2章 ラヴとライク


「何で同じ意味なのにいくつも単語があるの……全部統一してよも~……」

 放課後。最寄り駅の近くにあるファミリーレストランのボックス席で、みなとさんが頭を抱えながら彼女らしくないよどんだためいきを吐き出していた。

 普段は余裕のあるカッコいいたたずまいの湊さんがだらしなくテーブルに突っ伏したまま、目の前に広がっている英語の教科書と問題集を面倒くさそうにそっと閉じる。

「ここで頑張らないと、夏休みが補習で埋まっちゃうんですよね?」

「それは分かってるんだけどさぁ……」

 湊さんが不満げに唇をとがらせながら、ドリンクバーから持って来たアイスコーヒーをちびちびと傾ける。

 珍しく駄々をこねている湊さんがわいくてつい許してしまいそうになるけども、今は頼られてる先生として甘やかすわけにはいかない。

 えて心を鬼にして背筋をしゃんと伸ばす。

「夏休みにすずもりさんと一緒に働ける時間が減っちゃいますよ?」

「それは……良くない、けど……」

 気まずそうに頰を赤くしながら、仕方なく身体からだを起こした湊さんがもう一度問題集をぱらぱらとめくってシャープペンを手に取る。

(恋にけなな湊さん、すっごくわいいなぁ……)

 好きな人のために苦手な勉強を頑張っている湊さんがわいらしくて、思わずにやにやと緩んでしまう口元をティーカップで隠しながらその姿を見守る。

「私も友達として出来る限り協力しますから。一緒に頑張りましょう」

「ほんとに助かるよ、ありがと」

 参ったように眉を下げながらも、湊さんがちゃんと投げ出さずにペンを進ませていく。

 こんな感じで私と湊さんは放課後の勉強会の真っ最中だった。

 というのも、発端は昨日の夜にさかのぼる。


◇   ◇   ◇


「ん~アジってこんなにしかったんだね。ほんとおみのごはんはいつもしいなぁ」

 昨晩もいつものように私は夏臣の部屋で晩御飯にしたつづみを打っていた。

 旬の魚であるアジが安売りをしていたので今日の食卓はアジづくし。

 アジのお刺身はもちろん、フライにムニエル、豪勢にたたきまで並んでいる。

 そして余ったアラはおしるという余すことないアジのフルコース。

 夏臣が作ってくれた薬味たっぷりのたたきを頰張ると、さっぱりした味わいの中でアジの脂とうまが広がってごはんが進んでしまう。

 イギリスで生魚を食べる機会はなかったので、十七歳にして初めてお刺身のしさに感激していると夏臣が思い出したようにつぶやいた。

「そう言えばけいから聞いたんだけどさ。あいざわ、期末テストが赤点まみれで追試らしいぞ」

「赤点まみれって……湊さん、そんなに勉強不得意なんだ」

「藍沢が勉強好きには見えないしな」

 夏臣が苦笑いを浮かべながら特製のタルタルソースをふんだんに載せたアジフライを口に運ぶ。

 ちなみに私と夏臣の期末テストの結果は、学年順位で言うと夏臣が九位で私が七位。

 夏臣が特待生、私は交換留学生という肩書があるので、お互いにある程度の成績維持が求められる。

 なのでこれは二人とも普段から真面目に授業に取り組んでいる成果だなと思う。

 東聖学院は県内でもそれなりの進学校のため、求められる学力の水準はおのずと高くなる。

 湊さんはサックスプレイヤーになるという目標がハッキリしてるし、本来であればもっと時間を自由に使える学校に行く選択肢もあったはず。

 それでも好きな人と同じ高校に入りたくて頑張ったということを私は聞いているので、複雑な気持ちを胸の中でくすぶらせながら薬味たっぷりのアジのお刺身を頰張った。

 うーん、言葉にならないほどしい。

 あまりのしさに気を取られていると、ポケットの中のスマホがヴヴヴとメッセージを受信して震えた。

 差出人を見ると『藍沢 湊』。

 タイムリーな差出人に驚きつつメッセージを開く。

『あのさ、勉強教えてくんないかな』

 まさにタイムリーな話題に驚いていると、すぐに続きのメッセージが送られて来る。

『このままだと夏休みが補習で埋まっちゃって、バイトも入れなくなっちゃうから』

『うちが頼れるの、ユイくらいしかいなくて。お願い』

 そのメッセージを見て私の中の使命感がぐわっと燃え上がる。

 友達が私のことを頼ってくれた!

 友達のために私なんかが役に立てる!

『任せて下さい! 私が力になります!』

 湊さんのお願いに即答でメッセージを打つと、テーブル向こうの夏臣が不思議そうに首をかしげながらアジのしるをすすっていた。


◇   ◇   ◇


 そして翌日。湊さんの勉強会を開催するべく、放課後に待ち合わせてファミリーレストランへと来て今に至っていた。

 私にとっては初めての『友達と放課後のファミレス勉強会』。

 少し憧れがあったその響きに浮付いてしまいそうな自分を、今は湊さんの力になるためにぐっと自制心を働かせて湊さんのさっきの質問に答える。

「確かに意味が同じ単語はありますけど、使い方やニュアンスが違うんですよ」

 例えば『大きい』という言葉でも、『big』、『large』があって、類義語まで広げると『huge』、『great』という言葉も同じ意味になる。

 一般的な使い分けとしては、『big』は自分の感覚で見た主観的な大きさで、『large』は一般的な感覚で見た客観的な大きさを表すことが多い。

 さらに他にも大きさを表現する言葉はあるし、同じ物でも別の呼び方があったりする。

「でもそれは自分の言葉や気持ちを正しく伝えるために、色々な言葉が必要なんです。それは日本語でも同じじゃないですか?」

「正しく伝えるために……」

 湊さんが頰に手を当てて考え込んだ後、険しい表情からふっと力が抜けて肩をすくめる。

「そうだね。それならしょうがないか」

「はい、仕方ないことです」

 私の言葉に納得して、困ったようなほほみで小さなためいきを吐き出した。

 それから「よしっ」と両頰をぱちぱちとたたいて湊さんが問題集に向かい直す。

(……やっぱり湊さんは素直な人だな)

 この間のライブで出演するミュージシャンとめてしまったり、湊さんは自分の芯が強い分、融通がかせられない部分もあるんだと思う。

 でもだからこそこうやって素直に認められる強さも持っていて、夏臣や私のこともしっかりと認めてくれた。

 私はそんな湊さんが好きだなと改めて思いながら、暖かな気持ちで問題集に頭を悩ませる湊さんを見つめる。

「ごめん、ユイ。ここ教えて」

「はい、ここはですね……」

 湊さんの隣に移動して、教科書をのぞき込みながらひとつひとつ勉強を手伝っていった。


◇   ◇   ◇


「もう六時なんですね。ちょっと休憩しましょうか」

 スマホの時計を確認してそう提案すると、魂が抜けたように湊さんの身体が席の背もたれにずるずると沈み込んでいく。

「湊さん、大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫……思ったよりユイって厳しいんだね、はは……」

 持ち上げた右手を力なくぶらぶらさせながら限界ぎりぎりの返事。

 言葉や態度のキツい教え方ではないけども、にこにこ笑顔で妥協を許さない方針に湊さんが空笑いを漏らしていた。

 いくら友達のためとは言え、ちょっと厳しくやり過ぎてしまったかもしれない。

(ううん、でも私を頼ってくれた湊さんのためだから仕方ないの、ごめんね……!)

 思わず甘やかしてしまいそうになる心をビッと引き締めて、改めて両手をぐっと握って気合を入れ直す。

 それを見ていた湊さんが苦笑いを引きつらせながら、冷め切ったコーヒーを口に付けて乾いた笑いをにじませた。

「ユイはすごいね。うちと年変わらないのにバイリンガルなんて」

「すごくなんかないですよ。私は覚えるしかなかっただけですから」

 一緒に暮らしていたお母さんがくなって父のいるイギリスへと引き取られた時、向こうで暮らすために必死に英語を勉強しただけのことだ。

 みんなとコミュニケーションを取るために頑張ったけど、でもあまり役には立てられなかったことを思って苦笑いで紅茶を傾ける。

「……ごめん。うち、すごい無神経なこと言ったね」

 湊さんには私が日本に来た経緯を簡単には説明してあるので、湊さんが一瞬はっとしてから申し訳なさそうに肩を丸めた。

「大丈夫ですよ。もう過ぎたことですから」

 そう、もう今では前のことだと本当に思える。

 四ヵ月前まで暮らしていたイギリスでの生活も、居場所のなかった思い出も、感情を止めていた日常も、今はもう遠い昔のことのように思えていた。

 あんなにも過去にとらわれてしまっていた自分が、今は否定することも拒絶することもなく穏やかに笑っていられる。

 左手首のブレスレットに右手を添えると、そこに感じるぬくもりに頰が優しく緩んでしまう。

「それに今はそのお陰で大事な友達の力になれるんですから。むしろあの時に頑張って良かったなって思います」

「ユイ……」

 確かにつらいことも苦しいこともあったけど、でも今はそれも優しい気持ちで受け入れられる。

 本当に夏臣のお陰。

 そう思うだけで胸の奥が暖かくなって、作り笑いじゃない自然な笑みが自分の口元に浮かぶのが分かる。

 それを見た湊さんも、自分の失言を申し訳なさそうにしながら笑顔を見せてくれる。

「人を好きになるってすごいね。そんなに変われちゃうなんてさ」

「はい、そうですね。自分でも驚いてます」

 夏臣本人に感謝を伝えても、『変わろうとしたのはユイ自身だろ』なんて言うだろうけども。

 でも本当に夏臣には感謝をしてもし切れない。

 こんなにも優しく前を向かせてもらえたら、そりゃあ好きになってしまうのも仕方ないと思いながら顔がにへらっと緩んでしまう。

 そんな私を湊さんがほおづえを突きながら楽しそうに私をのぞき込む。

「どうしたんですか?」

「恋する乙女って、こういう顔のこと言うんだなって」

「こういう顔って……」

 すぐに自分の顔が緩み切っていることに気付いて、慌てて口元を引き締める。

 そんな私を見ていた湊さんがくすくすと笑い声をこぼした。

「それも『like』と『love』の使い分けってことかな」

「日本の方が思うほど日常的に『love』は使わないですけどね」

 熱くなったままの顔でそう返事をすると、湊さんが笑いながら空になったコーヒーカップを持ってドリンクバーへと席を立った。

 その背中を見送りながら、もうぬるくなったアイスティーを傾けて身体を落ち着ける。

「……自分の気持ちを正しく伝えるために、か」

 一人残されたボックス席で、さっき湊さんに伝えた言葉を確かめるようにつぶやく。

『like』と『love』の違い。

 映画や物語では『love』という表現が良く使われる。

 けど、だからと言って『like』は決して軽い意味で使われるわけではなくて、告白の時や恋人同士でも十分に使われる言葉。

 日本語で言えば『好き』と『愛してる』の使い分けと同じようなニュアンス。

 私は日本語と英語、どちらの意味もちゃんと理解してるけど……。


「……『I' m in love with you(私はあなたに恋をしています).』」


 そうつぶやいただけで、にへらっと表情が崩れてしまう。

 胸の奥が暖かくなって、身体からだが甘苦しくぎゅっと締め付けられる。

 さっき湊さんに見られてた時以上に崩れてしまっているにやけ顔を、テーブルの上に組んだ腕に突っ伏して周りから隠す。

(私、ダメだなぁ……)

 自分の気持ちを確かめるだけでこんなにも浮かれてしまう。

 緩みの止まらない顔を腕の中に隠していると、左手首のブレスレットが目の前に見えてまたにやけさせられてしまう。

 もう自分が浮かれてしまうことを半分諦めていると、テーブルの上に置いてあったスマホがヴヴヴと震える。

「「わぁっ!?」」

 ビクッと跳ねた私と湊さんの声が重なった。

 湊さんがおかわりしてきたコーヒーをこぼしそうになりつつ、胸に手を当てて切れ長の目を真ん丸くして私を見ている。

「な、何……? ど、どうしたの……?」

「あ、いえ……! 夏臣からの連絡でした……!」

 そう説明しながら慌ててスマホのメッセージアプリを開く。

『晩飯はどうするんだ?』

 それを見て「あっ」と開いた口元に手を添えた。

 今日は湊さんと勉強会をすることは伝えたものの、こんな時間になるとは思っていなかったので、晩御飯の連絡をし忘れていたことに今更ながら気付く。

「もうこんな時間だし、後は自分でやれるから大丈夫だよ」

「いえ、でもまだ他の科目がありますから……」

 夏臣からの連絡内容を察した湊さんがそう言ってくれるものの、現状はまだ英語以外の科目には手を付けられていない。

 湊さんの頑張りで英語はが付きそうだけども、それだけじゃまだ湊さんの夏休みに明るい展望は見えない。

 それに友達として頼ってもらったからには、私も出来るだけ力になりたいし……。

 あごに手を当てて考え込むと、ひとつの妙案が頭に浮かぶ。

「湊さん。帰る時間は遅くても大丈夫ですか?」

「え? あ、うん。うちは別に大丈夫だけど……」

「分かりました。では提案があります」

 不思議そうに首をかしげる湊さんに向けて、胸に手を当てながら大きくうなずいてそう口にした。


◆   ◆   ◆


「夏臣、ただいまー」

 玄関からいつもより少し元気なユイの声が聞こえて、それから二人分の足音が我が家のリビングへと入って来る。

「よ、いらっしゃい」

「……ども」

 キッチンで寸胴鍋の中身をかき混ぜながら挨拶をすると、湊がやや気まずそうにしながらしやくを返してくれる。

 ユイが目を閉じてくんくんと鼻を鳴らすと、にっこりとほほみながら小さくうなずく。

い匂い。今日はシチュー?」

「当たり。ビーフシチューだぞ」

「お肉、半額だった?」

「ああ。ユイのくれた情報通り半額だったから今日は肉大盛りだぞ」

「ん、やったね」

 満足そうにユイが声を弾ませながら湊にとんを出すと、ぎわ良くいつもよりも一セット多い食器をテーブルの上に並べてくれる。

 湊も何かを手伝おうとするが、ユイに「ゲストなんだから」と制止されて手持無沙汰にユイの様子を眺めていた。

「この後も勉強するんだろ。大した晩飯じゃないけど遠慮なく食べてってくれ」

 そう声を掛けながら、カレー用の皿に盛ったビーフシチューを湊の前に置く。

 我が家の食卓はあくまで一人暮らし用のローテーブルなので、普段ならユイと二人分でもやや窮屈だけども、今日はシチューとパンだけなので三人でちょうどくらいだった。

 たまたま今日がシチューで良かったと思いつつ湊にスプーンを手渡す。

「口に合うなら遠慮せずにな」

「慶からもユイからも、大した腕前だって聞いてるけど」

「どうだかな。それは藍沢が食べてから決めてくれ」

 過分な身内びいきに苦笑いで返しながら、ユイが並べてくれたコップに作り置いたお茶を注ぐとちょうどユイも食卓に着く。

「今日もありがとね、夏臣。いただきます」

 ユイがスプーンを持って手を合わせると、まだ緊張で表情の硬い湊もスプーンでシチューをすくって口へと運ぶ。

 味に集中するように視線をうつむけながら小さな口を動かすと、湊の目がゆっくりと丸くなった。

「……え、し」

 それから味を確かめるようにもう一口シチューを口に運んで、今度はしっかりと味わうように口を動かす。

 今日のビーフシチューは小麦粉でコーティングした牛のスネ肉とほほ肉を焦げ目が付くまでしっかり焼いて、うまを引き出したところを赤ワインと香味野菜で煮込んだ。

 それから具材となる野菜から出た水分を使って、後はひたすら煮込んでませたので味もしっかり濃厚で栄養も抜群だ。

「だから言ったでしょ? 夏臣の作る御飯はしいって。んーおいしー♪」

 ユイが得意げな笑みを浮かべつつ、シチューを口に含んでは頰を押さえて幸せそうな声を上げる。

 ユイに誇らしく思ってもらうのはうれしい半分、身内びいき過ぎて恥ずかしい半分だけど、相変わらずのたんなきドヤ顔がわいい。

 俺も千切ったパンをシチューに浸して口に放り込むと、手間をかけたなりに我ながらい出来だった。

「これヤバいね。かたぎりめちゃくちゃ料理いじゃん」

しろうと料理だけど藍沢の口に合ったなら良かったよ」

「これが口に合わない人の方が少ないでしょ」

 相変わらずの素直じゃない褒め方が藍沢らしさだよなと思いながら、口に運ぶ度にしそうにうなずいてくれる湊の横顔に口元を緩める。

「慶は去年ずっとこんなしいごはん食べてたんだ」

「お世辞にもしいとは言えない頃から、数え切れないくらいな」

 俺がそう答えると、湊の表情が緩んで笑顔をのぞかせてくれる。

(……やっぱり藍沢も慶のことならこんな笑い方もするんだな)

 ようやく見れた湊の自然な笑顔で俺の方も肩の力が抜けるのが分かる。

「こんなの毎日食べてるとか、ユイは幸せ者だね」

「はい、知ってます。私が幸せ者過ぎる自覚はありますので」

 湊の遠回しなめ言葉に、ユイがドヤわいく笑顔でうなずいて同意する。

(毎日こんなに幸せそうに俺の作ったものを食べてもらえる方が幸せなんだけどな)

 そんなことを心の内で考えながら、しそうに食べてくれる二人を眺めて俺もシチューを口に運んだ。


◇   ◇   ◇


「ごちそうさま。お世辞抜きでしかったよ」

 湊が食後のコーヒーを傾けながら改めて感想を口にしてくれる。

「満足してもらえたなら何よりだ」

 その満足気な表情を見て一安心しつつ、俺もユイがれてくれたコーヒーに口を付ける。

 料理はこだわって作っているので、食べた人に満足してもらえるのはやっぱりうれしい。

 そしてユイは『今日の片付けは私がやるから!』と妙に張り切っていて、使い終わった食器を丁寧に洗ってくれている。

 髪を後ろにくくってれた手つきで洗い物をしてるユイを眺めながら湊がぽつりとつぶやく。

「もう一緒に暮らしてるカノジョにしか見えないね」

 そのつぶやきにどんな顔をしていいか分からないままコーヒーを傾ける。

「……やっぱり『普通の友達』には見えないか?」

「『普通の友達』は毎晩一緒にごはん食べないし、浴衣ゆかたまで着て花火大会にデートとか行かないし、二人で旅行なんて話に絶対ならないでしょ」

「それはまぁ……そうだな」

 湊らしいド直球なあきれ顔に返す言葉もなく同意する。

 もちろんこの関係はあくまで『俺とユイの普通』であって、一般的な価値観での『普通』には当てはまらないことは自覚している。

 自分の好意を自覚する以前から、俺だってユイ以外とこんな『普通』はあり得ない。

 当然今でもそれはそれでいと思ってるので、湊から普通ではないと言われてもまぁそうだろうなとしか答えられない。

「ま、いんじゃないの。だってもうユイはあんたにとって『特別』なんでしょ」

「藍沢……」

 湊が口にしたシンプルな答えがすとんとに落ちる。

 確かに湊の言う通り、俺にとってのユイは特別だ。

 特別だからこそ好きになったんだと思うし、俺にとっての特別ならなおさら他人の基準なんて関係ない。

 単純過ぎる湊の答えに、細かいことを気にしていた自分がしくて思わず笑い声が漏れてしまう。

「ユイはうちの大事な友達なんだから、片桐がしっかりしてよ」

「ご忠告、ありがたくいただくよ」

 湊も俺と同じように笑いながら、すっかり力の抜けた肩をすくめて見せる。

 やっぱり湊と慶はおさなじみだからか、似た者同士のひようひようとした世話焼きなんだなと改めて思う。

「あと泊まりOKしたからって、変な勘違いしないようにね」

「そんなこと考えてないから大丈夫だ」

「男のクセに?」

「男のクセに、だ」

「それでこそ片桐らしいけど」

 湊がしそうに声を出して笑っていると、洗い物を終えたユイが俺たちを見て不思議そうに首をかしげる。

「何の話をしてるんですか?」

「片桐はブレないねって話」

「夏臣さんが? ん?」

 きょとんとしながら俺と湊を見比べて、ユイが青い瞳をぱちぱちとまたたかせた。

 俺もユイに食後のコーヒーをれてあげようと、入れ替わりでキッチンに向かってその追及から逃れる。

「じゃあ勉強の続きは私の部屋でやりましょう。私も出来る限り力になりますので」

「その、親身になってくれるのはありがたいんだけど……お手柔らかにお願いね?」

 前のめりなユイに反して、やや引いた感じで湊が苦笑いを浮かべる。

 その引きつった苦笑を見て、ユイは責任感の強さと友達に頼ってもらった使命感で、きっと容赦なく一生懸命に付きっ切りなんだろうなあと湊の苦労を察した。

 でもその愚直なまでのぐさがユイのいところなので、俺に取ってはわいらしいところなんだけども。

「後で差し入れでも持ってくから頑張れよ」

「ほんと? 朝までかかるだろうしうれしいな。ありがと、夏臣」

「えっ? 今から朝まで? ユイ、それ本気で? えっ?」

 予想外の言葉に分かりやすく湊がうろたえた。

 が、ユイがやる気にあふれた笑顔で両手をぐっと握って見せる。

「はい、湊さんが追試をクリア出来るようになるまで、しっかりお付き合いしますからね。大事な友達のために」

「あ、そう……それは、その……ありがと、ね……」

 やる気をみなぎらせているユイを見た湊が、『終わった……』と言わんばかりの空笑いを漏らして、背中を押されるがままにユイの部屋に連行されていく。

(あの様子ならお菓子とかよりも、夜食の方が良さそうだな……)

 俺の方はそんなことを考えながら、冷蔵庫の中にある食材で何が作れるかを考え始めた。


 そして後日の昼休み。

「湊のやつ、追試が全部合格で補習なしになったらしいぞ。ヴィリアーズ嬢すげぇなあ」

 慶がしそうに笑いながら湊の結果を報告してくれた。

 ちなみにユイは教室に見当たらないので、恐らく湊のところで直接吉報を聞いてるんだろう。

「二人とも相当頑張ってたみたいだし、努力が報われて良かったな」

「湊が勉強を頑張ったなんて、長い付き合いのオレでも初めて聞いたぞ」

 けらけらといつもの軽い調子で慶が笑い声を上げる。

 それから俺に顔を寄せて愉快そうな小声でささやいた。

「それでヴィリアーズ嬢の優しいスパルタがめちゃくちゃ堪えたらしくてな。普段からもうちょっと勉強を頑張ることにしたって」

「そりゃあ効果てきめんで何よりだな」

「まったくだ」

 あの湊でもユイの素直さにはかなわないんだなと笑っていると、スマホにユイからご機嫌なブサネコの動くスタンプが送られて来たのだった。