5章 愛しさと曖昧さと誠実さと


「そろそろ旅行の予定を立てないとだな」

 晩御飯の片付けも終わった後、いつもの俺とユイの自由時間。

 相変わらず俺のノートパソコンで猫動画を見てメロメロになってるユイにそう声をかけた。

 もう夏休みに入って一週間ほどが経過。

 教会のバイトは夏休みのお陰で職員も学生も人手が足りているので、こちらから希望しない限りは特に声掛けはなく、俺とユイは二人でのんびりと休みを満喫していた。

 特に出掛けるとかではないけども、普段は出来ない部屋やキッチンの大掃除をしたり、仕込みに時間のかかる料理をしてみたり、新しい料理を勉強する動画を一緒に見ていたり。

 夏休みの課題をとっとと終わらせようと一緒にやったりして、普段と変わらない生活をしつつも休みだからこそ出来ることをして過ごしていた。

 そしてスマホのカレンダーを見ると、いよいよユイと予定していた箱根旅行も来週。

 この間に行った海の時も思ったけど、やっぱり行く以上は二人のい思い出にしたいし、ユイに行って良かったと言ってもらいたい。

 記憶すらもあやふやな子供の頃に行った家族旅行を除くと、旅行なんて中学の修学旅行くらいでしか行ったことがない。

 なのである程度の予定をちゃんと決めておけば、大失敗をすることもないのではと思いながらユイを見る。

「えっと……旅行の予定って? 宿の予約したの来週だよね?」

 ユイがきょとんとした顔で首をかしげる。

「いや日程はそうだけど、どこ行って何するとかそういう予定」

「あ、そっか、ごめん……私、旅行したことないからそういう段取りに慣れてなくて……」

 俺の言ってることを理解したユイが恥ずかしそうに肩を丸める。

 時々見せるこの天然っぽいところもわいい。

「俺も初旅行で楽しみだから、ちゃんと予定立てた方がいいのかなって思って」

「もちろん私もすごくすごく楽しみにしてるんだけど……おみと旅行ってだけで満足しちゃってたから……」

 小さな肩を丸めたまま、ユイが頰を赤くしてストレートにわいいことを言ってくれる。

 海の時も思ったけど、最近のユイは好意的なことを素直に言ってくれるようになった……ような気がする。

 俺も浮かれてるせいで受け取り方が変わった部分もあるとは思うけど、とにかく以前にも増してさらにわいく見えて仕方がない。

 でもユイの返事を聞いて、ちょっと力み過ぎていた自分に気付く。

「いや、俺もちょっと気負い過ぎてたな」

 苦笑しながら頰をく俺を見てユイがぱちくりと瞳をまたたかせる。

 ユイとの旅行をい思い出にしたいのは本心だし、ユイに喜んでもらえるような旅行にしたいというのは間違いない。

 でも失敗したくないっていう気持ちが前に出過ぎていて、ユイと一緒にいられるだけで楽しいっていう大事なことを見落としてしまっていた。

 それを忘れて予定の方を気にしてしまっていた自分を反省する。

「じゃあ、一緒に予定を考えてくれるか」

「うん。私もその方が嬉しい」

 改めてユイにそう伝えると、ユイも笑顔でそう応えてくれる。

(一緒に旅行に行くってことは、こういうところから始まってるんだな……)

 少し前までの距離感なら察してあげることが優しさっていうこともあった。

 でも今は二人で一緒に話をして、一緒に考えることの方をユイは喜んでくれる。

 旅行に誘うか誘わないかで悩んでた時に分かっていたはずなのに、つい失敗繰り返してしまう申し訳なさと、前とは違う近い距離感がうれしくて素直な笑みをユイに向けた。

「じゃあ旅行に持って行く荷物から調べてみるか」

「そうだね、一緒に確認すれば安心だし」

 そう言ってユイが猫動画を停止すると、検索ウィンドウに『初旅行』、『準備』と打ち込んで二人でノートパソコンの画面をのぞき込む。


『彼氏との初旅行の準備リスト』

『彼氏との初のお泊まり旅行で準備すべき持ち物と、夜の過ごし方』

『彼氏との旅行! 持ち物は? 恋人の期待に応えるために準備すべきことは?』


 二人ともパソコンの画面からサッと顔をらした。

 画面には俺たちが望んでいた検索結果ではなく、『恋人同士の初めてのお泊まり』的な記事が画面いっぱいに並んでいる。

 今回の旅行に際してはあえて触れないようにしていた話題が、避けようもなく思いっきり俺たちにぶつかって来て一気に気まずい空気が流れてしまう。

「そ、そういえば修善寺のホームページに周辺の観光案内とかあったよ!」

「じゃあそこで周りに何があるか見てみるか!」

 ユイが気まずさに顔を赤くしながらも精一杯の笑顔で頑張ってくれたことに乗っかって、俺もすばやくサッと検索画面を閉じる。

 改めて『修善寺』、『観光』と打ち込んで公式の観光情報へとアクセスすると、今度は自然あふれるれいな見どころが画面に並んだ。

「すごく自然豊かでれいなところみたいだし、すごく楽しみだね」

 ユイがまだ少し照れを残しつつも、空気を変えようと笑顔を見せてくれる。

(こういうとこ、ユイも変わったよなぁ……)

 出会った頃は自分の気持ちをごまかすための苦笑いをすることも多かった。

 でも今は二人のために空気を変えようとして笑顔を浮かべてくれている。

 異性として好きな相手と二人きりで旅行と言ったら、『普通』はさっきの検索結果みたいな話が当たり前なんだと思う。

 俺だって一般的に年頃と言われる男だし、ユイに対してそういう気持ちが完全にゼロかと言われたらそうだとは言えない。

 でもそんなことは絶対になしにしてでも旅行に行きたいと思ったし、今このタイミングでわざわざ口に出してもユイを困らせるだけだ。

 それならこのまま二人で触れずにいれば何も問題は起こらない……と、さっきまでなら思っていたけども。

「……ユイ。ちょっと聞いてくれるか」

 隣のユイに姿勢を正してぐに目を見る。

「どうしたの、急に」

「いや、旅行に行く前にやっぱりちゃんとユイに話さなきゃと思ったことがあって」

 俺がそう口にすると、ユイが少し緊張に顔をこわらせながら姿勢を正して聞く態勢を作ってくれる。

 ひとつ深呼吸をして意を決すると、ゆっくりと飾らない言葉で自分の気持ちを口に出していく。

「俺も男だからさ。ユイのことはすごくわいいと思ってるし、人として好きだし……その、女の子としても十二分過ぎるほど魅力的だと思ってる」

…………えっ?」

 ユイがあつられたように唇を少し開けたまま、白い頰がぽっと赤く染まる。

「えっ……! えっと……それは、その……!! い、一体どういう意味でおつしやっていらっしゃるのでありますでしょうか……!?

 めちゃくちゃに視線を泳がせながら、日本語が怪しくなるほど動揺してるユイを見て、まるで自分が告白してるかのような状況に気付いて俺の顔も熱くなる。

「あ、いや、悪い……! その、今のは別に告白とかじゃなくて、聞いて欲しい話の前提っていうか……!!

「う、うん、わかった……!! ぜ、前提ね……!? 前提って話で……!!

 言い訳にもなってない言い訳をしながら、混乱してるユイと一緒にゆっくりと深呼吸を繰り返して「んんっ」と大げさに喉を鳴らして間を整え直す。

 ユイも顔を赤くして困りながらも、それでもちゃんと目をらさずに俺を見てくれている。

「その、ユイのことはそのくらい魅力的に思ってるけど……でもそれ以上に、俺はユイのことを大事にしたいと思ってるから。だから男女としてのことは何も心配しなくていいっていうか、純粋に旅行を楽しんで欲しいってちゃんと言っておきたくて……」

「夏臣……」

 ようやく俺の意図が伝わったユイがかすかに目を丸くする。

 正直なところ俺も男として好きな人に触れたい気持ちはあっても、この気持ちがどういうものなのかが分かってない。

 ユイ以外にはそんなこと思わないので、やっぱり好きだからこそ触れたいんだと思う。

 でも今はこういう気持ちを隠していることの方がユイを不安にさせてしまうと思うから。

「……だからこそ、ちゃんと話さないといけないんじゃないかって」

 ユイがさっきしてくれたように、お互いが笑ってうやむやにすることだって出来た。

 でもそうやってごまかすよりも、今の俺たちならちゃんと話をしておくことの方がユイを安心させてあげられると思ったから。

「ユイが俺のことを信じてくれてるからこそ、曖昧にしないでちゃんと俺の正直な気持ちを伝えておきたくてさ」

 何とか最後まで自分の胸の内を言葉にすると、長いためいきを吐き出しながら視線を落とす。

 最初の切り出し方でだいぶぐだぐだになってしまったけども、ユイに伝えたいことは何とか言葉に出来たと思う。

 うつむかせていた視線の先で、ユイが左手のブレスレットをそっと握るのが見える。

「……ありがと、夏臣。いつもいつも私のことばっかり考えてくれて」

 ユイの言葉で顔を上げると、優しく瞳を細めてぐに俺を見てくれていた。

く話せるか分からないけど……でも、私もちゃんと自分の気持ちを言葉にしてみるから。聞いてくれる?」

 少しだけ恥ずかしそうにしながら、ユイが小さな笑い声をこぼしてほほんでくれた。

 目を伏せてゆっくり細い肩を上下させると、しっかりと自分の気持ちを確かめるようにうなずいて顔を上げる。

「私、夏臣の前では自分でも子供っぽいなって思うんだ。私のカッコ悪いところも情けないところも、うれしいことも楽しいことも、夏臣は全部受け入れてくれるから。だからありのままの自分が止められなくて……」

 困ったように眉を下げながら、わずかに肩をすくめて見せる。

 普段は見せないようなユイの茶目っけに、思わず俺も驚いて微かに目が丸くなる。

「でもね、本当に子供なわけじゃないから……分かってるつもり。クラスメイトの男の子と二人きりで旅行に行くっていうことが、どれだけ『普通』じゃないかって……」

 ブレスレットに添えたユイの右手に少しだけ力がこもった。

 それでもユイは優しいほほみのまま、ゆっくりと自分の中の気持ちを確かめるように言葉にしてくれる。

「夏臣が私のことを大事にしてくれてるから……私が甘えてることを夏臣が『普通』にしてくれてるって分かってるけど……でもね。そこに甘えてでも私は夏臣と旅行に行きたいって思ってたんだ」

 ユイが自嘲するような困った笑みを浮かべながら、それでもちゃんと俺から視線を外すことなく続けてくれる。

「まだ私には男女のことはよく分からないけど……でも、夏臣が正直な気持ちを言葉にしてくれた誠実さは、誰よりもちゃんと分かってるから」

 大切なものをしっかりと抱き締めるように、ユイが柔らかいほほみを向けてくれる。

「だから、その……ありがとう、で……いいのかな?」

 慎重に言葉を選びながら、少し困ったように眉を下げて優しくほほんでくれる。

 自分の気持ちを伝えて楽になるのは自分だけで、もしかしたらユイの信頼を踏みにじって傷つけてしまう可能性もあった。

 それでもユイはちゃんと話を聞いて、しっかりと受け止めてくれた。

 少し前の関係だったらきっと、こんなことを話してもユイを困らせるだけだったと思う。

 今だからこそお互いにちゃんと信頼関係に変えられた事を良かったと思うと、よりユイが愛おしく思えてたまらなくなってしまう。

「いや、俺の方がありがとう、じゃないか」

「あれ、そうなのかな? いやでもやっぱり私の方が……ん~?」

 ユイが左右に首をかしげながら真剣に悩む。

 その愛らしい姿に俺が笑ってしまうのを見て、ユイも釣られるようにくすくすと声を漏らして笑ってくれる。

「じゃあ夏臣も私も、お互いにありがとうってことでいい?」

「そうだな、じゃあそうしようか」

 俺もユイと同じ左手首に着けているブレスレットに手を添える。

 きっとこれから何があっても、ユイとなら一緒に乗り越えて行けると、心の底からそう思いながらユイと一緒に笑い合う。

「急にごめんな。変な話を聞いてもらって」

「ううん。私は話してくれてうれしかったし……その」

「その?」

「……話してもらえて……全然、嫌じゃなかったから……」

 赤い顔を隠すようにユイがうつむいて肩を丸めると、長い髪がさらっとユイの表情を隠す。

 左手首のブレスレットをぎゅっと握り締めて、黒髪の隙間からのぞいた耳がかあっと赤くなる。

「ひ、ひとまず観光してみたいところに目星つけよっか! ね!?

「お、おう、そうだな! 電車のルートとかも調べないとだしな!」

 勢いよく赤くなった顔でまくしたてるユイに乗っかって、俺もスマホで勢いよく電車の経路を探し始める。

 ひとまずユイが言っていたことは置いておいて一緒にパソコンで観光情報を見ていくと、まずは現状で行ってみたいところに大雑把な目星だけ付けておいて、細かくは現地に行ってからその都度で考えようという話で合意する。

 それからお互いにそのままの勢いで、晩御飯の材料を買いに行くことにしたのだった。


◆   ◆   ◆


「で、旅行来週でしょ? 準備出来てるの? 足りないものはない?」

 私と夏臣の旅行を心配したソフィーからのビデオ通話を取ると、開口一番にがーっとまくし立てられる。

「大丈夫だってば。私だって子供じゃないんだから。それに何時だと思ってるの、もう」

「お昼の三時でしょ」

日本こつちは夜の十一時なの」

「あら、夏休みだからってあんまりかしすると美容に悪いわよ。ナオミに肌荒れてるなーって思われてもいいの?」

「夏臣はそんなこと言いませんー」

 私の言い分をスルーして、しれっと追加されたソフィーからの小言を鮮やかに聞き流す。

 整った容姿もさることながら、ソフィーはこういうマイペースな性格だからモデルなんて仕事で活躍出来るんだろうなあと思いながらも、一応はスマホに『かしは美容の敵』とメモをしておく。

「本当に心配しなくて大丈夫だよ。泊まるって言っても一泊だから荷物もほとんどないし」

「それでも心配に決まってるでしょ、私からすればまだまだ子供なんだし。普段からもっと私を頼ってくれてれば心配も要らないんだけど」

 冗談半分、真面目半分のジト目がディスプレイ越しに向けられる。

 ソフィーからはしょっちゅう国際郵便で色々な物が送られてくるし、留学関係の手配を全部してくれただけでもう十分に頼り切っているので、私にとってはこれ以上頼ることの方が難しい。

 とは言えちゃんと真面目に心配してくれてるのは分かるので、私も妹として安心してもらえるように真面目にちゃんと答えた。

「大丈夫。初めての旅行で不安だけど、夏臣と一緒にちゃんと確認してるから」

 今日は晩御飯の後に二人で観光名所も目星を付けたし、ホテルの予約も場所も、旅行に必要なものも確認したし、電車での乗り継ぎ経路もしっかりと確認してある。

 着替え、スキンケア用品、髪留め、スマホの充電ケーブル、ハンドタオルなどの小物たちは、前日に迷わず用意出来るようにリストにしてスマホにメモも抜かりない。

 夏臣はさらに何かあった時の薬とか、折り畳み傘とか、むしけまで必要かどうか悩んでいて、意外と細かくて心配性な一面が見れたのがすごくわいかった。

「さすがナオミね。大雑把なユイと違って頼りになるわ」

 かソフィーが満足げにうんうんとうなずく。

 普段からちゃんとしようと心がけてはいるものの、私も自分が割と大雑把な自覚はあるのでそこは反論出来ない。

 そもそも家事なんかろくにしたことがなくても日本に来ればどうにかなると思っていたし、食べ物なんて口に入れば何でもいいと思ってたからこそ夏臣と出会えたので、今では大雑把な自分も悪くないかなと思えたりもしてるけど。

 というか私からすると、夏臣とソフィーが気が細かくき過ぎるとしか思えない。

「そういう自分とは違う視点の人が近くにいるのは、とても大事なことなのよ」

「違う視点?」

「考え方が違うってことは、それだけ物を見る角度が違うってことだから。だからユイには見えないものが見えてる人はつまり、ユイの見える世界を広げてくれる人ってことよ」

「確かに、そう言われたら……」

「でも考え方が違う人と一緒にいるのは難しいから。だから違う視点の人と仲良く一緒にいられるっていうのはとても貴重で大事なことなの」

 そう説明されるとソフィーの言ってることがストンとに落ちる。

 夏臣との出会いは私にとって本当に大きなことだったから。

 こんなに私に深く踏み込んでくれた人も初めてだったし、こんなに優しくしてくれた人も初めてだった。

 初めての恋に落ちてしてしまうほど、私の世界を広げてくれた人。

 好きになっても好きになっても、もっともっと好きになってしまう人。

 ソフィーの言葉を実感して、恥ずかしい気持ちよりもうれしくて幸せな気持ちが胸からあふれて止まらなくなってしまう。

「ユイは本当に変わったわね。やっぱり恋をするとい顔になるわ」

「えっ……? それは、その……っ!

 ソフィーに恋心を指摘されて、思わずにやにやしていた顔が一瞬で崩れる。

 あまりにもナチュラルに核心を突かれ過ぎて、ここで何て答えればいいのか分からずに固まってしまう。

「今さら隠さなくて良いわよ。好きなんでしょ? ナオミのこと」

「あ……えっと、それは……その……はい……」

 真正面から切り込まれて、歯切れ悪く肯定することしか出来ずうつむいてしまう。

 自分の恋心を自覚したのは花火の時だけど、ソフィーの口ぶりだと私はもう大分前から夏臣のことが好きだったのかもしれない。

 私自身いつの間にか好きになってしまっていたので、外から見てたソフィーの方がそこは正しく把握している気がする。

「別に恥ずかしがることじゃないわよ、自然なことなんだから。それともナオミが好きっていう気持ちは胸を張れない程度の気持ちなの?」

「そ、そんなことない……!」

「だったら顔を上げなさい。人を好きになるのは素晴らしいことなんだから」

 ソフィーがいたずらっぽく笑い声を漏らしながら、画面の向こう側で大きくうなずいて見せる。

 みなとさんには胸を張って夏臣のことが好きって言えるのに、ソフィー相手になると何だかものすごく恥ずかしい。

 ずっと私のことを知ってるお姉ちゃんだからなのか、やたらと恥ずかしくてスマホのカメラに顔を向けられない。

「ナオミには感謝してもし切れないわね。私のわいいユイを支えてくれた上に、恋まで教えてくれちゃうなんて」

「それは、うん……私も、そう思ってるけど……」

 遠慮のないソフィーの速度感について行けずまごまごしてる私を、画面越しにソフィーが指先でちょんと突いてから肩をすくめる。

「いい、ユイ? 自分を好きになれない人は、誰かを好きになることも出来ないのよ。だから私はユイに好きな人が出来たことも、ユイが自分のことを好きになってくれたのも本当にうれしいわ」

「ソフィー……

 ソフィーの言う通り、私は私のことが好きじゃなかった。

 正確に言えばイギリスに行ってからは自分が嫌いで仕方なかった。

 しやべれないことも、く笑えないことも、友達が作れなかったことも、他人を信じられなかったことも。

 何を見てもいろせて見えていて、何も出来ないままただ時間だけが過ぎて行って、それでも何も出来ない自分が嫌いで仕方がなかった。

 でも日本に来て、夏臣と出会ってから少しずつ変われたから。

 夏臣がそのままの私を受け入れてくれるから、思ったことを口に出来るようになった。

 夏臣が笑ってくれるから、私も笑えるようになった。

 夏臣がどんな私でも肯定してくれるから、私も自分のことを否定しないでいられるようになった。

 夏臣のお陰で、私は私のままでいんだと思えるようになった。

(私が夏臣のことを好きになったのは、夏臣が私自身のことを好きにならせてくれたからだったのかな……)

 ソフィーの言葉が胸にみ込んで来て、同時に夏臣への愛おしさで涙があふれそうになってしまうのをぐっと我慢する。

「だから好きなことを恥ずかしがることなんかないのよ。その気持ちに胸を張りなさい」

「うん。ありがとソフィー。そう言ってくれてうれしい」

 こぼれてしまいそうな涙をパジャマの袖で拭いながらソフィーにお礼を伝える。

 はぁと大きく深呼吸をすると、何だかすごく楽になって自然に穏やかな笑みが浮かんだ。

「まだまだ子供なんだね、私って」

「だからそう言ってるじゃない。ようやく分かってくれた?」

 あはは、と電話越しにお互いの笑い声が重なった。

 ずっと私のことを気にかけてくれてたソフィーとも、ここに来てようやくちゃんと向き合えたような気がする。

 ……いや、ソフィーはきっとずっと私のことを見てくれてて、私の方がようやくちゃんと向き合えるようになったんだ。

 ソフィーの言う通り今更ではあるけども、本当に自分が変われたことがうれしくて、ソフィーともっと話がしたいなぁと思って天井を見上げる。

「ね、ソフィーも誰かを好きになったことあるの?」

「あるわよ。じゃなかったらユイの応援なんて出来ないでしょ」

「そうなんだ。ソフィーはずっと恋人いないって言ってたから意外」

「恋人はいなくても誰かを好きになったことはあるわよ。今はもう素敵な思い出だけどね」

 ソフィーがわずかに眉を下げて優しく目を細める。

 私の憧れの女性像であるソフィーでもかなわない恋があったんだ。

 それがどんな恋だったのかは分からないけど、でもそれをちゃんと受け入れて素敵な思い出と言えるソフィーが今の私の目にはとてもカッコ良く映る。

「イギリスにいた頃よりも、今の方がユイとちゃんと話が出来るようになるなんてね。ナオミにはほんとかされちゃうわ」

「そのチャンスをくれたのはソフィーだよ。今更だけど本当に感謝してる。Sophia, Thanks a lot(ありがとう、ソフイー).」

It was my pleasure, Yui(どういたしまして、ユイ).」

 さっきと同じように私とソフィーの笑い声が重なった。

 画面越しに見えるソフィーの笑顔は今までで一番優しくて、自然で彼女らしい笑顔がすごくうれしい。

「まぁ初めての旅行を楽しんで来なさい。ただし、好きな相手とは言え節度は守ること。いいわね?」

「大丈夫だよ。夏臣はそんな人じゃないから」

 さっきも夏臣が真摯に向き合ってくれたことを思い出して、その誠実さでにへらっと顔が緩む。

 でも画面の向こうではソフィーが肩をすくめてためいきを吐き出した。

「ナオミは大丈夫よ。年齢の割にわいげないくらい出来たオトコだし、そこらへんは心配してないわ。私が心配してるのはユイの方よ」

「え? 私?」

 ソフィーに言われてる意味が分からずに首をかしげる。

「いやだってあんた、結構勢いでいっちゃうタイプでしょ。だからナオミじゃなくてユイが心配で言ってるのよ」

「勢いって……えっ? そんなことは……」

 ソフィーの中では男の子の夏臣よりも私の方が心配らしく、ほおづえを突きながらこれ見よがしなためいきを吐き出して指を向けられた。

 そんなことはないでしょと思って、これまでの思い出を思い返してみる。

(確かに熱を出した時も、結構遠慮なく夏臣のこと触っちゃったりしてたかも……)

 スキンケアしてあげた時も楽しくなって止められなくなっちゃってたし、花火大会の時も張り切って浴衣ゆかた着て行ったのも私だし、海の時もラッシュガードを脱いで手をつないだのも私からだったし……。

(……あれ? 確かに私からのアプローチ、多くない……?)

 そう思うと小さな思い出たちも思い当たる節があり過ぎて、ソフィーに何も反論出来ずに前髪をいじりながら顔を隠した。

「まあそういうところもユイのわいいとこだし、ユイにそれだけ好きになってもらえて嫌に思うオトコがいるわけないわ。そこは私が保証してあげるからしっかり自信持ちなさい」

「はぁ……まぁ、うん、ありがと……」

 褒められてるのかダメ出しをされてるのか分からない感じで、ソフィーがふふんと満足げに鼻を鳴らす。

 自信を持てと言われても、むしろ知らなかった自分と直面して参ってしまう。

(夏臣にも結構大胆な女の子とか思われてたら……)

 いやまぁでもそこも含めて受け入れてくれてるわけだから……いいの、かなぁ……?

 複雑な気持ちになりながら頭を抱えてしまう。

「ユイは計算も駆け引きもなしで素直なのがいんだから、アレコレ考えないで節度を守るように」

「はい、出来るだけ善処したいと思います……」

 応援してるのか制止してるのか分からない言葉に濁した曖昧な返事をする。

(ハッキリと言葉にしてくれるのがソフィーのいところだけど、その分デリカシーがない時もあるから──)

 と、思ったところでふと気付く。

「……あの、ソフィー? もしかして、夏臣にもそんなこと言ってたりは……」

「あ、ごめんねユイ、マネージャーから着信だわ。それじゃまた連絡するからBye(またね)♪」

「あ、ちょ……! ソフィー……っ!!

 爽やかな笑顔で手を振るソフィーの映像が途切れて、画面には通話終了の文字が表示される。

 それからがっくりとうなれてスマホを枕元に落とす。

(これは夏臣にも同じようなこと言ったんだろうなぁ……)

 今さらながら恥ずかしさが込み上げて枕に顔を埋めて足をばたばたさせる。

 そしてすぐにスマホにソフィーからのメッセージ。

『ユイの初旅行のお土産も、夏臣との土産話も期待してるわ。いってらっしゃい』

 悪びれのないソフィアらしい文面に思わず苦笑いが浮かぶ。

「もう……ほんとにマイペースなんだから……」

 ひとまずブサネコの了解スタンプで返事をして、スマホを枕元に置いて部屋の天井を見上げる。

「……私、自制しないとダメなのかなぁ」

 さっきの思い当たる節を思い出せば思い出すほど恥ずかしくなって来て、枕を顔の上で抱きかかえたままもう一度足をじたばたさせる。

 ひとしきりもだえて暴れた後、ぱたんと足を投げ出して天井に長めのためいきを吐き出してつぶやく。

「でも、夏臣だって……ちゃんと笑ってくれてたもん……」

 まだほとんど初対面の時に勢いで手作りクッキーをお返しした時だって。

 イースター礼拝の打ち上げの帰りにブレスレットをプレゼント交換した時だって。

 ウェディングドレスとタキシードでヴァージンロードを歩いた時だって。

 スキンケアをしてみようって提案した時も。

 衣替えの時にブレスレットは着けたままにしようって言った時も。

 花火大会にサプライズで浴衣ゆかたを着ていった時も。

 旅行に行きたいとお願いした時だって。

(……自分のことながら、思い当たる節だけでも結構あるなぁ)

 しみじみそう思いながらも、同じだけ夏臣が優しく笑ってくれた顔も思い出せる。

「……二人で楽しく過ごせれば、まぁいっか」

 たくさんのほほましい思い出に包まれながら、細かいことはもう横に置いて一人ベッドの上でにへらっと顔を緩ませながらそうつぶやいた。