軽井沢かるいざわにきて早くも四日目。

 昨日のリサの発言から、今日はみんなで花火大会を見に行く予定になっている。

 軽井沢駅北口から少し歩いた先にある公園。そこの池で打ち上げられる水上花火と盆踊ぼんおどり大会が魅力らしい。

 開始が十九時半からのため、日中は各自自由行動。夕方ごろに現地で待ち合わせとなった。

 リサはポメ子を連れて午前中からチャーチストリートに遊びに行き、振袖ふりそでさんは姉さんと一緒に軽井沢アウトレットに買い物に行った。

 リサは「再会してからちゃんと遊んであげてなかったから♪」なんて言っていたけれど、そう言えば小さい頃からリサになついていたポメ子は、よくリサに遊んでもらっていたっけ。

 振袖さんは洋服の追加購入のアドバイスをもらいたいと姉さんに頼んだらしい。「あらあら、振袖ちゃんも健気けなげね~」なんて、姉さんは僕を見ながら含み笑い全開。放っておいて。

 七緒ななおさんと羽織はおりさんが、どこに行ったからはわからない。

 僕が部屋を出た時にはすでに二人の姿はなかった。

「さてと……」

 そんな訳で、軽井沢に連行されて以来、初めての一人の時間。

 みんなに誘われたりもしたけれど、僕は「やらなきゃいけないことがあるから」と言って誘いを断り、みんなを送り出した後、一人自室にこもっていた。

「後は時間との勝負だな……」

 机の上には姉さんから借りたパソコンが起動中。

 画面には羽織さんの着ていた和装ドレスの画像が映っていて、寸法や作りなどなど、細かなデータが表示されている。ページをスクロールすれば企画書の内容も見ることができるけれど、僕が必要としているのは和装ドレスの採寸データだけだった。

おおむね、羽織さんのスタイルにぴったりなサイズだな……」

 まあ、それは当たり前だろう。

 姉さんは羽織さんをモデルに器用する上で、そのスタイルに合わせて選んだはずなのだから。だからこそ疑問に思う──どうしてバストサイズだけ、微妙に完璧ではなかったのか?

 そう。あの時、僕は一目見た瞬間から羽織さんが身に着けているドレスのサイズ──正確にはバスト周りのサイズが違うことを見抜いていた。

 ん? なんでわかるかって?

 そりゃわかるよ。この一年、僕は春夏秋冬問わず、雨の日も風の日も問わず、校内において変態の烙印らくいんを押されようとも、ずっと羽織さんのおっぱいを見つめ続けてきたんだから。

 でもそれは、ドレスのサイズがというよりも、インナーの問題だろう。

 ドレスというのは、得てして体にジャストフィットには作らない。なぜならば、身に着ける女性の身体は日によって微妙にサイズが変わる。

 かくいう僕は、おっぱいと真摯しんしに向き合う日々の中で、実は女の子の日を見抜ける眼力を身に付けていたりする。いや、もちろん本人に確認したりしないよ? 命は惜しいもの。

 ちょっと話がそれたけど、つまり、日々変わる女の子の身体を補整するためのドレス用インナーがビスチェ。ビスチェに限らず、ブラジャーにホックが複数あるのもそういうこと。

 ビスチェの選択ミスとか…………姉さんらしくもない。

 いや、本当にミスなのだろうか?

 ブラジャーにおいては僕をはるかに上回る知識と技術をもつ姉さんが、よりにもよってこんな初歩的かつ致命的なミスを犯して、しかも気づかずにいるだろうか?

「どちらにしても、あのまま撮影にのぞませるわけにもいかない」

 昨夜、僕は羽織さんのためにビスチェを作ろうと決心した。

 正確に言えば、実はあの試着をした日の夜から、羽織さんにビスチェを作りたいと思っていた。

 幸い作業道具は姉さんが会社の物を持ち込んでくれていて困らない。困るどころか本格的な道具すぎてテンションが上がったくらいだ。生地も様々なパターンが用意されている。

 七緒さんのビスチェを仕上げるためにしては用意がよすぎると思うけど……まあいいか。

 それ以来、空いた時間を使ってビスチェのデザインや生地の裁断など、可能な範囲で作業を進めていた。そのできる作業も、今日の夕方まででほぼ終わるだろう。

「あとは──」

 ビスチェに関わらず全てのブラジャーを作る上で最も大切な部位──カップの形とミリ単位での正確なバストサイズを把握できれば、裁縫作業に着手できる。

 そのためには、一つの大きな問題があって 。

「どうやっておっぱいを触らせてもらえばいいか……」

 そうつぶやいて、僕は春休みのあの時と同じ言葉を口にしたのだと気づく。

 羽織さんのためにドレスを作り、破裂しそうなほどドキドキする心臓を抑え、覚悟を決めて羽織さんを部室に呼び出したあの日──。

 理想をかなえたくて口にした、羽織さんのおっぱいへの愛。

 だけど今は、ただ悩む羽織さんを支えたいという想いと、理解できない心地よい胸の痛み。口にする言葉は一緒でも、僕の想いはあまりにも違いすぎる。

 もしかしたら、このビスチェを羽織さんにささげれば理解できるのかもしれない。

「よし──」

 僕は気合を入れ直し、今できる作業の全てを終わらせようと取り掛かった。



 しばらくして、僕が作業を終えたのは、窓から差し込む西日がほぼ沈んだ頃だった。

 すっかり時間の感覚は抜け落ちていて、ふと時計に目を向けるともう七時過ぎ。花火大会開始が七時半だから、すぐにでも待ち合わせ場所に向かわないと間に合わない。

 テーブルの上も片づけずに立ち上がり、振り返った時だった。

「……七緒さん?」

「ん……お疲れ様」

 そこには、入り口の壁に背を持たれながら僕を見つめる七緒さんの姿があった。

「どうしたの? ていうか、いつからそこに?」

「一時間くらい前からかな。本当は声をかけようと思ったんだけど、すごく集中してたから邪魔したくなくてさ」

「そんなに前から? 待たせちゃってゴメン」

彰人あきとのそういうところ、理解しているから大丈夫。邪魔したくなかっただけだから」

 うれしいことをさらりと言ってくれる。

「そのビスチェ……どうしたの?」

 七緒さんは机の上に置かれたビスチェに視線を送る。

「羽織さんのために、一着作ろうと思ってね」

 七緒さんに隠し事をするつもりもない。僕は正直に口にした。

「そっか。それを作るために一人で部屋に籠ってたんだね」

「うん」

 七緒さんの表情は、納得しているようでいて、どこか寂しそうにも見えた。

「七緒さん……?」

 不意に不安になり、僕は七緒さんに呼びかける。

「ねえ、彰人」

 すると七緒さんは、不意に落ち着いた声のトーンで僕の名前を呼んだ。

 その声音こわねは、いつもの七緒さんらしい明るさは無かった。

「一つだけ、聞いていい?」

 なんだい?

 そう答える間もなく、七緒さんは間を置かずして僕に問う。

「──織姉おりねえのこと、好きなの?」

 開けていた窓から、風が流れ込んだような気がした。

 一瞬の静寂。窓の外の木々の揺れる音が妙にうるさく感じた。

「僕は……」

 言葉が続かない。

 七緒さんが言っている意味が、羽織さんのおっぱいが好きか? という問いではないのはわかっている。この問いに答えるのに、一切の噓も冗談も許されないと思った。

 それだけ七緒さんの表情は真剣だった。

「……それを知りたくて、このビスチェを作っているんだと思う」

 ようやく口にしたのは、僕の正直な気持ち。

 今の僕には、こう答えることが精一杯だった。

「……わかった」

 七緒さんは一言ひとことだけつぶやいた。

 こんな言葉でも理解を示してくれる七緒さんに、感謝しかない。

「じゃあ一緒に待ち合わせ場所に行こうか。時間もギリギリだ」

 僕が七緒さんの前を通って部屋を出ようとした時だった。

「待って──」

 すれ違いざまに、不意に左手をつかまれた。

「どうかした?」

 思わず不安になるほどに、七緒さんの表情は硬かった。

「行かないで」

「行かないでって……いや、でも」

「お願い」

「どうして?」

 七緒さんは一瞬だけ目を伏せ、すぐに上げて僕を見据みすえた。

「織姉が待ってるの──彰人のこと」

「え……?」

 状況を理解するのに、一瞬思考が固まった。

「言ったでしょ? 協力してあげるって。なかなか二人きりにさせてあげられなかったけど、ようやく機会を作れた。みんなが花火大会に行ってる間なら、二人きりになれる。織姉には彰人が待ってるって言ってあるから」

「いや、でも……みんなを放っておいて羽織さんと二人きりなんて」

「みんなのことは私がなんとかする。ビスチェを作るならさ、私の時みたいに胸を触らないとダメなんじゃないの? だったら尚更なおさらいい機会じゃない」

「それはそうだけど……」

 僕は悩む──。

「大丈夫。いつかあたしが言った順序はもう踏んでると思う。心配いらない。それに、今の織姉の力になってあげられるのは、たぶんあたしや袖姉そでねえじゃなくて彰人だと思う」

 七緒さんはそう語り、小さく頭を下げた。

「織姉の力になってあげて。お願い」

 色々と思うところはある。

 本当に振袖さんたちを任せちゃって大丈夫なのかな? とか、今の今まで七緒さんや羽織さんがどこでなにをしていたのか? とか、順序を踏んだ実感なんてないんだけど、どうして七緒さんがそう思うのか? とか──。

 だけど、七緒さんのお願いが真剣なのは疑うべくもなく、それが僕のためなのも疑うべくもない。

「うん。わかった……ありがとう」

 僕は疑問の全てを頭から振り払い、そう答えた。


ω


 七緒さんいわく、羽織さんは軽井沢駅で僕を待っているらしい。

 ログハウスを出た僕は、走って駅に向かった。

 途中、多くの人たちとすれ違う。みんな花火大会の会場に向かっているんだろう。そんな人たちの流れに逆らい人ごみを抜けると、軽井沢駅の前に辿たどりついた。

 息を整えながら辺りを見渡すけれど、羽織さんの姿を見つけることができない。

 どこにいるんだろうか? 羽織さんを探そうと、再び走り出そうとした時だった。

創真そうま君──」

 不意に袖を引っ張られて振り返ると、そこには羽織さんの姿。

 着ている服は、前に七緒さんと三人で姉さんのショップに足を運んだ際、一階に入っているショップで僕がプレゼントした真っ白なワンピースだった。

「ごめん……遅くなっちゃって」

「いえ。私も先ほど来たばかりです。それよりも大丈夫ですか?」

 羽織さんはいまだ息を切らす僕の背中をそっとでてくれる。

「うん。ありがとう」

 僕は息を整えながらお礼を告げた。

「ところで……本当に大丈夫だったのでしょうか?」

「大丈夫? なにが?」

「私たちだけ花火大会を抜け出したりして……創真君のお誘いとあれば、私はどこへでもついて行きますが、みなさんで行こうとの約束でしたので少しばかり心が痛みます」

「大丈夫。みんなには上手く話してあるから心配しないで」

 上手く話してるのは僕じゃなくて七緒さん。本当に頼むよ。

「さようですか。それで……これからどちらに?」

「そうだね……」

 突然のデートイベントにプランなんてあるはずもない。僕は慌てて考える。

 二人きりで楽しめるところ。できれば落ち着ける場所がいい。でもここは観光地だし、どこに行っても人がいそうだよね……いや、でも花火大会があるから案外他は空いているのかも。

 ふと、いつか見たイベント案内が思い出された。

「……サマーキャンドルナイト」

「え? なんでしょうか?」

 僕の頭にひらめいた場所。

「行こう羽織さん」

「どちらにですか?」

「ちょっと距離があるから……そうだな。タクシーで行こうか」

 僕は駅前に並んでいるタクシーを指さす。

「はい」

 どこに連れていくかも告げていないのに、羽織さんは笑顔でうなずいた。



 僕らがやってきたのは、先日みんなで下見をした軽井沢高原教会こうげんきょうかい

 到着したのは夜の八時前──昼間に訪れたあの時とはまるで景色が違った。

 教会へと続く道の両側には道標のようにランタンが並べられていて、導かれるように進んでいくと、教会の前に広がる中庭には数えきれないほどのランタンが暗闇の中で輝いていた。

 辺りを照らす無数のランタンと、見上げる夜空には満天の星。

 そのあまりに幻想的な雰囲気に、僕らは息をひそめて見惚みとれていた。

綺麗きれいですね……」

 羽織さんはぽつりと呟いた。

「パンフレットで読んだんだけど、毎年夏になるとサマーキャンドルナイトっていうイベントを行ってるんだって。このランタンのライトアップもその一つで、二千個もあるらしいよ」

「二千……凄い数ですね」

 羽織さんは素直に驚きをあらわにする。

「色々とイベントをやってるらしいよ。順番に見て行こうか」

「はい」

 僕らは並んで歩みだし、教会の中へと足を運ぶ。

「凄いな……」

 今度は僕の口から感嘆の声が漏れた。

 教会の中もまた、無数のキャンドルがともされていた。

 ヴァージンロードと長椅子いすに並べられた無数のキャンドル。

 僕らはその灯をながめながらフロアをぐるりと回って祭壇へと進む。

 そこには白い布がかけられた三段ほどの長い棚が置いてあり、その上には灯されているキャンドルと、まだ灯されていないキャンドルがたくさん並べられていた。

 これはなんだろう?

 そう思いながら眺めていると、牧師さんと思われる人が僕らに近づき、

「お二方も、結び灯に参加されませんか?」

 そう言って、僕らに火の灯ったトーチを差し出した。

「結び灯?」

 なんでも話を聞くと、結び灯とは『大切な人のことを想いながらキャンドルを灯す行事』らしい。僕らは牧師さんに言われるままに一緒にトーチを手に取り、キャンドルに火を近づける。

「「……」」

 大切な人を想いながら──か。

 牧師さんの言葉を聞いた時、最初に頭に浮かんだのが誰かなんて言うまでもない。

 火がキャンドルに触れると、まるで命を吹き込まれたかのようにおだやかに炎が揺れた。

 未だトーチを手にしながら横を向くと、あかりに照らされる羽織さんの横顔が目に入る。わずかに笑みを浮かべるその表情は、胸が締め付けられるほどに穏やかだった。

 羽織さんは誰を想いながら火を灯したんだろう? そんなことを考えながら牧師さんにトーチを返すと、一枚のカードと編み込まれた短い糸を渡された。

 そのカードを二人でのぞき込む。

 そこには──。


『二人は一人よりもまさっている。

 もしひとりなら打ち負かされても

 ふたりなら立ち向かえる。


 三つりの糸は簡単には切れない』


 ──そう書かれていた。

 言葉の意味は決して難しいものではない。

 渡されたこの編み込まれた糸は、その言葉の象徴なんだろう。

 ふと七緒さんのことが思い出された。

素敵すてきな言葉ですね……」

「うん……」

「七緒はモデルを目指す過程で、一人打ち負かされる日々の繰り返しだったのでしょうね。そんな時に創真君と出会った。二人は一人よりもまさっている──最終オーディションの結果は残念でしたが、立ち向かえたのは創真君のご助力があってのこと。改めて、ありがとうございます」

 笑顔を向けてくれる羽織さん。

 だけど、その笑顔がどこか寂しげに見えたのは僕の気のせいだろうか?

「行こうか」

「はい」

 僕は僅かな不安を押し込め、羽織さんと一緒に教会を後にした。



 教会を出る時に渡されたランタンを手に、僕らが向かったのは近くにある牧師館。

 牧師さんたちが普段お仕事をされている場所らしく、手が空いている時なら色々とお話を聞いたりできるらしい。この時間は開放されていて、サマーキャンドルナイトのイベントの一つが行われている場所。

 僕は羽織さんと共に牧師館の中へと足を運んだ。

 中はさほど広いとはいえないスペースだけれど、とても綺麗きれいに飾り付けられている。

 牧師さんがお仕事をする場所だけあって、居住空間というより小綺麗な事務所といった印象を受けた。壁には数枚の写真が額に納められ、いくつか机がならんでいる。

 正面の台座には十字架じゅうじかかかげられ、その前には聖書と思われる書物が広げられている。その左右に飾られている白い花が、キャンドルに照らされてオレンジ色ににじんでいた。

「羽織さん、席に座って」

「なにをされるのでしょう?」

 僕は牧師さんから二枚のポストカードを受け取り、用意されていた長机に並んで座る。

 そのポストカードの一枚を羽織さんに差し出した。

「これは……?」

 そこには、ランタンでライトアップされた夜の軽井沢高原教会が写っていた。

 幻想的な風景と、満天の星空。ついさっき目にした光景が一枚のカードに収められている。

「流星便りといってね、このポストカードにメッセージを書いてお願いすると、オリオン座流星群の時期に合わせて送ってくれるんだって」

「オリオン座流星群といいますと……十月二十日すぎくらいでしょうか」

「そう。まさにその時期だね。誰に宛てて書いてもいいから、一緒に書いてみない?」

「はい。是非」

 羽織さんはみを浮かべると、ペンを取ってポストカードに向かう。

 その姿を見て、僕は思わず見惚れた。

 羽織さんの姿勢の良さは知っている。今だって背筋を伸ばし、ペンを持ってポストカードに向かう姿勢はいつもと変わらない。でも、その姿があまりにも雰囲気とマッチする。

 羽織さんならきっと修道服も似合うだろうな──なんて、こんな時まで不謹慎か。

 僕はしばらく見惚れた後、羽織さんと並んでポストカードにメッセージを書き始めようとペンを手に取り──しかしどうして、僕の手は止まってしまった。

 誰に宛てた手紙を書こうか──なんて悩んだわけじゃない。

 送る相手はもう決まっている。伝える想いも決まっている。

 だけど、それをどんな言葉でつむぐべきか。

「……」

 だけど、どれだけ考えても、上手い台詞せりふなんて思いつくはずもない。

 結局僕は、飾り気のない素直な想いをつづった。

「できた?」

「はい」

 僕らはポストカードを受付の人に渡し、牧師館を後にした。



 その後、僕らはランタン片手に教会の中庭を散歩する。

 やっぱり花火大会に人が流れているのか? 軽井沢高原教会の敷地内にはあまり人がいない。貸し切りとまではいかないけれど、僕らは誰に邪魔されることもなく散歩を楽しむ。

 耳をくすぐる夏の虫の鳴き声と、遠くからかすかに聞こえる花火が打ち上がる音。

 真っ暗とは言いがたい夏の夜に、にじむように輝くランタンの穏やかな明かり。

 見上げる空には砕け散ったような星々が暗闇を明るく満たす。

 どれくらいだろう──僕らは会話もなく穏やかな夜を過ごす。

 そんな静寂を破ったのは、羽織さんの一言だった。

「いよいよ明後日ですね」

「うん」

 それが撮影会を意味しているなんて、わかりきっていることだ。

「……不安かい?」

 僕がたずねると、羽織さんは足を止める。

「……」

 なにも口にせず、僅かにうつむいてしまった。

 それだけで察してしまう──無言は肯定の証なのだと。

 聞くまでもないことだった。他の人にとっては大したことのないことであっても、羽織さんにとって今回のことは相当の覚悟を要することだ。僕にだってそのくらいわかる。

 だから僕が聞きたかったのは、正確には不安かどうかではなく──。

「今回の件、羽織さんからやらせて欲しいって言ったんだよね?」

「……はい」

「どうしてやろうと思ったんだい?」

 羽織さんがモデルを引き受けた理由だった。

 しばらくして、羽織さんは──。

「私は、変わりたかったのです」

 そうはっきりと言葉にした。

「変わりたかった?」

 問いかける僕に、羽織さんは小さく頷く。

「いつだったでしょうか……創真君は私に変わらなくていいとおっしゃいました。私は私でいいのだと──変わる必要はないと」

 覚えている。確かコスプレイベントの際、羽織さんと二人きりになった時だ。

 変わらなければいけないと口にする羽織さんに、僕は『羽織さんは羽織さんのままでいい』と言った──あの時、僕はかける言葉を間違えたかもしれないと思ったんだ。

 今にしてみれば、それは事実、間違っていたんだろう。

「私はずっと考え続けていたのです。創真君と出会い日に日に変わっていく七緒を見て、変わっていくお姉様を見て、本当に私だけがこのままでいいのかと」

「羽織さん……」

「そう悩む日々は、私一人だけが取り残されているような気がしてなりませんでした」

 ショックだった。

 僕のなにげない一言が、こんなにも羽織さんを悩ませていたことが。

「そんな時にリサさんが現れて、想いを寄せる方のために変わろうとするリサさんを見て、私は思ったのです。このまま待っているだけではなにも変わらないのだと。望むものがあるのなら、前を向いているだけではなく手を伸ばさなくてはならないのだと。紫陽花あじさいのように強く美しく変わらなければ、望むものは手に入らないのだと」

 その言葉は、終業式の日に聞いた言葉と同じ──。

「今回の件は、自分を成長させるチャンスだと思ったのです。ですが、そう甘くはないのですね。覚悟だけではままならないこともあるのだと、私は初めて知ることができました……今なら、七緒が創真君のつくったブラジャーでオーディションに臨んだ理由がわかります」

 羽織さんは苦しそうに胸元を押さえる。

「羽織さん……」

 想いを吐露とろしてくれる羽織さんに、僕はどんな言葉をかけてあげるべきだろうか?

 これだけの心情を口にしてくれるということは、自惚うぬぼれじゃなく、僕を信用してくれて

いるからだろう。

 だけど、軽薄な僕の口は、こんな時に限って言葉を見失う。

みずから申し出て……それもかなわず……私はどうしたら……」

 いつもの三段活用は、途端に悲壮感に包まれる。

 俯く羽織さんに一歩近づくと、肩まで震えていることに気づいた。

「ごめん……そんな風に羽織さんを追い込むつもりはなかったんだよ」

 思わずその肩を抱く。

「創真君が謝ることはありません。あの言葉が私のことを思って口にしてくれたのだということは、あの瞬間からわかっていたことです。嬉しく思ったのも本心なのです」

「僕も気づいてはいたんだよ。もしかしたらあの時、僕は的外れなことを言ったんじゃないかってさ。それこそ今更いまさら言っても仕方のないことかもしれないけれど……」

 そう。仕方のないことかもしれないけれど。

「だけど、僕がありのままの羽織さんにかれていたのは本心なんだ」

 そうだ──口にして実感する。

 きっかけはおっぱいだった。だけど、僕はこんなにも羽織さんの全てに惹かれている。

 こんなことを実感するなんて今さらだ。ずっと気づいていたじゃないか。

「入学して、同じ創作被服部で出会ってからずっと──僕はいつか羽織さんの胸にふさわしいブラジャーを作りたいと思っていた。僕にとってのこの一年間は、羽織さんに捧げるブラジャーのことだけを考えてきた一年だった」

 それはとても幸せな時間だったし、そのために技術を身に付けてきた。

「毎日羽織さんの胸に会えることが嬉しかったし、その胸をより美しく見せるにはどんな服装がいいかな? とか、一人妄想にふける日々は、僕に初めて幸せという言葉の意味を教えてくれたとすら思う。ドレスを作ったのだって、羽織さんに告白をする口実にすぎなかった」

 今すぐ通報されかねない告白ですら、羽織さんは理解を示してくれたよね。

「そんな時に七緒さんと出会って、三姉妹の抱える問題に直面して──みんなの紫陽花にかける想いや美しさを知った。それらはまぎれもなく僕に新たな美意識を教えてくれたんだ。直情すぎる僕に、美しさとはなにかを考える機会を与えてくれた。本当の美しさとは、胸だけでなく美しさを求める想いや意思の強さだと教えてくれた」

 それは、僕にとってアイデンティティの崩壊と再構築と言っていいほど衝撃的だったんだ。

「それについては感謝をしてもしきれない」

 黙って聞き続けてくれる羽織さんに、僕の想いはあふれ出続ける。

「だからこそだったんだよ」

「だからこそ?」

 羽織さんは小さく首をかしげる。

「自分の未熟さを痛感して、もっと成長しなくちゃだめだと思ったんだ」

 じゃなきゃ、羽織さんのおっぱいに相応ふさわしいブラジャーなんて作れない──そう思った。

 だからこそ、僕は羽織さんに『僕がいつか、もっと成長した時に』──そう言ったんだ。

「それ以来、僕なりに努力をしてきたつもりだ。まだ僅か数ヵ月だけど、七緒さんやリサにブラジャーを作って、多少なりとも成長できたんだと思う」

「……」

 僕は精一杯の想いを言葉に乗せる。

「今なら僕は、あの時よりも羽織さんに相応しいブラジャーを作る自信がある」

 この言葉は、僕にとって二度目の告白と同義だった。

 羽織さんは確実にその意図をんだはず。僅かに表情をゆがめる。

 僕は返事を待つ。だけど──。

「……そろそろ時間ですね」

 不意に羽織さんは腕時計で時間を確認した。

 僕もポケットから携帯電話を取り出して時間を確認すると、液晶は二十一時半。サマーキャンドルナイトは二十二時で終了。そろそろ終わりが近づいている。

一先ひとまず、ランタンを返しに参りましょう」

「……うん」

 僕の決意の一言は保留状態。

 羽織さんにうながされるまま、僕らはランタンを返却するために教会に戻った。

 再び足を踏み入れた教会には、僕ら二人以外誰もいなかった。他の観光客はもちろん、受付をしていた牧師さんすら姿は見えない。揺らめく灯だけが僕らを迎え入れた。

 祭壇へと向かう羽織さんの後に続く。手にしていたランタンをテーブルに置くと、羽織さんはしばらくそのまま十字架を見上げていた。

 背中からその表情をうかがうことはできない。

 不意に不安になり、僕は隣に並んで羽織さんの表情を覗き──言葉に詰まった。

「……」

 羽織さんは涙を流していた。表情を一切崩さず、それでもほおを流れるしずく。悲しみか喜びか、それとも他の感情か? 判断に迷うその涙に、僕の胸に不安が訪れる。

「羽織さん……」

 ようやく口をついたのは、たった一言。

「申し訳ありません」

 羽織さんは呼びかけに答える代わりに、謝罪の言葉を口にした。

「そこまで想っていただいているのに、私はどれだけいやしいのでしょう……」

「卑しい……?」

 羽織さんは小さく頷く。

「私自身、変わらなければと思っていたのは噓ではありません。それは本心です。ですが、それが本心の全てかと言われれば……そうではないのです」

 本心の全てではない?

「私はただ、創真君に相応しい女性になりたかっただけなのです」

 そんな僕の疑問は、すぐに羽織さんの口から語られる。

「いつだったか、創真君は仰ってくださいました──私の胸を愛していると。それだけで私は創真君のそばにいさせていただいていいのだと思っていたのです。ですが先ほど申し上げた通り、みなさんが努力をされて変わっていくさまをみているうちに思ったのです『本当に私だけがこのままでいいのか?』と」

「羽織さん……」

「考え抜いた結果、やはりそれではいけないと気づいたのです」

 羽織さんは小さく頭を振る。

「七緒やお姉様のように変わることもできず、リサさんのように素直に想いを口にすることもできない。ポメ子さんのように小さな頃から創真くんのこと知っているわけでもありません──なにもない私が創真君の傍にいていい理由が欲しかった……そのためには、私も変わらなければいけません。そう思う根底にあったのは、私の嫉妬しっと心や劣等感。みんなに負けたくなかったのです……」

 嫉妬心や劣等感──なんて羽織さんに相応しくないんだろう。

 いや、そう感じることすら、僕の勘違いだったのかもしれない。

 誰よりも優しく穏やかで、誰にでも理解を示す大和撫子やまとなでしこ──そんなものは僕の一方的な印象であり、羽織さんだって普通の女の子だったというだけの話。

 ……僕は羽織さんに僕の理想の女の子像を押し付けてしまっていたのかもしれない。

「私は変わりたいのです。創真君に胸を触って欲しいと言ったのは、そのきっかけが欲しかったのも理由の一つ。ですが、私がこれ以上を望むのなら、私はきちんと口にしなければいけないと思っています。お姉様や、リサさんのように──」

 上げた顔が、終業式の神社の時とかぶる。

 僕の心臓が異常なほどに脈を打つ。

 緊張で呼吸を忘れ、握る手が一気に汗ばむ。

 僕は予感する──あの日の続きを。

「創真君──」

 顔を上げた羽織さんの表情は、あふれる想いで満ちていた。

「好きです──創真君のことが、大好きです」

 口にされた本心。僕も気づいていたその想い。

 でもそれは、こうして口にされると思っていた以上に僕の心を貫いた。

「羽織さん──」

 なんて答えていいかわからなかった。

 予期していたことが予期していた通りだったからこそ混乱はしてない。それなのに、頭の中ははっきりしているくせに、どうしても返す言葉が浮かばない。

 唯一わかるのは、僕は羽織さんの想いにこたえたいということ。

 告白の返事は今すぐできなくとも──でも、羽織さんが変わりたいというのなら、きっかけが欲しいというのなら、僕はその想いに全力で応えることはできるはずだ。

「羽織さん」

「はい」

 僕はもう一度、言葉にする決意をする。

「どうか──どうかその胸を、触らせて欲しい」

 口にしたのは、春休みのあの日の言葉。

「羽織さんに好きだと言ってもらえたことは、凄く嬉しい。もしかしたら、僕が今胸に抱えているこの想いの答えは、羽織さんの胸に触ることで理解できるのかもしれない」

「創真君……」

「もちろんそれだけじゃない。羽織さんが変わるきっかけが欲しいというのなら、僕はその想いに応えたいと思っているのも本心なんだ。僕の経験の全てをして、羽織さんのためにビスチェを作りたい。いつかはきっと、今なんだと思う」

 僕の想いの答え合わせは後でいい。

 今はただ、大切な人の力になりたい。

 七緒さんやリサに対して思った感情とは少し違う。それ以上に羽織さんが僕に向けてくれている想いがあれば、理由なんてそれで充分だ。

 胸の奥から湧き上がる、今まで感じたことのない不思議な気持ち。

 ああ……そうか。僕はようやく知りたかったことを理解できた気がする。

「嬉しいです」

 涙もかずに浮かべたのは僅かな笑顔──それが僕の決意に対する羽織さんの答え。

 僕は一歩を踏み出す。

 すると羽織さんは、僕に向かい合ったままワンピースの肩紐に手をかける。

 もう言葉はいらない。お互いの気持ちは今、確かに一つになっている。互いが求めるものを理解し、わかり合えているのなら、言葉はもはや不毛でしかないだろう。

 次の瞬間、肩ひもはするりと落ち、ブラジャーが露わになった。

 真っ白なワンピースと同じ純白のブラジャー。華奢きゃしゃな肩とアンダーバストをしっかりと支えるストラップとベルト。細かなところまで装飾された美しいレースが印象的な一着だった。

 羽織さんは後ろに手を回してホックをはずす。

 瞬間、拘束から解放されたおっぱいが重力の影響を受けるのが見て取れた。

 腕を交差して胸を隠すようにしながら器用にブラジャーを外し終えると、振り返って僕に背中を向ける。

「どうぞ……」

 目の前にはシミ一つない真っ白な背中。

 もはや羽織さんの上半身を隠すものは何一つなかった。

「うん……」

 返事がかすれる。心臓が爆発しそうなほど興奮しているのに、手は凍りついて動かない。

 それとは対照的に、僕の頭の中は妙に冷静だった。

 夢にまでみた瞬間が、ようやく訪れたんだ。妄想という名の予行練習なら無限にしてきたせいかおかげか、七緒さんのおっぱいに触った時のような緊張はない。

 いやそれは、全てに満たされている今の心境のおかげなのかもしれない。

 冷静な頭で考えれば、僕らはなんて不謹慎なことをしているんだろう。ここは教会。つまり神前だよ? 罰当たりすぎて思わず笑みがこぼれる。

 だけど、きっと神様は許してくれるはず。

 だって、僕らはこんなにも純粋な気持ちでお互いに行為を望んでいるのだから。

「創真君……?」

 僕の小さな笑いに気づき不思議そうに首を傾げる。

「ごめん。なんでもないよ」

 笑ったおかげか? 気が付けば、さっきまでの凍りついていた手は動くようになっていた。

 その手を羽織さんの脇の下からそっと伸ばす。

 すると、羽織さんは僕の手を取り、次の瞬間──。

「ん……」

「──!?

 瞬間、煩悩ぼんのうノ手が取得した情報が脳内に流れ込む。

 脳内で投影された映像は、想像と理想をはるかに超えるものだった。

 どれくらい羽織さんのおっぱいに触れていただろう──データを採取し終えた僕は、羽織さんのおっぱいからそっと手を離した。

「大丈夫?」

 そう声をかけてしまうほどに、羽織さんは息を切らしていた。

「はい……どうか、お気遣いなく」