの守護騎士団のものだ。だというのに、その騎士は目の前で起きているカツアゲ、もしくは強盗めいた出来事に気づかなかった態でその場から歩み去ろうとしている。
「あのやろう、職務放棄か」
「仕事しろ公務員」
ぼやいてから、俺は騎士を呼びとめるべく大きく声をあげた。
「すいませーん、なんか揉めてるみたいなんですけど、仲裁お願いしてもいいっすかー」
「……」
空気読まないDQNスタイルであげた声に反応して、騎士が面倒臭そうに振り返る。そして一言、小馬鹿にした顔で言った。
「管轄外だ」
「は?」
思わず間の抜けた声が出る。
セントラリア内の揉め事にどんな管轄外があるというのか。
それも、絡まれているのはまだ年端もいかないような子供だ。
騎士はそれだけ言うと、面倒臭そうにフンと鼻を鳴らして人ごみの中に交ざるように歩き去ってしまった。
ポカンと立ちつくす俺たちの後ろで、カツアゲはますます盛り上がっている。
「お姉ちゃん、もう渡しちゃおうよ……」
「馬鹿、これ渡したらこれからどう生活するってんだ!」
「怪我する前に渡した方が賢いと思うけどなァ?」
怯えた幼い子供の声と、それに応える張りつめた怒声。
年端もいかない少年かと思いきや、先ほどの声の主は少女であったらしい。
そしてそれに対して凄む、下卑た声。
……なんなんだろうな。
カラット村の盗賊襲撃は、辺境の小さな村だからだと思った。
だが、王都と呼ばれるセントラリアの街中でこんなことが横行するのはどういうことなのか。
どうして誰も助けようとしないのか。
何故、見てはいけないものから目をそらすようにして、皆足早にこの場から立ち去ろうとしているのか。
一般市民が「自分にまで害が及ぶのを恐れているから」ならまだわかる。
だが市民を護る役目を負ったはずの騎士までが見て見ぬふりをするのは何事だ。
「ごめんイサトさん」
「いいってことよ」
大人しく出来そうもない、との意味を込めての謝罪に対する返事は、腑抜け騎士の数千倍男前だった。
というわけで。
「よっと……!」
するりとゴロツキの背後に忍び寄ると同時に、膝の裏を狙ってのローキック。
膝かっくん気味に決まり、「うお!?」と声をあげつつよろけた襟首を引っ摑んで地面へと引き倒した。受け身を取ることも出来ず、背中を強打して咽せる男に代わり、ツレの二人が俺を振り返ると同時に凄んだ。
「なんだテメェッ、俺らが誰だかわかってんのかアアン!?」
「知らねェよひっこめ屑が」
「ひ……ッ!?」
眉間に皺を寄せ、心底蔑む調子で言い捨てたところ、相手が怯んだように息を吞んだ。そりゃそうだろう。自分で言うのもなんだが、俺は人相がそんなに良くはない。その上でかい。そんな男に見下ろされ凄まれたらさぞかし怖いだろう。
「………」
「ひっこめ」と要求はすでに一度告げている。
後は暴力に訴えるなり、撤退するなりの相手のアクションを待つ。
しばらく睨みあった後、ゴロツキどもは舌打ちとともに俺の脇をすり抜けて撤退していった。「起きろよ!」だとか、地面に倒れていた仲間を起こして引きずるようにして路地裏へと消えていく。
「……ッ、略奪者が!」
そんな罵声を残して。
「?」
「?」
俺は思わずイサトさんと目を合わせて首をかしげる。
ルーター。
ゲーム時代には聞いたことのない単語だ。
スラングか何かだろうか。
「あ」
「え?」
イサトさんが小さくあげた声に反応して、視線を前に戻す。そこでは、ゴロツキに絡まれていた少女が、ちびっこの手を引いて俺の横を素早くすり抜けようとしているところだった。思わずその行く手を阻むような形で重心を移動してしまう。
「あっ」
「ッ……!」
少女が俺の脚にぶつかってよろける。その拍子に、ばさりと少女が目深にかぶっていたキャスケット帽が落ちた。
「ごめん……! 悪かった!」
別に彼女らに用があるわけではないのだ。そのまま逃げられたとしても何も問題はなかった。俺は条件反射のように動いてしまったことに謝りつつ、落ちた帽子を拾って差し出して……
「なんの魂胆があるのか知らねえし、礼なんか言わねえからな!」
威嚇するように俺を睨みつけた少女の頭上にぴょこりと揺れる耳に、思わず目を奪われてしまった。
そう。
燃えるように赤い癖っ毛をなびかせ、爛々と光るつり目で俺を睨む少女は、いわゆる「けもみみっ娘」だったのだ。髪と同じ色をした▲がその頭上で後ろに寝るように伏せられている。
「耳触りたい」
イサトさん、自重。

獣人。
それは、俺やイサトさんにとってある意味ではわりと馴染のある存在であり、ある意味においてはこれまで無縁の存在だった。
何故馴染深いのかと言えば、俺とおっさんの共通の友人であるリモネはずばり獣人だったからだ。RFCというMMORPGの世界において、獣人はプレイヤーが初期から選ぶことが出来る種族の一つなのだ。プレイヤーが集まれば、四人に一人ぐらいは獣人がいる。
が……、当然ながらこうしてナマの獣人に遭遇するのは初めてのことだ。
俺やイサトさんが生きていた現代日本には獣人などという亜人種は存在しなかった。それ故に目を奪われる。
おそらくは猫系の獣人なのだろう。燃えるような紅蓮の波打つ髪は肩のあたりまで。同じ色をした▲が、警戒するようにひくひくと震えては油断なく周囲の様子をうかがっている。俺を睨みつける双眸は髪よりも暗い濃赤だ。ほとんど黒みがかったその中に、縦長の明るい虹彩がきらりと光をはじいている。年の頃は14、15といったところだろうか。アーミットより少し年上だろう。
が、アーミットが幼いながらも「女の子」であったのとは違って、この子は身に纏う空気がとても尖っている。しなやかを通り越して若干細身に過ぎる体つきは、女性らしい柔らかな曲線とは無縁で、それ故に痩せぎすの少年のように見えた。
彼女は親の仇でも見るような目で俺を睨み据えると、俺の差し出した帽子を乱暴に奪い取った。
「行くぞ」
「う、うん」
気弱そうに、彼女と同じようキャスケット帽を目深にかぶった少年が頷く。
こちらは7、8歳ぐらいだろうか。帽子の陰から、気弱そうなくりんとした双眸が時折見える。彼女よりも、少し明るい茜色の瞳には、不安が色濃く滲んでいる。
二人は俺の隣をすり抜けようとして──…
「けほっ」
年少の子が、小さく咳き込んだ。
「けほっ、げほっ、げほげほげほっ」
一度その小さな口から零れた咳は、一度始まるとなかなか止まらなかった。
げほりと今した咳が、次の咳の原因になる。苦しげに息を吸いこんでは、何度かの咳で吐き出して、また苦しげに息を継ぐ。隣に立つ少女が慌てて宥めるようにその背を撫でているものの、咳は止まらなかった。そろそろ黙って見ていられなくなり、俺はイサトさんと顔を見合わせる。
「なあ、水でも……」
「うるさい、どっかいけよ……!」
少女は苦しむ弟を前にしても、俺たちに助けを求めようとはしなかった。いや、俺たちだけではない。周りにいる誰に対しても、そうだった。まるで、自分たち以外誰も信じていないとでもいうように、頑なに少女は咳き込む弟の背を撫でる。いつまでも引かない咳に、不安と焦燥に泣きそうになりながらも、それでも彼女は助けを求めない。
ああ、そういえば。
先ほどゴロツキに絡まれている時もそうだった。
彼女は誰にも助けを求めなかった。
そして。
誰も、騒ぎに気付きつつも彼女たち姉弟を助けようとはしなかった。
なんだか、とてもやりきれない気持ちになる。
俺が手を出しあぐねているうちに、少年の咳はどんどんひどくなっていった。ついには呼吸が咳に追いつかなくなり、顔を赤くして咳き込み続ける子供は、やがて立ってもいられなくなったのか力なく蹲った。その背中だけが、咳に合わせてガクガクと揺れている。
「……っ」
「寄るな……!」
どうしていいかわからないながら、ただ黙って見ていることもできず、足を踏み出しかけた俺を射貫いたのは、咳き込み苦しむ子供の姉の双眸だった。まるで手負いの獣のように、彼女は俺を睨み据え、華奢な背中に弟を庇う。でも、それが弟にとって何の助けにもなっていないことは明白だ。
強制的に手を出すかどうか。
迷った結果、頭をよぎったのはカラットでのわるもの宣言だった。
俺たちはわるものだ。
したいことをすればいい。
「……イサトさん、わるものになりたいんだけどどうしたらいい?」
そんな俺の意図は阿吽の呼吸で伝わったのか、イサトさんが口を開く。
「あの子を抱きあげてやってくれ。このままじゃ土埃が刺激を誘発し続けて咳がますます止まらない」
「了解」
それでこの子が楽になるなら、お安い御用だ。
俺は大股に一歩を踏み出すと、全力で抵抗する少女を無視して、蹲る子供を抱きあげた。土埃が良くないらしいので、なるべく頭が高い位置に来るように抱き、咳に震える背を撫でる。
「っ放せ……! ライザに触るな……!!」
怒鳴った少女が、腰裏に下げていた短剣を引き抜いた。
彼女は弟を護るためなら、俺を刺すぐらいのことは平気でやるだろう。
それはわかってはいたが、大した恐怖は感じなかった。
刺されどころさえ間違えなければ大した怪我は負わないだろう。
特に、今の俺はゲーム内のステータスを引き継いだおかげで防御力が高い。並大抵の攻撃は届かない。
もしかしたらそれなりに痛みは感じるかもしれないが。
「放せって言ってるだろ……!!」
癇癪を起こしたように少女が叫び、短剣を構えて俺へと突っ込んでくる。俺は好きにさせてやるつもりで、ふいと彼女から視線を切ろうとするが……。
イサトさんがするりと、俺と少女の間に入るのが目に入った。
「ちょ……っ、イサトさん!?」
焦る。
イサトさんの本日の装備はカラット村で手に入れた至って普通の服だ。
防御力などないに等しい。
相手は獣人の少女。
レベルは不明。
もしかしたら、イサトさんに攻撃が通るかもしれない。
そう判断したとたん、俺はナチュラルにインベントリへと手を滑らせていた。
ちなみに抱いていた子供は肩にひっかけている。落としたらすまん。
左腕でイサトさんの腰裏を攫うように強く抱き寄せ、同時に利き手の右で引きだした大剣を少女の手にした短剣に当てに行く。
抵抗する気を失わせたい。
そのために武器を弾こうと思っていたわけなのだが、思ったより力が入ったのか短剣は何か凄い音をたてて砕け散った。
「……oh」
「……oh」
何故か俺とイサトさん、揃ってリアクションが外人になった。
直接攻撃は加えていないものの、結構な衝撃が手にも伝わったのだろう。
痛みに呻きながら、顔を上げた少女と俺の視線が重なる。
何か違う理に生きるモノを見る目、だった。
畏れと、恐怖が滲んだような目。
──…あ、やらかした。
急速に後悔が胸を覆った。
敵味方のスイッチの切り替えが早いのは、俺の良くない性質だ。
彼女が俺に対して短剣を向けている間、彼女は俺にとっては敵でもなんでもなかった。
それは、彼女が俺に対して害を与え得る存在ではないと思っていたからだ。
だが。
イサトさんが間に入ったとたん、彼女は俺にとり「害をなす者」になった。
彼女の攻撃はイサトさんにはダメージを与え得るかもしれない。
俺の「身内」に手を出すものはすなわち「敵」だ。
そう、ナチュラルにスイッチを切り替えてしまった。
うまく力加減が出来なかったのは、そのせいだ。
ああ、やらかした。
俺はやっぱりどうも。
相変わらずちょっとおかしいらしい。
ちょっとは真人間に近づけたと思っていたんだが。
うそりと自嘲めいた嗤いが口の端に浮かぶ。
と、そこで。
「秋良青年、秋良青年」
ぺしぺし、と腕をタップされた。
視線を下ろす。
がっちりと俺に腰をホールドされたイサトさんが、どこか呆れたような顔で俺を見上げていた。
「もう大丈夫だから、その子、見ててやってくれ」
「……うん」
そっと、イサトさんの腰に回していた手を解く。
それから、大剣をインベントリにしまった後は肩に乗せてた子供の背を撫でつつ様子を見守ることにした。イサトさんの「大丈夫」は基本的に当てにならないが、こういうところでは噓をつかないというのはわかっている。
イサトさんは怯えの滲んだ目で俺たちを睨みながらも、決して一人で逃げようとはしない獣人の少女へと向き直った。
「君の、弟を守りたいという気持ちはよくわかるよ。でも、本当に弟を守りたいなら状況をよく見てやってくれ。私たちに悪意はない。ただ、君の弟を助けたいと思っただけなんだ」
イサトさんが、柔らかい声音で語る。
その言葉に、少女は俺の腕に抱かれた少年を見やり、その呼吸が先ほどよりも落ち着き始めていることに気づくと、憑き物でも落ちたかのように脱力してだらりと腕を落とした。じわり、とその濃赤の双眸に涙が浮かび上がる。その様子にイサトさんはふ、と小さく息を吐いた。
「泣かなくても──…だいじょうぶ」
優しく言いながら、イサトさんはそっと手を伸ばして少女の背を抱きよせる。呆然とイサトさんの肩に顔を埋める形になった少女の、硬くへの字に引き結ばれていた唇がわななくように震えた。ぽたぽた、とイサトさんの肩に涙が落ちて、それから彼女はわんわんと子供のように泣いた。
ああ、そうだ。
気を張っていても、彼女だって、まだ子供なのだ。
弱った弟を抱えて俺らと対峙して、どれだけ怖かっただろう。
ますます罪悪感に視線が遠のきそうになる。
そして。
俺の腕の中に抱かれた子供が「うぇろろろろ」とゲロった。
限界だったらしい。
「わあ」
イサトさんが他人事のように間の抜けた声をあげた。
半眼で見やれば、いやいや、と誤魔化すように何がいやいやなのかわからないことをのたまった。それから、小さく首を傾げて提案する。
「とりあえず、宿に戻らないか」
「そうだな」
「ほら、君もおいで」
俺は泣きじゃくりながら謝る子供を抱いて。
イサトさんはわんわん泣く少女の手を引いて。
傍から見たら誘拐犯にしか見えない態で、俺らは宿へと戻ることになった。
宿に戻った俺らは、周囲から向けられる好奇や非難の目をものともせず二階に取った部屋へと向かった。イサトさんがこっちへ、というので、少年を運びこんだのはイサトさんの部屋だ。
柔らかなベッドに下ろして、寝かせてやる。咳はだいぶ収まったものの、まだ少し息苦しそうにしている。イサトさんはそんな少年の上に身を乗り出すと、そっとその胸のあたりに耳を押し当てた。
「君、この子は息が出来なくなるような発作を起こしたりしたことがあるか?」
「な、ない……っ」
ぶんぶんと少女は首がもげそうな勢いで首を左右に振った。
「じゃあ風邪を引いた時に、咳がしばらく止まらなくなったりとかするようなことは?」
「それは、ある。今もそうだ」
「なるほど」
「イサトさん、何かわかるのか?」
俺は少年のゲロで汚れた服を脱ぎつつイサトさんへと問いかける。
イサトさんは何気なく俺の方へと視線を向けて……、ふお、と謎の声をあげて視線をついっとそらした。微妙に目元が赤くなっている。
「おいやめろそのリアクション、俺までいたたまれなくなる」
「いや、秋良青年が予想以上に良い身体をなさっていて」
「オヤジか」
セクハラされた気分だ。
「今度腹筋撫でまわさせてくれ」
「イサトさんが胸揉ませてくれたらな」
「…………」
「悩むな」
そのうち交換条件を飲まれてしまったらどうすべきだろうか。
揉むだけで止まれる気がしないわけだが。
そんなことをつらつらと考えていると、馬鹿な応酬をしていた俺らを少女が戸惑ったように見つめているのに気付いた。
「イサトさんイサトさん、で、その子は大丈夫なの?」
「たぶん? 私も医者じゃないのではっきりしたことは言えないが……、小児喘息なんじゃないだろうかな。喉の喘鳴はほとんどないが、咳にたまに変な音が混じってたみたいだったからな」
「ああ、確かに」
げほげほ、と咳き込む音に、時折「がひゅ」とでも言えばいいのか、空気が漏れるような変な音が混じり、その音がする度に咳が酷くなっていた。
「イサトさん、詳しいな」
「私も小児喘息持ちだったからな」
「あ、そうなんだ?」
「彼と同じく、風邪を引くと咳が止まらなくなるぐらいの、喘息としては軽度なので吸入薬とか使ったことはないんだけどな」
イサトさんは軽くそう言って、ひょいと肩を竦める。
そして、ふと考えるように視線を彷徨わせた後、口を開いた。
「秋良青年、一つ頼んでも良いか?」
「ん、何?」
「ちょっとお使いに行ってきて欲しい」
「いいよ」
俺とイサトさんの会話を、少女は変な顔をして見つめている。
そんな少女へと、イサトさんはちらりと視線を向ける。
「君にも頼みたいことが……」
「……エリサ」
「ん?」
「オレの……名前」
「エリサか。可愛くて良い名前だな」
「……っ」
イサトさんの言葉に、かっと少女、エリサの頰が赤くなった。
ネトゲ時代にも見てきたが、イサトさんは本当ナチュラルに乙女心をがっつり摑んでいく。何度もげろと思ったことか。実際にはもげるべきものはついていなかったわけだが。
「私は伊里だよ。イサト、と呼んでくれ」
「……イサト」
「そう。で、あっちが秋良だ」
「……アキラ」
「うん。で、弟くんの名前も聞いても?」
「ライザ」
「教えてくれてありがとう、エリサ」
ますます、エリサの顔が赤くなった。
「君にも買い物を頼みたいんだが良いか?」
「いい。でも、お金あんまり持ってない」
「ああ、代金については気にしないでくれ。私が買い物を頼むわけだしな。ちゃんと持たせるよ」
そう言ってイサトさんは腰に下げた皮袋の中から、1000エシル硬貨を取り出してエリサへと渡した。
「たぶんこれで足りると思うんだが──…、大根を買ってきてほしいんだ。秋良青年は、倉庫にアクセスして蜂蜜がないかどうか探してきてくれ」
「たぶん……、あったような気はしている。なかったら、ちょっと狩ってくるよ」
「そうしてくれると助かる」
セントラリア近くには、蜂の巣と呼ばれるダンジョンがある。文字通りそこはハチに良く似たモンスターの巣穴になっており、そいつらのドロップ品の一つが蜂蜜なのだ。加工せずにそのまま使っても回復量が他の食材よりも大きいため、セントラリア周辺で狩りをするレベルのユーザーにとっては美味しい敵だ。また、MPポーション代わりに使える蜂蜜酒の素材になることもあって、手に入った時には店売りせず、倉庫に溜めるようにしていた。
「でも、蜂蜜と大根でどうするつもりなんだ?」
「蜂蜜大根を作るに決まっているじゃあないか」
ドヤァとイサトさんは胸を張って言い切った。
ひとまずは俺らを信用する気になったらしいエリサは、イサトさんにライザを任せると、俺と共に宿を出た。着替えがないため、俺は上半身裸というワイルド極まりないスタイルである。まあ、この世界においてはそんなに目立たないのがありがたい。倉庫までお使いにいくついでに、露店で着られそうなものを買うとしよう。
「……なあ、アキラ」
「ん?」
宿を出たところで、エリサがおずおずと俺を呼びとめる。
足を止めて、その顔を覗き込む。
まだ怖がられていたら、と思ったが、その瞳に滲んでいるのは困惑だけで、そのことに少しだけ安心した。
「どうした?」
「アキラは、人間だろ?」
「うん」
まだ人間を辞めた覚えはない。
「なんで……人間なのに、アキラは略奪者の言うことを聞くんだ……?」
「ルーター?」
そういえば、先ほどのゴロツキも去り際にそんなことを言っていたような気がする。そして、この場合ルーター、という音が指しているのはイサトさんのことだろうか。
「イサトさんのことか?」
「……うん」
こくり、とエリサが頷く。
「ルーターが何なのかはよくわかんないけど……、なんで俺がイサトさんの言うことを聞くのかって言ったら、イサトさんのことを信じているから、じゃないかな」
信じるだとか、信頼だとか、言葉にするとなんだかこっ恥ずかしいが。
きっとそういうことだ。
俺は、いざという時のイサトさんの判断を信じている。
「……そっか」
エリサは、奇妙な顔で笑った。
泣きそうな、羨ましそうな、ほっとしたような、いろんな感情が混ざった、不思議な笑顔だった。
「んじゃオレ、大根買ってくる!」
「あいよ。俺は蜂蜜探してくるか」
「なあ、アキラ!」
「ん?」
「大根買うのに1000エシルもあったばかりの奴に渡すイサトは危なっかしいから、オマエ、ちゃんと見てやれよ!」
「……おう」
目元を赤らめつつそう言ったエリサは、照れを誤魔化すように走って人ごみの中に消えていく。
「……そっか、子供から見てもやっぱりイサトさんは危なっかしいのか」
くくく、とこみ上げるままに笑いながら、俺は上機嫌に倉庫に向かって歩き出した。
とりあえず、倉庫にあっただけの蜂蜜をインベントリに移し、露店で購入したTシャツを着て宿に戻ると、エリサもすでに戻っていた。イサトさんは、宿から借りてきたらしい包丁で器用に大根をサイコロサイズに切っている。
「ただいま。とりあえず蜂蜜あるだけ持ってきてみた」
「ありがとう。一個出してくれるか?」
「あいよ」
インベントリの中から、蜂蜜の瓶を一つ取り出す。
とろりとした甘そうな琥珀色が、透明な瓶の中で小さく揺れた。
イサトさんは宿から借りてきたらしい木匙で蜂蜜を掬うと、白湯の注がれていた湯吞の中へと落とした。かきまぜるお湯が、微かにとろりと粘度を帯びる。
「本当は蜂蜜大根のシロップをお湯で溶かして飲むのが一番なんだが……、まだ出来ていないのでまずは蜂蜜湯でも飲んでおいてくれ。甘さが足りないようだったら言ってくれ、追加するから」
身体を起こしたライザへと、イサトさんが湯吞を差し出す。戸惑いがちに姉の姿を探したライザに、エリサが小さく頷く。姉からのOKが出たことで少しは安心したのか、ライザはおずおずとイサトさんから湯吞を受け取ると、口元へと運んだ。
「わあ、甘くて美味しい……!」
「良かった。すぐに飲みこむんじゃなくて、喉で溜めるようなイメージで少しずつ飲むと良い」
「はぁい」
良い子の返事で、こくこくとライザが蜂蜜湯を飲み始める。
その間に、イサトさんは瓶に残った蜂蜜の中へと、サイコロサイズに切った大根をざーっと流し込んだ。
「エリサ、これの作り方を覚えておくと良いよ。蜂蜜大根は喉に良いんだ。たぶんライザの咳が酷くなるのは夜になってからだろ?」
「なんでわかんだよ?」
「私も同じだったからな。そういう時は、寝る前に蜂蜜大根のシロップをお湯で割ったものを飲ませてやるようにすると良い。噓みたいに咳が止まるから」
「大根や蜂蜜の量は決まってるのか?」
「適当で大丈夫。蜂蜜に大根をいれて二時間ぐらいおいておくと、とろみが薄れて蜂蜜が水っぽくなるから、そうなったら出来たと思っていい」
「わかった」
エリサはイサトさんの言うことを真剣な面持ちで聞いている。
と、そこで蜂蜜湯を飲み終えたライザが小さく欠伸をした。
イサトさんが、優しく目を細めてライザの頭を撫でる。
「ここしばらく咳のせいで眠れてなかったんだろうな、可哀想に。今日は少し楽になるだろうから、ゆっくりおやすみ。ああ……、でも家の人が心配するなら送った方が良いか?」
「家の人……」
くっとエリサが唇を嚙んだ。
「……いない。今は、オレとライザ、二人だけだ」
「……そうか。それなら今日は泊まっていくと良い」
「いいのか?」
「私は構わないよ」
「俺も別に」
袖擦りあうも多生の縁だ。
そもそも助けるつもりで手を出したのだから、異論はない。
それに、エリサからはもっといろいろと話を聞きたい。
俺らの知る頃とはだいぶ変わってしまっているように感じられるセントラリアのこと。そして、イサトさんをルーターと呼んだ理由。
あのゴロツキどもは、明らかな悪意をこめて、蔑むように『ルーター』という言葉を使った。放っておくには、いろいろと気になる。
「だけどよ、オレとライザがここで寝ちまったら、イサトはどこで寝るんだ?
ここ、イサトの部屋なんだろ?」
それはもちろん、後一つ部屋を取るに決まっている。
そう、俺が返事をするより先に。
さも当たり前のようにイサトさんが言った。
「秋良の部屋で寝るから大丈夫だよ」
「え?」
──え?
俺はびっくりするほどに追い詰められていた。
大ピンチである。
敵はイサトさんだ。
……ちょいちょいセクハラしているというのに、どうにも学ばないお人である。
ちなみに、お金に困ってるわけでもないんだしもう一部屋借りようという紳士的な申し出は、物理的にすでに宿の他の部屋が借りられている状況の前に完封されてしまった。
このタイミングで満員御礼になりやがった宿屋が憎たらしくて仕方ない。
駄目元で別の宿をとるというアイディアも提案してみたが、「そこまでして別の部屋に泊まる意味があるか?」と小首をかしげるポーズつきの疑問で粉砕された。
据え膳喰い散らかすぞこのやろー。
俺の煩悶など無視して、隣の部屋の姉弟に食事を差し入れたイサトさんは、現在優雅なお風呂タイムである。もう一度言う。お風呂タイムだ。イサトさんはお風呂タイム。メーデーメーデー。
俺が頭を抱えるすぐ隣、壁を一枚隔てた場所で、イサトさんは一糸まとわぬ裸身を晒して風呂に入っているのだ。脳裏に思い浮かぶのは、ぴっちりと身体のラインも露わにナース服を着こなしていたイサトさんのシルエットだ。拘束具めいた布から解放されたまろやかな褐色の身体の破壊力はいかほどだろうか。想像だけでいろいろまずい。いやほんと。マジで。
「寝よう。寝るしかない」
俺は呻くように呟いて、宿の主から無理いって借りてきたソファに身体を押しこんだ。身長180cmを超える俺にはかなり窮屈だが、このソファが俺にとっての生命線である。風呂から出てきたイサトさんが、どっちがベッドを使うか、なんて話をし始めたら俺の寿命が縮みかねない。もうすでに雑魚寝した仲なんだし、納屋の床で寝るのもベッドで寝るのも変わらないだろう、なんて言われたら死ぬ。主に俺の理性が。
ここは寝たふりで乗り切るしかない。いくらイサトさんでも、ソファにみっちり詰まって寝る俺を無理やり起こしてベッド談義を始めようとは思わないだろう。俺は目をつぶって、無になるべく宇宙の真理について思いを馳せる。
そんな最中、どうして俺がこんな風に苦しまなければならないのか、なんて考えてはいけないことをふと思ってしまった。
この我慢は必要なことなのだろうか。理性なんて放り出して、本能の赴くままにあの柔らかそうな肢体を貪って何が悪いのだろう。間違いなく裁判に持ち込まれたとしても、強姦は成立しない。イサトさんは自分から俺と同じ部屋で寝る、と言ったのだ。その時点で、その意思があると受け取られても仕方ないのだ。俺に罪はない。それにイサトさんにその意思がないというのはどこの筋の話だ。ソースは? もしかしたらイサトさんだってそういうことを期待して俺と同じ部屋で寝るなんて言い出したのかもしれないじゃないか。それならばいっそ手を出さない方が失礼なんじゃないのか。そうだ。そうに決まっている。イサトさんだって、
「だああああああああああッ」
がごん。
全力でソファの手すりの角に頭を打ちつけて、俺は脳みその暴走を強制終了した。ものすごくあたまがいたい(物理)。
もしかしたら、イサトさんだってまるっきりその気がないというわけではないのかもしれない。少なくとも、嫌われてはいないと思う。
でも。
俺は。
イサトさんを泣かしてしまうことがこわい。
肉欲が満たされて冷静になった時、イサトさんが泣いていたら俺はどうしたらいいのだろう。きっと、俺は俺が許せなくなる。
だから。
「イサトさんまじじちょう」
そんな呪詛めいた呻きを残して、俺はフテ寝するしかないのだ。
念ずればなんとやら。
どうやら俺は、本当に寝てしまっていたらしい。
うっすらと目を開けて、窮屈なソファの中で身じろぐ。みしみし、とソファの肘置きが不穏な音を立てるのが聞こえた。部屋の中はすでにすっかり暗い。イサトさんも眠ったのだろうか。くわぁ、と小さく欠伸をして、俺ももう一度眠りなおそうと試みる。このまま起きていても、良からぬことを考えてしまうだけに決まっている。それならさっさと眠って、この生殺しの地獄のような夜を乗り越えてしまいたい。
そこで。
俺は失念していた。
目を覚ましたのには、目を覚ますだけの理由があるのだ、ということを。
ふわり、と鼻先を甘い香りが掠めた。
誘われるように、首をひねって顔をあげる。
無理な体勢で持ち上げたせいで、首の筋がぴきりと引き攣って痛んだ。
けれど、そんな痛みは大したことなかった。
ああ。
これが俺の目の覚めた理由か。
そこには、イサトさんが立っていた。
こちらの世界にやってきて以来、パジャマとして愛用されている節のある召喚師装備(上)。太腿までを申し訳程度に隠すその上着の下からは、形の良いむっちりとした長い脚がにゅっと伸びている。
寝起きで目にするには、とてつもなく心臓に悪い光景だった。
「イサト、さん……?」
「…………」
イサトさんは俺の呼びかけには答えないまま、ぺたりと裸足で踏み出して俺へとの距離を削った。
「なあ、秋良青年」
「な、なに……?」
「私と話をしようか」
「え」
おいイサトさん。
あんた言ってることとやってることが違う。
話をしよう、なんて理知的なことを言いながら、イサトさんはとんでもない暴挙に出た。ソファにみっちりと詰まる俺の上に、乗ったのだ。跨りやがった。ブランケット一枚を隔てて、イサトさんの体温が俺の上に乗る。とんでもない光景だ。窓から差しこむ月明かりに照らされて、イサトさんはなんだか恐ろしいまでに美しい淫魔のようだった。
ああくそ。この人は、なんで。俺の我慢やら気遣いをこうしてぶち壊すような真似をするんだ。
「……イサトさん、どけよ」
「嫌だ」
「……あのさ。エルリアの街でも言っただろ。俺は男で、あんたは女なんだから、俺がその気になったらあんた抵抗できないんだぞ」
声が苛立ちに尖る。
イサトさんは、不思議なほどに無表情だ。
何を考えているのか読めない金色の双眸が、まっすぐに俺を見下ろす。
あんたは一体何を考えてるんだ。
今の居心地の良い関係を保つためには、お互い不可侵の壁を築く必要があるという話をしたばかりじゃないか。俺が不用意に壁を乗り越えてしまわないようにと、あんたにも下手にその気もないのに挑発すんなと警告したじゃないか。
「やれるかどうか、試してみたら良い」
「……ッ」
心底こちらを煽ろうとしているとしか思えない言葉に、かっと目の前が赤く染まった。ばきり、とソファの肘置き部分がついに折れる音が聞こえた。
次の瞬間には、俺はイサトさんの華奢な腕を摑まえて、体勢を入れ替えていた。
ソファに組み敷かれたイサトさんはほんの一瞬だけ驚いたように目を瞠って、その後はすぐにまた何を考えているのかわからない静かな金色が俺を見上げた。長く艶やかな銀髪が、ソファの上に蛇のようにのたうって広がる。その顔の横に手をつき、脚の間に己の膝を割りいれて押さえ込んだ。
「ほら、あんたは逃げられない」
顔を近づけて、威嚇するように口角を持ち上げて哂う。
怖がればいいと思った。
俺を押しのけようと、暴れてくれればいいと思った。
そしたらきっと俺は──…
「君が、本当にしたいことをしたらいい」
なんで。
なんで、そんな静かな声で受け入れるみたいなことを言うんだ。
駄目だろ。こんなの、駄目だろ。
ぐぅ、と喉の奥が鳴る。
まるで獣だ。
「なあ」
イサトさんは静かに語る。
ここに来て、あやすような柔らかな声音で話し出す。
「どうして君は、我慢するんだ」
「してない」
この状況で、何をどう我慢しているというのか。
俺は俺が恐れていた通り、理性の手綱を放してこうしてイサトさんに酷いことをしようとしてしまっている。いや、むしろもうすでにしている。
我慢できていたら、こんなことにはなっていない。
そう思ったら、腹の中でとぐろを巻いていた性欲だか怒りだかよくわからない熱が急速に引いていくのを感じた。いわゆる、心が折れた。ああしにたい。
がくりと項垂れる。
顔を上げられない。
イサトさんの顔が見れない。
「……ごめん、イサトさん」
押し出すようにして謝って、のろのろとイサトさんの上から身体を引く。
それを何故か引き留めたのは、やっぱりイサトさんだった。
「……何」
なんで、止めるんだこの人。
「私は、君のその顔が嫌いだ」
「…………」
嫌われた。
イサトさんに、嫌われた。
涙が出そうになった。
でかい図体のいい年した男が、泣きそうになった。
「その、自分のことが嫌いで仕方ないって顔」
「……へ」
顔を上げる。
俺を見上げるイサトさんは、やっぱり何を考えているのかわからない顔をしていた。でも、なんだかとても優しいことを言われたような気がした。
「最初にひっかかったのは、カラットの村だ。アーミットが斬られたとき」
「……っ」
小さく息を吞む。
あの時、目の前でアーミットが斬られるのを見た俺は、極々自然に相手を殺し返そうと思った。アーミットの命を奪った男の命を、俺がこの手で奪ってやろうと思った。即座にそう決めて、実行しようとした。怒りにとち狂ったわけじゃない。俺は冷静にそう考えて、殺すと決めたのだ。
……我ながらどん引きだ。
平和な日本で安穏と暮らしてきた大学生の発想じゃない。
イサトさんにも言われたじゃないか。
『あんなにナチュラルに相手を殺す覚悟を決められる人を、初めて見た』と。
「それから君は、たまに嫌な顔をするようになった」
「嫌な、顔……?」
「自分自身を毛嫌いするような、それでいて何かを恐れているような曖昧な顔」
「……あ」
思い当たる。
カラットの村でしたことを、俺はイサトさんに隠し続けている。
俺たちに対して危害を加え得る敵だと判断した男を、俺はこの手にかけようとした。イサトさんが口にした「殺すな」という人道的な判断に悖ることを、俺はあっさりと行動に起こした。あの男が、俺たちに害を成す「敵」だと判断したから。
「最初は、この状況や、未来に対する不安なのかとも思った。いきなり戦闘に巻き込まれたり、目の前で人が殺されかけたり、衝撃的なことが続いたしな。そして、その不安を形にすることを、口にすることを恐れているのかと思ってた」
イサトさんの澄んだ金色の双眸が、俺を見上げる。
俺を見透かす鏡面のように、その瞳に俺が映っている。
イサトさんは、静かに告げる。
「君は一体、何を怖がってるんだ」
俺が、怖いもの。
イサトさんの静かな問いかけに、ふと心の中に浮かんだ答えは二つあった。
一つは俺自身であり──…、もう一つはイサトさんだ。
俺は、自分が怖い。
俺は、どうにも人間として淡泊だ。
だから、己と関係ない人間がどうなろうと関係ないと思ってしまうし、自分の敵だと認識した相手の命を奪うことに躊躇いを感じない。感じられない。
「俺さ」
懺悔のように、口を開く。
「ちょっとおかしいんだ」
「おかしい、って?」
「例えばなんだけど、イサトさんホラー映画だとかで、殺人鬼に追われるようなシチュエーションがあるじゃないか」
「あるな」
「倒した、と思って逃げてたら、実は生きてた相手にまた襲われて……、っていうのはそういうのじゃわりとよくある展開だろ?」
「そうだな」
「俺はそういうのを見るたびに、何でトドメを刺さないんだろうって不思議に思っちゃうんだ」
どうして、映画の主人公たちは殺人鬼が動かなくなった時点でその場を離れてしまうのだろう。何故、気絶で許してしまえるのだろう。俺ならそこできっと殺してしまう。動かなくなった相手が、本当にもう動かないかどうかを確かにする。そうでなければ、安心できない。
深く、息を吐く。
「俺、大学二年って言っただろ」
「うん」
「でも、21だ」
ストレートで進学していたならば、21ならば大学三年生であるはずなのだ。
俺は、一年遅れている。
「誕生日が早いか、浪人でもしたのかと」
「浪人──…、というか留年、というか」
「ゥん?」
「中二の時にさ、ちょっとした事件に巻き込まれたんだ」
「事件」
イサトさんが、復唱する。
「近所のコンビニで買い物をしてる時に、運悪く強盗にかちあった」
「それは──…」
「スキーマスクかぶって、包丁振り回して、金を出せって暴れてたよ」
極度の興奮状態で、誰を傷つけてもおかしくなかった。
後から聞いた話によると、よろしくないオクスリを服用していたらしい。
「だから、俺はそいつを店の中にあった脚立でぶん殴った」
フルスイングで容赦なくこめかみのあたりを殴り飛ばした。
そうしなければ、俺はもちろん、同じ店の中にいる他の客や、店員が助からないと思ったから。そして。
「俺は当たり前のように、そいつが追いかけてこられないように──…、そいつの足を折った」
興奮して、恐怖に我を失っていたわけではない。
俺は落ちついて、冷静に、追われたら困るな、と思ったから、追えないようにしたのだ。結果、犯人以外の怪我人を出さずに、事件は解決した。
「過剰防衛だとも言われたけど、俺は中二のガキだったからさ。特にお咎めもなかったよ。ただ、カウンセリングには通わされた。でもさ」
はあ、と深く息を吐く。
「俺、全然気にならなかったんだ。家族は俺のことを滅茶苦茶心配して、学校も休学させてくれたし、家族ぐるみでカウンセリングも受けてくれた。でも、俺は平気だったんだ。人ひとり脚立でぶん殴って足をへし折っておきながら、俺は何のトラウマにもならなかったし、罪の意識で苦しむようなこともなかった」
俺は、何とも思わなかったのだ。
あの男は俺にとって、日常を脅かす敵だった。
それに相手は犯罪者だ。
だから、排除した。
俺の中では、そこに罪悪感が発生する余地はない。
いや。
罪悪感があるとしたら、何も感じないことにこそ、罪悪感を覚えた。
「最終的にカウンセリングで、俺はソシオパスの傾向があると言われたよ」
ソシオパス。
社会病質的傾向。
良心と共感力に欠ける、欠陥のある人間。
「親はすごいショックを受けてた。そして、今まで以上に俺を『まとも』に育てるために気を遣ってくれた。だから、俺はずっと『まとも』になりたかった」
まともな人ならどう感じるのか。
どう行動するのか。
本を読んだり、人を観察することで、俺はそれを模倣した。
「自分だったらそうする」という行動よりも、「普通の人ならそうするだろう」という行動を優先して選ぶようにしてきた。
それでも、やっぱり俺はおかしかった。
アーミットを斬った盗賊、カラット村での薄気味悪い男、先ほどのエリサ。
俺は、相手が自分にとっての敵だと判断したならば、一切の躊躇いなく排除に動くことが出来る。
俺の中では優先順位があんまりにも明確で、迷いが発生する余地が少ないのだ。
俺はそんな自分が怖い。
「カラットの村でさ」
「うん」
「イサトさんは、殺すな、って言ったじゃないか」
「そうだな」
「でも、あの後に俺、薄気味悪い男に会ったって言っただろ?」
「うん」
「俺、本当はそこでその男を殺そうとした」
静かに、告白する。
イサトさんは、たとえアーミットを殺した敵であっても「殺すな」と口にした。
それがどうしてなのか、俺にはよく理解出来ない。
あれは結果的にイサトさんの使ったポーションが間に合ったから、アーミットが助かっただけで、あの男がアーミットに対して殺意を向けて行動を起こしたことがチャラになるわけではないと、思う。
だから別段俺としては殺してしまっても構わなかった。
「絶対殺す」から「殺しても殺さなくてもどっちでもいい」になっただけに過ぎない。
殺さなかったのは、イサトさんが止めたからだ。
イサトさんと揉めてまで殺すほどのことはないと思ったからだ。
ただ、それだけだ。
敵の命を奪う、ということに対しての躊躇が、俺にはない。
普通の人ならば、あの状況でも「命を奪うのは良くないこと」という常識に則って行動することが出来るのだろうか。
イサトさんが俺を止めたように。
普通の、人なら。
俺は、俺の感覚が普通でないことをイサトさんに知られることが怖かった。
まともで、人道的な感覚を持ち合わせるイサトさんに、恐ろしいバケモノであるかのような眼差しを向けられてしまうのが怖かった。
だから、言わなかった。
言えなかった。
「逃げようとしたところ、背中から斬り捨てた。まあ結局燃えてる家に逃げ込まれて見失ったけども」
殺すつもりで、斬りつけた事実は変わらない。
俺は自分に敵対する存在を倒すことに躊躇いを覚えない。
もちろん、無闇矢鱈に敵を殲滅したい、というわけではない。
話し合いで解決出来るのならそれが一番だ。
けれど、いざというときに俺は迷わないし、そのことに関しては罪悪感を抱かない。罪悪感を抱かないことに関しては罪悪感を抱いてしまうが。
「俺は、それをイサトさんに知られるのが怖かったんだ。
あの場で俺に『殺すな』と言えるような、真っ当な感覚を持ってるイサトさんに、俺のおかしいところを知られたくなかった」
懺悔のような俺の告白を聞いて、イサトさんは静かに息を吐いた。
少し、怖くてイサトさんの顔を見ることが出来ない。
視線を伏せていると、そっと伸びてきた手が、優しく俺の頰に触れた。
「イサト、さん……?」
「なんだか、随分悩ませてしまったみたいだなぁ」
ゆっくりと視線を持ち上げた先で、ふわりとイサトさんが柔らかな微笑みを浮かべる。その瞳には、俺に対する嫌悪や、恐怖の色はなかった。
そのことに、心の底から安堵する。
「私が、あの時殺すな、って言ったのは──…、別段あの男のことを庇ったわけじゃないよ」
「……え?」
それなら、どうして?
イサトさんはあの時俺を止めた?
「だったら、人を殺すのは良くないこと、だから?」
「それは大きな意味ではあるかもしれない」
現代社会において、殺人は許されない罪だ。
ぎりぎりで正当防衛が認められているが、それだって正当防衛として認められるのは難しいという話を聞く。
復讐や、仇討による殺人も認められてはいない。
そんな社会でこれまで生活してきた故に、イサトさんがその常識を捨てられないというのも当然だろう。
そう納得しかけた俺を見上げて、イサトさんは言葉を続ける。
「人を殺すのが良くない、というよりも──…」
イサトさんがまっすぐに俺を見つめる。
深い金色の瞳に、吸い込まれてしまいそうだ。
「君に、そんなことで傷をつけたくないと思った」
息が、詰まった。
俺を、傷つけたくない?
「私も現代日本育ちで基本平和ボケしてるから、トンチンカンなことを言ってるかもしれないけど、さ。人を殺すことでトラウマを背負うとかってよく聞くだろう」
「……ああ、確か、に?」
日常的にそういった出来事が身の回りで起きているかといったらそんなことはないが、確かに映画やドラマ、伝え聞くエピソードとしてそういった話は珍しくない。むしろ、俺はそういったエピソードに触れるたびに、罪悪感を抱かない自分自身への嫌悪を深めていたような気がする。
「私は結構海外ドラマの刑事ものが好きでよく見るんだけど……、犯罪者から市民を護るためにいざというときに躊躇うな、と彼らは訓練されているのに、それでも現場で犯人を射殺することに躊躇ったり、する」
「うん」
「それだけじゃなくて、犯人を射殺してしまった後にはカウンセリングにかかったりも、する」
「うん」
「ドラマは創作で、本当の話ではないかもしれないけれど……きっと、そう間違ってるってわけではないと思うんだ」
「うん」
「人の命を奪う、っていう決断や、行動の生むストレスっていうのはさ。きっとあるんじゃないかって私は思ってる」
「……だから、止めた?」
「そう。だから、止めた。
君に、そんな負荷を背負って欲しくなかったから」
ここは異世界だ。
俺たちが暮らしていた世界とは異なる理で動く世界。
それでも、現代日本で育った俺たちの中には、「人の命を尊重する」という概念が根強く存在している。
イサトさんは、その概念が俺を苦しめる可能性を考えて、あの時止めてくれたのだ。あの男に対する同情でも、常識に則った判断としてでもなく、あくまでも俺のために。
「あんな男のために、君が傷つく必要はない。君がストレスを抱えてまで手を下す必要はないと思ったから、止めた」
「──…、」
深く息を吐き出しながら、俺は力尽きたようにイサトさんの肩口に額を押し付けて突っ伏した。いろいろいたたまれない。イサトさんは、そんな俺の頭をもしゃもしゃと華奢な指先でかき撫でた。
「私は、君を信じてるよ」
「……俺の、何を?」
「君の、判断を。だから、私は君を怖がらない」
「……いきなり飛ばされた異世界でナチュラルに殺す覚悟を決められる男、なのに?」
「……嫌みだな」
つん、と髪を引っ張られた。
今までと変わらない甘やかなじゃれあいに、くつ、と喉を笑みに鳴らす。
「これはあくまで私の意見なのだけれども。根っからの良き人であるよりも、良き人であろうと努力して良くあることの方が凄いと思うんだ」
「───、」
静かに息を吞んだ。
そんな風には、考えたことがなかった。
努力しなければ、普通であれないことがコンプレックスだった。
考えなければ、普通の人の考え方がトレースできない自分が厭だった。
「優しくあろうと努力してるから、君は他の誰よりも優しい」
「……そうか?」
「そうじゃなかったら、私はとっくに犯されてる」
「ぶ」
イサトさん、自覚あったのか。
「だから、秋良。君は──…、自分を誇って良いよ」
「イサト、さん」
「あんな風に、自分を嗤うな」
「…………」
柔らかく、それでいてどこか拗ねたような声で言われて、ふと思い当たった。
「……イサトさん、もしかしてお怒りでした?」
「うん。お怒りです」
しれっと認められた。
「……だから、わざと俺を挑発した?」
「…………」
イサトさんは無言でやんわりと微笑んだ。
このやろう。本当。このやろう。
俺が悶えることを織り込み済みで、イサトさんは俺の部屋に泊まるなんて言い出したのだ。
「俺が悪かったから、もうそんな自分を人質にするような嫌がらせはやめてくれ、本当。俺がもたない」
「知ってる」
「……タチ悪ィ」
深々と溜息をついた。
本当、この人には敵わない。
「それじゃあ、秋良青年、そろそろどいてくれ。重い」
「へいへい」
のっそりと、俺は今度こそ邪魔されることなくイサトさんの上から身体を起こした。それから、何気なく手を取ってイサトさんを引き起こしてやろうとして。
「……、」
イサトさんの手が、酷く冷えていることに気付いた。
ああ、そうだよな。
いくらイサトさんがタチの悪いおっさんだとしても。
ガタイの良い男に組み敷かれ、凄まれて、怖くなかったわけがないのだ。
ごめん、なんて言葉が喉奥まで出てきたのを、飲みこんだ。
謝っても、イサトさんはしらばっくれるだろう。
だから。
「ありがとう、イサトさん」
「いいってことよ」
返事はやっぱり男前だった。
翌日。
どうにか奇跡的にいつもの時間に目が覚めた。
といっても、時計があるわけではないので、あくまで感覚の問題だ。窓から差し込む朝の光が白々しく、まだ早い時間だということを教えてくれる。
ソファから身を起こすと、ぎしぎしと体が軋むように痛んだ。
片方の肘置き部分を破壊してしまったとはいえ、窮屈なソファで寝たせいでどうも全身が強張っている。ぐっと大きく伸びをすると、ぺきぺきと身体のあちこちが鳴った。
……っていうかソファのこと、後で宿の主人に謝りにいかないと。
ぼーっとしがちな頭をわしわしとかいて、ベッドへと視線をやる。
どうやらイサトさんはまだ寝ているらしい。相変わらず朝に弱い……というか寝起きに弱い人である。
「イサトさん、朝だぞ」
声をかけてみる。
反応はない。
すっぽりと頭までシーツにくるまっていて、俺から見えるのはこんもりと丸くなったシーツの塊の中からはみ出た銀髪ぐらいだ。
「イサトさん、朝だってば。まだ寝る?」
昨夜はいろいろあって遅かったので、イサトさんが寝たいというのなら起きるまで寝かせてやっても構わない、とは思う。ただ、隣の部屋にいるエリサとライザの姉弟を放っておくわけにもいかないので、その場合一旦イサトさんを一人で部屋に置いていくことになるだろう。
ぎしりと音をたてて、ベッドに腰を下ろす。
「イサトさん」
そっと名前を呼んでみる。
なんとなしに、シーツからはみ出た銀髪を指先に絡めとってみた。
同じ髪でも、俺の硬い黒髪とは全然違う感触に驚く。しなやかで柔らかで、つるつるすべすべとしている。これが美容室と散髪屋の違いというものか。
「イサトさんってば」
軽く肩のあたりを揺らすと、ごろんとイサトさんが寝返りをうってこちらを振り返った。が、まだ目は開かない。そしてそのままイサトさんはにじにじと俺の方へと芋虫のような動きでにじり寄ると、膝に頭を乗せようとして……力尽きた。
「あきらせいねん」
「なんだ」
「にくあつ……」
何やらシーツの中から哀しげなうめき声が聞こえた。
どうやら俺の太腿の厚みに負けたらしい。
それなりに鍛えているので、確かに膝枕するのには若干高さがあるのかもしれない。今まであまりそんな機会に恵まれてないのでよくわからないが。
俺はどちらかというとイサトさんに膝枕していただきたい。
「で、朝だけどどうする? 俺は適当に朝ごはん見繕って隣に顔出そうと思ってるけど」
「ん、ん……」
唸って、イサトさんがもぞもぞとシーツの中で身じろぐ。
起きるんだろうか。っていうか起きられるんだろうか。
「起きられそう?」
「おき、る」
どう考えても途中で力尽きそうだぞコレ。
「秋良青年は、先に行っててくれ……、私は、着替えてから、行く、から……」
「…………期待しないで待ってる」
二度寝フラグがびんびんに立ちまくっている。
俺はぐしゃぐしゃ、と一度イサトさんの頭を撫でてから、隣の部屋に顔を出してみることにした。
こんこん、とドアをノックしてから、一声。
「起きてるかー?」
すぐにばたばたと物音がして、ドアが開くと中へと招き入れられた。
感心なことに、エリサもライザも二人ともとっくに起きて新しい一日を始める準備が出来ていたらしい。
「おはよ、よく眠れたか?」
「うん。ライザの方も昨夜はほとんど咳もなくて助かったぜ」
「そりゃ良かった」
そんなやりとりをしていると、エリサがきょろきょろと俺の背後を窺うようなそぶりを見せた。
「イサトは?」
「まだ寝てる。昨日ちょっといろいろあって遅かったから」
俺の方はイサトさんが風呂に入ってる間に一度は寝ているので、まだマシなのだが……って。あれ?
俺が無理矢理寝入ってからイサトさんに起こされるまでの間に、結構なラグがないか?
四人での夕食を終えて、それぞれ部屋に戻って。俺が先に風呂に入って。そして俺はイサトさんが風呂から上がるのを待たずに強制終了的にフテ寝して……、そして深夜に起こされた。
俺が寝てる間、イサトさんは一体何をしてたのだろう?
話があるのなら、風呂から上がってすぐに急襲しててもおかしくはないのだが。
そんなことを考えていると、何やらちょっとじとりとした目でエリサに見つめられてしまった。何故か、その目元がほんのり赤い。
「…………オマエ、手加減してやれよな」
「ぶふッ」
噴いた。
え。まって。ちょっと待って。それってどういう意味だ。いやなんていうか意味はわかるが盛大に誤解だ。未遂だ。
エリサは気まずそうにちょろりと頰を赤らめたまま視線をそらしている。
まてまて。この誤解を放置しているといろいろとアレだ。アレがコレでソレがアレだ。
「落ち着け」
「オマエが落ち着け」
至極もっともなツッコミを喰らった。
このけもみみ娘、やりおる。
「誤解だ」
俺は両手をエリサの肩におき、じっと真摯な視線を向けてはっきりと言う。
人間話し合えばわかり合えるはずだ。
「別に……隠さなくてもいーだろ。オマエら恋人同士なんだし」
「違う」
被せ気味に速攻で否定した。
もじもじとこういった話題を口にすることすら気恥ずかしいのか、目元を赤く染めて視線をさまよわせがちなエリサの様子はいかにも思春期っぽくて微笑ましいと思うが、今はそれを堪能している余裕はない。
「は? でもイサト昨夜オマエの部屋で寝たんだろ」
「ああ」
「ならやっぱりそういうことじゃねーか。普通恋人でもねー男の部屋に泊まる女なんていねーし」
「その言葉イサトさんに言ってやってくれ頼む」
魂の訴えだった。
俺の大真面目な反応に、だんだんエリサの表情が胡乱になっていく。
そうだろうそうだろう。
まさか恋人でもない男の部屋に、年頃の女性が泊まるなんて普通は考えられないだろう。ほれ見ろ。やっぱりイサトさんは反省すべきだ。
俺の理性があとほんの少しでもパァンとなっていたら、いろいろ取り返しのつかない事態になっていたに違いないのだ。
いくら俺の口を割らせてちゃんと吐き出させたかったからにしても、もっと自分の身の安全を考えた作戦に出るべきなのだ。あんなの、自爆覚悟の特攻技すぎる。
「……なんか、イサトさんが俺と話したいことがあったらしくて。まあ、それで昨日遅くまでいろいろ話してたんだよ」
前半わりと肉体言語よりだったが。
馬乗りになられたときには死ぬかと思った。主に俺の理性が。
「あー……、それで、なのか?」
もう少し誤解を解くには時間がかかるかと思いきや、ふとエリサは困惑したように小さく呟いた。
「何がだ?」
「昨夜イサト、めっちゃ長風呂してただろ」
「あー……俺、イサトさんが風呂から上がってくる前に一回寝ちまったからな。音、聞こえてたのか?」
「うん。なんか三時間ぐらいずっと水の音が聞こえてた気がする」
ふやけるぞイサトさん。
女の人は風呂が長いというのは定説ではあるが、それにしても長すぎやしないか。一体どこを洗ってるんだ。っていうか何をしてるんだ。
「で、なんかブツブツ言ってるのが聞こえた」
「え」
「水の音で全部聞こえたわけじゃねーけど。隣の部屋だし」
どくん、と。
鼓動が跳ねた。
「なあ」
「ん?」
「なんて言ってたか、わかる範囲で教えてくれないか?」
「えーっと確か……」
エリサは思い出すように小さく首を傾げて、それから昨夜イサトさんが風呂場に長時間こもって繰り返し唱えていたという言葉を教えてくれた。
それは。
その言葉は。
『やれるいける怖くない信じろ大丈夫』
あんな、何考えているかわからないポーカーフェイスだったくせに。
本当はビビってて、一生懸命自分を奮い立たせて、俺が最終的には踏みとどまるに違いないと信じて挑発しに来たのかと思うと。
嗚呼。
本当、たまらない。
「おーい、アキラ、アキラってば。おい」
はっ。
どうやら俺は、しばらくエリサの肩をがっちりホールドして見つめたままフリーズしてしまっていたらしい。
脳が無事に再起動してくれたので、こほんと咳払いして、何事もなかったかのようにエリサを解放する。
「おいアキラ」
「ん?」
「オマエ、顔真っ赤だぞ」
「そっとしておいてくれ」
青少年もいろいろ大変なのだ。
こん、と二度目の咳払い。
「まあそんなわけで、イサトさんはまだしばらく起きてこない気がするから、先に朝飯にするか?」
「御馳走になっていいのか?」
「良くなかったら誘ってない」
俺がそういうと、エリサは部屋の奥の方でこちらの様子をうかがっていたライザを振り返って、視線を交わした。それから、何か覚悟を決めたようにお互い小さく頷きあう。
「あのさ、アキラ」
「なんだ?」
「オマエら、オレたちに何かしてほしいこととか、ねーのか」
「え?」
エリサの横に、ライザも並んで俺を見上げる。
「僕たち、お礼がしたいんです。何か、役に立てることはありませんか?」
「ライザはまだ小さいから無理だけど、オレならモンスターだって狩れる。オレは獣人だから、その……っ」
なんだか、ちょっと胸がじんわりとあったかくなった。
あんなに警戒心の強かったエリサが、俺たちに向かって何かお礼がしたい、と口にしてくれた。何をしてやる、と具体的な内容を言うのではなく、「何か出来ることはないか」と俺たちに選択権を委ねている。
きっと、この言葉を言うために姉弟二人で話し合ったのだろう。
話し合った結論として、俺たちを信じて、その言葉を口にしたのだろう。
そう思うと、嬉しくてつい二人の頭をぐしゃぐしゃと撫でてしまっていた。
「わっ、何すんだよ!」
「わあっ」
柔らかな獣耳も巻き込んで、わしゃわしゃと撫でたくる。
「ありがとな。イサトさんが起きたらイサトさんの意見も聞いてみることにはなると思うけど……とりあえず、俺からも二人に頼みたいことがあったんだ」
俺の言葉に、エリサとライザは二人してきゅっと手を握って表情を引き締める。
……む。そんな覚悟をされてしまうような無茶ブリをするつもりはないんだが。
「俺とイサトさんはものすごく遠いところから、ここに来たばかりなんだ。冒険者の資格もつい先日とったばっかだ」
どれくらい遠いのか想像も出来ない、遥か彼方の異世界よりこの世界にやってきた。
「だから、この街の事情や、文化とかが全然わからない。もし、エリサやライザが大丈夫ならでいいんだが、俺らがここにいる間、いろいろと教えてくれないか?」
「……そんなことで、いいのか?」
エリサが、どこか不安そうに瞳を揺らしながら聞き返す。
そんなこと、とエリサは言うが、俺やイサトさんにとっては結構な大問題だ。
「家」を整えようにも、どこまでが実現可能で、どこにいけばそういったことが出来るのかすらわかっていない。それどころか、昨日から違和感ばかり覚えるこの街の情勢のことだってわからないのだ。
そんな俺たちにとって、もしもこの姉弟が情報源となってくれたなら、非常に心強いことこの上ない。
「たぶんイサトさんも同じことを言うと思うので、ちょっと考えておいてくれ」
「いや、考える間もなくそんなことでいいなら全然やるよ」
「うん、僕も街の案内ぐらいなら出来るから!」
「そっか、ありがとな」
わっしゃわっしゃわっしゃ。
二人の頭を撫で繰り回す。
どこか拍子抜けしたような、ほっとしたような表情で二人は気恥ずかしそうに笑った。
「それじゃあまずは、朝めしをどうするか、だな。このままここで喰ってもいいけど、お前らどっかおすすめとかあるか?」
俺の質問に、エリサとライザが顔を見合わせる。
「中央通りのパン屋のサンドイッチは?」
「この時間だと混んでない?」
「朝の屋台ならそう並ばず買えると思うぜ」
「そしたらそのまま噴水のベンチで食べるとかどうかな」
「いいな」
二人して目をきらきらさせながら話しあっている。
これは期待出来そうだ。
そして、外に食べにいくつもりならばイサトさんを起こす必要がありそうだ。ちなみに、こうして俺らが話している間、隣から物音は一切しない。間違いなく二度寝に突入しているぞ、あの人。
「二人はもう外に出る準備はばっちりか?」
「おう!」
「うん!」
「じゃあちょっと俺はイサトさんを起こしてくるとするか」
「あ……でも、イサト昨夜遅かったんだろ? 寝かしてやった方がいいんじゃねーのか?」
「や、この状況で起こさない方が後で面倒だと思う」
別に俺とエリサ、ライザと三人で買い物に出掛けても良いのだが、たぶん事後報告でそれを聞いたら、イサトさんは間違いなくなんで起こしてくれなかったんだ、と拗ねるだろう。一度起こして、それでも駄目なら置いて行けば良い。
「んじゃちょっと待っててくれ。イサトさんに声かけてくる」
俺はそういうと、二人の下を後にした。
丸くなって二度寝に突入していたイサトさんに声をかけてみたところ、案の定のろのろとではあるものの動きださせることに成功した。
「あきらせいねん」
「なんだ」
「あっちむいてほい」
「へ?」
突然のあっちむいてほいに、とりあえず釣られておく。
一度あらぬ方向に視線をやってから、イサトさんへと視線を戻し、今のは何だったのかと聞きかけて──…、息を吞んだ。
イサトさんが、着替えていた。
おそらくインベントリに用意してあった服をクリックすることで着替えをすませたのだろう。まだ少しぼーっとした様子で、服の裾を軽く引っ張って整えたりなどしている。
その仕組み自体は俺も把握しているので、特に驚くようなことではないのだが……、俺が息を吞んだのは、その着替えた後の格好のせいだった。
本日のイサトさんは、まさかの赤ずきんである。
「……どういった心境の変化で?」
まさかイサトさんが好き好んでコスプレシリーズに走るとは思っていなかった俺である。もちろんそのうちなんやかんや理由をつけて着てもらおうとは思っていたが。
「心境の変化っていうか……、手持ちの服がこれしかないんだ。ナース服は君の『家』に干したままだし」
「あ、なるほど」
少しずつ目が覚めて来たのか、しっかりとした口調でイサトさんが欠伸交じりに俺の疑問に答えてくれた。
イサトさんとしてはカラットの村で手に入れた服が一番無難で気に入っているらしいのだが、あちらは昨日着たばかりだ。おそらく本日洗濯のターンである。そして本人が言ったように、ナース服は俺の『家』に干されている。これからしばらくは砂漠服↓ナース↓赤ずきんのローテーションで着回すことになるのだろう。
個人的には、ナースと赤ずきんのローテでお願いしたいところだ。なんせカラットで手に入れた服は防御力という面ではあまりにも頼りにならない。あのヌルっとした人型のような存在がどこに潜んでいるかわからない今、あまり油断はしたくないのだ。
まあ、そういう真っ当な理屈だけでもないけど。
八割ぐらい下心だけど。
……ほら。なあ。ほら。やっぱり綺麗な脚は見たいじゃないか。
そっとさりげない様子を装って、イサトさんへと視線を流す。
ダークレッドのフード付きマントの下には白のふわっとしたシフォンブラウス。その上から重ねられたのは黒のコルセットだ。胸を張りだすように強調しているのが何ともたまらない。薄着とは逆に布を重ねているというのに、それによって胸の膨らみだったり、ウェストの華奢な細さをこれでもかと言わんばかりに強調している。コルセットとは良いものだ、としみじみ思ってしまう。
そんなコルセットの中心には白い細紐が丁寧に編み込まれており、その思わずちょいとつまんで引っ張りたくなる感じといったらもう言葉にならない。はらりと解けた瞬間の、張りつめていた身体のラインがたゆん、と柔らかく弛緩する様を想像するだけでごくりと喉が鳴った。妄想はどこまでも広がりまくりんぐ。
下はダークレッドのフレアスカートで、その下にパニエを重ねているのか、ふわっと広がったスカートの下からちらちらと白のフリルが見え隠れするのが可愛い。そして、例によって例のごとく、その形良い脚を隠すのは黒の編み上げニーハイブーツである。
先日のナースがスタイリッシュなエロティシズムだとしたら、こちらは可愛らしさの中にエロさが潜んだ感じで、これまた趣が変わってなんとも良い。
「……良い」
「ん?」
「や、こっちの話」
しれっと誤魔化しておく。
それから、エリサとライザと合流し、階下へと下りる。
「あ、俺鍵預けてくるから、イサトさんたち先外に出ておいてくれ」
「わかった」
この宿では、出掛ける時に鍵を預けることになっているらしい。俺は床をモップで拭いていた女将さんへと鍵を預ける。そして三人の待つ外へと出ようとしたところで、ふとソファの件を思い出した。
「あ、そうだ。俺の部屋なんですけど、昨日ソファの肘置きの部分を片方壊してしまって」
「あら、まあ」
「ちゃんと弁償するんで、宿代と一緒に請求して貰ってもいいですか?」
「もともと古いソファでしたからねえ……、わかりました。主人にそう伝えておきますよぉ。でも、昨夜は随分とお静かでしたねぇ?」
「え?」
「部屋を貸し切るから、きっと騒ぐおつもりなのかと思ったのに」
「…………」
………………。
思わずひくりと笑顔が引き攣った。
部屋を貸し切る。
何の話だ。
「ちょっとそれ詳しく」
「え? お連れさんが他の部屋も全部貸し切っちゃったんですよぉ。おかげで久しぶりに満室なんてことになりました。聞いてないんですか?」
聞いてない。
そんな話は聞いてない。
どうやら、俺は完全にイサトさんの掌の上で転がされまくっていたらしい。
犯人は、イサトさん。
ちょっと恥ずかしいぐらいに顔が赤くなっている自覚はある。
俺がどうにか平静を装って三人と合流した後は、のんびりとセントラリアを見て回りながら、目的の屋台を目指すことにした。
エリサとライザと一緒に見て回るセントラリアは、俺とイサトさんが二人だけで回るよりももっと興味深い。
なんせ、地元っ子の二人が競うようにしていろいろなことを教えてくれる。
そんな中で一番度胆を抜かれたのは、俺たちの知らない『生活魔法』なんていうスキルの存在だった。
イサトさんの、旅の間も着回すことが出来るぐらいちゃんとした服が欲しい、というぼやきに反応して、ライザがきょとんと「生活魔法じゃ駄目なの?」と言い出したのだ。
なんでも、この世界では旅や冒険をする上で便利なちょっとした魔法が、『生活魔法』というスキルによって補われているらしい。
例えばその中の一つである「クリーン」と呼ばれる対象物をきれいにする魔法を使えば、泥水を人間が飲める程度の真水にきれいにしたり、着ている服ごと身体をさっときれいにすることが出来るらしい。
その他にも「ウォーター」といって何もないところから水を生成する魔法などもあって、それらの『生活魔法』はこの世界で生活する上では必須スキルなんだそうだ。二人の話しぶりを聞いた感じだと、どうやら俺たちの世界で言う家電感覚でそういったスキルが便利に使われているようだ。
「さすがだなー……」
「うん、リアルだ」
イサトさんと思わず顔を見合わせる。
魔法、という俺たちにとっての不思議概念が、生活に紐付いて存在しているというのが新鮮なのだ。
ゲームとしてのRFCにおいては、魔法スキルというのは主に戦闘において使われるものだった。援護系、直接攻撃系といろんな種類はあったが、どれも共通するのは「戦闘」という限られた場面で使うことしか想定されていない、ということだろう。ゲームという薄っぺらい世界において、魔法の使い道なんて、いかに敵を倒すか、ぐらいしかなかったのだ。
が、実際に魔法という概念が存在する世界で生活していれば、その生活の中に魔法を便利な形で取り入れようと考えるのは極々自然な発想だ。
実際エリサとライザの二人もそういった『生活魔法』のスキルを持っていて、お互いに役割分担でスキルを使って暮らしているんだそうだ。
「……オマエら、よく生活魔法知らないでここまで旅して来れたよな……」
「……セントラリアに着くまで、どうやって生活してたんですか……?」
エリサとライザの姉弟にドン引きされてしまった。
二人は俺らが野営に野営を重ね、原始的な旅の果てにセントラリアに辿りついた図を想像したようだ。実際には、あのヌメっとした人型に遭遇するまでは、わりと快適な空路を楽しんでいたわけなのだが。
「なあ、どっかで生活魔法のスキルロールって買えるか?」
「朝飯が済んだら案内してやるよ」
「助かる」
生活を楽にするための『生活魔法』のスキルが存在するのなら、同じように生活を楽にするためのマジックアイテムもあるだろう。
家の整備にも期待が出来る。
朝食が済んだら、その辺りのこともエリサに相談してみるか、なんて思いつつ歩いていたところ──…ふと、目の前に影が差した。
「ん?」
顔をあげる。
俺たちの行く手を阻んでいたのは、やたら綺麗な鎧に身を包んだ騎士と、その他もろもろの御一行様だった。見覚えのある白を基調にした鎧と、盾の中に聖杯が描かれた紋章からして、おそらくセントラリアの守護騎士だろう。
だがその他もろもろ、の部分がよくわからない。
良く言えば恰幅の良い、悪く言えばよく肥えた金持ちそうなおっさんと、その護衛というか取り巻きというか、といった男たち。
何を共通点に集まった御一行なのかがわからない。
用件はなんだ。
俺が訝しげに眉間に皺を寄せている間にも、太った男と騎士を中心に、御一行はぞろりと俺らの行く手を阻むように展開する。そして、すっかり俺たちを取り囲んだところで、正面に立っていた騎士が一歩前に出た。
「私はセントラリア守護騎士団に所属するライオネル・ガルデンスである」
「……はあ」
そのライオネル・ガルデンスが俺たちに何の用だ。
俺も、連れの三人を庇うようにして一歩前に出た。
イサトさんはいつもと変わらぬ様子で目の前の男たちを眺めているものの、エリサとライザの反応は顕著だ。明らかに警戒しているのがわかる。
「…………飛空艇のことがバレたかな」
ぽそりと、小さくイサトさんが呟くのが聞こえた。
だろうな、と俺も小声で返す。
それ以外、セントラリアの守護騎士に囲まれる覚えはない。
だが、どうにもそれにしては様子がおかしいような気もした。
飛空艇を墜とした下手人に事情聴取、もしくは逮捕に来るには、ちょっとメンツが不自然ではなかろうか。
何故騎士団ではなく、騎士と、その他もろもろなんていう組み合わせでやってきたのか。
俺を見据えて、ライオネル・ガルデンスと名乗った騎士が口を開く。
「貴様らに罰金の徴収に来た」
やはりそう来たか。
俺はちらり、とイサトさんを見る。
イサトさんも、覚悟したようにこくりと頷きを返す。
俺とイサトさんの財産でなんとかカバーできる程度の額だとありがたいわけだが……、何せ墜としてしまったのは公共の交通手段である飛空艇である。
ゲーム内でも価格が設定されていなかったため、どんな天文学的な数字をぶつけられるかわからないあたりが若干怖い。
ごくり、と覚悟を決めて俺とイサトさんは騎士の言葉を待ち──…。
「貴様らは先日、公共の場で剣を抜くという危険行為に及んだ」
ん?
「よって、罰金は一人あたり10000エシルである。可及的速やかに納付するように」
おおおおお???
思わずぽかんとイサトさんと顔を見合わせてしまった。
公共の場で剣を抜く?
10000エシル?
飛空艇を墜としたことは関係ない……、のか?
「ちょっと待てよ、オレが先に剣を抜いたんだ! アキラはあくまでオレに応戦しただけなんだよ! だから罰金ならオレだけに」
「ならん。街中で剣を抜いたことに変わりはない」
横からすり抜けるように飛び出したエリサが、騎士へと抗議の声をあげる。
が、それに対する騎士の返事はあくまで冷やかだった。
なるほど。
どうやらここ、セントラリアにおいては、公共の場で剣を抜くことは危険行為として禁じられているらしい。いわゆる銃刀法違反ということになるのだろう。
法律としてそう決まっている、というのなら、特に逆らうつもりはない。
実際、周囲に一般の人間がいる中で大剣を抜いたのは事実なのだから。
「いいよ、エリサ」
俺はふしゃーっと毛を逆立てた猫のようになってるエリサの肩にポン、と手を置いて後ろへと引き戻す。
下手に官憲に逆らって問題を起こすつもりはない。
「剣を抜いたことに対する罰金、なら対象は俺とエリサの二名、合計20000エシルで良いんだな?」
「…………」
俺の確認に、騎士は少し考えるような間を置いた。
それから、何故かちらりと隣の太った男へと視線を走らせる。
男がにやりと口元を笑ませ、それに対して騎士が頷く。
そんな謎のアイコンタクトを経て、騎士が再び口を開いた。
「いや、その騒ぎに関係した全員につき10000エシルだ。つまり、そこの二人も入れて40000エシルになる」
「……ッ、そんな話聞いたこともねえ!!」
エリサが俺の腕を振りほどかん勢いで怒鳴る。
これは……どうも、よろしくない。
俺はぼんやりとそんなことを思いつつイサトさんを見た。
イサトさんも、眉間に緩く皺を寄せ、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
それを要求された金額に対する反応だと思ったのか、先ほどから黙って様子を窺っていた太った男が一歩前に出た。
年は40代後半といったところだろうか。
でっぷりと脂ののった男だ。にこにこ、と顔は笑っているものの、どこか油断のならない印象を受ける。
やたら愛想の良い訪問販売員のような印象、と言ったら伝わるだろうか。
「いやいや、しばらく様子を見せていただいていましたが……随分とお困りの様子。手元が不如意なようでしたら、ギルロイ商会がご用立て致しますが」
「アキラ駄目だ、こいつらそうやって借金させていいようにするんだ!」
「おや、人聞きが悪いですな、エリサさん。うちは世間的に働き口が少ない亜人種たちに職を紹介し、生活の糧を与える良心的な商会ですよ」
「……ッ、噓つけ!」
興奮しているのかエリサの緋色の髪が、ぶわりと膨らんでいる。
その一方で喧々と咬み付くように太った男に対して怒鳴ってはいるものの、その耳はどこか怯えたように寝ている。
本当は装っているほど強くはなく、エリサだって子供なのだ。
「イサトさん」
「エリサ、こっちにおいで。大丈夫だ」
イサトさんの名を呼ぶと、イサトさんは俺の意図を汲んでくれたのかエリサを背後へと引き寄せた。「でもアキラが……っ」なんて不安そうな声が聞こえるが、ここは心配せずに見守っていて欲しいところだ。
「用立て、とは?」
「はい、こちらのギルロイ商会が、あなた方の罰金を肩代わり致します。その代わりの労働力を後程提供していただくことにはなりますが……悪い話ではないかと」
そう言って、ギルロイ商会の男はにこりと営業スマイルを浮かべた。
タイミングを見計らっていたかのように、騎士が言葉を続ける。
「もしも罰金が払えないなら、罰金が納付されるまで牢で拘留することになる」
「……はあ」
俺たちのような、代わりに罰金を用立ててくれるようなものがいない流れ者にとっては、無期限の拘留になりかねない対応である。
いやまあ、だからこそ、白々しくこのギルロイ商会の男が出てくるのだろうけれども。
「どうでしょう? あなたの場合、直接労働をしていただくというよりも、お連れ様の身柄を斡旋していただくだけでも結構ですが……」
そう言って、ギルロイ商会の男は好色そうな眼差しをイサトさんへと向けた。
つまり、イサトさんの身柄を引き渡せば俺の財布は痛まないぞ、ということが言いたいらしい。
「なるほど」
俺はそう言って頷く。
背後で、エリサとライザが怯えた様子でイサトさんにくっつくのがちらりと見えた。
……まさかお前ら、俺がイサトさんを売っ払うとでも思っているんじゃないだろうな。
二人の俺への認識に多少の不安が募った。
「罰金の件と、それを肩代わりしてくれるというギルロイ商会の申し出についてはわかったんだが……」
俺は、すいと双眸を細めて目の前の二人を見据える。
「どうして罰金の取り立てに来る騎士様と、ギルロイ商会の人間がわざわざ一緒に手下をつれてやってきたんだ?」
「誤解なきよう申し上げますと、我々ギルロイ商会がセントラリアにおける福祉に力を入れているからでして」
「ほう」
俺に人売りめいた真似をしろと申し出ておきながら、言うに事欠いて福祉か。
「セントラリアにおいては、悲しいことに亜人種の方々を略奪者と呼び、差別するような風潮がはびこっております。差別の憂き目にあい、なかなか仕事にも恵まれないそういった方々を援助する活動を、ギルロイ商会は行っておりまして……こうして、亜人種の方が関わった揉め事のうち、罰金で解決できるようなものであればうちで処理をすることも多いのです」
「その通りだ。よって、亜人種に罰金の徴収を行う際には、ギルロイ商会の人間をつけるのが慣習となっている」
なんとももっともらしい説明だ。
「じゃあ……、これはなんだ?」
くい、と俺は俺たちの逃げ場を塞ぐように、ぐるりと囲む男たちを顎で示す。
騎士団の鎧を着ていないということは、ギルロイ商会の部下、いや、皆腰に剣を下げているあたり、私兵という方が近いのかもしれない。
「騎士の方々のお仕事が少しでも楽になるようにと、協力させていただいております。もちろん、私どもは何の権限もないただの一般市民ではありますが」
「ふぅん」
と、いうことらしい。
全力で建て前を並べられた、といったところか。
これが現代日本だったらば、完全に汚職警官と悪徳金融の癒着行為としてすっぱ抜かれているところだ。
それに、何が「協力させていただいております」だ。
力関係はおそらく逆。ギルロイ商会に、そこの騎士が協力している、というのが本当のところだろう。その証拠に、先ほど罰金の額を吊り上げたとき、騎士はこのギルロイ商会の男の顔色を窺った。
ああ、良くない。
この流れは非常によくない。
騎士が、罰金の額を吊り上げたときに俺とイサトさんが苦い顔をしたのは、別段その額がお財布に痛かったわけではない。10000エシルなんていうのは、上級ポーション一本の店売り価格だ。それを所持量の限界まで積んで狩りに出ていた俺たちである。今さら40000エシルぐらいの出費など、痛くも痒くもない。
では何がまずいのか。
単純に、気に入らない。
この連中のやり口が気に入らなくて、思い通りになってやりたくないと思ってしまうのだ。おとなしく金を払い、何事もなくこの場から立ち去るのが一番だとわかってはいるのに。
「秋良青年」
ふと、背後から名を呼ばれた。
「ん?」
「もし……、君が40000エシル払いきれないというのなら、私が……」
「イサト、駄目だ……!」
悲壮な感じに目を伏せて、儚く微笑んだイサトさんを止めるように、エリサがぎゅっとイサトさんの腕を摑まえる。
安心するといいぞ、エリサ。
それ、絶対続きは「この身体を売っても……」みたいなことにはならないから。
よくポーション破産していたイサトさんでも、40000エシルぐらいはした金だと言い切る程度の財産はあるはずだ。
ある……よな?
微妙に不安になった。
が、まあそれはともかく。
「もし……、君が40000エシル払いきれないというのなら、私が……」の続きをイサトさんに言わせたなら。
それはきっと。
『暴れるけど構わないか?』
とか、たぶんその辺りだと思う。
なので、俺は小さく溜息混じりに、口元に笑みを浮かべた。
そして、利き手をこっそりインベントリからとりだして腰元に携えていた大剣へと滑らせ、一息に引き抜き──…、抜刀すると見せかけて途中で手を放した。
かちん、と間の抜けた音をたてて、大剣が鞘に戻る。
たった、それだけ。
俺がしたのはたったそれだけのことだった。
が、周囲の反応はそれどころではない。
俺たちを囲んでいた全員が、ずらりと反射的に腰の剣を抜いて俺たちへと向けて構えている。
「何のつもりだ……!?」
騎士の理由を問う声に、俺は敵意を見せないままホールドアップ。

イサトさんが地味にスタッフを用意していつでも援護に入れるようにしてくれてはいるが、一応こちらから戦闘を仕掛けるつもりはない。
ただ、ちょっと嫌がらせがしたいだけだ。
「いやあ、すみません。財布を取るつもりが、どうも袖が柄に引っかかってしまったみたいで。ああ、でも今のも街中での抜刀に入るよな」
白々しく笑いながら、俺はインベントリから80000エシルを取りだした。内訳は10000エシル硬貨を八枚。エシルには紙幣がない代わりに、単位ごとで硬貨の色や形、大きさが違っている。ゲームの中ではモンスターからドロップする時ぐらいにしか意識しなかったが、こうして実際に使ってみるとありがたい。特にゲームと違ってデータでやりとりするわけではないのだ。1エシル硬貨で八万枚分取り出すのを想像しただけで頭痛がする。
俺があっさりと罰金を払ってしまったことに面喰らいながらも、騎士としては受け取らないわけにはいかないのだろう。ちらちらとギルロイ商会の男の顔色を窺うように視線を揺らしながらも、騎士は俺の支払った80000エシルを受け取った。
それを見届けてから、俺はにっこりと笑う。
「ああそうだ。せっかくだし、俺もギルロイ商会の方を見習って騎士様に協力するとしようかな」
「……は?」
騎士が胡乱げな視線を俺に向ける。
まだわかってないのか。
一方、ギルロイ商会の男の方は、俺の言葉に薄く眉間に皺を寄せた。
流石だ。俺の目論みに感づいたらしい。
「ほら、この人たち」
俺たちを囲んで、剣を抜いて警戒する男たちを手で示す。
「街の中で剣を抜くのは、罰金に値する危険行為、なんだろ?」
「だ、だがそれは貴様が先に……」
「どちらが先に抜いた、というのは関係なく、街中で危険な行為に及んだことが咎められているんだよな」
これはさっき、エリサに対してこの騎士本人が言った言葉だ。
俺たちを囲んで剣を抜いている私兵は十数人はいる。全員に対して10000エシルの罰金を請求したのならばギルロイ商会としてもなかなかに痛い出費となることだろう。
「いやあ、俺が勘違いさせたせいで悪いな。そちらも『何の権限もない一般市民』だそうだし、そうなると罰金刑からの免除も難しいよな。どうする? この場で払えるか? それとも払えないようなら、牢への連行を手伝うけど。これぐらいしか出来なくて心苦しいな」
相手が、俺らをハメるために用意した設定をそっくりそのまま返してやる。
悪意なんてカケラもありませんよ、って顔でにこにこしながら、騎士の言葉を待つ。
「あ……」
騎士は困ったようにおろおろと視線をさまよわせ……そんな膠着状態から脱するきっかけをくれたのは、やはりギルロイ商会の男だった。
「それには及びませんよ。私どもは騎士様に協力する善良な市民ですから。そちらの手を煩わせる必要はありません。ライオネル様、私どもの罰金については詰所にてお話させていただけますか?」
「あ、ああ……」
ギルロイ商会の男は、「行きますよ」と短く取り巻きの私兵へと告げる。ドジを踏んだ自覚はあるのか、剣を納める私兵連中の顔はうっすらと青ざめていた。
ざまあ。
ぞろぞろと引き上げていくその姿を見送って、俺はべ、と舌を出しておく。
「ギルロイ商会の連中を引き上げさせるなんて……」
「すごい……」
ぽかん、としているエリサとライザの頭をぐしゃぐしゃと撫でてやる。
なんとなく、この二人の置かれている状況が少し見えたような気がした。
そして、再び歩き出しつつ、そっと隣のイサトさんに聞いてみる。
「ところでイサトさん」
「なんだ?」
「さっきの、『もし……、君が40000エシル払いきれないというのなら、私が……』の続きって何だった?」
ちらり、とイサトさんが俺を見る。
楽しそうに、たっぷりと面白がるような笑みを含んだ金色の眼差し。
「君の良い身体を人には言えないようなところでセリにかけてでも40000エシルを用意するから大丈夫だ」
「大丈夫じゃねえ」
まさかの売られる前に売れ精神だった。
先ほどの騒ぎですっかり人目を引いてしまった俺たちは、エリサとライザおすすめの屋台とやらでサンドイッチを購入した後、少し離れた広場で食事にすることにした。そちらの方が人通りが少ないから、というエリサとライザの言葉に案内は任せる。
その道すがら、エリサとライザは無言だ。
二人とも、悄然と項垂れて地面を見つめてしまっている。
いや、二人とも、というよりも主に原因はエリサだ。
まだ付き合いは短いものの、こんな風に落ち込んでいるエリサというのは珍しい……気がする。エリサは嫌なことがあっても、それを「哀」ではなく「怒」にもっていくタイプに俺には見えていた。なにくそーっと発奮して、その怒りでさえトラブルを乗り越えるための原動力にするタイプだ。昨日俺が泣かしてしまった時だって、わんわんと泣いた後はわりとけろりとしていた。
そのエリサが、沈んでいる。
ぼんやりと視線を伏せ、黙りこくり、思い詰めている。
ライザはおろおろと、姉の様子を心配そうに窺うばかりだ。
「…………」
「…………」
俺とイサトさんもそんなライザと同じくで、二人視線を交わすものの、何と声をかけたらいいのかがわからず結局無言のままになってしまう。
下手に突くとパァンと弾けてしまいそうな不安定さを感じる静けさに、今はとりあえずそっとしておこう、と俺は周囲へと視線を流す。
中央の噴水広場に多くの屋台が集まっていたのと引き換えに、この辺りは人どおりもまばらで静かだ。広さも、噴水広場の半分程度だろうか。
どこか寂しげな広場を見渡して、俺は気になるものを発見した。
広場のほぼ中央に飾られた、小鳥を呼ぶ少女の像。
どこかで見た覚えがあるような気がする。
「秋良青年、どうした?」
「いや、あの像見覚えがあるような気がして」
「そりゃそうだろうな」
「へ?」
「ここ、『買います広場』だぞ」
「あ」
俺はポンと手を打った。
「ここ、『買います広場』か」
「うん」
イサトさんの言葉に、俺は納得したような声をあげる。
ゲームの中で見ていた二次元の街並みと、実際に目でみている三次元の街並みとがイコールで結ばれるアハ体験に、俺は物珍しげに周囲へと視線をやる。
言われてみれば、確かにこの広場も俺は知っている。
セントラリアには街のほぼ中央に三つの広場が横に並んでいる。
中央の噴水広場を挟んで、左右対称にある広場のことを、ゲーム内では左を「売ります広場」、右を「買います広場」と呼んでいた。
別に公式が定めたわけではないのだが、いつ頃からかユーザーの間でそういう風に呼ばれ、特定のものが欲しいユーザーは「買います広場」で欲しいものと買い取り価格を提示して売り手を待ち、アイテムを売りたいユーザーは「売ります広場」で店を開設して看板を掲げていた。
もともとはごっちゃだったのだが、同じ商品名を書いていても、「売りたい」のか「買いたい」のかがわかりにくくて揉め事になることが多く、その結果広場が三つあるなら分ければいいじゃん、ということになったらしい。
ちなみに中央の噴水広場は、もっぱらPTメンバーを探したり、待ち合わせに使われることが多かった。
「よく気づいたな、イサトさん」
俺は言われるまで気づかなかった。
少女の像に見覚えがあるな、と思った程度だった。
感心した俺に、イサトさんはふっと視線を遠のかせる。
そしてしみじみと呟いた。
「ほら、私右と左をよく間違えるから」
「…………」
悲しい沈黙が落ちた。
「だからまあ、左が『売ります広場』で右が『買います広場』だとわかっていても逆に行って首をかしげることが多かったので、像で今自分がどっちにいるかを判別していたんだ。ちなみに『売ります広場』の方には弓を背負った狩人風少年の像があるぞ」
「なるほどな」
流石は方向音痴だ。
「男の人はアレだろ。地理感覚が俯瞰図でイメージ出来るんだろ?」
「まあ、大体イメージ出来るな」
今も、俺は実際に歩きながら脳内にあるゲームの中でのセントラリアの地図と、実際の感覚とを一致させている最中だ。
「女はそれが苦手なんだよな。私も地理感覚が苦手な人代表だ」
「存じ上げております」
「存じ上げられてた。まあだから目で道を覚えがちだ」
「それはそれで凄いと思うけどな。地図を覚えるんじゃなくて、経路を覚える分記憶力が試されそうだ」
一枚絵で地図を覚えて脳内で運用するよりも、経路を目で覚える方が大変そうだとごくごく自然に思える俺はやっぱり男なのだろう。
イサトさんは、俺の言葉に少し困ったように目を伏せる。
「目で覚えるから、ちょっとでも様子が変わるとわからなくなるぞ。看板が変わっても困るし、最悪昼か夜かでも迷いかねない」
「おおう……」
思わぬところで迷子の仕組みを知ってしまった。
そんな少しの変化で道がわからなくなってしまうとは……道理でよく迷子になっているわけである。
そんな会話を交わしつつ、広場の端っこの方に無造作に並べてあった丸テーブルと椅子の方へと皆を誘導した。
ゲーム時代だと、こういった席にもプレイヤーが座って、「買い取ります」の看板を出して賑わっていたものなのだけれども……ここもまたがらんとすっかり人気がなくなってしまっている。
「あそこで座って食べるか」
「そうしよう。ほら、二人もおいで」
イサトさんはエリサとライザを招いて、椅子に座らせる。
そして丸テーブルを四人で囲んで、買ってきたサンドイッチの包みを開いた。
塩漬けされたハムと野菜と、ちょっとよくわからないソースのかかったサンドイッチである。ツンとする香りがほのかに漂っているので、おそらくビネガーの類いだろう。
「んじゃ、いただきます」
「いただきます」
俺とイサトさんは手を合わせて、がぶりとサンドイッチにかぶりついた。
塩漬けされたハムはそれなりに厚く、歯ごたえがある。その肉汁が、しゃきしゃきと新鮮な野菜と合わさってなかなかに美味しい。ソースは予想通りのビネガーで、ツンとした味わいが良いアクセントだ。シンプルなサンドイッチだが、そのシンプルさが素直に嬉しい。惜しむべくは、ここまでの道のりの間に野菜の水分を吸ってパンが少しべしょっとしてしまっていることだろうか。
焼き立て、作り立てだったらきっともっと美味しかったことだろう。
「んん、なかなか美味いな」
「本当本当。オリーブが欲しくなる」
「え、イサトさんオリーブ平気なの?」
「私は平気。もしかして君、駄目か」
「あんまり得意じゃないなー」
「じゃあ君の分のオリーブは私が担当しよう」
「まかせた」
俺とイサトさんはそんな会話をのんびりと交わしながらサンドイッチを頰張る。
その一方で、エリサがのろのろと緩慢な仕草でサンドイッチに手を伸ばした。それを見て、ライザもサンドイッチを手にとる。そして、エリサはサンドイッチを一口食べて……。
ぽたり、と涙が一雫、テーブルに落ちた。
「お姉ちゃん……?」
ライザの気遣わしげな声が響く。
俺とイサトさんは、二人で顔を見合わせる。
エリサが、何か思い詰めているのはわかっていた。
けれど、どう水を向けていいのかがわからなくて、ここまで俺とイサトさんはエリサに声をかけることが出来なかった。
そして今、エリサは泣いている。
静かに、悔しそうに、ひくひくと喉を震わせて。
昨日出会った時のような、耐えて耐えて糸がぷつりと切れてしまったような号泣ではなく、まるで涙が内側からしんしんと湧いては零れるといったような、静かな涙だった。
「エリサ……」
名を呼ぶ。
エリサは顔を上げず、俯いたまま小さく呟いた。
「本当は、もっと、美味しいんだ」
嗚咽に震えた声だ。
ぽた、ぽた、とテーブルの上に水滴が落ちる。
「焼き立ては、パンがほかほかで、ぱりってしてて、野菜がしゃきしゃきで、本当に、美味しいんだ……っ」
「うん」
「だから、オマエらにも、食べさせたかった……っ」
「そうか、ありがとうな」
「なのに、なのに、そんなこともオレ、できなくて……っ」
うぇえええ、と感極まったように嗚咽が大きくなる。
大丈夫だよ、サンドイッチ美味いよ、と言いかけて気づいた。
きっと、エリサはサンドイッチがふやけてしまったことが悲しくて泣いてるわけじゃないのだ。エリサの心の中に溜まっていた辛いことや、苦しいことが、ふやけたサンドイッチが最後の一滴となって溢れ出してしまった。
「もう、やだよ、オレ、がんばってるのに全然、うまくできない……っ、父さんも母さんも帰ってこないし、ライザのこと、まもらないといけないのに、ぜんぜんなにもできないし、ぜんぜん、アキラや、イサトみたいにうまくできない……っ」
じわじわとエリサの目から滲んだ涙が、ぽたぽたとテーブルに染みを落とす。
エリサの震える声には、哀しみや悔しさを通りこして絶望めいた怒りが静かに籠っていた。
理不尽なことで罰金を取り立てようとする悪徳騎士への怒り。
獣人を蔑みながらも利用しようとする狡賢い商人への怒り。
自分たち姉弟を置いて行って留守にしている両親への怒り。
病弱で足手まといな弟への怒り。
エリサがどうしても解決出来なかった困難を、いともあっさりと解決して見せた俺やイサトさんへの怒り。
それらは理性では制御できない感情だ。
けれど、エリサは幼子のようにそれをそのまま表に出すことが出来ない。
ずいぶんと早く大人にならざるを得なかった彼女は、それが八つ当たりに過ぎないことを知っている。
わかって、しまっている。
だからエリサは、そんなことに怒りを覚えてしまう自分自身に絶望してしまっているように見えた。
轟々と渦巻く怒り、恨み、辛みを、ひたすらその小さな身体の中に押し留めようとしている。
まだ、子供だろうに。
本当なら、まだ親に甘えて、駄々をこねるのが許される年だろうに。
エリサは大人であることを求められ、本人もそれを望むが故に、己の子供じみた癇癪を扱いかねて、ただただ抑えて、そんな自分へと無力感を膨らませている。
両親から留守を任されたはずなのに、弱い弟を理不尽な騎士や狡賢い商人から守ってやれない自分自身が、姉として不甲斐なくて情けなくて嫌いで腹が立って仕方ないのだ。
「アキラやイサトみたいにうまくできない」という言葉がつきりとささやかな痛みを伴って俺の胸に突き刺さった。
それは俺の抱える無力感にとても良く似てる。
『普通の人が出来るあたり前のことが俺には出来ない』
人に出来ることが自分には出来ない無力感に苦しむ気持ちは、昨日の今日だけあって痛いほどによくわかった。
「なあ、エリサ」
俺は、そっとエリサに声をかけた。
エリサが、怯えたように小さく肩を震わせる。
「手、出してみ」
「手……?」
エリサは迷うように、逡巡しながらもおずおずと俺に向かって手を差し出した。
その手に、俺は自分自身の手を重ねる。
手首を揃えると、エリサの手の先は俺の指の第二関節に届くか届かないかというほどの大きさしかなかった。小さな手だ。子供の手だ。
「俺の手、でかいだろ」
「……うん」
「俺は、男で、大人で、お前より年上だ」
「……うん」
「だから、お前より出来ることが多くたっていいんだよ。むしろ、そうじゃない方が困る」
少し、冗談めかして肩を竦める。
エリサは困惑したように瞳を揺らしながらも、顔をあげて俺と重ねた手を見る。
男と女。
大人と子供。
そんな差異に、手を重ねることで改めて気づかされる。
「でも」
エリサは悔しげにくしゃりと眉を寄せて、重ねた俺の掌をカリと爪でひっかいた。比較を拒むように、拳を固める。
「オレは、ライザを守らないといけないんだ」
大人とか子供とか男とか女とか関係なく。
エリサは弟のために、強くなくてはならないと自分に責任を課している。
「……うん、知ってるよ。偉いよな」
俺は、そのままぎゅっとエリサの手を掌の中に包み込んだ。
「お前は、頑張ってる。お前がライザより年上で、お姉ちゃんだからだろう?」
「そうだ。オレはライザより大きいし、ライザより年上だから、オレがライザを守ってやらないといけないんだ」
それなのに、とエリサが言葉を続けるより先に、俺は口を開いた。
「じゃあ、エリサより年上で、エリサより大きい俺がエリサを守ってやりたいって言うのは駄目か?」
「……っ」
エリサの、暗紅色の瞳がぽかんと丸くなる。
「なん、で」
「守ってやりたい、助けてやりたいって思った」
「なんで、なんで、なんで、だって、関係ない、だろ」
「そうだな、関係ないな」
俺はただの通りすがりだ。
通りすがりに首を突っ込んでいるだけの無関係な他人に過ぎない。
でも。それでも。
「俺はわるものだから、したいことをしたいようにする」
「なんだよ、それ」
「俺とイサトさんのモットーだな」
「…………悪いことなんか、できねー癖に」
ちょっと拗ねたようなエリサの言葉に、思わず小さく笑ってしまった。
悪意故の悪いこと、は確かに出来ないかもしれない。
けれど、俺やイサトさんのいた元の世界には「小さな親切大きなお世話」なんていう名言が存在するのだ。
その大きなお世話を、俺たちがそうしたいからという理由だけで押し付ける俺たちはきっと「わるもの」でいいのだ。
ちらり、とイサトさんを見ると、イサトさんは穏やかな笑みを含んだ眼差しで俺とエリサのことを見守っていた。なんだか無性に恥ずかしくなる。
俺は気恥ずかしさにぽり、と頭をかきつつ、エリサへと語りかけた。
「俺とイサトさんは、お前たちのことを放っておけない。だから、お前が嫌がってもたぶん何とかしようとする。それはまあ、『俺たちがそうしたい』からだ。
でも……」
へにゃ、と俺は眉尻を下げて笑う。
「お前が、助けて、って言ってくれたら……お前が望んだ上で助けられたら一番良いとは思う」
善意を押し付ける気は満々ではあるが。
どうせなら望まれた上で応じたい。
そんな俺の言葉に、エリサは小さく息を吞んだ。
「ぁ……」
小さく、唇が震える。
本当にその言葉を言って良いのか、俺たちを信用しても良いのか迷うように、何度も唇を開きかけては、こくりと喉が鳴る。
泣きごとを言わないようにしていたのであろうエリサにとって、その言葉を口にするのがいかに難しいのかが、見ている俺にも伝わってくる。
エリサは一度視線を下に向け、涙を振り切るように顔をあげた。
つ、っと涙が頰を滑る。
そして。
「助けて、ほしい」
涙を浮かべたエリサの言葉に。
「まかせとけ」
俺は力強く言い切った。

その後、イサトさんが濡らしたハンカチで泣いたエリサの目元をそっと拭って冷やしてやったり。
ライザが、お姉ちゃん昨日から泣いてばかりだね、なんて余計なことを言ってエリサに足を踏まれたり。
そんな賑やかな諸々があってから、俺たちは再び落ち着いてテーブルを囲んでいた。四人で、先ほどよりもさらにべしょっとしたサンドイッチを齧る。ふよふよになったパンが若干気持ち悪いが、まあサンドイッチに罪はない。
そうしてサンドイッチを齧りながら、改めて俺たちはエリサやライザの置かれている状況について話を聞く。
「あー……、ものすごーく素朴な疑問から始めてもいいかな」
「うん。何?」
「昨日からやたら聞くんだが、『ルーター』って何なんだろう」
「実は俺も気になってた」
昨日からやたら街中で聞くし、気になってはいたのだが、あまりにも知ってて当然という空気で使われるせいで、タイミングを逃して意味を聞けずにいたのだ。
一応どうやら、それが獣人や、エルフといった人間以外の種族を指しているようだぞ、というところまでは見当がついているのだが。
俺たちの疑問に、エリサとライザは二人して顔を見合わせてる。
「イサトも、アキラも、本当に知らないのか?」
「知らないな。私たち、セントラリアにはつい先日着いたばかりだから」
「………そっか。知らないなら、そのまま知らねーままでいられた方が良かったんだけどな」
そう悲しげに呟きつつも、エリサは俺たちにルーターの意味を教えてくれた。
「ルーターっていうのは、略奪者って書くんだ」
「略奪者?」
エリサの口にした物騒な言葉に、思わず眉間に皺が寄る。
「人間以外の種族=略奪者」というのは一体どういうことなのだろうか。
「なんでまたそんな風に呼ばれるようになったんだ?」
「……『女神の恵み』が、手に入りにくなったのはオマエたちでも知ってるだろ?」
「ああ、それは知ってる」
カラットの村でも聞いた話だ。
この世界では、モンスターを倒してもドロップアイテムが手に入らない。
最初からそうだったのではなく、いつからか手に入らないようになったのだとカラットの村長は言っていた。
「オレたちは、それが今でも手に入れられるんだ」
「「へ?」」
エリサの声に、思わず俺とイサトさんの間の抜けた声がハモる。
「それって、エリサとライザだけが特別ってわけじゃなく……」
「違う。獣人は、今でも『女神の恵み』を手に入れることが出来るんだ。イサトも、そうなんじゃねーのか? イサトは、黒き伝承の民の先祖がえりだろ?」
「うーん……まあ、私が先祖がえりかどうかはさておき、まあ『女神の恵み』が手に入れられるかどうか、ってことに関しては否定しない」
実際のところイサトさんは先祖がえり、というか黒き伝承の民そのものである。
どこに出しても恥ずかしくない立派なダークエルフそのものだ。
「『女神の恵み』を手に入れられなくなってから……最初のうち人は、何か女神を怒らせるようなことをしてしまったんじゃないか、って皆教会で懺悔して、祈ったそうなんです」
「でも、それでも人は『女神の恵み』を取り返せなかった」
「だから、人は獣人から『女神の恵み』を高額で買い取るようになりました」
「おかげで獣人は儲かったみてーだな」
エリサとライザが交互に語る。
「確かに………需要と供給のバランスが一気に崩れたんなら、儲かりそうだな」
荒稼ぎしようと思えば、いくらでも出来ただろう。
だが、そのイメージが今目の前にいるエリサやライザに繫がらない。
それなら獣人は特権階級になっていてもおかしくないはずなのに、現状はむしろ逆だ。エリサもライザも、裕福なようには見えない。
「……人は、団結することで、獣人に対抗したんです」
「団結?」
「……談合か」
イサトさんが、ぽつりと呟く。
「人は協定を結び、『女神の恵み』を定額でしか買い上げないようにすることで、力が獣人に集中することを避けようとしたんじゃないのか?」
「なんでわかったんですか?」
「それぐらいしか、人の対抗手段はなさそうだからな」
いくら獣人しか『女神の恵み』を手に入れられなくなったからと言って、人々がそのために金を積み続ければ、富が獣人に集中することになってしまう。それを避けるために、人は決まった額でしか『女神の恵み』を買い上げてはいけない、というルールを作ったらしい。
「そのルールにより、獣人の生活も一旦は落ち着きました」
「……問題はその後だよ。ライザが生まれたぐらいの頃から、だんだん人の間でヘンな話が出回るようになったんだ」
「変な話って?」
「獣人どもだけが『女神の恵み』を手に入れられるのは、本来人にもあったはずの『女神の恵み』を略奪してるからだ、……そう、言われ始めたんだ」
「それで……略奪者か」
エリサとライザが、こくりと苦々しい顔で頷いた。
「最初は陰口だった。でも、どんどん差別は広がっていって、獣人どもは人から搾取しているのだからそれを取り返して何が悪いって言われるようになった」
「どんどん、『女神の恵み』を買い取る価格は下がっていきました。『女神の恵み』を売るだけでは生活できない獣人が増えて、冒険者を辞めようとするひとも多かったみたいです」
「……でも、人はそれを許さなかった」
「……だろうな」
人にとって、獣人種は『女神の恵み』を手に入れるための唯一のツテだ。
相手が略奪者であるということを理由に、不当に搾取することを正当化出来る美味しい労働力だ。
そんな存在を簡単に手放すわけがない。
「冒険者を辞めた獣人をまっとうな仕事で雇うようなとこはなかった。人に恵みを還元する役目を放棄した裏切り者として、爪弾きにされるんだ」
「……多くの獣人たちが、それを理由にセントラリアを離れました。他のところはまだマシだって聞いてたから」
「でも、オレらは……」
ちらり、とエリサがライザを見る。
ライザは悔しそうに視線を伏せた。
「僕が……、僕の身体が弱かったから。他の街までの移動に耐えられないかもしれないから、父さんも母さんも、お姉ちゃんも、この街に残ることにしてくれたんです」
「……オレたちだけじゃねえ。この街に残ってる獣人のほとんどが、そうやって街を離れられねえ理由があるんだ。……ギルロイ商会の連中は、そんなオレたちを良いように使ってる」
「……本人は差別対象である獣人種の保護をしてるとか言ってたけどな」
「保護なもんか……! オレらがどこにも行けないのも、他の仕事ができねーのも、全部ギルロイ商会が裏から手を回してんだ……!」
「あー……、なるほどな」
ギルロイ商会は、獣人種を囲い込んでいるわけか。
他で稼ぎを得ることの出来ない獣人たちは、買い叩かれているのがわかっていてもギルロイ商会の下で働き続けることしか出来ない。
「僕の、父さんと母さんも……ギルロイ商会の下で働かされてます。僕のせいで、ギルロイ商会に借金が出来てしまったから」
「……オマエのせいじゃない」
「僕の、薬代のせいでしょ?」
「それはそうだけど……っ!」
「父さんや母さんは、その借金を返すために……ギルロイ商会の言いなりになってるんです」
「具体的には何をさせられてるんだ?」
「……商会の連中に率いられて、狩りをしてる」
「『女神の恵み』を手に入れるために、か」
二人の話を聞いた上で、ギルロイ商会の男の言い分を思い出す。
『セントラリアにおいては、悲しいことに亜人種の方々を略奪者と呼び、差別するような風潮がはびこっております。差別の憂き目にあい、なかなか仕事にも恵まれないそういった方々を援助する活動を、ギルロイ商会は行っておりまして……こうして、亜人種の方が関わった揉め事のうち、罰金で解決出来るようなものであればうちで処理をすることも多いのです』
滅茶苦茶イラッとした。
何が援助だ。
ただの搾取じゃないか。
それに騎士を使って俺たちに絡んだ手口にしても、今思えばそうやって借金を作らせることでエリサやライザの両親を搦め捕ろうとしていたようにしか思えない。俺に対しても、イサトさんの身柄を寄越せば借金を肩代わりしてやる、と申し出たのは、ただのスケベ心ではなかったのだろう。イサトさんはダークエルフだ。ギルロイ商会からすれば、『女神の恵み』を手に入れることの出来る金の卵に違いない。
ああ、滅茶苦茶腹が立つ。
「イサトさん、俺ものすげームカついてるんだけど」
「同感だ」
イサトさんの声も、心なしかワントーン低い。
「どうしてくれよう、か」
「なんとかしてギルロイ商会の連中に一泡吹かせたいよな」
「──…」
イサトさんが、少し意外そうにはちりと瞬いた。
長い睫毛が優雅にそよぐ。
「イサトさん?」
「秋良青年、君は……一泡でいいのか」
「え?」
「私は……私怨をこめて容赦なくぶっ潰す気満々だぞ」
「ぶ」
優雅さの欠片もない物騒な言葉が飛び出した。
そういえば。
イサトさんはもともとブラック会社勤めだったとかなんとか言っていたっけか。
ギルロイ商会の行いや、エリサやライザの境遇に過去の自分の姿でも重ねているのかもしれない。
そりゃ私怨も籠るというものだ。
「ふふふふふふふ、ぶっ潰す(物理)でもいっそ構わない」
「構ってあげて。そこは構ってあげて」
俺はイサトさんが犯罪者として指名手配されるのは流石に避けたいぞ。
……ギルロイ商会は首を洗ってイサトさんをお出迎えする準備をした方が良い気がしてきた。
「作戦その1:謎のテロリスト」
「詳細は?」
「深夜にいきなり攻撃魔法を叩きこんで吹っ飛ばす」
「却下」
「作戦その2:謎のテロリストもうちょっと進化版」
「詳細は?」
「変装して深夜にいきなり攻撃魔法を叩きこんで吹っ飛ばす」
「なんで却下されないと思ったんだ」
「変装したらまだ良いかなと思って」
「良くねえよ」
イサトさんが真顔で語るギルロイ商会ぶっ潰す(物理)作戦を片っ端から却下しつつ、俺は小さく溜息をついた。
ちなみに作戦は他にも「謎の魔獣の襲撃編」「泣いた赤鬼編」があったが、どれも基本は物理的に潰すという結果の部分に変わりはなかったので、やっぱり却下した。
……なんでこんな時だけこの人は過激なのか。
やはり個人的にブラック会社に恨みがあるからなのだろうか。
エリサとライザは、イサトさんが冗談を言ってるのだと思っているのか、楽しそうに「そうしてやれたらいいのにな」なんて相槌を打っている。
が。
いいか子供たち。
そこでのんびりと危険極まりない作戦をたてている赤ずきんモドキは今口にした作戦をノリと勢いだけで実行することが出来るだけの実力を兼ね備えた危険人物だからな。
すでに飛空艇墜としという前科があるぐらいだ。
ここで俺まで「良いな」なんてのーてんきな返事をしてしまったら、間違いなくこの人は実行する。
人的被害は出さない程度に気を遣いつつ、ドカンと一発派手にぶちかますだろう。飛空艇を墜としたせいで、大量破壊の快感に目覚めたとかそんな厄介な性癖に目覚めていないことを祈る。
「…………」
俺は半眼でイサトさんを見つめた。
イサトさんは俺の視線に気づきつつも、しれっと微笑んでいる。
唇の端だけがくっと上がった、いわゆるアルカイックスマイルだ。
くそう、愉しそうにしやがって。
「……俺のことは、止めた癖に」
ぼそりと呟く。
目の前でアーミットが斬られた時、相手の男を殺そうとした俺を止めたのはイサトさんだ。そのイサトさんが、今はテロリストに進化しようとしている。
俺だって、手っ取り早くムカつく連中に私刑を下してしまえばすっきりするとは思っている。だが、そこまで無責任なことをしてはさすがにまずいだろう、と一生懸命自制しているのだ。
だというのに、この人ときたらやたらと俺を煽って愉しんでいる。
拗ねた響きでぼやいた俺に、イサトさんがくくりと喉を鳴らして笑った。
明るい琥珀色の瞳が、悪戯っぽく煌めく。
「だから、私のことは君が止めてくれるだろう?」
「…………………それはズルくないか」
ズルいだろう。
そんな風に言われてしまったら、ツッコミを放棄出来なくなる。
俺のツッコミをアテにするんじゃない、なんて言えなくなる。
ぐむ、と口をへの字にした俺を見て、イサトさんはにんまりと満腹の猫のような顔で笑った。
「私ばかりが君のストッパーになるのはどうかと思いまして」
「それを言うなら、俺ばかりにツッコミをさせるのもどうかと思うぞ」
コノヤロウ。
喰えない大人が、未熟な青少年を手玉にとりやがって。
「まあ、実際のところギルロイ商会を潰してもそれで終わりってわけにはいかないだろうしなあ。どうせすぐに次が出る」
「だろうな」
俺の拗ねた視線に、くつくつと楽しそうに笑いつつも、イサトさんはようやくまともな作戦会議をしてくれる気になったようだった。
俺はイサトさんの言葉に同意して、うーむ、と唸る。
エリサの話によれば、「獣人は定価でのみ『女神の恵み』を売ることが出来る」というのは、セントラリアで正式に定められたルールだ。そのルール自体は、『女神の恵み』を手に入れることが出来なくなった人間と、『女神の恵み』を手に入れることが出来るそれ以外の種族との均衡を守るために必要なルールだろう。
問題は、そのルールを元にギルロイ商会が低価格で獣人から『女神の恵み』を買い叩き、本来強者になりうるはずだった獣人たちを酷使するシステムを成立させてしまったことにある。
獣人は本来ならば「生物としての強さ」で言うのならば、人間よりもよほど恵まれている。動物の要素は外見だけでなく、身体的な能力としても受け継がれているのだ。例えばエリサなら、猫系の獣人なので人間よりも身軽だし、夜目に優れていることだろう。また、それだけではなく、基本的に獣人というだけで人間よりも身体能力が強化されている。その分魔法を扱う才能には欠けるが、身体能力だけでも人間種に対する十分なアドバンテージとなりうる。
「……獣人が『女神の恵み』を独占出来ちゃったのは正直人間にとっては相当な脅威だよな」
「現状は窮鼠猫を嚙む、といったところなんだろうが……」
「問題は鼠が思ってるほど猫も強くない、というところだろうな」
現在セントラリアがおかしくなっている諸悪の根源は、確かに獣人を良いようにこきつかっているギルロイ商会だろう。だが、一番良くないのはそれを容認してしまっているセントラリア全体の空気だ。何が良くないって、彼らに悪意があるわけではない、というところだ。悪意故の攻撃じゃないだけに、タチが悪い。
本当、イサトさんの言うとおり、彼らは猫に追い詰められた鼠のように怯えているだけなのだ。
自分たちが何とか優位に立っていなければ安心出来ないのだ。彼らを追い詰める猫など、実際には存在しないというのに。ギルロイ商会は、人々のそんな不安を煽ることで、セントラリアでの実権を握ることに成功したのだ。鼠を追い詰めるいもしない猫の幻を生み出してしまった。
「いっそ猫が実際それぐらい強かったら良かったんだけどな」
「強い猫ならとっくにセントラリアを見放してるだろう」
「ああ……そういうことか」
エリサが言っていた。
ギルロイ商会のやり方に不満を持った多くの獣人がセントラリアを後にしたのだと。
「今セントラリアに残っているのは、人間社会から弾かれることを恐れる程度には弱い獣人だ」
「……弱くねーし」
イサトさんの言葉に、むっと眉を寄せ、唇をとがらせて口を挟んだのはエリサだった。ここまでおとなしく聞き役に徹していたものの、さすがに「弱い」発言は聞き流せなかったらしい。
イサトさんが、可愛いなあ、と言わんばかりに目を細めて、エリサの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「弱いことは悪いことじゃあないよ」
「……でも、強い方がいいだろ。実際、オレたちだって弱いからこんな目にあうんだ」
エリサの言葉に、イサトさんが小さく笑った。
「エリサ、君、今すごく矛盾したことを言ったのに気付いているか?」
「え?」
「私が今セントラリアに残っている獣人は弱い、と言ったときに、君は『弱くない』と否定した」
「うん」
「でも、続けて私が弱いことは悪くはない、と言ったら、今度は『弱いからこんな目にあう』と言った」
「あ……」
自分が口に出したちぐはぐな言葉に、エリサはかっと頰を染めて恥ずかしそうに視線を伏せる。先生に誤りを指摘された生徒のような仕草と表情に、俺の頰まで緩みそうになった。微笑ましい。
「でも、エリサの言ったことは間違いじゃない」
「……?」
「どういうことなの?」
エリサとライザが不思議そうに顔を見合わせる。
俺とイサトさんの話は、二人には少し難しかったらしい。
というか、俺とイサトさんがお互いに相手に知識があることを前提に、説明を省略しまくった会話をしていたのが悪い。
「んー……例えばだけど、ドラゴンが君んちの隣に越してきたらどう思う?」
「は?」
「ド、ドラゴン……?」
「そう、ドラゴン」
「滅茶苦茶強くてでっかいドラゴンな。ただし、言葉が喋れるし、お前たちを襲う気配もない。ただ、隣で暮らしたいって言ってる」
俺がそう付け足すと、エリサとライザも困ったように眉根を寄せた。
上手くイメージ出来ないのだろう。
ドラゴン、と言えば二人にとっては「恐ろしいモンスター」の代名詞のようなものだろう。
「ドラゴンは、ちゃんとセントラリアのルールに従って生きてる。決まった日にゴミを出すし、暴れたりもしない」
決まった日にゴミを出す、という俺の言葉に、そんなドラゴンの姿を想像してしまったのかエリサとライザが小さくくすくすと笑った。
「それどころか、爪が伸びたら切ったドラゴンの爪をくれるかもしれない。鱗が生え替わったら、古い鱗は素材としてくれるかもしれない」
「すげーな、それ」
エリサの目がきらきらと輝く。
本来であれば、ドラゴンを倒さなければ手に入らないドラゴン素材が、ドラゴンを街に受け入れるだけでドラゴンの方から進んで提供して貰えるのだ。
それはきっと、街の発展にとって大きな利益になる。
「うーん……それならいいんじゃねー?」
「じゃあ、そんなドラゴンが奥さんも呼びたいって言ったらどうする?」
「奥さん? いいんじゃね?」
「じゃあ子供が生まれたら?」
「別に……それに何の問題があるの?」
「ドラゴンは、君らの街で増えていくぞ?」
ほっそりと、少しだけ意地悪な笑みを含んでイサトさんの目が細くなった。
「ドラゴンが増える……」
「一応数としては、君たちの方が多い。でも、ドラゴンが少しずつ増え始めるんだ」
「…………」
しばらく黙ったまま考えていたライザが、小声でぽつりと呟いた。
「それはちょっと……怖い、かもしれない」
「何が、怖い?」
イサトさんは、簡単に答えを言うのではなく、二人に自分で答えを見つけられるように問いを重ねていく。
「だって、ドラゴンが増えるんでしょ? それって……なんか、怖いよ」
「もうちょっと考えてみてごらん。『何』が怖いんだろう?」
「うーん……なん、だろう。なんか、こう、怖いんだ」
喉元までこみ上げた感情を、どう言葉にしたらいいのかわからない、といった風にライザは「怖い」という言葉を繰り返す。
そんな弟を見つめていたエリサが、ぽつりと目を伏せたまま口を開いた。
「…………乗っ取られるような、気がするのかもしれねー」
「あ……」
エリサの言葉に、ライザも納得がいった、というように小さく声をあげる。
「ドラゴンが増えて……もしそこでドラゴンが街で好き勝手するようになったら、オレらって抵抗できないんじゃねーかな」
「確かに……もともと僕たちが戦って勝てる相手じゃないもん」
「そんなドラゴンが街に住むようになって、好き勝手するようになったら……」
「みんな、食べられちゃうよ」
「街が、ドラゴンの餌箱みたいになっちまう」
少しずつ、エリサとライザは「何」が怖いのかを言葉にしていく。
「それじゃあ、怖くないようにするにはどうしたらいいと思う?」
「ドラゴンを最初から街に入れないとか……」
「でも、ドラゴン相手にそんなこと言えないよ。駄目、と言った瞬間に食べられちゃうかも」
うーんうーん、と二人は悩む。
俺は、ヒントを出してやることにした。
「ドラゴンがそんなにも街に住みたいって言うなら、条件を出してやればいいんじゃないか?」
「条件? 人間を食べちゃ駄目、とか?」
「そうだなあ、でもそれは街にもともとある『人を殺してはいけない』っていうルールと同じことだろう?」
「そっか。それにドラゴンは街のルールには従って生活してるんだよね?」
「ああ、そうだな」
「ドラゴンが街のルールに従って生きるって言うなら……ドラゴンが好き勝手出来ないようなルールをたくさん作ればいいんじゃねー?」
「街では剣を抜いちゃ駄目って決まりがあるんだから……それと同じぐらい鋭いドラゴンの爪や牙も街中では見せちゃ駄目、とか?」
「ブレスも危険だし、それならもう街中ではドラゴンは口を大きく開くの禁止、にすりゃいいんじゃねーか?」
「うん、大きなドラゴン用の口が開けなくなるようなマスクを用意して、ドラゴンは街にいる限りそれを着けてもらえばいいんだよ。そしたら、悪いドラゴンが出てきても、マスクをつけてたら簡単には暴れられないし、マスクをつけてないドラゴンがいたら逃げればいいもん」
「でも──」
俺はそこで口を挟むと、エリサやライザへと視線をやった。
「そうなると街の中でドラゴンは話せなくなっちゃうな」
「あ……」
「…………」
イサトさんも、言葉を続けた。
「きっと、今私たちがしてたように、美味しいものを屋台で食べ歩くことも出来ないな」
「…………」
「……っ」
俺たちの口調から責められていると感じたのか、きっとエリサが顔をあげた。
「それなら……っ、街のルールに従えねーなら、街から出ていけばいいじゃねーかっ!」
「あ……っ」
自棄になったようなエリサの言葉に、はっとしたようにライザが瞬く。
そして、しょんぼりと耳と尻尾を垂らして、エリサの言葉に静かに頭を横に振った。
「駄目だよ、お姉ちゃん」
「ライザ……?」
「それじゃあ、駄目だよ」
「なんでだよ」
「だって、それじゃあセントラリアの人たちと同じだもん」
「あ……」
ライザの言葉に、エリサははっと驚いたように息を吞んで──…それからがっくりと肩を落とした。
「なんか……イサトが言ってた意味がわかったような気がする」
「うん……僕たち獣人は、人間より強い」
「だから、人間は僕たちが怖いんだ」
「怖いから、なんとか押さえつけようとしてんだな」
「そして、僕たちは街の中での力が弱いから、そんな人間たちに何も言えないままこうなっちゃったんだ」
「そういうことだ。人は、弱い生き物だ。弱いからこそ、『社会』というシステムを構築して、群れで生きる。セントラリアに残らなければいけなかった君たちも、その『社会』というシステムを必要としているだろう?」
「……うん」
例えばそれは病気になったら医者がいて。
お腹が空いたら自分で作らずとも食堂や屋台で食べ物を買うことが出来て。
欲しいものがあったら自分で作らずとも、お金で買うことが出来る。
そういうものだ。
ドラゴンが街に棲まないのは、ドラゴンが街のシステムを、「人間の作り上げた社会」というシステムを必要としていないからだ。
だからドラゴンには人の生活を、「社会」を気遣う必要がない。
そして、俺たちもそうだ。
俺たちが「わるもの」と称して好き勝手なことが出来るのは、俺たちにとってこの世界の「社会」がそれほど大きな意味を持たないからだ。この世界における俺とイサトさんの存在はとても特異で、俺たちは俺たちだけで完結して生きていくことが出来る。
「君たち獣人は、もともと人間よりも強い種だ。そこでさらに、君たちだけが今となっては『女神の恵み』を手に入れられるようになってしまった。人間としては……とても怖いと思わないか?」
「……うん」
「それじゃあ、どうしたらいいんだ? オレ達は、セントラリアから出て行くしかねーのか?」
「そこが難しいな」
ふむ、と俺とイサトさんは腕を組んで首をかしげる。
「さっきの例え話に戻ると……、街に住むドラゴンは爪や鱗、ドラゴン素材を街に提供することになっていただろう?」
「うん」
「もしも、その素材を使って街が栄えていたらどうする?」
「この街にきたら、ドラゴン素材が安く手に入る、なんて宣伝出来たら、きっと街は有名になるだろうな」
「それなら……ドラゴンがいなくなったら、街の人も困るんじゃない?」
「そう、困るだろうな」
セントラリアだって、同じだ。
獣人がいなくなってしまえば、セントラリアは『女神の恵み』を手に入れる術を失うことになる。
『女神の恵み』を失ったからといって、セントラリアが即駄目になる、とまではいかなくとも、今まで得ていた利益の損失は大きな痛手となるだろう。特に、その利権を独占していたギルロイ商会にとっては壊滅的な損害となるはずだ。
「なんか……おかしくない?」
「おかしいだろ。いなくなられたら困るのに、嫌がらせみてーなことばっかりして、それが受け入れられないなら出ていけばいい、なんて」
「ああ、おかしいな」
大きな矛盾が発生している。
でも、エリサやライザは知っているはずだ。
そんな大きな矛盾を抱えたまま、セントラリアの街が何年も、下手したら何十年もそれが当たり前のように機能してきたことを。
「人間はずるいからな。お前らが、セントラリアを出ていけないことを知ってるんだよ。お前らがセントラリアを必要としてることを、知ってるんだ」
「……それなら、なんで人は僕たちのことを怖がるんだろう。必要としてるものを、壊したりするわけないのに」
「壊したりはしねーかもしれねーけどよ。もしかしたら、逆の未来もあったかもしれねーだろ」
「逆?」
エリサの言葉にライザが首を傾げる。
「たとえば、『女神の恵み』を手に入れることが出来るオレらが威張りまくって、人間を奴隷みたいに扱う未来だ」
「そんなこと、僕たちはしないよっ」
「ああ、しなかった。だからこうなったんだろ」
「…………」
ライザはしょんぼりと項垂れて、テーブルを見つめる。
そして、腿の上で小さく震える手をぎゅっと握り固めると、きっと顔をあげた。
「僕は、嫌だ」
頑是ない子供の我儘のように、ライザは言う。
「僕はそんなの、嫌だ」
「ライザ……」
「どっちかがどっちかに酷いことをしないと一緒に暮らせないなんて、そんなのおかしいし、僕は嫌だ」
悔しそうに、唸るようにライザは繰り返す。
いろいろな大人の思惑が絡みあい、利権を奪い合う中において、それは子供の他愛のない戯言かもしれない。
けれど俺にはそれがとても尊いように思えた。
ライザの立場であれば、逆転を願ったとしてもおかしくないのだから。
そっと手を伸ばして、くしゃくしゃとライザの頭を撫でる。
「なあ、さっき、オマエらは『難しい』って言っただろ?」
「ああ」
「オレたちがセントラリアから出ていかなくてもいいような方法が、たとえ難しくても何かあんのか?」
「あることには、ある。私がさっきから提案しているような簡単な方法じゃあないけどな」
「テロ行為は自重してください」
ヘルター・スケルターでも起こす気なのか、この人は。
俺のツッコミにくつくつと喉を鳴らしながら、イサトさんは言葉を続ける。
「君たちは、人間の『社会』を必要としている」
「うん」
「人間は、君たちしか手に入れられない『女神の恵み』を必要としている」
「ああ」
「それなら、取引が出来るはずだと思わないか?」
「取引……」
「お互いに対等な立場で、堂々と取引をしたら良い。お互いの条件がかみ合わなければ、交渉するんだ」
人間は『女神の恵み』がなくなると、困る。
獣人は人間社会から弾かれてしまうと、困る。
「もしセントラリアの人間側が折れないのであれば、取引の相手を変えればいい」
「取引の、相手?」
「セントラリアから逃げた獣人は、皆他の街に行ったんだろ? 『女神の恵み』を必要としている人間はセントラリアにしかいないわけじゃない。どこの街でも、『女神の恵み』は必要なはずだ」
「君たちに必要なのは、セントラリアの人間と交渉するだけの組織と──…、その交渉のノウハウだろうな」
「まあ、それで交渉決裂、ってな具合なら、その時はセントラリアを見放しちまえ」
しれっとそそのかしておく。
ギルロイ商会の連中がしているのは、そういうことだ。
目先の欲に釣られて、自分たちの首を絞めている。
俺たちの言った言葉の意味をかみしめるように、必死に考えているエリサとライザを眺めつつ、俺はちらり、とイサトさんに視線を流す。
「俺たちに、出来ると思うか?」
獣人と、人間とが対等に交渉出来るテーブルを、用意することが出来るだろうか。
「少なくとも、その手伝いは出来るだろうな。ただ、気を付けないといけないのは──…私たち抜きでは成立しないようなのは駄目だ」
「それは確かに」
俺たちはこの世界における特異点だ。
いつまでもいるわけではないし、いるつもりもない。
そんな俺たちに依存した関係では、遅かれ早かれ破綻する。
「さて、どうしたものかな」
「取引、出来そうな相手を探せばいいんじゃねーのか?」
「セントラリアの商人だけじゃなくて……他のところの商人とも話しあえたら良いよね」
エリサとライザの言葉に、俺とイサトさんは満足げに頷く。
理解が早くて何よりである。
セントラリアの商人たちと交渉するにしろ、セントラリアを見放すにしろ、競合相手はいた方が良いだろう。
さて。
やるべきことは大体わかってきたわけだが。
どこから手をつけようか。
行動に出る上で、一番大事なのは敵を知ることだろう。
「彼を知り、己を知れば百戦危うからず」と孫子大先生も言っている。
なので、俺たちはここ三日ほど、この世界において自分たち自身のことを知る努力と並行して、ギルロイ商会の仕組みについても調べていた。
たとえ国が抜け駆け禁止、とお触れを出したところで、その目をくぐって悪いことをする者がいるのが世の中の常だ。ギルロイ商会が『女神の恵み』を独占することをよく思わない商人がいるならば、そこからギルロイ商会の天下を崩せないかと思ったのだが……どうも難しい。
ギルロイ商会は、定額で買い取った『女神の恵み』を市場で販売することで利益をあげている。エリサやライザから聞いた買い取り価格と、市場での流通価格はおよそ二倍にも至ろうかというほどに隔たりがあった。
他に比べてレア度があがるアイテムに至っては買い取り額の十倍近い値段がついているものすらある。
調べれば調べるほど、阿漕な商売してやがる、と思わずにはいられないわけだが……不思議なことに、ギルロイ商会にはライバルが存在しない。
エリサやライザは、これまでにも巷の店に直接『女神の恵み』を持ち込んだことが何度かあるらしい。が……その度に、正規の価格でしか買い取りは行えないとけんもほろろに断られてしまうのだと言う。
ギルロイ商会が買い上げる価格よりは高いものの、市場で流通するよりも安く。
そんな裏取引に、どこの商人も応じなかったというのだ。
それが果たして、法を遵守しようという清らかな心の表れだと言えるだろうか。
俺にはとてもそうだとは思えない。
かつてアメリカでは禁酒法なる法律が成立していた時期がある。
その結果何が起きたかといえば、アルコールの密造・密売を潤沢な資金源としたマフィアの台頭だ。いかに法律といえど、人の欲望に蓋が出来ないという良い例だと思う。
しかし、セントラリアではアンダーグラウンドですら、『女神の恵み』が出回る仕組みがない。そういったことを目論んだものがいなかったこともないらしいが、現れる度に商人ギルド側に通報され、騎士団が摘発に動いたらしい。
なるほど。
以前俺たちの前に姿を現したセントラリアの騎士の姿を思い出す。
ギルロイ商会の人間におもねり、その意図を汲むように動いていたっけか。
こうして考えてみると、セントラリアの人間側はとことん徹底して獣人への窓口をギルロイ商会一本に絞ってきている。いや、人間側にそういった明白な自覚はないだろう。すべてそうなるように、ギルロイ商会が強かに操っているのだ。
「その辺の事情がもうちょい詳しく知りたいよなあ」
「うむ」
そんなことをぼやきながら、俺はコーヒーを啜る。
現在腰を落ち着けているのは、商人ギルドの斜め向かいにあるカフェだ。
商人ギルドの様子がよく見えるのと、コーヒーが美味いので、最近のお気に入りだ。イサトさんとエリサはミルクをたっぷり入れたカフェオレ、ライザはコーヒーミルクだ。
顔馴染みになった店員からそれとなく話を聞き出したところ、なんとここのコーヒーは『女神の恵み』の豆を使って淹れているものらしい。
道理で美味いわけだ。
確かコーヒー豆はセントラリアの南側の草原に生息するマンドラゴラのドロップアイテムだったはずだ。HPやMPを回復するというわけでもなく、特に加工して使い道があるというわけでもないドロップアイテムだったので、ゲームの中ではクエスト品としてNPCに納めるか、適当に店売りするしかないアイテムだった。
それがこうして美味しいコーヒーになるのだから、『女神の恵み』の有難みを改めて思い知るところだ。
ちなみに、仕入れ額やら何やらについても聞き出せないかと試みてみたのだが、やんわりとした笑顔で誤魔化されてしまった。
「エリサやライザは何かわかったか?」
「今わかってること以上の情報はねーな」
「やっぱり獣人ってだけで警戒されちゃうみたい」
「そうだよなあ」
俺たちは余所者、エリサとライザは獣人。
人間側の情報を探るには、思い切り不向きなメンツである。
「そういえば……午前中の地震、大丈夫でしたか?」
「地震?」
「オマエたち、気づかなかったのか? 午前中に、でっかいのがあっただろ」
「あー……」
俺はちろり、とイサトさんへと視線を流す。
イサトさんは、すすっとテーブルに置いてあったメニューを立てて俺の視線を物理的に遮った。
「?」
「?」
エリサとライザが不思議そうに俺とイサトさんのそんな無言の攻防を見詰めている。
「……まあ、その。大丈夫、だった」
イサトさんがごにょごにょと小声でつぶやく。
一体メニューガードの向こうでどんな顔をしてるんだか。
ここまで言えばもうわかると思うのだが、エリサやライザがいう「午前中にあった大きな地震」の犯人は、イサトさんなのである。
セントラリア近くにある蜂の巣ダンジョンにて、スキルの使い分けや、使い勝手についてを確認するための実戦を重ねる中で、不幸な事故が起きてしまったのだ。
『秋良青年、ちょっと大技試してみるので下がっててくれるか?』
『おう』
『このレベルのスキルを何発連続で使ったらMPが尽きるのか試したい』
そんな会話を交わして、俺が下がり。
イサトさんはダンジョンの奥に向けて中級魔法スキルをぶっぱなしたわけだったのだが──…イサトさんの疑問への答えはダンジョンの崩落だったりした。イサトさんのMPが尽きる前にダンジョンにガタがきてしまったのだ。まあ狭い閉じた空間で、あれだけ派手な爆発を起こせば、そりゃ地盤も崩れるだろう。どしゃどしゃと崩れる土くれの中を、必死こいて駆け抜けたのはなかなかにスリルがあった。というか死ぬかと思った。
外でやると目立つから、という理由でダンジョンに籠って実験していたのだが、それで死にかけるとは思わなかった。死亡フラグというのは、かくもなちゅらるに日常に潜んでいるものなのである──…。
「セントラリアでも感じられたんだな」
「うん。ずぅん、って鈍い地響きがしたと思ったらごごごごごごって地面が揺れ始めて……みんな通りに出てきて大騒ぎだったよ」
「…………そうか」
イサトさんはメニューガードの向こうで遠い目をしている。
怪我人が出なかったのが、不幸中の幸いだ。
巣を埋立てられてしまったビーセクト(ハチによく似たモンスター)らには悪いが、頑張って再建していただきたい。イサトさんの実験の産物ですでに大量の蜂蜜は手に入れているが、そのうちまた必要になるかもしれないので。
と、そんなことを考えていると。
ふとカフェの斜め向かい、商人ギルドの方で揉めるような声が聞こえた。
大声で言い争う、というほどではないものの、尖った声というのは案外耳に届きやすいものだ。
「……なんだ?」
「なんだか、揉めてるみたいだね」
エリサとライザの頭上で、▲がひくひくと音を集めるように揺れている。
俺たちには聞き取れない会話も、この二人には聞こえているのかもしれない。
「……っ、…て、…いっ!」
「……て……れ!」
何かを言い募る女性の声と、それに対する男の声。
男は短く何事かを告げると、さっさと商人ギルドの中へと戻っていく。
あとに残されたのは、悄然とうなだれ、立ち尽くす一人の少女のみ。
柔らかそうな金髪に、上品なドレスのような出で立ち……って、彼女の姿に既視感を覚えて俺は目を眇める。
どこかで、俺は彼女を見たことがある。
どこで、だっけか。
首をひねりひねり考えて──…
「あ」
俺は隣のイサトさんを倣って、そっとメニューをテーブルに立てて防御壁を作成した。
「秋良青年?」
「イサトさん、彼女、飛空艇に乗ってた子だ」
「おおふ」
心なしかイサトさんの背が、体を縮こめるように丸くなった。
俺たちは確かに乗客を救いはしたものの、その一方で飛空艇を破壊した犯人御一行でもあるのだ。話の流れによっては、いろいろと面倒臭いことになる。
ああでも。
ちょっと俺の中のあくどい部分が声をあげる。
商人ギルドから出てきた、ということは、何らかの形で商人ギルドにつながりがあるということだろう。そして、今の様子を見た感じでは、彼女がギルロイ商会側とうまくやっている、ということはなさそうだ。
それなら。
飛空艇で助けたことを恩に着せれば、何かしら情報を引き出すことができるのではないだろうか。
「イサトさん」
「ん?」
「ちょっとあくどいことを言ってもいい?」
「……たぶん、同じことを私も考えてた」
すすっとメニューガードの上から目だけを覗かせて、俺とイサトさんは見つめあう。どうやらずるい大人は同じことを考えていたらしい。
「エリサ、ライザ、集合」
テーブルの真ん中に顔を寄せ合い、悪だくみ開始である。
レティシアは、無情にも閉じてしまった扉を前に小さくため息をついた。
セントラリアの市場を牛耳るギルロイ商会が、そう簡単に話を聞いてくれるとは最初から思ってはいなかった。家族にも散々反対され、どうしても挑戦だけはしてみたいということで、ようやく単身での訪問の許可を勝ち取ったのだ。だが、やはりこうして門前払いを実際にされてしまうと、どんよりと心が重くなった。
が、かといっていつまでもこうして商人ギルド前に立ち尽くしているわけにもいかない。レティシアは、もう一度息を深く吐き出すと、のろのろと踵を返そうとして……そこに、鮮やかな緋色の髪を持つ獣人の姉弟が立っていることに気付いた。
「ああ、ごめんなさい」
商人ギルドに用があるのに、邪魔をしてしまったかと一歩横に退いて場所を譲ろうとするものの、獣人の姉弟は首を小さく横に振っただけだった。
「おねーさんに会いたいって人がいるんだけど、ついてきてくれる?」
「オレたち、アンタを呼んできてほしいって頼まれたんだ」
ぽん、と姉らしき少女がコインを手の中で弾ませる。
大きさからして、1000エシル硬貨だろうか。
「私に会いたい、という人ですか……?」
レティシアの頭のどこかで警鐘が鳴る。
直接自分で会いにくることはせず、子供を使いに寄越すような相手だ。
おそらくは、白昼堂々とは表を歩けないような輩ではないのだろうか。
これは、セントラリアの裏社会からの誘いなのか──
レティシアの背中を、冷たいものが這う。
セントラリアに来てからのレティシアの動きを、良くは思っていないものがギルロイ商会の他にもいたのかもしれない。否、もしかすると、たった今別れたばかりのギルロイ商会の人間が、面倒はさっさと片付けてしまえとばかりに狼藉者を手配した可能性だって否定はできない。
「大丈夫、だよ」
「え……?」
年少の男の子が、レティシアの不安を感じ取ったかのように、優しい声で口を開いた。その瞳に、どきりとする。濃い紅の瞳には、強い意志の力を感じさせる光が宿っていた。
ああ。
きっとこの子たちはお金で使わせられたわけじゃない。
直感的に、レティシアはそう察していた。
この姉弟は、何らかの目的があり、その目的のためにレティシアにこうして声をかけてきたのだ。
それはもしかすると、レティシアがセントラリアにやって来る前から地道に動かし続けていた目論みに関係していることなのかもしれない。
それならば……レティシアは逃げるわけにはいかない。
「……わかりました。案内を頼めますか?」
「いいのか?」
少し驚いたように、姉が目を瞠る。
こうしてレティシアに声をかけておきながら、レティシアが乗るとは思ってもいなかったというような様子に少しだけ溜飲が下がった。
今日は今朝から、ギルロイ商会の人間に良いようにあしらわれて鬱憤がたまっていたところなのだ。
「私に用があるのでしょう?」
それがこの姉弟たち自身なのか、それとも本当にこの二人を使いに出した相手なのかはわからない。けれど、レティシアの商売人としての勘が、ここが勝負どころなのだと告げていた。
しゃんと背筋を伸ばして、姉弟をしっかりと正面から見つめ返す。
「私は、セントラリアに貴方たちのような獣人の方と取引をするためにやってきました。そちらから話があるというのならば、願ってもない話です」
レティシアの言葉に、姉弟が顔を見合わせる。
そして、一言、獣人の少女が短くぶっきらぼうに告げた。
「ついてこい」
「はい……っ」
二人の後ろ姿を追いかける。
鮮やかな緋色の髪と尻尾を揺らして、二人は駆けていく。
レティシアがすぐに見失わないようにある程度は気を遣ってくれてはいるようだが、それでも日頃あまり運動とは縁がないレティシアには十分速い。
すぐに息があがって、胸が苦しくなる。
それでも視線の先で揺れる緋色を見失うわけにはいかなくて、レティシアは根性で追いかける。
いくつもの薄暗い路地をくぐった。
いくつもの明るい大通りを横切った。
いくつものぐねぐねまがった細い小路を抜けた。
そして、息苦しさにくらくらしたレティシアが自分がセントラリアのどこにいるのかもよく分からなくなった頃、目の前を軽やかに駆けていた姉弟がようやく足をとめた。
ここは、どこだろう。
薄暗い。
人の声が、街の喧騒が遠い。
生活感のない、寂れた道でありながら、嫌な印象はなかった。
人に忌避される場所、というよりも、ただただ人に忘れられただけの道、といった雰囲気が漂っているからだろうか。
「ここ……なんですか……?」
荒く弾む息を整えながら問いかけると、赤毛の姉弟はこくりと頷いて、通りの先にある石造りの廃墟へと向かって歩を進めていった。
古い建物なのだろう。
門扉が風化したようにところどころ崩れかけており、人の立ち入りを禁止するためか、それとも壊れた扉のつもりなのか、これまた古びた生成色の大きな布がかけられている。二人は、その布の傍らで立ち止まる。
その布の向こうに、ここまでレティシアを導いた相手がいるのだろうか。
ぐっとレティシアは拳を握り固める。
勇気を振り絞って口を開こうとした瞬間、悪戯な風が通りを吹き抜けた。
ぶわりっと、布が風を孕んで大きく揺れる。
布の向こう。
最初に見えたのは黒。
続いて目をひいたのは、月明かりを織り上げたような繊細な銀。
それは布の奥に隠されていた一幅の絵画のようだった。
名前を付けるのならば、妖精妃とそれに仕える騎士、だろうか。
黒は、騎士が纏う色。
銀は、うつくしい妖精妃の髪の色。
そこにいたのは、あの飛空艇でレティシアらを魔法のように救い出し、おぞましいモンスターに取り付かれた飛空艇を天罰のように墜とし──気づいたときには姿を消してしまっていたはずの二人組だった。
