プロローグ


 ユイ・エリヤ・ヴィリアーズ。

 彼女は俺、かたぎりおみと同じ東聖学院の二年生で、今年の四月にイギリスの姉妹校から交換留学生制度でうちのクラスに編入して来た。

 ユイはイギリス貴族を家系に持つ英日のハーフで、日本人らしい艶のある長い黒髪とイギリス人の特徴であるへきがんを持っている。

 切れ長で大きな瞳と整った顔立ち、それに均整の取れたしなやかな身体からだ付き、何よりそのりんとしたクールなたたずまいから、クラスメイトたちからはその出自も合わせて深窓のお姫様クーデレラと呼ばれ、憧れと畏敬の視線を集めている女子だ。

 でも転校当初の取り付く島もないクールさは今ではだいぶ緩み、最近ではクラスの女友達と話をしている姿も珍しくはない。表情は相変わらずクールではあるけども。

 異性をけてしまうその容姿からか、男子連中には一歩……いや二歩ほど線を引いてる感はいなめないが、クーデレラと呼んでいる連中からするとその感じもまたたまらないらしい。


 そして転校から三ヵ月った今現在、そんな感じでくやれているユイだが、俺との間には表向き隠していることがある。


 俺は一昨年に『高校入試で特待生を取ったら一人暮らし』という条件を達成し、両親との約束通り高校生にして一人暮らしをしている。

 そしてユイもイギリスから単身で留学をして来たので、俺が住むマンションの隣の部屋に引っ越して来て一人暮らし。

 東聖学院から通える範囲である程度の好物件となれば絞り込まれるとはいえ、まさかクラスメイトの女子と隣人になるとは思ってもいなかったが……隠しているのはそれだけじゃない。

 実はユイと俺は毎晩うちで食事を共にしている。

 一人暮らしなのにまったく自炊をしたことのないユイに、食費と自炊の手間を共有することでお互いにメリットがあるという提案からの合意でそうなった。

 でも本当のところは、ユイが複雑な家庭事情を背負って一人で頑張ろうとしている姿を見て、俺が出来るお節介を焼かせてもらいたくなったというのが本音だ。

 そんな生活の中でユイが少しずつ笑顔を見せてくれるようになって、俺を頼ってくれるようになって、ずっととらわれていた過去の苦しみを乗り越えて、今では心から笑ってくれるまでになった。

 そんな笑顔を見せてもらえるようになったことを誇りに思いつつ、ユイと二人で色々な思い出を作りながら春からの約四ヵ月間を過ごしていた……のだけれども。

 一緒に出掛けた八景島シーパラダイスの花火大会。

 大きな花火が咲いては消えていく夜空の下、お互いにほほみながら笑顔が重なった。

『来年もまた一緒にこの花火を見に来よう』

 その約束を交わした時、俺たちはもう恋に落ちていたのだった。


◇   ◇   ◇


 そして暦は七月十八日の日曜日。

 くだんの八景島シーパラダイスの花火大会『花火シンフォニア』が終わった翌日。

 クーデレラという呼び名に違和感ないはずのクールでりんとしたお姫様は、

「……その、どうしよっか?」

 戸惑うように頰を赤く染めながら、でもどこか期待してるような上目遣いを隣の俺に向けていた。

 横浜・中華街から少し離れた、大通り沿いの木陰にあるベンチの上。

 行き交う人たちのけんそうは少し遠く、七月らしい強いしが俺たちの周りをジリジリと照らしている。

「……そうだな、どうするかな」

 同じように困惑している俺の返事を聞いて、ユイが困ったように視線を落とす。

 ユイの手の中には『目録』と書かれた封筒。

 その中身は、ユイが昨日の花火大会のためにレンタルしてくれた浴衣ゆかたの返却時にもらった福引券で当てた『伊豆箱根しゆぜん温泉一泊二日、ペア宿泊券』の目録。

 特等賞である金色の抽選球が出た瞬間、ユイの身体からだが飛び跳ねるほど強烈に響き渡ったハンドベルと抽選スタッフたちの祝福の声。

 それらから逃げるようにして辿たどいたベンチの上で、お互いにどうしたらいものかと思いながらもう一度大きなためいきを吐き出した。

 ユイが中に入っている目録を開くと、そこには静岡県市にある箱根修善寺という温泉街にあるホテルの連絡先と、利用可能な時期は八月中というむねが書いてある。

 八月中なら俺もユイも夏休み期間中だし、俺たちがバイトで所属している教会も夏休みで人手が余っているため、旅行の日程自体は問題ない。

(その辺りの問題はないんだけど……)

 ユイとはほぼ毎日の晩御飯を一緒にしてるし、どこかに出かけるにしても遠慮なく誘えるし、花火大会でデートだってしたし、お互いに特別な相手だと口に出来るくらいの信頼関係はある。

 でも昨日、俺はユイのことが好きだと自覚してしまった。

 たかがその気持ちひとつのことだけなのに、あれからユイの存在感が全然違う。

 ただでさえわいいユイが三割増しでわいい。

 隣から横顔を見る度にわいいと思ってしまうし、今も困ったようにちらちらと俺をうかがう表情も最高にわいらしい。

 今までと同じように隣にいるだけなのに、胸の奥から何とも言えない甘苦しい気持ちが込み上げて来てたまらなくなってしまう。

 そんな状態で急に降って湧いた、二人きりの旅行。

 当たったのが遊園地のチケットだったなら、何を迷うこともなく一緒に行きたいと誘った。

 でも、温泉。

 しかも泊まり旅行。

 変な下心なく、ユイと旅行デートなんて純粋に楽しそうだと思う……けども。

 目録の注意書きには『一部屋で二人利用』だとも明記されている。

 さすがにそれは恋人でもない高校生二人にはちょっとハードルが高過ぎて、いくらユイとでも『行きたい』と思う気持ちだけで返事が出来ずに口ごもってしまう。


◆   ◆   ◆


「……その、どうしよっか?」

 手の中にある旅行の目録を広げながら、隣に座っている夏臣を横目で盗み見る。

 夏臣は口元に手を当てながら難しい顔をして、何か必死に言葉を探しているみたいだ。

 中華街のけんそうから離れた場所のベンチに座って、夏らしく眩しい木漏れ日に顔を上げてためいきを吐き出す。

「そうだな、どうするかな……」

 夏臣も私と同じように困った顔をしながら言葉を濁した。

 私と夏臣はほぼ毎日顔を合わせてるし、スマホで他愛ないメッセージのやり取りもするし、初めてのデートに浮かれて花火大会用に浴衣ゆかたをレンタルしちゃうくらい特別な相手にはおもっている。

 正直、好きでたまらない。

 花火大会に誘われた後、喜んでくれるかなとか、わいいって言ってくれるかな、という一心でレンタルした浴衣ゆかたを着て行っちゃうくらい夏臣が大好きだ。

 今思えば浮かれ過ぎてた気もするし、改めて考えると顔から火が出そうなくらいに恥ずかしい。

(……でも、似合ってるって褒めてもらえてうれしかったなぁ)

 昨日のことを思い出すだけでも口元が緩んでしまいそうなのを必死にこらえながら、浮かれたもあって当たった目録にもう一度視線を落とした。

 これが映画のチケットだったなら、何を迷うこともなく一緒に行こうと誘ったと思う。

 でも、温泉。

 しかもお泊まりの旅行。

 正直な気持ちは、行きたい。

 でも目録の注意書きには『一部屋で二人利用』だと明記されている。

 異性の友達と旅行して同じ部屋に泊まるというのは、いくら恋愛事にうとい私でも非常識だということは分かる。

(……そうは分かってるのに)

 それでも胸の中は夏臣と旅行に行きたいっていう気持ちでいっぱいになってしまってる。

 でもそれを口に出したら、いくら私に甘い夏臣でも困らせてしまうのは考えるまでもない。

 それが分かるからこそ、好きな人と旅行に行きたいと思う気持ちだけで返事が出来ず、唇をんでうつむくしか出来なかった。

 それでも黙っていても仕方がないと意を決して顔を上げた瞬間。


『ぐうぅぅうぅぅ~~~……


 猛烈に私のおなかが空腹を主張した。

 大慌てで自分の腹を両腕で押さえるが、聞き間違えようのないほどの大主張だったため、聞こえないフリをすることも出来ずに引きつった苦笑いを夏臣に向ける。

「何でこんなタイミングで……死にたい……あはは……」

 泣きそうになりながら乾いた笑い声を漏らす。

 お陰で張り詰めていた緊張の糸がぷっつりと切れて、堪え切れなかった夏臣から笑い声がこぼれ落ちた。

「ほ、ほんとに……その、ごめん……」

 肩をさらに小さくして、消え入りそうな声でつぶやいて縮こまる。

「悪い、笑うつもりはないんだけど……」

 謝りながらも堪え切れずに笑ってしまう夏臣を見て、私も何だか釣られるようにしくなって笑みがこぼれてしまった。

 そのままさっきまでの空気を笑い飛ばすように、私も笑顔で首をすくめて見せる。

「とりあえず昼飯でも食べに行くか。せっかく中華街まで来たことだし」

「そうだね、ひとまずそうしよっか」

 夏臣の提案でお互いに一息ついて顔を見合わせると、旅行の話は一旦後回しにして、さっき出て来た中華街へと昼食を食べにベンチを連れ立った。