1章 似た者同士は面倒臭い


 昨日の中華街での一件から翌日。

 週明けの学校、昼休みの教室で俺が購買のカツサンドをかじると、前の席に座っている友人のすずもりけいが机の上に身を乗り出して来た。

「で、どうだったんだ花火大会は」

 あふる野次馬心を隠そうともせず、にこにこと楽し気な笑顔で俺にそう尋ねてくる。

(……ついに来たか)

 俺の隣の席に座っているユイも昼休みでどこかへ離席してるし、今が話をするチャンスだと思ったんだろう。

 まぁそもそもユイを誘って行ってこいよと花火大会のチケットをくれたのが慶なので、ちゃんと報告はしないとなとは俺も思っていた。

 しかも花火が一番良く見える特別観覧席のチケット。

 そのお陰でユイと花火大会のデートにも行けたわけだし、浴衣ゆかた姿のめちゃくちゃわいいユイも見れたし、自分の初恋を自覚するきっかけにもなった。

 今まで全く色恋沙汰がなかった俺の様子を楽しまれてるだけのような気もするが、色々とありがたいアドバイスもしてくれるし、大きなお節介を焼いてくれた友人に当日の簡単なあらましを説明する。

 もちろんある程度の恥ずかしい部分は省略しつつ。

「なるほどねぇ。まぁ色々と楽しめたわけだ?」

「……まぁ、お陰様でな」

「恋愛にまるで興味なかったおみがアオハルしてるなんて、マジで感動もんだなぁ」

 いつものようにけらけらと笑いながら慶が満足そうにうなずく。

 慶とは高校に入ってからの友人で、かれこれ一年以上は一緒にいることになる。

 でも確かに恋バナに属する話題が出ることはなかったので……まぁ非常に照れ臭い。

 別に好いたれたは悪いことでも恥ずべきことでもないと思うし、ユイが好きだという自分の気持ちにはもちろん胸を張れる。

 が、それでも照れ臭いものは照れ臭い。

 居心地の悪さに顔をしかめながら、パンと一緒に買って来たパックのコーヒー牛乳をずるずると飲んでごまかす。

「で、その福引が当たった後はどうしたんだ」

「中華街で点心食べ歩きして帰って来た」

「いやそうじゃなくて」

「いや、だからまぁ……そのままの意味なんだけど」

「は? そのままって……」

 俺が気まずく顔を背けながらコーヒー牛乳をすすっていると、慶が『あっ、察し』という顔でけらけらと笑った。

 それは言葉のままの意味で、その後は旅行の話をしないまま中華街で昼食を食べ歩いて帰った。

 ユイとはひとまず後でと仕切り直したわけだったが、中華街のメインストリートで屋台の点心を食べ歩いてる内に、俺たちはいつも通りに楽しく過ごしてしまっていた。

 その後の中華街をぶらついていた時、帰り道の電車の中、帰り道、晩御飯の後。

 俺は何回もその話を切り出そうとはしたが、またお互いに答えが出せない沈黙になるのが目に見えていたので、その話題を出せないまま今に至ってしまっていた。

 恐らくはユイも俺と同じような感じで、向こうからもその話を振って来ることもなかった。

 そんな状況を理解してくれた慶が肩をすくめて短いためいきを吐き出す。

「で、いつまで避けてんだ、その話題」

「いつまでって……」

 慶のド直球な正論に、ぐうの音も出せずに顔をらす。

 このまま時間がてばつほど話題に出しづらくなるし、旅行自体の申し込みのタイムリミットだってあるのは俺にも分かってはいる。

 そもそも俺の意志だけで言うなら、確認するまでもなく『行きたい』だ。

 でも一晩考えてみても、恋人でもない今のユイを旅行に誘えるだけの理由が俺には見つけられなかった。

「俺の気持ちだけの問題なら簡単なんだけどな……」

 何とかその一言だけを絞り出して窓の外に目を向ける。

 外は夏らしい快晴で、高く積みあがった雲がゆっくりとたたずんでいた。

 その陽の光で、左手首に着けているユイとおそろいのチェーンブレスレットが一瞬だけきらめく。

 花火大会の夜、俺はユイのことが好きだと気付いた。

 もっと一緒にいたいし、もっとユイのことを知りたい。

 色々なところに行ってユイの喜ぶ笑顔が見たいし、もちろん旅行にだって一緒に行きたい。

(……でも好きだと自覚したからって、その好意をユイに押し付けたくはないよな)

 俺が好きになったのは、今のありのままのユイだから。

 だからこそ俺の好意でユイを振り回したら、それは俺がユイらしさを奪ってしまうことになるし、ユイも俺のことを特別だと言ってくれる信頼関係を崩した上に、ユイの居場所まで壊してしまうかもしれない。

(自分でも面倒な性格をしてるとは思うけど……)

 でもこれが一晩かけて整理した素直な俺の気持ちだった。

「ま、何よりも相手第一なとこは夏臣らしさだとは思うんだけどな」

 慶が両手を後ろ頭に回しながら、軽い調子で笑いつつ俺に視線を向ける。

「でもヴィリアーズ嬢だって特別な相手だからこそ、ちゃんと話してもらいたいってこともあるんじゃないのか?」

 けらけらとなつっこく笑いながら、相変わらず鋭いことを言われて怯んでしまう。

 もちろん俺とユイの関係は最初の頃よりも大分近づいている。

 前みたいな遠い距離だったら、黙って察してあげるお節介も必要だと思う。

 でも確かに慶の言う通り、今ならどんなことでもちゃんと話し合って、その上で一緒に考えられる信頼関係がある。

 例えばユイが俺と同じように一人で悩んでいたとしたら……どうして話してくれなかった、って思うよな。

「やっぱりやつだなぁ、慶は」

 さっきのド直球な正論と同じく、ぐうの音も出ない。

 相変わらず要所要所でい忠告をくれる友人を持ったことに感謝する。

「ユイともう一回、ちゃんと話してみるよ」

「ああ、それがい」

 慶が持ち上げたこぶしに軽くこぶしを当てて応えると、二人でうなずき合って小さく笑い声をこぼし合う。

 ひようひようとした慶のなつっこい笑みが心地好くて、本当にありがたい友人だなと改めて思う。

「しっかし夏臣と恋バナする日が来るとはなあ」

「それに関しては俺の方が驚いてるけどな」

 ためいき交じりに首をすくめて見せると、慶が愉快そうにけらけらと笑う。

 気持ちが吹っ切れたお陰で、さっきよりも高く澄んで見える窓の外に目を細めて、深く吸った息をゆっくりと吐き出した。


◆   ◆   ◆


「じゃあ今度こそ好きなんだ、かたぎりのこと」

「……はい。その……そういうこと、です……」

 ひとがなく静かな校舎裏、そこにある非常扉の前の数段の階段。

 お気に入りの場所で昼休みを過ごしてるみなとさんに、私は夏臣との花火大会でのデートの話をしに来ていた。

 湊さんは友人として夏臣とのデートの相談も聞いてくれたし、レンタル浴衣ゆかたのことを教えてもらったりもしたので、ちゃんと自分の口から話さなくちゃと思って訪ねたけれども。

 でも恋愛事情にうとい私は何から話していいのか分からず、結局は自分の気持ちも含めて詳細に話をするしかなく、ものすごく熱くなった顔をうつむかせながら湊さんの確認にうなずいて答えた。

「自分の気持ちに自信持てて良かったじゃん。ちょっと前は好きだとも言えなかったわけだし」

「自信を持てたとか、その……そういう感じではないのですけど……でも気付いてしまったと言いますか、あの時も実はもうすでに好きだったような気がすると言いますか……」

 お気に入りのチョココロネをかじりながら楽しそうにのぞき込む湊さんの視線から、あたふたと言い訳みた説明をしながらうつむけた顔をらす。

 少し前にここで湊さんと話した時は、本当にまだ自分の気持ちに自信なんて持てなかった。

 夏臣に甘えさせてもらってるだけの自分を『好き』なんて言葉で肯定出来なかったから。

 もちろん私にとって夏臣はただの友達なんて言葉じゃ足りないくらいに特別な人だ。

 何も出来ない私を、見返りも求めずに隣で支え続けてくれる優しい人。

 そんな夏臣に何も返せてないくせに、この気持ちを都合良く『恋』なんて呼びたくないし、呼ぶことなんて出来ない。

(……って、湊さんに言ったのに)

 もう私はすでに恋に落ちてしまっていた。

 打ち上がる花火の下、自分の中にある気持ちに気付いてしまった。

 いくら甘えっぱなしでも、何も返せてないとしても。

 他にどんな言い訳を並べても、私は女として夏臣のことが好きになってしまっていた。

 だからもう逆に、この気持ちを認めないわけにはいかない。

「……はい。私は夏臣のことが好きです……とても……」

 あふれてしまう笑みを隠せずにそうつぶやくと、隣の湊さんが顔を赤くして顔をらした。

 それから隣に置いていたパック牛乳をずずずっと吸いながら、急に暑そうにシャツの胸元をぱたぱたとはためかせる。

「い、いんじゃない? そうやって素直な方がわいいと思うし……」

 湊さんが深呼吸をして「んんっ」と喉を鳴らすと、まだ赤いままの顔を私の方に向ける。

「じゃあユイはその旅行、行くの?」

 普段は勝ち気でりんとした瞳に、今は年相応の野次馬心を忍ばせながら、うかがうような視線で私をのぞき込んでくる。

「それは……その、まだ話せてなくて……」

 その質問に答えられず唇を小さくむ。

 このままうやむやでいわけないと私だって分かってはいる。

 でも答えに困っていた夏臣の顔を思い出すと、その後も口に出す勇気が持てなかった。

 つい今しがたはっきりと口にした通り、私は夏臣のことが好きだ。

 その気持ちは疑いようもなく間違いないし、もっと一緒の時間を過ごしたいし、もっとたくさん色々な場所でデートだってしたい。

 だから、もちろんこの旅行だって行きたい。

 でも今の関係じゃ夏臣を困らせるだけで、昨晩に色々と考えてみても夏臣を旅行に誘えるだけの言い訳が見つけられなかった。

「……私の気持ちだけじゃ、だめなことですから」

 何とか笑顔を取り繕って、出来る限り明るい声でそう答える。

 学校のしきを区切るように植えられているからの木漏れ日が、私の左手首に着けている夏臣とおそろいのチェーンブレスレットを照らしてきらめかせた。

 夏臣は優しい。

 それこそ私の心をゆっくりと優しく、こんなにもほどいてくれるくらいに。

 だから私の好意なんかで夏臣を振り回して困らせたくない。

 夏臣は私のことを特別だって言ってくれるから。

 そんな信頼をしてくれる相手だから、その優しさに付け込むようなわがままは言ってはいけないと思うし、言いたくない。

(自分でも面倒な性格をしてるとは思うけど……)

 それが私の素直な気持ちだから、湊さんに何とか口元に笑みを浮かべて見せる。

「らしくないんじゃないの」

「……え?」

 隣から湊さんが私のことをじっと見つめて口を開く。

「ユイと片桐の関係はうちには分かんないけどさ。でもそんなつまんない作り笑いはあんたらしくないよ」

「湊さん……」

「決まってるんでしょ、自分の気持ちなんて」

 彼女らしい遠慮のないぐな言葉が鋭く胸に刺さった。

 いや、ぐな言葉だからこそ、私の取り繕うような作り笑いに刺さって何も言い返せなくなってしまう。

「あんたが好きになった人はさ。たとえ自分のためだったとしても、本当の気持ちを隠されて喜ぶような人じゃないでしょ?」

 湊さんが優しく目を細めながら首をかしげて見せた。

 一見はあいそうなのに、湊さんの気遣いは繊細で優しい。

 上辺の優しさじゃなく、ちゃんと私のことを考えてくれているその言葉に釣られて、私の口元にも自然と笑みが浮かんでしまう。

「そうですね、私が好きになった人はそんな人じゃないです」

 小さく首を振ってはっきりとそう答えると、湊さんもやれやれと満足そうにうなずいてくれる。

「ごめんね、うち口が悪いから」

「いいえ。私にはもったいないくらいの自慢の友達です」

 湊さんが照れ臭そうに残りのチョココロネを口に放り込むと、続けて購買の紙袋からアップルパイを取り出してかぶりついた。

 ひとつ下なのに大人で尊敬できる友人。

 私が頼りないだけかも知れないけど、夏臣も湊さんも本当に優しくて好きだなあと改めて思わされてしまう。

「夏臣とちゃんと話してみます。後悔しないように」

 湊さんに以前に教えてもらったことを口にして頷くと、湊さんが柔らかくほほみ返して頷いてくれる。

「ユイはそうやって素直に笑ってる方がいいよ。絶対に」

「前に夏臣もそう言ってくれました」

「はいはい、おのろごちそうさま」

 少しだけ自慢げにそう答えると、湊さんがくつくつと肩を震わせて笑った。

 それに釣られて私からも笑い声がこぼれて、夏らしい明るい木漏れ日の下、誰もいない校舎裏で声を出して笑い合った。


◆   ◆   ◆


 そしてその日の晩御飯時。

「夏臣、入るよー?」

 開いてるぞと答えるよりも先に玄関が開く音がして、ユイが靴を脱いでそろえる音が聞こえる。

 今日は先に家で着替えてから来たようで、私服姿のユイがくんくんと鼻を鳴らしながら誘われるようにキッチンへと入って来た。

 俺の手元をのぞき込むと、トマトソースが煮詰まった香りをひとしきり味わってからうれしそうににっこりと笑顔を咲かせる。

い匂い。今日はボロネーゼ?」

「ああ、トマトが旬で美味そうだったからな」

「やった、楽しみー」

 ユイが満足げに大きくうなずいて即興の『ボロネーゼのうた』を口ずさみながら、さっそくパスタ用の大皿と二人分の取り皿を用意してくれる。

 それにフォークをふたつと、ユイはパスタを食べる時にスプーンも使うのでそれもひとつ。

 もう勝手知ったる我が家のキッチンで、よどみなく手慣れた準備をユイが進めていく。

「あ、悪い。忘れてた」

 俺のつぶやきにユイが振り返って首をかしげる。

「おかえり、ユイ」

 ユイが一瞬あつられたように大きな瞳をぱちぱちとまたたかせると、すぐに表情を綻ばせて愛らしくうなずいた。

「ただいま、夏臣」

 少しだけ甘えるような声で、かすかに頰を赤くしながらほほんでくれる。

(やっぱりユイはわいいよなぁ……)

 この素直さが本当にわいらしくてたまらない。

 黙ってればりんとしたクール美人なのに実はころころと素直に表情が変わるし、何よりこういう無防備な笑顔が本当にわいい。

 溶けてしまいそうなわいさで顔が緩んでしまうのを天井を仰いで何とかごまかす。

 ユイはそんな俺に気付かないまま、キッチン下のパスタケースから二人分のパスタを量って用意してくれている。

(……旅行のこと、話すなら早い方がいよな)

 手元のボロネーゼソースをヘラでいじりながら、昼間に慶と話したことを思い浮かべる。

 きっとユイだって気にしてるだろうし、やっぱりここは男の俺がしっかりしないと。

 そう思って意を決すると、隣のユイに向かって口を開く。

「「……あのさ」」

 二人分の声が重なって、再び「「えっ」」と完璧にハモって顔を見合わせる。

「ど、どうした? ユイの方からどうぞ?」

「う、ううん、夏臣の方から……!」

 見事に出鼻をくじかれてしまい、言葉に詰まりながらお互いに慌ただしく譲り合う。

 俺もユイも顔をらしながら次の言葉を探す間に、トマトソースがぐつぐつと煮える音だけが響いていた。

 隣から小さく息を吸う音が聞こえて、ユイが小さな両手を胸の前できゅっと握る。

「……あのね。旅行の話なんだけど、少し話してもいいかな」

 昨日みたいなうかがうような視線じゃなく、しっかりと意志を持った瞳でユイがそう口にした。

 迷いのないはっきりとした言葉で、青い瞳がまっすぐに俺を見上げている。

「なんだ、ユイも同じこと考えてたのか」

「同じことって……夏臣も?」

 かすかに丸くなった青い瞳にうなずいて応える。

 ユイが俺と同じことを考えて、それを同じタイミングで話そうとしてくれていたことがうれしくて思わず頰が緩んでしまう。

 うれしい半分、照れ半分の笑顔を浮かべつつ、俺も手を止めてユイをぐに見つめ返して答えた。

「俺はユイと一緒に行きたい。色々考えないといけないことはあると思うけど……でもまずは俺の素直な気持ちをちゃんと伝えたくて」

「夏臣……」

 かすかに開いたユイの唇から俺の名前がこぼれた。

 それから丸くなっていた瞳がゆっくりと細まって、くすりと優しい小さな笑い声がくすぶる。

「私も、夏臣と一緒に旅行に行きたい。話さないといけないことは色々あるとは思うけど……でも、私もまずは素直な気持ちをちゃんと伝えたいって思って」

 ユイも喜んでるような、照れてるような笑顔をはにかませながら、にへらっと力の抜けた自然なほほみを俺に返してくれる。

(……俺もユイと同じような笑い方が出来てたらいいな)

 あいそうには定評のある自分だけども、今はちゃんとユイに自分の気持ちが伝わってるといいなと思いながら俺もユイにうなずいて答えた。

「ごめんな。ユイの方から言わせて」

「私も変に難しく考え過ぎてたし。どっちからとかないよ、こんなこと」

 二人ともが同じような照れ笑いを浮かべながら、お互い肩の力が抜けたようにいつもの空気に戻る。

 まだ現実的に話さないといけないことはたくさんあるけど。

 でもこうやってちゃんと向き合えたからこそ、同じ方向を見て話が出来ることがうれしい。

(……本当に俺はまだまだ子供だな)

 そう思いながらも、背中を押してくれた友人に改めて心の中で感謝する。

「したら、ひとまずは先に晩飯にするか」

「そうだね。今日もごそうになります」

 ユイが俺に向かってお祈りのポーズで手を組んで頭を下げる。

「無宗派のくせに」

「夏臣教なら信じてるよ」

 そんな冗談を言い合いながらもう一度ユイと小さく笑い合う。

 話をしてる間にい具合に煮詰まったボロネーゼの香ばしい香りを感じながら、二人分のパスタを沸騰した鍋の中に広げてで始めたのだった。


◇   ◇   ◇


 晩御飯も食べ終わってユイが自分の部屋へと帰った後。

 俺は一人でやや緊張しながらベッドの上でスマホをじっと見つめていた。

 ヴヴヴと震えたスマホに指先を滑らせて電話を耳に当てる。

「メッセージ見たけど、私に話したいことって何?」

 やや低めの良く通る声が電話の向こうから聞こえた。

 久しぶりに聞くその声に少し緊張しながらも、伝えるべきことを伝えようと口を開く。

「突然すみません。どうしてもソフィアさんに直接伝えたいことがありまして」

「別にいいわよ。ちょうど撮影の合間だったしね」

 着信の相手はソフィア・クララ・ヴィリアーズ。

 イギリス在住でモデルをしているユイの姉で、ユイと同じくクリスチャンネームを持つヴィリアーズ家の長女。二十二歳。

 少し前にユイの様子を見に日本に来た時に会って以来、俺のことを信用して姉としてユイのことを任せてくれている。

 だからこそ旅行のことは先にちゃんと話しておくべきだと思い、スマホでメッセージを打って折り返しを待っていた。

 ちなみにユイにこの話をしたら露骨に嫌な顔で『別にソフィーには言わないでいいよ。子供じゃないんだから』とムクれていたけども、俺の立場からはそういうわけにもいかない。

「それで、用件は何なの? 回りくどい言い方は嫌いだから、言いたいことがあるならストレートに言って」

「ユイと旅行に行くことになったので、その報告です」

…………えっ?」

 俺がなるべく端的にそう伝えると、今まで聞いたことのない間抜けな声が返って来た。

「旅行って、日帰りってこと?」

「泊まりです。一泊二日で」

「えっと……ごめん、ちょっと待ってね」

 ソフィアがそう言い残すと電話越しに沈黙が流れる。

 そのまましばらく待っていると、「んんっ」と喉を鳴らして仕切り直す声が聞こえた。

「それ、詳しく聞かせてくれる? ビデオ通話で」

「分かりました」

 そう答えるとすぐに海を越えたイギリスからビデオ通話の着信が届く。

 俺のスマホ画面に緩くウェーブのかかった美しい金髪と整った顔立ちのソフィアが映って、明らかにいぶかし気に顔をしかめていた。

(まぁ簡潔に説明すればこんな顔にもなるよな……)

 そう思いつつも納得してもらえるように今回の経緯を説明する。

「なるほどね。花火大会でデートなんてあの子、私には黙ってたけど……ま、それは今はいいわ。浴衣ゆかた姿のユイの写真はあるのよね? それは後でちゃんと送ってもらうとして」

 明らかに不満げな表情のまま、短いためいきを吐き出して俺の方へと視線を向け直す。

「いいんじゃない。気をつけて行ってらっしゃい」

「えっと……いいんですか?」

「本人たちの意志が決まってるなら、そんなの私が口挟むことじゃないでしょ」

 あまりにあっさりとOKが出て逆に戸惑ってしまう。

 もちろんソフィアはちゃんと話せば分かってくれると思ってたけど、まさかこんなに簡単に肯定されるとは思ってなかったので、身構えていた分の肩透かしを食らってしまった。

「ただし、ひとつだけちゃんと答えなさい」

 ソフィアが画面越しに人差し指を立てて、ゆっくりと落ち着いた声で俺に問いかける。

「ナオミに、ちゃんと覚悟はあるの?」

 それは前にソフィアが日本に来た時にも聞かれたことだった。

 ユイとこれだけ近くにいることに対しての覚悟。

 ふざけてるようでも、からかうわけでもなく、ソフィアが真剣なまなしで俺を見つめる。

 あの時は分からなかったけど、今ならソフィアが言う意味が分かる。

 前に聞かれた時はまだ『友人としてユイの手を離さない』と答えたこと。

 恋愛感情とかそんな意味は分からなくても、ユイを独りにしないという覚悟だった。

(でも今は……)

 左手首のブレスレットにそっと右手を添えて、画面越しのソフィアをまっすぐに見て答える。

「好きです。友達としてではなく、異性として」

 ソフィアがユイと同じ青い瞳をぱちくりとまたたかせる。

 それから肩を小さく震わせて、遠慮することなく「あははっ」と大きな笑い声を上げた。

「へぇ。まだまだ子供だと思ってたけど、ちょっとはカッコ良くなったじゃない」

「別にカッコ良くなったとは思わないですけど……」

「胸を張って自分の気持ちを口に出来るのはとても素敵なことよ。それが他人への好意ならなおさらね」

 俺の答えを聞いたソフィアが笑いながら満足げに大きくうなずいた。

 胸を張るのはまだ少し気恥ずかしいけども、ソフィアが自信満々にそう言ってくれるだけで少しは自信が持てるような気がしてくる。

「それならなおさらもう何も言う事は無いわ。でも……」

 一呼吸を置くと、自分の胸元に掛かっているネックレスのチェーンを引き上げて画面に映す。

 けいけんなクリスチャンのあかしであるロザリオが画面の向こうで光を弾いてきらめいた。

「ナオミもユイもまだ子供なんだから、早まったことはしないようにね?」

 迫力満点の笑顔でソフィアがロザリオをぶらぶらと揺らして見せた。

 基本的にキリスト教では処女性がめちゃくちゃ重んじられている。

 なので以前は潔癖とも言える純潔性を俺たちにも求められているのかと勘違いしたが、今ならそれで何が言いたいかのかちゃんと伝わった。

「自分がまだ子供なのは分かってるつもりですし、神に誓ってそういう目的じゃないですから大丈夫です」

「別にナオミは心配してないけどね。危ないのはユイの方だし」

「……は?」

 思わず俺が間抜けな返事を口から漏らすと、ソフィアは眉間にしわを寄せながら難しい顔をしてうなっていた。

 ソフィアが言っている意味が分からずに、俺も同じように眉間にしわを寄せて首をかしげる。

「あの子、素直過ぎて思い込むと一直線なところあるから。だからこそナオミにしっかりしてもらわないとってこと」

「一直線って……それ、どういう」

「あ、ごめんなさい、私もう次の撮影が始まるから。とりあえずそういうことで節度を守って楽しんで来てね、Bye(またね)♪」

「ちょ、ソフィアさ──」

 ソフィアがりゆうちような発音で別れの言葉を残すと、映像と音声が途切れる。

 いまだに言われたことが吞み込めずにスマホのホーム画面を見つめて眉をひそめた。

「俺がしっかりしろって……」

 ……確かにユイは素直だと思う。

 俺のお節介を快く受けてくれて、いつも俺の言葉を真正面から受け入れてくれる。

 晩御飯の度にしいしいと言って笑顔を見せてくれるし、花火大会に誘ったら俺を喜ばせるためにわざわざ浴衣ゆかたをレンタルして来てくれたりもした。

(でもその素直さと一直線っていうのは何か違うような……)

 ソフィアの言ってることがいまいちつながらずに首をかしげる。

 まぁとりあえず俺がしっかりしてれば何も問題はないってことだろうか。

 ひとまずそう理解して納得すると、ソフィアに許可がもらえたことをユイにメッセージで報告する。

 するとすぐに何とも言えない表情でこっちを見ているブサイクな猫のスタンプが送られて来た。

 ユイの不本意さが実に伝わって来るけども、これで連絡をするべき相手に連絡をしたので、気兼ねすることなく旅行のことを考えられる。

 その事に純粋にこれ以上ないくらいに楽しみで胸を躍らせながら、スマホで修善寺の観光情報などをひとつずつ調べていったのだった。