三日目の朝──。

 僕が起きてリビングにやってくると、そこには着物姿の振袖ふりそでさんがいた。

「おはよう。お前様」

「おはようございます」

 辺りを見回しても他には誰もいない。

「みんなは?」

「昨日は川遊びと撮影の下見で疲れただけでなく、夜更よふけまで騒いでいたからな。まだ眠っているよ」

 時計に目を向けると九時ちょっとすぎ。ずいぶんいい時間だけど、それもそうか。

 昨日のビーチバレーの後、僕と羽織はおりさんは大人おとなしくしていたけれど、七緒ななおさんやポメ子たちは随分はしゃいでいたっけ。姉さんもとし甲斐がいもなくキャッキャしてたな。

「羽織さんもですか?」

 僕と一緒にいて、疲れるほどはしゃいではいなかったと思うけど……。

 羽織さんは最初こそみんなと遊んでいたけれど、すぐに僕と一緒に日陰で休んでいた。疲れて起きられないほどはしゃいではいなかったはずだけど……。

「羽織は起きてはいたようだがな……」

 その言い回しを聞いて、僕は察してしまった。

「それって……」

 僕がたずねかけると、振袖さんはくるりと振り返ってドアへと向かう。

「ではお前様、そろそろ行こうではないか」

「行く? どこにです?」

 振袖さんはニヤリと笑う。

「他の者は寝ていて意図せず二人きり。お前様との約束を果たしてもらうのに、今ほどよい機会はないだろう?」

 約束──その言葉がなにを意味しているかは聞くまでもない。

 そして僕には、その誘いを断る理由なんてなかった。


ω


 夏休みに入る前、僕がリサの和装コスプレ衣装を作るために、振袖さんに協力をあおいだのは周知の事実。その際、僕は振袖さんに和服の作り方を教えて欲しいと言った。

 それどころか、リサの和装下着を作るために、時間を全部くれと無茶を言った。

 その交換条件として出されたのが『デート一回』という約束。

 もちろんおぼえていたよ。スケジュールが見えないから夏休みに入ってからと言ったのは僕だけど、それがまさか軽井沢旅行中だとは思ってもみなかっただけって話。

 そんなこんなで、二人きりでやってきたのは軽井沢アウトレット。

 なんでも元はゴルフ場だった場所にできた商業施設らしく、ゴルフコースをそのまま残した広大な芝生しばふが広がっている。それを囲むようにショップや映画館や飲食店などなど、六つの大きな店舗群が連なっているらしい(手にしているパンフレットによると)。

 その広さはさすがにすさまじく、とてもじゃないけど一日じゃ回りきれない。確かにデートスポットとしては丁度ちょうどいいのかもしれないけれど、高校生の僕らにはちょっと敷居が高い……。

「ではお前様、後は任せた」

「丸投げですか!?

 いやいやいや、あれだけデートをせがんでおいて、まさかのノープラン!? いつものぐいぐい引っ張るバイタリティはどこにいってしまったんでしょうか!

「私はこのような場所にはきたことがない上にデートも初めて。右も左もわからない初心者と言ってもいい。いや、違う。それは事実だが……建前で話すのはめて本音で言えば……」

 本音?

「私はお前様と二人でいられれば、どこでもいいのだ」

「な──」

 さすがにドキッとした。

「お前様と一緒ならば、どこに行ってもなにを食べても、なにを話しても……私は幸せだ」

 おだやかなひとみ声音こわねは、だけど僕を追い打つように心に響いてくる。

 反則級の普段とのギャップ。こんな、どストレートに好意を向けられたら言葉もない。

 いや、違うか……振袖さんはいつも直球勝負だったのに、どうして今になってこんなふうに思うのか。

 たぶんそれは……僕自身の気持ちの変化のせいなのかもしれない。

 振袖さんに、リサに、羽織さん……僕は今まで、おっぱいに対する盲目的すぎる愛故に、女の子の気持ちに向き合わなすぎたのかもしれない。その自覚はある──というか気づかされた。

 気づかぬふりをしていたわけじゃなく、それが今までの僕だったってだけの話。

 だけど一度気づいてしまえば、こんなにも理解できる。

 これが人を愛することなのだと。

 そしてこの胸の痛みもまた──。

「お前様?」

 心配そうにのぞき込む振袖さん。瞬間、くちびるを奪われかけた。

「いきなりなにするんですか!」

「むむ。おしい……」

「おしい……じゃないですよ!」

 さっきまでの空気はどこにいったんですか!?

 でもまあ、これが振袖さんだよね、なんて……思わず苦笑する。

「わかりました。エスコートさせてもらいます。でも一つくらい希望はありませんか?」

「希望ならもちろんあるぞ」

「なんです?」

「私も洋服が欲しい!」

 そういう振袖さんは、当然だけど今も着物。

 淡いあおの着物に夏らしく朝顔の柄。着物を着ている人なんて辺りを見回しても振袖さん一人なもんだから、そりゃもう視線を集める集める。実はさっきから視線が痛かったんだよね。

「軽井沢にきた当初、お前様に洋服デビューについては考えがあると言っただろう? 初めて着る洋服は、是非ともお前様に選んでもらいたい。そう思っていたのだ」

「わかりました。その手の希望ならまかせてください」

「うむ。任せたぞお前様」

 こうして、僕と振袖さんの約束デートは始まった。


 ちなみに、万が一僕の貞操が危機的状況におちいった時のことを考えて、ログハウスには書き置きを残しておいた。もしも僕の帰りが遅ければ、きっと誰かが探してくれるだろう。

 頼むぞ、ポメ子。



「おお……凄い数の洋服だな」

 やってきたのはとあるレディースブランドのショップ。

 着くなり振袖さんは感嘆の声をあげた。

 僕にとっては見慣れた光景。だけど、きっと振袖さんにとっては初めて目にする光景だろう。興味津々きょうみしんしんで瞳を輝かせる振袖さんを見て、ふと羽織さんのことを思い出す。

 羽織さんの洋服を着たいという夢をかなえてあげるために一緒に足を運んだ百貨店のヤングカジュアルを扱う別館。あの時の羽織さんも、今の振袖さんと似たリアクションをしていたっけ。

 やっぱり姉妹って似るんだな……なんて思うと微笑ほほえましい。

「振袖さんはどんな洋服が着たいんですか?」

「答えるまでもない──お前様が着せたいと思う服を選んで欲しい」

 ぐはっ。

 思わず心の中でうなる。

「お前様が望む洋服ならば、私はどんな過激な服装だろうと身を包む覚悟でいる。例えそれが、極めて羞恥に満ちた姿だとしても、旦那様の性癖に応えるのも妻の役目だろう」

 ある意味ぶっとんだ献身性を見せてくれる振袖さん。

 振袖さんの中での僕という人間の評価がえらいことになっている気がするというか、ほぼ正解というか、それはともかくとして『僕の望む洋服──』と言うだろうとは思っていた。

 だけど、やっぱりこうして面と向かって言われるとドキッとする。

 真っ直ぐすぎる振袖さんの想いを受け止めきれない。

「僕の好みに合わせてくれるのは光栄ですけど、せっかくだから着てみたい洋服とか──」

「お前様が喜んでくれる洋服が私の着たい服だ」

 振袖さんは畳みかけるように口にして、僕は困ってしまった。

 僕の洋服の好みなんて、ぶっちゃけ下着姿一択であってそれ以外に選択肢はない──いやごめん。本当は他にもいっぱいある。例えば先日七緒さんで妄想した下着エプロンとか。

 その全てが下着ありきだと思うと、そんな過激な服装で外を歩かせるわけにもいかない。

 それでも僕が本気でお願いしたらやってくれそうだからなお困る。

 振袖さんてこう見えて尽くすタイプなんだなぁ……。

「昨日もそうだ。私としては、ウエディングドレス特集で七緒が着ていたようなドレスを着たかった……いつもの和服ではなく、お前様好みのドレスを着て見せたかったのに……」

 振袖さんは声のトーンを落として複雑な表情を浮かべる。

「振袖さんはどうしたって和服の印象が強いんですよね。洋服が似合わなそうとかじゃなくて、それだけ着物が似合いすぎてるですよ。三姉妹の誰に着物をお願いするかなんて、迷う余地なく振袖さんしかいません」

「それはめ言葉と受け取っていいのだろうか?」

「もちろんですよ」

 僕が答えると、振袖さんは小さく『うふふ』って感じに表情を緩めた。

 いやほんと、ちょっと前の振袖さんには考えられないリアクション。最近の乙女化に拍車がかかっている。

「さて、それはそうとして、洋服か……振袖さん、ちなみに今どんなブラジャー着けてます?」

「うむ。白の上下セットだが」

「なるほど」

 やっぱり和服なのにブラジャーをしているのはもうお約束だよね。

「それなら特に洋服の色とか気にしなくていいですね」

 僕は辺りを見渡す。和服要素が強すぎるというか、似合いすぎている振袖さんに果たしてどんな洋服が似合うのだろうか? 改めて考えるとなんとも悩ましい。

 振袖さんならタイトなパンツスタイルと行きたいところだけど、それはそれで定番すぎて面白くない。

 レースでふりふりってがらでもないし、いや、それはそれで一度見てみたいと思うけれど、ちょっと覚悟が必要だ。色んな意味で。

 ううむ……デニム……スカート? デニムのスカート?

「悪くない。いや──」

 長身で引き締まった振袖さんにして、以前僕が至近距離で直視した絶対領域の破壊力。それを活かすミニスカートはまさにベストチョイスだろう。そうなると上をなにと合わせるか?

 気が付けば僕は振袖さんを絶賛放置プレイ。振袖さんをモデルとした一人脳内ファッションショーを始める。

 そうして選んだのは、デニムのミニスカートに黒のキャミソール。その上にノースリーブの薄手のジャケットを合わせてみた。

 健康的なスタイルの振袖さんならあえてこのシンプルさがいい。

「どうだろう? 私でも着られそうな洋服はあるだろうか?」

「ええ。ちょうど決まったところです。気に入ってもらえればいいんですけど」

「では早速着てみようではないか」

 振袖さんは洋服を受け取りつつ、僕の手首をがしっとつかむ。

「せっかくだ。一緒に試着室に入ろうではないか」

「遠慮しておきます!」

 なんて、いつものごとく僕が警戒の姿勢を見せると。

「そうか。では試着室の前で待っていてくれ。不慣れな場なのでな、やや心細い」

「え?」

 振袖さんはあっさりと引いてくれた。

 いつもなら僕が断ったところで担ぎ上げてでも強制連行する振袖さん。そう、いつだったか振袖さんが僕の家に七緒さんを迎えにきた際、僕をお風呂場に連行しようとした時のように。

 もちろん僕の貞操が危険にさらされないのは大いに結構なことなんだけど、こうもあっさり試着室に消えていく振袖さんを見るとちょっと拍子抜けしてしまう。

 なんだなんだ? 案外期待してるのか僕は?

 なんて思いながら、試着室の前で振袖さんを待っている時だった──不意に腕を摑まれた。

「え──!?

 とっさのことに抵抗できずに、そのまま引きずり込まれる僕。

 試着室の鏡に背中をぶつけ、僕の前に立ちふさがる振袖さん。

「ぬふふっ」

 まるで獲物を狩るハンターのような目で僕を見つめる。

 なんだこれ。これが壁ドンていうやつか──って、そうじゃなくて!

「これで邪魔も入るまい。さあお前様、ゆっくり我が洋服姿を堪能たんのうしてくれ!」

「堪能もなにも洋服着てないですよね!?

 そう。振袖さんは白い上下の下着姿で僕に壁ドン中。バストアップカリキュラム通りにブラジャーをしてくれているのは大いに喜ばしいことだけど、状況は全然喜ばしくない。

 やっぱり僕の貞操を奪う気満々じゃないですか!

ぜん食わぬは男の恥とも言うだろう。遠慮することはない。さあ、頂いてくれ!」

 逃げ場はない。騒げばきっと店員さんたちがやってきて僕の身は守られるだろうけど、どうみたって僕が試着中の女性を覗くどころか試着室に押しかけた形にしか見えない。

 肉体的に助かっても社会的には助からない。獄中で『それでも僕はやってない!』と叫ぶ自分の姿が未来視される。おまわりさんという名の国家権力は変態には優しくないんだよ。

 この状況を無事に脱出する方法は──僕が高速で思慮しりょを巡らせていた時だった。

「……そんなに困ったような顔をしてくれるな」

 不意に耳に入ったか細い声。

 びっくりして顔を上げると、振袖さんは一瞬だけ切なそうな表情を浮かべた。

「冗談だ。私とてさすがにこんな場所でお前様に全てをささげるつもりはない」

 振袖さんはさっきの表情が噓みたいにいつもの顔に戻る。

「さてお前様。こうして試着室の中まできてもらったのだ。せっかくだからお前様が私に洋服を着させてくれ。今日のところはそれで我慢をしよう」

「……はい」

 貞操を守りたい僕と、貞操を奪いたい振袖さんの妥協点。

 僕は断ることができるはずもなく、ミニスカートを手にしてひざまずく。振袖さんが両足を通したのを確認し、僕は生足を見つめながらスカートをそっと持ち上げてジッパーを上げた。

 それにしても、女性服売り場の試着室で服を着させてあげるなんて、これなんてプレイ?

 いやいや、冷静になったらだめだ。色気を感じたら負けな気がする足がやばい。

 僕は全力で煩悩ぼんのうを抑え込み、ミニスカート着用ミッションをクリア。

 試着室を出た後、改めて着替えを終えた振袖さんの姿を拝み、僕は思わず声を漏らした。

「おお……」

 ノースリーブのジャケットにミニスカートはなんとも涼しげで夏らしい。

 あらわになる白い腕と、それ以上に目を奪われる健康的な太腿ふとももと生足。細身で引き締まった振袖さんの健康的なスタイルを引き立たせるのに、ミニスカートというチョイスは大正解。

 髪は下ろしたままだけど、軽くウエーブをかけたらよくいる夏のお姉様。

「どうだろうか?」

「似合っていると思います」

「そうか。ありがとう」

 満面の笑みで笑顔を浮かべる振袖さんの表情を見るのが、少しだけつらかった。



 その後、いくつかのショップを巡った僕と振袖さんは喫茶店に足を運んだ。

 通路に面した一番奥の席に座り、飲み物を頼む。ガラス越しに買い物袋を手にした人たちが流れていくのをながめながらコーヒーを口にしていると、振袖さんはグラスを置いて語りだす。

「先ほどはすまなかったな」

「え……」

 振袖さんはとても落ち着いてた口調でそう言った。

「我ながら強引だとはわかっているのだがな」

 自覚はあったのか。いや、そりゃあるか。

「だが、お前様を想うとついつい歯止めが利かなくなってしまうのだ。どうか許して欲しい」

「許すもなにも、僕は別に怒ってないですよ」

「私が自分の想いを抑えられないばかりに、お前様を困らせてしまっているということはわかっているのだ。だが、この想いばかりはどうしても抑えきれない」

「……どうしてです?」