6章 だから、この奇跡は


 そしてユイと旅行の予定を話した翌週。

 ついに俺とユイに取って記念日と言っても差し支えない初旅行の日がやって来た。

 スマホの時計は午前九時、天気は快晴。

 関東圏は明々後日しあさつてまで晴れ予報で、雨雲レーダーを見ても日本周辺に雨雲なし。

 なので天気が崩れる心配はゼロを確認してスマホをポケットにしまう。

「荷物は大丈夫か? 忘れ物はないな?」

おみってば本当に心配性なんだから。大丈夫だよ、昨日だってちゃんとリスト見ながら確認したし」

 ユイが自分の部屋の玄関に鍵を掛けながら、俺の心配性っぷりを困ったように笑って返事をしてくれる。

 今日のユイは大きなリボンのついたオシャレな麦わら帽子ストローハツトに大きめの白いトートバッグを肩に掛けた一泊旅行仕様で、普段と少し違う服装がこれからの旅行に特別感を添えてくれていてわいらしい。

 俺はいつも通りの服装に、帰省する時に使う小さめのボストンバッグを斜めに掛けている。

 それから大事なものだけもう一度持ち物を最終確認。

 心配性だと何度言われても気になるものは仕方ない。

 全てはユイとの旅行を楽しく終えたい一心からだし、準備をしてし過ぎということはないと思うのでこれは俺の性格だ。

 そして二人でマンションの廊下から晴れ切った青空に目を細めてうなずき合う。

「じゃあ、行くか」

「うん、行こう」

 笑顔でそう言葉を交わすと、ずっと楽しみに待っていた旅行へと足を踏み出した。


◇   ◇   ◇


 目指す目的地は静岡県の市にある修善寺駅で、ルート検索によると三時間弱で到着する予定だ。

 まずは俺とユイの最寄り駅から京浜急行で横浜へ十分ほど移動して、そこからJR東海道線に乗り換えて熱海あたみを経由してしま駅へと向かう。

 特急を使った早いルートもあったけども、さほど到着時間も変わらなかったので交通費を抑えるためにJRでの経路を選んだ。

 電車移動が三時間は長いかなと思っていたけども、ユイと一緒に流れていく車窓からの景色を眺めてるだけでも退屈しないし、何よりこの移動時間もユイとの旅行の一部だと思うとむしろ楽しい時間だった。

 三島駅に到着すると、はこてつどうに乗り換えて約三十分ほど揺られて終点の修善寺駅。

 そこから今回の旅の目的地である『修善寺温泉行き』のバスに乗って約十分ほど山道を登ると、ついに目的地である修善寺温泉駅にバスが停車した。

「着いたな、修善寺」

「うん、無事に到着したね」

 まばらな乗客たちに続いて一番最後にバスを降りると、修善寺に着いたことを改めて確認するようにユイと顔を見合わせて笑顔でうなずき合う。

 周りを見渡すと背の高い建物がなくて空が高い。

 自然に囲まれた修善寺の空気を胸いっぱいに吸い込んでみると、横浜とは違う澄んだ空気とかすかに香る緑や土の匂い。

 気温にそこまで差があるわけではないはずなのに、標高のせいか涼しげな空気が流れていて、ああ遠い場所まで来たんだなと旅行の実感が湧いてくる。

「すごいね。知らない場所に来ちゃった」

「そうだな、旅行って感じがするな」

 バスターミナルを出て川沿いをゆっくりと歩いて行くと、ユイが修善寺の街並みを見回しながら楽しそうに声を弾ませる。

「なんだろう、すごく気持ちのいいところだね」

「ああ、分かる。なんかすごくいいよな」

 夏休みの観光地とは言え平日だからか、人が少なくて落ち着いた静かな街並み。

 街中を通っている川のせせらぎも相まって、『の小京都』とも呼ばれる情緒のある街並みの雰囲気がとてもここい。

 普段とは違う旅行用のオシャレをしてはしゃいでいるユイもめちゃくちゃわいらしくて、答える俺の声も思わず明るく弾んでしまう。

 スマホを見ると昼の十二時を過ぎたところ。

 ホテルはここから歩いて十分もかからない距離なので、チェックインの四時までゆっくり観光をしながらどこかで昼食を食べる予定にしている。

「お二人さん、こんにちは。旅行ですか?」

 道沿いの土産屋の中から、店員のおばあちゃんに声を掛けられて足を止める。

「はい、私たち初めての旅行なんです」

「まぁ初旅行に修善寺を選んで下さってありがとうございます。失礼ですがお嬢さんは外国のご出身ですか?」

 ユイの整った顔立ちと青い瞳を見て、おばあちゃんがにこにことしながら尋ねて来る。

「はい、母が日本人で父がイギリス人でして」

「そうですか、そうですか。どうりでとてもれいな瞳をされていると思いました。ぜひこの街をお楽しみ下さいませ」

 本当に心から歓迎してくれるように、おばあちゃんが俺たちに向かって丁寧にお辞儀をしてくれた。

 せっかく声を掛けてくれたし、地元の人に話を聞いてみたくて俺からも声を掛けてみる。

「地元の方から見て修善寺のおすすめの見どころってありますか?」

「見どころならやっぱり修善寺は行っておいて損はないと思いますよ。ここの地名にもなってるくらいですしね。あ、後はやっぱりお若いご夫婦人でしたらその隣にあるじんじやも」

「えっ? ご、ご夫婦?」

 ユイがやや驚きつつもほほみを維持したまま首をかしげて返事をする。

「子宝祈願で有名な神社ですからね。夫婦杉にお祈りすれば元気なお子さんが授かれますよ」

 ……あ、そう来たか。

 善意百パーセントの笑顔で飛んで来た突然のストレートを何とか苦笑いで返す。

 ちらっと隣を見ると、ユイは赤い顔を両手で覆いながら空を仰いでいた。

 どうやらおばあちゃんのご厚意に被弾してしまったらしい。

 これ以上の被害拡大を避けるために急いで話題を変える。

「あ、俺たち昼食がまだなんですけども、食事でおすすめのお店はありますか?」

「ああ、それならがいいですよ。ほらあそこにあるお店。地元の人たちも通うお店でして、天ぷらもすごくしいですから」

「そうなんですね、じゃあ後で行ってみます。ありがとうございました」

「はい、良かったらお帰りの際にお土産もよろしくお願いします」

 いまだに手で顔を覆ったまま固まっているユイの背中をそっとたたくと、ユイが顔を隠したまま顔をうつむけて俺の後ろに付いて来る。

 穏やかな笑顔のままお辞儀をして見送ってくれているおばあちゃんに、俺ももう一度お辞儀をしてからさっきの道を歩き始める。

「はぁ、びっくりした……夫婦だって間違われちゃったね……」

 まだ少し赤い頰のまま、ユイがにへらっと緩んだ笑顔を帽子のつばで隠しながらうれしそうな笑い声をこぼす。

「まぁ男女二人で旅行してたらそうも見えるのかもな」

「そうだね。そう見えちゃうのかも」

 ユイも顔を上げて困ったようなほほみで小さくうなずく。

 まさか恋人を通り越して夫婦に見られるとは思わなかったけど、でもそのユイのまんざらでもなく照れた仕草がわいらしくて、俺も頰を緩ませながらユイにうなずき返す。

「じゃあとりあえず、すぐ近くだしまずは修善寺に行ってみるか」

「うんうん、行ってみよう」

 二人で気を取り直すようにほほみ合うと、歩調を合わせながら最初の観光地の修善寺へと足を踏み出した。


◇   ◇   ◇


「はぁぁ~……これ、すっごく気持ちいいねぇ~……

 ユイが気持ち良さそうな表情を浮かべてとろけ切った声をこぼした。

 修善寺の街中を通るかつらがわに隣接している『杉の湯』という足湯で、ユイと肩を並べて座りながら歩き疲れた足を温泉に浸す。

「街中に自由に入れる足湯があるなんて、さすが温泉街って感じするな」

「私、足湯って初めて入ったけど、こんなに気持ちいいんだね」

 他に客もいないので貸し切り状態の足湯を二人で遠慮なくたんのうさせてもらいながら、その気持ち良さに身も心もじっくりと溶かされる。

 スマホのディスプレイには午後三時と表示されていて、ホテルのチェックインの時間まであともう少し。

 あれから修善寺内の観光名所を回って、おばあちゃんに教えてもらった屋さんで天ぷらとしたつづみを打って、ユイがチェックしていた古民家カフェで抹茶アイスを食べて、俺たちは修善寺をめいっぱいに満喫した。

 一泊旅行ということで荷物を少なくまとめたもあり、一緒に目星を付けていた観光名所はあらかた回れたし、歴史などは良く分からなくても見たことのないものは俺たちに取って新鮮でとても楽しく過ごせた。

「旅行って楽しいね、すごく」

 ちゃぷ、とスカートから覗いた足で温泉を鳴らしながら、ユイが幸せをめるようにそっとつぶやく。

「ああ、こんなに楽しいものだとは思わなかったな」

 俺もユイと同じようにズボンの裾をまくった足でちゃぷ、とお湯を鳴らして応える。

 誰の目を気にすることもなく二人きりでのんびりと過ごす時間。

 二人ともここで見るもの触れるもの全てが初めてで、その感覚を共有して新しい二人の思い出になっていく。

「色んなところで恋人か夫婦に見られちゃったね」

「友達同士で旅行に来てるとは誰も思わないんだろうな」

「夏臣の家で毎日一緒にごはん食べたりしてることもね」

 そんな冗談を言い合いながら二人の笑い声が重なる。

 最初のおばあちゃんだけでなく、行く先々で恋人か夫婦に見られたけども、でもお互いに特に否定することもなく過ごした。

 わざわざ否定して俺たちの『普通』を説明するのが面倒だったのも確かにあるけど、それよりもユイがその誤解を否定しないことがうれしくて、つい俺もそのまま過ごしてしまっていたのが本音だ。

「ね、一緒に写真撮ろ。旅行の思い出」

「そうだな。俺も撮りたいなって思ってた」

 ユイがスマホのカメラをインカメラに設定して俺に顔を寄せる。

 触れるほど近くはないけれども、ユイの存在を感じるくらいには近い距離。

「はい、夏臣。笑ってー」

 ピピッとスマホが鳴ってディスプレイにユイらしい自然な笑顔が映し出される。

 やや緊張気味な俺の硬い笑顔を指差してユイがくすくすと笑い声をこぼした。

「もう、笑ってって言ったのに」

「苦手なんだよな、笑顔を作るのって」

「そう? 普段は結構笑ってるのに?」

「それは無意識だからな」

 いつの間にかこんなに近い距離感で自然にユイが笑ってくれている。

 前に水族館でこうやって一緒に自撮りをした時は、写真のはずが結局へんてこなムービーになってしまうくらいに照れていたけども、今はこんなに自然に一緒の写真が撮れてしまった。

 旅行でいつもよりテンションが上がってるとは言っても、ユイとの距離はこんなにも縮まってたんだなと思うとうれしくてつい表情が緩んでしまう。

 ピピッ。

「え?」

 気が付くとユイがまたさっきと同じようにカメラを構えていた。

 カメラには無防備に笑っている俺とユイがきっちりと収まっている。

「ほら、い顔が撮れた」

 いたずらっぽくわいらしい笑顔でユイが自慢げにほほんでくれる。

 ──わい過ぎだろ。

 一瞬遅れてから暴れ始めた心臓を隠すように、カンカンに熱くなった顔をユイかららす。

「あ、夏臣、もしかして照れてるの?」

「うるせ」

 あははと口元に手を当てながら楽しそうにユイが笑い声を上げた。

 それから俺のことをからかうように隣から俺の顔をのぞき込もうとする。

 そんなユイがわい過ぎてなおさら顔を見せられずに顔を背けた。

「ん、これもすごくい写真だね」

 撮ったばかりの写真を見ながら、幸せをめるようにユイが小さくつぶやく。

 確かに二人ともがい笑顔で写っていて、ユイの言う通りすごくい写真だと思う。

 思えば初めて一緒に撮った写真は猫カフェの時に店員さんに撮ってもらった時で、あの頃はまだユイが俺に敬語を使ってた時だったなと感慨深くなる。

 今じゃこんな写真が簡単に撮れるようになったんだなと思うと、好きな人と一緒にいられるっていうことは、こんなにも幸せなことなんだなと改めてうれしさをめた。

「あ、そろそろチェックインにちょうどい時間かな」

「そうだな。じゃあホテルに向かうとするか」

 スマホの時計を確認すると三時半。

 今からなら少し余裕を持って到着出来る時間なので、バッグの中から足拭き用のタオルをユイに手渡す。

「さすが夏臣。準備万端だね」

「こういう時のための下調べだからな」

 ユイから受け取ったタオルで俺も足を拭くと、二人で足湯を後にして今日のホテルへと足を向けた。


◇   ◇   ◇


「こちらが本日のお部屋になります」

 上品に着物を着込んだ仲居さんが丁寧な所作でドアを引いて、俺とユイを部屋の中へと通してくれる。

「わぁ……! すごい部屋……!」

 広い玄関からふすまを開くと、そこにはユイが思わず驚きの声を上げてしまうくらいに大きな和室が広がっていた。

 軽く十五畳はあるだろう部屋の中は、いわゆる和モダンと言われるおしゃれなデザイン。

 さらに奥には大きく取られた広縁にテーブルとイス、その奥の大きな窓ガラス越しには地上十階からの絶景が広がっている。

 ホテル自体はホームページの下調べですごそうだな程度には思っていたけども、まさかこんな豪華なホテルで豪華な部屋に通されるとは思ってもいなかった。

 ユイとここに到着した時もまず高級感抜群のエントランスで気後れして、だだっ広いロビーであつられてしまうほどに立派なホテルだった。

 初めてで不慣れなチェックイン手続きでも、まず年齢を確認をされ、日本人ではないユイの名前で再度確認をされて、懸賞で当たった事情を説明してようやく快い笑顔を向けてもらえた。

 でも高校生の男女がこんな立派なホテルに宿泊なんて、そりゃあ不審がられても仕方ないどころか当然だと納得出来てしまうレベルのホテルだった。

「……あれ? テラスにお?」

 窓に張り付いているユイがテラスをのぞき込みながらつぶやくと、荷物を運び入れてくれていた仲居さんがその疑問に答えてくれる。

「はい。こちらはお部屋に備え付けのてんになっておりますので、二十四時間いつでもお好きな時にご利用下さいませ」

 まさかの客室てん付き。

 そういうホテルがあるとは知っていたけども、まさか自分が泊まれる日が来るとは思ってもいなかったので俺も驚きの吐息を漏らしてしまう。

「当ホテルには最上階の十五階に予約制の貸し切りのてんもございまして、お客様方はそちらもご利用いただけますが、ご予約はいかがなさいますか?」

「わぁ、屋上のてん! そちらも素敵ですね!」

 ユイが即座に反応して歓喜の声を上げる。

 十階のここからでも十分な絶景なのに、ここよりもさらに五階も上の景色はそれこそ想像を絶するようなれいな景色が見れるんだろう。

 しかし何やらユイが考え込んでから神妙な顔を上げる。

「……あの、貸し切りってことは、男女で分かれてないってことですか?」

「左様でございます。ご宿泊いただいたお部屋単位でのご予約になりますので、混浴となっております」

「あっ……それじゃ、その……大丈夫、です……」

 混浴という言葉に反応したユイが顔を赤くして急激にしぼんで小さくなった。

 そのやり取りを聞いて仲居さんにひとつ質問をしてみる。

「部屋単位ってことは、別に一人で入るのは大丈夫ってことですよね?」

「はい、もちろんでございます」

「じゃあ予約をお願い出来ますか」

「でしたらばお食事の方が六時からお部屋食となっておりますので、その後の七時半から空きがございますがいかがでしょうか?」

「はい、それでよろしくお願いします」

 仲居さんがふところから取り出した予約票に時間を記入して手渡してくれる。

「ご利用に当たっての注意事項は裏面に記載されております。それではまた六時にお食事を運んで参りますので、それまでどうぞごゆっくりおくつろぎ下さいませ」

 丁寧にゆっくりと一礼をすると、仲居さんが音を立てずにふすまを閉めて部屋を出て行く。

 ガチャンと入り口のドアが閉まる音がして、ユイに仲居さんから渡された予約票を手渡す。

「だってさ」

「でも、それって……私だけって意味じゃ……」

「せっかくだしユイだけでも入らせてもらった方がいいだろ。それに旅行券を当ててくれたのはユイだし、俺は代わりに部屋のてんを使わせてもらうから」

「夏臣……」

 想像もつかないような絶景と言われれば俺も興味はある。

 でも逆にそれだけれいなものなら俺よりもユイに見て欲しいと思う。

 俺は後でユイに感想を聞かせてもらえれば十分だし、ユイがうれしそうに話をしてくれる方がうれしい。

 それでもユイがまだ遠慮がちにうつむいてるので冗談めかして肩をすくめる。

「だったら一緒に入るか?」

「……もう。夏臣がそんなこと言うわけないくせに無理しちゃって」

 ユイが眉を下げながらくすくすとほほむ。

 自分でもちょっとらしくない冗談だなと思いながら鼻の頭をく。

「ありがと。じゃあ私が行かせてもらうね」

「ああ、後で感想聞かせてくれ」

 ユイが俺の手から受け取った予約票を胸に優しく抱いて、にへらとうれしそうに表情を緩める。

(こんな顔を見せてくれるなら、何でも譲ってあげたくなるよな……)

 いつもの晩御飯も手間をかけてでもしくなるようにしたり、やっぱり好きな人が喜んでくれるのは何よりもうれしい。

 改めてそう思いながらうれしそうにほほむユイに目を細める。

「ホテルに散歩用の庭園があるみたいだから、夕飯まで散歩でもしてくるか」

「うん、いいね。お散歩行きたい」

 夕飯までの時間の過ごし方を二人で決めると、部屋のカードキーを持ってホテルの中庭へと部屋を後にした。


◇   ◇   ◇


「失礼いたします。お食事をお持ちいたしました」

 さっき案内をしてくれた仲居さんが丁寧な一礼をして、部屋の中へと食事を運び入れて晩御飯の準備を進めてくれる。

 部屋の中央にある大きな座卓テーブルの上に、温前菜として牛タンのソテー、にんにくと生しょうがのパン粉焼き、ウエハースのバジルソース掛けの三種類、魚料理はの刺身とソテー、ハマグリのスープ、ウニのルイユソース、さらに肉料理では松坂牛のフィレステーキに焼き野菜と、テーブルめいっぱいの料理が並べられていく。

「それではごゆっくりとお楽しみ下さいませ」

 最後にご飯の入ったおひつを置いて仲居さんが部屋を出て行くと、ぐっとおしとやかに我慢をしていたユイが遠慮なくテーブルいっぱいの豪勢な食事に青い瞳を輝かせた。

「すごい! 見たことないくらい豪華なごはん! すごーい!!

 どうも福引の特等賞についていた宿泊プランは最上級の料理コースだったようで、テーブルを挟んだ向こうに座っているユイが力一杯に喜びを咲かせながら、スマホを構えてカシャカシャとシャッターボタンを超連打していく。

 むふーっと満足そうにユイが興奮した息を吐き出しながら、一仕事終えたように俺にうなずいて見せる。

 実にわいらしくてほほましいなぁと思いながら一緒に手を合わせる。

「「いただきます」」

 二人の声が重なって、それぞれテーブルの上の食事に箸を向けると、

「ん、いな……!」

「んん~、しい……!」

 と、俺とユイの喜びの声が重なった。

 前菜ひとつ取ってみても俺みたいなしろうとの料理とはレベルが違う。

 牛タン、生しょうが、バジルと言った素材そのものの味が素晴らしいのは当たり前で、火加減、で加減、塩加減やソースの味付けまで繊細過ぎるバランスが整っている。

 もちろんそれだけじゃなく、飾りつけや盛り付け、色合い、皿の形や色まで、テーブルの上の全てで五感を意識しているのがさすがの職人技だと手放しで感動してしまう。

「どれもすっごくしいね。初めて食べるものばっかりですごさは分からないけど」

「俺たちはしろうとなんだから、小難しいこと考えずにしいってだけでいんだって」

 二人きりの食卓なので高級店らしいマナーも必要ないし、ただひたすらに気兼ねせず二人で絶品の料理たちにしたつづみを打ち合う。

 俺も初めて食べるものばかりで味や価値が分かるとはとても言えないけども、ユイと一緒にこの晩御飯に感動しながら過ごせる時間がとても幸せなのは間違いない。

「夏臣のごはんだって負けないくらいしいけどね」

「それは流石さすがに身内びいきが過ぎる話だな」

 食材、調理、味付け、飾りつけ、どこを切っても俺が勝ってる要素がない。

 ユイがそう言ってくれるのはうれしいけども、何より自分でこの差を感じてしまうので苦笑いで返す。

 それを聞いたユイがくすくすとしそうに笑ってうなずく。

「そうだね。私にとっては夏臣の料理は特別だから。いくらプロの料理人さんがしく作ってくれてもかなわないんだよ」

 言葉にならないけなわいさに思わずうつむいて額を押さえる。

(ここでそれはわい過ぎるだろ……!)

 ユイの無意識の好意は威力がはんじゃない。

 好きな相手に自分が頑張ってるところをこんな風に言ってもらえたら、そりゃあこうもなってしまうのも仕方ない。

 顔を上げられない自分に言い訳をしながら、緩み切ってしまう表情を何とか落ち着けようと冷たいお茶を傾ける。

「くす、そんなにうれしい?」

「……うれし過ぎて返す言葉もないくらいな」

「あはは、素直でわいい」

 ユイも俺をのぞき込みながらうれしそうに表情をはにかませる。

 ちくしょう、わい過ぎて何も言い返せない。

 ユイがこういう返し方を覚えてから度々やられてしまっている気がするが、わいいものはわいいのでどうしようもない。

 ふうーっと長く息を吐き出して何とか顔を上げて箸を構える。

「とりあえず今は目の前のごそうたんのうさせてもらうか」

「そうだね。ん~、このし~♪」

 力一杯幸せそうに全力で晩御飯を味わうユイをわいらしく思いながら、俺もユイと同じように思い出の晩御飯をしっかりと味わっていった。


◇   ◇   ◇


 そして豪勢だった晩御飯から約一時間後。

 仲居さんがれいに晩御飯を片付けてくれたテーブルの上で、備え付けの熱いお茶を傾けながら時計を確認する。

「そろそろの予約時間じゃないか?」

 向かいに座ってお茶をすすっているユイにそう伝えると、ユイが緊張を帯びた表情で小さく唇をんで息をんだ。

「私、大丈夫かな……貸し切り温泉とか初めてだから、心配で……」

 不安そうにそわそわしながら、予約票の裏側の注意事項を何度も読み返している。

「貸し切り温泉ってもだから大丈夫だろ。特殊な設備があるわけじゃないだろうし」

「そっか……そうだよね……うん、せっかく夏臣が勧めてくれたんだし……大丈夫、きっと大丈夫……」

 ユイが自分に言い聞かせるように大丈夫だと繰り返す。

 説明が必要なほどの設備ならきっと何かしらの案内が書いてあるだろう。

 みを傾けながらユイの様子を眺めていると、俺をうかがうように申し訳なさそうな上目遣いを向ける。

「……その、困ったら電話してもいい?」

「いつでも電話に出れるようにしとくから安心してくれ」

 そのわいらしさに思わず笑いそうになりながらそう返事をすると、ユイがぱぁっと笑顔を咲かせていそいそとの準備をはじめる。

 かばんの中から相変わらず大量のスキンケア用品が入ったポーチを取り出して、着替えと荷物を指差し確認してからユイが大きくうなずく。

 俺はその間に部屋のクローゼットから貸し出し用の浴衣ゆかたセットを取り出してユイに手渡した。

「じゃあ、行って来ます」

「ああ、いってらっしゃい」

 念のため部屋のカードキーを渡して玄関までユイを見送ると、小さく手を振りながらユイが入り口のドアを静かに閉める。

「さて。じゃあ俺もに入らせてもらうかな」

 クローゼットからタオルと浴衣ゆかたのセットを取り出すと、俺も部屋付きてんのあるテラスの方へと足を向けた。


「……てん、ヤバいな」

 さっきまでゆうしていた空は宵闇に変わっていて、標高のせいなのかれいな空気のお陰なのか、澄んだ夜空には数え切れない星たちがくっきりときらめいていた。

 少し涼しめの夜風を感じながら、テラスにあるひのきの中で温まった息を緩く吐き出す。

 今まで温泉っていうもの自体にみがなかったけども、本場のい温泉だからなのか身体からだの奥の奥にまでみ込むような気持ち良さがあった。

 ホテルのすぐ下を流れる川のせせらぎに耳を傾けながら顔を上げると、テラスの向こうにはライトアップされた森林の景色が広がっている。

「はぁ……たまらんなぁ、これは……」

 心も身体からだも芯の芯までいやされるような情景を、湯舟の中で手足をめいっぱいに伸ばして存分に味わう。

 湯舟の脇に立っている物置の上にあるスマホを見ると、今のところ特に通知はない。

 経過時間を考えるとユイも無事にに入れてるみたいで一安心だ。

(ここからの景色でも十二分にれいだけど……)

 ユイのいる最上階からはさらにれいに見えるものなんだろうか。

 青い瞳を輝かせながらこの景色に見入ってるユイの横顔を思い浮かべると、温泉で温まった胸の奥がさらに温まるのを感じる。

 ユイが一生懸命にその感動を説明してくれる姿を想像してにやけていると、ヴヴヴとスマホが震える音が聞こえた。

「……ユイ?」

 湯舟から身体からだを起こしてスマホを手に取ると、そこにはユイからのメッセージの通知。

 何かあったのかと思ってメッセージを開くと写真が送られて来ていて、それを開くと思わず口元から素直な笑みがこぼれてしまった。

「めちゃくちゃれいな景色だなぁ……」

 その写真はここから五階上にあるてんから見える景色。

 囲いがなく湯舟が段々に作られているため、湯舟に入っている視点からは湯舟の水面が景色と境目なくつながっていて、まるで空に浮いているようにすら見える。

 もちろんここから見えるライトアップもしっかりと映っていて、そこには文句のない絶景が広がっていた。


『すっごくれいだから、夏臣にもお裾分け』


 すぐにそんなメッセージが追加で送られてくる。

 一人でに入っていても俺のことを考えてくれて、こんな風に感動を共有しようと思ってくれたことがうれしくて、大きなためいきを吐き出しながら夜空を見上げる。

「やっぱり俺は本当にユイが好きだなぁ……」

 思わずそんなつぶやきが口からこぼれて、胸の奥が甘く強く締め付けられる。

 心地好く高鳴る鼓動を感じながら、目を閉じて温まった吐息をゆっくりと吐き出していく。

『こっちの景色もれいだからお返し』

 俺もテラスの向こうの景色をスマホに収めると、お返しにユイへと写真を送る。

 すぐに既読が付いてブサネコが感動で泣いてるアニメーションスタンプが貼り付けられた。

『のぼせないように気を付けて、ゆっくり楽しんで来てな』

『ありがと。後で他の写真も見せるからね』

 そんなやり取りを見て、堪え切れずにくつくつと笑いがあふれてしまう。

 離れていても、気持ちがつながっている。

 ユイが送ってくれたメッセージがそんな風に心地好く心の奥にまでみ込んでくる。

「はぁ……マジでわいすぎだろ……」

 胸がむずがゆいほどに甘く締め付けられてしまって温泉を顔にバシャバシャと掛ける。

 あふれて止まらない愛おしさを何とか抑えるように、湯舟から上がってやや冷たいシャワーを浴び続けて何とか心と頭を冷やしたのだった。


◇   ◇   ◇


 てんから上がって浴衣ゆかたに着替え終わると、ちょうどいいタイミングで部屋のインターホンが響く。

「おとんを敷きに参りました」

 ドアを開けるとさっきと同じ仲居さんが一礼をして、部屋の中へと入ってとんを敷くための準備を進めてくれる。

 何か手伝おうかと思うが、あまりに隙の無い慣れた手付きだったため、邪魔にならないようまどぎわにあるテーブルセットの椅子に座って待つことにした。

「お客様」

 俺がキンキンに冷えたお茶を傾けていると、仲居さんに声を掛けられて顔を向ける。

「おとんは一組だけのご用意の方がよろしいでしょうか?」

 真面目な顔でそんなことを提案されて、危うく持っていたお茶をこぼしかける。

「いえ、二組でお願いします」

「仲居が一組しか用意してくれなかった、という設定でも構いませんが」

「お気遣いは大変ありがたいのですが、ぜひ二組でお願いします」

「かしこまりました」

 設定って。

 思わずそうツッコみたくなる気持ちを何とか堪えて吞み込む。

 あまりに真面目な顔で提案されたので、何かそういう気遣いをしなくちゃいけないサービスでもあるのかと思いつつ、きびきびととんを敷いてくれている仲居さんから玄関の方に顔をらすと、

「あっ……」

 ちょうど部屋に戻って来たユイと目が合った。

「た、ただいま……! その、すっごくいおだったよ……!」

 まとめた髪を肩口に流したわいらしい浴衣ゆかた姿のユイが、俺から顔を隠すように早足で自分の荷物をバッグの中に片付ける。

 がりで上気している顔色は分からないけども、明らかにユイが動揺していた。

(……さっきのやり取り、絶対に聞こえてたよな)

 ちらりと俺を見た仲居さんが一瞬妙に楽し気な視線だった気がするけども、次の瞬間には真面目な表情に戻っていたので、気にせずさっきの椅子に腰を下ろしてユイの分の冷たいお茶を用意する。

「ありがと、夏臣」

 テーブルを挟んだ向こう側の椅子にユイも腰掛けて冷たいお茶で喉を鳴らす。

 ふう、と短く息を吐き出したユイの横顔をのぞくと、湯上りで薄赤に染まった頰がやけに大人っぽく見えて、花火大会の時とはまた違う薄手の浴衣ゆかたがとても良く似合っていた。

 晩御飯を食べにうちに来る時でもたまにに入ってから来ることもあるが、ここまで無防備な湯上がり姿は見たことがないのでやけにドキドキしてしまう。

「おとんの方のご用意が出来ました。明日の朝食は七時から九時の間に食堂でのご用意となっております。それではお休みなさいませ」

 仲居さんがまた丁寧なお辞儀をして部屋を出て行く。

 敷いてくれたとんを見ると、大きな部屋の中央に不自然なほどぴったりと二組のとんが並べられていて、ユイが困ったような視線を畳に落とした。

「さ、流石さすがにこれはちょっと近すぎるよな!?

「ご、ごめん、そうだよね!? 私の寝相良くないから迷惑かけちゃうかもだし!!

 お互いに出来る限り部屋の両端に向かってザザザッととんを引っ張っていく。

 部屋が広いので逆に不自然なほど間が空いたけれども、まぁこのくらいあればユイも安心して眠れるかなと思わないでもないのでとりあえず良しとしておく。

 ギリギリまで引き離した向こうのとんの上で、ユイがちょこんと座って恥ずかしそうに髪をいじくっている姿がやたらと色っぽくてグッと来てしまう。

(いつも通り、いつも通りいればいいだけだからな、俺……!)

 自分に言い聞かせるように内心でつぶやきながら、そういう目でユイを見ないように自分を改めて戒める。

 ユイが熱を出した時に隣にいた時の方がよっぽど近かったのに、好きだと自覚してしまった今の方がやたらと意識してしまうことが増えた。

 しかしながらこのまま変な空気でいるのも気まずいので、何か雰囲気を変えられる話題を探して窓の外を見ると、観光名所を調べた時に見た場所を思い出す。

「なあユイ。涼みがてらライトアップでも見に行かないか?」


◇   ◇   ◇


「わぁ、すごいれいだね……」

 遠くに見え始めた竹林を見てユイが小さな感嘆の声を上げた。

 れいに敷き詰められた石畳の上を歩いて行くと、幻想的にライトアップされた竹林のみちという観光名所の公園の中へと到着する。

 園内には俺たちの他に人影はなく、二人分のの足音を響かせながら美しい光にいろどられた竹林の中をゆっくりと歩いて行く。

 今日の夜空には月明かりが少ないためか、竹林の隙間から見える星たちがとてもれいきらめいている。

「すごく素敵なところだね」

「ああ、すごくれいなところだな」

 温泉でった身体からだを夜風にでられながら、ユイとゆっくり歩調を合わせて歩く。

 もう少し時期が早ければこの先の池で蛍を見ることも出来たらしいけども、今は時季外れなので見られないと観光サイトに書いてあった。

 もうすっかりと変な空気もほどけていつも通りの距離感。

 二人で肩を並べて美しい竹林の中をを鳴らしながら進んで行く。

「日本に来てこんな旅行が出来るなんて、思ってもみなかったな……」

 またたく星たちを見上げたユイがうれしさをめるようにつぶやいた。

「俺もお隣さんのクラスメイトと温泉に来るなんて思ってもみなかったよ」

 俺もユイにあいづちを打つように返事をする。

 隣を歩くユイと小さなほほみを交わしながら、ゆったりとしたペースでお互いを感じながらカラコロとを鳴らしていく。

「夏臣が花火大会に誘ってくれて、みなとさんがレンタル浴衣ゆかたを教えてくれて。それが夏臣と旅行なんてことになっちゃうなんて思いもしなかったしね」

「それなら最初は花火大会のチケットをくれたけいのお陰ってことになるな」

「それなら友達を助けてピアノを弾いてくれた夏臣のお陰じゃない?」

「俺はその前にさんざん世話になった慶に恩返しをしただけだよ」

「じゃあそういう優しさの連鎖が今につながってるんだね」

 ユイが僅かに声を明るくしてそんな表現をする。

 確かにそういう小さな偶然が少しずつ重なって、つながってるのかもしれない。

 ──俺が今年の始業式にもう少しだけ早く家を出ていたら。

 ──うちのクラスの担任が従姉じゃなかったら。

 ──ユイが教会のバイトで面接に来た日、帰りに俺がスーパーに寄らなかったら。

(そのどれが欠けてても、今ここでユイの隣にはいられなかったような気がするな……)

 ユイの言葉からそんなことを考えていると、公園内に設置されているスピーカーからお知らせのジングルが響き渡った。

『本日はただいまよりペルセウス座流星群の極大の時間帯となります。園内の照明は足元と非常灯を除いて消灯いたしますので、ご来園のお客様方はお足元にご注意下さいませ』

 隣のユイと顔を見合わせると、園内の照明が次々と落とされて行く。

 放送通りに足元を照らす最低限の照明だけが残され、夜空のほしあかりがさっきよりもくっきりと浮かび上がった、その瞬間。

「あ……今、あそこに……」

 ユイが瞳を丸くしながら夜空を指さす。

 その細い指先を辿たどって夜空を見上げると、すぐに後を追うように一筋の光が流れていった。

「流れ星……! 私、初めて見た……!」

 ユイが青い瞳を細めながら感極まったようにつぶやいた。

 俺も視線を外せないまま夜空を見上げていると、まるで俺たちが気付くのを待ってくれていたように次々と夜空にほうきぼしが走っていく。

 竹の葉たちがかすかにさざめく庭園の上、深い夜空が流れ星たちの光の尾でいろどられていく。

「これが……流星群……」

 人の手では造る事の出来ない美しい情景に思わず声が漏れた。

 初めて見た幻想的な神秘に、息をむことすら忘れて夜空を見上げる。


「すごいね……こんな奇跡みたいな偶然……」


 優しく瞳を細めたまま、小さな優しい声でユイがそうつぶやいた。

 隣に視線を向けると、ほしあかりと流れ星を映した青い瞳が言葉も出ないほどにれいに輝いている。

 奇跡みたいな偶然。

 ──桜の花びらが舞い散る中で出会ったことも。

 ──月明りに照らされた礼拝堂も。

 ──打ち上げ花火の下で恋をしたことも。

 ──初めての旅行で流星群を見上げたことも。

 それらすべてが奇跡のような偶然だと、流れ星が夜空に尾をく度にユイの言葉が胸の奥で繰り返される。

 優しいほほみを浮かべたユイが俺に顔を向けて俺たちの視線がからまった。

 何度も見た、言葉を失うような優しいほほみ。

 奇跡のような偶然と言われても納得してしまうほどに美しい情景。

 だからこそ、強く心の中で思ったことが声になってこぼれ落ちる。


「きっと、偶然なんかじゃない」


 俺を見上げるユイの瞳が少しだけ丸くなる。

 今も夜空にはいくつもの流れ星がきらめいて、光の尾をいてはまた消えていく。

 この流星群だって、きっと偶然なんかじゃないから。

「きっと俺とユイがここにいることは、偶然じゃないんだよ」

 自然な心からの笑顔をユイに向けて、今度ははっきりとそう口にした。

 ユイが優しさの連鎖なんて言葉で表してくれたこと。

 それは自分が生きていく中で選んで来た道で、歩んで来た道だから。

 い時も、悪い時も。

 楽しい時も、つらい時だって。

 それぞれが選んで歩いて来た道がここで重なったものだ。

 ユイが独りで日本へ来ることを決めたことも。

 桜の花びらが散るベランダで歌っていたことも。

 俺が伸ばした手を取ってくれたことも。

 月明りが照らす礼拝堂で歌ってくれたことも。

 今もずっとおそろいのブレスレットを着けていることも。

 花火大会にデートをしに行ったことも。

 今ここに二人で肩を並べて立っていることも。

 そして、俺がユイを好きになったことも。

 それは確かに俺たちが選んで来た先にあった奇跡だと思う。

 だから──

「だからこの奇跡はきっと、偶然なんかじゃない」

 奇跡だったとしても、偶然なんかじゃない。

 俺が自分で選んだ道の先で、俺は自分の意志でユイを好きになった。

 この奇跡に感謝をしながら、今も隣にいてくれるユイに精一杯の笑顔を浮かべて見せる。


◆   ◆   ◆


『だからこの奇跡はきっと、偶然なんかじゃない』

 その言葉を聞いた瞬間、涙があふれそうになってしまった。

 夏臣の言葉が私の胸に溶けるようにみ込んで来る。

 心が優しくて暖かいものに包まれて、切なさにも似たあまっぱい気持ちがあふれて胸が苦しくなってしまう。

 お母さんをくしてイギリスに行ったことも。

 その先で歌をくしてしまったことも。

 ソフィーが日本へと来るという選択肢をくれたことも。

 夏臣が差し伸べてくれた手を取ったことも。

 夏臣がもう一度、大切な歌を歌わせてくれたことも。

 私が夏臣に恋をして、好きになったことも。

 良かったことも悪かったことも、その全部は私が選んだ先にあったこと。

 だから今この場所にいることが奇跡だとしても、それはきっと偶然なんかじゃない。

 夏臣の言葉がさっき以上に胸を甘く締め付けて、目の前にある笑顔が愛おし過ぎて、思わず涙がこぼれてしまいそうになってしまう。

「私も自分の意志でここにいるから。だから、偶然なんかじゃないんだね」

 奇跡のような可能性の中で出会えたのだとしても、それは偶然じゃない。

 私が自分で選んだ道の先で、自分の意志で夏臣を好きになった。

 だから私も精一杯の気持ちを込めて、私に出来る一番の笑顔を夏臣に向ける。

 ソフィーには節度を守れなんてくぎを刺されてしまったけど。

 でもこんなに愛おしい気持ちが止められるわけがないし、止めたくもない。

 私が選んで来た未来の中で、私が好きになった人を見つめる。

 両手を胸の前で握って、初めてのおもい人とぐに見つめ合う。

 すると夏臣が私に向かってゆっくりと口を開くのが見えた。


「俺、ユイのことが好きだ」

「私も。夏臣のことが好き」


 視線も言葉も心も、全部をらすことなく同時にそのおもいを口にした。

 かすかな気恥ずかしさと、でもそれ以上に通じ合った気持ちがうれしくて、幸せで溶けてしまいそうな笑顔で声をくすぶらせて笑い合う。

 ずっと心の中にあった気持ちを伝えただけなのに、涙があふれてしまいそうになる。

 相手も同じ気持ちだったと聞いただけで、愛おしくて涙があふれそうになってしまう。

 一歩近づいて夏臣の胸に頰を当てると、夏臣の両腕が私の背中をそっと抱き締め返してくれる。

「やっと好きって伝えられた……すごく、うれしい……」

「ああ、俺も……く言葉にならないくらい、うれしいよ……」

 大きな腕に抱き締められながら、幸せでいっぱいになった小さな笑い声をこぼす。

 お互いの体温を確かめ合うように、抱き締め合った腕にぎゅっと力を込める。

 夜空にはまるで私達を祝福するように、ひときわ多くの流れ星たちがきらめいていた。